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2015年1月30日金曜日

沈黙のなかにいてはわからない/続けなくちゃいけない



You must go on.

I can't go on.

You must go on.

I'll go on. You must say words, as long as there are any- until they find me, until they say me. (Strange pain, strange Sin!) You must go on. perhaps it's done already. Perhaps they have said me already. Perhaps they have carried me to the threshold of my story, before the door that opens on my story. (That would surprise me, if it opens.)

it will be I? it will be the silence, where I am? I don' know, I'll never know: in the silence you don' know.

You must go on.

I can't go on.

I'll go on.

ーーSamuel Beckett, The Unnamable


(After the Genocide. Tuol Sleng Torture Camp, Phnom Penh)

続けなくちゃいけない、

おれには続けられない、

続けなくちゃいけない、

だから続けよう、言葉をいわなくちゃいけない、言葉があるかぎりは言わなくちゃいけない、彼らがおれを見つけるまで、彼らがおれのことを言い出すまで、不思議な刑罰だな、不思議な過ちだな、続けなくちゃいけない、ひょっとしてもうすんだのかな、ひょっとして彼らはもうおれのことをいっちまったのかな、ひょっとして彼らはおれをおれの物語の入り口まで運んでくれたのかな、扉の前まで、扉をあければおれの物語、だとすれば驚きだな、もし扉が開いたら、

そうしたらそれはおれなんだ、沈黙が来るんだ、その場ですぐに、わからん、絶対にわかるはずがあるもんか、沈黙のなかにいてはわからないよ、

続けなくちゃいけない、

おれには続けられない、

続けよう。

ーーベケット『名づけえぬもの』 安藤元雄訳 白水社


(A.ケルテス、エルネスト、パリ、1931)

1937年、ケルテスがアメリカ合衆国にやって来たとき、「ライフ」誌の編集者たちは、彼の映像が《あまりにも語りすぎる》からと言って、彼の写真を受け入れなかった。彼の映像は考え込ませ、ある意味をーー字義どおりの意味とはまた別の意味を示唆したのである。要するに、「写真」が秩序壊乱的なものとなるのは、恐れさせ、動転させ、さらには烙印を押すときではなく、それが考え込むときなのである。(ロラン・バルト『明るい部屋』)


(A.ケルテス;子犬、パリ、1928)

「写真」は注意を知覚から切り離し、知覚をともわない注意はありえないのに、ただ注意だけを向けるかのようである。それは道理に反することだが、ノエマのないノエシス、思考内容のない思考作用、標的のない照準である。しかし、ある種の雰囲気がもつきわめて稀な特質を生み出すのは、この人騒がせな視線の動きである。ここに逆説があるのだ。知的なことはすこしも考えず、ただ黒いベークライトの塊を見つめているだけなのに、どうして知的な雰囲気をもつことができるのか? それはまなざしが、見ることをやめ、内心のある何かに注意を向けているように思われるからである。生まれたばかりの子犬を抱いて、ほほずりしているこの貧しい少年(ケルテス 1928年)は、悲しみと愛着と恐れの入り混じった目でカメラを見つめている。なんと不憫で切なくて思慮深い様子であろう! だが実は彼は何も見ていないのだ。彼のまなざしは愛と恐れを心のうちに引きとめているのである。写真の「まなざし」とは、そういうものなのである。(同上 バルト)



Unfortunately I am afraid (as always) of going on. For to go on means going from here, means finding me, losing me, vanishing and beginning again (a stranger first, then little by little the same as always) in another place, where I shall say I have always been, of which I shall know nothing ( being incapable of seeing, moving, thinking, speaking) but of which little by little, in spite of these handicaps, I shall begin to know something, just enough for it to turn out to be the same place as always, the same which seems made for me and does not want me, which I seem to want and do not want (take your choice) which spews me out or swallows me up ( I’ll never know) which is perhaps merely the inside of my distant skull where once I wandered, now am fixed, lost for tininess (or straining against the walls) with my head, my hands, my feet, my back, and ever murmuring my old stories ( my old story) as if it were the first time.

― Samuel Beckett, The Unnamable





Yes, in my life, since we must call it so, there were three things, the inability to speak, the inability to be silent, and solitude, that’s what I’ve had to make the best of.
The tears stream down my cheeks from my unblinking eyes. What makes me weep so? There is nothing saddening here. Perhaps it is liquefied brain.





言葉では書けないことがあるというのが
言葉に組みこまれた最大の教えだった
遠く離れた場所での何かに経験をつけくわえようとするが
その距離と無知は絶対に変わらない
言葉が言葉にすべきでないことがあるというのが
言葉のもっともつつましい誓いだった
雨滴は太陽に挑むことができず
砂粒は風にけっして勝てない
そのように言葉はひとしずくの雨、ひとつぶの砂として
蒸発を受け入れ、制御できない飛行を甘受する
それでもこの雨滴に喉をうるおし
この微細な砂粒にしがみつく虫がいるだろう
われわれは虫だ、われわれはあまりに小さい
すべてのわれわれが虫だ、あまりにはかない
この小さな体と感覚器の限界に捉われながら
世界を語らず、ただ世界の光と雨に打たれて生きている


      ーー管啓次郎『島の水、島の火 Agend’Ars2』から






大規模な交響楽的クレッシェンドは、ロマン主義的なルバート、すなわち緩急の自由なテンポの扱いと同様に、作品内の有機的な形態の多様性と結びついている。特に後者は――これは楽譜への忠実さをどんなに口先だけで信条としていても、やはり現代の真の病いであり、劇場に発するものである――バッハでは厳しく徹底的に排除されなければならない。私が『マタイ受難曲』であえて行なっている唯一の例外が、「まことに、この人こそ神の子であった」という言葉にともなう大規模なクレッシェンドとデクレッシェンドである。私はこれを様式の上で弁護するつもりはないが、歌詞の内容を見事に表現するように思われ、それを断念する気になれない。これは私がカール・シュトラウベから受け継いだものである。(フルトヴェングラー)







I'm all these words, all these strangers, this dust of words, with no ground for their settling, no sky for their dispersing, coming together to say, fleeing one another to say, that I am they, all of them, those that merge, those that part, those that never meet, and nothing else, yes, something else, that I'm something quite different, a quite different thing, a wordless thing in an empty place, a hard shut dry cold black place, where nothing stirs, nothing speaks, and that I listen, and that I seek, like a caged beast born of caged beasts born of caged beasts born of caged beasts born in a cage and dead in a cage, born and then dead, born in a cage and then dead in a cage, in a word like a beast, in one of their words, like such a beast, and that I seek, like such a beast, with my little strength, such a beast, with nothing of its species left but fear and fury, no, the fury is past, nothing but fear, nothing of all its due but fear centupled, fear of its shadow, no, blind from birth, of sound then, if you like, we'll have that, one must have something, it's a pity, but there it is, fear of sound, fear of sounds, the sounds of beasts, the sounds of men, sounds in the daytime and sounds at night, that's enough, fear of sounds all sounds, more or less, more or less fear, all sounds, there's only one, continuous, day and night, what is it, it's steps coming and going, it's voices speaking for a moment, it's bodies groping their way, it's the air, it's things, it's the air among the things, that's enough, that I seek, like it, no, not like it, like me, in my own way, what am I saying, after my fashion, that I seek, what do I seek now, what it is, it must be that, it can only be that, what it is, what it can be, what what can be, what I seek, no, what I hear, I hear them, now it comes back to me, they say I seek what it is I hear, I hear them, now it comes back to me, what it can possibly be, and where it can possibly come from, since all is silent here, and the walls thick, and how I manage, without feeling an ear on me, or a head, or a body, or a soul, how I manage, to do what, how I manage, it's not clear, dear dear, you say it's not clear, something is wanting to make it clear, I'll seek, what is wanting, to make everything clear, I'm always seeking something, it's tiring in the end, and it's only the beginning.







2015年1月29日木曜日

絶望さえも失った末人たち

以下は、「世界資本主義のガン/イスラム対抗ガン」などの補遺。多くはこのところ引用してきたもののくり返し、もしくはその断片を引用した文をもうすこし長く引用している。

…………

まずヘーゲル主義者フランシス・フクヤマの「歴史の終焉」をめぐるジジェクの見解(当時の)を「新しい形態のアパルトヘイト」から再掲しよう。

私のフクヤマに対する批判は、彼がヘーゲル的でありすぎるということではなく、まだ十分にヘーゲル的ではないということです。十分に弁証法的ではないと言ってもかまいません。というのも、ヘーゲルが繰り返し強調しているのは、ある政治システムが完成されて勝利をおさめる瞬間は、それがはらむ分裂が露呈される瞬間でもあるということなのです。(「スラヴィイ・ジジェクとの対話」初出1993 「SAPIO」浅田彰『「歴史の終わり」と世紀末の世界』所収)

では具体的に八九年以降どんな「分裂が露呈」されているのか。

実際、勝ちをおさめたかに見える自由民主主義の「世界新秩序」は、「内部」と「外部」の境界線によってますます暴力的に分断されつつあります。「新秩序」の なかにあって人権や社会保障などを享受している、「先進国」の人々と、そこから排除されて最も基本的な生存権すら認められていない「後進国」の人々を分か つ境界線です。しかも、それはもはや国と国との間にとどまらず、国の中にまで入り込んできています。かつての資本主義圏と社会主義圏の対立に代わり、この「内 部」と「外部」の対立こそが現在の世界情勢を規定していると言っていいでしょう。このように、とことんヘーゲル的に言うなら、自由民主主義は構造的にみて普遍化され得ないのです。(同上)

実際、冷戦終了後、世界は混沌をきわめつつあるようにみえる。いまはそれから25年ほど経っているが、中井久夫が2000年に書いたように、歴史の終焉どころか歴史の退行がいっそう進行中であるといいうるだろう。

私は歴史の終焉ではなく、歴史の退行を、二一世紀に見る。そして二一世紀は二〇〇一年でなく、一九九〇年にすでに始まっていた。(「親密性と安全性と家計の共有性と」)

ここで、「仏テロ事件後のラ・マルセイエーズによる「情緒の昂揚」」にて貼り付けたエマニュエル・トッドのテロ事件後の電話インタビュー記事のいくらかを、まずは再度抜粋する。

……フランスが今回の事態に対処したいのであれば、冷静になって社会の構造的問題を直視すべきだ。北アフリカ系移民の2世、3世の多くが社会に絶望し、野獣と化すのはなぜなのか。(……)

背景にあるのは、経済が長期低迷し、若者の多くが職に就けないことだ。中でも移民の子供たちが最大の打撃を被る。さらに、日常的に差別され、ヘイトスピーチにされされる。

「文化人」らが移民の文化そのものを邪悪だと非難する。

移民の若者の多くは人生に意味を見いだせず、将来の展望も描けず、一部は道を誤って犯罪に手を染める。収監された刑務所で受刑者たちとの接触を通じて過激派に転じる。社会の力学が否定的に働いている。(……)

真の問題はフランスが文化道義的危機に陥っていることだ。誰も何も信じていない。人々は孤立している。社会に絶望する移民の若者がイスラムに回帰するのは、何かにすがろうとする試みだ。

ジャック=アラン・ミレールは、テロ事件後、テルアビブの友人の精神分析家Susannaの言葉を引用している(もっともこれは必ずしも彼の見解ではない)。

すべての指導者が、一緒になって並び立ち、腕を組んで歩き、どんなゴールの不在のもとに一体化しているのを見ると、みじめさを感じてしまう。私は思うのだが、彼らはすべての希望を失っただけではなく、さらに悪いことに、絶望さえも失っているのだ。(12.01.2015 JACQUES-ALAIN MILLER ON THE CHARLIE HEBDO ATTACK)。

ここにある《彼らはすべての希望を失っただけではなく、さらに悪いことに、絶望さえも失っている》とは、トッド曰くの《真の問題はフランスが文化道義的危機に陥っていることだ。誰も何も信じていない》の変奏と言いうるものだ。

あるいはまたニーチェの《人間は欲しないよりは、また無を欲するものである》(『道徳の系譜』)、《人間意志は一つの目標を必要とする、そしてそれは欲しないよりは、またしも無を欲する》における「無」さえ欲しない末人論の谺をきくことができるのかもしれない。

見よ! 私は君達に末人を示そう。
『愛って何? 創造って何? 憧憬(あこがれ)って何? 星って何?』―こう末人は問い、まばたきをする。

そのとき大地は小さくなっている。その上を末人が飛び跳ねる。末人は全てのものを小さくする。この種族はのみのように根絶できない。末人は一番長く生きる。

『われわれは幸福を発明した』―こう末人たちは言い、まばたきをする。
彼らは生き難い土地を去った、温かさが必要だから。彼らはまだ隣人を愛しており、隣人に身体を擦りつける、温かさが必要だから。…

ときおり少しの毒、それは快い夢を見させる。そして最後は多量の毒、快い死のために。…
人はもはや貧しくも豊かにもならない。どちらも面倒くさすぎる。支配する者もいないし、従う者もいない。どちらも面倒くさすぎる。

飼い主のいない、ひとつの畜群! 誰もが同じものを欲し、誰もが同じだ。考え方が違う者は、自ら精神病院へ向かう。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』序説 手塚富雄訳)

《われわれは幸福を発明した》における「幸福」とは、アングロサクソン流、すなわち世界資本主義家流、新自由主義、あるいは市場原理主義流の幸福である。

人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである。(ニーチェ『偶像の黄昏』)

すなわち、なんの信念もなしにその日その日が「幸福」であればよい、という態度である。

後はどうとでもなれ。これがすべての資本家と、資本主義国民の標語である。だから資本は、社会が対策を立て強制しないかぎり、労働者の健康と寿命のことなど何も考えていない。(マルクス)

ところで、どうして無=絶望さえも欲することを失ってしまったのか。それは現在のシステムには展望がまったくないからではないか。いま誰がこの現在よりも将来がよりよくなっていると「夢想」できるひとがいるだろう? ーーとは言いすぎであり、いわゆる「後進国」ではそう考えている人たちも多いのを知らないわけではないがーー、すくなくとも「先進諸国」に住む人びとやとりわけその指導者層は、実のところ、日々を、いま進みつつある下り坂が急にならないように舵取りしつつ、やりすごしているだけではないのか。ただ急坂を転げ落ちることだけは避けようとして。そしてその坂道には、ときおりムスリムや資本の欲動が奈落の穴を開けてみせる。

最初に言っておきたいことがあります。地震が起こり、原発災害が起こって以来、日本人が忘れてしまっていることがあります。今年の3月まで、一体何が語られていたのか。リーマンショック以後の世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか、というようなことです。別に地震のせいで、日本経済がだめになったのではない。今後、近いうちに、世界経済の危機が必ず訪れる。それなのに、「地震からの復興とビジネスチャンス」とか言っている人たちがいる。また、「自然エネルギーへの移行」と言う人たちがいる。こういう考えの前提には、経済成長を維持し世界資本主義の中での競争を続けるという考えがあるわけです。しかし、そのように言う人たちは、少し前まで彼らが恐れていたはずのことを完全に没却している。もともと、世界経済の破綻が迫っていたのだし、まちがいなく、今後にそれが来ます。(柄谷行人「反原発デモが日本を変える」ーー「人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである」(ニーチェ)より)

…………

以下は、冒頭近くに掲げたトッドの文章と「ともに」読むための参考文献のいくつかである(「フランス人のマグリブ人に対する敵意」にてもトッドの考え方のいくらかの引用がある)。とはいえ、もっとも肝腎であるかもしれないパレスチナの話はここでは除いている。

もともと戦後体制は、1929年恐慌以後の世界資本主義の危機からの脱出方法としてとらえられた、ファシズム、共産主義、ケインズ主義のなかで、ファシズムが没落した結果である。それらの根底に「世界資本主義」の危機があったことを忘れてはならない。それは「自由主義」への信頼、いいかえれば、市場の自動的メカニズムへの信頼をうしなわせめた。国家が全面的に介入することなくしてやって行けないというのが、これらの形態に共通する事態なのだ。(柄谷行人「歴史の終焉について」『終焉をめぐって』所収)
われわれは忘れるべきではない、二十世紀の最初の半分は“代替する近代“alternate modernity””概念に完全にフィットする二つの大きなプロジェクトにより刻印されれていたことを。すなわちファシズムとコミュニズムである。ファシズムの基本的な考え方は、標準的なアングロサクソンの自由主義-資本家への代替を提供する近代の考え方ではなかったであろうか。そしてそれは、“偶発的な contingent ”ユダヤ-個人主義-利益追求の歪みを取り除くことによって資本家の近代の核心を救うものだったのでは? そして1920 年代後半から三十年代にかけての、急速なソ連邦の工業化もまた西洋の資本家ヴァージョンとは異なった近代化の試みではなかっただろうか。(ジジェク『LESS THAN NOTHIN』2012 私訳)


◆柄谷行人―浅田彰対談より(初出 『SAPIO』 1993.6.10 『「歴史の終わり」と世紀末の世界』所収

浅田彰)戦前の状況を考えれば、イギリスやフランスなどの先進国に比べ、ドイツやロシアは圧倒的に遅れていた。しかし、いちばん遅れていたロシアがたまたま共産主義という世界史的理念を担ってしまったがために世界史的勢力として台頭し、それとの対抗関係でドイツはファシズムを選択した。それで歴史の激動があったわけでしょう。

しかし第二次大戦後は、その激動が凍結されて宙吊りになった。とくに西側から見れば、共産主義という大きな敵がいるがゆえに、逆にすべてが安定するというかたちで秩序が保たれていた。一般的に、社会というのは、内部矛盾を外部の敵に投影することで安定するのだけれども、恰好の敵が共通にひとつあったから、全部それとの関係で安定できた。(……)

それからまた、西の「第一世界」に対する東の「第二世界」という図式があれば、これを想像的に乗り越えるために第三項としての「第三世界」をもってきて、その象徴としての毛沢東主義をロマンティックに賛美することもできた。しかし一対二の戦いが解体すると三も解体してしまって、多数性の中でわけがわからなくなっている。それが現状でしょう。

そうはいっても、やはり内なる矛盾を外なる敵に投影したいという欲望はずっとあるから、何らかの第三項を捏造せざるを得ない。イスラムがそれに選ばれたのは歴史的偶然だと思うけれども、とりあえずイスラムがあったから、あらゆる矛盾がそこに投影されているという感じじゃないですか。(……)

冷戦下では、一方でソ連がスポンサーになって第三世界が革命と自立の道を歩むということがあり、なかなかうまくいかないにせよ、とりあえず実験だけはなされた。他方、アメリカもそれに対抗して、第三世界をさまざまな開発計画などでサポートし、国内的にもマイノリティをサポートしていくというそぶりだけは見せていたわけです。

しかし、そもそも冷戦構造が崩れてしまうと、そんなことをいちいちやる必要もなくなって、落ちこぼれは落ちこぼれで勝手にしろという感じになってきた。そこのところで、ある種の絶望感が広がってきた。こうなると、合理的な開発計画とかではもうだまされないから、原理主義ぐらいまでいってしまわないと、もたなくなっているのではないか。(……)
さっき言ったように、ある種の左翼的展望がついえ、また左翼を敵にする必要がなくなった資本主義が第三世界の発展にあまり助力をしなくなったという端的な政治経済的条件が、彼らを原理主義に追いやっているだけのことですよ。しかも、アルジェリアで解放戦線に対する拷問のプロだったル・ペンのような人物が、フランス本国で国民戦線のリーダーになり、イスラムの移民がわれわれフランス人から職を奪っていると言って、ナショナリズムを煽っている。ドイツでも似たような状況がある。これは密接に関連しあった事態です。
柄谷行人)六〇年代の裏返しですね。ただ、表面上連続しているように見えるものもあって、カンボジアのポル・ポト派やベルーのセンデロ・ルミノソがそうでしょう。毛沢東主義そのままの原理主義として持続しているように見えて、まったく質の違ったものです。あそこにまったく展望はありません。

浅田彰)展望がないから原理主義的に過激化するんで、したがって原理主義に展望はない。

柄谷行人)ところが、絶対に展望のない現実があるということを見ないで、ひとは原理主義を啓蒙主義的に解消できると思っている

イスラム原理主義には展望がない、--おそらくそうなのだろう。だが他方、世界資本主義、新自由主義連盟の側はどうなのだろう。それはやはり、《彼らはすべての希望を失っただけではなく、さらに悪いことに、絶望さえも失っている》ではないのか。

さて、浅田彰曰くの《一般的に、社会というのは、内部矛盾を外部の敵に投影することで安定するのだけれども、恰好の敵が共通にひとつあったから、全部それとの関係で安定できた》を捕捉する意味で次のジジェクの説明を続けよう(「徳の俳優と悪の俳優」より)。

私の興味をひいたのは、東側と西側が相互に「魅入られる」ということでした。これは「幻想」の構造です。ラカンにとって、究極の幻想的な対象とはあなたが見るものというより、「まなざし」自体なのです。西側を魅惑したのは、正統的な民主主義の勃発なのではなく、西側に向けられた東側の「まなざし」なのです。この考え方というのは、私たちの民主主義は腐敗しており、もはや民主主義への熱狂は持っていないのにもかかわらず、私たちの外部にはいまだ私たちに向けて視線をやり、私たちを讃美し、私たちのようになりたいと願う人びとがいる、ということです。すなわち私たちは私たち自身を信じていないにもかかわらず、私たちの外部にはまだ私たちを信じている人たちがいるということなのです。西側における政治的な階級にある人びと、あるいはより広く公衆においてさえ、究極的に魅惑されたことは、西に向けられた東の魅惑された「まなざし」だったのです。これが幻想の構造なのです、すなわち「まなざし」それ自体ということです。

そして東側に魅惑された西側だけではなく、西側に魅惑された東側もあったのです。だから私たちには二重の密接な関係があるのです。(Conversations with Žižek, with Glyn Daly(,邦題『ジジェク自身によるジジェク』)からだが、邦訳が手元にないので、私訳 を附す)

資本主義諸国は、ベルリンの壁が崩壊する以前にも、己れの制度を信じていなかったにもかかわらず、社会主義諸国からの「まなざし」があり、その「まなざし」に同一化することによって、「人間の顔をした社会主義」を目指す努力、つまり福祉国家への努力があった。

ある意味では冷戦の期間の思考は今に比べて単純であった。強力な磁場の中に置かれた鉄粉のように、すべてとはいわないまでも多くの思考が両極化した。それは人々をも両極化したが、一人の思考をも両極化した。この両極化に逆らって自由検討の立場を辛うじて維持するためにはそうとうのエネルギーを要した。社会主義を全面否定する力はなかったが、その社会の中では私の座はないだろうと私は思った。多くの人間が双方の融和を考えたと思う。いわゆる「人間の顔をした社会主義」であり、資本主義側にもそれに対応する思想があった。しかし、非同盟国を先駆としてゴルバチョフや東欧の新リーダーが唱えた、両者の長を採るという中間の道、第三の道はおそろしく不安定で、永続性に耐えないことがすぐに明らかになった。一九一七年のケレンスキー政権はどのみち短命を約束されていたのだ。

今から振り返ると、両体制が共存した七〇年間は、単なる両極化だけではなかった。資本主義諸国は社会主義に対して人民をひきつけておくために福祉国家や社会保障の概念を創出した。ケインズ主義はすでにソ連に対抗して生まれたものであった。ケインズの「ソ連紀行」は今にみておれ、資本主義だって、という意味の一節で終わる。社会主義という失敗した壮大な実験は資本主義が生き延びるためにみずからのトゲを抜こうとする努力を助けた。今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない(しかしまた、強制収容所労働抜きで社会主義経済は成り立ち得るかという疑問に答えはない)。(……)

冷戦が終わって、冷戦ゆえの地域抗争、代理戦争は終わったけれども、ただちに古い対立が蘇った。地球上の紛争は、一つが終わると次が始まるというように、まるで一定量を必要としているようであるが、これがどういう隠れた法則に従っているのか、偶然なのか、私にはわからない。(中井久夫「私の「今」」1996.8初出『アリアドネからの糸』所収)

このように中井久夫は、《今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない》と1996年にすでに書いているわけだが、それから二十年弱経たいまはおそらくいっそうそうだろう。

行政は、《国内的にもマイノリティをサポートしていくというそぶりだけは見せ》ることもなく、《落ちこぼれは落ちこぼれで勝手にしろという感じに》いっそうなってしまったのではないか。

こうした文脈から、ジジェクにより、リベラルデモクラシー、--それは定義にもよるが、市場原理主義であったり新自由主義であったりするのだろうーー批判が、くり返し語られることになる(参照:「新しい形態のアパルトヘイト」)。

西洋のリベラル左翼が自らを有罪証明すればするほど、彼らはいっそう、そのイスラム憎悪を隠蔽しようとする偽善ぶりをムスリム原理主義者に非難される。この布置は、超自我のパラドックスの完璧な再生産である。あなたは〈他者〉の要求に従えば従うほど、あなたは罪深くなる。まるで、イスラムに寛容であればあるほど、あなたはいっそうの圧迫を受けるだろう、というかのようだ。
ホルクハイマーが1930年代にファシズムと資本主義について言ったこと--資本主義について批判的に語りたくない者はファシズムについても沈黙すべきである--は今日の原理主義にも当てはまる。リベラルデモクラシーについて批判的に語りたくない者は原理主義についても沈黙すべきである。(Slavoj Žižek on the Charlie Hebdo massacre: Are the worst really full of passionate intensity?

この記事を読んで東浩紀氏は次ぎのようにツイートしている。

@hazuma: いつものジジェク節ではあるが、左翼が寛容になればなるほど原理主義が台頭してくる、なぜなら問題は原理主義側の劣等感だからだ、というのは日韓問題にも適用できるのかもしれない。→ http://t.co/gxQ7c4ZHwo

@hazuma:しかし、リベラルデモクラシーにはラジカル左翼の助けが必要なのはいいとして、その具体的な内容がわからん。それもまたいつものジジェク節だな。

というわけで「ジジェク節」という言葉の連発であるが、ーー文句は慎んでおこう、結局、「コミュニズムよ、再び!」(ジジェク「『ポストモダンの共産主義』)や、柄谷行人の「世界共和国」などの「夢想」にかかわるのだから。そして、冷戦終結後の多くの「識者」は「神の二度めの死」を是認せざるをえない態度をもっているのだろう。

……神と宗教のもっともシンプルな定義は、真実と意味は同一のものだという考えにある。神の死とは、この真実と意味とを同じものとする考えの終りであ る。そしてコミュニズムの死もまた、歴史に関しての真実と意味の分離を告げていると、私ならつけ加える。「歴史の意味」にはふたつ意味がある。ひとつは、 歴史がどこへ向かうか、といった「方向性」。もうひとつは、プロレタリアートの手になる人間の解放史などといった歴史の目的である。実際コミュニズムの時 代には、正しい政治判断を下すことは可能だとの確信があった。そのとき、私たちは歴史の意味に動かされていたのだ。……そしてコミュニズムの死は、歴史の領域でのみ、神の二度めの死となるのである。(アラン・バディウ ”A conversation with Alain Badiou, lacanian ink 23 (2004) ))

《悲劇はこういうことです。私たちが現在保持している資本-民主主義に代わる有効な形態を、私も知らないし、誰も知らないということなのです。》(ジジェク

おそらくほとんどの人びとは、資本主義については岩井克人が書く次ぎのような認識なのであり、だがジジェクやバディウ、あるいは日本でなら柄谷行人は、それとは異なった方策を探しつつも、ではどうするかという具体的な提案はない(またあっても実現性にはほど遠い)。それが「ジジェク節」やら柄谷行人=カントの「世界共和国」、あるいはその後の彼のナイーヴな「夢想」と呼ばれるものだろう(浅田彰:《世界共和国へ、まではいい。しかしあり得るべきアソシエーショニズムや柳田国男の理想的世界を夢想したことは希望的観測でしかない#genroncafe》 )。

わたしたちは後戻りすることはできない。共同体的社会も社会主義国も、多くはすでに遠い過去のものとなった。ひとは歴史のなかで、自由なるものを知ってしまったのである。そして、いかに危険に満ちていようとも、ひとが自由をもとめ続けるかぎり、グローバル市場経済は必然である。自由とは、共同体による干渉も国家による命令もうけずに、みずからの目的を追求できることである。資本主義とは、まさにその自由を経済活動において行使することにほかならない。資本主義を抑圧することは、そのまま自由を抑圧することなのである。そして、資本主義が抑圧されていないかぎり、それはそれまで市場化されていなかった地域を市場化し、それまで分断されていた市場と市場とを統合していく運動をやめることはない。

二十一世紀という世紀において、わたしたちは、純粋なるがゆえに危機に満ちたグローバル市場経済のなかで生きていかざるをえない。そして、この「宿命」を認識しないかぎり、二十一世紀の危機にたいする処方箋も、二十一世紀の繁栄にむけての設計図も書くことは不可能である。(岩井克人『二十一世紀の資本主義論』

…………

※附記:ハイパーメディア社会における自己・視線・権力「情報資本主義と神の眼」(浅田彰 大澤真幸 柄谷行人 黒崎政男)より
大澤――原理主義というのは,いま支配的な情報資本主義に反抗するものとしては,いちばんはっきりしたスタンスをとれるわけでしょう.逆に言うと,原理主義ほど情報資本主義の中にいる知識人に評判の悪いものはない.しかし,ジジェクが言っているように,よく考えてみると,昔は原理的に行動するのが正しいとされ,そのつど方針を変えるやつは日和見主義と言われて信用されなかったわけですよ.それが,いまでは日和見主義のほうが倫理的だと言われ,原理主義の方がいちばん非倫理的だと思われている.倫理の意味が逆転してしまっている.

柄谷――だから,僕はどちらもネガになっていると思うわけですよ.昔の第三世界というのは,進歩とか発展とか近代化を考えていた.それはもう全部あきらめたので,徹底的にラディカルにやる,と.他方,昔は第一世界もちゃんと主体的にやっていたのが,いまはもうそんなつもりもないんですよ.だからいまは,第一,第二,第三といった構造は完全に消えてしまって,世界資本主義-対-原理主義ということになっているんですね.

浅田――結局,現代の世界資本主義の矛盾は解きがたいとしか言いようがないでしょ

《ピケティの話。なんであんなに受けているか… 東「経済ではなく、やはり心の問題では」浅田「資本主義でいいでしょ&再分配と承認で多文化主義」→ その程度ではダメ。中沢「ピケティはアメリカ人が読んで安心できるから。マルクスは安心できない。でも読んだら飽きる本》#genroncafe

…………

最後に絶望を失わない態度とはどんなものか、を示すジャン・ジュネの「驚くほど美しい」文章を掲げておこう。

季節の空気、空の、土の、樹々の色、それも語れぬわけではないだろう。だが、あの軽やかな酩酊、埃の上をゆく足取り、眼の輝き、フェダイーンどうしの間ばかりでなく、彼らと上官との間にさえ存在した関係の透明さを、感じさせることなど決してできはしないだろう。すべてが、皆が、樹々の下でうち震え、笑いさざめき、皆にとってこんなにも新しい生に驚嘆し、そしてこの震えのなかに、奇妙にもじっと動かぬ何ものかが、様子を窺いつつ、とどめおかれ、かくまわれていた、何も言わずに祈り続ける人のように。すべてが全員のものだった。誰もが自分のなかでは一人だった。いや、違ったかも知れない。要するに、にこやかで凶暴だった。(……)

「もう希望することを止めた陽気さ」、最も深い絶望のゆえに、それは最高の喜びにあふれていた。この女たちの目は今も見ているのだ、16の時にはもう存在していなかったパレスチナを。(ジャン・ジュネ『シャティーラの4時間』)

2015年1月28日水曜日

世界資本主義のガン/イスラム対抗ガン

本来の商業民族は、エピクロスの神々のように、またポーランド社会の気孔の中でのユダヤ人のように、ただ古代世界のあいだの空所に存在するだけである。(マルクス『資本論』)

ここにある《エピクロスの神々のように、またポーランド社会の気孔の中でのユダヤ人のように》とは、まさに世界資本主義の定義のようなものだろう(参照:「共産主義」という史上最大のカタストロフィ)。

自由主義は本来世界資本主義的な原理であるといってもよい。そのことは、近代思想にかんして、反ユダヤ主義者カール・シュミットが、自由主義を根っからユダヤ人の思想だと主張したことにも示される。(……)ハイデッガーもシュミットも標的としているのは、英米の「自由主義」である。普通に「民主主義」と呼ばれているものは本来自由主義であり、ナチズム(国家社会主義)こそ真に民主主義的なのだといいたいのだ。(柄谷行人「歴史の終焉について」『終焉をめぐって』所収)
最初に言っておきたいことがあります。地震が起こり、原発災害が起こって以来、日本人が忘れてしまっていることがあります。今年の3月まで、一体何が語られていたのか。リーマンショック以後の世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか、というようなことです。別に地震のせいで、日本経済がだめになったのではない。今後、近いうちに、世界経済の危機が必ず訪れる。それなのに、「地震からの復興とビジネスチャンス」とか言っている人たちがいる。また、「自然エネルギーへの移行」と言う人たちがいる。こういう考えの前提には、経済成長を維持し世界資本主義の中での競争を続けるという考えがあるわけです。しかし、そのように言う人たちは、少し前まで彼らが恐れていたはずのことを完全に没却している。もともと、世界経済の破綻が迫っていたのだし、まちがいなく、今後にそれが来ます。(柄谷行人「反原発デモが日本を変える」ーー「人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである」(ニーチェ)より)

ニーチェの「人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである」(『偶像の黄昏』)における「イギリス人」とは、これもまたアングロサクソン流の資本主義家(世界資本主義家)のことである。

自由になった人間は、自由になった精神はなおさらのことだが、小商人、キリスト者、牝牛、婦女子、イギリス人、その他の民主主義者が夢想する軽蔑すべき安穏さを踏みにじる。自由な人間は戦士である。――民族にあってと同じく個々人にあっても、何によって自由は測られるのか? 克服されなければならない抵抗によってである、上位を保つために費やされる労苦によってである。自由な人間の最高の典型は、最高の抵抗がたえず克服されているところで、すなわち、暴虐からへだたること五歩、隷属の危険と隣りあわせのところで探しもとめられるべきであろう。(ニーチェ「或る反時代的人間の遊撃」三八番 原佑訳)

この意味で、われわれいわゆる「先進諸国」の人間は、誰もがユダヤ人=イギリス人である、ーーというのが言いすぎならば、イギリス人あるいはユダヤ人の表徴である金融資本家(高利貸し)のシステムの上で踊っている種族である。

かつまた現在猖獗する市場原理主義、新自由主義などの語彙群は、その定義によるにもかかわらず、ここでは「世界資本主義」と相同したものとして扱う(参照:「エンロンEnron社会」を泳がざるをえない「文化のなかの居心地の悪さ」)。


…………

ところで中井久夫は2000年に、《私は歴史の終焉ではなく、歴史の退行を、二一世紀に見る。そして二一世紀は二〇〇一年でなく、一九九〇年にすでに始まっていた》(「親密性と安全性と家計の共有性と」)と書いている。

ここで、一九九一年の湾岸戦争について、まだ戦争最中に書かれた岩井克人の「歴史の終焉と歴史の現実」(初出1991.4.1『二十一世紀の資本主義論』所収)からいくらか抜き出してみよう。

戦争の発端は、サダム・フセインが石油権益をもとめてイラク軍をクウェートに侵攻させたことにある。それだからこそ国連の安全保障理事会はイラクにたいする武力行使をみとめる決議をおこなったのであり、その決議に裏付けられてアメリカを主軸とする多国籍軍は一月十六日にイラクへの攻撃を開始したのである。そこには、国家主権の不可侵性という国際社会における民主主義とそれを不法にも踏みにじった独裁国家の覇権主義という単純明快な対立の構図がある。ブッシュ大統領ならば、これはたんに「善」と「悪」との闘いにすぎないというだろう。

……いくらイラクの軍隊が世界各国の死の商人たちのよって重装備されてきたといっても、最終的には、アメリカ軍の高度な軍事技術と日本やドイツから供与される潤沢な資金をそなえた多国籍軍の力によって圧倒されてしまう運命であるにちがいない。

だが、わたしは、この戦争がこのように勧善懲悪的な結末をとげてしまうであろうことにたいしてある種の恐怖を感じてしまうのである。それはけっしてサダム・フセインを支持するからでも、戦争の続行をのぞんでいるからでもない。わたしが感じているのは、このような湾岸戦争の勧善懲悪的な結末が、「歴史」というものにかんするひとつの誤謬にみちた物語をひとびとの心に定着させてしまうことにたいする恐怖なのである。

……西欧社会においてひろく流布しているこのような勧善懲悪的な構図にたいして、アラブ諸国だけでなくアジアやアフリカの多くの発展途上国においては、この湾岸戦争を異なった宗教、異なった文明、異なった価値、異なった歴史のあいだの衝突の象徴とみなす意識が次第に強くなってきている。それは、ユダヤ・キリスト教対イスラム教、ヨーロッパ文明対アラブ文明、さらに西欧的価値観対非西欧的価値観といったさまざまな対立の形態をとることになる。もちろん、これらの地域のひとびとがフセインのクウェート侵攻を全面的に是認しているというのではない。アラブ世界の一部をのぞけば、フセインの行動をそのまま正当化する人間は少ないだろう。だが、アメリカを中心とする多国籍軍がイラクを軍事的にたたけばたたくほど、西欧社会にたいする反発がこれらの地域における民衆意識の底流として強まっていくのである。そして、それは究極的には、西欧諸国の帝国主義的な膨張によって多くの非西欧地域が軍事的政治的経済的に支配されていたかつての植民地時代の不幸な歴史を重ね合わせられることになっていく。「歴史の終焉」(フランシス・フクヤマ)を完成させるはずの多国籍軍の軍事的な勝利は、皮肉なことにその「歴史の終焉」をさらに引き延ばす効果をもつことになるのである。

ユダヤ・キリスト教対イスラム教、ヨーロッパ文明対アラブ文明、さらに西欧的価値観対非西欧的価値観といったさまざまな対立の形態》とある。かつまた《アメリカを中心とする多国籍軍がイラクを軍事的にたたけばたたくほど、西欧社会にたいする反発がこれらの地域における民衆意識の底流として強まっていく》ともある。

ではムスリム(イスラム教徒)に穏健な態度をとればいいというのか。

西洋のリベラル左翼が自らを有罪証明すればするほど、彼らはいっそう、そのイスラム憎悪を隠蔽しようとする偽善ぶりをムスリム原理主義者に非難される。この布置は、超自我のパラドックスの完璧な再生産である。あなたは〈他者〉の要求に従えば従うほど、あなたは罪深くなる。まるで、イスラムに寛容であればあるほど、あなたはいっそうの圧迫を受けるだろう、というかのようだ。(Slavoj Žižek on the Charlie Hebdo massacre: Are the worst really full of passionate intensity?

《結局,現代の世界資本主義の矛盾は解きがたいとしか言いようがないでしょ。》(浅田彰 『ハイパーメディア社会における自己・視線・権力』(浅田彰 大澤真幸 柄谷行人 黒崎政男)より)

ーーというのが、わたくしの知る限りでの89年のベルリンの壁崩壊以降の90年代の代表的な「思考」だった。

さてもう少し岩井克人を続けよう。

ただし、わたしはここで、この湾岸戦争のなかに存在するこのような文明史的な対決という構図を必要以上に強調したくない。たしかにそれは否定すべくもない重要性をもっており、それぬきには湾岸戦争を語ることはできない。だが同時にわたしは、このような文明史的な対立を全面的に強調する議論は、結局、あの「歴史の終焉」という物語のたんなる裏返しにすぎないとおもうのである。それは、歴史を理念と理念とのあいだの対立抗争の過程としてえがくあのヘーゲル主義的な歴史観を裏返しのかたちで繰り返してしまう危険性をもつのである。

だが、いうまでもなく、「歴史」を現実に動かしてきたのは理念の力ではなく、資本主義の力である。それは、地域と地域、階級と階級、技術と技術といった世界のなかにある既存のあらゆる差異性を搾取するとともに、まさにそれによって地域と地域、階級と階級、技術と技術とのあいだの差異性をあらたに再編成しなおしていく言葉の真の意味での「歴史」的な過程なのである。(……)

人間の普遍的な原理としての自由の理念の勝利を宣言する「歴史の終焉」という物語は、まさにこの世界資本主義という「歴史の現実」を隠蔽する役割をはたしているのである。(……)わたしたちはこれから、この「歴史の終焉」という物語と世界資本主義という「歴史の現実」とのあいだの矛盾がするどく露呈していく混乱にみちた世紀末に突入していることになるだろう。その世紀末的混乱がどのような結末をむかえるかがわからなければ、二十一世紀についての展望などだれも描くことはできないのである。

…………

北丸雄二氏の「「イスラム国」とは何か?」という記事を読んだ。

氏のプロフィールを眺めると次ぎのようにある、《毎日新聞から東京新聞へ転社して社会部で警視庁公安や国会、事件遊軍などを担当。さらにニューヨーク支局長を経て96年に独立。そのままNYに住みつきただいま在米21年目。》

わたくしにはとても勉強になった記事「イスラム国」とは何か?(北丸雄二)をここで掲げよう。

9.11の後で私たちはこれからの戦争が国家vs国家ではなく、国家vsテロ集団だということを知らされました。領土も持たず絶えず移動する相手にどういう戦争が可能なのか、それを考えている最中に今度は「イスラム国」が出てきました。

オバマ大統領も今年初め彼らをNBAになぞらえて「一軍に上がれない連中」「大した脅威ではない」と見ていました。ところがあれよあれよと勢力を拡大しシリアからイラクに侵攻し、この6月に指導者のアブバクル・バグダディが自らを「カリフ(ムハンマドの後継者=最高権威者)」と名乗って「イスラム国」の建国を宣言したころにはすでに国際的に無視できない存在になっていたのです。

アルカイダもタリバンも「国」を模索しませんでした。ところがこの「イスラム国」は「国」です。ただしこの「国」は私たちの言う「国」とは違うのです。

現在の世界は「それぞれが主権を有する国家」同士の共存体制を執っています。日本も米国も英国もぜんぶそんな「主権国家」です。この考え方は17世紀のウエストファリア条約で確立しました。この「主権国家」は帝国主義や植民地主義や第一次、第二次世界大戦を経て統合したり分裂したり独立したりして現在に至ります。ただし「主権国家の共存体制」といっても国境線がまっすぐだったりするアフリカや中東では無理矢理この「国家」像を押し付けられた感も残ります。

それに対して「イスラム国」の「国」は違います。これは国境や領土や国民といった世俗的な国ではなく「神の国」という意味です。イスラム教を真に信じる人がいれば国境も領土も関係なくそこが「イスラム国」だという意味なのです。

これはつまり、世俗的な「国家」を単位として構成されている現在の世界に対する、根本的な対峙なのです。そんな堕落した世俗の「国」ではなく、神の「国」なのだ、ということです。

そこに世界数十カ国から10000人以上の若者が戦闘員として集まっている。欧米からも3000人がシリアに入っていると言われます。彼らはイスラム原理主義への共鳴者だけではなく、金権主義で堕落した西欧社会に愛想を尽かした層、西欧で高まるネオナチなどによる移民排斥運動あるいは9.11以降の米国でのイスラム教嫌悪で真っ向から差別を受けた中東などからの移民2世3世です。さらには「自分探し」「英雄志向」「変身願望」の者たちも少なくありません。なにせイスラム教とは本来、困っている者たちを無償で支え合う理想の相互扶助、平等の宗教だからです。イスラム教においては利子を取ることさえ禁止されています。

ところが「イスラム国」はそこから徹底して異教徒を排斥する。異教徒なら奴隷にしても斬首してもかまわないと公言する。支持者たちはそれを「度を超した過激」とは見ずに「純粋」なイスラム主義と受け取る。

この「排斥主義」は元を正せば欧米のイスラム教徒排斥の裏返しです。国家であれば「自衛のための攻撃」と呼ばれ、国家でなければ「テロ」と呼び捨てるのはアルカイダやタリバンを相手にしたときだけではなく、イスラエルとパレスチナの関係でもそうでした。

そうした卑劣な「近代国家」像に「神の国家」の力を対峙させる──それは斬首された米国人ジャーナリストたちがその公開動画でオレンジ色の服を着せられていたことでも明らかです。あれは米国の、アブグレイブ刑務所の囚人服の再現なのです。私たちは私たちの拠って立つ世界の基盤への本質的な問いかけに直面しているのです。

冒頭に《これからの戦争が国家vs国家ではなく、国家vsテロ集団だということを知らされました》とあるが、国家側が殆んどすべて世界資本主義を信奉する諸国であるなら、世界資本主義vsテロ集団ということにもなり、世界資本主義それ自体「国家」ではない。かつまた、《世俗的な「国家」を単位として構成されている現在の世界に対する、根本的な対峙》ともあるが、これもその根は資本の欲動の席捲に直面した反資本主義の対峙とすることができるのではないか。とはいえ北丸雄二氏の文章が、《世界資本主義という「歴史の現実」を隠蔽する役割をはたしている》とまで言うつもりはない。

事態を複雑にしているのは、さまざまな抗議活動が反資本主義的な衝動をもっているという点だ。抗議に加わるひとたちは直感的に、自由市場原理主義とイスラム原理主義が互いに背反しないことを察知している。(スラヴォイ・ジジェク 「楽園にトラブル発生」

わたくしは別に「「イスラム国」とはなにか」の次のフレーズを読んで、ーー《「イスラム国」…は国境や領土や国民といった世俗的な国ではなく「神の国」という意味…イスラム教を真に信じる人がいれば国境も領土も関係なくそこが「イスラム国」だという意味》ーー柄谷行人の「対抗ガン」という言葉をすぐさま想い出した。

NAMの「原理」はいわば遺伝子であって、資本=ネーション=ステートというガンのなかに、対抗ガンを作り出す。(NAM〜New Associationist Movement(2000-2003)

いずれにせよ、北丸氏の書くように《私たちは私たちの拠って立つ世界の基盤への本質的な問いかけに直面している》ことには相違ない。

スラム教とは、コミュニズム衰退後にその暴力的なアンチ資本主義を引き継いだ「二十一世紀のマルクス主義」である。(ピエール=アンドレ・タギエフーージジェク『ポストモダンの共産主義』からの孫引き





2015年1月27日火曜日

新しい形態のアパルトヘイト

冷戦が終わって、冷戦ゆえの地域抗争、代理戦争は終わったけれども、ただちに古い対立が蘇った。地球上の紛争は、一つが終わると次が始まるというように、まるで一定量を必要としているようであるが、これがどういう隠れた法則に従っているのか、偶然なのか、私にはわからない。(中井久夫「私の「今」」1996.8初出『アリアドネからの糸』所収)
………… 

ジジェクはフランシス・フクヤマの、八九年夏書かれて世界的なセンセーションを巻き起こした論文『歴史の終わり?』について、浅田彰との対談で次のように語っている。

私のフクヤマに対する批判は、彼がヘーゲル的でありすぎるということではなく、まだ十分にヘーゲル的ではないということです。十分に弁証法的ではないと言ってもかまいません。というのも、ヘーゲルが繰り返し強調しているのは、ある政治システムが完成されて勝利をおさめる瞬間は、それがはらむ分裂が露呈される瞬間でもあるということなのです。(「スラヴィイ・ジジェクとの対話」初出1993 「SAPIO」浅田彰『「歴史の終わり」と世紀末の世界』所収)

では具体的に八九年以降どんな「分裂が露呈」されているのか。

実際、勝ちをおさめたかに見える自由民主主義の「世界新秩序」は、「内部」と「外部」の境界線によってますます暴力的に分断されつつあります。「新秩序」の なかにあって人権や社会保障などを享受している、「先進国」の人々と、そこから排除されて最も基本的な生存権すら認められていない「後進国」の人々を分か つ境界線です。しかも、それはもはや国と国との間にとどまらず、国の中にまで入り込んできています。かつての資本主義圏と社会主義圏の対立に代わり、この「内 部」と「外部」の対立こそが現在の世界情勢を規定していると言っていいでしょう。このように、とことんヘーゲル的に言うなら、自由民主主義は構造的にみて普遍化され得ないのです。(同上)


国と国との間にとどまらず、国の中にまで入り込んできている境界線とは、いま実際に日本でも容易にみることができる。最近では、この境界線をベルリンの壁の崩壊後の、《新しい形態のアパルトヘイト=新しい〈壁〉とスラム》(ジジェク『ポストモダンの共産主義 ―はじめは悲劇として、二度めは笑劇として ―』First as Tragedy, then as Farce,  2009)と呼んでいる。この書の邦訳題名の「ポストモダンの共産主義」は余分だ。ましてや「共産主義」と聞いただけで敬遠する読者がいるのだから。

ところでーー。たとえば、パリ郊外の低家賃住宅街に集って住むイスラム系住民、職も容易に見つからない若者たちが、新しい形態のアバルヘイトの虜囚になっていると感じているかどうかは、わたくしにはよく分からない。

おそらく女たちは男たちより自由なのだろう、《マグリブ人女性の 15.8% はフランス人と結婚する》と前回、引用した。男たちはどうだろう?

フィンケルクロートは、イスラム系住民による二〇〇五年の暴動事件、--秋のパリ郊外のクリシー・ス・ボワで二人の少年が警察に追跡されて変電所に逃げ込み感電死をしたことを受けての、ムスリムたちが怒り狂ってのフランス全土での騒乱事件ーーにおける物議を醸したコメントで、《暴動参加者が欲しているのは社会的公正さではない、単に「金とブランド品と女の子」だ》と語ったそうだ。

それに対して、《そうした意味で彼等は堕落した欧米社会の鏡に他ならない》とするのは、「フランスにおける反人種差別主義的ディスクールの危機」という論文の執筆者丸岡高弘氏である。

…………

ジジェクは、今回の「シャルリエブド」紙オフィスにおけるテロ事件後、次のように書いている。

the more the Western liberal Leftists probe into their guilt, the more they are accused by Muslim fundamentalists of being hypocrites who try to conceal their hatred of Islam. This constellation perfectly reproduces the paradox of the superego: the more you obey what the Other demands of you, the guiltier you are. It is as if the more you tolerate Islam, the stronger its pressure on you will be . . . (Slavoj Žižek on the Charlie Hebdo massacre: Are the worst really full of passionate intensity?

西洋のリベラル左翼が自らを有罪証明すればするほど、彼らはいっそう、そのイスラム憎悪を隠蔽しようとする偽善ぶりをムスリム原理主義者に非難される。この布置は、超自我のパラドックスの完璧な再生産である。あなたは〈他者〉の要求に従えば従うほど、あなたは罪深くなる。まるで、イスラムに寛容であればあるほど、あなたはいっそうの圧迫を受けるだろう、というかのようだ。

もちろん、ここに書かれている超自我のメカニズムはフロイトによるものだが、フロイト嫌悪症の人もいるだろうから、ここではドゥルーズを引用しておこう。

……以下の如き道徳意識のおどろくべき逆説を解き明かしたのは、フロイトの功績だ。法の支配下に身をおくことで、それだけ強く正義の自覚を持ちうるものであるどころか、法というものはかえって「苛酷きわまる振舞いをしめし、主体が潔白であればあるほど巨大化する不信を表明する……。最善にしてこの上なく従順な存在の道徳意識のこの並はずれた厳密性は……」

だがそうした点にとどまらず、以上の逆説に分析的な説明を加えたのもフロイトの功績である。すなわち、道徳意識から導きだされるのが衝動の放棄なのではなく、放棄することから生れるのが道徳意識だというのがその説明である。したがって、放棄が強力で厳密なものであればあるほど、諸々の衝動の後継者としての道徳意識の威力は強まり、厳密に行使されることになる。(「放棄することで意識がこうむる作用は驚くべきものであり、だからわれわれがその充足を差しひかえる攻撃的要素は超自我によって引きつがれ、自我に対する自己攻撃性が強調されることになるのだ」)。(『(ドゥルーズ『マゾッホとサド』「法、ユーモア、そしてイロニー」の章 蓮實重彦訳ーーメモ:超自我、良心、罪責感(フロイト)

さてジジェクの「on the Charlie Hebdo massacre: Are the worst really full of passionate intensity?」に戻ってその結論箇所を引用しておこう。

ホルクハイマーが30年代にファシズムと資本主義について言ったこと--資本主義について批判的に語りたくない者はファシズムについても沈黙すべきである--は今日の原理主義にも当てはまる。リベラルデモクラシーについて批判的に語りたくない者は原理主義についても沈黙すべきである。(ジジェク)

What Max Horkheimer had said about Fascism and capitalism already back in 1930s - those who do not want to talk critically about capitalism should also keep quiet about Fascism - should also be applied to today’s fundamentalism: those who do not want to talk critically about liberal democracy should also keep quiet about religious fundamentalism.

この文章は、わたくしが気づいた範囲でも、別に次の二つの書き物のなかに見られる。

1、First As Tragedy, Then As Farce(2009)
2、Anger in Bosnia, but this time the people can read their leaders' ethnic lies(2014)


ジジェクが別の書にて、「システム的暴力」と呼んでいるものも、ほとんどリベラルデモクラシーの暴力であろう。

資本主義社会では、主観的暴力((犯罪、テロ、市民による暴動、国家観の紛争、など)以外にも、主観的な暴力の零度である「正常」状態を支える「客観的暴力」(システム的暴力)がある。(……)暴力と闘い、寛容をうながすわれわれの努力自体が、暴力によって支えられている。(ジジェク『暴力』2008)

国民参加という脅威を克服してはじめて、民主制につい てじっくり検討することができる》(ノーム・チョムスキーNoam Chomsky, “Necessary Illusions”)
現代における究極的な敵に与えられる名称は資本主義や帝国あるいは搾取ではなく、民主主義である。(アラン・バディウ)(「永遠の経済的非常事態」 スラヴォイ・ジジェク 長原豊訳

さて、次の文はいささか保留をしつつも、しかしやはり引用しておこう。

イスラム教とは、コミュニズム衰退後にその暴力的なアンチ資本主義を引き継いだ「二十一世紀のマルクス主義」である。ピエール=アンドレ・タギエフーージジェク『ポストモダンの共産主義』からの孫引き

…………


※附記:「メタレイシズム」について


◆「スラヴォイ・ジジェクとの対話1993」『「歴史の終わり」と世紀末の世界』(浅田彰)所収より

ジジェク)……もちろん、一九九二年に旧東独のロストクで起こったネオ・ナチによる難民収容施設の焼き討ちのような事件そのものは、昔から何度も繰り返されてきた野蛮な暴力行為にすぎない。しかし、問題はそれが一般大衆にどう受けとめられるかです。カントは、フランス革命の世界史的意味は、パリの路上での血なまぐさい暴力行為にではなく、それが全ヨーロッパの啓蒙された公衆の内に引き起こした自由の熱狂にあるのだと言っている。それと同じように、今回も、それ自体としてはおぞましいネオ・ナチの暴力行為が、ドイツのサイレント・マジョリティの承認とは言わぬまでも暗黙の「理解」を得たことが問題なのです。実際、社会民主党の幹部の中でさえ、こうした事件を口実にドイツのリベラルな難民受け入れ政策の再検討を提唱する人たちが出てきている。こういう時代の空気の変化の中にこそ、「外国人」を国民的アイデンティティへの脅威とみなすイデオロギーがヘゲモニーをとる危険を見て取るべきだと思うのです。

厄介なのは、こうして広がりはじめた新しいレイシズムが、リベラルな外見、むしろレイシズムに反対するかのような外見を取り得るということです。この点で有効なのがエチエンヌ・バリバールの「メタ・レイシズム」(メタ人種差別)という概念だと思うのですが、どうでしょうか。

浅田)……伝統的なレイシズムは、自民族を上位に置き、ユダヤ人ならユダヤ人を下位の存在として排除する。たとえば、クロード・レヴィ=ストロースの構造人類学は、どの民族の文化も固有の意味をもった構造であり、そのかぎりで等価である、という立場から、そのような自民族中心主義、とりわけヨーロッパ中心主義を批判した。

そのレヴィ=ストロースが、最近では、さまざまな文化の混合は人類の知的キャパシティを縮小させ、種としての生存能力さえ低めることになりかねないから、さまざまな文化の間の距離を維持して、全体としての多様性を保つべきだと、しきりに強調する。つまるところは、フランスはフランス、日本は日本の伝統文化を大切にしよう、というわけです。

もちろん、人類学者がエキゾティックな文化の保存を訴えるのは、博物学者が珍しい種の保存を訴えるのと同じことで、それらがなくなればかれらは失業してしまいますからね(笑)。

しかも、こういう見方からすると、文化的な差異を一元化しようとする試みは「自然」な反発を引き起こし、人種的・民族的な紛争を引き起こしかねないということになる。つまり、すべての人間の同等性を強調する抽象的な反レイシズムは、実はレイシズムを煽り立てるばかりなのであり、レイシズムを避けたかったら、そういう抽象的な反レイシズムを避けなければならない、というわけです。

これが、レイシズムと抽象的な反レイシズムの対立を超えた真の反レイシズムであると称するメタ・レイシズムですね。

ジジェク)そう、このメタ・レイシズムこそ、移民が中心的問題となるポスト植民地時代固有の、いわばポストモダンなレイシズムだと言えるでしょう。

メタ・レイシストはたとえばロストク事件にどう反応するか。もちろんかれらはまずネオ・ナチの暴力への反発を表明する。しかし、それにすぐ付け加えて、このような事件は、それ自体としては嘆かわしいものであるにせよ、それを生み出した文脈において理解されるべきものだと言う。それは、個人の生活に意味を与える民族共同体への帰属感が今日の世界において失われてしまったという真の問題の、倒錯した表現にすぎない、というわけです。

つまるところ、本当に悪いのは、「多文化主義」の名のもとに民族を混ぜ合わせ、それによって民族共同体の「自然」な自己防衛機構を発動させてしまう、コスモポリタンな普遍主義者だということになるのです。こうして、アパルヘイト(人種隔離政策)が、究極の反レイシズムとして、人種間の緊張と紛争を防止する努力として、正当化されるのです。

ここに、「メタ言語は存在しない」というラカンのテーゼの応用例を見て取ることができます。メタ・レイシズムのレイシズムに対する距離は空無であり、メタ・レイシズムとは単純かつ純粋なレイシズムなのです。それは、反レイシズムを装い、レイシズム政策をレイシズムと戦う手段と称して擁護する点において、いっそう危険なものと言えるでしょう。

先に私は旧ユーゴスラヴィアの紛争に対する欧米の一見中立的な態度を批判し、性急にどちらかの側につく前にこの地域に古くから根ざした人種的・民族的・宗教的差異を深く理解しなければならないといった、傍観者のような民俗学的中立性こそが、紛争の永続化と拡大の条件になっていると指摘しましたが、その背後にも同じ論理があります。それが、旧ユーゴスラヴィアに関しては外的に、ドイツの難民問題に関しては内的に現れているのです。

浅田)一見リベラルな多元主義がその反対の結果を生み出してしまうとしたら、皮肉と言うほかありませんね。それは、言い換えれば、「歴史以後」の平衡状態に達したはずの自由主義のシステムが、その内部から新たな変動要因を生み出してしまうということでもあるでしょう。……(『SAPIO』1993.3 初出)


(たぶん続く)




2015年1月26日月曜日

フランス人のマグリブ人に対する敵意

さて、前回、エマニュエル・トッドの名前を出したのだが、寡聞にして殆んど知らない名なので(ジジェクの書き物のなかで一度めぐりあったことはあるが、敬してやりすごした)、ここでは基本的なレベルで、--すなわち彼の著作には当らないままーーウェブ上の情報を拾ってみることにする。

まず、前回も別の箇所を引用した鹿島茂氏の「仏紙襲撃事件は、強烈な普遍主義同士の衝突 鹿島茂氏が読み解く仏紙襲撃事件」というインタビュー記事から。

フランスの社会学者エマニュエル・トッドの説明では国家統一の基には家族類型がある。これは、親子関係と兄弟関係を軸にして4つに分けることができる。親子関係は、同居するのか、子が独立して核家族になるのかで分かれる。兄弟関係は兄弟が平等か、不平等かという遺産相続の仕方で分かれる。

まず、第1に親が権威主義的で子と同居、兄弟は不平等で単独相続の「直系家族」があり、日本、ドイツ、スウェーデン、韓国、それにユダヤ民族がこれに当たる。第2に正反対に親子は独立し自由で、兄弟は平等の「平等主義核家族」。フランスの中心部やスペイン、南米はこれに該当する。第3に、親子関係は独立して自由で、相続は不平等の「絶対主義核家族」が英国、米国、カナダなど。第4に、親は権威主義的で親子は同居、兄弟は平等という「外婚制共同体家族」が、ロシア、中国など。これが、それぞれ、国家のイデオロギーに反映されていると言うんですね。フランスはこの4類型の全部を含んでいるが、中央は普遍主義の平等主義家族、周辺は差異主義の直系家族と理解しておくとよい。中央の普遍主義が主流になったんです。

4つの類型のうち、「直系家族」は「自分たちとそれ以外」と考える。思考パターンはそれしかない。これを拡大していくと、「日本人とそれ以外」と考え、「日本人と外国人は違う」と、なる。ドイツ人や韓国人もそのように考える。「直系家族」のグループ同士はぶつかりやすい。ドイツ人とユダヤ人、日本人と韓国人がそう。

これに対して、「平等主義」のフランス人の考え方は、人間はホモサピエンスであるから、同一であると考える。そのことに比べると、「人種」「言語」「宗教」などは微細な違いでどうでもよいことでしかない。「男女」の差異すらも大きいことではない。これは例えば、フランスのフェミニズムと米国のフェミニズムの違いに現れている。フランスのフェミニズムは「女性という性」をまったく強調せずに、ただ、同権を要求するだけだ。こうした考え方が「一にして不可分」ということであり、フランス人になってしまえば、皆同じということ。

これは調べてみると、WIKIPEDIAの日本語版の「エマニュエル・トッド」の項にも類似した記述がある。それは、トッドが、《1990年、焦点を西ヨーロッパに絞り、家族型の他に識字率と宗教を主要な要素として織り込んだ大部の著書、『新ヨーロッパ大全』 (L'Invention de l'Europe) を著した》にかかわる。だがいまはその箇所を引用することはしない。その箇所に引き続いて書かれている文を抜き出す。

フランスは平等主義核家族であり、普遍主義である。しかしこの家族型はパリを中心とする北フランスにあるに過ぎず、南フランスには直系家族があり、中央山塊と地中海沿岸には外婚制共同体家族があり、ブルターニュには絶対核家族がある。ヨーロッパで見られる四種の家族構造をすべて持つのはフランスだけであり、この例外的な多様性が、フランスを独特な存在にしている。

1992年の調査では、各移民に対してフランス人の何 % が敵意を持つかを調べている。これによると、最も敵意を持たれているのはマグリブ人、すなわちアルジェリア人、チュニジア人、モロッコ人である。




しかしながら、マグリブ人女性の 15.8% はフランス人と結婚する。つまり、民族としては敵意を持つ人が少なくないが、隔離はまったく起きておらず、個人としてフランス人と結婚するのは問題がないのである。

アフリカ黒人移民は多様であり、黒人という分類の無意味さが明らかになる。例えば父系家族のソニンケ人を主体とするマリ移民は、近代化が遅れている。在仏マリ人の私生児の比率は 2%、大学生の比率は 2%、出産率は 10.3 に達する。一方、一子相続で直系家族的なカメルーンのバミレケ人は商才と勤勉で知られ、アフリカのユダヤ人とも呼ばれている。在仏カメルーン人の私生児の比率は 43%、大学生の比率は 26%、出産率は 2.6 である。この場合、私生児率の高さは、女性の地位の高さを示すものである。低い出産率は、近代化が完了していることを示す。フランスの統計ではアフリカ黒人をマリ人、セネガル人、その他に分けるので、バミレケ人を直接計測することはできないが、マリ人を父とする子供のうち母がフランス人なのは 2.1%、セネガル人では 6.2%、その他のアフリカ人では 16.7% であり、明らかにマリ人の統合が遅れている。

フランス人の混血への無頓着は以前から知られている。アドルフ・ヒトラーは『我が闘争』(1925年)の中でフランス人とアフリカ人の混血に触れ、「黒人によるフランスの侵略はまことに急速に進展したので、いまやヨーロッパの地にアフリカ国家が誕生したと、紛れもなく語ることができる」と述べている。

このフランスの同化作用は個人に働くものであるため、移民社会は容赦なく破壊される。マグリブ人は父系内婚制共同体家族で普遍主義であるが、北フランスの双系外婚制の平等主義核家族とは正反対であり、普遍主義同士で衝突することになる。平等主義核家族の自由で平等な価値観は移民にも与えられるため、少数派が弱者として暴力を受けるのに甘んじることはなく、移民も反撃する。この点で、多数派から少数派へ一方的に暴力が加えられる差異主義のアメリカ、イギリス、ドイツとは異なる。

前回の記事で、鹿島茂氏の語る「強烈な普遍主義同士の衝突」という表現に異和を書き込んだが、起源はここにあるようだ。

とはいえ、ここではわたくしの粗忽ぶりを晒すのが意図ではない。1992年の調査で、かなり前のものにも拘わらず、--すなわちその後のマグリブ人によるテロ行為の頻発の前にもーーすでに仏人は、マグリブ人(アルジェリア人、チュニジア人、モロッコ人)、あるいはマグリブ系二世に対してダントツに敵意を持っていたのだな、ということに注目したい。

ところでフランスにおける移民の定義とは、次のようなものらしい。

一般に、移民とは、外国からある国に移り住む人のことを指すが、フランスの統計上で移民と言う時は、外国人として外国で生れた者を意味し、その者が帰化してフランス国籍を取得しても移民として取り扱われる。したがって、移民にはフランス人である者もいれば、外国人である者もいる。(「フランスの移民政策」 2011.7.14 財団法人自治体国際化協会)

もちろん移民二世や三世は「移民」の範疇に入らないのだろう。たとえば前仏大統領のサルコジはハンガリー移民二世であるが、彼は「移民」ではない。

とはいえ、上に引用したヒットラーの驚きもあるように、すなわち《フランス人の混血への無頓着は以前から知られている。アドルフ・ヒトラーは『我が闘争』(1925年)の中でフランス人とアフリカ人の混血に触れ、「黒人によるフランスの侵略はまことに急速に進展したので、いまやヨーロッパの地にアフリカ国家が誕生したと、紛れもなく語ることができる」と述べている》とあるように、フランスは米国と並んで、類稀なる「移民」によって成り立ってきた国家ということができる。

中井久夫は2000年時点でだが、《今フランス人である人で一世紀前もフランス人であった人の子孫は二、三割であるという》と書いている。

少子化の進んでいる日本は、周囲の目に見えない人口圧力にたえず曝されている。二〇世紀西ヨーロッパの諸国が例外なくその人口減少を周囲からの移民によって埋めていることを思えば、好むと好まざるとにかかわらず、遅かれ早かれ同じ事態が日本にも起こるであろう。今フランス人である人で一世紀前もフランス人であった人の子孫は二、三割であるという。現に中小企業の経営者で、外国人労働者なしにな事業が成り立たないと公言する人は一人や二人ではない。外国人労働者と日本人との家庭もすでに珍しくない。人口圧力差に抗らって成功した例を私は知らない。(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」『時のしずく』所収)


そもそもヨーロッパ諸国は移民や二世、三世の人口がなければ、社会保障制度など容易に成り立ち難いのではないか。あるいは移民たちの多くが貧困でろくに所得税を払っていないとしよう。だが、付加価値税20%の西欧諸国でなら、月に五万円消費すれば、一万円の税金で移住国に貢献していることになる。

ところで先程引用した『「フランスの移民政策」 2011.7.14 財団法人自治体国際化協会』には、次のような図表がある。




マグリブ人(アルジェリア人、チュニジア人、モロッコ人)の比重はかくの如し。ましてや二世や三世まで含めれば、フランス人口におけるマグリブ系の割合はどのくらいになるのか。

アラーは、ヨーロッパにてイスラムの勝利を授けてくれるだろう、剣も、銃も、征服もなしに。われわれにはテロリストは必要ない。自爆テロはいらない。ヨーロッパにおける五千万人超のムスリムThe 50 plus million Muslims (in Europe)が、あと数十年でヨーロッパをムスリム大陸に変えるだろう。(カダフィ大佐Muammar Gaddafi)

ーーとは2010年のメルケル独首相による記事からである(Germany Will Become Islamic State


いくらかの抄和訳(メルケル首相「ドイツはイスラム国家になるだろう」)もウェブ上にあるので貼り付けておこう。

「我々の国は変わり続けるでしょう。また、移民の問題解決を取り上げるにあたっては同化が課題です。」

「長い間我々は、それについて自国を欺いてきました。例えばモスクです。それは今までよりずっと、我々の都市において重要な存在となるでしょう。」

「フランスでは20歳以下の子供の30%がムスリムです。パリやマルセイユでは45%の割合まで急上昇しています。南フランスでは、教会よりモスクが多いのです。

イギリスの場合もそれほど事態は変わりません。現在、1000を超えるモスクがイギリスには存在します。──ほとんどが教会を改築したものです。

ベルギーでは新生児の50%がムスリムであり、イスラム人口は25%近くに上るといいます。同じような調査結果はオランダにも当てはまります。

それは住民の5人1人がムスリムのロシアにも言えることです。」

ところで、なぜ、フランス人がマグリブ人に、1992年の時点で、あんなにも憎悪をもつのか。それはまずは身近な「隣人」ーーフロイト、ラカン的な意味でーーでありすぎるためだろう。

……エイリアンたちはまったく人間にそっくりに見えるし、人間そっくりの行動をするのだが、ちょっとした細部(眼がおかしなふうに光るとか、指の間や耳と頭部の間に皮膚が余分についているとか)から彼らの正体がばれる。そのような細部がラカンのいう対象aである。些細な特徴がその持ち主を魔法のようにエイリアンに変身させてしまう。(……)ここでは人間とエイリアンとの違いは最小限で、ほとんど気づかないほどだ。日常的な人種差別においても、これと同じことが起きているのではなかろうか。われわれいわゆる西洋人は、ユダヤ人、アラブ人、その他の東洋人を受け入れる心構えができているにもかかわらず、われわれには彼らのちょっとした細部が気になる。ある言葉のアクセントとか、金の数え方、笑い方など。彼らがどんなに苦労してわれわれと同じように行動しても、そうした些細な特徴が彼らをたちまちエイリアンにしてしまう。(ジジェク『ラカンはこう読め!』P117-118ーー「彼らの家に土足で上がりこんだ日本人」より)

また過去の植民地政策、あるいはアルジェリア戦争の記憶ーーある意味で隠蔽された記憶ーーのせいでもあるだろう(ここではイスラム原理主義には触れないでおこう)。

すなわちフランス人は負債があるからこそ、アルジェリア人を憎むのである。

「《負い目(シュルツ)》というあの道徳上の主要概念は、《負債(シュルデン)》というきわめて物質的な概念に由来している」と、ニーチェはいっている。彼が、情念の諸形態を断片的あるいは体系的に考察したどんなモラリストとも異なるのは、そこにいわば債権と債務の関係を見出した点においてである。俺があの男を憎むのは、あいつは俺に親切なのに俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ、とドストエフスキーの作中人物はいう。これは金を借りて返せない者が貸主を憎むこととちがいはない。つまり、罪の意識は債務感であり、憎悪はその打ち消しであるというのがニーチェの考えである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』ーー「俺があの男を憎むのは、俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ」より)

…………

※附記

◆「和解 そのかたちとプロセス 河原 節子 河原節子(一橋大学法学研究科 教授(外務省より出向) )」より。


アルジェリアは、 フランスが1830年の軍事占領した後、フランスの国内県に編入されて130年以上にもわたり仏の統治下にあった。アルジェリアを2012年12月に訪問したオランド仏大統領は、アルジェリア議会での演説で、132年間にわたる植民地主義は「極めて不正義で野蛮」な制度だと位置づけ、暴力、不正義、虐殺、拷問についての真実を認識する義務があり、全ての記憶を尊重すると述べた。一方、その前日の公式記者会見では、ある記者より「過去の問題について悔恨の意を表したり、謝罪をするのか」と質問されたのに対し、 同大統領は、 「過去や植民地主義、 戦争や悲劇についての真実を語る」と述べつつ、謝罪や悔恨の意図はないことを暗に示した)。現在の価値基準に照らせば、植民地主義が不適切な政策であったと認めつつも、旧宗主国側が一貫して謝罪に消極的なのは、当時は合法かつ正当な施策として行ってきたとの考え方に加え、謝罪は容易に責任問題としての賠償に結びつきやすいとの側面も考えられる。
他の植民地と異なり、仏はアルジェリアを自国の県として併合し、農地の払い下げ等を通じて多くの国民が移住(植民)し、数世代にわたって居住した。 しかし、 「原住民」 との経済・社会的格差は大きく、 第二次大戦中に独立運動が開始され、50年代半ばにはテロを用いた独立闘争とそれに対する激しい弾圧・軍事行動の応酬となった。ド・ゴール大統領は交渉を通じて独立容認に動いたが、すでに数世代にわたり植民していたアルジェリアのフランス人や仏軍の中で断固としてアルジェリアを仏国にとどめておくべきとの強硬派によって秘密武装結社が組織され、軍事クーデターまで企てられた。アルジェリアのフランス人は秘密結社による武力による独立運動阻止を支持したが、仏本国ではテロの応酬に終止符をうつためアルジェリアを手放すべきとの意見が多数を占めるなど、仏国民の世論が二分された。秘密結社はアルジェリアのみならず欧州各地でテロ活動を行い、 現地では仏国民同士の戦争の様相を呈した。さらに、アルジェリアの仏正規軍は「アルキ(haruki 」)と呼ばれる現地人の補充兵を雇用したため、彼らは、独立闘争を進める団体と戦うことになり、独立後アルジェリア人に「裏切り者」として迫害された。仏・アルジェリア双方において、多くの人々が多様な形で犠牲になった上、同国民同士の戦いの要素もあって、あの戦いがどのような意味を持つのかについて統一的な見解が成り立ちえない、深い傷を残した。そのため、仏政府は当初忘却政策をとり、家や財産を失い、見捨てられたと感じる約100万人もの「引揚者」や、「裏切り者」 扱いされたハルキの困難な記憶は抑圧されていた。 しかし、彼らの苦難や犠牲を認知してほしいとの要求は消えることはなかった。1995年にシラク大統領がナチ占領下でのユダヤ人大量検挙にフランス人が加担したことを公式に認めて記憶する方針を表明したことを契機に、アルジェリアでの拷問や抑圧を不問に付すのはダブルスタンダードとの批判が生じた。 これを契機に、 1999年には、それまで「秩序維持作戦」と通称されてきた戦争を、正式に「アルジェリア戦争」と呼称するための法律が制定された。 そして、 この戦争に関する多様な記憶を有する集団が、自らの記憶を単に個人的記憶ではなく、歴史の中に位置づけたいという思いが強まっていった。その1つが、植民地時代には悪いことのみではなく、良いことも成し遂げたという引揚者の思いであり、2005年の引揚者感謝法第4条第二項において、 「学校の教科は、 ・・特に北アフリカにおけるフランスの存在の肯定的役割を特に認め・・」るという形で反映された。これに対してアルジェリア大統領が激しく反発し、また、常日頃から社会的格差などに不満を有していた北アフリカからの移民の若者が暴動を起こして社会不安につながった。さらに、ピエール・ノラなど著名な知識人が歴史に政治を持ち込むことに反対するアピールを出した。 最終的にシラク大統領は、 大統領令によって同条を廃止したが、 この事例は、植民地時代及び独立戦争に関わる経験と記憶が、一国内においても集団によって大きく異なることが、和解を妨げ、対立を深める要因にさえなることを如実に示しているといえる。


◆「戦略なき朝鮮統治――フランスのアルジェリア支配との比較から」(筑波大学教授 青柳悦子)

……20 世紀に入るとムスリムの状況に変化が起き始める。エリート層のなかにはフランス学校で学ぶことを自ら目指す若者が現れ、フランスで教育を受けたこうした進歩派指導層が本国とのつながりを強めることで、コロンたちとの不平等を解消しようとする傾向が強まっていく。ムスリム側から兵役制度が求められ、 第一次世界大戦では実際にフランスはアルジェリア原住民徴兵により 17 万人の軍人 (うち 8 万人は志願兵)を得た。ジョルジュ・クレマンソー首相はこうしたアルジェリア原住民の貢献を高く評価し、原住民の権利、とくに選挙権の拡大に努めようとした。人口拡大と教育の欠如、高い失業率と貧困といった根源的な問題が深刻化する一方で 1914 年から54 年までに、200 万人のアルジェリア原住民がフランス本国に軍人または労働者として滞在した。高度に発展した社会を直接に経験した多くの民衆を通じて、アルジェリアのムスリムたちは、自分たちの正当な権利はどこにあるかを迷いなく見定めることになる。
アルジェリア戦争のあいだに、 200 万人を超えるフランス人兵士がアルジェリアへ動員さ れることになった。アルジェリア原住民側の犠牲者は数十万人に上るとされる。

…………

とはいえ、仏人の、とくに左翼インテリのあいだでは、次のようなイスラム系住民、すなわちマグリブ人やアラブ人に対する同情を示すという状況もあることは、ここでさらに追記しておこう。



◆「フランスにおける反人種差別主義的ディスクールの危機」(丸岡高弘)より

この論文は、2005年パリ郊外暴動事件(WIKIPEDIA 参照)をめぐるユダヤ系哲学者フィンケルクロートAlain Finkielkrautーー彼は当時メディアに頻繁に登場するマスコミの寵児だったらしいが、2014年アカデミー・フランセーズの会員に選出されているーーのコメント(イスラエルの新聞「ハーレッツ」におけるインタヴュー)が一週間ほど後、「ル・モンド」に紹介・要約されて「人種的敵意を煽り、挑発する行為」として物議を醸したことにまずはかかわる。

スキャンダルになった理由はいくつかあるが、ここではその「反人種差別主義批判」だけに限る。

フィンケルクロートの反レイシズム批判とは次のような見解である。

私は今日、“人種差別にたいする戦い”というこの高貴な思想が徐々に極めてインチキなイデオロギーに変質しつつあると思います。こうした反人種差別主義は、二十世紀における共産主義とおなじような役割を二一世紀いはたすことになるでしょう。つまりそれは暴力の源となるのです。今日、ユダヤ人は反人種差別の名のもとに批判されています。シオニズム=人種差別主義という分離壁が建てられてしまっているのです。

このフィンケルクロートの文を引用して、著者の丸岡氏は次ぎのように書いている。

つまり、パレスチナ人にたいする過度の同情と共感がフランスのイスラム系住民に拡大され、彼等は人種差別主義の犠牲者と見なされる。迫害者はもちろんイスラエルであり、それにたいする敵意がフランスのユダヤ人にも延長され、反ユダヤ主義が横行する。また欧米はその植民地主義的過去と現代におけるマイノリティーの社会統合の失敗、さらにはパレスチナ紛争における曖昧な態度のために、世界のすべての悪の根源とみなされ、イスラム系住民の憎悪の対象となる。こうしたイスラム系住民のユダヤ人やフランス社会への憎悪を、反人種差別主義が煽っているとフィンケルクロートは考えるのである。



2015年1月25日日曜日

仏テロ事件後のラ・マルセイエーズによる「情緒の昂揚」

《だれも、ひとりひとりみると/かなり賢く、ものわかりがよい/だが、一緒になると/すぐ、馬鹿になってしまう》(シラー フロイト『集団心理学と自我の分析』より孫引き
…………

まずラカンが「ヒトラー大躍進への序文」と評したフロイトの『集団心理学と自我の分析』から始める。

偶然に吹き寄せられたような人間の群れの仲間が、心理学的な意味での集団に類したものを形成するには、これらの個人たちが相互に何か共通なもの、つまりある一つの対象にたいする共通の関心とか、ある状況の中で、おなじ方向にむかう感情とか、そして(その結果と私はいいたいが)相互に影響し合うある程度の能力とか、これらのものを共有していることが条件として必要になる。この共通性…が高ければ高いほどそれだけ容易に、個人のあいだから心理学的集団がつくられ、「集団精神」の現れはますます際立ってくる。

さて、集団形成のもっとも顕著で同時にもっとも重要な現象は、個々の成員によびおこされる情緒の昂揚または強化ということである。マックドゥガルによると、人間の情緒は、集団の場合には他の条件のもとではほとんど達することができないほどの高さに昂揚するとみなしてよく、しかも集団に参加した者にとっては、これほど無制限に情熱に身をまかせ、集団に入りこんで、個人的な制限の感じを失うことは快い感覚なのである。このようにして、個人が一体になって集団の中に没入することを、マックドゥガルは、彼が名づけた一つの原理、すなわち「原始的共感反応による情緒の直接的感応の原理」から説明している。つまり、われわれには既知の感情の伝染によってそれを説明するのである。つまりそれはこうである。ある情緒状態の徴候の知覚は、それを知覚した者にも自動的に同一の情緒をよび起す。しかもこの自動的な強迫は多数の人々におなじ情緒を同時にみとめられるときにいっそう強いものになる。そのとき、個人は批判をやめておなじ情緒にまきこまれる。だがそのさい、個人は彼にはたらきかけた他人の興奮を高め、このようにして個人の情緒の備給は相互の感応によって増大することになる。そこに、ある強迫のごときものが、つまり、他人とおなじことをし、多数の人と一致していたいという強迫めいたものが作用しているのはまぎれもない。しかも感情の興奮が粗野で単純であればあるほど、それはこのようにして集団の中にひろがる見込みが大きい。

情緒の昂揚するこのメカニズムは、さらに集団から発する他の二、三の影響によって促進されている。集団は無際限の力と打ち克ちがたい危険の印象を個人にあたえる。集団は、一瞬のあいだは人間社会全体を代表するのであって、その社会こそは人々がその刑罰をおそれ、そのために自分を抑制しているところの、権威を担っているのである。それにさからうことは明らかに危険である。周囲の者の範例にしたがってふるまい、場合によっては、「狼どもと一緒に吠えて」いれば安全なわけである。この新しい権威に服従すれば、彼の以前の「良心」を眠らせてもよいし、抑制を解いて手に入れる快感の誘惑に身をまかせてもよいことになる。(フロイト『集団心理学と自我の分析』フロイト著作集6 人文書院PP.206-207

※参照:優しい人たちによる魔女狩り

…………


フランスで17人が死亡した一連のテロ事件を受けて、犠牲者を追悼し、テロに抗議する大規模なデモ行進がパリで行われました。デモには160万人以上が参加し、人種や宗教の違いをこえて団結してテロに立ち向かう決意を改めて示しました。

デモは11日午後(日本時間11日午後11時すぎ)から、襲撃されたパリの新聞社の本社に近い共和国広場で始まりました。

デモには、犠牲者の家族や襲撃を受けた新聞社の社員をはじめ、さまざまな政党や人種、宗教の人々が参加し、3キロの道のりを歩きました。

また、フランスのオランド大統領と共に40を超える国や機関の首脳らも参加し、ドイツのメルケル首相やイギリスのキャメロン首相のほか、イスラム諸国からヨルダンのアブドラ国王も参加しました。

また、ふだんは対立するイスラエルのネタニヤフ首相とパレスチナ暫定自治政府のアッバス議長の姿も見られました。

現場付近の広場や道路は大勢の人々で埋め尽くされて一時、身動きがとれないほどの状態となりましたが、参加した人々は、襲撃された新聞社への連帯を示す「私はシャルリ」と書かれたプラカードを掲げたり、フランス国歌を大きな声で合唱しながら歩きました。

撃された新聞社への連帯を示す「私はシャルリ」と書かれたプラカードを掲げたり、フランス国歌を大きな声で合唱しながら歩きました。


仏紙襲撃事件は、強烈な普遍主義同士の衝突(鹿島茂氏インタビュー記事の前段より)

1月7日、フランスの風刺新聞「シャルリ・エブド」がイスラムの預言者ムハンマドの風刺画を掲載したことを理由にアルジェリア移民の2世の兄弟が編集部を襲撃。連続テロ事件に発展した。11日にはテロに抗議し、「表現の自由」を掲げるデモ行進にフランス全土で370万人が集結。EU(欧州連合)各国首脳らも参加した。13日にはフランスの国会で、議員達がフランス国家ラ・マルセイエーズを斉唱し、バルス首相が「テロリズム、イスラム過激派との戦争に入った」と宣言。シャルリエブド紙はその後、預言者ムハンマドの風刺画をまたも掲載。今度は、イスラム社会でこれに反発するデモや抗議集会が広がっている。

フランス文学者の鹿島茂氏は普遍主義同士の衝突と言っているが、それはこの際無視することにしよう。そもそも、わたくしのようなひねくれた精神は、仏人の熱狂をみると、ムハンマドへの狂信と言論の自由への狂信といったいどこが違うのだろう、と思わず言いたくなってしまう。そしてさらにいえば本当に「言論の自由」という理念が脅かされたから、あのアルジェリア移民兄弟のテロ行為にいきり立っているのか。恐怖や憎悪からではないのか。

特定の個人や制度にたいする憎悪は、それらにたいする積極的な依存と同様に、多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結合を呼び起こすであろう。(フロイト『集団心理学と自我の分析』 p219)

ラカンの娘婿でもあるジャック=アラン・ミレールは次ぎのように書いている(12.01.2015 JACQUES-ALAIN MILLER ON THE CHARLIE HEBDO ATTACK)。

・誰もが、性急かつ臆病に、己れが潜在的なターゲットであると知りかつ感じている。

・われわれの誰もが突然に殺害の脅迫のもとにいる。

彼は、ほかにもテルアビブの友人の精神分析家Susannaの言葉を引用している。

すべての指導者が、一緒になって並び立ち、腕を組んで歩き、どんなゴールの不在のもとに一体化しているのを見ると、みじめさを感じてしまう。私は思うのだが、彼らはすべての希望を失っただけではなく、さらに悪いことに、絶望さえも失っているのだ。


さてすこし前に戻ろう。普遍主義同士の衝突とする鹿島茂氏の発言に異和があるにもかかわらず、このインタビュー記事は、わたくしのような仏国や西欧の事情に疎いものには、その記事の細部がとても勉強になる。ツイッターなどで流通しているどこかの馬の骨のような「評論家」たちの戯言よりは格段にましである。いまいくらか引用しておこう。

フランスにいるアルジェリア人の問題と、ドイツにいるトルコ人の問題はまったく異なる。ドイツ人は血統主義なので、トルコ人は永遠にドイツ人にはなれない。しかし、トルコ 流にやっていてもかまわない。フランスは、フランス人になることを認める代わりに、殻の中に閉じられたようなイスラムの家族は解体されなければならないし、宗教は前面にだしてはいけない。どちらがよいかは一概に言えない。

移民も 3 代目になれば完全にフランス人になれる。マグレブ出身の 3 世、4 世などは相当 融合が進んでいる。フランスは融合婚がかなり進んでいるし。デモ行進に参加していたイ スラムの人たちもいたでしょう。
――厳しい状況に置かれているイスラム系移民が多い中で、「シャルリ・エブド」の表現は えげつなく、「表現の自由」で押し通してよいのか、とも思います。また、執拗に何度も描 いています。

何度も描いているのは、むしろ宗教などは尊重しないことで、「一にして不可分」な共和国 が成立すると考えているからでしょう。 ただし、「表現の自由」ということで、何でも許される訳ではない。1990 年に成立した「ゲソ ー法」(Loi Gayssot)では表現の自由に制限を加えている。共産党の大物議員のジャン・ クロード・ゲソーさんという人が提案したものです。人道に対する罪の問題に対応したもの。 ホロコーストがあったことの否認、およびホロコーストの肯定などの「反ユダヤ主義」、「人種 主義」、「テロリズムの礼讃」の 3 つを厳禁としている。これに違反したら捕まる。実際に、今 回の連続テロ事件に関連しては、ユダヤ系の商店を襲ったアメディ・クリバリ容疑者を擁護 するコメントをした反ユダヤ主義のコメディアンのデュドネが身柄を拘束されている。

しかし、この 3 つに違反しなければ、何を書いてもよく、その自由度は非常に大きなもので す。フランスではバルザックの時代から百家争鳴、多党分立でそれぞれに機関誌があっ て勝手なことを言っている。

自らもジャーナリズムの標的にされたバルザックが、『ジャーナリストの生理学』で、「ジャー ナリズムの息の根を止めるのは不可能ではない。一民族を亡ぼす時と同様、自由を与え さえすればよい」と書いています。逆説的ですが、弾圧を加えたら、かえって反権力でまと まってしまうが、自由にすれば、大混乱するので王様は安泰ということ。

自由なジャーナリズムを許してきたフランスでは誹謗中傷も多く、それに対する唯一の解 決策は決闘だった。法律で決闘を禁じられてからも第一次世界対戦のころまでやってい ました。申し込まれた方は、剣かピストルか、武器を選ぶことができる。だから、ジャーナリ ストになったら射撃かフェンシングを習う。 その伝統で、ジャーナリストって、書きたいこと書いてもいいけれど、命を失っても仕方が ないよという不文律があるんです。そう覚悟をして書くものだという。だから、シャルリエブド で殺された人たちも殉職者ということになる。フランスの普遍主義原理とイスラムの普遍主 義原理の正面衝突です。

いずれにせよ狂信は、それが神であれ、理念であれ、冒頭に引用したフロイトにあるように、《彼の以前の「良心」を眠らせてもよいし、抑制を解いて手に入れる快感の誘惑に身をまかせてもよい》になってしまう。フランスの以前の「良心」とはーー眠らせてはいけない良心とはーー、まずはイスラムに関するなら、アルジェリア戦争の暴虐であり、とりわけ当時の「拷問」であろう。

アルジェリアで解放戦線に対する拷問のプロだったル・ペンのような人物が、フランス本国で国民戦線のリーダーになり、イスラムの移民がわれわれフランス人から職を奪っていると言って、ナショナリズムを煽っている。(柄谷行人―浅田彰対談より(初出 『SAPIO』 1993.6.10 『「歴史の終わり」と世紀末の世界』所収)

ここで書かれているル・ペンは、父親のほうのル・ペンだが、鹿島茂氏もさすがに、娘のほうのル・ペンの名を出して懸念を表明している。

フランスは成文法の国であるから、ゲソー法のように、「反イスラム主義的言動を人 道に対する罪として禁ずる」動議が出て成文化されることが考えられます。今、我々は反 テロリズムであって、反イスラムではない、といっている。だが、今後、「反イスラム」を煽るよ うな言説が増えてくる可能性はある。排外主義的な主張をする人は増えていて、国民戦 線のマリー・ルペンはその代表。いま、いちばん危険なのは、次の選挙で国民戦線がかな り票を伸ばしそうなことだ。(鹿島茂)

狂信・熱狂なるものは、次のような現象を生み出す、それは他者そのものだけではなく、理念の偽善をもみえなくする。

誤った崇拝は理想化をうむ。それは他者の弱さを見えなくする──あるいは、それはむしろ、自己のいだく幻影を投影するスクリーンとして他者を利用し、他者そのものを見えなくする。(ジジェク『信じるということ』)

最後に、鹿島茂氏も別の文脈で引用しているエマニュエル・トッドのテロ事件後の電話インタビュー記事を掲げておこう(読売新聞2015.1.12)。

今回の事態にフランスはひどく動揺し、極めて感情的になっている。社会のあり方について考えを巡らす余裕もない。

私も一連の事件に驚がくし、実行犯らの排除にひと安心した。私はテロを断じて正当化しない。

だが、フランスが今回の事態に対処したいのであれば、冷静になって社会の構造的問題を直視すべきだ。北アフリカ系移民の2世、3世の多くが社会に絶望し、野獣と化すのはなぜなのか。

野獣は近年、増殖している。2012年、仏南西部でユダヤ人学校を襲撃し、14年はブリュッセルのユダヤ博物館で銃撃事件を起こした。

シリアでのイスラム過激派による「聖戦」に加わろうとする若者は数千人いる。移民の多い大都市郊外では反ユダヤ主義が広がっている。

背景にあるのは、経済が長期低迷し、若者の多くが職に就けないことだ。中でも移民の子供たちが最大の打撃を被る。さらに、日常的に差別され、ヘイトスピーチにされされる。

「文化人」らが移民の文化そのものを邪悪だと非難する。

移民の若者の多くは人生に意味を見いだせず、将来の展望も描けず、一部は道を誤って犯罪に手を染める。収監された刑務所で受刑者たちとの接触を通じて過激派に転じる。社会の力学が否定的に働いている。

米同時テロと比較する向きもあるが、米テロの実行犯はイスラム世界に帰属していたのに対し、フランスの実行犯はアル・カイーダ系や「イスラム国」からの資金提供があったかもしれないが、フランスで生まれ、育った。

無論、フランス外交も影響していよう。フランスは中東で戦争状態にある。オランド大統領はイラクに爆撃機を出動させ、過激派を空爆している。ただ、国民はそれを意識していない。

真の問題はフランスが文化道義的危機に陥っていることだ。誰も何も信じていない。人々は孤立している。社会に絶望する移民の若者がイスラムに回帰するのは、何かにすがろうとする試みだ。

私も言論の自由が民主主義の柱だと考える。だが、ムハンマドやイエスを愚弄し続ける「シャルリー・エブド」のあり方は、不信の時代では、有効ではないと思う。移民の若者がかろうじて手にしたささやかなものに唾を吐きかけるような行為だ。

ところがフランスは今、誰もが「私はシャルリーだ」と名乗り、犠牲者たちと共にある

私は感情に流されて、理性を失いたくない。今、フランスで発言すれば、「テロリストにくみする」と受けとめられ、袋だたきに遭うだろう。だからフランスでは取材に応じていない。独りぼっちの気分だ。


2015年1月24日土曜日

同情する人間と同情を持たない人間

ここに三人の作家の同情、あるいは憐れみをめぐる叙述をシンプルに並べる。


◆「憐れみ(同情)」の三つの格率(ルソー『エミール』より)

【第一の格率】:人間の心は自分よりも幸福な人の地位に自分をおいて考えることはできない。自分よりもあわれな人の地位に自分をおいて考えることができるだけである。

【第二の格率】:人はただ自分もまぬがれられないと考えている他人の不幸だけをあわれむ。

【第三の格率】:他人の不幸にたいして感じる同情は、その不幸の大小ではなく、その不幸に悩んでいる人が感じていると思われる感情に左右される。


…………

◆プルーストによる同情、あるいは憐れみ

人が同情を寄せる相手は、知らない人びと、想像で思い描く人びとであり、すぐそばで卑俗な日常生活のなかにいる人たちではない。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳)
サン=ルーの死がフランソワーズに受けとめられたのは、アルベルチーヌの死にたいするよりも多くのあわれみをこめてだった。フランソワーズはただちに泣き女の役を買って出て、悲嘆の言葉と絶望者のお題目とで、死者に追悼を表した。彼女はいつもそんなふうに大っぴらにその悲しみを見せ、私がうっかり悲しみを面に出すときだけ、くるりと頭を横にまわしてそっけない表情をし、私の悲しみを見なかったようすをしようとするのだった。というのも、神経質な多くの人々に見るように、他人の神経質が、なんだか自分のそれとあまりによく似ているので、それが彼女の癇にさわるのだ。(プルースト「見いだされた時」)
 身内のものを除けば、彼女から遠く離れている人間の不幸ほど彼女のあわれみをそそったことを私は知った。新聞を読んでいて、彼女が見知らぬ人たちの不幸に流すおびただしい涙は、すこしでも明確に当人を思いうかべることができると、たちまちとまってしまうのであった。(プルースト「スワン家のほうへ」ーーより長くは「犬のお尻にほれてしまえば、 犬のお尻もばらの花」を見よ)


…………

◆ 「同情する人間と同情を持たない人間」(ニーチェ)

「もはや私のことを思わない。」――まあ本当に徹底的にとくと考えてもらいたい。眼の前で誰かが水の中に落ちると、たとえ彼が全く好きでないにもせよ、われわれがそのあとから飛びこむのは、なぜか? 同情のためである。そのときわれわれはもう他人のことだけを思っている。――と無思慮がいう。誰かが血を吐くと、彼に対して悪意や敵意さえ持っているのに、われわれが苦痛と不快を感じるのは、なぜか? 同情のためである。われわれはその際まさしくもはや自分のことは思っていない。――と無思慮が言う。

真実は、同情というときーー私は間違ったやり方で通常同情と呼ばれるのが常であるもののことを考えているのだが、――われわれはなるほどもはや意識的にわれわれのことを思っていないけれども、極めて強く無意識的にわれわれのことを思っているのである。ちょうど足がすべったとき、われわれにとって現在意識されていないが、最も目的にかなった反射運動をし、同時に明らかにわれわれの知性全体を使用しているように。

他人の不幸は、われわれの感情を害する。われわれがそれを助けようとしないなら、それはわれわれの無力を、ことによるとわれわれの卑怯を確認させるであろう。言いかえると、それはすでにそれ自体で、他人に対するわれわれの名誉の、またはわれわれ自身に対するわれわれの名誉の減少を必然的にともなう。換言すれば、他人の不幸と苦しみの中にはわれわれに対する危険の指示がある。そして人間的な危うさと脆さ一般の目印としてだけでも、それらはわれわれに苦痛を感じさせる。

われわれは、この種の苦痛と侮辱を拒絶し、同情するという行為によって、それらに報復する。この行為の中には、精巧な正当防衛や、あるいは復讐さえもありうる。われわれが根底において強くわれわれのことを思うということは、われわれが苦しむもの、窮乏するもの、悲嘆するものの姿を避けることのできるすべての場合に、われわれの行なう決心からして推測される。われわれが一層強力なもの、助けるものとしてやって来ることができるとき、喝采を博することの確実であるとき、われわれの幸福の反対のものを感じるのを望むとき、あるいはまたその姿によって退屈から脱出することを期待するとき、われわれは避けることをしまいと決心する。そのような姿を見るときわれわれに加えられ、しかも極めて多種多様でありうる憂苦を同情と名づけることは、間違った道に導く。なぜなら、どんな事情があっても、それは、われわれの前で苦しんでいる者とは関係がない憂苦であるからである。

しかしわれわれはこの種のことを、決してひとつの動機から行なうのではない。われわれがその際苦しみからの解放を望んでいることが全く確実であるように、われわれが同じ行為において、快楽の衝動に服従することもやはり確実である。――快楽が生じるのは、われわれの状態の反対のものの姿を見るときである。われわれが望みさえすれば助けうるという考えをもつときである。われわれが助けた場合、賞賛され、感謝されるという思いを抱くときである。行為がうまくゆき、そしてそれが一歩一歩成功するものとして実行者自身を楽しませるかぎり、助けるという行為そのものの中においてである。しかしとくに、われわれの行為が腹立たしい不正を制限する(彼の腹立たしさの爆発だけでも気分をさわやかにする)という感覚の中においてである。この一切合財に、さらに一層精巧なものがつけ加わると、「同情」である。――言語はそのひとつの言葉を用いて、何と不格好に、そのように多声的な存在の上に襲いかかることであろう! ――これに反して、苦しみを眺めるときに起きる同情が、その苦しみと同種のものであること、あるいは、同情が苦しみに対して特別に精巧な、透徹した理解をもつこと、この二つのことは、経験と矛盾する。そして同情をほかならぬこの二つの視点で称賛した者は、まさに道徳的なもののこの領域において、十分な経験を欠いていたのである。ショーペンハウアーが同情について報告することのできるすべての信じがたい事柄にもかかわらず、これが私の懐疑である。彼はわれわれをして、彼の大きな新発明品を信じさせようとしている。それによると、同情はーー彼によって極めて不完全な観察がなされ、全く粗悪な記述がなされた、まさにその同情はーー、一切のあらゆる以前の、また将来の道徳的な行為の源泉であるーーしかも彼がはじめて捏造して、同情になすりつけたほかならぬその能力のためにそうなのである。――

おしまいに、同情をもたない人間は、同情する人間と何で区別されるか? 何よりもまずーーここでもやはり荒っぽくのべるだけであるがーー同情をもたない人間は、恐怖という刺激されやすい想像力や、危険をかぎつける鋭い能力をもっていない。さらに、何事か起きても、かれらが阻止できるならば、彼らの自惚れはそんなに速やかに傷つけられはしない。(彼らの誇りの慎重さは、関係のない事柄に無益な干渉をしないように、彼らに命令する。それどころか、彼らは自発的に、各人が自分自身を助け、自分自身のトランプで遊ぶことを好むのである。)その上彼らは大てい、同情的な人間よりも、苦痛に堪えることに馴れている。さらに彼ら自身苦しんできたのであるから、他人が苦しむことは、彼らにはそう不公平には思われない。最後に彼らにとっては心の優しい状態は、ちょうど同情する人間にとってストア主義的な無関心の状態が苦痛であるように、苦痛である。彼らはその状態に軽蔑的な言葉を付加し、自分の男らしさと冷たい勇気がそれによって危険にさらされたと思う。――彼らは涙を他人の眼からかくし、自己自身に立腹して、それをぬぐう。それは、同情する人間とは別の種類の利己主義である。――しかし彼らをすぐれた意味で悪いと呼び、同情する人間をよいと呼ぶことは、時をえているひとつの道徳的な流行にほかならない。ちょうど反対の流行にも時が、しかも長い時があったように! (ニーチェ『曙光』第133番 茅野良男訳)

※ニーチェの異なった側面については、「ニーチェの隠し事」を参照。



※附記:同情や憐れみの話ではないが、ある意図があって?次の二つの文章(フロイト、中井久夫)を付け加える(「Homo homini lupus、あるいは攻撃欲動(ニーチェとフロイト)」より)。

私の身辺にある人間がいる。私はその人を憎んでいる。だからその人が何かの不幸にもで遭えば、私の中には烈しい喜びの気持が動く。ところが私の徳義心は、私自身のそういう気持を肯定しようとしない。私はあえて呪いの願望を外に出すことをしかねている。

さて偶然その人の身の上に何か悪いことが起こったとき、私はそれに対する私の充足感を抑えつけ、相手を気の毒に思うことを口にも出すし、自分の気持にも強制するであろう。誰にもこんな経験はあるにちがいない。

ところがその当の人間が不正を犯してそれ相当の罰をこうむるというようなことでも起ると、そのときこそ私は、彼が正当にも罰をこうむったことに対する私の充足感を自由に外に出すことができる。そして、彼に対して愛憎を持っていない多くの人々と自分もこの点では同意見だとはっきり口外する。

しかし私の充足感はほかの人たちのそれよりも一段と強いものであることを、私は自分自身のうえに観察しうる。私の充足感は、情念動出を内心の検閲によってそれまでは妨げられていたが、今や事情が一変してもはやそれを妨げられることのなくなった私の憎悪心という源泉からエネルギーの補助を受けているのである。

こういう事情は、反感をいだかれている人物であるとか、世間から好かれていない少数党に属する人間であるとかがなんらかの罪を己が身の上に招くようなときには普通世間でよく見られるところのものである。こういう場合、彼らの受ける罰は彼らの罪に釣り合わないのが普通で、むしろ彼らに対して向けられていたが外に出ることのなかった悪意プラス罪というものに釣り合うのである。

処罰者たちはこの場合明らかに一個の不正を犯す。彼らはしかし自分たちが不正を犯しているということを認め知ることができない。なぜならかれらは、永いこと一所懸命に守ってきた抑制が今こそ排除されて、彼らの心の中には充足感が生まれてきて、そのために眼が眩んでしまっているからである。こういう場合、情動はその性質からすれば正当なものであるが、その度合からすれば正当なものではない。そして第一の点では安心してしまっている自己批評が、第二の点の検討を無視してしまうのはじつに易々たることなのである。扉がいったん開かれてしまえば、もともと入場を許可しようと思っていた以上の人間がどやどやと入りこんでくるのである。

神経症患者における、情動を湧起せしめうる動因(きっかけ)が質的には正常だが量的には異常な結果を生むという神経症的性格の著しい特色は、それがそもそも心理学的に説明されうるかぎりではこのようにして説明されるのである。しかしその量的過剰は、それまでは抑制されて無意識のままにとどまっていた情動源泉に発している。そしてこれらの源泉は現実的動因(きっかけ)と連想的結合関係を結びうるものであり、また、その情動表出には、何の要求をも持たないところの、天下御免の情動源泉が望みどおりの途を拓いてくれるのである。

抑制を加える心的検問所と抑制を受ける心的な力とのあいだにはいつも必ずしも相互的妨害の関係が存するばかりではないということにわれわれは気づかされるわけである。抑制する検問所と抑制される検問所とが協同作業をして、相互に強化しあい、その結果ある病的な現象を生じせしめるというようないくつかの場合も同様注目に値する。 ……(フロイト『夢判断』高橋義孝訳 文庫 下 P219-221)

日常生活は安定した定常状態だろうか。大きい逸脱ではないが、あるゆらぎがあってはじめて、ほぼ健康な日常生活といえるのではないだろうか。あまりに「判でついたような」生活は、どうも健康といえないようである。聖職といわれる仕事に従事している人が、時に、使い込みや痴漢行為など、全く引き合わない犯罪を起こすのは、無理がかかっているからではないだろうか。言語研究家の外山滋比古氏は、ある女性教師が退職後、道端の蜜柑をちぎって食べてスカッとしたというのは理解できると随筆に書いておられる。外に見えない場合、家庭や職場でわずらわしい正義の人になり、DVや硬直的な子ども教育や部下いじめなどで、周囲に被害を及ぼしているおそれがある。

四季や祭りや家庭の祝いや供養などが、自然なゆらぎをもたらしていたのかもしれない。家族の位置がはっきりしていて、その役を演じているというのも重要だったのかもしれない。踏み越えは、通過儀礼という形で、社会的に導かれて与えられるということがあった。そういうものの比重が下がってきたということもあるだろう。もっとも、過去をすべて美化するつもりはない。

一般に健康を初め、生命的なものはなくなって初めてありがたみがわかるものだ。ありがたみがわかっても、取り戻せるとは限らない。また、長びくと、それ以前の「ふつう」の生活がどういうものか、わからなくなってくる。

私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性とは時に紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない。先の引き合わない犯罪者のなかにもそれが働いているが、できすぎた模範患者が回復の最終段階で自殺する時、ひょっとしたら、と思う。再発の直前、本当に治った気がするのも、これかもしれない。私たちは、自分たちの中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。(中井久夫「「踏み越え」について」『徴候・記憶・外傷』P322ーー「ルソー派とニーチェ派」より)

2015年1月21日水曜日

日本的「融合と共存」と母性的「ヤンキー」集団

前投稿で、《主語をはっきりさせて日本語が成り立つかどうかの問題があるんですよね》(古井由吉)と引用した。あるいはそれにかかわって次ぎのような引用もした。

日本人は相手のことを気にしながら発言するという時、それは単に心理的なものである以上に、人間関係そのもの、言語構成そのものがそういう構造をもっているのである。(森有正全集12 P86-87 )
言語は集団的なものです。だから、個人は言語の習得を通して、集団的な経験を継承するということができる。つまり、言語の経験から出発すれば、集団心理学と個人心理学の関係という厄介な問題を免れるのです。ラカンは、人が言語を習得することを、ある決定的な飛躍として、つまり、「象徴界」に入ることとしてとらえました。その場合、言語が集団的な経験であり、過去から連綿と受け継がれているとすれば、個人に、集団的なものが存在するということができます。

このことは、たとえば、日本人あるいは日本文化の特性を見ようとする場合、それを意識あるいは観念のレベルではなく、言語的なレベルで見ればよい、ということを示唆します。(柄谷行人「日本精神分析再考(講演)(2008)」)

以下は一年ほどまえ、これらの日本語の構造、あるいは日本人の精神構造をめぐってメモしたものの一つだが、なぜか投稿せずの記事である。なぜ投稿しなかったのかは、はっきりとは覚えていないが、たぶんこんなことをいまさら言ってもはじまらない、という気持があったか、逆に当時このたぐいの話ばかり書いていたのでくどくなることを怖れたのかもしれない。いわゆる「共感の共同体」批判としてもある文であり、これも識者によって何度もくり返されているが、今ではいささか失念気味であるので、この機会に投稿しておく。

一般に、日本社会では、公開の議論ではなく、事前の「根回し」によって決まる。人々は「世間」の動向を気にし、「空気」を読みながら行動する。(柄谷行人「キム・ウチャン(金禹昌)教授との対話に向けて」
この共同体では人々は慰め合い哀れみ合うことはしても、災害の原因となる条件を解明したり災害の原因を生み出したありその危険性を隠蔽した者たちを探し出し、糾問し、処罰することは行われない。(酒井直樹「共感の共同体批判」

…………

たとえば、「ぼくときみと彼は、成功を確信していた」という日本語をフランス語に訳すなら、それぞれの代名詞を強調形に改めた上で、Moi,toi et lui,nous sommes persuadés de la réussite. というフランス語の文章を構成しなければならない。この例からも明らかなとおり、フランス語の「ぼくたち」Nousとは、「ぼく」の数倍化されたものではなく、この「ぼく」と「ぼく」ならざる他の人称の集合からなりたっていて、その構成要素相互のあいだには「排他的な関係」が成立しているのだ。すなわち、「ぼくたち」Nousが主語になった場合には、「ぼく」Jeが、「きみ」Tuと「きみたち」Vous、「彼(または彼女)Ilと「彼ら」ILSに対して「優位」な地位を占める、ということである。(蓮實重彦)「「あなた」を読む」『反=日本語論』所収)

ここで蓮實重彦は西欧的思考における言語構造そのものの「差別」の構造を語っている。

《「排除」と「選別」による思考……彼らの言葉がその基盤を置いている「差異」の概念とは、われわれ日本人にとっては、どこか血なまぐさい殺伐たる気配を漂わしている。》

だが日本語的環境はどうなのか、それは《「排除」と「選別」よりは、遥かに「融合」と「共存」と親しく戯れる機会》を与えてくれる。

ところで、日本語の「ぼくたち」、「われわれ」には、こんな「排斥」作用が含まれているのであろうか。そこにあるのは、「ぼく」あるいは「われ」の、無数の共犯的融合ばかりではないか。そもそも文法的にいって、日本語の「ぼく」と「ぼくたち」の間に、単数、複数の対立関係が存在しているのか。あるのは、意識の上での孤立と融合だけであって、数の概念そのものが日本語にかけているのではないか。はたして「人称代名詞」などと呼ばれるものが、日本語にあるのだろうか。「ぼく」なり「私」なりを、「普通名詞」、「固有名詞」とから区別しうる言語学的水準が、いったい想定できるのであろうか。時枝誠記によれば、日本語における「人称代名詞」は、事物の属性的概念を表現することなく、話し手との関係概念の明確化を目ざすものとして定義されているが、そこには、文章全体にまで波及する「排除」の体系は認められない。また、複数と単数の関係も、決して排他的ではない。では、いったい「人称代名詞」とは何なのか。(同上)

《文章全体にまで波及する「排除」の体系》とは次の構造のことである。

たとえば人類学者レヴィ=ストロースのあげたいわゆる「構造」なるものの定義には、ある一つの系〔セリー〕を構成する諸要素の一つを変化させた場合、その変化の影響が、他の諸要素の全域にまで及ぶもの、という語があったと記憶するが、そうした意味からすると、フランス語の人称代名詞の相互間には、明らかに「排除」の関係が働いており、一たんある人称と数を「選別」したなら、その影響がすぐさま動詞、所有形容詞にまで及ぶという明確な構造を持っているといえる。(同上)

この「排除」と「選別」――《この日々の殺戮行為は、なにも言語的領域ばかりに限られてはおらず、政治的、文化的、経済的な諸分野でたえず進行中の現実なのである。何かが選ばれるとき、何かが殺される。》

そこには、たとえばジャック・デリダが批判する音声中心的な言語観とともに、キリスト教、ユダヤ教的な一神教的思考が直接的に反映しており、われわれが生きる政治的、文化的、社会的状況は、それをいかに処すべきかまだ気づいてはいない。だというのに、あたかも日本に一神教的思考がはびこり、音声中心的な言語観が根づいているかのごとく議論が展開し、西欧の言語観が無媒介的に輸入されてしまうのは、どうしてか。明治以後の概念輸入の歴史が、今日もなお無自覚に生きのびて、まるで日本語が、インド=ヨーロッパ語系の国語であるかに議論が進展してしまうのは、いったいなぜなのか。(同上)

これはなにも言語観だけではない。いまだに「差別」をめぐる言説でさえ、西欧的な一神教的な思考の無自覚な輸入によって議論されていることはないか。たとえば「差別」にかかわるとはそのまま言い難いが、ニーチェのルサンチマン批判は、あきらかに一神教的な西欧思考批判のなかの文脈にあるにもかかわらず、一神教ではまったくありえない日本で無闇・無自覚に参照されているなどということはないか。フロイトの「超自我」やラカンの「父の名」もしかり。

かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。その分、母親もいくぶん超自我的であった。財政を握っている日本の母親は、生活費だけを父親から貰う最近までの欧米の母親よりも社会的存在であったと私は思う。現在も、欧米の女性が働く理由の第一は夫からの経済的自立――「自分の財布を持ちたい」ということであるらしい。

明治以後になって、第二次大戦前までの父はしばしば、擬似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。戦前の父はしばしば政府の説く道徳を代弁したものだ。そのために、父は自分の意見を示さない人であった。自分の意見はあっても、子に語ると子を社会から疎外することになるーーそういう配慮が、父を無口にし、社会の代弁者とした。日本の父が超自我として弱かったのは、そのためである。その弱さは子どもにもみえみえであった。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」初出2003 『時のしずく』2005所収)

日本的差別の構造はむしろ村八分の文脈で捉えなければならないことが多いはずだ、《公的というより私的、言語的(シンボリック)というより前言語的(イマジナリー)、父権的というより母性的なレヴェルで構成される共感の共同体。......それ はむしろ、われわれを柔らかく、しかし抗しがたい力で束縛する不可視の牢獄と化している。》(浅田彰「むずかしい批評」(『すばる』1988 年 7 月号)

もちろん村八分そのものも排除と選別の構造であるが、それ以前に「融合」と「共存」、「ぼく」あるいは「われ」の、無数の共犯的融合が前提となっている。

日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。(……)

労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』)

西欧的集団に共犯的融合がないわけではない。たとえばフロイトが『集団心理学と自我の分析』で示したように、人物や理念(自我理想)に象徴的同一化することによる仲間同士の想像的同一化は、ある意味で「共犯的融合」としてよいのだろう。

だが日本的な共犯的融合は、《一次的な集団とは、同一の対象を自我理想とし、その結果おたがいの自我で同一視し合う個人の集りである》(『集団心理学と自我の分析』)の「自我理想」の箇所が空虚であってさえ、《多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結合を呼び起こす》(フロイト 同)であるかのようにみえる。

それを自我理想が空虚であるというのが言い過ぎであるなら、「みせかけsemblant」としてのサンブランを介しての自我ー理想自我のあいだを揺れ動くナルシシズム(「私に似た」他の人々、競争や相互承認といった鏡像的関係を結ぶ私の同類たちとの湿った瞳の交し合いやら頷き合い、羨望など)による共犯的融合関係が安易に生まれてしまうということだ。すなわち自我理想としてのたとえば「理念」をまともに問うことのない仲間たちの集団。そこから村八分としての「仲間はずれ」がほとんど無意味な形式的差異によって生じる。(参照:いつのまにかそう成る「会社主義corporatism」


たとえば、次の図は、ラカン派精神分析医の藤田博史氏のものだが、日本的ファンタスムのありようを示している。





通常の(いわゆる従来の西欧の)「幻想=ファンタスム」$→aの式を分解すれば、、$ ー (-φ) ー Φ ー A ー aとなる(参照:「みせかけsemblant」の国)。

すなわち「斜線を引かれた主体=無意識の主体」$は、φ (自我 le moi )あるいは-φ(理想自我)の母子の想像的関係が象徴的ファルス(「父」)に介入されることによって、 大文字の A (超自我 le sur moi )に接続し、その彼方の小文字の a (永遠に到達できない愛)に向かう。

だが、日本的な幻想の場合はーーおそらく日本だけではなく「父なき時代」は世界的にその傾向があるのだろうが、今はその議論は割愛ーー、 $ーφーAsー-φーa という Φ を回避した流れがある。すなわち、本来 A に隠喩作用を及ぼしている Φ を経ず、φ が直接 As(見せかけの大文字の他者) に接続されることによって、世界が自我との一対一の関係の中で意味を持ってくるようになる。この結果、自我の投影のみによる特異な世界が構築されてしまう。これは、ラカンの娘婿ジャック=アラン・ミレールによる「二十世紀の神経症の時代から二十一世紀のふつうの精神病の時代へ」の「ふつうの精神病」的あり方とほとんど同じである(参照:ラカン派の「ふつうの精神病」概念をめぐって)。

そもそも「ふつうの精神病」概念などといささか厄介なことを言わないまでも、ラカン派では「精神病」とは想像的なものである。

セミネール III でさえ、 ラカンは精神病を本質的に想像的なものによって定義していました。ラカンはある意味、精神病と想像的なものは等価であると考えていたのです。ラカンの著作における想像的なものは、このように精神病的なものでありますから、鏡像段階をパラノイアの記述として読み直すこともできるでしょう。すなわち、他者との基礎的な衝突があり、それは他者が私の役割を強奪していくからである、と。鏡像段階は投影によって構造化されているのです。主体の天然のパラノイア、想像的レベルに位置する主体、正常性(象徴的正常性)へと加入することを許可する象徴的秩序、をラカンはたびたび強調していました。しかし最後には、ラカンは精神病的主体はまったく正常であると喜んでいうようになりました。これは、アブノーマルなのは象徴的秩序の方であり、人間の性質は基本的にパラノイア的であるということを意味しています。(ミレール『ラカンの臨床パースペクティヴへの導入』

とするなら、日本はその心理的機制の先進国とさえいいうる。かねてから指摘される日本的「共感の共同体」とはほとんどこのメカニズムによる日本的精神構造の現れではないだろうか。

柄谷行人がすでに二十年以上前に指摘している日本人の精神構造に、「排除」、あるいは「原抑圧の失敗」という語彙が出てくるが、これはラカン派的には「精神病的」であることを表わしている。

さらに「去勢の否認」という語彙があるが、これはラカン派では「倒錯」を表わす語彙群であり、それが混在しているのは、非専門家としての柄谷行人のご愛嬌である。とはしつつ、現在、ラカン派では、二十一世紀はミレールの「ふつうの精神病」ではなく、「ふつうの倒錯」だという主張する流派(メルマン派)もあり、柄谷行人はこの意味でまったく咎められることはない。瑣末なラカン派内の相剋を超えて、核心をついているとさえいいうる。

日本において、権力の中心はつねに空虚である。だが、それも権力であり、もしかすると、権力の本質である。フーコーは、精神分析の「抑圧」という概念に反対した。その意味では、日本には「抑圧」とそれが生み出す「主体」はない。しかし、ラカン的にいえば、「排除」があるというべきだろう。すなわち、それは原抑圧の失敗であり、去勢の否認である。日本の言説空間は、外からの原理による去勢を排除してしまった分裂病的な空間であるといえるかもしれない。見かけの統合はなされているが、それは実は空虚な形式である。私は、こうした背景に、母系制(厳密には双系制)的なものの残存を見たいと思っている。それは、大陸的な父権的制度と思考を受け入れながらそれを「排除」するという姿勢の反復である。

日本における「権力」は、圧倒的な家父長的権力のモデルにもとづく「権力の表象」からは理解できない。しかし、そのことに批判的にこだわることは、逆にそれに閉じこめられうことに帰結する。フーコーは「日本」を愛さなかった。そして、私がフーコーに共感するのは、具体的に「生」の形態を変える「自由」を楽天(ゲイ)的に求めようとしたことにおいてである。(柄谷行人「フーコーと日本」1992 『ヒューモアとしての唯物論』所収)


さて日本の反差別運動者たちのそれぞれの部族中心主義者(「アーバン・トライバリスト」にて、いがみあいが生じやすいのも、基礎となる理念(自我理想)への問いが充分になされていないことから帰結する機微があるのではないだろうか。あるいは母系的な集団であることによるものではないか。

すなわち彼らは、斎藤環の説明なら「ヤンキー集団」なのである。

與那覇:知性をもっていると思う側は、しばしばヤンキーを「反知性主義」といって叩きがちですけど、反知性主義というのは単なるバカとは違うわけですね。

斎藤:それははっきりと違います。私がよく言ってるのは、ヤンキーの成功者は「地頭がいい」ということです。地頭がいいヤンキーがいちばん日本人では尊敬されると。そこで最近よく挙げるのが白洲次郎です。あのあたりの人がヒーロー像としてはいちばん印象的なんだろうなと思うわけですね。反知性というよりも「反教養主義」に近いかもしれません。

與那覇:反知性主義を単に「お前ら知性ないじゃん」と攻撃してもダメで、「彼らはなぜ、地頭がいいにもかかわらずインテリ的なものを嫌悪するのか」という部分を問わなければならないと。そこで斎藤さんがご著書で示された手がかりが、“ヤンキーはエクリチュール(書かれたもの)的でない”という指摘と、“つっぱったヤンキーは一見マッチョで父性的に見えても、じつは母性的なんだ”という議論の2点だったと思うんです。

斎藤:そうですね。ネオリベというのは基本的に、良くも悪くも父性的な考え方だと思いますが、ヤンキーの場合は「厳しい母性」なんですね。保護的なんですけど、スパルタ的でもあるということ。母性的だからこそ、気合いとかアゲアゲとか、身体性に依拠するんでしょう。彼らにとって真実を担保してくれるものは常に行動であり、行動を可能にしてくれる「夢見る身体」なんです。

與那覇:わかる気がします。父性的というのは、最後は自分から独立させて切り離すということですね。お前とはもう他人だから、一個人として自分の判断で生きていけと。

斎藤:そうです。切断的なものは父性ですね。それで、連続的、包摂的なものを母性と考えれば、厳しい母性がヤンキーだとなる。

與那覇:それは自分の頭で考えたいインテリにとっては、いちばん生きづらい……。

斎藤:生きづらい! そして、日本の大衆にとっては、いちばん心やすらぐということですね。

與那覇:厳しくするくらいなら「ほっといてよ」と思うのに、「でも私に合わせるなら、受け入れてあげるのよ」と追いかけてくる。体罰教師の生徒指導みたいな話ですよね。

斎藤:そうです! 体罰の背景にあるのは母性なんですよ。ルール無き恣意的暴力で包み込もうとする。決してほっといてくれないんですよ。ルールの厳格な適用なら父性的と言えるんですけどね。(「おみこしの熱狂と無責任」気質(中井久夫)、あるいは「ヤンキー」をめぐるメモ


…………

※附記

蓮實重彦の文に、西欧的な「排除と選別」/日本的な「融合と共存」に絡んで、一人称複数代名詞の話が出てきているが、次のような言語もある。


■ 一人称(複数形)
 ベトナム語の「私たち」には、聞き手を含むもの(包括形)と含まないもの(除外系)の二種類があります。


chúng ta:聞き手側を含む「私たち」(包括形)
chúng tôi:聞き手側を含まない「私たち」(除外系)


 例えばあるパーティーに同じ大学のベトナム語科と日本語科の学生が参加しているとします。
 そのうち、ベトナム語科の学生が、

"chúng ta" と言えばパーティーに参加している全員を指し、
"chúng tôi" と言えばベトナム語科の学生のみを指します。

 一方で日本語科の学生が、
"chúng ta" と言えばパーティーに参加している全員を指すことに変わりはありませんが、
"chúng tôi" と言うと日本語科の学生のみを指します。

 ここで、ベトナム語科の学生がある出し物をするとして、「私たちは○○をやります」と言うとき、その「私たち」は話し手の属しているグループ内に範囲が限られるので "chúng tôi" を使います。これとは別に、パーティーの参加者全体を指すときには、話し手のグループ内にとどまらず聞き手も含むために "chúng ta" を使います。(ベトナム語文法



2015年1月20日火曜日

詩人暁方ミセイの「わたし」

以下に詩人暁方ミセイのツイートを引用するが、このツイートの前には、――二日前だがーー次のようなツイートがあるので、たぶんこのイベントのトークをめぐる「密かな」感想なのだろう。

 《ワタリウム美術館に着きました!二時から詩と旅についてのトーク。来てね!》

《本日のワタリウム美術館でのイベント、ありがとうございました!楽しかった!詩のイベントは、もっとお祭りみたいな感じでもいいよね。楽しいって大切だと思うの。おやすみなさい〜。》

暁方ミセイ @kumari_kko

ワ〜ッとはしゃいだあと、よく、その賑やかさが妙に不快に思い出されてしまうよ。実際は楽しく何も問題なんかなくても。たくさんの声の高低、ざわめきから飛び出して聞こえる不愉快な単語、目つき、表情、繰り返し繰り返し、ぐちゃぐちゃになって自分の声でかき消す。

全然なにもわかってもらえてないし、だからといって言い訳みたいに話すつもりもないし、自ら話すほどわかってもらえてないわけではないかもしれない。誰かから見たわたしは、自分で思うわたしと同じくらい、あるいはそれ以上に、わたしなんだろうなあ。

わたしが自分で思うわたしは、みんなと同じ「わたし」なんだ。複雑で、闇の中に色彩がチラチラ飛び交っているような形をしていて、開いていて輪郭がない。だからわたしは、誰も否定しないし、誰もばかにしたりしないよ。恐ろしい、宇宙よりもわけのわからない場所に、意識をおいてる生き物みんな。

どこか、山の奥かどこかに、見えなくなりたいなあと思うことはある。でもいずれは、望まなくてもそうなるから、いまはやる。やれることやる。そんな感じ。

暁方ミセイはなにを言おうとしているのだろう。すこし〈わたくし〉は摑みかねている。が、なにやら繊細な神経をもって生まれてしまった者の孤独感を漂わせているように感じられ、それが〈わたくし〉の胸をうつ。

①《ワ〜ッとはしゃいだあと、よく、その賑やかさが妙に不快に思い出されてしまう》

②《全然なにもわかってもらえてないし、だからといって言い訳みたいに話すつもりもないし、自ら話すほどわかってもらえてないわけではないかもしれない》

 ③《わたしが自分で思うわたしは、みんなと同じ「わたし」なんだ。複雑で、闇の中に色彩がチラチラ飛び交っているような形をしていて、開いていて輪郭がない。だからわたしは、誰も否定しないし、誰もばかにしたりしないよ》

④《どこか、山の奥かどこかに、見えなくなりたいなあと思うことはある》

ーーチベットにたしか何度も旅行している彼女である。

@kumari_kko 2014年10月27日 ただいま…!チベットは補陀落の名に相応しく、いろんな意味で天国に近い場所でした。高山病による高熱と嘔吐で七転八倒した時と、それと戦いつつ海抜3600mで360段の階段や急な上り坂をのぼった時と、断崖絶壁の、下にトラック落ちてる峠を越える時に、もはやこれまでか〜と思った。笑

たぶんこれらの言葉から、若年時にイカれたトーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』にある文と似たようなものを感じとっているのだろう。

認識と創造の苦悩との呪縛から解き放たれ、幸福な凡庸性のうちに生き愛しほめることができたなら。…もう一度やり直す。しかし無駄だろう。やはり今と同 じことになってしまうだろう。-すべてはまたこれまでと同じことになってしまうだろう。なぜならある種の人々はどうしたって迷路に踏み込んでしまうから だ。
私は、偉大で魔力的な美の小道で数々の冒険を仕遂げて、『人間』を軽蔑する誇りかな冷たい人たちに目をみはります。-けれども羨みはしません。なぜならもし何かあるものに、文士を詩人に変える力があるならば、それはほかならぬ人間的なもの、生命あるもの、平凡なものへの、この私の俗人的愛情なのですから。 すべての暖かさ、すべての善意、すべての諧謔はみなこの感情から流れ出てくるのです。


それ以外も暁方ミセイは一人称単数代名詞「わたし」をめぐって語っている。

《誰かから見たわたしは、自分で思うわたしと同じくらい、あるいはそれ以上に、わたしなんだろうなあ。》

《わたしが自分で思うわたしは、みんなと同じ「わたし」なんだ。複雑で、闇の中に色彩がチラチラ飛び交っているような形をしていて、開いていて輪郭がない》

これはおそらく古井由吉の問いと同じような話ではないか。

古井由吉の文章 @furuiyo
一人称の問題があると。それは当然二人称、三人称との関連になります。そうすると、歴史の問題じゃないかと思うわけね。その言語圏がどういう闘争を経てきたかという、それによるんじゃないかしら。(「文芸思潮」2010初夏)

日本の中世近世からずっと見ると、それほど強い内部的な抗争は経てないというふうに思える。とにかく自他の区別をはっきりしないと、どうつけこまれるかわかりゃしないっていうような、そういうことが少なかったんでしょうね。その中で文章が丸く完成していった。(「文芸思潮」2010初夏)

で、近代に入ってからも、どっちかっていうと集団でふるまうでしょ。だからひょっとして「私」っていう立場が歴史的に薄いんじゃないか。それが今も続いて、お陰さまで経済成長が楽に行ったということになるか(笑)。(「文芸思潮」2010初夏)

これからどうするんだろうね。僕なんかもう残りの年が少ないから、もういいやと思っているけど、若い人はどうするんだろう。主語をはっきりさせて日本語が成り立つかどうかの問題があるんですよね。(「文芸思潮」2010初夏)

社会生活の中で「私」っていうのは、自分は何者かということでしょ? 個人のことでもなくてね、その親の代から祖父の代から何者であるかっていうことのはずなんですよ。(「文芸思潮」2010初夏)

で、文学はそれだけだったら駄目なはずですよね。そこで「私」に関するフィクションが出てくるんだと思うんです。ただ、フィクションと現実との間にどういう緊張があるかということではありませんか。「私」とは険しいものでね。(「文芸思潮」2010初夏)

※参照:日本語と下からの目線

日本人は相手のことを気にしながら発言するという時、それは単に心理的なものである以上に、人間関係そのもの、言語構成そのものがそういう構造をもっているのである。(森有正全集12 P86-87 )
言語は集団的なものです。だから、個人は言語の習得を通して、集団的な経験を継承するということができる。つまり、言語の経験から出発すれば、集団心理学と個人心理学の関係という厄介な問題を免れるのです。ラカンは、人が言語を習得することを、ある決定的な飛躍として、つまり、「象徴界」に入ることとしてとらえました。その場合、言語が集団的な経験であり、過去から連綿と受け継がれているとすれば、個人に、集団的なものが存在するということができます。

このことは、たとえば、日本人あるいは日本文化の特性を見ようとする場合、それを意識あるいは観念のレベルではなく、言語的なレベルで見ればよい、ということを示唆します。(柄谷行人「日本精神分析再考(講演)(2008)」)

…………

ところで、あの2011年春の事故の二年目の「追悼」の日、この若い詩人が次のように呟いていた。

@kumari_kko: 「東北が被災した」と思うことに、まず断絶を生む原因があると思う。被災したのはわたしたちで、日本だと、感じられたらいいよね。そして本当にはそうなんだけどね。

@kumari_kko: いや、それはわたしが特に、自分のことだと思わないと無関心になりがちな人間だからなのかもしれないけど!去年、一人で中国にいて、新聞のトップ記事が追悼記事だったの。嬉しいなと素直に思えた。

このツイートを読んでから、彼女の本業だけでなく、ツイートにも注視するようになった。

わたくしは、彼女の詩集が手元にあるわけではなく、すなわち彼女の詩を多く読んでいるわけではないが、いくつかのインターンネット上で読むことができる暁方ミセイの詩の断片を好む、いやとても「ひどく」好む詩がある(参照:逃げ水と海へ向かう道)。すくなくとも若い詩人たちのなかでは、すでにナンバーワンの書き手であるとの「錯覚」に閉じこもり得ている。しかもそれは「すくなくとも」であり、ほとんど「日本現代詩人のなかで」、と口が滑りそうになってしまう。


さて、《フィクションと現実との間にどういう緊張があるか》と上に引用された古井由吉の文にあったので、かさねて《自分が見る、自分を見る、見られた自分は見られることによって変わるわけです。見た自分は、見たことによって、また変わる。》(古井由吉『「私」という白道』)、あるいは次ぎの文を引用しておこう。

「私」が「私」を客観する時の、その主体も「私」ですね。客体としての「私」があって、主体としての「私」がある。客体としての「私」を分解していけば、当然、主体としての「私」も分解しなくてはならない。主体としての「私」がアルキメデスの支点みたいな、系からはずれた所にいるわけではないんで、自分を分析していくぶんだけ、分析していく自分もやはり変質していく。ひょっとして「私」というのは、ある程度以上は客観できないもの、分解できない何ものかなのかもしれない。しかし「私」を分解していくというのも近代の文学においては宿命みたいなもので、「私」を描く以上は分解に向かう。その時、主体としての「私」はどこにあるのか。(中略)この「私」をどう限定するか。「私」を超えるものにどういう態度をとるか。それによって現代の文体は決まってくると思うんです。 (古井由吉『ムージル観念のエロス(作家の方法)』)

かつまた谷川俊太郎の一人称単数代名詞の扱いをめぐる文を附記しておこう(「フィクションの一人称単数代名詞(谷川俊太郎)」より)。


◆「私」 谷川俊太郎


 四十余年前、主に「僕」という一人称を使って私は詩を書き始めました。ふだんも私は僕と言っていて、友人同士のあいだではときに俺になることもあったにしろ、それはごく自然な選択だったと思います。作品における一人称と現実の私とのあいだに、ほとんど距離はなかったと見ていいでしょう。第二詩集である「六十二のソネット」では一人称は「私」に統一されています。どうして「僕」を「私」に変えたのか、はっきりした記憶はありませんが、もしかすると一種の背伸びだったのかもしれない。本来はなかったであろう「僕」のニュアンス、いささか子どもっぽい、ときにはカマトトともとられかねない感じが一九五〇年代にはもうあって、それを避けたかったのでしょう。

 それ以後の作では「僕」「私」「俺」などが混在しています。作品の中に作者、すなわち私自身ではない主人公が登場し始めたということもありますが、その主人公が直接話法で語らない場合にも、詩を書いている私と、詩の中の私とのあいだに一篇一篇の作によって異なるにしろ微妙な距離がでてきたことがその理由でしょう。つまり詩を一種のフィクションとして書くことを、私は知らず知らずのうちに覚えたと言えます。しかしこのことはこういう単純な説明では解明できない、詩というものの本質にかかわっています。私はいまだに一貫した一人称を用いることが出来ず、一篇の作を書き始めるごとに、どんな一人称にしようか迷うことが多いのです。

 近作「世間知ラズ」と「モーツァルトを聴く人」では「ぼく」が使われていて、それは当時の私の気分による、意識的な選択でした。「私」に比べると「ぼく」は一種の傷つきやすさがあり、その頼りなさが私には必要だった。その「ぼく」は「二十億光年の孤独」の中の「僕」とは違うと私は考えています。

 一篇の詩とその作者である詩人との関係は、ふつう考えられているよりはるかに複雑微妙で流動的です。一篇の詩はたしかにその作者の現実生活なしでは生まれてこないものですが、その詩に述べられた考えや感情が、そのまま作者である詩人が現実に抱いたものであるかと言えば、そうは言えないことも多いのです。詩は思想を伝える道具ではないし、意見を述べる場でもない、またそれはいわゆる自己表現のための手段でもないのです。詩において言葉は「物」にならなければならないとはよく言われることですが、もしそうであるとすれば、たとえば一個の美しい細工の小箱を前にするときと同じような態度が、読者には必要とされるのではないでしょうか。そこでは言葉は木材のような材質としてとらえられ、それを削り、磨き、美しく組み合わせる技術が詩人に求められる倫理ともいうべきものであり、そこに確固として存在している事実こそが、詩の文体の強さであるはずです。作者である詩人は「形」の中にひそんでいる。何かを言いたいから書いたのだという視点からだけでは、詩の中の「私」はとらえられないと思いますし、詩に書かれている内容をもとにして、詩人の正邪を断罪するのも公平でないと思う。とは言うものの、詩が散文による書き物と違って、この世の道徳的判断からまったく免責されているというふうには私も考えていません。詩人はたぶん現実世界から見れば不道徳な存在とならざるをえない一面をもっていて、その自覚なしには彼ないし彼女はこの世に生きてはいけないのです。自らのいかがわしさを通して、詩人は世間にむすびつくと今の私は考えています。







2015年1月19日月曜日

わたくしは八つ裂きにされたいという気はない

二十 完全な女性は、ささやかな罪をおかすがごときに文学をやる、すなわち、こころみに、通りすがりに、はたして誰かが気づくかどうかと、誰かが気づくために、あたりを見廻しながら・ ・ ・(ニーチェ「箴言と矢」『偶像の黄昏』所収  原佑訳)
二七

「この肖像はうっとりするほど美しい……」・ ・ ・文学女性は、不満で、興奮していて、心と内臓が荒み、その組織の深みから「子供か本か」aut liberi aut libriとささやく命令に痛ましい好奇心をいだいていつも耳を傾けている。すなわち、文学女性は、自然がラテン語で語るときでさえ、自然の声を理解するほどの教養がありながら、他方、ひそかにフランス語でも独りごとを言うほどに、見栄坊で鵞鳥である。「私は自分を見、私は自分を読み、私は自分にうっとりし、そして私はこう言う、私にこれほどの才気があるということがありうるであろうか?」(ニーチェ「或る反時代的人間の遊撃」同上『偶像の黄昏』所収)

――とのニーチェの言葉は、次の三島由紀夫によって次の如く変奏されていると言ってよいだろう。

女性の困った性質として、芸術が自分を高めてくれる、という考えに熱中するあまり、すっかり自分が高まっちゃった、と思い込むことであります。(三島由紀夫「反貞女大学」)

もちろんこれらはわたくしの見解と同じくするわけではマッタくない。わたくしは八つ裂きにされたいという気はない。

ーー幸いにしてわたしには、八つ裂きにされたいという気はない。完全な女は、愛する者を引き裂くのだ ……わたしは、そういう愛らしい狂乱女〔メナーデ〕たちを知っている ……ああ、なんという危険な、足音をたてない、地中にかくれ住む、小さな猛獣だろう! しかも実にかわいい! ……ひとりの小さな女であっても、復讐の一念に駆られると、運命そのものを突き倒しかねない。 ――女は男よりはるかに邪悪である、またはるかに利口だ。女に善意が認められるなら、それはすでに、女としての退化の現われの一つである ……すべての、いわゆる「美しき魂」の所有者には、生理的欠陥がその根底にあるーーこれ以上は言うまい。話が、医学的(半ば露骨)になってしまうから。男女同権のために戦うなどとは、病気の徴候でさえある。医者なら誰でもそれを知っている。 ――女は、ほんとうに女であればあるほど、権利などもちたくないと、あらがうものだ。両性間の自然の状態、すなわち、あの永遠の戦いは、女の方に断然優位を与えているのだから。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

そもそもヴァージニア・ウルフの次のような言葉があるではないか。

・女性は過去何世紀もの間、男性の姿を実物の二倍の大きさに映してみせるえも言われぬ魔力を備えた鏡の役目を果してきた。

・文明社会における用途が何であろうと、鏡はすべての暴力的、英雄的行為には欠かせないものである。ナポレオンとムッソリーニがともに女性の劣等性をあれほど力説するのはそのためである。女性が劣っていないとすると、男性の姿は大きくならないからである。女性が男性からこうもたびたび必要とされるわけも、これである程度は納得がいく。また男性が女性の批判にあうとき、あれほど落ち着きを失うことも、あるいはまた、女性が男性にむかってこの本は良くないとか、この絵は迫力がないなどと言おうものなら、同じ批判を男性から受けるときとは段違いの絶えがたい苦痛を与え、激しい怒りをかきたてるわけも、これで納得がいく。

・つまり、女性が真実を語り始めたら最後、鏡に映る男性の姿は小さくなり、人生への適応力が減少してしまうのである。もし男性が朝食の時と夕食の時に、実物よりは少なくとも二倍は大きい自分の姿を見ることができないなら、どうやって今後とも判決を下したり、未開人を教化したり、法律を制定したり、書物を著したり、盛装して宴会におもむき、席上で熱弁をふるうなどということができようか?そんなことを私は、パンを小さくちぎり、コーヒーをかきまわし、往来する人々を見ながら考えていた。

・鏡に映る幻影は活力を充たし、神経系統に刺激を与えてくれるのだから、きわめて重要である。男性からこれを取り除いてみよ、彼は、コカインを奪われた麻薬常用者よろしく、生命を落としかねない。この幻影の魔力のおかげで、と私は窓の外を見やりながら考えた、人類の半数は胸を張り、大股で仕事におもむこうとしているのである。ああいう人たちは毎朝幻影の快い光線に包まれて帽子をかぶり、コートを着るのだ。(ヴァージニア・ウルフ『私ひとりの部屋』)

…………

さてなんの話かといえば、実は冒頭の二つ目に引用した「或る反時代的人間の遊撃」の二七番の前にある次の文を掲げようとしたかっただけである。

二五

人間に甘んじ、おのれの心の門戸を開放しておくこと、これは寛大ではあるが、しかしたんに寛大であるにすぎない。来客を高貴に厚遇することのできる心は、多くのカーテンをおろした窓や閉めきった鎧戸があることで知られるものである。すなわち、その最上の部屋をこの心は空けておく。いったいどうして? ――というのは、「甘んずる」のではない来客をこの心は持っているからである・ ・ ・
二六

おのれの心中を打ち明けるときには、私たちはもはやおのれを十分尊重していない。私たちの本来的な体験は徹頭徹尾饒舌的なものではない。それは、たとえそうしようと欲しても、おのれ自身を伝達することはできないであろう。これは、そういう体験には言葉が欠けているためである。それをあらわす言葉を私たちがもっているもの、そうしたものを私たちはすでに脱け出ている。すべて語ることのうちには一粒の軽蔑がある。言葉は、思うに、平均的なもの、中位のもの、伝達のきくもののためにのみ発明されたものにすぎない。言葉でもってすでに話者はおのれを通俗化している。――聾唖者やその他の哲学者どものための道徳から。

これも日本の書き手による変奏がある、たとえば《心を寄せていた異性の名を口にできないのとおなじように、ほんとうに好きな作家、好きだった詩人の名はぜったいに明かせない》(堀江敏幸『河岸忘日抄』)であったり、《まもなく、私の二十年来の友人が須賀敦子さんを”発見”した。私たちは、少年が秘密の宝を共有するように、須賀さんの作品について、声をひそめるような感じで語り合った。ひとにはむしろ触れ回りたくなかった。》(中井久夫『須賀敦子さんの思い出』)などと。

さて二七番に書かれる「私は自分を見、私は自分を読み、私は自分にうっとりし」云々は、この文脈の流れのなかにある。すなわち女性たちは、--それは最近では女性だけではないがーー《「この肖像はうっとりするほど美しい……」・ ・ ・》など連発してしまうのだろうか? いや捏造された疑問符はやめにするなら、自分を見せびらかしているわけだ、あれらツイッターでの「芸術的な」女性たちは。そしてその「厚顔無恥な」--シツレイ!--媚態にまんまと騙されてしまう男どもも、いまだ数多棲息する。

だがそれもいたし方ないのだろう。

フロイトは、『ナルシシズム入門』で、《ある人物のナルシシズムは、自己のナルシシズムを最大限に放棄して対象愛を求めようとしている他のひとびとにとっては非常な魅力をもつものだ》などと書いているが、他人のナルシシズムに魅惑される人もいるし、わたくしのようにその腐臭に鼻を抓んでばかりいる人間もいる。

このフロイトの言葉を「斜めから」読めば、わたくしは自己のナルシシズムを放棄していないということになるのかもしれない。

かつまた何度も引用しているが、《男の幸福は、「われは欲する」である。女の幸福は、「かれは欲する」ということである》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)という男と女の本性は、いくら時代が移り変わろうと、大きく変わりようがあるはずはない……、ーーいやこうも引用しておこう。

社会と文化における女であることと男であることのステレオタイプが、劇的な変容の渦中……。男たちは情緒を自在に解放するように促されています、愛すること、そして女性化することさえも。女たちは、反対に、ある種の「男性化への圧力」に晒されています。法的な平等化の名の下に、女たちは「わたしたちも」といい続けるようにかりたてられています。(Jacques-Alain Miller: On Love
現在の真の社会的危機は、男のアイデンティティである、――すなわち男であるというのはどんな意味かという問い。女性たちは多少の差はあるにしろ、男性の領域に侵入している、女性のアイディンティティを失うことなしに社会生活における「男性的」役割を果たしている。他方、男性の女性の「親密さ」への領域への侵出は、はるかにトラウマ的な様相を呈している。

The true social crisis today is the crisis of male identity, of “what it means to be a man”: women are more or less successfully invading man's territory, assuming male functions in social life without losing their feminine identity, while the obverse process, the male (re)conquest of the “feminine” territory of intimacy, is far more traumatic.(Élisabeth Badinter
男たちはセックス戦争において新しい静かな犠牲者だ。彼らは、抗議の泣き言を洩らすこともできず、継続的に、女たちの貶められ、侮辱されている。

men were the new silent victims in the sex war, "continually demeaned and insulted" by women without a whimper of protest.(Doris Lessing 「Lay off men, Lessing tells feminists

英国作家ドリス・レッシングは、かつてはフェミニストの闘士であり、2007年にノーベル文学賞を受賞している。

とはいえ、すなわち《女であることと男であることのステレオタイプが、劇的な変容の渦中》であるとはいえ、次のような現象はいまだ大きく変わっていないのではないか?

男がカフェに坐っている。そしてカップルが通り過ぎてゆくのを見る。彼はその女が魅力的であるのを見出し、女を見つめる。これは男性の欲望への関わりの典型的な例だろう。彼の関心は女の上にあり、彼女を「持ちたい」(所有したい)。同じ状況の女は、異なった態度をとる(Darian Leader(1996フロイト派の英国精神分析医:引用者)の観察によれば)。彼女は男に魅惑されているかもしれない。だがそれにもかかわらずその男とともにいる女を見るのにより多くの時間を費やす。なぜそうなのか? 女の欲望への関係は男とは異なる。単純に欲望の対象を所有したいという願望ではないのだ。そうではなく、通り過ぎていった女があの男に欲望にされたのはなぜなのかを知りたいのである。彼女の欲望への関係は、男の欲望のシニフィアンになることについてなのである。(”Love in a Time of Loneliness  THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE ”Paul Verhaeghe 私訳)
男は自分の幻想の枠にフィットする女を欲望する。他方、女は自分の欲望をはるかに徹底的に男のなかに疎外する(男のなかに向ける)。女の欲望は男に欲望される対象になることである。すなわち男の幻想の枠にフィットすることであり、女は自身を、他者の眼を通して見ようとするのだ。“他者は彼女/私のなかになにを見ているのかしら?” という問いにたえまなく煩わせられている。しかしながら、女は、それと同時に、はるかにパートナーに依存することが少ないのだ。というのは彼女の究極的なパートナーは、他の人間、彼女の欲望の対象(男)ではなく、ギャップ自体、パートナーからの距離なのだから。そのギャップ自体に、女性の享楽の場所がある。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』私訳)