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2015年5月7日木曜日

難解版:「〈他者〉の〈他者〉は外-存在する」(ジジェク=ラカン)

簡略版:「〈他者〉の〈他者〉は存在しない」(ラカン)」に引き続き、「難解版:〈他者〉の〈他者〉は存在する」(ジジェク=ラカン)である。

…………

《もし〈女〉が存在するのなら、彼女は〈他者〉の〈他者〉である》

If the Woman were to exist, she would be the Other of the Other(ZIZEK,LESS THAN NOTHING 2012)

女の問題とは、(……)空虚な理想ーー象徴的機能――empty ideal‐symbolic function—を形作ることができないことにあるので、これがラカンが「女は存在しない」と主張したときの意図である。この不可能の「女」は、象徴的フィクションではなく、幻影的幽霊fantasmatic specterであり、それは S1ではなく対象 aである。「女は存在しない」と同じ意味での「存在しない」人物とは、原初の「享楽の父」である(神話的な前エディプスの。集団内のすべての女を独占した父)。だから彼の地位は〈女〉のそれと相関的なのである。(同上)

これが「〈女〉は〈父の諸名〉のひとつ」の意味である。 そして上にあるように〈女〉は対象aである。

Woman is one of the Names‐of‐the‐Father (one of the names of the Divine): if the Woman were to exist, she would be the Other of the Other, the Subject which personifies, dominates, and regulates the very impersonal Between, the big Other as the anonymous symbolic Order.

ラカンの「女は存在しないLa femme n'existe pas」の「存在しない」とは象徴界(シニフィアンの水準)には存在しないということだけであり、現実界にはもちろん存在する。ラカンはそれを外-存在と呼ぶ。女は外-存在する。そして〈他者〉の〈他者〉も外-存在する。

ラカンのex-sistence (外ー存在)は、ハイデガーのSein und Zeit(存在と時間)の仏訳から。ドイツ語ではEkstaseであり、ギリシャ語ではekstasis(外に立つこと)(フィンク,The Lacanian Subject)

※より詳しくは、「女は男のサントームであるUne femme est pour tout homme un sinthome」の後半【存在existenceと外-存在ex-sistenceの違い】の箇所を見よ。


…………

以下、ジジェクが『LESS THAN NOTHING』2012にて、ヘーゲルの「否定の否定」、あるいはカントの無限判断を援用して〈女〉を説明している二ヶ所。もう一箇所あるのだが、そこはすこぶる難解で(わたくしにとって)、今は提示するのを慎む。

ラカンの否定の否定は、"性別化の式"の女性の側に位置し、非全体non‐Allの概念にある。例えば、言説でないものは何もない。しかしながら、このnon‐not‐discourse (言説の二重否定)は、すべては言説であるということを意味しない。そうではなく、まさに非全体non‐Allは言説であるということ、外部にあるものは、ポジティヴな何かであるのではなく、対象a、無以上でありながら、何かでなく、一つのものではないmore than nothing but not something, not Oneということだ。別の例を挙げよう。去勢されていない主体はない(性別化の式の女性側では)。しかし、これはすべての主体が去勢されていることを意味しない(非去勢の残余は、もちろん対象aである)。この二重否定において、われわれが触れている現実界とは、カントの無限判断に関連しうる。述語否定の肯定affirmation of a non‐predicateである。"彼は不死である"は、彼が生きていることを単純には意味しない。そうではなく、彼は死んでいないものとして、生きている死として、生きているのである。"彼は不死である"とは、non‐not‐dead(死の二重否定)なのである。同様に、フロイトの無意識とは、不死のようなものである。それは単純に意識しないnot‐consciousことではなく、non‐not‐conscious(意識の二重否定)なのである。そしてこの二重否定において、それはただ存続しないことの否定no not only persistsではなく、強められさえするのだeven redoubled。不死は、死に非ずnot‐dead生に非ず not‐aliveの状態として生き続けるremains。同様に、対象aとは、non‐not‐object(対象の二重否定)ではないだろうか。そしてこの意味で、空虚を具現化する対象ではないだろうか。(ジジェク、LESS THAN NOTHING)

では女をいかに定義するのか、もし単純に非-男non‐man、男の相称的な、あるいは相補的な片割れとしてでないのなら? カントの否定判断に対する"無限判断あるいは不定判断"概念が、ふたたびここでも役立ち得る。すなわち肯定判断「魂は必滅だsoul is mortal」は二通りに否定できる。術語を否定する(「魂は必滅ではないthe soul is not mortal」)こともできるし、否定的術語を肯定する(「魂は不滅であるthe soul is non‐mortal」)こともできる。まったく同じように、我々は、女は男でないwoman is not manと言うべきではなく、女は非-男であるwoman is non‐manとすべきである。ヘーゲル的な意味で、女は、ただ男の否定なのではなく、否定の否定なのであり、それは、非-非-男non‐non‐manの第三の領野を開く。すなわち、否定の否定によって、ただ男に戻るのではなく、男とその相対物の全領域を置き去りにする。

かつまた、ふたたび、同じ方法で、プロレタリアはブルジョアに対する階級ではない。それは非-ブルジョアである。その意味は、非-非-ブルジョアである。こういうわけで、我々は二種類の階級があるわけではなく、ひとつだけーーブルジョアーーである。そして否定の否定、非-非-階級、超階級ーーそれは階級としてのそれ自体を廃止し、全ての階級を取り除くことによってのみ勝ち取り得る。プロレタリアは、非-階級である階級の、生きた、存在するパラドックスである。あるいはラムシュタインが「君なしではOhne dich」で歌ったように、 “ohne dich kann ich nicht sein, ohne dich / mit dir bin ich auch allein, ohne dich” 「君なしでは、僕は出来ない、君なしでは/君とでは僕はまた独りぼっち、君なしでは」。要するに、私はあなたと共にあってさえも、私は"あなたと共に独りぼっちだ"ということだ。プロレタリアは、ブルジョアと共にあってさえも、すなわちブルジョアと関わっても、独りぼっちなのだ。

この〈大他者〉(それ自身に関して〈大他者〉であるところの〈大他者〉)は、根源的に〈一者〉の地位の外部にあり、架空の女性の享楽のようなものだろうか? それはただ幽霊的な現前、効果は持つが正式に存在しないものだろうか?これは、まさに、最後に避けねばならぬ罠である。否。非-非-〈一者〉としての〈大他者〉は、〈一者〉以上に"ここに"いや増している。女たちはここにいる、プロレタリアはここにいる。そのとき、彼らの地位は何だろう? より一般的な存在論的命題を掲げてみよう。我々は1から2を得る。というのは、1は十分に1ではないのだから。2の出現は、1によるそれ自身の過剰をとらえる試みだ、自身を二重化することを通して、である。言い換えれば、1から2への移行は、1に内在する分裂が外在化されたということだ。しかしながら、この複数の1sー1+1+1…は、決して根源的な〈他者性〉の〈二者〉には至らない。〈大他者〉はもう一つの〈一者〉にはなり得ない。

どうやってこの〈他者性〉に至るのか? 二つの可能なる罠がここにある。(1) 二項論理によってただ二次的に強制されただけの元々の多様性を措定することによって、根源的な〈他者性〉の袋小路を逃れること。 (2) レヴィナスや他の何人かのように、〈他者性〉を高めて、私を支配する実体的な力や場とすること(「私の中に一人の〈大他者〉がいる。私を通して話す何かよりいっそう強いもの、ある〈力〉」という具合で、この〈大他者〉が"無意識"と呼ばれてさえ、こんな具合になってしまう)。

ラカンは〈大他者〉のアンチノミーを形式化することによってこの罠を避ける(Balmèsによって詳述されているように)。

テーゼーー〈大他者〉はいる。無意識は〈大他者〉の発話である。欲望は〈大他者〉の欲望である。〈大他者〉は前提条件としての〈真理〉の場所にいる、我々が嘘を吐いているときでさえ(あるいはそのときこそ格別に)含意された〈真理〉の場所にいる。等々。

アンチテーゼーー〈大他者〉はいない。〈大他者〉は斜線を引かれており、非一貫的で欠如している。分析の目標は、主体が〈大他者〉の不在を措定するように至ることだ等々。

これを明瞭化するために、まず注意すべきことは、テーゼとアンチテーゼ両方ともに(少なくとも)三通りの読み方ができるということだ。ラカンのISRの三幅対に従い、(存在する)〈大他者〉は、想像界的〈大他者〉(自我の鏡像イメージ)、象徴界的〈大他者〉(無名の象徴的秩序、真理の場所)、そして現実界的な〈大他者〉(〈他者〉-〈モノ〉の深淵、〈隣人〉としての主体の深淵)。

「〈大他者〉はない」は次のように読み得る。〈大他者〉には欠如あるいは穴がある(喪われているシニフィアン、〈大他者〉は例外を基盤としている)。〈大他者〉の非一貫性(非-全体としての〈大他者〉、相反しそれ自体として全体化され得ない〈大他者〉)。あるいはシンプルに〈大他者〉のヴァーチャルな特徴の主張(象徴的秩序は現実の部分としては存在しない。それは、社会の現実における我々の行動を規制する観念的な構造である)。

この「アンチノミー」の解決法は、二重化された式によって提供される。すなわち〈大他者〉の〈大他者〉はない。〈大他者〉は、それ自身に関して〈大他者〉である。これが意味するのは、〈大他者〉の内にいる主体それ自身の脱中心化である。実際、主体は脱中心化されている。その真理はそれ自身の深みにはない。主体が囚われている象徴秩序の網、主体が究極的にその効果である象徴的秩序内の「そこから外にある」。

しかしながら、象徴的〈大他者〉ーー主体が、その内部に構成的に疎外されている(同一化している)ーーは、十全には実体的領域でない。そうではなく、それ自身から分離されているのだ。すなわち、不可能性の固有の点の周り、ラカンが指摘した外-親密ex‐timateの核の周りに構成されている。この外-親密ex‐timateのラカンの名は、もちろん対象a、剰余享楽、欲望の対象ー原因である。

このパラドキシカルな対象は、〈大他者〉の内部で、一種のバグや欠陥として機能する。その十全な現勢化への内在的な障害物として機能するのだ。そして主体はこの欠陥のただの相関物である。すなわち、欠陥なしには、主体はないだろうし、〈大他者〉は、完成され滑らかに動き回る秩序となるだろう。ここにあるパラドックスは、〈大他者〉を不完全にし、非一貫的にし、欠如を与える等の、その欠陥自体が、まさに〈大他者〉を〈大他者〉にするのであり、別の〈一者〉に帰し得ないのだ。(ジジェク、LESS THAN NOTHING)

※カントの無限判断(柄谷行人によるブローウェル『論理学の原理への不信』を引用しての説明も含む)については、「人は他者と意志の伝達をはかれる限りにおいてしか自分自身とも通じ合うことができない(ヴァレリー)」を見よ。


…………

もう一つの難解箇所は提示しないとしたが、英文だけでも(後のために?)貼り付けておくことにする。ジジェク自身、François Balmès,の”Dieu, le sexe et la vérité, Ramonville Saint‐Agne: Érès 2007”に依拠した記述である。

Balmès systematizes this paradoxical nature of sexuality in a Kantian way, enumerating a series of “antinomies” of sexual reason:

the antinomy of sexual enjoyment:

thesis—sexual jouissance is everywhere, it colors all our pleasures;

antithesis—sexual jouissance is not sexual.

The explanation of this antinomy resides in the overlapping of lack and excess: because it lacks its proper place, jouissance spreads everywhere. The two sides can be condensed in the tautology: “the sexual is defined by the failure to reach the sexual.”

the antinomy of the two and the Other:

thesis—in the real of sex, there are two, and only two, sexes, man and woman;

antithesis—from the moment we enter language, there is no second (other) sex.

Lacan insists here on “binary logic,” on the Real of sexual difference, and qualifies the denial of the Real of sexual difference as the (idealist) denial of castration. Retroactively, this diagnosis takes on additional weight today, in relation to the rise of what Balmès ironically refers to as “foucauldo‐lacanisme,” the celebration of the multitude of “sexes,” of sexual identities (e.g., Judith Butler's performative constructivism as an idealist denial of the Real of sexual difference). However, we should add that this duality of sexes is a strange one, since one of the two is missing; it is not the complementary duality of yin and yang, but a radically asymmetric duality in which the Same confronts the place of/as its own lack.

the antinomy of woman and Other:

thesis—woman is not the place of the Other;

antithesis—woman is the radical Other.

This antinomy is generated by the fact that the symbolic Other as a place emerges with the erasure of the feminine Other Sex.

the antinomy of Other and body:

thesis—one only enjoys the Other;

antithesis—there is no jouissance of the Other (objective genitive).

The explanation of this last antinomy is that enjoyment as Real has to refer to an Otherness; however, this Otherness is as such inaccessible, Real/impossible. The underlying matrix generating these antinomies is that, in the sexual relationship, two relationships overlap: the relationship between the two sexes (masculine, feminine), and the relationship between the subject and its (asymmetrical) Other. The Other Sex, embodied in the primordial Other (Mother), is evacuated, emptied of jouissance, excluded, and it is this “voidance” which creates the Other as the symbolic place, as the Between, the medium of intersubjective relations. This is the Ur‐Verdrängung, the primordial metaphoric substitution: the Other Sex is replaced by the symbolic big Other. This means that there is sexuality (sexual tension between man and woman) precisely because the Woman as Other does not exist.

この文の最後にある《the Woman as Other does not exist.》の註として、冒頭近くに掲げた文が付されている。

This is why, as Lacan put it, Woman is one of the Names‐of‐the‐Father (one of the names of the Divine): if the Woman were to exist, she would be the Other of the Other, the Subject which personifies, dominates, and regulates the very impersonal Between, the big Other as the anonymous symbolic Order.


2015年5月6日水曜日

簡略版:「〈他者〉の〈他者〉は存在しない」(ラカン)

◆前期ラカン

私が父の名と呼ぶもの、すなわち象徴的な父とはまさにこれです。それはシニフィアンの水準にある一つの項であり、法の座としての大文字の他者において、大文字の他者を代表象している項です。 それは法を支え、 法を公布するシニフィアンです。それは大文字の他者における大文字の他者なのです。(セミネールⅤ)

《セミネール6までは、ラカンはシニフィアンに秩序に焦点を絞っていて、殆ど欲動、享楽は無視。この時期のラカンは楽観的に症状は解釈を通して消滅すると考えていた。…この時期は大他者は存在すると信じていた(おバカな)ラカンである。》意訳 (Sexuation 2– The Logic of Jouissance

ーー「意訳」としたように、「おバカな」などとはLevi R. Bryantは決して書いていない。殆どそう言いかかっていると、わたくしが邪推しただけである。原文は次ぎの通り。

Up through Seminar 6, Lacan focused primarily on the order of the signifier, ignoring almost entirely the order of drive or jouissance. During this period, Lacan optimistically argued that the symptom could be entirely resolved through analytic interpretation……This is the period where Lacan believes that the big Other exists.

《初期のラカンにおいて、すべての強調は、父の名の隠喩に置かれた。その機能は、主体を母の欲望から解放すること等々だった。現代ラカン派に於けるこの理論的モティーフの継続的な流行は、ラカンの決断と鋭く相反する。その決断とは、ラカンはその理論的モティーフを捨て去っただけではなく、反対の考え方に置き換えさえしたのだ。すなわち〈他者〉の〈他者〉は存在しない、と。》((Lacan’s goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way.、Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq) 後ほどもう少し長く引用する)

とはいえ、フロイトの洞察に反して、初期の《ラカンは楽観的に症状は解釈を通して消滅すると考えていた》ということになる。

フロイトはその理論のそもそもの最初から、症状には二重の構造があることを見分けていた。一方には欲動、他方にはプシケ(個人を動かす原動力としての心理的機構:引用者)である。ラカン派のタームでは、現実界と象徴界ということになる。これは、フロイトの最初のケーススタディであるドラの症例においてはっきりと現れている。この研究では、防衛理論についてはなにも言い添えていない。というのはすでに精神神経症psychoneurosisにかかわる以前の二つの論文で詳論されているからだ。このケーススタディの核心は、二重の構造にあると言うことができ、フロイトが焦点を当てるのは、現実界、すなわち欲動にかかわる要素、――フロイトが“Somatisches Entgegenkommen”と呼んだものーーだ。のちに『性欲論三篇』にて、「欲動の固着」と呼ばれるようになったものだ。この観点からは、ドラの転換性の症状は、ふたつの視点から研究することができる。象徴的なもの、すなわちシニフィアンあるいは心因性の代表象representation――抑圧されたものーー、そしてもうひとつは、現実界的なもの、すなわち欲動にかかわり、ドラのケースでは、口唇欲動ということになる。

この二重の構造の視点のもとでは、すべての症状は二様の方法で研究されなければならない。ラカンにとって、恐怖症と転換性の症状は、症状の形式的な外被に帰着する。すなわち、「それらの症状は欲動の現実界に象徴的な形式が与えられたもの」(Lacan, “De nos antécédents”, in Ecrits)ということになる。このように考えれば、症状とは享楽の現実界的核心のまわりに作り上げられた象徴的な構造物ということになる。フロイトの言葉なら、それは、「あたかも真珠貝がその周囲に真珠を造りだす砂粒のようなもの」(『あるヒステリー患者の分析の断片』:人文書院旧訳より抜き出している:引用者)。享楽の現実界は症状の地階あるいは根なのであり、象徴界は上部構造なのである。(Lacan’s goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way.、Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq

たとえば、フロイトは『終りある分析と終りなき分析』1937にてーーラカンが後年フロイトの遺書と呼んだのだがーーこの症状の地階(享楽の現実界)は治癒不可能としている。


◆中期ラカン

もし大文字の他者において真理と呼ばれるものの一貫性が、いかなる方法でも保証されえずにどこにもないなら、それはどこにあるのでしょうか。あるとすれば、小文字の他者[対象a]のこの機能がそれを請け合うのです。(セミネールⅩⅥ)

ここで、〈他者〉の〈他者〉は存在しないについての標準的解釈を示す(すなわち異なった見解もあることに注意)。

〈他者〉の〈他者〉は存在しないとは、
=大他者[A]の大他者[Φ=象徴的ファルス]は存在しない。
≒大他者〔S2〕の大他者〔S1〕は存在しない。
=シニフィアンの連鎖〔S2〕の支えである〈父の名〉〔S1〕は存在しない。

――では、なにが存在するのか、〈父の名〉には見せかけとしての〈対象a〉が入る。

分析の終わりとは、知を想定された主体が失墜することと、この主体がこの対象aの出現へと還元されることにあるのです。・・・知を想定された主体、すなわち分析家の見地からすれば、精神分析主体とともに幻想的にその部分を演じている者とは、分析家であり、彼は分析の終わりで、もはやこの残余[対象a]以外の何ものでもないものであることを耐えるに至るのです。(セミネールⅩⅤ)

対象aの最も簡潔な定義は、対象に〈わたし〉が書き込まれているということである。一般に、対象aは、欲望の対象-原因とされるが、対象aは、けっして欲望の対象ではない。むしろ原因である。欲望かつ欲望の対象は、その原因の「効果」である。

中期ラカンの態度を取るなら、大事なのは、分析家は、最後に屑としての対象aとなることである。あなたが魅惑されていたのは、ただあなたが書き込まれていただけだよ、と。

ラカン派ではないが中井久夫の次の言明は、精神科医として、最後に屑になることを語っているとしてよいのではないか。

精神科医の自己陶酔ははっきり有害であり、また、精神科医を高しとする患者は医者ばなれできず、結局、かけがえのない生涯を医者の顔を見て送るという不幸から逃れることができない、と私は思う。(中井久夫『治療文化論』P198)

ーーたとえば芸術作品への過度の愛着も、いつか屑になるときがある。わたしが書き込まれていただけなのだ、と気づくときがある。ここで、いささか「〈他者〉の〈他者〉は存在しない」の話から逸脱するが、ジジェクによる対象aの最も分かりやすい説明のひとつを掲げておこう。わたくしのある芸術作品へのひどい愛着は、わたくしの青春が書き込まれているだけだったということに数年前気づくようになった文である。

舞台はアメリカの小さな田舎町。男たちは夕方になると居酒屋に集まり、昔話に花を咲かせて郷愁に浸っている。町に伝わる伝説―――たいていは彼らの若い頃の冒険談―――はどういわけかどれも、町外れの丘に立つ廃屋と関係がある。その不気味な「ブラック・ハウス」には何か呪いがかかっているらしく、男たちの間では、誰もあの家に近づいていけないという暗黙の了解がなされている。あそこに入ると生命の危険があるとすら思われている(あの家には幽霊がいるとか、孤独な狂人が住みついていて浸入する者を片っ端から殺すとか、噂されている)のだが、同時に、男たちの青春の思い出はすべてその「ブラック・ハウス」に結びついている。そこは彼らが初めて「侵犯」、とくに性体験に係わる侵犯を経験した場所なのだ(男たちは、昔あの町でいちばんきれいな女の子と初めてセックスをしたとか、あの家で初めて煙草を吸ったとかいった話を飽きもせずに繰り返し話す)。

物語の主人公は町に引っ越してきたばかりの若い技師である。彼はそうした「ブラック・ハウス」にまつわる神話を耳にして、男たちに、明晩あの不気味な家を探索してみるつもりだと告げる。その場にいた男たちはそれを聞いて、口には出さないが、激しい非難の目で主人公を見る。翌晩、若い技師は、何か恐ろしいこと、あるいは少なくとも予期せぬことが自分の身に起こるのではないかと期待して、問題の家を訪れる。彼は期待と緊張で体をこわばらせ、暗い廃屋に入り、ぎしぎし音を立てる階段を上り、一つ一つの部屋を調べるが、朽ちかけた敷物がいくつか床に散らばっているだけで、他には何もなかった。彼はすぐ居酒屋に戻り、誇らしげに、「ブラック・ハウス」はただの汚い廃屋にすぎず、神秘的なところも魅力的なところもない、と断言する。男たちはぞっとすると同時に強烈な反感を抱く。若い技師が帰ろうとしたとき、男たちの一人が狂ったように襲いかかる。技師は運悪く仰向けに地面に倒れて頭を打ち、しばらくして死ぬ。

どうして男たちは新来者の行動にこれほど激しい反感をおぼえたのであろうか。現実と幻想空間という「もうひとつの光景」との差異に注目すれば、彼らの憤りが理解できる。男たちが「ブラック・ハウス」に近づくことを自分たち自身に禁じていたのは、そこが、彼らが自分たちの郷愁にみちた欲望、すなわち歪曲された思い出を投射できる、からっぽの空間だったからである。闖入者たちは、「ブラック・ハウス」はただの廃屋にすぎないと公言することによって、男たちの幻想空間を陳腐な日常空間へと貶めたのである。彼は現実と幻想空間の差異をなくしてしまい、男たちから、彼らが自分たちの欲望を表現できるような場所を奪ってしまったのである。

(ラカン):幻想とは不可能な視線のことである。幻想の「対象」は、幻想の光景そのもの、つまりその内容ではなく、それを目撃している不可能な視線である。(ジジェク『斜めから見る』

※ここでもまた、話が前後するが、途中、「〈他者〉の〈他者〉は存在しない」の説明をしたときに、”=”ではなく”≒”とした。

=大他者[A]の大他者[Φ=象徴的ファルス]は存在しない
大他者〔S2〕の大他者〔S1〕は存在しない

なぜそうしたかは「「波打ち際littorale」と「横棒としての象徴的ファルスΦ」」に記した。

…………

ジジェクの「ひねた=斜めから見る」見解はたまには慎もうと思ったが、やはりさわりだけでも引用しておこう(LESS THAN NOTHING 2012より)。わずか一言がときに新しい地平を開くのだから。

・〈他者〉の〈他者〉はいない、すなわち言語の循環的な(自己言及的な)戯れを除いて、真実の究極的な支柱はない、と主張したとき、ラカン自身、事実上はソフィストだったという意味だろうか?

・〈大他者〉の最初の形象は母なのだから、「〈他者〉はいない」ということの最初の意味は母は去勢されているということである。

たとえば、モニカ・ルインスキー(Monica Lewinsky)にとっても〈他者〉Φはいないことーークリントンが去勢されていないーーが分かってしまった、ということになる。




クリントンは政治権力上ではファルスを持っていた。だが…モニカは彼が去勢された主体であることが分かってしまった…私の友曰く、フロイトの「葉巻はただの葉巻だ」よ、と。…モニカが見出しのは、クリントンはファルスを持っているが、所有していないことだ。(Levi R. Bryant, Sexuation 1– The Logic of the Signifier


◆後期ラカン

さて後期ラカンは、どうなるのか。

ミレールは 2000-2001 年のセミネールにおいて、ラカンの教えを三つの時期に分けた。ラカンの体系の区分は研究者によって異なるが、ミレールは前期をセミネール 1 から 10までの時期(1953-1963)、中期をセミネール 11 から 21 までの時期(1964-1974)、後期を「第三の女」とセミネール 22 から 27 までの時期(1974-1980)とした。そして、翌年のセミネールにおいて、 それぞれの時期に対応するものとして、 「ラカンの三つの臨床」を提示している。ラカン第一臨床は「同一化の臨床」、ラカン第二臨床は「幻想の臨床」、ラカン第三臨床は「サントームの臨床」とされている。(赤坂和哉『ラカン的臨床への助走』)

《父の名は単にサントームのひとつの形式にすぎない。父の名は、単に特別安定した結び目の形式にすぎないのだ》(Thomas Svolos“ Ordinary Psychosis in the era of the sinthome and semblant”)という見解が中期から後期ラカンへの決定的な見解(ミレール派における)なのだろう。

……臨床において、「父の名」の名の価値下落は、前代未聞の視野に導いてゆく。ラカンの「皆狂っている、妄想的だ」という表現、これは冗句ではない。それは話す主体である人間すべてに対して、狂気のカテゴリーの拡張と翻訳しうる。誰もがセクシャリティについてどうしたらいいのかの知について同じ欠如を患っている。このフレーズ、この箴言は、いわゆる臨床的構造、すなわち神経症、精神病、倒錯のそれぞれに共通であることを示している。そしてもちろん、神経症と精神病の相違を揺るがし掘り崩す。その構造とは、今まで精神分裂病の鑑別のベースになっていたものであり、教育において無尽蔵のテーマであったのだが。(ジャック=アラン・ミレール 2012 The real in the 21st century by Jacques-Alain Miller

※参照:
1、「父の名は単にサントームのひとつの形式にすぎない
2、「ラカン派の「主体の解任destitution subjective」をめぐって
3、《症状のない主体はない》(ラカン)


…………

※附記

初期のラカンにおいて、すべての強調は、父の名の隠喩に置かれた。その機能は、主体を母の欲望から解放すること等々だった。現代ラカン派に於けるこの理論的モティーフの継続的な流行は、ラカンの決断と鋭く相反する。その決断とは、ラカンはその理論的モティーフを捨て去っただけではなく、反対の考え方に置き換えさえしたのだ。すなわち〈他者〉の〈他者〉は存在しない、と。

父を信じることは、典型的な神経症の症状である。それはボロメオ構造の四番目の輪である。ラカンはそこから離れた。そして三つの輪を一緒にするために機能する新しいシニフィアンを探し求め始めた。この文脈において、重要なのは父とその機能を区別することである。すなわち、母と子の分離にかかわる機能、子どもが〈他者〉の享楽から解放されることを伴う機能である。もしこの分離が、二番目の〈他者〉である父への疎外に終わってしまったなら、それは構造的には、以前の疎外(母との同一化)と何の変わりもない。

ラカンの意図は、その点を超えて行くことだった。故に彼は分離の機能とその象徴的特徴ーー作用する要素はシニフィアンだという意味であるーーに焦点を絞った。フロイトの時代においては、このシニフィアンは実際の父と繋がっていた。しかしそれは歴史的な偶然contingencyである。まさに同じ機能が、氏族構造内でトーテムの名付けを通して設置され得た。そこでは、分離は名付けを通して獲得され、加えて最初の外部から決定付られたアイデンティティーー母の集団の一員ーーはまた二番目の、外部から決定付られたアイデンティティーー兄弟と叔父の集団の一員ーーによって代替される。どちらの場合も、名付けの過程が中心的なものであり、まさにこの過程をラカンはその後期理論で特権化した。とはいえ、どちらの場合も主体はこの名付けとそれが表すものーー〈他者〉によって決定付られたものーーを信じなければならないという事実は残る。

言い換えれば、ラカンはフロイトが扱ったまさに同じ問題から逃れていない。それは同じ文脈とさえ言いうる。すなわち、シニフィアンの分離機能は、人がそれを信じる条件においてのみ作動する。こういうわけですべての物事は想像界の領域に残ったままだ。そして人は陥らなくてはならない、“Credo quia absurdum” 「不合理なるがゆえに信ず」に。フロイトがこのテルトゥリアヌスの表現を引用したのは、まさに父の権威はなぜそしてどこにあるのかと問うたときだった。すなわちその恣意の特徴を。この袋小路はかぎりなく重要である。というのはラカンの分析は、分析家に父のポジションから離れることを要求したのだから。(Lacan’s goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way.(Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq 2002)

くり返して念をおしておくが、ラカン派内には、異なった見解ーー或いはより穿った観点ーーもある。それが表題の「簡略版」の意味である。ジジェクなどは、ヘーゲルの否定の否定を持ち出して、〈他者〉の〈他者〉は存在しないを説明しているが、それはここでは触れ得ていない。

いずれにせよ、〈大他者〉S1を信じることは、神経症の症状であり、そこから分離しなければならないが、他方、S1を信じなければ(同一化しなければ)学べない。《主体は充分な量の支えを与えてくれるシニフィアンとそれに伴なった疎外と知が必要である。その後ようやく、主体は支えの欠如のポイントを受け容れる(参照:レイシズムと享楽(Levi R. Bryant+ZIZEK))。

たとえば偉大な思想家を学ぶときも、いつかは、モニカのように、主体は支えの欠如のポイント(クリントンの去勢)を受け容れなければ、悪性のナショナリズムと同じ状態のままでいてしまうことになる。

スピノザは『エチカ』第3部13定理でこう書いている、「精神は身体の活動能力を減少し阻害するものを表象する場合、そうした物の存在を排除する事物をできるだけ想起しようと努める」。

これはとりわけ当て嵌まるだろう、悪性のナショナリズム、あるいは主人の形象への強い同一化の場合に。主人の形象、例えば、ラカン、ジジェク、バディウ、ハイデガー、ドゥルーズ&ガタリ、デリダ等々である。

これらの形象の批判に遭遇した場合、精神は、あたかも批判を耳に入れることさえ出来ない。まるで殆どある種のヒステリーの盲目に陥ったかのようになる。その盲目は、例外としての法が去勢されることへの不可能性の幻想から湧き出る(幻想とは〈大他者〉(A)の去勢や分裂を仮面で覆い隠蔽する機能がある)。

結果として、思考に逸脱が生じる。即座に、かつ屡々ひどく無分別な仕草で、批判は的を外していると攻撃されることになる。そこに、ラカンが言ったことを観察したり聴いたりことは限りなく困難だ、すなわちラカン曰く「真理の愛は去勢の愛である」と。(Levi R. Bryant,Sexuation 3: The Logic of Jouissance (Cont.)

2015年5月5日火曜日

エティエンヌ・バリバールのエスの悪Id-Evil、メタレイシズム、民主主義

エティエンヌ・バリバールについて少し調べているなかでーー彼は、「メタレイシズム」概念や、「エスの悪 id Evil」概念など、マルクス主義者として注目すべき概念の創出した政治哲学者だ(後述)ーー太田悠介という方の「「大衆の恐怖」の擁護のために一一エティエンヌ・バリバールの政治哲学におけるスピノザの契機」という論文を読んだ(ネット上pdf)ので、そこからのメモ。

いやその前に、ウィキぺディアからまず基本的な紹介文を掲げよう。

ルイ・アルチュセールの教え子。女優ジャンヌ・バリバールは娘で、彼女の元夫は俳優のマチュー・アマルリック。

太田悠介氏の論文に記載されているバリバール紹介の文には、《バリバールは、1981年にフランス共産党の反植民地主義の形骸化を告発した論文を直接のきっかけとして、党を除名処分となった》とある。

あるいは、

バリバールは(……)民主制概念の思想的な源泉のひとつを、ユダヤ人共同体を異端の廉で、追われたのち、レンズ磨き職人として生計を立てた17世紀オランダの市井の哲学者、バルフ・スピノザのうちに見出す。スピノザもまたパリバールと同様に、民衆の声の根本的な不確実性を知りながらも、倦むことなくその声に耳を傾け続けた思想家であった。(……)この努力こそがスピノザの強みであり、またスピノザを非常に困難な状況に追い込む原因となるだろう。

ともある。だがここではスピノザに触れず、この好論文の冒頭近くにある次の文を抜き出しておくだけにする。

民主制に関する一切の先入観を抜きにして、次のような素朴な疑問から民主制を考えてみると、一体どうなるのだろうか。すなわち、民主制の原則にまったく忠実であるような、民衆〔デモス〕の声と完全に一致する民主制〔デモクラシー〕を構想するのは可能だろうか、という問いである。

この観点がそのまったくの素朴さにもかかわらず、依然として有効なのは、それが民衆の意志から乖離したあらゆる既存の制度の批判に際して、最も基本的な根拠を与えてくれるからである。たとえば、「構成的権力」の概念が、その理論的妥当性をめぐる専門的な議論とは別の次元で、それなりの説得力を持つ理由のひとつは、この概念が上記の素朴な疑問に一定程度の答えを提供しているからであろう。つまり、民衆の手によってひとたび具体的な形をえた権力は、まさしくその構成されたという完了時において、その瞬間に民衆の手にはもはやないのだからそれはただちに民衆の構成する力によって再度問い直されるべきだ、という原則的な答えを、である。

しかし、制度化されたあらゆる民主制を批判し、より根源的な民主制を擁護しようとする立場を極限までおしすすめると、民主制の定義自体が非常に困難となるのは間違いない。というのもその際には、たとえば選挙システムによって断続的に届けられる民衆の声だけでは、正統性の確保のためには不十分とされるからである。合法性の枠内に収まらない法を侵犯する手段によって示される民衆の声が、そこでは当然ながら射程に入ってこざるをえない。こうした仕方で民衆の意志をもらさず汲み取ろうとするならば、民主制は民衆の声が制度やシステムに結実するや否やそれが問い直されるとされるという、絶えざる更新作業のうちにしか存在しないことになる。言い換えれば、民主制は制度化に失敗し続けることで初めて成功するという、制度ならざる制度なのである。これこそが、民主制が原理的には「永続革命的」であるほかない所以である(…Bensaid[2009])。

エティエンヌ・バリバール(EtienneBalibar)もまた、諸制度の恒常的な聞い直しを求める動きのうちに、民主制の本来の姿を見出す思想家の一人である。パリバールによれば、国家であれ、ヨーロッパのような地域共同体であれ、あらゆる政治体は構成されるやいなや、直ちにそこに所属を許されなかった者による市民権の要求にさらされるのでありその政治の境界線の再定義が必要となる。それゆえに、パリバールにとっての民主制とは、諸制度を作り上げながら、同時にその諸制度の正統性が民衆による絶えざる問い直しを経ることによってしか調達できないという、原理的な困難を抱えた特殊な政治形態として定義されよう。パリバールはこの原理的な困難に対する根本的な解決策は存在しないと考えており、したがってこの困難を恒常的な諸制度の問い直しによって暫定的に解決しながら、すぐ背後から迫ってくる制度化の危険を回避すべく、絶えず前方に逃避してゆくとという実際の運動のうちに、民主制に残された突破口をみてとるのである(Balibar[1997])。

《民主制が原理的には「永続革命的」であるほかない》、あるいは《すぐ背後から迫ってくる制度化の危険を回避すべく、絶えず前方に逃避してゆくとという実際の運動のうちに、民主制に残された突破口をみてとる》とある。これはどこかで聴いた言葉の変奏であるような気がしないだろうか。

共産主義とは、われわれにとって成就されるべきなんらかの状態、現実がそれに向けて形成されるべきなんらかの理想ではない。われわれは、現状を揚棄する現実の運動を、共産主義と名づけている。この運動の諸条件は、いま現にある前提から生じる。(マルクス『ドイツ・イデオロギー』)

バディウやジジェクの「コミュニズムよ、もう一度!」とはこの文脈で捉えなければならない。

現代的理論の仕事は二重化される。一方で、マルクス主義者の「 政治経済学批判」を反復すること、但しその固有の標準としての「コミュニズム」というユートピア主義者のイデオロギー的概念なしで、である。他方で、資本主義者の地平から真に脱出することを想像すること、但し均衡のとれた(自己)拘束された社会ーー大抵の現代環境保護論がその誘惑に負けている前-デカルト的傾向ーーの前近代的概念に回帰する罠に陥らないで、である。(ジジェク、LESS THAN NOTHINGーー「ユートピアンとしての道具的理性instrumental reason主義者たち」)

…………

さて、ここからは、Étienne Balibarのことをすこし調べてみようという気になった二つの文章を掲げる。

◆「エスの悪Id-Evil」

エティエンヌ・バリバールは、現在の生の特徴として、過剰で非-機能的な残酷さの概念を提案する。残酷さ、その範囲は、「原理主義者」のレイシストと/或いは宗教的殺戮者から、我々の大都会にて青少年やホームレスによる暴力の「無感覚の」暴発までに及ぶが、そこでの暴力は、「エスの悪Id-Evil」と呼ばれる(フロイトのId (das Es, le Ça)に言及しつつ)。すなわち何の功利的あるいはイデオロギー的な理由もなしで行なわれる暴力である。

外国人についての、我々から仕事を盗むやら我々の西洋的価値観への脅威やらの全ての話に騙されるべきではない。より綿密に吟味してみれば、すぐに明らかになるのは、この話は、むしろ上っ面の二次的な合理化に過ぎないということだ。

スキンヘッドから究極的に得られる答えとは、外国人を殴ることは、彼らを気持ちよくさせるということであり、外国人の現前はスキンヘッドを苛々させるということだ。我々がここで遭遇するのは、実に「エスの悪Id-Evil」である。自我と享楽のあいだにある関係性における最も基本的な不均衡によって構造化され動機付けられた悪である。

「エスの悪」とは、このように、原初的に喪われた欲望の対象-原因への主体の関係性において、最も基本的な「短絡」を上演するのだ。「他者」(ユダヤ人、日本人、アフリカ人、トルコ人)の中にあって我々を「悩ます」ことは、この「他者」が対象への特権的な関係性を享楽しているように見えることだ。その「他者」は、対象-宝物を所有していたり、我々から掠め取ったり(それが、我々が所有していない理由である)、或いは、対象の我々の所有を脅かそうとするように見えてしまうのだ。(ジジェク、LESS THAN NOTHING 2012 私訳)


◆「メタ・レイシズム」

ーー「スラヴォイ・ジジェクとの対話1993」『「歴史の終わり」と世紀末の世界』(浅田彰)所収より

ジジェク)……もちろん、一九九二年に旧東独のロストクで起こったネオ・ナチによる難民収容施設の焼き討ちのような事件そのものは、昔から何度も繰り返されてきた野蛮な暴力行為にすぎない。しかし、問題はそれが一般大衆にどう受けとめられるかです。カントは、フランス革命の世界史的意味は、パリの路上での血なまぐさい暴力行為にではなく、それが全ヨーロッパの啓蒙された公衆の内に引き起こした自由の熱狂にあるのだと言っている。それと同じように、今回も、それ自体としてはおぞましいネオ・ナチの暴力行為が、ドイツのサイレント・マジョリティの承認とは言わぬまでも暗黙の「理解」を得たことが問題なのです。実際、社会民主党の幹部の中でさえ、こうした事件を口実にドイツのリベラルな難民受け入れ政策の再検討を提唱する人たちが出てきている。こういう時代の空気の変化の中にこそ、「外国人」を国民的アイデンティティへの脅威とみなすイデオロギーがヘゲモニーをとる危険を見て取るべきだと思うのです。

厄介なのは、こうして広がりはじめた新しいレイシズムが、リベラルな外見、むしろレイシズムに反対するかのような外見を取り得るということです。この点で有効なのがエチエンヌ・バリバールの「メタ・レイシズム」(メタ人種差別)という概念だと思うのですが、どうでしょうか。

浅田)……伝統的なレイシズムは、自民族を上位に置き、ユダヤ人ならユダヤ人を下位の存在として排除する。たとえば、クロード・レヴィ=ストロースの構造人類学は、どの民族の文化も固有の意味をもった構造であり、そのかぎりで等価である、という立場から、そのような自民族中心主義、とりわけヨーロッパ中心主義を批判した。

そのレヴィ=ストロースが、最近では、さまざまな文化の混合は人類の知的キャパシティを縮小させ、種としての生存能力さえ低めることになりかねないから、さまざまな文化の間の距離を維持して、全体としての多様性を保つべきだと、しきりに強調する。つまるところは、フランスはフランス、日本は日本の伝統文化を大切にしよう、というわけです。

もちろん、人類学者がエキゾティックな文化の保存を訴えるのは、博物学者が珍しい種の保存を訴えるのと同じことで、それらがなくなればかれらは失業してしまいますからね(笑)。

しかも、こういう見方からすると、文化的な差異を一元化しようとする試みは「自然」な反発を引き起こし、人種的・民族的な紛争を引き起こしかねないということになる。つまり、すべての人間の同等性を強調する抽象的な反レイシズムは、実はレイシズムを煽り立てるばかりなのであり、レイシズムを避けたかったら、そういう抽象的な反レイシズムを避けなければならない、というわけです。

これが、レイシズムと抽象的な反レイシズムの対立を超えた真の反レイシズムであると称するメタ・レイシズムですね。

ジジェク)そう、このメタ・レイシズムこそ、移民が中心的問題となるポスト植民地時代固有の、いわばポストモダンなレイシズムだと言えるでしょう。

メタ・レイシストはたとえばロストク事件にどう反応するか。もちろんかれらはまずネオ・ナチの暴力への反発を表明する。しかし、それにすぐ付け加えて、このような事件は、それ自体としては嘆かわしいものであるにせよ、それを生み出した文脈において理解されるべきものだと言う。それは、個人の生活に意味を与える民族共同体への帰属感が今日の世界において失われてしまったという真の問題の、倒錯した表現にすぎない、というわけです。

つまるところ、本当に悪いのは、「多文化主義」の名のもとに民族を混ぜ合わせ、それによって民族共同体の「自然」な自己防衛機構を発動させてしまう、コスモポリタンな普遍主義者だということになるのです。こうして、アパルヘイト(人種隔離政策)が、究極の反レイシズムとして、人種間の緊張と紛争を防止する努力として、正当化されるのです。

ここに、「メタ言語は存在しない」というラカンのテーゼの応用例を見て取ることができます。メタ・レイシズムのレイシズムに対する距離は空無であり、メタ・レイシズムとは単純かつ純粋なレイシズムなのです。それは、反レイシズムを装い、レイシズム政策をレイシズムと戦う手段と称して擁護する点において、いっそう危険なものと言えるでしょう。

先に私は旧ユーゴスラヴィアの紛争に対する欧米の一見中立的な態度を批判し、性急にどちらかの側につく前にこの地域に古くから根ざした人種的・民族的・宗教的差異を深く理解しなければならないといった、傍観者のような民俗学的中立性こそが、紛争の永続化と拡大の条件になっていると指摘しましたが、その背後にも同じ論理があります。それが、旧ユーゴスラヴィアに関しては外的に、ドイツの難民問題に関しては内的に現れているのです。

浅田)一見リベラルな多元主義がその反対の結果を生み出してしまうとしたら、皮肉と言うほかありませんね。それは、言い換えれば、「歴史以後」の平衡状態に達したはずの自由主義のシステムが、その内部から新たな変動要因を生み出してしまうということでもあるでしょう。……(『SAPIO』1993.3 初出)

2015年5月4日月曜日

Harriet Cohenハリエット・コーエンのバッハ

Bach - Fugue in C minor - A Comparisonを聴いていて、初めて知ったのだが、Harriet Cohenハリエット・コーエンに魅了されるなぁ、ーー惚れちまった(C minorの演奏はテンポの揺れに気になるところはあるが)」




Fugue No.7

「1928年の録音らしいのだが、バッハが好きでたまらないって感じだなァ、メロメロになっちまうよ。BWV852のプレリュードはもともとひどく好きな曲なんだがーーこれはコラールフーガさーー、こんなふうにきかせてくれた演奏家いたかな、いままで」

「写真をみると、かなりのヒステリー系かもしれないが、やっぱりヒステリーってのは大事だよ、$→S1だからな。バッハというS1(主人)への捧げ物だよ、聴衆には背中を向けて演奏している、顔はバッハのほうに向いてるんだな」

「それにBWV22のカンタータの最後の合唱を編曲しているらしい」





「オレは正直なところロマン派だからな、ロマン派的なバッハだっていいさ」

ロマン主義的な追憶の描写における最大の成功は、かつての幸福を呼び起こすことではなく、きたるべき幸福がいまだ失われていなかった頃、希望がまだ挫折していなかった頃の追想を描くことにある。かつての幸福を思い出し、嘆く時ほどつらいものはない――だがそれが、追憶の悲劇という古典主義的な伝統である。ロマン主義的な追憶とは、たいていが不在の追憶、一度たりと存在していなかったものの追憶である。(ローゼンのシューマン論 ―― Slavoj Zizek/Robert Schumann-The Romantic Anti-Humanistよりの孫引き)

「《きたるべき幸福がいまだ失われていなかった頃、希望がまだ挫折していなかった頃》のノスタルジーさ、オレのバッハへのカンタータへの愛とは。十代のころ限りなく惚れこんでいたからな」


◆Bach choral "Ertödt' uns durch dein' Güte"





アリシア・デ・ラローチャだって、ハリエット・コーエンの編曲のバッハを弾いている。





ああ、シューマン弾きのラローチャの真骨頂!


「オレは基本的に女性の演奏家が好きなんだろうなあ、しかもバッハを弾いてくれるとーーシブクが肝腎だけどーーそれだけで惚れるのかなあ、なぜかなあ」

「バッハじゃなくても、シューマン選んでくれる演奏家がいいねえ、オレは」。

「シューマンといえば、一年ほどまえ出合ったエリー・ナイElly Ney(総統のピアニスト)の演奏、Etudes Symphoniques, Variations Posthumes, No. 5にはびっくりしたなあ、いつまでたってもビックリギョウテンだよ」

「こういった演奏してくれたら、ナチだって許すよ、オレは」。





ロマン主義的なるものとはこの世のなかでもっとも心温まるものであり、民衆の内面の感情の深処から生まれた、もっとも好ましいもの自体ではないでしょうか?疑う余地はありません。それはこの瞬間までは新鮮ではちきれんばかりに健康な果実ですけれども、並みはずれて潰れやすく腐りやすい果実なのです。適切な時に味わうならば、正真正銘の清涼感を与えてくれますが、時を逸してしまうと、これを味わう人類に腐敗と死を蔓延させる果実となるのです。ロマン主義的なるものは魂の奇跡です―― 最高の魂の奇跡となるのは、良心なき美を目にし、この美の祝福に浴したときでありましょうが、ロマン主義的なるものは、責任をもって問題と取り組もうとする生に対する善意の立場からすれば、至当な根拠から疑惑の目で見られるようになり、良心の究極の判決に従って行う自己克服の対象となってまいります。(トーマス・マンーー1924 ニーチェ記念講演)




音楽は一見いかに論理的・倫理的な厳密なものであるにせよ、妖怪たちの世界に属している、と私にはむしろ思われる。この妖怪の世界そのものが理性と人間の尊厳という面で絶対的に信頼できると、私はきっぱりと誓言したくはない。にもかかわらず私は音楽が好きでたまらない。それは、残念と思われるにせよ、喜ばしいと思われるにせよ、人間の本性から切り離すことができない諸矛盾のひとつである。(トーマス・マン『ファウスト博士』)

「エリー・ナイのOP.133を聴きたかったね、とはいえ、この曲の評価が高まったのは、ようやく最近のことだから、かつての演奏家はほとんどやらなかったんだろうけどさ」




「この狂気に陥る寸前のような感覚を与えてくれる音楽ーー実際、シューマンはこの曲を書いたあと、狂気に陥ったーーエリー・ナイにぴったりなんだが・ ・ ・」

「ハリエット・コーエンではなく、エリー・ナイの話に偏ってきてしまったが、やっぱり格が違うのさ、アリシア・デ・ラローチャでさえまったくかないはしない。でも惚れはしないね、シューマンだけだな。オレは凡庸な「善人」だからな、惚れるのはラローチャやハリエット・コーエンでいいさ」。

「えっ、なんだって?」

ーー〈善〉とは根源的・絶対的〈悪〉の仮面にすぎない、〈善〉の背後には根源的な〈悪〉があり、〈善〉とは「〈悪〉の別名」である(ラカン)

「そんなことはわかってるさ、凡庸だから、仮面を被っているままで、しらばっくれていたいのさ」

…………

イギリスの傑出したワグネリアンであるジョン・デスリッジは、かつて次のような注目すべき事実を強調した。ヒトラーが好んだワーグナーのオペラは、露骨にドイツ的な《マイスタージンガー》でも、東方の野蛮な遊牧民からドイツを防衛するために武器を取ることを訴える《ローエングリン》でもなく、名誉や恩義などの象徴的義務にみちた日々の生活という昼を捨て去り、人を夜に埋没させて自己の死を恍惚として受容させる傾向をもつ《トリスタン》だった、ということである。キルケゴール流に言うならば、この「政治的なものの美的な宙吊り」こそが、まさにナチのとった態度の背景としてのファンタスムの中核を成すのだが、そこで重要であったのは何か政治以上のもの、美的なものと化して人を恍惚に誘うある共同体的体験であり、その典型的な例としてニュルンベルクの政治集会で夜な夜な行なわれた儀式をあげることができるだろう。(ジジェク「『アンダーグラウンド』、あるいは他の手段による詩の継続としての民族浄化」)

《悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう。諸君の怠惰な知性は、幾百万の人骨の山を見せられた後でも、「マイン・カンプ」に怪しげな逆説を読んでいる。》(小林秀雄「ヒットラーと悪魔」)

彼(キェルケゴール)は知っていた。だから、この素晴らしい芸術に対する俺の特別な関係に精通していた―― 彼の見るところ、この芸術はもっともキリスト教的な芸術なのだ。―― 勿論、マイナの符合付きだ。それはキリスト教によって創始され、展開されたのだけれども、やがてデモーニッシュな領域として否定され排除された、―― 君、このことは知っておけよ。音楽はきわめて神学的な問題なのだ ―― 罪がそうであるように、 悪魔である俺がそうであるように。このキリスト教的音楽に対する情熱こそ本当のパッションなのだ。認識と惑溺が一体となっているのがこのパッションなのだ。本当の情熱は曖昧なもののなかにのみイロニーとして存在するのだ。最高のパッションの領域は絶対的に疑わしいものなのだ。(トーマス・マン『ファウスト博士』)

『ファウスト博士』の執筆には、アドルノとの対話(あるいは助言)が大きく寄与しているらしい。

音楽は、それ自体の歴史的傾向に反抗せずに盲目的、無抵抗に服従し、世界理性ではない世界精神に身を委ねる。このことによって音楽の無邪気さは、あらゆる芸術の歴史が準備に取りかかっている破局を早めようとする。音楽は歴史をそれなりに認めている。歴史は音楽を廃棄したがる。しかしながら、まさにこのこと事体が死のみそぎを受けた音楽をもう一度正当化し、存続する逆説的チャンスを音楽に与える。(アドルノ『新音楽の哲学』)

MONDSCHEINSONATE – DIE VOLKSPIANISTIN ELLY NEY


《……この運命を私が怖れているとでも思うの? たとえどんなことになろうと,私は怖れることなく,この運命に向かって突き進んで行くつもりよ。断頭台さえ私にとっては逸楽の玉座でしかなく,死ぬことだってものともしないわ,そして己れの大罪の犠牲者として死ぬ快楽,いつの日か全世界を恐怖せしめる快楽にわれを忘れて,私は気をやるのよ。》(サド、ボルゲーゼ公爵夫人)






2015年5月3日日曜日

三つの「父の死」

【星の沈黙】

1955年のセミネールにおいてラカンは聴衆に対して一つの奇妙な質問を出す。「星はどうしてしゃべらないのだろうか」と。これにたいするラカンの回答は「第一に、星には何も言いたいことがないから、第二に、星には時間がないから、第三に、星を黙らせてしまったから」というものであった。(……)

かつてわれわれが夜空を眺めていたとき、星たちはわれわれにこれらの話を語りかけてきたのであり、われわれはそれにやさしく耳を傾けていた(……)。だが現代のわれわれにはもうそれが聞こえない。あるときから星たちは突然黙りこくってしまったのである。むしろラカンの言うように、星を黙らせてしまったのだ。いったい誰が星を黙らせたと言えるのだろう。

それはニュートンである。ニュートンが宇宙を支配する万有引力の法則を発見し、世界を何の意味もない数式にして書きとめ、パスカルの言う「無限空間の永遠なる沈黙」をうちたてたのである。以後、宇宙は何の意味もない数式に還元されるようになり、星には言いたいことはなくなってしまったのである。(向井雅明『真理と知』)

いつ大文字の父が死んだのかは、ラカンが言うようにニュートンが殺したのかもしれず、あるいはフーコーのように「西欧の〈エピステーメー〉全体が18世紀末転覆した」ーー要するにフランス革命前後とする立場もある。

18世紀末以前に、〈人間〉というものは存在しなかったのである。…〈人間〉こそ、知という造物主がわずか二百年たらずまえ、みずからの手でこしらえあげた、まったくの最近の被造物にすぎない。(フーコー『言葉と物」)

おそらく大きな視点からはこれらの見解の方がより「正しい」のだろうが、いまは二〇世紀における三つの「父の死」をめぐって簡単に記述する。

いやそのまえに、奇妙な声が何処からともなくきこえてくる。それはニーチェの有名すぎる「神の死」ではない。もっと厄介な「超自我」の声である。

父の機能を基礎づけるのは父親殺しだと主張さえしてフロイトが父なるものを守っているように、無神論の真の公式は「神は死んだ」ではなく、「神は無意識的である」である。(ラカン『セミネールⅩⅠ)

すなわち、《父は死んだが、父はそのことを知らない》、ーーだが、これについては、ここで記すことはしない。

かつまた、日本の批評家から発せられた猥褻な「超自我」の声さえ耳元を掠める・ ・ ・

王殺しなどかつて起りはしなかったかのごとくに振舞いながら、記憶喪失に徹すること。また一方で、忘れられた王殺しにもかかわらず、空位になった王座に誰もが自分を位置づける権利だけはあると確信すること。(蓮實重彦『物語批判序説』)

二〇世紀とは「記憶喪失」の歴史である。すくなくとも三度「父」が死んでいる。

ーーそしてここでの文脈からはいささか外れるが、二〇世紀とは前代未聞の異常なことが起こった世紀でもある。二十世紀初めの世界人口は二〇億でしかない。今、七〇億超であり百億も遠くない世紀にわれわれは生きている。




ジジェクのジョーク?を付しておこう、

《地球にとってもっともよいのは、三分の二の人間が死ぬような仕組みをゆっくりとつくることではないでしょうか》(『ジジェク、革命を語る』)



【第一の父の死】ーー第一次大戦


フロイトが『文化のなかの居心地の悪さ』(1930)で教えてくれたのは、社会と個人のあいだいは緊張の領域があり、個人の欲望は社会によって拘束されるということだ。彼が仕事を始めたのは、19世紀のいわゆるヴィクトリア朝モラルの社会、すなわち全き父権制社会がいまだ華やかかりし時代であり、そこでは伝統的な階級構造と支配的な宗教による「禁止」、あるいは超=強制倫理の支配する時代だった。

これは日本ではいささか様相が異なるだろう。そもそもフロイトの闘った相手は西欧の一神教文化である。だが日本にはそんなものがあったのは明治以後の一時期だけだ。

かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。(……)

明治以後になって、第二次大戦前までの父はしばしば、擬似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。戦前の父はしばしば政府の説く道徳を代弁したものだ。そのために、父は自分の意見を示さない人であった。自分の意見はあっても、子に語ると子を社会から疎外することになるーーそういう配慮が、父を無口にし、社会の代弁者とした。日本の父が超自我として弱かったのは、そのためである。その弱さは子どもにもみえみえであった。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」初出2003 『時のしずく』2005所収)

一神教的な超=強制倫理の支配する時代の典型例として、たとえば、第一次世界大戦において、ほとんど全ての世代が自発的に参加し、成人の男たちは、喜んで「思い切った行動」に出て、死に遭遇した。われわれの今の感覚では信じがたい行動であるだろう。あの時代の英国貴族のノブレス・オブリージュnoblesse oblige――そのもとに英国青年貴族の半ばが第一次世界大戦に倒れたーーなど、後期資本主義社会において、どうやってあり得るというのか。いや、原理主義者たちがいるではないか?――だがここではその議論に踏み込まない。

いずれにせよ、後期資本主義社会、あるいは新自由主義の時代に支配しているのは、《 自由、平等、所有そしてベンサム(Freiheit, Gleiheit,EigentumundBentham)だけである》(マルクス『資本論』)。

ベンサム! と言われてもなんのことか分からない人がいるだろうから、こう附記しておこう。

ペンサム! というのは、両当事者のどちらにとっても、問題なのは自分のことだけだからである。彼らを結びつけて一つの関係のなかに置く唯一の力は、彼らの自己利益、彼らの特別利得、彼らの私益という力だけである。そして、このようにだれもが自分自身のことだけを考えて、だれもが他人のことは考えない……(『資本論』)

次ぎのニーチェの文は、上に英国貴族の例を挙げたばかりであり、イギリス人にはやや失礼な言葉だが、ここでのイギリス人は現在ならアングロサクソン流の自由主義者を代入して読めばよい。《人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである》(ニーチェ『偶像の黄昏』)。世界は幸福をもとめて努力する者たちのみの時代なのだ、理念・信念など糞喰らえ!

アングロサクソン流といえば、世界金融資本家でもある。いまや世界は皆ユダヤ人なのだ。いみじくもユダヤ人マルクス曰く、

ユダヤ教の現世的根拠は何か。それは実利的欲求すなわち利己心である。ユダヤ人の現世的崇拝の対象は何か。それはボロ儲けである。ユダヤ人の現世的な神とは何か。それはカネである。よしそうだとすれば、ボロ儲けとカネから、すなわちこの実際的で現実的なユダヤ教から解放されることが現代の自己開放ということになろう(マルクス 『ユダヤ人問題によせて』1844)

さて、なんの話だったか・ ・ ・ヴィクトリア朝モラルの話、超=強制倫理の話である。

精神分析があの超=強制倫理の支配する社会から生まれたのは偶然ではない。『夢判断』(1900)の時代はもちろんだが、フロイトが名エッセイ『ナルシシズム入門』1914や『悲哀とメランコリー』1917を書いたのは、第一次大戦の予感、あるいはその最中のことである。この大戦によって、父権制社会のナルシシズムは情け容赦なく粉々に打ち砕かれ、そして、西欧社会の悲哀の時期が引き続いた。父への悲哀(哀悼)、大文字の父への哀悼である。

ところで、二十世紀前半の偉大な三大詩人、ヴァレリー、エリオット、リルケの代表的な仕事は、第一次世界大戦直後に生まれている。

二十世紀をもっとも大きく動かした詩は結局、フランス詩のポール・ヴァレリー( 1871-1945年)の「若きパルク」『魅惑』の一対、ドイツ詩のライナー・マリア・リルケ(1875-1926年)の『ドゥイノの悲歌』『オルフォイスへのソネット』の一対、そして英詩のT・S・エリオット(1888-1965年)の『荒地』に落ちつくかと私は思う。

これらの詩は一九二二年を中心とするごく狭い時期に出ている。「若きパルク」だけは一七年春に刊行されたが、この詩人が世に広く知られるのは一九年である。二二年は『魅惑』『荒地』との刊行の年である。翌二三年早々に『ドゥイノの悲歌』『オルフォイスへのソネット』が伝説的な短期間で完成する。

これらの詩は成立の時間が近いだけではなく、互いに密接な関係にある。「若きパルク」『魅惑』の衝撃がリルケが書き悩んでいた『ドゥイノの悲歌』を完成させ、その傍らに『オルフォイスへのソネット』を生んだ。リルケは『魅惑』の独訳にその後の短い晩年の多くを費やすとともに、フランス語で詩作するようになる。エリオットの『荒地』だけは詩でなく十九年に英国の雑誌に掲載されたヴァレリーのエッセイ「精神の危機」と密接な関係にある。ともに西洋の精神的危機を正面からとりあげたものである。(中井久夫「私の三冊」

彼らの代表作さえ、大文字の父への哀悼のなか(少なくとも哀悼の予感のなか)で書かれているのだ。ヴァレリーの「精神の危機」とは、大文字の父の危機ーーヴァレリーはフランスと英国の「父」に同一化していたーーでもあるだろう。『精神の危機』(1919)は次ぎのように始まる、《我々文明なるものは、今や、すべて滅びる運命にあることを知っている》 。

さて、第一次大戦によって西欧文明の大文字の父への哀悼が起こったとしても、世界的には、「父」は弱体化しつつも生き残っていたとすべきだろう。たとえば米国人たちの第二次大戦での振舞いはどうだったか。

元商船三井監査役、熊谷淑郎氏によれば、戦争末期も末期、昭和二十年七月、病院船「高砂丸」が米駆逐艦の臨検を受けた。乗艦してきた米水兵は皆船尾に翻る日の丸に向かってきちっと敬礼した。若き乗務員の熊谷氏には「目のくらむような驚き」だった。この時期、日本では米英の国旗を踏みつけていた。米国に兜を脱ぎたくなるのはこういう時である。(中井久夫「国際化と日の丸」(神戸新聞 1991.12.26)『記憶の肖像』所収)

もちろん、この米国人の姿は、今では(とくにヴェトナム戦争以後は)、大いに割引して読まねばならない。

アメリカの戦記は個人をヒーローのように描くことでメリハリをつけている。将軍だけでなく一兵卒も英雄として描かれる。特に、第二次世界大戦はアメリカの「よい戦争」であった。ヴェトナム戦争以後、米国に戦記ものが出ないのも何ごとかを意味しているだろう。米国人の多くは個人的には戦争をよいこととは思っていないと私は感じる。アメリカへの移民の秘められた動機として、戦争を繰り返していたヨーロッパからの徴兵忌避があるときいた。(中井久夫「伝記の読み方、愉しみ方」)

【第二の父の死】--1968年5月

ヴェトナム戦争後は、米国でも「父の哀悼」があった。とはいえ、世界的に注目すべきなのは、1968年の学園紛争である。

「学園紛争は何であったか」ということは精神科医の間でひそかに論じられつづけてきた。1960年代から70年代にかけて、世界同時的に起こったということが、もっとも説明を要する点であった。フランス、アメリカ、日本、中国という、別個の社会において起こったのである。「歴史の発展段階説」などでは説明しにくい現象である。

では何が同時的だろうかと考えた。それはまず第二次世界大戦からの時間的距離である。1945年の戦争終結の前後に生まれた人間が成年に達する時点である。つまり、彼らは戦死した父の子であった。あるいは戦争から還ってきた父が生ませた子であった。しかも、この第二次世界大戦から帰ってきた父親たちは第一次大戦中あるいは戦後の混乱期に生まれて恐慌時代に青少年期を送っている人が多い計算になる。ひょっとすると、そのまた父は第一次大戦が当時の西欧知識人に与えた、(われわれが過小評価しがちな)知的衝撃を受けた世代であるかもしれない。

二回の世界大戦(と世界大不況と冷戦と)は世界の各部分を強制的に同期化した。数において戦死者を凌駕する死者を出した大戦末期のインフルエンザ大流行も世界同期的である。また結核もある。これらもこの同期性を強める因子となったろうか。

では、異議申立ての内容を与えたものは何であろうか。精神分析医の多くは、鍵は「父」という言葉だと答えるだろう。実際、彼らの父は、敗戦に打ちひしがれた父、あるいは戦勝国でも戦傷者なりの失望と憂鬱とにさいなまれた父である。戦後の流砂の中で生活に追われながら子育てをした父である。古い「父」の像は消滅し、新しい「父」は見えてこなかった。戦時の行為への罪悪感があるものも多かったであろう。戦勝国民であっても、戦場あるいは都市で生き残るためにおかしたやましいことの一つや二つがあって不思議ではない。二回の大戦によってもっともひどく損傷されたのは「父」である。であるとすれば、その子である「紛争世代」は「父なき世代」である。「超自我なき世代」といおうか。「父」は見えなくなった。フーコーのいう「主体の消滅」、ラカンにおける「父の名」「ファルス」の虚偽性が特にこの世代の共感を生んだのは偶然でなかろう。さらに、この世代が強く共感した人の中に第一次大戦の戦死者の子があることを特筆したい。特にアルベール・カミュ、ロラン・バルトは不遇な戦死者の子である。カミュの父は西部戦線の小戦闘で、バルトの父は漁船改造の哨戒艇の艇長として詳しい戦史に二行ばかり出てくる無名の小海戦で戦死している。

異議申立ての対象である「体制」とは「父的なもの」の総称である。「父なるもの」は「言語による専制」を意味するから、マルクス主義政党も含まれる道理である。もっとも、ここで「子どもは真の権威には反抗しない。反抗するのはバカバカしい権威silly authorityだけである」という精神科医サリヴァンの言葉を思い起こす。第二次大戦とそれに続く冷戦ほど言語的詐術が横行した時代はない。もっとも、その化けの皮は1960年代にすべて剥がれてしまった。(「学園紛争は何であったのか」書き下ろし『家族の深淵』1995中井久夫)

ーーこの中井久夫のすぐれた指摘において、なかんずく、《「父なるもの」は「言語による専制」を意味する》を強調しておこう。

さて、このようにして、1968年に第二弾の「父の死」が起こった。その父は、「バカバカしい権威」であったかもしれぬが、その権威の死が起こった。こうしてポスト1968.5社会が始まる。

これはヴィクトリアンモデルの逆転である。そこでは、あらゆる「権威」が反故に向かう。もちろんこれは、1948年の世界人権宣言にその根のひとつがあるが、それが主に扱ったのは、女性、子どもであり、かつまた教育、医療等の権利のようなコミュイティの関心領域だ。しかし1960年代からは、それは殆どあらゆる権威の形式に漸次向かってゆき、一般の個人の解放に関わるようになる。すなわち自律した自我と本物の個性の時代であり、可能な限り多くの権利をなるべく享受しようとする。

こうやって、ヴィクトリアの抑圧の代わりに、我々はポスト68年の押し付けを持つことになったわけだ。その押し付けとは、自由でなければならないという強制である。代表的には自由恋愛の「強制」だろう。くり返せば日本ではこの様相はいささか異なるが、それはここでは長くなり過ぎるので割愛する(参照:「おみこしの熱狂と無責任」気質(中井久夫)、あるいは「ヤンキー」をめぐるメモ)。


実際、ラカンが「主人の言説」から「資本家の言説」へ、と言い出したのは、1968年学園紛争直後の1969年のセミネールⅩⅦ(精神分析の裏面)からである。

主人の言説は、概ね消滅してしまった(ラカン セミネールⅩⅦ)
もう遅すぎる……、危機、主人の言説のではない、資本家の言説、それは代替だが、それは開いてしまったouverte(ラカン ミラノ 1972/5/12)
資本主義のディスクールを特徴づけるものは、排除(Verwerfung)、拒絶、象徴界の領野すべての外に拒絶することだ。何を拒絶するのか? 去勢を拒絶する。(ラカン、セミネールⅩⅨ 1972/1/6)

ここでの問題は、父なき時代、あるいは資本家の言説の時代になって、社会と個人の緊張はなくなったかどうかである。「父」や「主人」がいなくなって、人びとは超=強制倫理によって抑圧されることなく自由になったのだろうか。もちろんその側面はある。たとえばかつてのようなヒステリー症状はほとんど消滅し、いまではDSM(精神障害の診断と統計マニュアルDiagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)ーー《1980年に米国でDSM‐Ⅲが公刊されると、この黒船によって、日本の精神医学はがらりと変わった》(中井久夫)--、これに引き続くDSM-IVにおいて、ヒステリーという用語そのものが消えてなくなり、「転換性障害」とされるようになった。だが、父なき世代には、新しい「症状」が見られる。

現在、フロイトから百年経て、われわれはまったく異なった症状に直面している。恐怖症の構築のかわりに、パニック障害に出会う。転換症状のかわりに、身体化と摂食障害に出会う。アクティングアウトのかわりに、攻撃的な性的エンアクトメント(上演)に出会う、それはしばしば自傷行為と薬物乱用を伴っている。そのうえ、ヒストリゼーション(歴史化)等々はどこかに行ってしまった。個人のライフヒストリーのエラボレーション、そこにこれらの症状の場所や理由、意味を見出すようなものは、見つからないのだ。最後に、治療上の有効な協同関係はやってこない。その代りに、われわれは上の空の、無関心な態度に出会う。それは疑いの目と、通常は陰性転移を伴う。実際、そのような患者を、フロイトは拒絶しただろう。いささか誇張をもって言うなら、好ましく振舞う(行儀のよい)かつての精神神経症の患者はほとんどいなくなってしまった。これが、あなたがたが臨床診療の到るところで見出す現代の確信である。すなわち、われわれは新しい種類の症状、ことに、新しく取扱いが難しい患者に出会うのだ。(Lecture in Dublin, 2008 (EISTEACH) A combination that has to fail: new patients, old therapists Paul Verhaeghe 

こうして新しい症状の特徴について次の三つが挙げられることになる。

①主に身体にかかわる、さらにいえばソマティックに。
②それらはふつう、パフォーマティヴな特徴がある。
③意味作用の異なったレイヤーが欠けている、ヒストリゼーションの側面の欠如とともに云々、とある。

なぜこのようなことが起こってしまうのだろう。人びとは父の権威が消滅すれば、もっと幸福になるはずではなかったのか。超=強制倫理社会が崩壊して、人びとは平等で自由になるはずではなかったか。

たいてい見過ごされているのは、自我理想(父の権威)の崩壊は必然的に「母なる」超自我の出現を招くということである。母なる超自我は享楽を禁じない。それどころか、享楽を押しつけ、「社会的失敗」を、堪えがたい自己破壊的な不安によって、はるかに残酷で厳しい方法で罰する。「父親の権威の失墜」をめぐる騒々しい議論はすべて、それとは比べ物にならないくらい抑圧的なこの審級の復活を隠蔽するにすぎない。

今日の「寛容な」社会は、「組織人間」、つまり官僚制の強迫的な召使の時代よりも「抑圧」が少なくなったわけではけっしてない。唯一の違いは、「社会的交渉の規則への服従を要求しつつ、その規則を道徳的行動の掟に根づかせることを拒む社会」においては、(……)社会的要求は非情で処罰的な超自我の形をとるということである。(『斜めから見る』

ここでの「母なる超自我」を説明しだすと長くなるが、これは「享楽の父」のことでもある。この享楽の父、あるいは母なる超自我は、「享楽せよ、常にいよいよ、ますます享楽せよ!」[ jouis toujours encore plus ! ]と不可能な命令をする! どうして満腹になったのに、「もっともっと」食べることができよう。満腹(快感)原則の彼岸にある奇妙な命令を発する連中なのだ。

「享楽の父」とは、ラカン派の文脈では、欲望が隠喩化(象徴化)される前の「父」の欲望の体現者なのであり、そこにあるのは、猥雑な、獰猛な、限度を弁えない、言語とは異質の、そしてNom-du-Père(父の名)を与り知らない超自我である。これはラカンが超自我を「猥褻かつ苛酷な形象」[ la figure obscène et féroce ] (Lacan ,1955)と形容したことに基づく。

この享楽の父は、無法の勝手気ままな「母」の欲望と近似する。それゆえ、ミレール=ジジェクによって、「母なる超自我」とも命名される(参照:[PDF]The Archaic Maternal Superego-Leonardo S. Rodriguez - Jcfar.org)。

この欲望が隠喩化(象徴化)される前の「父」の欲望やら無法の勝手気ままな「母」の欲望の jouis toujours encore plus ! などという命令の声を浴びていると、厄介なことが起こる。

厄介なのは、個人の新しい症状だけではない。父の権威が崩壊して、レイシズムとナショナリズムが猖獗する。それは、なぜなのだろうか。

重要なことは、権力powerと権威authorityの相違を理解するように努めることである。ラカン派の観点からは、権力はつねに二者関係にかかわる。その意味は、私か他の者か、ということである(Lacan, 1936)。この建て前としては平等な関係は、苦汁にみちた競争に陥ってしまう。すなわち二人のうちの一人が、他の者に勝たなければいけない。他方、権威はつねに三角関係にかかわる。それは、第三者の介入を通しての私と他者との関係を意味する。(社会的絆と権威(Paul Verhaeghe)ーー「グローバル化で等質化すればするほど世界はバルカン化する」より)


【第三の父の死】--1989年ベルリンの壁崩壊

とはいえ、すこし話を先走り過ぎた。まだ、第三の父の死について記していない。上のような個人の、あるいは社会の症状がいっそう顕著になったのは、この第三の父の死以降だろう。とくにレイシズムとナショナリズムを見よ。それは90年からの目立った現象としてよいのではないか。

……神と宗教のもっともシンプルな定義は、真実と意味は同一のものだという考えにある。神の死とは、この真実と意味とを同じものとする考えの終りであ る。そしてコミュニズムの死もまた、歴史に関しての真実と意味の分離を告げていると、私ならつけ加える。「歴史の意味」にはふたつ意味がある。ひとつは、 歴史がどこへ向かうか、といった「方向性」。もうひとつは、プロレタリアートの手になる人間の解放史などといった歴史の目的である。実際コミュニズムの時 代には、正しい政治判断を下すことは可能だとの確信があった。そのとき、私たちは歴史の意味に動かされていたのだ。……そしてコミュニズムの死は、歴史の領域でのみ、神の二度めの死となるのである。(アラン・バディウ ”A conversation with Alain Badiou, lacanian ink 23 (2004) )

バディウは、神の二度めの死としてマルクスの死を言っているが、ここでの文脈では、第一次大戦、1968年に引き続く、1989年のベルリンの壁崩壊による「三度めの父の死」である。

ある意味では冷戦の期間の思考は今に比べて単純であった。強力な磁場の中に置かれた鉄粉のように、すべてとはいわないまでも多くの思考が両極化した。それは人々をも両極化したが、一人の思考をも両極化した。この両極化に逆らって自由検討の立場を辛うじて維持するためにはそうとうのエネルギーを要した。社会主義を全面否定する力はなかったが、その社会の中では私の座はないだろうと私は思った。多くの人間が双方の融和を考えたと思う。いわゆる「人間の顔をした社会主義」であり、資本主義側にもそれに対応する思想があった。しかし、非同盟国を先駆としてゴルバチョフや東欧の新リーダーが唱えた、両者の長を採るという中間の道、第三の道はおそろしく不安定で、永続性に耐えないことがすぐに明らかになった。一九一七年のケレンスキー政権はどのみち短命を約束されていたのだ。

今から振り返ると、両体制が共存した七〇年間は、単なる両極化だけではなかった。資本主義諸国は社会主義に対して人民をひきつけておくために福祉国家や社会保障の概念を創出した。ケインズ主義はすでにソ連に対抗して生まれたものであった。ケインズの「ソ連紀行」は今にみておれ、資本主義だって、という意味の一節で終わる。社会主義という失敗した壮大な実験は資本主義が生き延びるためにみずからのトゲを抜こうとする努力を助けた。今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない(しかしまた、強制収容所労働抜きで社会主義経済は成り立ち得るかという疑問に答えはない)。(……)

冷戦が終わって、冷戦ゆえの地域抗争、代理戦争は終わったけれども、ただちに古い対立が蘇った。地球上の紛争は、一つが終わると次が始まるというように、まるで一定量を必要としているようであるが、これがどういう隠れた法則に従っているのか、偶然なのか、私にはわからない。(中井久夫「私の「今」」1996.8初出『アリアドネからの糸』所収)
私の興味をひいたのは、東側と西側が相互に「魅入られる」ということでした。これは「幻想」の構造です。ラカンにとって、究極の幻想的な対象とはあなたが見るものというより、「まなざし」自体なのです。西側を魅惑したのは、正統的な民主主義の勃発なのではなく、西側に向けられた東側の「まなざし」なのです。この考え方というのは、私たちの民主主義は腐敗しており、もはや民主主義への熱狂は持っていないのにもかかわらず、私たちの外部にはいまだ私たちに向けて視線をやり、私たちを讃美し、私たちのようになりたいと願う人びとがいる、ということです。すなわち私たちは私たち自身を信じていないにもかかわらず、私たちの外部にはまだ私たちを信じている人たちがいるということなのです。西側における政治的な階級にある人びと、あるいはより広く公衆においてさえ、究極的に魅惑されたことは、西に向けられた東の魅惑された「まなざし」だったのです。これが幻想の構造なのです、すなわち「まなざし」それ自体ということです。

そして東側に魅惑された西側だけではなく、西側に魅惑された東側もあったのです。だから私たちには二重の密接な関係があるのです。(Conversations with Žižek, with Glyn Daly(,邦題『ジジェク自身によるジジェク』からだが、邦訳が手元にないので、私訳 を附す)

こうしてまたラカンに戻れば、「資本家の言説」の時代とは、資本の欲動の時代である。すなわち、むき出しの市場原理に対する「抑止力」はない時代である。

欲動は、より根本的にかつ体系の水準で、資本主義に固有のものである。すなわち、欲動は全ての資本家機械を駆り立てる。それは非人格的な強迫であり、膨張されてゆく自己再生産の絶え間ない循環運動である。我々が欲動のモードに突入するのは、資本としての貨幣の循環が「絶えず更新される運動内部でのみ発生する価値の拡張のために、それ自体目的になった瞬間である」(マルクス)。(ジジェク『パララックス・ヴュー』)

【三段階の父の死以後】--「女性の論理」の時代

「資本の欲動」の時代とは、おそらく「女性の論理」の時代ともいい得るかもしれない。このあたりについては、別にもうすこし詳しく記すべきだろうが、--いやいや、誰もこの記事をここまで読んでいまいから安心して、いまは名高いLevi Bryanのブログから一部私訳を掲げておくだけにする。

※なお男性の論理/女性の論理の基本は、「資料:ラカンの男性の論理と女性の論理/カントの力学的アンチノミーと数学的アンチノミー」を見よ。




最初は、我々は考えたかもしれない、女性の論理(非全体の論理)に基づいた社会構造の方が遥かに上手くゆくと。とどのつまり、女性の論理は、差異性、偶然性、単独性を強調する。

ラカンは次のように簡潔に言うのを好んだ、男性の論理は、ホモ-セクシャル的であり、女性の論理は、唯一真のヘテロ-セクシャルであると。男性の論理についてのこの見解は、フロイトの悪評高い『トーテムとタブー』の事例に明らかに見られる。かつまた『集団心理学と自我の分析』における軍隊組織の分析も同様に見られる。

ここでのポイントは、性別化された男性がゲイであるということではなく、彼らが皆、享楽と欲望を統制する一つの同じ法の支配下に置かれるということだ。こういわけで、兄弟の一団が『トーテムとタブー』における原父を殺したとき、彼らは、代わりに、母と姉妹を所有することに対する禁止の法を設置する。

反対に、ラカンが主張するには、女性として性別化された主体は、差異の、異性愛の真の愛を持つ。もちろんそれは「話す存在の非-全体が去勢の法に従属する」限りとしてである。

しかしながら、女性の論理のタームで組織された社会構造もまた、それ自身の袋小路に遭遇する。男性的社会構造は、超越性と必然性のタームにて考え得る。主体にかんしての指導者やボス、父親、神、国等々の超越性と、これらの主体が如何に法と関わるかについてである。

ここでの法は、法への一つだけの例外とともの超越性と普遍性である(多分、この理由で、ブッシュ政権の最後の26%の支持者は彼の行政当局の不正に煩わされるところはないだろう)。

反対に女性的社会構造は、内在的かつ偶然的である。ここでの強調点は、断然に、絶えず流動的で変貌する関係性のネットワーク形式にある。これらのネットワークは、前世紀に大惨事を引き起こした集団的幻想と同じような怖るべき分岐形成物を生み出さない限りで、いっそう魅力的であるにもかかわらず、女性的ネットワークは、一連の他の問題を引き起こす。一方で、この社会的形式を基盤としたネットワークは、政治的闘争が決定的に難しい。というのは、敵がどこにいるのかはっきりしないからだ。(註)

多分、もっと根本的には、女性的ネットワーク社会は、あらゆるタイプのファリックな主人あるいは導師の探求の発生を伴う。(……)

おそらく、これが、ネットワークベース社会によって開かれた新しい欲望の自由が、主体を不安で満たす理由である。というのは、もはや、何を欲望したらいいのかを教えてくれる指針がないからだ、「私が欲望するのを私は知っている。でも、私にとって、正しい欲望とはどんな欲望なのか、どんな欲望が私を欲望させるのか?」。これがまたあらゆる種類の原理主義の勃興を説明してくれる。そこで主体は、欲望の空間を創造するヒエラルキー社会モデルに執着する。かつまたそのモデルにおいては、後期資本主義の虚しい憂鬱な姿勢を回避できる。

ようするに、象徴界の「非-全体」(女性の論理)を認める限りでは、それは数多くの点で好ましいし、真実あるいはリアルに基づいているにもかかわらず、女性の性化が我々を救うとは言えない。

しかしながら、心に留めておかねばならないポイントは、男性と女性の性別化は、父の名とエディプスのまわりに組織された秩序を基盤としていることだ。

言い換えれば、性別化は現実界に直接関係があるにしろ、父の名が、主体性がそれを通して形成される基本的様相である限り、男性と女性の性別化のみがある。後期ラカンは他の可能性を思い描いている。すなわちセミネール23(サントーム)にて、ラカンは表明した、「父の名なしでやっていくことが可能だ、人が父の名を使用する限りで」と。さらに、父の名は複数化される、その機能に奉仕するためにシニフィアン構造のヴァラエティが許容される。

最終的に、精神病は全ての主体に一般的なものとなる。父の名のまわりに組織されたエディプス構造は、ボロメオの結び目をつなぐ一つの方法ーー他のものの中のーーに過ぎなくなる。それは〈大他者〉 (A)の不在に応答する一つの方法でしかない。

代わりに、サントームがRSIの三つの輪をつなぐようになる。それはエディプスの役まわりを必要としない社会的リンクをもたらす。多分、そのときボルメオの臨床は、エディプスを超えて結び目をつなぐ別の方法を提供するが、男性と女性の性別化を超えた異なった形式の袋小路を生み出すだろう。(Levi R. Bryan,Surplus-jouissance, Desire, and Fantasy 私訳)

この文にて、Levi Bryanは、(註)とした箇所に、ジジェクのジョークとして、次の文の要約を掲げている。


…抑圧的な権威の没落は、自由をもたらすどころか、より厳格な禁止を新たに生む。この逆説をどう説明するのか。誰もが子供の頃からよく知っている状況を思い出してみよう。ある子が、日曜の午後に、友だちと遊ぶのを許してもらえず、祖母の家に行かなくてはならないとする。古風で権威主義的な父親が子供にあたえるメッセージは、こうだろう。

「おまえがどう感じていようと、どうでもいい。黙って言われた通りにしなさい。おばあさんの家に行って、お行儀よくしていなさい」。

この場合、この子の置かれた状況は最悪ではない。したくないことをしなければならないわけだが、彼は内的な自由や、(後で)父親の権威に反抗する力をとっておくことができるのだから。「ポストモダン」の非権威的主義的な父親のメッセージのほうがずっと狡猾だ。

「おばあさんがどんなにおまえを愛しているか、知っているだろう? でも無理に行けとはいわないよ。本当にいきたいのでなければ、行かなくていいぞ」。

馬鹿でない子どもならば(つまりほとんどの子供は)、この寛容な態度に潜む罠にすぐ気づくだろう。自由選択という見かけの下に潜んでいるのは、伝統的・権威主義的な父親の要求よりもずっと抑圧的な要求、すなわち、たんに祖母を訪ねるだけでなく、それを自発的に、自分の意志にもとづいて実行しろという暗黙の命令である。このような偽りの自由選択は、猥雑な超自我の命令である。それは子供から内的な自由をも奪い、何をなすべきかだけでなく、何を欲するべきかも指示する。(ジジェク『ラカンはこう読め!』PP.159-160)

フロイトの時代と異なり、いまの世代はまったく異なる「症状」を抱えている。彼らは己れを自由だと錯覚しているが、実際のところいまの世代の享楽の超自我は、彼らから、《内的な自由をも奪い、何をなすべきかだけでなく、何を欲するべきかも指示している》。

《個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである》(マルクス『資本論』)ーー、そう、彼らは自ら、諸関係を超越していると思っているかもしれない、だが、「彼らはそれを知らないが、そうする」"Sie wissen das nicht, aber sie tun es" (同マルクス)。すなわち、彼らは、母なる超自我の命令を知らないが、それに従っている。

上にこのメカニズムを示すジジェクの文章をいくらか掲げたが、もうすこしその前段を含めて引用すれば、次の如し。なにを彼らは「無意識的ににせよ」やっているのか。ーー病的ナルシシスト? いかに成功するか、だけの連中? 他者たちを操るための「(社会的)ゲームの規則」だけを知っている輩?

いずれにせよ、彼らは《根源的に体制順応者でありながら、逆説的に、自分を無法者(アウトロー)として経験する》、--この断言が正しいかどうかは、〈あなたがた〉が自ら判断したらよろしい。

……ここでは、前世紀に資本主義社会の中にあらわれた、主体のリビドー構造の連続した三つの形態を引っ張ってくることによって、いささか性急な「社会学的」な解答に賭けてみたいという誘惑に駆られる。その三つの形態とは、プロテスタント倫理の「自律的な」人間、他律的な「組織人間」、今日支配的になっている「病的ナルシシストpathological narcissist」である。ここでぜひとも強調しなければならない重要なことは、いわゆる「プロテスタント倫理の衰退」と「組織人間」の出現、つまり個人的責任という倫理が、他者のほうを向いた他律的人間の倫理に取って代わられても、そのそこにある自我理想の枠は無傷のままだということである。変わるのはその内容だけで、自我理想は、その個人が属する社会集団の期待として「外在化」される。道徳的満足をあたえてくれるのは。もはや、周囲の圧力に屈せず、自分自身に(つまり父性的自我理想に)忠実でありつづけたという感覚ではなく、集団への忠誠心である。主体は集団の眼を通して自分をみるようになり、集団から愛され評価されるような人間になろうと必死にある。

第三段階、すなわち「病的ナルシスト」の出現は、それ以前の二形態の根底に共通してあった自我理想の枠と絶縁する。 象徴的法を自分の中に取り入れるのではなく、複数の規則、すなわち「いかに成功するか」を教えてくれる便利な規則がいろいろ与えられる。ナルシスト的な主体は、他者たちを操るための「(社会的)ゲームの規則」だけを知っている。社会的関係は、彼にとってはゲームのためのグラウンドである。彼はそこで、本来の象徴的任務ではなく、さまざまな「役割」を演じる。本来の象徴的同一化を含んでいる、自分を縛るような関わりはいっさい持とうとしない。彼は根源的に体制順応者でありながら、逆説的に、自分を無法者(アウトロー)として経験する。もちろん、こういったことは社会心理学ではすでに常識の部類に属する。だが、たいてい見過されているのは、自我理想の崩壊は必然的に「母なる」超自我の出現を招くということである。母なる超自我は享楽を禁じない。それどころか、享楽を押しつけ、「社会的失敗」を、堪えがたい自己破壊的な不安によって、はるかに残酷で厳しい方法で罰する。「父親の権威の失墜」をめぐる騒々しい議論はすべて、それとは比べ物にならないくらい抑圧的なこの審級の復活を隠蔽するにすぎない。今日の「寛容な」社会は、「組織人間」、つまり官僚制の強迫的な召使いの時代よりも「抑圧」が少なくなったわけではけっしてない。唯一の違いは、「社会的交渉の規則への服従を要求しつつ、その規則を道徳的行動の掟に根づかせることを拒む社会」においては、(……)社会的要求は非情で処罰的な超自我の形をとるということである。(ジジェク『斜めから見る』pp.192-193)

さて、ここで終えるのは、やや尻切れとんぼだとは承知している。

ーーというわけで、(おそらく、そのうち続く)、と記しておこう。


2015年5月2日土曜日

主人のシニフィアンと統整的理念

松浦寿輝は、戦前の「国体」概念を《シニフィエの空虚それ自体によって初めて有効に機能しうるシニフィアン》(松浦寿輝『国体論』)としている。

これは主人のシニフィアンS1の定義と同じである。

なにが主人のシニフィアンを構成するのかといえば、《語りの残りの部分、一連の知識やコード、信念から孤立化されることによってである》(Fink 1995)

あるいは、この“empty”(空の)シニフィアン(主人のシニフィアン)が、正確な意味を持たないことによって、《雑多な観点、相相剋する意味作用のチェーン、ある特定な状況に付随する独特の解釈を、ひとつの共通なラベルの下に、固定し保証してくれる》(Stavrakakis 1999)

まさしく、「国体」というシニフィアンはこの機能をもったといえるだろう。それが去勢されていない絶対の権威として全日本人に機能したとは言い難いが、ある一定の割合の日本人には、そうだったに相違ない。

誰かが辞書を不変の権威として援用するなら、辞書は主人のシニフィアン、去勢されていない権威として機能する。(Levi R. Bryant,Žižek's New Universe of Discourse: Politics and the Discourse of the Capitalist)

ところで。養老孟司は「国体」について次のように言っているようだ。

強調したいのは「戦前においては、国体は現実であった」ということです。それが戦後、虚構に変わりました。一億玉砕にしても特攻隊にしてもそうですが、現実でなければ人間があのような行動をとるはずがありません。ところが戦後になるとそれは虚構に変わってしまいました。なぜかといえば、結局、現実といってもそれは我々の脳が決めているからです。(養老孟司『かけがえのないもの』)

あるいは、佐藤優は『日本国家の神髄 - 禁書「国体の本義」を読み解く』なる書名の本をはじめとして活発な国体論を展開しているようだが、彼の議論はネット上で引用されている断片を垣間読んだだけであり、ここではその話をするつもりはない。

いまはただ、空虚のシニフィアンが、ある決定的な役割をもつ場合がある、という「形式的」な機能を確認しておきたいだけだ。それがどんな場合にそうなるか、というのはひょっとして佐藤優の「国体」論にヒントがあるのかもしれないとは思うが。

この主人のシニフィアンの社会的絆を生みだす機能は、「国体」のような日本全体の共同体におけるものではなくてもよい。小さなコミュニティでもいい。

如何にコミュニティが機能するかを想起しよう。コミュニティの整合性を支える主人のシニフィアンは、意味されるものsignifiedがそのメンバー自身にとって謎の意味するものsignifierである。誰も実際にはその意味を知らない。が、各メンバーは、なんとなく他のメンバーが知っていると想定している、すなわち「本当のこと」を知っていると推定している。そして彼らは常にその主人のシニフィアンを使う。この論理は、政治-イデオロギー的な絆において働くだけではなく(たとえば、コーサ・ノストラ Cosa Nostra(われらのもの)にとっての異なった用語:私たちの国、私たち革命等々)、ラカン派のコミュニティでさえも起る。集団は、ラカンのジャーゴン用語の共有使用ーー誰も実際のところは分かっていない用語ーーを通して(たとえば「象徴的去勢」あるいは「斜線を引かれた主体」など)、集団として認知される。誰もがそれらの用語を引き合いに出すのだが、彼らを結束させているものは、究極的には共有された無知である。(ジジェク『THE REAL OF SEXUAL DIFFERENCE』私訳)

さらには次のような指摘さえある。すなわち〈私〉という人一人称代名詞の主人のシニフィアンの典型的な機能である、と。

《S1、最初のシニフィアン、フロイトの“border signifier”, “primary symbol”, “primary symptom” とさえいえるが、それは、主人のシニフィアンであり、欠如を埋め、欠如を覆う過程で支えの役割をする。最善かつ最短の例は、シニフィアン「私」である。それは己のアイデンティティの錯覚を与えてくれる。》(ポール・ヴェルハーゲ 1998)

《「私」を意味する(signifies)シニフィアン(言表行為の主体)は、意味されるsignifiedもののないシニフィアンである。ラカンによるこの例外的シニフィアンの名は、主人のシニフィアン (S1)であり、それは「普通の」シニフィアン(S2)の鎖とは対照的である》(ジジェク2012)


政治的にも、左右両陣営に、なんらかの「主人のシニフィアン」が少なくともかつてはあったはずだ。たとえば、「コミュニズム」や「マルクス主義」が、主人のシニフィアンとして機能していなかったはずはない。

現在世界を代表する「左翼」思想家の二人バディウ、ジジェクは、次のように新しい主人のシニフィアンを探し求めている。

バディウは時折、"正義"を主人のシニフィアンとするように提案する。"自由"や"民主主義"のようなあまりにもひどくイデオロギー的に意味付けられ過ぎた概念のかわりにすべきだというものだ。しかしながら正義についても同様な問題に直面しないだろうか。プラトン(バティウの主要な参照)は正義を次のような状態とする、すなわちその状態においては、どの個別の決断も全体性の内部、世界の社会秩序の内部にて、適切な場所を占めると。これはまさに協調組合主義者の反平等主義的モットーではないか。とすれば、もし"正義"を根源的な束縛解放を目指す政治の主人のシニフィアンに格上げしようとするなら多くの付加的な説明が必要となる。(ZIZEK,LESS THAN NOTHING 2012私訳)

社会的結合social bondを目指す言動を取るなら、主人のシニフィアンは欠かせないとさえ言えるだのではないか。その効能は、良い面、悪い面の両方があるに相違ないにしろ、集団が一致団結して活動するには欠かせない。

そもそもラカンの「主人のシニフィアン」の機能の起源のひとつは、フロイトの『集団心理学と自我の分析』における「たった一つの特徴」概念からである。


徴の最もシンプルな形、それは正しく言うならば、シニフィアンの起源である(S.17)。

ーーラカンは、フロイトの「たった一つの特徴trait unaire」を、彼がS1として書くものと繋げている(ジュパンチッチ
同一化は前記のように、感情結合のもっとも初期のもっとも根源的な形式である。そして症状形成や、したがって抑圧や無意識の機制が支配する条件のもとでは、対象選択がふたたび同一化になり、このようにして自我が、この同一化のさいに、ときには好まない人物を、また、ときには愛する人物を模写することは注目に値する。両方の場合はいずれもこの同一化は部分的で、極度に制限されたものであり、対象人物の一つの特色(einen einzigen Zug)だけを借りていることも、われわれの注意をひくにちがいない。(『集団心理学と自我の分析』フロイト著作集6 人文書院 )

《Es muß uns auch auffallen, daß beide Male die Identifizierung eine partielle, höchst beschränkte ist, nur einen einzigen Zug von der Objektperson entlehnt.(Massenpsychologie und Ich-Analyse)》


例えば、柄谷行人の「NAM」や、その運動が失敗したあと、カントから拾い出した「世界共和国」は、主人のシニフィアンでなくてなんだろう。

もっとも柄谷行人の議論では、「コミュニズム」も「世界共和国」も統整的理念である(構成的理念に対する)。

キルケゴールは、「思弁は後ろ向きであり、倫理は前向きである」といった。その意味で、彼はヘーゲルからカントに戻っている。実は、マルクスも同様である。彼もヘーゲルからカントに向かったのだ。未来に向かって現状を乗り越える、つまり事前の立場に立つ者は、理性の統整的使用を必要とする。マルクスは歴史に関して構成的理念を一切斥けた。つまり、未来社会についての設計を語らなかった。彼にとって、コミュニズムは統整的理念である。そして、彼はそれを生涯保持した。

しかるに、コミュニズムを歴史の必然として、社会を理性的に構成しようとしたマルクス主義者は、ヘーゲルの事後的な立場を、事前の立場に持ち込んだことになる。そのようにして、統整的理念と構成的理念が混同される。「理性の構成的使用」は暴力的強制となる。その結果、理念一般が、あるいは理性一般が否定されるようになった。(柄谷行人 第一回 長池講義 講義録 2007)

とはいえ、主人のシニフィアン自体、構成的理念では決してなく、統整的理念寄りの機能をするものではないだろうか? そして統整的理念でさえも暴力的に働く場合があるのではないだろうか(ジジェクの近年の大著『パララックス・ヴュー』と『LESS THAN NOTHING』に、「統整的理念」に対する両義的な言及があるが、ここではそれには触れない)。

とはいえ、このあたりは柄谷行人のいう統整的理念概念を捉えきれていないせいかもしれない。今は統整的理念の明らかに良い面を叙する文章を掲げておこう。

たとえば、われわれが自然を認識できるだろうという「統整的理念」は、事実、発見的に働くのである。マンハッタン・プロジェクトに関与したというノーバート・ウィーナー(サイバネティックスの創始者)は、原爆製造に成功した後、防諜上最大の機密とされたのが、原爆の製造法ではなく、原爆が製造されたという情報であったといっている。同時期にドイツ・日本でもそれぞれ原爆の開発を進めていたので、それが製造されたという事実がわかれば、たちまち開発に成功するからである。詰め将棋の問題は実戦におけるよりはるかに易しい。かならず詰むという信が最大の情報である。自然界が数学的基礎構造をもつというのもそのような理論的な「信」である。この意味で、もし近代西洋においてのみ自然科学が誕生したとしたら、このような「理論的信」があったからだといってよい。(柄谷行人『トランスクリティーク』 p76-84

さて話をもとに戻せば、かつてのナチスにとって「ユダヤ人」は主人のシニフィアンとして機能したというジジェクの見解がある(ただし、それだけではなく、もう一つ対象aとして機能したという見解も併せてジジェクは語っているが、それは後に引用する)。

〈主人のシニフィアン〉とは何だろう?社会的崩壊の混乱状況を想像してみよう。そこでは、結合力のあるイデオロギーの力はその効果を失っている。そのような状況では、〈主人〉は新しいシニフィアンを発明する人物だ。そのシニフィアンとは、名高い「縫い合わせ点quilting point」、すなわち、状況をふたたび安定化させ、判読可能にするものである。大学のディスクールは、この判読可能性を、定義によって支える知のネットワークを詳述するわけだが、その言説は、当初の〈主人〉の仕草を前提条件とし、それに頼っている。〈主人〉は新しいポジティヴな内容をつけ加えるわけではまったくない。――彼はたんにシニフィアンをつけ加えるだけだが、突如として無秩序は秩序、ランボーが言ったような「新しいハーモニー」に変ずるのだ。

ドイツにおける1920年代の反ユダヤ主義について考えてみよう。人びとは、混乱した状況を経験した。不相応な軍事的敗北、経済危機が、彼らの生活、貯蓄、政治的不効率、道徳的頽廃を侵食し尽した……。ナチは、そのすべてを説明するひとつの因子を提供した。ユダヤ人、ユダヤの陰謀である。そこには〈主人〉の魔術がある。ポジティヴな内容のレベルではなんの新しいものもないにもかかわらず、彼がこの〈言葉〉を発した後には、「なにもかもがまったく同じでない」……。たとえば、クッションの綴目le point de capitonを説明するために、ラカンは、ラシーヌの名高い一節を引用している、「Je crains Dieu, cher Abner, et je n'ai point d'autre crainte./私は神を恐れる、愛しのAbner よ、そして私は他のどんな恐怖もない。」すべての恐怖は一つの恐怖と交換される。すなわち神への恐怖は、世界のすべての出来事において、私を恐れを知らなくさせるのだ。新しい〈主人のシニフィアン〉が生じることで、同じような反転がイデオロギーの領野でも働く。反ユダヤ主義において、すべての恐怖(経済危機、道徳的頽廃……)は、ユダヤ人の恐怖と交換されたのだ。je crains le Juif, cher citoyen, et je n'ai point d'autre crainte. . ./私はユダヤ人を恐れる、愛する市民たちよ。そして私は他のどんな恐怖もない……。(ZIZEK,LESS THAN NOTHING 2012)
ふたたび想いだしてみよう、ラカンのとんでもない言明を。もし嫉妬深い夫の彼の妻についての訴えが(周りの他の男たちと寝ているというヤツだ)すべて本当でも、彼の嫉妬はいまだ病的だという見解だ。この同じ線でいくと、我々はこう言うことさえできる。ユダヤ人についてのナチの殆どの訴えが本当でも(ドイツ人を搾取したり、ドイツの若い女たちを誘惑する…)、彼らの反ユダヤ主義は、いまだ病的だ(だった)と。というのは、それは、彼らのイデオロギーの立場支える本当の理由を抑圧しているからだ。

だから、反ユダヤ主義の場合、ユダヤ人が「実際にどうであるか」の知は、まやかしであり、見当違いだ。真実のポジションにある唯一の知は、なぜナチは、イデオロギーの体系を支えるために、ユダヤ人の形象が必要性なのかについてだ。この正確な意味において、分析家の言説が「生産する」のは、主人のシニフィアン、患者の知の「脱線」である。それは、 真理の水準にある患者の知の場に位置する剰余-要素なのである。すなわち、主人のシニフィアンが生産された後、知の水準では何も変わらなくてさえ、「同じ」知が異なったモードで機能し始める。主人のシニフィアンは無意識のサントームなのであり、享楽の暗号なのである。主体は、知らないままに、その主人のシニフィアンに支配されている。(ジジェク『パララックス・ヴュー』2006 私訳)

さて、「ユダヤ人」は主人のシニフィアンだけでなく「概念上のユダヤ人」(かつてアドルノなどにより議論された)という用語を使って、対象aとして機能した側面についてのジジェクの指摘は多様であるがーーたとえばヘーゲルの「否定の否定」を取り出しての議論もあるーー、ここでは、難解な部分は端折り、一部だけ引用しておく。

要するに、父の名と“概念上のユダヤ人”の相違とは、象徴的フィクションと幻想的幽霊fantasmatic specterとの相違である。ラカンのアルジェブラではS1、すなわち主人のシニフィアン(象徴的権威の空のシニフィアン)と対象aの相違である。主体が象徴的権威を授けられるとき、彼はその象徴的肩書きの付属物として振舞う。すなわち〈大他者〉が彼を通して行動するのだ。幽霊的な現前の場合は、反対に、私が行使する力は“私自身のなかにあって私以上のもの”である。

しかしながら、去勢のシニフィアンとしてのファルスによって保証された象徴的権威と「概念的なユダヤ人」の幽霊的な現前とのあいだには決定的な相違がある。どちらの場合も、知と信念のあいだの分断を扱うにもかかわらず、このふたつの分断は根本的に異なった特質がある。最初の場合、信念は「目に見える」公的な象徴的権威にかかわる(私は父が不完全で弱々しいことを知っているにもかかわらず、私は父を権威の形象として受け入れる)。他方、二番目の場合、私が信じているのものは、目に見えない幽霊的な顕現である。幻想的な「概念上のユダヤ人」は象徴的権威の父権的形象、公的権威の"去勢された"担い手あるいは媒体ではない。そうではなく、何か決定的に異なったもの、正当なロジックを倒錯させる公的権威の不気味な分身である。彼は影として振舞う、公衆の眼には見えない、幻影のような、幽霊的全能性を照射するのだ。この測り知れなく捉えがたい彼のアイデンティティの核心にある地位によって、ユダヤ人はーー「去勢された」父とは対照的にーー去勢されていないものとして感知される。彼の実際の、社会的、公的な存在existenceが中断されればされるほど、その捉えがたい、幻想的な外-存在ex‐sistenceは人びとを脅かすようになる。(ZIZEK,LESS THAN NOTHING)

存在existenceと外-存在ex-sistenceの違いについては、「女は男のサントームであるUne femme est pour tout homme un sinthome」を見よ。

外-存在ex-sistenceとは、もともと、ハイデガー概念Ekstaseである。

《ラカンのex-sistence (外ー存在)は、ハイデガーのSein und Zeit(存在と時間)の仏訳から。ドイツ語ではEkstaseであり、ギリシャ語ではekstasis(外に立つこと)》(フィンク,The Lacanian Subject)


ジジェク自身の多様な解釈自体、ラカンの主人のシニフィアン(あるいは象徴的ファルスΦ)と対象aの識別の困難さを表している。それは、ラカンにとって、理論的な問題あるいは仕事は、主人のシニフィアンと対象aのあいだの区別であると、ジジェクが、最近の書(2012)でさえ、括弧つきで洩らしているのからも窺える。

(For Lacan, the theoretical problem or task is here to distinguish between the Master‐Signifier and the objet a, both of which refer to the abyssal X in the object beyond its positive properties).(LESS THAN NOTHING)

ジジェクを初めとするラカン派の苦心のあり様は、「「波打ち際littorale」と「横棒としての象徴的ファルスΦ」」にて、いくらか見た。



2015年5月1日金曜日

「波打ち際littorale」と「横棒としての象徴的ファルスΦ」

……ここにはシニフィアンと享楽jouissanceのあいだにじかのリンクがある。あるシニフィアンの反復によって、われわれは享楽jouissanceにアクセスする。そして、それはシニフィアンと象徴界を超えることによってではないのだ。かつまた法を逸脱したりシニフィアンの境界線を超えることによってではないのである。ラカンはなんどもこの点を強調している、《われわれは逸脱を扱っているのではない》。……人は言うことができる、セミネールⅩⅦのラカンにとって、享楽とはシニフィアンのそれ自身に対する不十分性inadequacyにあると。すなわち、無用な剰余を生み出すことなしに、“純粋に”機能することの不可能性inabilityであると。(ジュパンチッチAlenka Zupancic”WhenSurplus Enjoyment Meets Surplus Value"


以下は、このジュパンチッチの「セミネールⅩⅦ』読解における驚くべき指摘にかかわる「とりあえずの」メモである。さらにいえば、「レイシズムと享楽(Levi R. Bryant+ZIZEK)」の派生物である。

もちろん、『セミネールⅩⅦ』(精神分析の裏面 1969-1970)は、ドゥルーズの『差異と反復』(1968)の影響によるラカンの転回点とさえ言う人がいるだろう。

……ラカンにとって、反復は抑圧に先んずるものである。それはドゥルーズが簡潔に言っているのと同様である。《われわれは、抑圧するから反復するのではない。反復するから抑圧するのだ》(『差異と反復』)。次のようではないのだ、――最初に、トラウマの内容を抑圧し、それゆえトラウマを想起できなくなり、かつトラウマとの関係を明確化することができないから、そのトラウマの内容がわれわれに絶えずつき纏いつづけ、偽装した形で反復するーー、こうではないのだ。現実界(リアル)が極細の差異であるなら、反復(それはこの差異を作り上げるもの)は、原初的なものである。すなわち抑圧の卓越性が現れるのは、現実界から象徴化に抵抗する「物」への“具現化”としてであり、排除され、あるいは抑圧された現実界が、己を主張し反復するときに初めて抑圧は現れる。現実界は原初的には無である。だがそれは物をそれ自身からの分離する隙間なのであり、反復のずれ(微細な差異)なのである。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』ーー「二種類の反復ーー「反復強迫automaton」と「反復tuche」」)

…………

象徴界と現実界を分ける棒線は、厳密に象徴界の内部のものである。というのは、その棒線が、象徴界が「それ自身になる」のを妨げるのだから。シニフィアンにとっての問題は、現実界に触れ得ないことではなく、「それ自身に到達する」ことが出来ないことだ。シニフィアンに欠けているものは、特別な言語の対象ではなく、「シニフィアン」自身、棒線を引かれない、何物にも邪魔されない〈一者〉である。(ジジェク『為すところを知らざればなり』For They Know not What They Do; Enjoyment as a Political Factor - Slavoj Žižek 1996 私訳)

Levi R. Bryantはこの文を引用して次ぎのように言っている(The Democracy of Objects)。

要するに、現実界は象徴界以外の何物でもない。むしろ象徴界の一種の効果である。どのシニフィアンも、シニフィアンとその割り当てられた場所のあいだの分裂によって纏いつく相違による効果なのだ。シニフィアンは常にそれ自体と場所のあいだの相違を包含しているのだから、シニフィアンは常に-何処でもそれ自体との同一化を得ることに失敗せざるを得ない。しかしながら、それ自体との同一化が不可能だというまさにこの失敗が、そのアイデンティティの本質なのだ。

Bryantはこの後、ヘーゲルを引用して、こう記している。

ヘーゲルが『論理の科学』で、悪戯っぽく言ってる、もしAがそれ自体と同じなら、どうして反復する必要があるんだい?と。“A = A” のような同語反復の同一の反復は、実際はそれ自体との非-同一の徴を示している。

ヘーゲルにはとんと疎いのだが、おそらく次ぎのジジェクの叙述も、ヘーゲル起源なのだろう。

“A = A”は、象徴秩序内においてのみ起こり得る。そこでは、Aの同一化は「唯一の特徴unary feature」によって支えられ構成されているのだ。その「唯一の特徴」は、その核心にある空虚を徴づけている(その空虚の代わりとなっている)。「あなたはジョンだ」は意味するのは次ぎのことである。あなたのアイデンティティの核心は、あなたの名前で示された言葉で言い表わせないje ne sais quoi深淵なのである。だからどのアイデンティティも、つねに挫折させられ、実質がなく、虚構である(ポストモダンの「脱構築主義者」の呪文のように)だけではない。アイデンティティそれ自身が、厳密な意味で stricto sensu、その反対物の徴、それ自身の欠如の徴、自己アイデンティティとして主張される実体は十全のアイデンティティを喪失しているという事実の徴なのである。(ジジェク LESS THAN NOTHING 2012 私訳)

ここではヘーゲルはうっちゃり、棒線の話に戻る。とはいえ、「棒線bar」とは何の話か。

ファルスの用語に関して、ラカンは、セミネールⅩⅩにて、ファルスを、シニフィアンとシニフィエ (S/s)のあいだの横棒と同じものとして扱っているのに注意しよう。

Regarding the term phallus, note that Lacan equates the phallus with the bar between the signifier and the signified (S/s) in Seminar XX (40/39). (Bruce Fink  “KNOWLEDGE AND JOUISSANCE ”)

――とあり、フィンク英訳のセミネールⅩⅩを探ってみると、次のようになっている。

For the time being, I will say that what I put forward last time as the function of the bar is not unrelated to the phallus. Seminar XX (40/39)

《the function of the bar is not unrelated to the phallus》――すなわち、「横棒の機能はファルスと関係がないのではない」、とでも訳せるだろう。

これは、ジジェクも同様の説明をしている。

……with regard to the division between signifier and signified, the objet a is on the side of the signifier, it fills in the lack in/of the signifier, while the Master‐Signifier is the “quilting point” between the signifier and the signified, the point at which the signifier falls into the signified.

For Lacan, the phallic signifier is such a suturing element: Lacan's concept of the phallus is exemplary of the dialectic of the priority of lack over the element that fills it in—and, as Lacan points out, for a very precise reason (known to all Lacanians), the phallus is the very signifier of this lack:……

Insofar as the phallic Master‐Signifier is the point of the subject's symbolic identification, identification is ultimately always identification with a lack.(ZIZEK“LESS THAN NOTHING”2012)

この文章で、決定的なのは、対象aはシニフィアンの側(象徴界の側)にあると言っていることだ。現実界としての対象aは何処に行ったのか? 《a は、現実界の位のものであるle a est de l'ordre du réel》(ラカンSéminaire XII)としたラカンは? それについてはS(a)という表記が救いになリ得るのではないか、ということを「ジャック・ラカンのS(Ⱥ)とブルース・フィンクのS(a)」にて示した。

上のジジェクの叙述に戻れば、ファルスの主人のシニフィアンは、シニフィアンとシニフィエの繋ぎ目だとしている、《 the Master‐Signifier is the “quilting point” between the signifier and the signified, the point at which the signifier falls into the signified.》

すなわち縫合点suturing elementなのである。縫合点であるなら、やはり横棒である。

これは、ソシュールの図、大文字のS(シニフィアン)と小文字のs(シニフィエ)の話である。



というわけで、この横棒が、象徴的ファルスΦ、あるいはファルスの主人のシニフィアンS1ということになる、ーーのだろうか? 自信がないための捏造された疑問符であることは言うを俟たない。

わが国の若き聡明なるラカン派松本卓也氏のPierre Brunoに依拠したツイート曰く、

たとえば、あまりよくないラカン本ではΦ(象徴的ファルス)と父の名NdPを区別していなかったりするのですが、“Phallus et fonction phallique”(Pierre Bruno)の説明では、この2つは水準が違うことが明記されています。Φは全体としてのシニフィエの諸効果を指し示すシニフィアンであって、つまるところシニフィアンとシニフィエの結びつきを調整するもの。一方、父の名のほうは、意味作用が関わってくる水準。つまり、ファルス享楽についての謎に答えるために、先行する母の欲望(=シニフィアン)を隠喩化することでファリックな意味作用を作り出すという機能が父の名にはある。

ブルース・フィンク曰く、《後期ラカンの使用法によれば、父の名は、S1、主人のシニフィアンと関連があるように見える》 。

In the late 1960s and 1970s, S1, is assigned the role of the "master signifier," the nonsensical signifier devoid of meaning, which is only brought into the movement of language—in other words, "dialectized," a term I shall explain below—through the action of the various S2s. In accordance with Lacan's later usage, the Name-of-the-Father thus seems to be correlated with S1, the master signifier. If S1, is not in place, every S2 is somehow unbound.(Bruce Fink 『THE LACANIAN SUBJECT BETWEEN LANGUAGE AND JOUISSANCE 』「Ⅵ Metaphor and the Precipitation of Subjectivity」)

さてどうしたものか?

ジジェクのphallic Master‐Signifier、すなわちS1=Φ
ピエール・ブルノ=松本卓也の、Φ≠NdP
フィンクのNdP≒S1を。

ーーそれぞれ〈あなたがた〉が勝手に思案したらよろしい。

とはいえ、セミネールⅧの前期ラカンの言葉などあまり参照しないで思案すべきか? なぜならPierre Brunoセンセは、Φとthe phallic functionは違うとオッシャッテルのだから。

The symbolic phallus is written Φ in Lacanian algebra. However, Lacan warns his students that the complexity of this symbol might be missed if they simply identify it with the symbolic phallus (S8, 296). The symbol is more correctly understood as designating ‘the phallic function' (S8, 298).(Dylan Evans,An Introductory Dictionary of Lacanian Psychoanalysis)

さあて、こうやってなんのことらや分からなくなり、それゆえ共有された無知によってコミュニティを結束させるのが、S1(主人のシニフィアン)の機能である。

如何にコミュニティが機能するかを想起しよう。コミュニティの整合性を支える主人のシニフィアンは、意味されるものsignifiedがそのメンバー自身にとって謎の意味するものsignifierである。誰も実際にはその意味を知らない。が、各メンバーは、なんとなく他のメンバーが知っていると想定している、すなわち「本当のこと」を知っていると推定している。そして彼らは常にその主人のシニフィアンを使う。この論理は、政治-イデオロギー的な絆において働くだけではなく(たとえば、コーサ・ノストラ Cosa Nostra(われらのもの)にとっての異なった用語:私たちの国、私たち革命等々)、ラカン派のコミュニティでさえも起る。集団は、ラカンのジャーゴン用語の共有使用ーー誰も実際のところは分かっていない用語ーーを通して(たとえば「象徴的去勢」あるいは「斜線を引かれた主体」など)、集団として認知される。誰もがそれらの用語を引き合いに出すのだが、彼らを結束させているものは、究極的には共有された無知である。(ジジェク『THE REAL OF SEXUAL DIFFERENCE』私訳)

だが、わたくしは残念ながら、主人のシニフィアンだが父の名だか象徴的ファルスΦの機能は拒絶したい口だ。

とはいえ、ここではとりあえず、象徴的ファルスは、シニフィアンとシニフィエのあいだの横棒なのだ、という見解だけは取り入れて話をすすめる。

そのとき次の文を読むと、どうなるのか。「波打ち際littorale」の話である(ジジェク 2012)。

ラカンは、その仕事の展開を通して、ずっと探し求めていた、S(象徴的見せかけsemblance)とJ(享楽の現実界)のあいだの「縫合点」、SとJをひとつにまとめる、あるいは少なくともそのふたつを仲介するリンクを。主な解決法は、まずは、ファルスを欠如のシニフィアンに昇格させること、すなわち去勢のシニフィアンとして、象徴秩序内の享楽の場を保持することだった。その後には、享楽の喪失から生み出される剰余享楽としての対象a自体がある。それは象徴秩序へのエントリーの相対物であり、現実界の享楽のサイドに位置する享楽ではなく、パラドキシカルにも、象徴界のサイドに位置する享楽である。

「リチュラテールLituraterre」(Autres écrits所収)にて、ラカンは、最終的に象徴的松果体(デカルトにとっての身体と魂が交流する身体的な徴である)のこの探求を断念し、ヘーゲリアンの解決法を取った。すなわち、S とJを永遠に分離するギャップ自体がこの二つを一つにまとめるというものだ。というのは、このギャップが各々の二つを構成しているのだから。

象徴界は、己れを十全な享楽から分離するギャップを通して生じる。そしてこの享楽自体は、象徴界のギャップと穴によって生み出された幽霊specterである。

この相互依存性を示すために、ラカンは「波打ち際littorale」という用語を導入する。それは「海岸のような」次元における文字を表している。それによって「ある領域、そっくりそのまま他にとっての前線を作る領域を描くこと、それらの存在は、相互の関係に陥いらない範囲で、互いに異物であるのだ。その痕跡とは知の穴の縁ではないか?」(ラカン「リチュラテールLituraterre」)

だからラカンが「知と享楽のあいだに、波打ち際littoraleがある」と言うとき、jouis‐senseの喚起を聞かねばならない。サントーム、享楽のシニフィアンする形式signifying formula of enjoymentに縮減された文字のjouis‐senseを、である。ここに後期ラカンの最終的な「ヘーゲリアン」の洞察がある。二つの相容れない領域(現実界と象徴界)の一つへの収束convergenceは、まさに不一致divergenceによって支えられている。というのは差異が己れが差異化するものを構成しているのだ。あるいはもっと形式的用語で言うなら、二つの領野のあいだのまさに横断点が、二つの領野を構成しているのだ。(ZIZEK,LESS THAN NOTHING)

どうだろうか? これは冒頭のジュパンチッチの説明によるセミネールⅩⅦの説明とどう異なるのだろう。

ジジェク曰く、《二つの相容れない領域(現実界と象徴界)の一つへの収束convergenceは、まさに不一致divergenceによって支えられている》

ジュパンチッチ曰く、《享楽とはシニフィアンのそれ自身に対する不十分性inadequacyにあると。すなわち、無用な剰余を生み出すことなしに、“純粋に”機能することの不可能性inabilityである》


そのうち「波打ち際の漂流」をめぐって続く、だが「おそらく」であり、いつのことかわからないので、基礎資料だけ添付しておこう。

…………

※附記:「波打ち際littoraleの漂流dérive」をめぐる。

きみたちにフロイトの『性欲論三篇』を読み直すことを求める。というのはわたしはla dériveと命名したものについて再びその論を使うだろうから。すなわち欲動Triebを「享楽のdérive漂流」と翻訳する。(ラカンセミネールⅩⅩアンコール私訳)
「欲動」という名のもとにわれわれが理解することのできるのは、さしあたり、休むことなく流れている、体内的な刺激源の心的な代表者以外のなにものでもないのであって、これは個別的に外部からやってくる興奮によってつくりだされる「刺激」とは異なるものである。だから欲動は心理的なものを身体的なものから区別する概念の一つである。この欲動の本性についてのもっとも単純でもっともらしい仮定は、欲動はその自身いかなる性質ももたず、心的生活に対する作業促進の尺度として問題になるにすぎない、というものであろう。あまたの欲動をそれぞれ区別して、これに特殊な性格を付与するのは、その身体的な源泉やその目標に対する欲動の関係なのである。欲動の源泉はある器官のなかで起る一つの刺激的な過程なのであって、欲動の当面の目標はこういう器官の刺激を除去することにあるのである。(フロイト『性欲論三篇』フロイト著作集5 p35)
セミネール十一巻の6、7、8、9、そして13、14章を読んで、Triebを本能と訳 さないことne pas traduire Trieb par instinctによって得られるもの、そしてこの欲動を漂流と呼びcette pulsion de l'appeler dérive、子細に検討して、フロイトに密着しながら、その奇妙さを分解したのち、組み立て直すことによって得られるものを実感しないひとがいるでしょうか。(ラカン『テレヴィジョン』)

さて漂流とはどこを漂流するのだろうか、身体と心理の狭間である。

『テクストの快楽』につけ加えて。享楽、それは欲望《に応える》もの(それを満足させるもの)ではなく、欲望の不意を襲い、それを圧倒し、迷わせ、漂流させるもののことである。このように主体を踏み迷わせうるものを適切に言いあらわすことばは、神秘主義者たちにたずねるほかはない。たとえばライスブルックのことば、「私が精神の陶酔と呼ぶものは、享楽が、欲望によって垣間見られていた可能性を越えてしまう、あの状態である。」(『彼自身によるロラン・バルト』1975)

《主体が囚われているのは意識ではない、身体である。(ラカン「「哲学科の学生への返答」(1966 "Ce n'est pas à sa conscience que le sujet est condamné, c'est à son corps."》(Réponses à des étudiants en philosophie sur l'objet de la psychanalyse Jacques Lacan, 1966


後期ラカンには次のような文がある。

l'inconscient, c'est le réel. (...) c'est le réel en tant qu'il est troué." (Seminar XXII, RSI, Ornicar?, 15th April 75
無意識はリアル(現実界)である……それが穴が開けられているtroué限りにおいて。(私訳)

この”troué”とは、われわれのなかには、エイリアン(異物としての身体Fremdkörper)がいるということである(“Fremdkörper”は、すでにフロイトの『ヒステリー研究』1895に頻出し、それはトラウマに関連して使用されている)。


たとえばラカンの「サントーム」セミネールに、”un corps qui nous est étranger”とあるがこれは「異物としての身体Fremdkörper」のことだろう。

l'inconscient n'a rien à faire avec le fait qu'on ignore des tas de choses quan qu'on sait est d'une toute autre nature. On sait des choses qui relèvent du signifiant. (...) Mais l'inconscient de Freud (...) c'est le rapport qu'il y a entre un corps qui nous est étranger et quelque chose qui fait cercle, voire droite infinie - qui de toutes façons sont l'un à l'autre équivalents - quelque chose qui est l'inconscient." (Seminar XXIII, Joyce - le sinthome, lesson of 11th May 1976

シニフィアンによって分節化された象徴界の内部にあって、しかもその内部の異物としてあるものが、現実界としてのFremdkörperのことである。それは言葉で言いあらせない原トラウマ=原症状のことでもある。

Fremdkörper, a foreign body present in the inside but foreign to this inside. The Real ex-sists within the articulated Symbolic.(Paul Verhaeghe "Mind your Body ")


というわけで、”しめ”はニーチェの「波打ち際littoraleの漂流dérive」である。

君はおのれを「我」と呼んで、このことばを誇りとする。しかし、より偉大なものは、君が信じようとしないものーーすなわち君の肉体と、その肉体のもつ大いなる理性なのだ。それは「我」を唱えはしない。「我」を行なうのである。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』「肉体の軽侮者」より 手塚富雄訳)

…………

※追記

ツイッターセミネールをされているラカン派小笠原晋也氏に敬意を表して、主人のシニフィアン、Φ(象徴的ファルス)、父の名をめぐるツイートをいくらか抜粋しておこう。

S1 は,或る意味で「父の名」です.「父の名」の概念は S1 に尽きるわけではありませんが.Lacan が「父の名」に言及した最初のテクストは,1953 年の「ローマ講演」です.そして,1958 年の精神病についての書,それから,1963 年 11 月の一回のみ行われた「父の名」(複数形)についての séminaire, 1969-70 年の「精神分析の裏」,1973-74 年の Les non-dupes errent (だまされない者たちは誤る: フランス語では les noms du pères と同音),1975-76 年のJoyce についてのセミネール — 思い出すままに列挙しても,Lacan は彼の教えの出発点から最晩年に至るまで「父の名」に関する問いを問い続けたことがわかります.
……その意味においては S1 は signifiant Φ と等価です.支配者の言説の構造は,S1 としての signifiant Φ との同一化の構造と見なすことができます.しかし,父の名の概念は S1 に尽きるわけではありません.
さて,父の名にもどると,父の名の概念の最も基本的な定義は「徴象の機能の支え」 « support de la fonction symbolique » です.1953 年のローマ講演におけるこの fonction symbolique という表現は,fonction de la paroleの言い換えです.fonction de la parole はローマ講演のタイトルの含まれている表現です.
そのような父の名は,signifiant と signifié とを相互につなぎとめておく point de capiton と同じです.point de capiton とは,マットレスやクッションのなかの詰め物がずれて,かたよってしまわないように,表面の布地と詰め物とをつなぎとめておく縫い目です.表面の布地は signifiant, 中の詰め物は signifié に相当します.
1972 年のテクスト Étourdit においては,父の名は réel なもの,つまり不可能なもの,書かれぬことをやめないものとして言及されています.しかし,1973-74 年の Séminaire, Les non-dupes errent において,新たな展開が為されます.
父の名に話を戻すと,1973-74 年の Séminaire Les non-dupes errent において Lacan は,父の名との関連において nomination の概念を提示します.nomination は「命名」だけでなく「任命」です.つまり,nomination は destitution 「罷免」の逆です.罷免と分離に次いで,φ barré に新たな名 a を与えること.それは,無からの創造としての sinthome :症状,聖状,聖人の概念へとつながって行きます.

ーーこれだけ見ても混乱するかもしれないが、ラカン派の皆さんは苦心せざるをえない、ということだけは判然とするだろう。

他にもミレール派(フロイトの大義派)のThomas Svolosによって次のような言明があるのを少し前見た→「父の名は単にサントームのひとつの形式にすぎない」。

おそらく、ーーわたくしの「浅墓な」理解では、今のところーー、この解釈が一番すっきりと、ラカンの父の名の一連の思考推移がまとめられているように感じる。