このブログを検索

2015年1月7日水曜日

メモ:「被害者意識」(蓮池透氏)

蓮池透氏(元「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」事務局長)の発言だが、どこの新聞記事からかは、判然としない。

C.R.A.C. ‏@cracjpn

「日本社会は被害者ファンタジーのようなものを共有していて、そこからはみ出すと排除の論理にさらされる。被害者意識の高進が、狭量な社会を生んでいるのではないでしょうか」RT@daisumatsu: pic.twitter.com/j9Zlcatv6X






以下、一部抜粋。

2002年9月17日、小泉首相が訪問し、北朝鮮が拉致を認めました。その時、私たち家族だけではなく、日本社会全体が「俺たちは被害者だ」という感情を持ったと思います。昔は社会的には小さな問題だったんです。拉致なんて言葉もなく、私たちの訴えに耳を貸してくれる人はほとんどいなかった。それがあの日を境に一変し、「被害者がかわいそう」から「北朝鮮を制裁しろ」まで一気でしたね。ずっと加害者だと言われ続けてきた、その鬱屈から解き放たれ、あえて言うと、偏狭なナショナリズムができあがってしまったと思います。

被害者意識というのはやっかいなものです。私も、被害者なのだから何を言っても許されるというある種の全能感と権力性を有してしまった時期があります。時のヒーローでしかたらね。国会議員に写真撮影を求められたり、後援会に呼ばれたりして、接触してくるのは右寄りの方たちばかりでしたから、改憲派の集会に引っ張り出され、訳もわからず「憲法9条が拉致問題解決の足かせになっている」という趣旨の発言をしたこともあります。調子に乗っちゃったんです。

被害者意識は自己増殖します。本来、政治家はそれを抑えるべきなのに、むしろあおっています。北朝鮮を「敵」だと名指しして国民の結束を高める。為政者にとっては、北朝鮮が「敵」でいてくれると都合がいいのかもしれません。しかし対話や交渉はますます困難となり、拉致問題の解決は遠のくばかりです。

拉致問題を解決するには、日本はまず過去の戦争責任に向き合わなければならないはずです。しかし棚上げ、先送り、その場しのぎが日本政治の習い性となっている。拉致も原発も経済政策も、みんなそうじゃないですか。

(……)日本社会は被害者ファンタジーのようなものを共有していて、そこからはみ出すと排除の論理にさらされる。被害者意識の高進が、狭量な社会を生んでいるのではないでしょうか。

調子に乗っていた当時の自分を振り返ると、恥ずかしい。だけど日本社会は今も、あの時の自分と同じように謙虚さを失い、調子に乗ったままなのではないかと思います。

…………

「被害者意識の自己増殖」、あるいは「謙虚さを失い」という核となる言葉に反応するようにして、以前に写し取った中井久夫の文章を併せて掲げる。

……被害者の側に立つこと、被害者との同一視は、私たちの荷を軽くしてくれ、私たちの加害者的側面を一時忘れさせ、私たちを正義の側に立たせてくれる。それは、たとえば、過去の戦争における加害者としての日本の人間であるという事実の忘却である。その他にもいろいろあるかもしれない。その昇華ということもありうる。

社会的にも、現在、わが国におけるほとんど唯一の国民的一致点は「被害者の尊重」である。これに反対するものはいない。ではなぜ、たとえば犯罪被害者が無視されてきたのか。司法からすれば、犯罪とは国家共同体に対してなされるものであり(ゼーリヒ『犯罪学』)、被害者は極言すれば、反国家的行為の単なる舞台であり、せいぜい証言者にすぎなかった。その一面性を問題にするのでなければ、表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・外傷・記憶』所収)

「小泉時代が終わって安倍が首相になったね。何がどう変るのかな」

「首相が若くて貴公子然としていて未知数で名門の出で、父親が有名な政治家でありながら志を得ないで早世している点では近衛文麿を思わせるかな。しかし、近衛のように、性格は弱いのにタカ派を気取り、大言壮語して日本を深みに引きずり込むようなことはないと信じたい。総じて新任の首相に対する批判をしばらく控えるのは礼儀である」

「しかし、首相はともかく、今の日本はいやに傲慢になったね。対外的にも対内的にもだ」

「たとえば格差是認か。大企業の前会長や首相までが、それを言っているのは可愛くない。“ごくろうさま”ぐらい言え。派遣社員もだけど、正社員も過密労働と低収入で大変だ。……」(中井久夫「安部政権発足に思う」ーー2006.9.30神戸新聞「清陰星雨」初出『日時計の影』所収)


2015年1月6日火曜日

君があらゆる悪をなしうることを信ずる。それゆえに君から善を期待する

まずは、プラトン『国家』(藤沢令夫訳)から引用してみよう。

アデイマントス)生まれつき不正を忌み嫌うような性質を神から授かっているか、あるいは知を得て不正から身を遠ざける人の場合は例外として、一般には、みずからすすんで正しい人間であろうとする者など一人もいないのだ、ただ勇気がなかったり、年を取っていたり、その他何らかの弱さをもっていたりするために、不正行為を非難するけれども、それは要するに、不正をはたらくだけの力が自分にないからなのだ(366D)

ニーチェは、プラトンやソクラテスの思想について、賛否混淆のニュアンス溢れることを言っているのだが、すくなくともこのアデイマントスの発言は、「ルソー派とニーチェ派」で引用した次の言葉の、あたかも起源のひとつであるかのようだ。

まことに、わたしはしばしばあの虚弱者たちを笑った。かれらは、自分の手足が弱々しく萎えているので、自分を善良だと思っている。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)

だがニーチェから読みとるべき肝腎な点は、 《不正をはたらくだけの力》=攻撃欲動が己れに反転して自己統禦の力となるということである。

たとえば、浅田彰はフロイトの死の欲動、あるいはニーチェの権力への意志、さらにはフーコーやドゥルーズのニーチェ解釈から、《力が自由に展開されるとき、それが自分自身に回帰して、自分自身を律するようになる》と読み取っているわけだ(同「ルソー派とニーチェ派」参照)。もちろん浅田彰はフーコーの『性の歴史』におけるギリシア文化における欲動の節制(自己陶冶)やら克己Enkrateia、節制Sophrosyneの概念などを想起しつつこのように語っているはずだ。

われわれの攻撃欲動を無力化するため、どんな方法がとられているだろうか。…われわれの攻撃欲動を取りこみ、内面化する方法である。しかし実のところこれは、攻撃欲動をその発祥地へ送り返すこと、つまり自分自身へと向けることに他ならない。(フロイト『文化への不満』フロイト著作集3 人文書院)
粗野で自由で漂泊的な人間のあの諸本能に悉く廻れ右をさせ、それらを人間自身の方へ向かわせた。敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、――これらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、これこそ「良心の疚しさ」の起源である。(ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳)

同じ『ツァラトゥストラ』における、《わたしは君があらゆる悪をなしうることを信ずる。それゆえにわたしは君から善を期待するのだ》とは、この解釈の光の下で読むべきだろう。

これにはかねてより数多くの変奏がある。たとえば熱心なプラトン読みであったアランは次のように言っている。

節制ということが勇気の妹ということ……この妹は勇気ほど尊敬されない。なぜか。けだし、節制はつねに拒否へとかたむくもので、それゆえこれは、充分欲しないということからも、あるいは結果をあまりおそれすぎるということからも生じうるものなのだから。だが、そうしたものはすこしも力ではない。すこしも徳ではない。吝嗇家が節制なのは、自分の生活の節約と一種の心のまずしさによってである。(アラン「四つの徳」

もっとも上の文と対照させるために、《生まれつきよく出来た人といわれている人間は、自己統御をまったく怠ると、最悪のところまで、しかもひとより早く達することが、しばしばある》(アラン)とも抜き出しておこう。すなわち「<力>への意志」の器の大きな人間は、場合によっては最悪の処へ突き進んでいく。

ここで、日本の「思想家」の言葉を拾ってもよい。

「枯淡」は衰えの美称にすぎず、「老成円熟」は積年の習慣の言い換えにすぎないだろう。(加藤周一「老年について 」1997)
停滞をとりあえず成熟と呼ぶことで、みんながおのれの貧しさを肯定しあ(う)(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

ところで、われわれは次ぎの文をどう読むべきだろうか。

いたわりつつ殺す手を見たことのない者は、人生をきびしく見た人ではない。(ニーチェ『善悪の彼岸』竹山道雄訳)

Man hat schlecht dem leben zugeschaut, wenn man nicht auch die Hand gesehn hat, die auf eine schonende Weise - tödtet.

読んでいない著者や著作の断片を無闇に貼り付けるのは、あまり好まないのだが、次のような見解をウェブ上から拾ったので、ここに示しておこう。

なぜ人を殺してはいけないのか。これまでその問いに対して出された答えはすべて嘘である。道徳哲学者や倫理学者は、こぞってまことしやかな嘘を語ってきた。ほんとうの答えは、はっきりしている。「重罰になる可能性をも考慮に入れて、どうしても殺したければやむをえない」―誰も公共の場で口にしないとはいえ、これがほんとうの答えである。だが、ある意味では、これは、誰もが知っている自明の真理にすぎないのではあるまいか。ニーチェはこの自明の真理をあえて語ったのであろうか。そうではない。彼は、それ以上のことを語ったのである。(中略)ニーチェは「重罰になる可能性をも考慮に入れて、どうしても殺したければやむをえない」と言ったのではない。彼は、「やむをえない」と言ったのではなく、究極的には「そうするべきだ」と言ったのである。(中略)反社会的な善というものがあるのだ。いや、あるどころではない。善とは、最終的・究極的には、反社会的なものである。(永井均『これがニーチェだ』)

《善とは、最終的・究極的には、反社会的なものである》とは、おそらく次ぎのようなことではないか。

行為とは、不可能なことをなす身振りであるだけでなく、可能と思われるものの座標軸そのものを変えてしまう、社会的現実への介入でもあるのだ。行為は善を超えているだけではない。何が善であるのか定義し直すものでもあるのだ。(ジジェク「メランコリーと行為」『批評空間』2001 Ⅲ―1所収

ジジェクのこの小論には次のような文もある。

根源的悪とは、最も極端な場合、規範を乱暴に破ることではなく、パトローギッシュな理由(感性的動因による配慮(罰の恐れ、ナルシシスティックな満足、仲間からの賞賛等々:引用者)から規範に服従することなのである。間違った理由から正しいことを行うこと、自分の利益になるから法に従うということは、たんに法を侵犯するよりもはるかに悪いことなのだ。(ジジェク『メランコリーと行為』)

ここで日本の代表的なユマニスト渡辺一夫の穏やかな言葉をも抜き出しておこう。

秩序は守られねばならず、秩序を乱す人々に対しては、社会的な制裁を当然加えてしかるべきであろう。しかし、その制裁は、あくまでも人間的でなければならぬし、秩序の必要を納得させるような結果を持つ制裁でなければならない。

更にまた、これは忘れられ易い重大なことだと思うが、既成秩序の維持に当たる人々、現存秩序から安寧と福祉とを与えられている人々は、その秩序を乱す人々に制裁を加える権利を持つとともに、自らが恩恵を受けている秩序が果たして永劫に正しいものか、動脈硬化に陥ることはないものかどうかということを深く考え、秩序を乱す人々のなかには、既成秩序の欠陥を人一倍深く感じたり、その欠陥の犠牲になって苦しんでいる人々がいることを、十分に弁える義務を持つべきだろう。(渡辺一夫「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」


社会秩序が動脈硬化に陥っているとき、その既存秩序を破壊しよう、あるいはその秩序の座標軸を変えようとする行為は、その秩序にとっては「悪」とならざるをえないだろう。そもそも殆んどのひとは、《パトローギッシュな理由(感性的動因による配慮(罰の恐れ、ナルシシスティックな満足、仲間からの賞賛等々)から規範に服従》しているだけではないか。

The time is out of joint: O cursed spite,
That ever I was born to set it right,(Hamlet 1.5.189-190)

この世の関節がはずれてしまったのだ。なんの因果か、
それを直す役目を押しつけられるとは!(シェイクスピア 福田恆存訳)
世界はまちがいもなく脱臼してしまっている。暴力的な動きによってのみ、それをふたたびはめ込むことができる。ところが、それに役立つ道具のうちには、ひとつ、小さく、弱くて、軽やかに扱ってやらなきゃならないものがあるはずだ。(ブレヒト『真鍮買い』)

もちろんブレヒトのように繊細な道具を使って「暴力的」な叛旗をひるがえすこともありうる。だがブレヒトのような「美的」な抵抗では効果がなかったら? いまはますますそれでは効果がない時代だろう。

私たちがますますもって必要としているのは、私たち自身に対するある種の暴力なの だということです。イデオロギー的で二重に拘束された窮状から脱出するためには、ある種の暴力的爆発が必要でしょう。これは破壊的なことです。たとえそれが身体的な暴力ではないとしても、それは過度の象徴的な暴力であり、私たちはそれを受け入れなければなりません。そしてこのレヴェルにおいて、現存の社会を本当に変えるためには、 このリベラルな寛容という観点からでは達成できないのではないかと思っています。おそらくそれはより強烈な経験として爆発してしまうでしょう。そして私は、これこそ、 つまり真の変革は苦痛に充ちたものなのだという自覚こそ、今日必要とされているのではないかと考えています 。(『ジジェク自身によるジジェク』)

ジジェクの言っていることは、ニーチェの能動的ニヒリズムの文脈で捉えうるものだ。

ニヒリズム。それは二義的だ。
A 高揚した精神力のしるしとしてのニヒリズム。すなわち能動的ニヒリズム
B 精神力の衰退と退化としてのニヒリズム、すなわち受動的ニヒリズム。(権力 22番 秋山英夫訳)
ニヒリズムは一つの正常な状態である。

それは強さのしるしでありうる。精神力が伸びきつて、これまでの目標(「信念」とか、信仰信条など)が身たけに合わなくなったという場合である。(――というのは、信仰は一般に、ある生物がそのもとで繁栄し、生長し、権力をうるような状況が示す権威に服従すること、すなわち生存の諸条件の強制をあらわすものだからだ。)

他方ニヒリズムはまた、創造的自主的に、あらためて一つの目標を、一つの「何のために」を、一つの信念を打ちたてるにたるだけの強さをもっていないしるしでもある。

能動的ニヒリズムは、破壊の暴力として、その力の最大限に達する

これに対立するのが、もはや攻撃することをしない疲れたニヒリズムであろう。その最も有名な形式は仏教であろう。受動的ニヒリズムとして、弱さのしるしとして。精神力が疲れ、消耗しきってしまった結果、在来の目標や価値が合わなくなり、それがもはや信ぜられなくなるという場合である。――価値と目標の綜合(すべて強い文化はこの綜合にもとづく)が解体して、その結果、個々の価値がたがいに戦いあう、すなわち崩壊することになるのだ。――活気づけ、治療し、安心をあたえ、麻痺させるようなすべてのものが、宗教的とか、道徳的とか、政治的とか、美的とか、その他さまざまの扮装をして、前景に出てくるのだ。(権力 23番)

いまこういったことをやろうとしているグループがようやく出てきたのではないか。すなわち社会秩序の座標軸を変えようとする動きを先導するグループが。ここではつねに、彼らが“退行的な”原始集団の避けがたい帰結、残酷で血腥い破壊的な衝動に絡めとられないかどうかを危惧を覚えつつも、わたくしは《旧「レイシストをしばき隊」<首謀者>野間易通》という男を、彼のやっている事を、あるいはやろうとしている事をーー時に彼の言葉には齟齬を感じることを否定するつもりはないがーー強く支持したい。彼が旧「しばき隊」を一年も経たないうちに解散したのは、集団に生じる退行性の臭気への極度の敏感さのためであると、わたくしは「錯覚」に閉じ篭り得ている。

野間易通@kdxn: ネット上の左派やリベラルが、消化不良のポストモダンで相対主義の泥沼にはまりこみ、「おまえも本当は差別者だ」とお互いを指差し糾弾しあっている間に、難しいこと考えなくていいネトウヨが大増殖、現在に至る。これがこの15年に起きた出来事である。

(2011.9.5 読売新聞)

ツイッター上での発言(罵倒)が過激すぎるって?

野間易通@kdxn 2015.01.06
死ねよゴミ。RT @sangituyama: で、どう関係ないの?RT@kdxn: 「どう関係ないの?」ってそんな質問があるかボケが。「こういう関係がある」と言えない時点でおまえは関係ないんだよ。こんなこといちいち説明させんなオッサン。@sangituyama”

たしかに行き過ぎもあるのかもしれない、だがこうも言っておこう。

《Ever tried. Ever failed. No matter. Try again. Fail again. Fail better.》--Samuel Beckett "Worstward Ho" (1983)

何度やってもダメだって、それがどうしたというんだい? 
もう一度やって、もう一度ダメになればいいじゃねえか。
以前よりマシだったら、それでいいさ(ベケット)


そもそも野間易通氏は次ぎのようにも言っている(@cracjpnの内部は野間氏である)。

C.R.A.C.@cracjpn 2014.12.31
社会学者やヘサヨと呼ばれる頭の悪い人文系院生たちと論争していると、「理論より行動だ」とカウンターが主張していると誤解する人が多いのですが、実際にはアカデミシャンはカウンターの人たちに「おまえの理論は間違っている」と批判されているのです。理論vs行動ではなく理論vs理論です。

ここまで言われて社会学者がダンマリを決め込んでいるのは、あまりにも情けないではないか。

野間易通@kdxn 2014.11.29
ほんと、社会学者はまじめに考えなおしたほうがいいよ。アカデミアに閉じこもって、趣味の同好会じゃないんだからさ。一応、日本の未来に責任を負ってるんじゃないですか?

もっとも、わたくしも一面的に、すなわちあまりにも野間易通サイドに寄りかかりすぎているのかもしれない。

だが加藤周一が四十年以上前、その自伝『羊の歌』で書いたような、ーー《しかじかの理くつにもとづいて、はるかに遠い国の子供たちを気にしなければならぬということではない。彼らが気になるという事実がまずあって、私はその事実から出発する》ーーこれ同じような態度を取っている、すなわち、レイシズムの餌食になっている人たちやネオナチの振舞いがどうしても気になって仕方がないという事実から出発している人間と、そうでない人間ーーたんなる研究対象としている人たちーーの相違というのは大きい。

@gonoi: あれら先生方の言動で不思議なのは、カウンターの一挙手一投足にはダメ出しをしてくるのに、なぜかレイシストには直接対決しにいかないところ。あれでは避けているという印象を与えるし、何よりも説得力がない。RT @cracjpn なめてかかってんだろうね。学会ごと派手に批判してあげます。

ーーこのように書いているわたくし自身、海外からの傍観者にすぎないということは自覚的ではある。わたくし自身、この阿呆、死ね!と言われないかどうかを怖れつつ書いている。ーーだが、言われたっていいじゃないか、《以前よりマシだったら、それでいいさ》(ベケット)

私が思うに、最も傲慢な態度とは「ぼくの言ってることは無条件じゃないよ、ただの仮説さ」などという一見多面的な穏健さの姿勢だ。まったくもっともひどい傲慢さだね。誠実かつ己れを批判に晒す唯一の方法は明確に語り君がどの立場にあるのかを「独断的にdogmatically 」主張することだよ。(「ジジェク自身によるジジェク」私訳)

次のような態度だけは取るまいとは念じている。

@kdxn: 外に出られないとして、なんでツイッターでネトウヨのデマを批判したりネトウヨに攻撃されてるマイノリティをサポートしたりせずに、カウンターの論評ばっかりえんえんとやってんだよってことだよ。RT @heboya: 誰でも彼でも、ほいほい外に出れる人間だと思うなよ!

@kdxn: ひとことでいうと、なんでおまえらえらそうに言うわりになんの役にも立たないの?ってことです。「意図」がないことが問題。本当に無神経だと思う。RT @heboya: 居丈高に要求するような意図はまったくありませんでしたが、そのように感じられたのでしたら、その点申し訳ありませんでした。(野間易通)

やはりネトウヨには、「死ね!」というべきではないか。《とるべき戦略はあのような言い方ができないようにすること》ではないか。そしてネトウヨの繁殖に貢献するような「インテリ」諸子の言説に対しても、徹底抗戦すべきではないか。

たとえば次ぎのような発言をもっともらしく言い放つインテリくんーー彼はたぶん「社会学」者予備軍のつもりなのだろうが、ある意味でマイノリティに属する人間でもあるので、ここではアカウント名を伏せておくがーーを放っておいてよいものだろうか(もちろん彼だけではない、たまたま以前にツイッター上でフォローしていた人物なのでここでその一例として掲げる)。

いじめや差別にも言えることだが――集団的暴力については、メタなスローガンや「思い込み」はどうでもいい。左派が「自分は正義だ」と思い込んだところで、彼らは実際にひどいことをやっている。それは(いわば)唯物論的に検証すべきことで、彼らの自意識はどうでもいい。
差別の再生産装置として、左翼・リベラルの言説こそが、ひどい機能を果たしている。たったこれだけのことすら、まったく論じられていません。

これは、《闘ってるやつらを皮肉な目で傍観しながら、「やれやれ」と肩をすくめてみせる、去勢されたアイロニカルな自意識ね。いまやこれがマジョリティなんだなァ。》(浅田彰『憂国呆談』)とどう異なるのだろう。そもそも《左派が「自分は正義だ」と思い込んだところで、彼らは実際にひどいことをやっている》だって? そしてこの己れの主張は絶対的に「正しい」と思い込んでいる口調がある。かつまた《(いわば)唯物論的に検証すべき》などという戯言を……。


だがこれ以上の批判は慎んでおこう。ただ野間易通の「正義」をめぐるツイートをここではひとつだけ抜き出そう。

@kdxn: 「正義感」というのは、たとえば痴漢にあってる女の人を見たら痴漢を捕まえるとか、無理なら車掌や警察に通報するとか、そういうときの感覚を言う。そう考えると、疑うべき「正義」と疑いのない「正義」があるとわかるはずなのに、「正義感は目を曇らせる」とか言ってるやつはそのへんが雑い。

人はこれに反論できるだろうか。もっとも街頭での《集団いじめへの「選択的非注意」》に浸りきっている連中までを批判するつもりはない。勇気と卑怯は紙一重なのだから。

…………

ここで避けなければならない誘惑は、「公然と自分の(人種差別的、反同性愛的)偏見を認めている敵の方が、人は実は密かに奉じていることを公には否定するという偽善的な態度よりも扱いやすい」という、かつての左翼的な考え方である。この考え方は、外見を維持することのイデオロギー的・政治的意味を、致命的に過小評価している。外見は「単なる外見」ではない。それはそこに関係する人々の、実際の社会象徴的な位置に深い影響を及ぼす。人種差別的態度が、イデオロギー的・政治的言説の主流に許容されるような姿をとったとしたら、それは全体としてのイデオロギー的指導権争いの釣り合いを根底から変動させるだろう。 (……)

 今日、新しい人種差別や女性差別が台頭する中では、とるべき戦略はそのような言い方ができないようにすることであり、それで誰もが、そういう言い方に訴える人は、自動的に自分をおとしめることになる(この宇宙で、ファシズムについて肯定的にふれる人のように)。「アウシュヴィッツで実際に何人が死んだのか」とか「奴隷制のいい面」は何かとか「労働者の集団としての権利を削減する必要性」といったことは論じるべきでないことを強調しておこう。その立場は、ここでは非常にあっけらかんと「教条的」であり「テロリズム的」である。 スラヴォイ・ジジェク『幻想の感染』松浦俊輔訳 p.49-50)

さて、ここまで社会規範の座標軸を変容させる言動の実践者として野間易通氏をいささか過剰に顕揚したが、彼自身はこう言っていることを付け加えておく。

@kdxn 2014.11.14
とはいえ、安倍政権にしろネトウヨにしろ決して復古主義はなく、自分たちのほうが古い左翼的価値観を打破する最新思想だと思っているので、あながち適用できないわけでもないか。ここ何回も強調しとくけど、現在の日本においては保守を名乗る極右こそが革命勢力で、リベラルは反革命/保守勢力です!

だが、野間易通氏は気づかずに、あるいは「無意識的」に、ニーチェの能動的ニヒリズムのような姿勢、すなわち動脈硬化に陥っている既成秩序の座標軸をーー破壊とはいうまいーー、ずらそうとする、社会的現実への介入実践者の「役割」をとりつつある、とわたくしは「斜めから」憶測する。またそれがーー当人が気づいていないのがーー逆に尊いとさえ言い得る。だがこれも過信であるのかもしれない、にもかかわらず敢えてこう書いておこう。

…………

最後に、フロイトとジジェクを交互に並べておこう。

集団内部の個人は、その集団の影響によって彼の精神活動にしばしば深刻な変化をこうむる(……)。彼の情緒は異常にたかまり、彼の知的活動はいちじるしく制限される。そして情緒と知的活動と二つながら、集団の他の個人に明らかに似通ったものになっていく。そしてこれは、個人に固有な衝動の抑制が解除され、個人的傾向の独自な発展を断念することによってのみ達せられる結果である。この、のぞましくない結果は、集団の高度の「組織」によって、少なくとも部分的にはふせがれるといわれたが、集団心理の根本事実である原始的集団における情緒の昂揚と思考の制止という二つの法則は否定されはしない。(フロイト『集団心理学と自我の分析』)
……フロイト自身、ここでは、あまりにも性急すぎる。彼は人為的な集団(教会と軍隊)と“退行的な”原始集団――激越な集団的暴力(リンチや虐殺)に耽る野性的な暴徒のような群れ――に反対する。さらに、フロイトのリベラルな視点では、極右的リンチの群衆と左翼の革命的集団はリピドー的には同一のものとして扱われる。これらの二つの集団は、同じように、破壊的な、あるいは無制限な死の欲動の奔出になすがままになっている、と。フロイトにとっては、あたかも“退行的な”原始集団、典型的には暴徒の破壊的な暴力を働かせるその集団は、社会的なつながり、最も純粋な社会的“死の欲動”の野放しのゼロ度でもあるかのようだ。(ZIZEK『LESS THAN NOTHING』(2012)の最終章(「CONCLUSION: THE POLITICAL SUSPENSION OF THE ETHICAL」)より私意訳
集団の道義を正しく判断するためには、集団の中に個人が寄りあつまると、個人的な抑制がすべて脱落して、太古の遺産として個人の中にまどろんでいたあらゆる残酷で血なまぐさい破壊的な本能が目ざまされて、自由な衝動の満足に駆りたてる、ということを念頭におく必要がある。しかしまた、集団は暗示の影響下にあって、諦念や無私や理想への献身といった高い業績をなしとげる。孤立した個人では、個人的な利益がほとんど唯一の動因であるが、集団の場合には、それが支配力をふるうのはごく稀である。このようにして集団によって個人が道義的になるということができよう(ルボン)。集団の知的な能力は、つねに個人のそれをはるかに下まわるけれども、その倫理的態度は、この水準以下に深く落ちることもあれば、またそれを高く抜きんでることもある。(フロイト『集団心理学と自我の分析』) 
“退行的な”原始集団は最初に来るわけでは決してない。彼らは人為的な集団の勃興の“自然な”基礎ではない。彼らは後に来るのだ、“人為的な”集団を維持するための猥雑な補充物として。このように、退行的な集団とは、象徴的な「法」にたいする超自我のようなものなのだ。象徴的な「法」は服従を要求する一方、超自我は、われわれを「法」に引きつける猥雑な享楽を提供する。(同ジジェク)


もちろんジジェクは、ラカンがフロイトの『集団心理学と自我の分析』を「ヒトラー大躍進への序文」と評したことを忘れているわけではない。

…………

ところで、社会学者やら政治学者やら、あるいはその卵やらがツイッター上でやっているのは、似非能動性の一種ではないか、《人びとは何にでも口を出し、「何かをする」ことに努め、学者たちは無意味な討論に参加する》。

人は何かを変えるために行動するだけでなく、何かが起きるのを阻止するために、つまり何ひとつ変わらないようにするために、行動することもある。これが強迫神経症者の典型的な戦略である。現実界的なことが起きるのを阻止するために、彼は狂ったように能動的になる。たとえばある集団の内部でなんらかの緊張が爆発しそうなとき、強迫神経症者はひっきりなしにしゃべり続ける。そうしないと、気まずい沈黙が支配し、みんながあからさまに緊張に立ち向かってしまうと思うからだ。(……)

今日の進歩的な政治の多くにおいてすら、危険なのは受動性ではなく似非能動性、すなわち能動的に参加しなければならないという強迫感である。人びとは何にでも口を出し、「何かをする」ことに努め、学者たちは無意味な討論に参加する。本当に難しいのは一歩下がって身を引くことである。権力者たちはしばしば沈黙よりも危険な参加をより好む。われわれを対話に引き込み、われわれの不吉な受動性を壊すために。何も変化しないようにするために、われわれは四六時中能動的でいる。このような相互受動的な状態に対する、真の批判への第一歩は、受動性の中に引き篭もり、参加を拒否することだ。この最初の一歩が、真の能動性への、すなわち状況の座標を実際に変化させる行為への道を切り開く。(ジジェク『ラカンはこう読め!』P54)。

もっともツイッターという装置は、誰もがこの罠に嵌りがちであり、そこでは、受動性のなかに引き篭もること、前のめりにならないことは、とても困難ではあるだろう。

われわれに求められるのは、前のめりにならないこと、つまり、このじかに目に飛び込んでくる「主観的」暴力、誰によってなされたかが明確にわかる暴力に目を奪われないことである。われわれに必要なのは、そうした暴力の噴出の背景、その概略をとらえることなのだ。ジジェク(『暴力――6つの斜めからの省察』)

…………

※追記(2015.01.09)

野間易通氏の大きな「弱味」は、経済音痴だということだろう。あるいは「経験」論者でありすぎることか(社会学者はそこをついたらよいのになぜしないのかーー、すなわち彼らもともに経済音痴だからである)。もし経済にすこしでも関心があり、かつ長期的な視野があれば、無闇に「消費税」反対(たとえば共産党支持)などということはありえないはずだ。彼が「政治的」に大きく羽搏くことがありうるなら、その意味ですぐれたブレーンが必要ではある。以下のツイートを本日読んだので、ここに附記しておく。

‏@kdxn
経済の話と日本史の話が始まると、貝のように口を閉ざす。

‏@kdxn
知ったかぶりするネタすら持っていない。

参考:

2015年1月5日月曜日

馬鈴薯、あるいはプラトン・カラターエフの歌うような声

しつもん

ばれいしょの名前の由来(ゆらい)をおしえてください。

質問者:小学生

こたえ

17世紀、中国で、野生種(やせいしゅ)の一種の「アンデイゲナ」とよばれる植物(しょくぶつ)のイモの形が馬の首につける鈴(すず)に似(に)ていることから、「馬鈴薯(ばれいしょ)」と名づけられました。(農林水産省

尿酸値がまた上がり、節制のため、蒸かした馬鈴薯にスパゲッティ用の自家製パジルペーストをつけて食す。ひどく美味なり。セロリに塩胡椒をふりかけオリーブ油に浸したサラダ。山羊のチーズ。全粒粉のパン少々。麦酒は控え赤ワインとす。やや物足りなく、サラミを切ろうかと思案したが思いとどまる。右足首と左膝に、腫れとまではいかないが違和があり、片足ならまだしも、これで悪化したら松葉杖使用も難くなるためなり。

低カロリーであろうイタリア風南蛮漬け、ーーカルピオーネといって、玉葱、セロリ、人参、大蒜をみじん切りにしてオリーブ油で炒めたものに赤ワイン酢をまぜて漬け汁をつくり、わかさぎを揚げて一晩ほど酢漬けする料理ーーを明日以降のためにやや大目に準備(といっても揚げるのは妻がやるのだが、ーー揚げ物を食してもダイジョウブだろうか)。

九月八日、捕虜の収容されている小屋へ、一人の将校がはいってきた。番兵たちがうやうやしい態度をとるところから見ると、よほど身分の高い人らしかった。この将校は司令部づきらしかったが、名簿を手にしてロシア人一同の名前を呼んだ。ピエールのことは「名を言わない者」と言った。(……)

彼のすぐそばに一人の小柄な男が背中をかがめて坐っていた。体を動かすたびに発散する強い汗の匂いで、ピエールは初めからその男の存在に気がついていた。男は暗闇のなかで自分の足をどうかしていた。ピエールは顔こそ見なかったけれど、その男がしじゅう自分を眺めているような気がした。闇のなかをよく見透かしているうちに、ピエールは男が靴を脱いでいることに気がついた。やがて彼はその男のやりかたに興味をいだきはじめた。

男は一方の足を縛った紐を解くと、その紐を丁寧にきちんと巻いて、ちょいちょいピエールを眺めながら、すぐいま一方の足にとりかかった。まだ一方の手は解いた紐をかけているのに、もう一方の手は別の足の紐を解き始めるのであった。こうして少しもぐずぐずせずに、丸みをおびたような、手順のいい動作をつぎつぎとつづけながら、規則ただしく靴を脱いでしまうと、頭の上に打ちつけてある木釘に靴をかけ、さて今度はナイフをとりだして何かを切った後、ナイフをたたんで枕の下に入れた。それから坐りぐあいをなおして、立てた膝を両手で抱きながら、ピエールをまともにじっと見つめた。この手順のいい運動にも、片隅に設けたぐあいのよさそうな世帯ぶりにも、またその男の匂いにさえも、何かしら気持ちのいい安心させるような、丸みをおびたあるもののがピエールに感じられた。で、彼は眼をはなさずにその男を観察していた。
「ねえ、旦那、お前さんはずいぶん不自由な目に会いなさったろうね? え?」突然、小柄な男がこう言った。

その歌うような声のなかには、何ともいえない愛撫と淳朴の表情が響いていたので、ピエールは返事をしようとしたけれど、あごがふるえて涙がこみあげるのを感じた。小柄な男はその瞬間、ピエールに困惑を表わす余裕を与えないで、依然気持ちのいい声で言い出した。
「なあに、旦那、くよくよなさるこたあありませんよ。」例の歌うような、優しい、愛撫のこもった声で彼は言った。それは年とったロシヤの農婦によく見受けられる調子であった。「お前さん、くよくよしなさんな。苦労は一時、暮しは一生だからなあ! え、旦那、そうじゃないかね。現にわしたちもここにこうして暮らしているが、おかげで何もいやな目には会わないよ。おなじ人間でも、悪い人も善い人もあるからね。」と彼は言った。そしてこんなことを言っているうちに、しなやかな身ぶりで膝の上にかがみこみながら起きあがると、咳をしいしいどこかへ行った。
「やあ、こんちくしょう、やってきたな!」バラックの向こうの端で、例の優しい声でこう言うのが、ピエールの耳にはいった。「きたな、ちくしょう、よく覚えているなあ! よし、よし、もうたくさんだよ。」

兵卒はとびつく小犬をおしのけながら、また自分の場所へ帰って腰をおろした。手には何かきれに包んだものをもっていた。
「さあ、旦那、ひとつ食べてごらんなさいよ。」彼はまた以前のうやうやしい語調にかえりながら包みを開け、いくつかの焼いた馬鈴薯をピエールにさし出した。「お昼にはスープがあったけれど、この馬鈴薯もとびきり上等でがすよ!」

ピエールは一日ものを食べなかったので、馬鈴薯の匂いが並はずれてうまそうに思われた。彼は兵卒に例を言って食べにかかった。
「え、そのまま食うのかね?」兵卒はにこにこしながらそう言って、馬鈴薯を一つとった。
「お前さん、こうするもんだよ。」

彼はまた折りこみのナイフを出して、てのひらの上で馬鈴薯をちょうどま二つに切り、きれに包んだ塩をふりかけてピエールにすすめた。
「とびきり上等の馬鈴薯だ。」と彼はくりかえした。「お前さん、こうやって食べてみなさい。」
ピエールは今までこれほどうまいものを、食べたことがないように思われた

「……ときに、わしの名はプラトンで、通り名はカラターエフというんだよ。」

(トルストイ『戦争と平和』(四) 米川正夫訳 岩波文庫 p70-72)

…………

長いあいだ、ジュリアードカルテットアルバン・ベルクカルテットで聴いていたベートーヴェンのop131だがーープルーストの愛したカペーカルテットは味わい深いにもかかららずいかにも古臭い箇所があるーー、ブタペスト弦楽四重奏団の録音にめぐりあって、これはひどくすばらしい演奏にきこえてくる。





この演奏で聴くと、わたくしの愛するフォーレのop121のまるで親戚みたいである。




この二つの曲、あるいは上の二つの演奏に《くらがりにうごめくはっきりしない幼虫》のざわめきを聴いて痺れない人たちとはオトモダチになれない。

……この音楽のなかで、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった、はじめはそういう女たちに似ていることが私にはほとんど見わけられなかった、せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった、ところが、たとえば最初虫の好かなかった相手でも、いったん気持が通じたとなると、思いも設けなかった友人を発見したような気にわれわれがなる、そんな相手に似ているのであった。(プルースト「囚われの女」井上究一郎訳)

それはこういうことでもある。

フローベールは「黄色の印象を与えたい」がために『サランボー』を、「わらじ虫がうようよする片隅のあのカビの色みたいな感じを出したい」がために『ボヴァリー夫人』を書いたらしく、これを聞いただけでもフローベールに好感を抱かざるを得なくなるとブルトンは言っているが、成る程いい感じ。御意。(鈴木創士ツイート)

フォーレは妻への手紙に、「ベートーヴェンの弦楽四重奏は、ベートーヴェンでないすべての作曲家に、弦楽四重奏を怖がらせる」と書いている(1924)。彼は最晩年の死去の前年1923年までピアノなしのカルテットを書くことはなかった(OP.121は1923年から1924年にかけて作曲される)。そして批評家たちにベートーヴェンの影響を指摘されることに心配した。フォーレは最初に第2楽章のアンダンテを書いた。これがOP121の中心であることは疑いない。

※参照:「String Quartet in E minor, Op. 121 Dichotomies of Innovation and Tradition in Gabriel Fauré’s “Swan Song”」Emma Childs  David Grayson Spring 2013

とはいえ、op131の第一曲のIAdagio ma non troppo e molto espressivoや第六曲のAdagio quasi un poco andanteなどを聴けば、フォーレのパクリを聴き取らずにはいられない。

しかもフォーレの作品には、ベートーヴェンの後期の作品にもかすかに残る中期ベートーヴェンの作品に顕著な、ーーさてどうしようかーー、ここは、オレが言うのじゃなくて、ドビュッシー=吉田秀和にお出まし願おう、《あの孤独で不機嫌なつんぼの音楽家は、ほかのどんな美徳を具えていたといしても、趣味の良い人間とは、いえなかったろうから。ドビュッシーのような人は、音楽においてさえ、ベートーヴェンは趣味の上での欠如があったといっている》(吉田秀和『私の好きな曲』)、--その趣味の悪さなど微塵もなく、当時の文化の華の国の極度の洗練と気品がある。

もっともこのop131にベートーヴェンの趣味の悪さを聴き取るのはむずかしい。問題はことさらカルテット15番op132のMolto Adagio - Andanteである"Heiliger Dankgesang eines Genesenen an die Gottheit, in der lydischen Tonart"「リディア旋法による、病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」 だ。ああ、なんという美しい……、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲を聴いたものならまっさきに愛するだろうあの「崇高」さ!

わたくしも気分がよいときは、いまでもこの楽章を愛する。でもあそこには中期の最もベートーヴェン的なるもののかすかな残存があるんじゃないか。ときにーーシニカルな気分のときーーそれが鼻につかないでもない。

彼は、声をあげて泣いていた。その泣き声は泣いている間も、ずっと彼の耳からは離れない。彼は誇張したのだろうか、あれらの中期の作品で。いやそうとまではいうまい。だがその泣き声が、どんな影響をきく人に与えるかを、彼はよく知っていた。(同 吉田秀和)

シツレイ! ベートーヴェンの「感謝の歌」好きのみなさん。ダイジョウブだよ、ゴダールだって『カルメンという名の女』で使ってるからな。でも、あの曲は、何度もくり返して聴くというわけにはいかない作品ではないか。それに対してop131の飽きることのない完璧さ!


「感謝の歌」〔15番)というのは、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏のなかで「一番早く目につく美」なのさ。

ヴァントゥイユのソナタのなかで一番早く目につく美は、またあきられやすい美であり、そうした美がすでに人々に知られている美とあまりちがっていないのも、まず早く目にとまる美だからである。しかしそんな美がわれわれから遠ざかったとき、そのあとからわれわれが愛しはじめるのは、あまり新奇なのでわれわれの精神に混乱しかあたえなかったその構成が、そのときまで識別できないようにしてわれわれに手をふれさせないでいたあの楽節なのである。たが(プルースト「花咲く乙女たちのかげにⅠ」井上究一郎訳)

そしてop131(14番)はつぎのような具合だね。

私はこのソナタがもたらすすべてを時間をかさねてつぎつぎにでなければ好きになれなかったのであって、一度もソナタを全体として所有したことがなかった、このソナタは人生に似ていた。しかし、そうした偉大な傑作は、人生のようには幻滅をもたらすことはないが、それがもっている最上のものをはじめからわれわれにあたえはしない。(同上)

かつてはそれなりに高価なレコードを小遣いをはたいて購入したわけで、最初に馴染めないような曲でも多くの人びとはくり返し聴いてみただろう。が、現在のように音楽が無料でふんだんに手に入るようになってしまえば、そんな努力をすることは稀になる。とすれば一番早く目につく美ばかりを人は追い求めるようになる。これはなにも音楽に限らない。

わたくしが比較的好んで聴く若い弦楽四重奏団エベーヌカルテット(Quatuor Ébène)の連中も、OP131が至高だと言ってるからな。演奏家サイドでいえば、彼らは同じ曲をくり返し演奏せざるをえないわけだから、きっとop132ではなく、op131を選ぶことだろう。





ーーどうしてヴィオラくん欠席なんだろ? まさかこういったわけでもあるまいが。

S.Richter_bot ‏@RichterBot

かつて「ベートーヴェン」の名を冠した弦楽四重奏団があった。そこのヴィオラ奏者は第二ヴァイオリンと口をきかず、何かを伝えたいときには第一ヴァイオリンを介して伝えてもらうかさもなくば紙のメモをやり取りし合うだけだった。(リヒテル)

…………

『この傑作では、すべてが、完璧で、必然で、変更の余地が全くない』と、この曲(ベートーヴェン 作品 131)について賛辞をおしまなかったのは、晩年の死ぬごく前の、ストラヴィンスキーであった。

ストラヴィンスキーという人は、本当におかしな芸術家だった。二十歳そこそこであの最高のバレエ音楽、特に《春の祭典》を書き上げたのち、バッハに帰ったり、ペルゴレージからチャイコフスキーに敬意を表したりした末、晩年にいたって、ヴェーベルンに「音楽の中心点」を見出すに至ったかと思うと、その後長生した数年のあと、いよいよ死ぬ時をまつばかりとみえたころになって、今度はヴェーベルンも、自分の作品も、もうききたくないと言いだし、みんな投げすててしまい、ベートーヴェンに熱烈な賛辞を呈しつつ、死んでいった。これは、どういうことだろう? もっとも、ストラヴィンスキーは、若いころだってベートーヴェンの偉大さを認めてなかったわけではないと、後年、ロバート・クラフトに述懐しているが、しかし、それもまた奇妙な事情の下で、だった。というのは、彼は、一九二二年《ルナール》の初演のあと、招かれていたパーティでマルセル・プルーストに出会った。

『プルーストは、ストラヴィンスキーとは戦前〔第一次大戦〕すでに知りあいになっていたが、〔このパーティで〕最初に口をきいた時、荒れ模様の初演を終えたばかりの大作曲家に呈する質問としては、もっとも無器用な質問を彼にむけたのだった。―― 「ベートーヴェンはお好きですか?」 ――「大嫌いですよ」――「しかし晩年の四重奏曲などは ……」とプルーストは抗議した。「彼が書いたもののなかで最悪の作品ですよ」とストラヴィンスキーはどなった』(ペインター、岩崎力訳《マルセル・プルースト》)

晩年になって、この時の様子を改めてクラフトにきかれると、こう弁解したのだ。『プルーストは、直接彼のベッドから、例によって、夕方おそく起きて、やってきたのだった。まっさおな顔をして、こったフランス式の服装に、手袋をはめ、ステッキをもっていた。彼は、私に音楽の話をしかけてきて、ベートーヴェンの後期の四重奏曲に対する感激を吐露していた。これは、当時のインテリ文士のきまり文句で、音楽的判断というより、文学的ポーズになっていた。そうでなければ、私も、大いに共鳴するところだったのだ』(ストラヴィンスキー、ロバート・クラフト、吉田秀和訳《百十八の質問に答える》

――― 吉田秀和『私の好きな曲』上  P15-16

さて話が逸れたが、馬鈴薯の話に戻る。昭和二十年、戦争の終わる二日前の、荷風散人六十七歳の日記からである。

八月十三日 谷崎氏を勝山に訪はむとて未明に起き、明星の光を仰ぎ見つゝ暗き道を岡山駅の停車場に至る。 構内には既に切符を購はむとする旅人雑沓し、午前四時札売場の窓に灯の点ずるを待ちゐたり。 構外には前夜より来りて露宿するもの亦少からず。 予この光景に驚き勝山往訪の事を中止せむかと思ひしが、また心を取直し行列に尾して佇立すること半時間あまり。 思ひしよりは早く切符を買ひ得たり。 一ト月おくれの盂蘭盆にて汽車乗客平日より雑沓する由なり。 予は一まづ寓居に戻り、朝飯かしぎて食し後、再び停車場に至り九時四十二分発伯備線の列車に乗る。 辛うじて腰かくることを得てり。 向合ひに坐したる一老媼と岡山市罹災当夜の事を語る。 この媼も勝山に行くよし。 弁当をひらき馬鈴薯、小麦粉、南瓜を煮てつきまぜたる物をくれたれば一片を取りて口にするに味案外に佳し。 列車倉敷を過る頃より沿線の山脈左右より次第に迫り来り、短き隧道を出入する事数回に及ぶ。 沿道行けども ~ 清渓の流るゝあり。 人家は皆山に攀づ。 籬辺時に百日紅の花爛漫たるを見る。 正午新見といふ駅の停車場に着す。 こゝにて津山姫路行の列車に乗替をなす。 車窓より町のさまを窺ひ見るに渓流に沿ひ料理屋らしき二階家立ちならびたり。 家屋皆古びて古駅蕭條の趣あり。 鉄道従業員多くこの地に住居するが如し。 新見を発するや左右の青巒いよ ~ 迫り、隧道多く、渓流ます ~ 急なり。 されど眺望広からざれば風光の殊に賞すべきものなし。 一歩一歩嚢中に追ひ込まれ行くが如き心地す。 車中偶然西欧人夫婦幼児を抱きて旅するものあるを見る。 容貌独逸人なるが如し。 午後一時半勝山に着し直に谷崎君の寓舎を訪ふ。 駅の停車場を去ること僅に三四町ばかりなり。 戦前は酒楼なりしと云。 谷崎氏は離れ屋の二階二間を書斎となし階下に親戚の家族多く避難し頗雑沓の様子なり。 細君に紹介せらる。 年紀三十四五歟。 痩立の美人にて愛嬌に富めり。 佃煮むすびを恵まる。 一浴して後谷崎君に導かれ三軒程先なる赤岩といふ旅館に至る。 谷崎君のはなしに渓流に臨む好き旅館に案内するつもりなりしが、遽に独逸人収容所に当てられて如何ともしがたしと。 予が来路車中にて見たりし洋人は想像通り独逸人なりしなり。 やがて夕飯を喫す。 白米は谷崎君方より届けしもの。 膳に豆腐汁。 渓流に産する小魚三尾。 胡瓜もみあり。 目下容易には口にしがたき珍味なり。 食後谷崎君の居室に行き閑話十時に至る。 帰り来つて寝に就く。 岡山の如く蛙声を聞かず。 蚊も蚤も少し。

《容易には口にしがたき珍味》は「苦境」に陥ったとき、初めて訪れる。夜中にひどく腹がへって食べる冷えた御飯と梅干、あるいは海苔のなんという美味なこと!




2015年1月3日土曜日

ルソー派とニーチェ派

まずフロイトの『文化への不満』――岩波新訳では『文化のなかの居心地の悪さ』という題名になっている――から、攻撃欲動の反転を説く文章を抜き出す(より長くは、「メモ:超自我、良心、罪責感(フロイト)」を参照のこと)。

われわれの攻撃欲動を無力化するため、どんな方法がとられているだろうか。…われわれの攻撃欲動を取りこみ、内面化する方法である。しかし実のところこれは、攻撃欲動をその発祥地へ送り返すこと、つまり自分自身へと向けることに他ならない。(フロイト『文化への不満』フロイト著作集3 人文書院)

そして次にニーチェの「良心の疚しさ」の定義をめぐる叙述を並べてみよう。

外へ向けて放出されないすべての本能は内へ向けられるーー私が人間の内面化と呼ぶところのものはこれである。後に人間の「魂」と呼ばれるようになったものは、このようにして初めて人間に生じてくる。当初は二枚の皮の間に張られたみたいに薄いものだったあの内的世界の全体は、人間の外への捌け口が堰き止められてしまうと、それだけいよいよ分化し拡大して、深さと広さとを得てきた。……粗野で自由で漂泊的な人間のあの諸本能に悉く廻れ右をさせ、それらを人間自身の方へ向かわせた敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、――これらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、これこそ「良心の疚しさ」の起源である。外部に敵や抵抗がなくなったために慣習の狭苦しさと単調さのうちへ押し込められた人間は、耐え切れなくてわれとわが身を引き裂き、追い詰め、食い齧り、掻き立て、虐げた。自分の檻の格子に身を打つけて傷を負うこの動物(それを諸君は「飼い馴ら」そうとしているのだ)。この窮乏した者、荒野への郷愁に憔悴した者(彼らは自ら冒険を、拷問所を、不安で危険な蛮地を創り出さずにはいられなかった)、――この阿呆が、憧憬に悴れ絶望に陥ったこの囚人が「良心の疚しさ」の発案者となったのだ。(ニーチェ『道徳の系譜』第二論文 木場深定訳 岩波文庫p99)

《敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、――これらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、これこそ「良心の疚しさ」の起源》とあるように、フロイトの《攻撃欲動をその発祥地へ送り返すこと》とほとんど同じことが書かれている。

もっとも、ニーチェの『道徳の系譜』の第二論文は、上に引用した文のまえに「正義」について書かれているのだが、ニーチェの叙述は反感=ルサンチマンを「良心の疚しさ」の起源とし、《支配欲・所有欲などの如き真に能動的な感情》を「正義」の起源としている。ただしその箇所はニュアンスに溢れ、いろいろな読み方ができるのだが、長くなるので、最後に資料として示す。

その箇所の読み取りようによっては、たとえばジジェクの指摘するような次のような解釈が生まれ得ないでもない。

ラカンは、ニーチェやフロイトと同じく、平等としての正義は羨望にもとづいていると考えている。われわれがもっていない物をもち、それを楽しんでいる人びとに対する羨望である。正義への要求は、究極的には、過剰に楽しんでいる人を抑制し、誰もが平等に楽しめるようにしろという要求である。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

ジジェクのこのフロイトの「正義」は、おそらく『文化への不満』1930よりも十年近く前に書かれた次の文に由来するのではないか。

社会的公正の意味するところは、自分も多くのことを断念するから、他の人々もそれを断念しなければならない、また、おなじことであるが他人もそれを要求することはできない、ということである。この平等の要求こそ社会的良心と義務感の根元である。(フロイト『集団心理学と自我の分析』1921)

ところで、ニーチェは『道徳の系譜』で、次ぎのように書いているのだ、《正義の起源を……《反感》の地盤の上に求めようとする近頃現れた試みに対して、ここに一言拒否の言葉を挟んでおこう》と。すなわちニーチェの実質上の最晩年、狂気に陥る年の前々年に書かれた『道徳の系譜』1887においては、正義の起源はルサンチマンではなく、攻撃欲動としているわけであり、この叙述からのみ判断すれば、ジジェクが《ラカンは、ニーチェやフロイトと同じく、平等としての正義は羨望にもとづいていると考えている》と書くのは「誤読」である(ここではラカンやフロイトの「正義」はとりあえず問わないままにしておく)。

だがそれなりに愛着がないではないジジェクに難癖するのはやめ、ここではフロイトの《攻撃欲動をその発祥地へ送り返すこと、つまり自分自身へと向ける》とニーチェの《支配欲・所有欲などの如き真に能動的な感情》との二つの叙述をのみを取り出して、これが実のところ、われわれの「正義」の起源ではないかという問いを、良心の疚しさと正義の関係を曖昧にしたまま、すなわち宙吊りののまま放りだしておくことにする。

なお、フロイトの『マゾヒズムの経済的問題』1924には、タナトス(死の欲動)概念を説明するなかで、ニーチェの「権力への意志概念」に触れて、《破壊欲動とか征服欲動とか権力への意志》(Destruktionstrieb, Bemächtigungstrieb, Wille zur Macht)と三つを並列的に置いている(参照:『マゾヒズムの経済的問題』におけるBemächtigungstrieb)。これはフロイトの捉え方では「死の欲動」と「権力への意志」はほとんど同じものと見なしているとしてよいだろう。そしてそれが「正義」の起源である、--とまでは断言しないでおくが、ただしこう付け加えてはおこう。

柄谷)文化に対して自然を回復せよというロマン派と、それを成熟によって乗り越えよというロマン派がいて、それらは現在をくりかえされている。後期フロイトはそのような枠組を脱構築する形で考えたと思います。文化あるいは超自我とは、死の衝動そのものが自分に向かったものだという、これはすごく大きな転回だと思う。彼はある意味で、逃げ道を絶ってしまった。

浅田)ニーチェが言っていたのもそういうことなんじゃないか。力が自由に展開されるとき、それが自分自身に回帰して、自分自身を律するようになる。ドゥルーズやフーコーがニーチェから取り出したのもそういう見方なんで、それがさっきストア派的と言っていた姿勢にも結びつくわけでしょ。(「「悪い年」を超えて」『批評空間』1996 Ⅱ-9 坂本龍一 浅田彰 柄谷行人 座談会)

さてもう少しフロイトの『文化への不満』から、ここでの文脈上核心的なと思われる叙述を抜き出す。

・罪責感は、ある場合には攻撃欲動の発動が中止された時に生まれるものである

・超自我が持っていると考えられる攻撃エネルギーについて二つの考え方があって、それはただ優位に立つ外部の他者の懲罰エネルギーを継続し心理生活のために保存しているにすぎないという考え方に対し、他方では、それはむしろ、自分自身の攻撃エネルギーで、この自分の欲動満足を制止する優位に立つ他者に向けられたものの使用されずに終わったものだという考え方がある。

・罪責感に本質的かつ共通な点としては、それが内部へ転位した攻撃欲動であるということだけが残った

ところでジジェクは最近の書2012で、「超自我」をめぐって次ぎのように書いている。

最も純粋な超自我の審級……不可解な審級、それがわれわれを操り、自己破壊の渦巻く奈落へと導く。

超自我の機能は、まさにわれわれ人間存在を構成する恐怖の動因、人間存在の非人間的な核を途方に暮れさせることにある。この次元とは、ドイツの観念論者が否定性と呼んだものであり、そしてまたフロイトが死の欲動と呼んだものである。現実界のトラウマ的な固い核、――そこから昇華がわれわれを保護してくれるーーその核であるどころか、超自我そのものが現実界を仕切っている仮面なのである。(ZIZEK"LESS THAN NOTHING"私訳ーーボランティア、あるいは「わずらわしい大義の人」より)

やや難解な箇所なので、拙い訳よりは原文を読んだほうがよい。
……the agency of the superego at its purest: as the obscene agency which manipulates us into a spiraling movement of self‐destruction.

The function of the superego is precisely to obfuscate the cause of the terror constitutive of our being‐human, the inhuman core of being‐human, the dimension of what the German Idealists called negativity and Freud called the death drive. Far from being the traumatic hard core of the Real from which sublimations protect us, the superego is itself a mask screening off the Real.

ジジェク流のラカン解釈では、《現実界のトラウマ的な固い核》を昇華して守ってくれるものが超自我ではなく、むしろ自己破壊的、すなわち自己自身に向けて攻撃的に作用するものが超自我の死の欲動的側面ということになるのだろうか。

他方、わが国の精神科医中井久夫は次ぎのように書いている。

……心的外傷には別の面もある。殺人者の自首はしばしば、被害者の出てくる悪夢というPTSD症状に耐えかねて起こる(これを治療するべきかという倫理的問題がある)。 ある種の心的外傷は「良心」あるいは「超自我」に通じる地下通路を持つのであるまいか。阪神・淡路大震災の被害者への共感は、過去の震災、戦災の経験者に著しく、トラウマは「共感」「同情」の成長の原点となる面をも持つということができまいか。心に傷のない人間があろうか(「季節よ、城よ、無傷な心がどこにあろう」――ランボー「地獄の一季節」)。心の傷は、人間的な心の持ち主の証でもある(「トラウマとその治療経験――外傷性障害私見」『徴候・記憶・外傷』所収P93)

中井久夫のここでの叙述にある《ある種の心的外傷は》は、もちろんある種のトラウマは、のことである。そしてそれが《「良心」あるいは「超自我」に通じる》とある。この「あるいは」をどう読んだらいいのだろうか。良心と超自我はほとんど同じものと読むべきだろうか。

かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。その分、母親もいくぶん超自我的であった。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」『時のしずく』所収)

ーーと読めば、この文から、中井久夫は自我理想と超自我の区別をしていない。というのは社会的規範を代表するものを「超自我」としているのだから(後詳述)。そしてこれが「標準的」なフロイトの読み方であるに相違ない。だがラカン派では、超自我はかならずしも「良心」、あるいは自我理想と同じではない。

ところで中井久夫には心的外傷、すなわちトラウマをめぐって次ぎのような叙述がある。

最初に語られるトラウマは二次受傷であることが多い。たとえば高校の教師のいじめである。これはかろうじて扱えるが、そうすると、それの下に幼年時代のトラウマがくろぐろとした姿を現す。震災症例でも、ある少年の表現では震災は三割で七割は別だそうである。トラウマは時間の井戸の中で過去ほど下層にある成層構造をなしているようである。ほんとうの原トラウマに触れたという感覚のある症例はまだない。また、触れて、それですべてよしというものだという保証などない。(中井久夫「トラウマについての断想」『日時計の影』所収 )

ここには原トラウマという語彙が出てきている。この原トラウマが、ラカン派の文脈では攻撃欲動や死の欲動にかかわる。

たとえばPaul Verhaegheの『BEYOND GENDER. From subject to drive 』2001に収められた「Trauma and Psychopathlogy in Freud and Lacan. Structural versus Accidental Trauma.」という論文にはこうある。

われわれは欲動とフロイトのトラウマ概念との間に注目すべき類似を見出す。(……)

誰もがトラウマに遭遇する、というのは欲動のまさに性質のため、例えば自身の欲動のために。このトラウマは構造的なトラウマとして考えられるべきである。その意味は、避け得ないものであり、かつ、われわれの主体性の構造にかかわるものだからである。この構造的なトラウマの上に、一定の割合の人びとは、他のトラウマ、外部からくるトラウマに対処しなければならない。(私訳)

※参照:初期フロイトのトラウマ概念をめぐる備忘

さて、この原トラウマ、あるいは構造的なトラウマが、攻撃欲動や死の欲動に関わってくる。ラカンによれば、すべての欲動は、潜在的には死の欲動である、《…toute pulsion est virtuellement pulsion de mort.》 (Lacan Ecrit 848)

さて少し前に戻り、自我理想と超自我をめぐっての話を再度続ける。フロイトは『自我とエス』で、ほとんど自我理想=超自我としている(第三章の表題は「自我と超自我(自我理想)」III. Das Ich und das Über-Ich (Ichideal).。このように山括弧で記されれば、通常は同じものとしがちであろう。いずれにせよフロイトの超自我と自我理想の区別はこの論文だけでなく、晩年にいたるまで曖昧なままであり、しばしば同じものとして扱っているように感じるときがある。

だがラカン派では、自我理想は象徴界、超自我が現実界に属するものである。

<理想自我>は主体の理想化された自我のイメージを意味する(こうなりたいと思うような自分のイメージ、他人からこう見られたいと思うイメージ)。

<自我理想>は、私が自我イメージでその眼差しに印象づけたいと願うような媒体であり、私を監視し、私に最大限の努力をさせる<大文字の他者>であり、私が憧れ、現実化したいと願う理想である。

<超自我>はそれと同じ媒体の、復讐とサディズムと懲罰をともなう側面である。
(『ラカンはこう読め』2006ーー「ユーモア」と「超自我」(柄谷行人とフロイト)

ここに「同じ媒体の」と書かれているように、「自我理想」と「超自我」を厳密に分けているわけではないように思えるが、続いて次のように書かれることになる。

この三つの術語の構造原理の背景にあるのは、明らかに、<想像界><象徴界><現実界>というラカンの三幅対である。理想自我は想像界的であり、ラカンのいう<小文字の他者>であり、自我の理想化された鏡像である。自我理想は象徴界的であり、私の象徴的同一化の点であり、<大文字の他者>の中にある視点である(私はその視点から私自身を観察し、判定する)。超自我は現実界的で、無理な要求を次々に私に突きつけ、なんとかその要求に応えようとする私の無様な姿を嘲笑する、残虐で強欲な審級……(同上)

ここで上で引用した『文化への不満』の叙述を再掲する。

超自我が持っていると考えられる攻撃エネルギーについて二つの考え方があって、それはただ優位に立つ外部の他者の懲罰エネルギーを継続し心理生活のために保存しているにすぎないという考え方に対し、他方では、それはむしろ、自分自身の攻撃エネルギーで、この自分の欲動満足を制止する優位に立つ他者に向けられたものの使用されずに終わったものだという考え方がある。(フロイト『文化への不満』)

この1930年の段階で、フロイトは超自我の二つの側面を叙述している 。ラカン派では、この曖昧な区別を厳密化させ、優位に立つ外部の他者からくるものを「自我理想」とし、自分自身の攻撃エネルギーからくるものを「超自我」としていると捉えうる。外部からくるものは象徴界であり、内部の攻撃欲動は現実界である。

もっともフロイトは『自我とエス』1923の段階でも、「自我理想」の二面性を指摘している。

エディプスコンブレクスに支配された性的発達段階の最も一般的な結果として、自我のうちの沈殿物を仮定しうる。それは、何らかのかたちで両立することができる、これら二つの同一化を生み出すものである。こうして生じた自我変容は、その特権的地位を保ち、自我理想ないし超自我として、それ以外の自我の内容に対立するようになる。

しかし、超自我はエスが最初に対象を選択したさいのたんなる残存物ではなくて、その対象選択にたいする精力的な反動形成の意味ももっている。その自我との関係は「お前はこうで(父のようで)あらねばならない」という勧告につきるものではなく、「お前がこうで(父のようで)あることはゆるされない」すなわち、父のなすことのすべてを行ってはならない、という禁制をもふくんでいる。すなわち多くのことが父のために残されている。自我理想のこの二面は、自我理想がエディプス・コンプレックスの抑圧の労をおわされており、それどころか自我理想の成立が、そもそもこの急転によるものである。(『自我とエス』フロイト著作集 6 P280からだが「フロイト翻訳正誤表」の指摘により一部変更)

二つの同一化とは、父との同一化と母との同一化であり、それについてはこの文の前段に書かれているが煩雑になるのでここでは引用しない。ここでは《自我理想ないし超自我として》としてある文を、父との同一化を自我理想(象徴界)、母との同一化を超自我(現実界)と読める可能性を示唆しておくだけにする。

ところでラカン派では、自我理想が「エディプスの父」=「父の名」であり、他方、超自我を「母なる超自我」と呼んだ時期があった(少なくとも90年代には頻出する)。

たとえばラカンの娘婿でもあるジャック=アラン・ミレールはこういっている。

“The superego as senseless law is very close to the desire of the mother before that desire becomes metaphorised, and even dominated, by the name-of-the-father. The superego is close to the desire of the mother as a capricious whim without law.”([PDF]The Archaic Maternal Superego-Leonardo S. Rodriguez - Jcfar.org

すなわち、「享楽の父」やら「母なる超自我」とは、欲望が隠喩化(象徴化)される前の「父」の欲望の体現者なのであり、そこにあるのは、猥雑な、獰猛な、限度を弁えない、言語とは異質の、そしてNom-du-Père(父の名)を与り知らない超自我であり、無法の勝手気ままな「母」の欲望と近似する。

だがこれは種々の見解がある。ラカン派の一部ではこのように言われたことがあり、フロイトの論文からでもそのように読めないことはない、とだけしておく。

たとえば上に引用したように超自我を自我理想に近づけて解釈しているように見える中井久夫にもつぎのような自己破壊性と他者破壊性をめぐる文がある。これはラカン派からみれば超自我の審級のことを語っているはずだ。

日常生活は安定した定常状態だろうか。大きい逸脱ではないが、あるゆらぎがあってはじめて、ほぼ健康な日常生活といえるのではないだろうか。あまりに「判でついたような」生活は、どうも健康といえないようである。聖職といわれる仕事に従事している人が、時に、使い込みや痴漢行為など、全く引き合わない犯罪を起こすのは、無理がかかっているからではないだろうか。言語研究家の外山滋比古氏は、ある女性教師が退職後、道端の蜜柑をちぎって食べてスカッとしたというのは理解できると随筆に書いておられる。外に見えない場合、家庭や職場でわずらわしい正義の人になり、DVや硬直的な子ども教育や部下いじめなどで、周囲に被害を及ぼしているおそれがある。

四季や祭りや家庭の祝いや供養などが、自然なゆらぎをもたらしていたのかもしれない。家族の位置がはっきりしていて、その役を演じているというのも重要だったのかもしれない。踏み越えは、通過儀礼という形で、社会的に導かれて与えられるということがあった。そういうものの比重が下がってきたということもあるだろう。もっとも、過去をすべて美化するつもりはない。

一般に健康を初め、生命的なものはなくなって初めてありがたみがわかるものだ。ありがたみがわかっても、取り戻せるとは限らない。また、長びくと、それ以前の「ふつう」の生活がどういうものか、わからなくなってくる。

私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性とは時に紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない。先の引き合わない犯罪者のなかにもそれが働いているが、できすぎた模範患者が回復の最終段階で自殺する時、ひょっとしたら、と思う。再発の直前、本当に治った気がするのも、これかもしれない。私たちは、自分たちの中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。(中井久夫「「踏み越え」について」同上所収)

ここにある《わずらわしい正義の人》をめぐっては、「ボランティア、あるいは「わずらわしい大義の人」」にて、より詳細にみたので、今は触れない。

ここでは中井久夫の《私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性とは時に紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない》という文を抜き出し、ニーチェの《敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、――これらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、これこそ「良心の疚しさ」の起源》、あるいはフロイトの《攻撃欲動をその発祥地へ送り返すこと》と「ともに」読んでおくだけにする。


…………

さて途中、ニーチェの道徳の系譜からやや長く引用するとしておいたので、その約束を果たすことにするが、この箇所は読み飛ばしてもらってもかまわない。

……負い目とか個人的責務という感情は、われわれの見たところによれば、その起源を存在するかぎりの最も古い最も原始的な個人関係のうちに、すなわち、買手と売手、債権者と債務者の間の関係のうちにもっている。

(……)古代人類の思惟に特有なあの重厚さをもって、人々はまもなく「事物はそれぞれの価値を有する、一切はその代価を支払われうる」というあの大きな概括に辿り着いた。――これが正義の最も古くかつ最も素朴な道徳的基準であり、地上におけるあらゆる「好意」、あらゆる「公正」、あらゆる「善意」、あらゆる「客観性」の発端である。この最初の段階における正義は、ほぼ同等な力を有する人々の間の、相互に妥協しようとする、決済によって再び互いに「諒解」し合おうとする善意であり、――一方、より小さな力を有する人々に関しては、それらの人々にはまたそれらの人々相互の間で決済をつけることを強制しようとする善意である。(ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳 岩波文庫 p79-80)

この文に対しては、まだ若き柄谷行人が書いた文をここに併せて並べておく。

「《負い目(シュルツ)》というあの道徳上の主要概念は、《負債(シュルデン)》というきわめて物質的な概念に由来している」と、ニーチェはいっている。彼が、情念の諸形態を断片的あるいは体系的に考察したどんなモラリストとも異なるのは、そこにいわば債権と債務の関係を見出した点においてである。俺があの男を憎むのは、あいつは俺に親切なのに俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ、とドストエフスキーの作中人物はいう。これは金を借りて返せない者が貸主を憎むこととちがいはない。つまり、罪の意識は債務感であり、憎悪はその打ち消しであるというのがニーチェの考えである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』ーー「俺があの男を憎むのは、俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ」より)

さて引き続き『道徳の系譜』からである。

犯罪者は、単に自己の予め受け取った便益や前借を返済しないばかりか、債権者に喰ってかかりさえもする債務者である。それ故に彼は、その後は当然これらの財産や便益を悉く喪失するのみならずーーむしろ今やそれらの財産がいかに重要なものであったかを思い知らされる。被害者たる債権者、すなわち共同体の怒りは、犯罪者を再び法の保護外の野蛮な追放の状態へ突き戻し、そういう状態からの従来の保護を解く。つまり共同体は犯罪者を除斥するーーそして今やあらゆる種類の敵意は彼の上に注がれてよいことになる。(……)

共同体の力と自覚が増大すれば、刑法もまたそれに伴って緩和される。共同体の力が弱くなり危殆に瀕すれば、刑法は再び峻厳な形式を取るにいたる。「債権者」の人情の度合いは、常にその富の程度に比例する。結局、苦しむことなしにどれだけの侵害に耐えうるかというその度合いそのものが、彼の富の尺度なのだ。加害者を罰せずにおくーーこの最も高貴な奢侈を恣にしうるほどの権力意識をもった社会というものも考えられなくはないだろう。そのとき社会は、「一体、俺の所に居候どもが俺にとて何だというのか。勝手に食わせて太らせておけ。俺にはまだそのくらいの力はあるのだ!」と言うこともできるだろう……「一切は償却されうる、一切は償却されなければならない」という命題に始まった正義は、支払能力のない者を大目に見遁すことをもって終わる。――それは地上におけるあらゆる善事と同じく、自己自身を止揚することによって終わりを告げる。――正義のこの自己止揚、それがいかなる美名をもって呼ばれているかを諸君は知っているーー曰く、恩恵。言うまでもなく、それは常に最も強大な者の特権であり、もっとも適切な言葉を用いるのならば、彼の法の彼岸である。P81-83
――正義の起源をこれとは全く異なる地盤の上にーーすなわち《反感》の地盤の上に求めようとする近頃現れた試みに対して、ここに一言拒否の言葉を挟んでおこう。心理学者たちにしてかりに《反感》そのものを親しく研究してみようという気があるならば、まず次ぎのことを彼らの耳に入れておきたい。それというのは、この植物は今では無政府主義者やユダヤ人排斥者たちの間に最も美しく花を開いており、しかも今までも常にそうであったように、もとより匂いは違っているが、菫の如くひそかに花を開いている、ということだ。そして、同じものからは必ずいつも同じものが生じなければならないとすれば、ほかならぬそういう仲間からは、正義の名のもとに復讐を神聖化しようとするーーあたかも正義は根本において被害感情の一発展であるにすぎないかの如くーー企てが再び生じるのを見るとしても、さまで異とするに足りないであろう。後の方の企てそのものに対しては、私は殆んど全く反対しようとは思わない。それは私には、生物学的問題の全体…に関して一つの功績であるとさえ思われる。私がただ一つ注意を喚起しておきたいのは、科学的公正のこの新しい《ニュアンス》が生じてくる(憎悪・嫉妬・猜疑・邪推・怨恨・復讐に都合の好いように)源泉は、《反感》をもった精神そのものにほかならないというあの事情である。すなわちこの「科学的公正」は、あの反動感情よりも更にずっと高い生物学的価値を有し、従って科学的に見て高く評価される価値が十分あるように思われる他の一群の感情が現われるや否や、直ちに鳴りを熄めて深刻な敵意と先入見のアクセントに場所を譲ってしまう。ここに他の一群の感情というのは、支配欲・所有欲などの如き真に能動的な感情のことだ。(……)一般にこの傾向に対してはこれだけにしておこう。しかし特に、正義の故国は反動感情の地域に求められるべきである、というデューリングの命題に関して言えば、われわれは真理を愛するが故にそっけなく彼に背を向けて、正義の精神によって占領された最後の地域は反動感情の地域である! という別の命題をそれに対立させる。実際、正しい人間がその加害者に対してすら常に正しい態度を失わない(そして単に冷静な、沈静な、無関係な、無関心な態度でいるというばかりではなくーー正しいということは常に一つの積極的な態度である)とすれば、個人的な毀傷や軽蔑や誹謗を蒙りながらなお正しい審きの眼の、高く、明るく、深く、かつ和やかな客観性が曇らされないとすれば、それこそ一個の完成品であり、地上における最高の達人であるーーのみならず、ここで期待するのが賢明ではないような、少なくとも軽々しく信ずべきではないような代物だ。一般に最も廉潔な人物における場合ですら、少量の攻撃や悪意や追従を服用させるだけでその眼を充血させ、その眼から公正を逐い出すに足りることは確かである。能動的な人間、攻撃的で侵略的な人間は、いつの場合でも反動的な人間よりは百歩も正義に近い。反動的な人間は彼の対照に謝った評価や偏った評価を加え、かつ加えざるをえないけれども、能動的な人間には毫もその必要はない。事実それ故にこそ、攻撃的な人間はより強き者、より勇敢な者、より高貴な者として、常にまたより自由な眼、より潔白な良心をも自分の味方にしてきたのだ。その反面において、良心の上に「良心の疚しさ」の発明を有する者は一体誰であるか。諸君のすでに察知している通り、それはーー《反感》をもった人だ!p84-86

…………


正義についてはいろいろな捉え方がある。たとえば憐れみの感情を正義の根源だとする態度もある(参照:「「憐れみの海」の中で息をつける者は幸福だ」)。いわゆる日本でよく名が出される文脈なら、ルソー派とニーチェ派の対決ということになる。

たとえば蓮實重彦などは正義を言い募る連中にたいして《不快さに対する戦いを不正に対する戦いに利用しようとするさもしい根性が働いている》(『闘争のエチカ』)としている(参照:「正義とは不快の打破である」)。この「不快さに対する戦い」とは攻撃欲動に近いことを言っているのではないか。あるいは権力への意志のことを。

『快』の本質が適切にも権力の『増大感』として(だから比較を前提とする差異の感情として)特徴づけられたとしても、このことではまだ『不快』の本質は定義づけられてはいない。民衆が、《したがって》言語が信じこんでいる誤った対立こそ、つねに、真理の歩みをさまたげる危険な足枷であった。そのうえ、小さな不快の刺激の或る《律動的連続》が一種の快の条件となっているという、いくつかの場合があり、このことで、権力感情の、快の感情のきわめて急速な増大が達成されるのである。これは、たとえば痒痛において、交接作用のさいの性的痒痛においてもまたみられる場合であり、私たちは、このように不快が快の要素としてはたらいているのをみとめる。小さな阻止が克服されると、ただちにこれにつづいてまた小さな阻止が生じ、これがまた克服される──抵抗と勝利のこのような戯れが、快の本質をなすところの、ありあまり満ちあふれる権力のあの総体的感情を最も強く刺激すると思われる。(ニーチェ『権力への意志』「第三書・二・三・権力への意志および価値の理論」原佑訳)

わたくし自身はここでの叙述から明らかなように、憐み派(ルソー派)ではなくニーチェ派なのだが、とはいえそれは「理論的」にはそうであり、「実践的」には、正義の根源は攻撃欲動だと断言するつもりはない。ニーチェ自身次のように言っている。

悪く考えることは、悪くすることを意味する。 (ニーチェ『曙光』76番)

攻撃欲動が正義の根源だと断じてしまうことは、人間関係を悪くすることを意味しはいないか。これはラカン派の「騙されない人は彷徨うLes non-dupes errent」という考え方にも繋がる。すなわち、われわれは時に、正義の根源は憐みだ、あるいは孟子の《「惻隠〔みてしのびざる〕の情」だと騙される必要が(ときに)あるのだ。

だが攻撃欲動が反転して正義になる、あるいはトラウマ的なものが良心の根源となる場合もあるのではないかという考え方は、いまのところ「理論的には」どうしても捨て難い。

(いまここでの実践的、理論的とは、カントの三批判の文脈での意味である。「私は何を知りうるか」、「私は何をなすべきか」、「私には何を欲しうるか」という問いが、カントの三批判のそれぞれであり、真か偽かという認識的=理論的な関心、善か悪かという道徳的=実践的な関心、快か不快かという趣味判断に相当する。)

認識的にどうしても捨て難いのは、豚の群のなかへ落ち込まないためでもあると言ってもよい。

・世には、自分の内部から悪魔を追い出そうとして、かえって自分が豚の群れのなかへ走りこんだという人間が少なくないのだ。

・わたしは君があらゆる悪をなしうることを信ずる。それゆえにわたしは君から善を期待するのだ。

まことに、わたしはしばしばあの虚弱者たちを笑った。かれらは、自分の手足が弱々しく萎えているので、自分を善良だと思っている。

・よし悪人がどんな害をおよぼそうと、善人のおよぼす害は、もっとも害のある害である。

・善い者、(……)かれらの精神は、かれらの自身の「やましくない良心」という牢獄のなかに囚われていた。測りがたく怜悧なのが、善い者たちの愚鈍さだ。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳ーー「Homo homini lupus、あるいは攻撃欲動(ニーチェとフロイト)」より

ーー上の文の「悪」を「攻撃欲動」として読んでみよう、また「善」を「正義」と。そして、正義は攻撃欲動が己れにむかって反転した<力>であると。上に掲げた浅田彰の言い方では、《力が自由に展開されるとき、それが自分自身に回帰して、自分自身を律するようになる》であった。

とすれば《悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう》(小林秀雄「ヒットラーと悪魔」)を変奏して次ぎのように言うことができる。

攻撃欲動が信じられない人に、どうして正義を信ずる力があるだろう、と。あるいは攻撃衝動の器の小さなひとに、どうして正義の大きな器がありえようと。

もちろん、このように書くのは《最も軽蔑すべき者達について私は語ろう。それは末人(最後の人間)だ》で始まるツァラトゥストラのパッセージの谺による、

……人はもはや貧しくも豊かにもならない。どちらも面倒くさすぎる。支配する者もいないし、従う者もいない。どちらも面倒くさすぎる。

飼い主のいない、ひとつの畜群! 誰もが同じものを欲し、誰もが同じだ。考え方が違う者は、自ら精神病院へ向かう。」(ニーチェ『ツァラトゥストラ』序説 手塚富雄訳)


さて吟味しよう。憐れみの情がわれわれの根源なのか、それとも支配欲動めいたものがわれわれの根源なのか。

ルソーに反対。――われわれの文明は何かあわれむべきものそれ自体を持つということが真であるなら、ルソーとともに「このあわれむべき文明はわれわれの劣った道徳に対して責任がある」と結論を続けるか、あるいはルソーに反対して次のように逆の結論を出すかは、諸君のお好み次第である。「われわれのすぐれた道徳は文明のこのあわれむべき状態に対して責任がある。善悪に関するわれわれの弱い、男らしくない、社会的な概念、および心身に対するその絶大な支配は、すべての身体とすべての心をとうとう弱めてしまい、自主的な、独立的な、とらわれない人間を、すなわち強い文明の支柱を破壊してしまった。劣った道徳に現在なお出会う場合、これらの支柱の最後の破片が見られる。」やはりこのように逆説が逆説に対立するとすれば! この場合真理がどちらの側にもあることは不可能である。それでは真理はそもそもどちらかの側にあるのか? 吟味せよ。(ニーチェ『曙光』P163番 茅野良男訳)

もちろん、これだけを参照する必要はない。ニーチェの若き日の最大の師の言葉をここで抜き出してもよい。

すべての生きとし生ける者に限りない同情を持つことこそ、倫理的に正しい態度をとる上で最も堅固、確実な保証を与えるものであり、これについてとやかく良心の問題などを取り上げる必要はない。この気持ちに満たされた者は、必ずや、誰にも危害を加えたり、侵害したり、なんびとをも陥れようとせず、むしろできる限り他人のことをおもんばかり、あらゆる人を許し、助けるようつとめるであろう。さらにそうした人の行動は、正義と人間愛の刻印を担うことになろう。(ショーペンハウアー『存在と苦悩』)

《――私自身が、かつて、私の「若年」のとき、ショーペンハウアーとリヒアルト・ヴァーグナーとに関して書いたこと、書いたというよりむしろ描いたことーーおそらくあまりにも大胆に、気力にあふれて、若さにあふれて、塗りたての漆喰壁にーーそれを私は今日「真」と「偽」にもどついて詳細に吟味しようとはいささかも思わない。しかし、私が当時見当ちがいをしていたとしても、私の誤りは、前記の二人にとっても、私自身にとっても、少なくとも不名誉にはなっていない! そうした見当ちがいをするということは、相当のことであり、ほかならぬ私をこのように誤りへと誘惑するということも、やはり相当のことである。》(ニーチェ「「ヴァーグナーの場合」のための最初の覚え書き」 P475)


いやこれだけでもない、ルソーは『エミール』では次のように書いていることを付け加えておこう。

【第一の格率】:人間の心は自分よりも幸福な人の地位に自分をおいて考えることはできない。自分よりもあわれな人の地位に自分をおいて考えることができるだけである。

【第二の格率】:人はただ自分もまぬがれられないと考えている他人の不幸だけをあわれむ。

【第三の格率】:他人の不幸にたいして感じる同情は、その不幸の大小ではなく、その不幸に悩んでいる人が感じていると思われる感情に左右される。

人はただ自分もまぬがれれると考えたなら、他人の不幸はあわれまない、とどうして読めないことがあろうか? (この三つの格率の前後文は、「みにくさはたやすく美しくなるような顔立ちにおいていっそうよく目立つ」の後半に引用がある。)

われわれは知らぬ間に次のような態度をとっているのではないか。

ジジェク) リオ・デ・ジャネイロのような都市には何千というホームレスの子供がちがいます。私が友人の車で講演会場に向っていたところ、私たちの前の車がそういう子供をはねたのです。私は死んで横たわった子供を見ました。ところが、私の友人はいたって平然としている。同じ人間が死んだと感じているようには見えない。「連中はウサギみたいなもので、このごろはああいうのをひっかけずに運転もできないくらいだよ。それにしても、警察はいつになったら死体を片づけに来るんだ?」と言うのです。左翼を自認している私の友人がですよ。要するに、そこには別々の二つの世界があるのです。海側には豊かな市街地がある。他方、山の手には極貧のスラムが広がっており、警察さえほとんど立ち入ることがなく、恒常的な非常事態のもとにある。そして、市街地の人々は、山の手から貧民が押し寄せてくるのを絶えず恐れているわけです。……

浅田彰) こうしてみてくると、現代世界のもっとも鋭い矛盾は、資本主義システムの「内部」と「外部」の境界線上に見出されると考えられますね。

ジジェク)まさにその通りです。だれが「内部」に入り、だれが「外部」に排除されるかをめぐって熾烈な闘争が展開されているのです。(浅田彰「スラヴォイ・ジジェクとの対話」1993.3『SAPIO』初出『「歴史の終わり」と世紀末の世界』所収ーーHomo homini lupus、あるいは攻撃欲動(ニーチェとフロイト)

ーーさて吟味しよう。

…………

なおニーチェの狂気に陥る前年の遺稿には次のような文がある。

権力への意志が原始的な情動(Affekte)形式であり、その他の欲動(Affekte)は単にその発現形態であること、――(……)「権力への意志」は、一種の意志であろうか、それとも「意志」という概念と同一なものであろうか?――私の命題はこうである。これまでの心理学の意志は、是認しがたい普遍化であるということ。こうした意志はまったく存在しないこと。(ニーチェ遺稿 1888年春)

この情動(Affekte)は、たとえばクロソウスキーの解釈では、衝動implusionとなり、それは欲動Triebeのことでもあり、かつまた権力=<力>Machteのことでもある。ドゥルーズもこの線で、<力>への意志を考えているのはよく知られている(参照:見出された「権力への意志」=「死の欲動」)。

Nietzsche himself had recourse to a varied vocabulary to describe what Klossowslu summarizes in the term 'impulse': 'drive' (Triebe), 'desire' (Begierden), 'instinct' (Instinke), 'power' (Machte), 'force' (Krafte), 'impulse' (Reixe, Impulse), 'passion' (Leidenschaften), 'feeling' (Gefiilen), 'affect' (Afekte), 'pathos' (Pathos), and so on.
(”Translator’s Preface” Nietzsche and the Vicious Circle PIERRE KLOSSOWSKI Translated by Daniel W. Smith)

権力への意志の<意志>とは、ではなんだろう? これは上に掲げたニーチェの遺稿の問いであるが、ジジェクも同様の問いを放っている。

But one should here raise a more fundamental question: is the Will the proper name for the “stuckness” which derails the natural flow? Is the not Freudian drive (the death drive) a much more appropriate name?(ZIZEK”LESS THAN NOTHING")

最後にあらためてこうつけ加えておくべきだろうか。

私は思弁のみに身を任せてしまったのではなく、逆に分析による資料を重視し、臨床的な技法的テーマを取り扱うことをやめなかった。私は哲学に近づくことは避け、大切な点ではフェヒナーに頼ることにしていた。精神分析がショーペンハウアーの哲学と広汎な一致があるとしても(彼は感情の優位性と性愛の意義を重視し、抑圧のメカニズムも知っていた)、私が彼の本を読んだのはずっと後になってからだ。ニーチェの洞察も精神分析の成果と驚くほど合致するのだが、だからこそ公正さを保持するために避けてきた。(フロイト『自己を語る』1925)