2015年7月31日金曜日

真白な百合が鼻の先で骨に徹えるほど匂った

尿酸値が高いので薬を二種類飲むのだが、それはコルヒチン(colchicine)とアロプリノール(allopurinol)というものだ(これ以外に降圧薬を飲む)。前者は痛風の発作を抑えるもの、後者は尿酸値を下げるものとなっている。こういったことはあまり気にしたことがないのだが、当地はやたらと薬を飲む習慣があるので、ときには不必要なものがないか、と調べてみることになる。以前は四種類だか五種類与えられたのだが、この二種類でまあいいだろうというテニス仲間の医者がいるので、今はそうしている。

ところで、わたくしは勘違いしていて、コルヒチンが尿酸値を下げるものと思いこみ、つい最近までアロプリノールはたまにしか飲まなかった。わたくしは母方の近親のものが三人ばかり肝臓で苦しんで早死にしているので薬を何種類も飲むことにいささか抵抗がある。だがこれでは尿酸値が思うように下がらないのは当り前だ。むしろふだんはコルヒチンをやめるべきなのだろう。

ところで《コルヒチン(colchicine)とはユリ科のイヌサフラン(Colchicum autumnale)の種子や球根に含まれるアルカロイド》であるらしい。





イヌサフラン科とはまさにColchicaceaeと英語でいう。イヌサフランは百合の種族でもあるようだ。わたくしは花のなかでは百合が一番好きだ。ああ「海の百合Le Lis De Mer」(マンディアルグ)! ああメイプルソープ! ああ「昏い百合sombre lys」(ヴァレリー)……。






まだまだいくらでもあるが、夏目漱石をあげたっていい。

すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に徹えるほど匂った。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。(夏目漱石『夢十夜』)

というわけでコルヒチンを飲むのをやめたくない心持でいっぱいだ。コルヒチンにふくまれるアルカロイドとは古来からの由緒正しい成分ではないか。

アルカロイド含有植物は医療ならびに娯楽目的で古代からヒトによって使用されてきた。例えば、少くとも紀元前2000年頃のメソポタミアでは薬用植物が知られていた。ホメーロスの『オデュッセイア』では、エジプト女王からヘレネーに与えられた贈り物、『無意識の状態へと導く薬剤』(ラテン語: principium somniferum)について記されている。紀元前1世紀から紀元前3世紀に書かれた室内用植物に関する中国の書物にはシナマオウおよびケシの医学的用途について述べられている。また、コカの葉も古代から南米のインディアンによって使用されていた。(WIKIPEDIA)

ーーコルヒチンを飲んでいたので、なんとか「もっていた」のではないか、――《アルカロイドは、精力増強のための血液循環機能の強化や不安を取り除く作用があります》(トンカットアリの精力増強効果を成分内容から徹底分析






2015年7月29日水曜日

触れられたくない秘められた部分の〈他者〉の知

外傷性記憶を「語り」に変えてゆくことが治療であるとジャネは考えた。体験は言語で語れる「ストーリー」に変わって初めて生活史の多彩で変化する流れの中に位置を占めることができる。それは少なくない事例においてある程度は達成できる。しかし、完全な達成は理想であって、多くの外傷は「精神的瘢痕治癒」となると私は思う。すなわち、外傷の記憶は意識の辺縁の夢のような部分、あるいは触れられたくない秘められた部分(ホット・スポット)に留まることが多い。たとえば自殺未遂の記憶、一時的精神的失調の記憶は一般に夢のような、半ば人ごとのようなものとして残る。これは生活の邪魔をしない「柔らかな解離」である。私たちはそのようなホット・スポットを意識の辺縁に持っていないであろうか。かつて精神分析は言語化を重視しすぎた。西欧の精神医学は言語化と言語的・意識的自我への統合を究極の目標とする。それは果たして現実的であろうか。

実際、外傷を語るべきか語らざるべきかについてさえ諸家の一致があるわけではない。ホロコーストの記憶を語らなかった家族のほうが長期予後がよいという報告がある。(「トラウマとその治療経験――外傷性障害私見」『徴候・外傷・記憶』p.116)

ーーこの文は(主に)トラウマ治療の話であり、以下の文とは文脈がいささか異なるが敢えて掲げた。

…………

仮定してみよう、私の家族がハンチントン病で、私がその病をもっている可能性がある、と。私はどうするだろう? これは幻想だが、こう言ってみよう、私は医者の親しい友があって彼はあらゆる毒物にアクセスできる。私は彼にハンチントン病のテストを依頼するが私には何も言わないでくれと頼む。彼だけが結果を知っているというわけだ。もし陽性であるのが分かったら、発病直前の一ヶ月か二ヶ月前に、私の食べ物に毒物を入れてほしいと頼むんだ、もちろん私の知らないままにね。

私にとって、これはおそらく完ぺきな幻想的解決だね、私は何も知らない、そしてある時点に、ふだんと同じように幸福に眠り、そのまま目覚めないというわけだ。けれどもこれはラカニアンの観点からは機能しないんだな。ラカンにとっての最も厄介なカテゴリーはたんに知ではなく、〈他者〉の知についての知なんだ。〈他者〉の知がいつもあなたを悩ます、あなたをトラウマ化するのだ

(……)これは、私がマーティン・スコセッシのエイジ・オブ・イノセンス(汚れなき情事)で切り開かれた状況について指摘したのと同じ要点だ。そこでは男は妻を騙しているのだが、彼女はそのことを知らないと思っている。けれど妻は最初から知っていたことに気づくたとき、すべては崩れ落ちる。何も実際は変わらない、あなたが今知ったのは、妻がずっと知っていたことだけなのに、状況はひどく屈辱的なものになってしまう。だからくり返すなら、〈他者〉が何を知っているかを知る、〈他者〉が知っていることを知るとは、ひどく複雑な弁証法的カテゴリーなのだ。(『ジジェク自身によるジジェク』2003 私訳)

ーーとジジェクは言ってるのだけれど、 これは昔のキリスト教の告白もそうだと思うが、精神分析においても「分析家になんでもしゃべってしまう」ということはどうなんだろうね?

ところで遅ればせですが、以前、浅田さんから聞いた話として、精神分析って何でも分析家にしゃべっちゃうわけでしょう、それはよくないんでは、という内容のツイートをしたけれど、先日ご本人と話したら、守秘義務の文脈とは違うとのことなので、訂正して当該ツイートを削除いたします。

浅田さんによれば、職業的守秘義務があるなかで分析家に何でも話すのはオーケーだろうとのこと。

浅田さんとの話では、これだけネットに情報が出る可能性があるなかでも、むしろ無防備に話したり画像を送ったりするくらいの(その相手にどういう信頼を置くかが様々であるわけだけど)ほうが好ましい愚かさである、という話になりました。(千葉雅也)

《職業的守秘義務があるなかで分析家に何でも話すのはオーケーだろう》(浅田彰)とあるが、 たとえ守秘義務があって口外しないのが確かであろうと、〈他者〉の知があなたをトラウマ化することはないんだろうか? 屈辱的な心持に襲われるなどということは。

被分析者や教育分析を受けたような人で、かつての分析者に陰性転移してしまうなんてことはないんだろうか? どこか「その人を憎んでいる」などということは? どうもいまさらだが、わたくしには疑わしいね。

邪推すれば、ああ、あそこにあるのも陰性転移、別のあそこにも、と思わないでいられない例があるな。

私の身辺にある人間がいる。私はその人を憎んでいる。だからその人が何かの不幸にもで遭えば、私の中には烈しい喜びの気持が動く。ところが私の徳義心は、私自身のそういう気持を肯定しようとしない。私はあえて呪いの願望を外に出すことをしかねている。

さて偶然その人の身の上に何か悪いことが起こったとき、私はそれに対する私の充足感を抑えつけ、相手を気の毒に思うことを口にも出すし、自分の気持にも強制するであろう。誰にもこんな経験はあるにちがいない。

ところがその当の人間が不正を犯してそれ相当の罰をこうむるというようなことでも起ると、そのときこそ私は、彼が正当にも罰をこうむったことに対する私の充足感を自由に外に出すことができる。そして、彼に対して愛憎を持っていない多くの人々と自分もこの点では同意見だとはっきり口外する。

しかし私の充足感はほかの人たちのそれよりも一段と強いものであることを、私は自分自身のうえに観察しうる。私の充足感は、情念動出を内心の検閲によってそれまでは妨げられていたが、今や事情が一変してもはやそれを妨げられることのなくなった私の憎悪心という源泉からエネルギーの補助を受けているのである。

こういう事情は、反感をいだかれている人物であるとか、世間から好かれていない少数党に属する人間であるとかがなんらかの罪を己が身の上に招くようなときには普通世間でよく見られるところのものである。こういう場合、彼らの受ける罰は彼らの罪に釣り合わないのが普通で、むしろ彼らに対して向けられていたが外に出ることのなかった悪意プラス罪というものに釣り合うのである。

処罰者たちはこの場合明らかに一個の不正を犯す。彼らはしかし自分たちが不正を犯しているということを認め知ることができない。なぜならかれらは、永いこと一所懸命に守ってきた抑制が今こそ排除されて、彼らの心の中には充足感が生まれてきて、そのために眼が眩んでしまっているからである。こういう場合、情動はその性質からすれば正当なものであるが、その度合からすれば正当なものではない。そして第一の点では安心してしまっている自己批評が、第二の点の検討を無視してしまうのはじつに易々たることなのである。扉がいったん開かれてしまえば、もともと入場を許可しようと思っていた以上の人間がどやどやと入りこんでくるのである。

神経症患者における、情動を湧起せしめうる動因(きっかけ)が質的には正常だが量的には異常な結果を生むという神経症的性格の著しい特色は、それがそもそも心理学的に説明されうるかぎりではこのようにして説明されるのである。しかしその量的過剰は、それまでは抑制されて無意識のままにとどまっていた情動源泉に発している。そしてこれらの源泉は現実的動因(きっかけ)と連想的結合関係を結びうるものであり、また、その情動表出には、何の要求をも持たないところの、天下御免の情動源泉が望みどおりの途を拓いてくれるのである。

抑制を加える心的検問所と抑制を受ける心的な力とのあいだにはいつも必ずしも相互的妨害の関係が存するばかりではないということにわれわれは気づかされるわけである。抑制する検問所と抑制される検問所とが協同作業をして、相互に強化しあい、その結果ある病的な現象を生じせしめるというようないくつかの場合も同様注目に値する。 ……(フロイト『夢判断』高橋義孝訳 文庫 下 P219-221)


2015年7月28日火曜日

Maryla Jonasのマズルカ(1946)

◆Chopin - Maryla Jonas (1946) Various Mazurkas




マリラ・ジョナス(Maryla Jonas, 1911~1959年)
ライナーノーツによると、彼女は、1920年、9歳でデビューし、1926年頃からは全ヨーロッパでリサイタルを開くようになります。しかし1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻によって、演奏活動は中断、彼女は強制収容所に収監されてしまいます。7か月以上収監された後、マリラ・ジョナスの演奏を聴いたことがあるドイツ人高官の手助けを得て脱走、徒歩で数か月かけてベルリンのブラジル大使館まで逃亡し、ブラジルへ亡命します。その後、アルトゥール・ルービンシュタインに見出され、1946年にアメリカでのデビューを果たします。このリサイタルを聴いたニューヨーク・タイムズの評論家が彼女を絶賛し、次第に人気がでるようになりますが、厳しい収容所生活のせいもあり、1959年にわずか48年の生涯を閉じてしまいます。

ーーと読めば、強い祖国への思いとトラウマの記憶が綯い交ぜになった驚くべきインティメイトかつ哀切なーー敢えて言えば、ラカンのExtimité(最も親密なものは外部にある)、これを反転させれば《音が遠くからやってくればくるほど、音は近くからわたしに触れる》(シュネデール)であり、そのExtimitéのようなーー演奏だとしたくなるところだ(もちろん、このような心理的な聴き方は非難されるのはよく知っているが、ここでは敢えてそう記しておく)。まずは一曲目のOp. 68 No. 3の冒頭近くのくり返し箇所のピアニッシモの消え入るような音にわたくしはくらくらとなる。

……ある臨界線以上の強度の事件あるいはその記憶は強度が変わらない。情況によっては逆耐性さえ生じうる。すなわち、暴露されるごとに心的装置は脆弱となり、傷はますます深く、こじれる。素質による程度の差はあるかもしれないが、どのような人でも、残虐ないじめや拷問、反復する性虐待を受ければ外傷的記憶が生じる。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収 P.109)

ショパンのマズルカといえば、かつてはショパンの絶筆であるMazurka op.68 n°4(ヘ短調)とMazurka op.33 n°4(ロ短調)のニ曲のミケランジェリの演奏が、彼の名演のなかでもことさら「すごい」演奏と言われたし、やはりこれは何度聴いてもすばらしいには相違ない。だが、今のわたくしにはジョナスのいくつかのマズルカの断片がかけがえのないものにきこえてくる。

このニ曲は(ふしぎにも?)上のジョナスのマズルカ集には入っていない。

◆Chopin - 6 Mazurkas - Michelangeli Brescia 1967

ミケランジェリの名演とは、この六曲のマズルカのなかの冒頭の曲と最後の曲である。




◆Maryla Jonas plays Chopin Mazurka op. 68 no. 4 (1948)




ーーなどといくらかマズルカを聴いていたら、

Alfred Cortot's unpublished, unknown and special records. Recorded late 1950s (unconfirmed).
Are these records true or false ?

とあるものに行き当たってので、ここにマズルカ21曲の再生リストを貼りつけておく。

◆Alfred Cortot - Chopin Mazurka, Op. 68 No. 3 → No. 4 ……




(マズルカには)、私の考えるショパンの最高のものがあり、それに加えるに、いつもの彼に感じられる完璧さへの消耗性の努力とはちがう、もっと自然に流れるものへの信頼によりながら、創造が営まれているという安らかさがある。(吉田秀和『私の好きな曲』)

…………

最近知ったピアニストでひどく驚いたのが、強制収容所で苦しんだMaryla JonasとElly Neyーーいわゆる総統(ヒトラー)のピアニストーーであるのが奇妙だ・・・

◆Elly Ney plays Schumann Variations Posthumes (Op. Posthume, Appendix to Op. 13)

ーー最後の曲(10.25前後から)がことさらすばらしい



※たとえば、Sviatoslav Richter plays Schumann Symphonic Etudes, Op.13とききくらべてみるとよい。


--などというのは偶然ではあるに決まっているが、あの時代に育った芸術家、あるいはあの時代の雰囲気・人間模様にどこか惹かれてしまうところがあるのを否定するつもりはない。もちろん上のコルトーもカザルスとの決裂で知られている。

ボルドーに着いてみると全くの混乱状態だった。(……)噂が乱れ飛んだ。ナチの機甲部隊がそこまで来ているという人があるかと思うと、空襲があるという人もいた。アラベドラはわれわれのために船室を獲得する工作をはじめた。私はからだの具合が悪くて動けなかった。私の旧友で同僚だったアルフレド・コルトーがこの市にいることを伝え聞いて、彼はコルトーに会いにいった。コルトーがフランス政府に有力な関係をもっていることを知って、アラベドラはコルトーにわれわれのために力添えをしてくれるように頼んだ。しかしコルトーは自分にはなにもできないと答えた。アラベドラが私の具合がひどく悪いと言うと、コルトーはそっけなく、「よろしく言ってくれたまえ、元気になるように願っているとね」と言った。コルトーは会いにもきてくれなかった。そのとき彼の行動が理解できなかった。しかし、まもなく、コルトーが公然たるナチの協力者になったときに、なぜ彼が私にこんな仕打ちをしたか、悲しいかな、わかった。恐ろしいことだ、人は恐怖や野心でとんでもないことをしでかす……。(パブロ・カザルス『喜びと悲しみ』p.213)

◆Cortot, Casals, Thibaud Trio Mendelssohn d mvt 2(1927)




ロマン主義的なるものとはこの世のなかでもっとも心温まるものであり、民衆の内面の感情の深処から生まれた、もっとも好ましいもの自体ではないでしょうか?疑う余地はありません。それはこの瞬間までは新鮮ではちきれんばかりに健康な果実ですけれども、並みはずれて潰れやすく腐りやすい果実なのです。適切な時に味わうならば、正真正銘の清涼感を与えてくれますが、時を逸してしまうと、これを味わう人類に腐敗と死を蔓延させる果実となるのです。ロマン主義的なるものは魂の奇跡です―― 最高の魂の奇跡となるのは、良心なき美を目にし、この美の祝福に浴したときでありましょうが、ロマン主義的なるものは、責任をもって問題と取り組もうとする生に対する善意の立場からすれば、至当な根拠から疑惑の目で見られるようになり、良心の究極の判決に従って行う自己克服の対象となってまいります。(トーマス・マンーー1924 ニーチェ記念講演)



(わかってくれ、きみとはもう一緒に演奏できないことを)--とカザルスはコルトーに言っているのかどうかは知るところではない。

音楽を聞くには隠れなければならないと思うことがある。音楽は手袋の内と外をひっくり返すようにわたしを裏返してしまう。音楽が触れ合いの言葉、共同体の言葉となる。そんな時代がかつてあったし、いまも人によってはそんな場合があるのはもちろん知っているが、わたしの場合は、ほかの人々と一緒に音楽は聞けない。誰かと一緒に音楽を演奏するとなれば話は別だ。室内楽ならば、あらゆる意味で相手に合わせなければならない。二重奏のソナタや三重奏なら一緒に演奏することができる。それだけの謙虚な気持ちと少しばかりの愛があれば十分だ。あるいは深い知識があって、憎しみがなければできる。(シュネデール)

いや二人は実は戦前の1934年を最後にしてではなく、二十数年後(1958)に二重奏をやっている(Cortot Last Concert: Cortot & Casals Beethoven Sonata op.69)。

音楽は一見いかに論理的・倫理的な厳密なものであるにせよ、妖怪たちの世界に属している、と私にはむしろ思われる。この妖怪の世界そのものが理性と人間の尊厳という面で絶対的に信頼できると、私はきっぱりと誓言したくはない。にもかかわらず私は音楽が好きでたまらない。それは、残念と思われるにせよ、喜ばしいと思われるにせよ、人間の本性から切り離すことができない諸矛盾のひとつである。(トーマス・マン『ファウスト博士』)

『ファウスト博士』は、アドルノとの対話(あるいは助言)が大きく寄与しているのはよく知られている。

音楽は、それ自体の歴史的傾向に反抗せずに盲目的、無抵抗に服従し、世界理性ではない世界精神に身を委ねる。このことによって音楽の無邪気さは、あらゆる芸術の歴史が準備に取りかかっている破局を早めようとする。音楽は歴史をそれなりに認めている。歴史は音楽を廃棄したがる。しかしながら、まさにこのこと事体が死のみそぎを受けた音楽をもう一度正当化し、存続する逆説的チャンスを音楽に与える。(アドルノ『新音楽の哲学』)


さて最後にわれわれの世代の映画ファンならーーいやわたくしのように格別の映画ファンでなくても多くの人びとが魅せられたであろう映像を貼りつけておこう。

◆cavani: il portiere di notte(愛の嵐、リリアーナ・カヴァーニ、シャーロット・ランプリング)






2015年7月27日月曜日

頭部の15センチ後ろの虚点としての視覚的自極

経験的自己のあり方は感覚によって違う。(……)視覚は、(成人の場合)頭部の15センチ後ろから見るような映像として視覚世界を把握している。ここは身体外の空間であって虚点である。(……)「聴覚的自極」となると、それは両耳を繋ぐ直線の中心にあるようであるが、視覚的自極ほどはっきりしない。(……)

おそらく、聴覚主体は一つの虚点であって、四方から聴覚対象がこれを包むという形ではないだろうか。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』所収 p56ー57)

ここに書かれているのは、視覚主体も聴覚主体も虚点ではないだろうか、ということだが、視覚主体は明らかに身体外にある、という点に絞って注目してみよう。

われわれが何かを見つめているとき、実は見られているような感覚に襲われる場合があるというのは、サルトルのまなざし論、それを受けて発展させたラカンのまなざし論で、比較的よく知られている(参照)。

ほかにもラカン派なら次ぎのように言う。

鍵穴を覗き込む窃視者は、自分自身の見る行為に没頭しているが、やがて突然背後の小枝のそよぎに、あるいは足音とそれに続く静寂に驚かされる。ここで窃視者の視線は、彼を対象として、傷つきうる身体として奈落に突き落とす眼差しによって中断される。(コプチェク『女なんていないと想像してごらん』)
ラカンの公式:どの絵にも死角(盲点)があり、私が見つめている絵は、この点から、まなざしを返す(私を見詰め返す)。この背景に対して、われわれは、フロイトの欲動の再帰的特性におけるラカンの命題を、「se faire …」(視線の欲動は見る欲動ではない、見る欲望と対称的に己れが見られるなどの欲動である)という立場として読むべきだ。ラカンはここで人間の条件の最も基本的な「気取り、劇場性」theatricalityを指摘しているのではないか?われわれの基礎となる(生の)闘争は、観察することではなく、舞台の場面の部分になること、まなざしに自身を曝すこと、――現実の人物の確としたまなざしではなく、存在しない純然たる〈大他者〉の〈まなざし〉に曝されることではないか。(ジジェク、LESS THAN NOTHING)

ラカン派はこのように言うが、それより以前に視覚そのものが身体外部の虚点(頭部の15センチ後ろ)にあるのだとすれば、見ること自体が、見られているという感覚を「構造的に」もたらすということは言えないのだろうか。

とはいえ片目で覗くなら、この虚点の位置はどうなるのだろう。


(マルセル・デュシャン遺作)

ーーたまたま中井久夫の文に当ったので、ここではたんなる「思いつき」の備忘だけではある。とはいえいまわたくしは何か馬鹿げたことを書いていないだろうか・・・


(同遺作内部)




2015年7月26日日曜日

バーンスタイン アダージョ

相変わらずCDをワンスピーカ・ラジオに通して流しっぱなし。バーンスタイン作曲の『チチェスター詩歌』とかバーンスタイン指揮のシューマンとか・・・粗っぽい感じで敬遠していた後期のバーンスタインの指揮が異様に生真面目に必死な感じなのに驚く。反射的に彼の二回目のマーラー全集録音を探す。(丹生谷貴志ツイート)

ーーというツイートを読んでバーンスタイン最晩年のシューマン2番アダージョの音を思い出した。

1990年6月の札幌でのパシフィック・ミュージック・フェスティバルの映像である(彼は同年10月死去)。


◆レナード・バーンスタイン死去 リハーサル風景 シューマン 1990音楽ハイライト Leonard Bernstein,Rehearsal just before his death



Brahms: Piano Concerto No. 1 - Gould/Bernstein adagio


◆Leonard Bernstein (+14.10.1990) "Symphony No 2 (3.Mov.) Schumann



Gustav Mahler - Adagietto | Leonard Bernstein


◆Sergiu Celibidache "Symphony No 2 (3. Mov.)" Schumann




…………

◆Dietrich Fischer-Dieskau "Ich bin der Welt abhanden gekommen" Mahler(バーンスタイン ピアノ)






2015年7月25日土曜日

ラカンの注釈者たちの(ほぼ満場一致での)見落とし:「性関係はない」

如何にコミュニティが機能するかを想起しよう。コミュニティの整合性を支える主人のシニフィアンは、意味されるものsignifiedがそのメンバー自身にとって謎の意味するものsignifierである。誰も実際にはその意味を知らない。が、各メンバーは、なんとなく他のメンバーが知っていると想定している、すなわち「本当のこと」を知っていると推定している。そして彼らは常にその主人のシニフィアンを使う。この論理は、政治-イデオロギー的な絆において働くだけではなく(たとえば、コーサ・ノストラ Cosa Nostra(われらのもの)にとっての異なった用語:私たちの国、私たち革命等々)、ラカン派のコミュニティでさえも起る。集団は、ラカンのジャーゴン用語の共有使用ーー誰も実際のところは分かっていない用語ーーを通して(たとえば「象徴的去勢」あるいは「斜線を引かれた主体」など)、集団として認知される。誰もがそれらの用語を引き合いに出すのだが、彼らを結束させているものは、究極的には共有された無知である。(ジジェク『THE REAL OF SEXUAL DIFFERENCE』私訳)


ラカニアンサークル内部において「象徴的去勢」やら「斜線を引かれた主体」という用語さえが分かっていないのであるなら、たとえばより厄介な「性関係はない」という表現などの解釈はとんでもない言説が跳梁跋扈しても止む得ない。それを責めてもいたしかたない、「世界とはその程度のものです」(蓮實重彦)。それぞれの分野での「真の」専門家というのは実は世界に十人ぐらいしかいない。

とすればそれに溢れたそれぞれが似非専門家やにわか専門家として自らの「思いこみ」を流通させるのは致し方ないのだ。

…………

手短かに言えば、ラカンは信じていたのだ、象徴的法(セクシャリティにおける)は人間という種族の生存に欠かせないと。すなわち象徴的性別化の終焉は、人間を単に動物の性交へと閉じ込めることはない。そうではなく、種の絶滅へと導く。

注釈者たちは、ラカンに依拠して、ふつうは強調するのは、象徴界が「性関係はない」という事実の責任を負っているということだ。たとえばEvansは簡潔に、「男と女のポジションのあいだには、相互関係、あるいは対称性はない。というのは象徴的秩序は基本的に非対称的だから」と言う。すなわち、ファルスが、両性のあいだの関係を支配する唯一のシニフィアンなのだから、と(.(Dylan Evans,An Introductory Dictionary of Lacanian Psychoanalysis)

反対に、注釈者のほとんどが(満場一致で)見落としているのは、次の事実だ。象徴界は、(生殖的な)人間の性関係が起こる可能性の構造的条件を構成するという事実である。(Subjectivity and Otherness: A Philosophical Reading of Lacan, by Lorenzo Chiesa)

ここに「手短かに言えば」とあるが、Lorenzo Chiesaは、この後数十ページにわたりながながと説明している。だいたいこのように「注釈者たち」のマヌケぶりをめぐる箇所の断片だけを切り取って引用すること自体、誤解を招くもとかもしれない。だが「世界とはその程度のものさ!」。

ただし、Lorenzo Chiesaの《注釈者のほとんどが(満場一致で)見落としているのは、次の事実だ。象徴界は、(生殖的な)人間の性関係が起こる可能性の構造的条件を構成するという事実である》というのはいささか言い過ぎなのかもしれない。

だが通常はこのように語られる。

ラカンは精神分析における不可能を「性的関係は存在しない」という命題で表しました。動物においては雄と雌の性的な行動様式は本能に書き込まれており、動物は本能的に性的関係を持つことができるます。ところが人間の男と女は類としての性的行動様式を与えられておらず、人間の性的活動は多様であり、様々な倒錯的傾向が認められます。男と女は性的行動様式を他者から学ばなければならないのです。そして性的行為の多くは生殖とは関係ない領域で繰り広げられています。ですから人間の言語世界には性的関係が書き込まれておらず、それが象徴界の穴として不可能を構成するのです。(向井雅明 精神分析とトラウマ)

わたくしは向井雅明氏をそれなりに信頼しているのだが、上に掲げたLorenzo Chiesaのいう文脈に限っていえば、次の小笠原晋也氏の発言のほうがマシかもしれない(重ねて強調しておけば、これはわたくしの向井雅明氏の文の切り取り方が悪いせいかもしれないと言っておこう)。

「性関係は無い」はずいぶんびっくりさせる命題かもしれませんが,さほど突飛なものではありません.Freud のリビード発達論の文脈で考えれば.つまり,Freud が想定したような性的成熟としての性器段階は無い,と Lacan は言っているのです.Primat des Phallus 「ファロスの優位」と Freud が呼んだ「正常」な成人の性の発達段階はただの社会規範からの要請,想定にすぎません.(小笠原晋也、ツイート)

ここにはChiesaのいう《象徴的法》あるいは《象徴界は、(生殖的な)人間の性関係が起こる可能性の構造的条件を構成するという事実》が、《「正常」な成人の性の発達段階はただの社会規範からの要請,想定にすぎません》という文に現われている。ただし小笠原氏のほかの殆んどのツイートは、「性関係がない」を根源的なものとしてあまりにも強調しすぎるきらいがある。

ツイッターなどで発話するには、次の程度でいいのだ。あの場は「手短に」しか語れない場なのだから。詳しくは論文で書くべきであろう。

……「性関係はない」。人間の性は、取り返しのつかない失敗の刻印を押され、性差とは二つの性的立場の対立であり、両者の間に共通分母はない。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

というわけだが、わたくしは何も比較的若い「哲学的」あるいは「政治的」ラカン派のLorenzo Chiesaを全面的に信頼しているわけではない。ただ彼の上に掲げた著書には、「注釈者たちは云々Commentators usually… 」という表現が頻出する。そこを眺めてニヤニヤすることができる貴重な書ではある。





2015年7月24日金曜日

ラカンのExtimité とハイデガーのExsistenz

以下メモ。

まず、ブルース・フィンク訳のラカン『アンコール』英訳における注から。

The expression Lacan uses here, ex-sister au die, is not easily rendered in English; Lacan is borrowing a term, ex-sistence, which was first introduced into French in translations of Heidegger's work (e.g., Being and Time), as a translation for the Greek έκσταση and the German Ekstase. The root meaning of the term in Greek is "standing outside of" or "standing apart from" something. In Greek, it was generally used for the removal or displacement of something, but it also came to be applied to states of mind that we would now call "ecstatic." (Thus, a derivative meaning of the word is "ecstasy.") Heidegger often played on the root meaning of the word, "standing outside" or "stepping outside oneself," but also on its close connection in Greek with the root of the word for "existence." Lacan uses it to talk about an existence that stands apart, which insists as it were from the outside, something not included on the inside. Rather than being intimate, it is "extimate."(On Feminine Sexuality The Limits of Love and Knowledge BOOK XX Encore 1972-1973 TRANSLATED WITH NOTES BY Bruce Fink)

ここにハイデガーの語彙のひとつ Ekstase の仏訳語である ex-sistence とラカンの新造語 extimate(Extimité) という言葉が出てくる。どちらもひどく訳しにくい言葉であり、前者は、「外-存在」とか「外立」、後者は「外密」と訳されているのを見たことはある。

・ハイデガーの〈実存〉は「実存主義」とは何の関係もない。むしろ「実存」は「外-立(Ex-sistenz」と訳すべき。人間が外部(=世界)へと超越する可能性をハイデガーは「実存(Existenz)」としての現存在(Dasein)と規定した

・九鬼周造は、ハイデガーのExistenzをたしか「外立」と正しく訳していたといま思い出したが(もちろん、私の師匠の高橋允昭も「外立」を提案していたが)、どの本だったかまでは思い出せない。(芦田宏直ツイート)
要するに、私たちのもっとも近くにあるものが、私たちのまったくの外部にあるのです。ここで問題となっていることを示すために「外密extime」という語を使うべきでしょう。(ラカンS16ーーツイッターラカンbot)

まず断わっておかねばならないこととして、ブルース・フィンクがあのように記しているからといって、ex-sistenceとextimateが同じ意味であるというつもりは毛頭ないし、ラカン自身のex-sistence という言葉の意味が、ハイデガーのEx-sistenzと同じ意味であるとさえ言えないだろうということだ。ラカンはただハイデガーから借用して新しい意味をつけ加えたのかもしれない。

Lacan は,「実在とは不可能在である」からさらに一歩進んで,Séminaire XXII R.S.I. の1975年2月18日の講義において,実在と徴象と影象の三つの位を改めて定義し直す.そこにおいて,実在 [ le réel ] は解脱実存 [ ex-sistence ], 徴象 [ le symbolique ] は穴 [ trou ], 影象[ l'imaginaire ] は定存 [ consistance ] と規定される.(小笠原晋也『ハイデガーとラカン』)

実在 [ le réel ] は解脱実存 [ ex-sistence ],ーーすなわち通常の訳語にすれば、「現実界は外立である」、ともできるだろうが、言いたいのは、果たしてこれがハイデガーの使用する意味であるとは限らないということだ。

…………

ここでまずExtimitéをめぐる何人かの解釈者の文章を掲げてみよう。

Extimité is not the contrary of intimité. Extimité says that the intime is Other—like a foreign body , a parasite.(Jacques-Alain Miller,Extimity )
おそらく対象aを思い描くに最もよいものは、ラカンの造語"extimate."である。それは主体自身の、実に最も親密なintimate部分の何かでありながら、つねに他の場所、主体の外exに現れ、捉えがたいものだ。(Richard Boothbyーー譲渡できる対象objet cessibleとしての対象a
対象aの究極の外-親密ex-timate的特徴……私のなかにあって「エイリアン」…であるもの、まったく文字通り「私のなかにあって私自身以上のもの」、私自身のまさに中心にある「異物 foreign body」…(ジジェクーー「糸巻き」としての対象a
Fremdkörper, a foreign body present in the inside but foreign to this inside. The Real ex-sists within the articulated Symbolic.(Paul Verhaeghe "Mind your Body ")

ここに出てくるFremdkörperは、初期フロイトがトラウマに関連付けて使用した語彙である。

たとえば『ヒステリー研究』の予備報告 (1893年) にはこうある。

心的外傷,ないしその想起は,Fremdkörper異物〈其れは,体内への侵入から長時間たった後も,現在的に作用する因子として効果を持つ〉のように作用する。

………

さてハイデガーにはとんと縁のない身であるので、Ex-sistenzはまったく不案内なのだが、ここでは、なんと1956年に書かれたリルケ研究者の塚越敏氏の論から抜き出そう。とても昔の論文なので、その訳語、解釈は現在とは異なるであろうが、文学研究者の訳文にはわたくしには馴染みやすいということがある(そのうち別の解釈を見出したら、付加することにしよう。今はとりあえず塚越敏氏の文のみを掲げる)。

「リルケ文学解明に於けるハイデッガーの誤謬(塚越敏 1956)」からである。

・「森の道」 Holzwege(1950) :森林の空地 Lichtungに至る森のなかの道、それは人跡未踏の道、迷いの道であり、 Lichtung とは存在の Lichtungであるーー Lichtung des Seins.この論文集のなかの「何のための詩人か」W ozu Dichter? は一九四六年一二月、リルケ二十回忌にあたって行なわれた追悼講演である。
Ex-sistenz のEx はaus,heraus,hinaus を、即ち「外に出る」ことを意味している。ハイデガー自身の説明によればーー「存在の真理のなかに出で立つこと」 Hinausstehen in die Wahrheit des Seins と言い、Das stehen in der Lichtung des Seins nenne ich die Wahrheit des Seinsと言っている。(この語の訳語は「開存」「出存」「脱存」「脱我的実存」などさまざまであるが、以下では「開存」という邦訳語を使用する)この開存によって世界(世界とは存在の開示性 Offenheit,Offenbarkeit を意味している)は開かれる。ハイデガーは人間の本質をこの開存にありとする。即ち Lichtung des Seins, Offenbarkeit des Seins のなかに出で立つこと、逆に云えば、存在者を照らすLichtung des Seins, Offenbarkeit des Seins のなかに出会うことである。
Lichtung とは、森のなかの開けた場所、森林の空地を意味する。また光を点ずるという意味もあるから、「存在の開け」「存在の明るみ」「存在の光」とも邦訳できるであろう。

森林の空地 Lichtungとは、想像力に翼を与える「美しい」表現には違いない。若い頃知ったなら、一発で(一読で)惚れこんでしまった気がする。




ハイデガーの「森の道」は、今では「杣径」や「杣道」とも訳されることがあるようだ。

須永紀子さんが、思潮社から新しい詩集を出された。詩集のタイトルは「森の明るみ」で、ハイデガーが「杣道」で使った比喩、「暗い森のなかに明るみ(間伐地)が開かれ、その光のなかで、そこに現れるすべてのものがその形を見せることになるが、それと同時にそれをとりまく森の暗さもまたそれとして見えてくる。」からヒントを得たと、「あとがき」に書かれている。(須永紀子詩集「森の明るみ」思潮社




どのような入り方をしても
いきなり深い
そのように森はあった
抜け道はふさがれ
穴は隠されて
踏み迷う

空を裂く
鳥の声は小さな悲鳴
両手を泳がせ
枝をかきわけて
つくる小径
星と虫
死骸の層に靴は沈み
凶兆の泥が付着する
実と見れば齧り
青くしびれる舌
…………(「森」  須永紀子


ーーいけねえ、こんなもの読まされたら、たちまちハイデガーファンになってしまいそうだ・・・


「リルケ文学解明に於けるハイデッガーの誤謬(塚越敏 1956)」から上にいくらか抜き出した文は、塚越敏氏の論文の冒頭近くにあった注からであるが、以下は本文である。

…………

「存在の歴史」 Die Geschichte des Seins とはなにか? この存在の歴史は古代から現代にまで続いている。存在論の歴史ではない。普通の歴史のように出来事として生ずるのではなく、「存在の歴史」は存在によってわれわれに与えられるものである。古代から続いていながら、それは見失われている。何故なら存在そのものが見失われているからである。われわれが存在のLichtung のなかに開存することによって、世界は開かれる、即ち、存在が自らを与え、自らを露わにするーーこれは存在の非隠蔽性 Unverborgenheit des Seins であるがーーそこに存在の歴史が生起するのである。しかしハイデガーは「存在の歴史は始まる、しかも必然的に存在の忘却とともに始まる」(Holzwege s.243)と言っている、このことは近世の主体性の形而上学に対する否定なのである。

※存在の忘却 Seinsvergessenheit とは存在と存在者を区別しないこと、即ち、存在論的差別 ontonogische Differenz の無視のことであるーー……この存在論的差別もギリシャでははっきり区別されていたが、従来の形而上学は存在者のみに眼をむけ、外見上存在に眼をむけているように見えるだけだと、ハイデガーは云っている。これは近世的人間が存在の主人と思いこみ、人間が存在を支配しているものと考え、存在が思惟の対象となってしまったことにある。後にハイデガーは近世的人間の特色として意志作用を対象化とを挙げて、これは烈しく攻撃する。

存在の忘却はなにも人間の側ばかりにあるのではない、存在を忘却せしめる言わば性格が存在の側にある。「存在は自己を与えると同時に自己を拒否する。」即ち、存在には非隠蔽性があると同時に隠蔽性 Vervorgenheit がある。この隠蔽性のゆえに存在は忘却されてしまう。われわれはこの存在の性格を知るまえにLichtung des Seins について、ハイデガーの説明を聞く必要がある。――

存在者を越えて、しかし離れてではなく、それに先立って、もう一つ別のことが起る。存在者全体の真只中に一つの開けた場所 eine offene Stelle が現成する。一つのLichtung がある。存在者の側から考えれば、それは存在者より以上に存在する。この開けた中心 die offene Mitte は、従って存在者によって囲まれているのではなく、この光を与える中心 die Iichtende Mitte そのものが一切の存在者を包む umkreisen のである。存在者は、このLichtung のなかに入って照らされるときにのみ、存在者として存在しうる。このLichtung のみが我々人間に我々以外の存在者への通路と、我々自身である存在者への接近を贈り、保証する。……存在者がそのなかに立つLichtung はそれ自身において同時に隠蔽である。隠蔽は存在者の只中において二種の仕方で行なわれる(Holzwege)

さて隠蔽は二種の仕方で行なわれる、ということについてーーもし人間が存在の光のなかに開存した場合、そこに開存している存在者に出会い、そのものを「もっとも近いもの」(das Nächste)と考え、(実は存在がもっとも近いものであるが)、存在を忘却してしまう。換言すれば「存在者」が自らに与えられた「存在の明り」(das Lichtung des Seins)を自己自身と思い迷い、存在そのものは忘却されてしまう。これは即ち「存在は存在者のうちに現われることによって遠ざかってしまう」(Holzwege)ということで、拒絶 Versagen としての隠蔽性である。他の隠蔽性とは、存在者が他の存在者のまえに自己を押しやって、他を暗くしてしまうのであって、互いに現われはするのだが、本来的な自己を互に現さないで、佯った自己を現わす(Holzwege)。これが偽装 Veretellen の隠蔽性である。これによってまた存在は忘却される。以上のことからして、存在の本質は存在の光とこの隠蔽性との根源闘争 Urstreit であって、この闘争のうちに存在者が開けた中心 die offene Mitte を奪いとるとき、存在の真理は存在者を存在の非隠蔽性に到達せしめるのである。





2015年7月23日木曜日

荷風と日記人格

一月十八日。晴。近巷空地林園多くして靜なり。時節柄借家としては好き方なるべし。省線市川の停車場まで十五分ばかりと云。

一月廿一日。細雨霏々午に至つて霽る。風暖にして春既に來るの思あり。驛前の露店にてわかさぎ佃煮を買ふ。一包貳拾圓なり。夜机に向はんとせしが隣室のラヂオに妨げられて歇む。 (永井荷風『断腸亭日乗』 昭和廿一年 年六十八 )

どうして歴史や小説や伝記の中に時代や人物の《日常生活》が表象されているのを見て、快楽を覚えるのだろう(私も含めた、ある種の人びとが)。なぜこまやかな細部に対する好奇心があるのだろう。日課とか、習慣とか、食事とか、すまいとか、衣服とか。それは《現実(レアリテ)》(《“かつてあった”の物質性そのもの》に対する幻影的(ファンタスマティック)な嗜好なのだろうか。そして、《細部》を、すなわち、私がたやすく入り込める、些細な、私的な情景を呼び寄せるのは幻影(ファンタスム)そのものではなかろうか。要するに、奇妙な舞台、とはいっても、偉大さの舞台ではなく、凡庸さの舞台(凡庸さの夢、凡庸さの幻影もあり得るのではないか)に悦楽を見出すような《小ヒステリー患者》(前述の読者たち)がいるのではなかろうか。

だから、《きょうの天気》(過去の天気)の記述くらい、瑣末で、無意味な記述を想像することはできないが、しかし、先日アミエルを読んでいた時、というよりも、読もうとした時、生真面目な(またしても快楽を締め出すもの)刊行者があの『日記』から日常的な細部、ジュネーブの湖畔の天候を削除して、無味乾燥な倫理的考察だけを残した方がいいと考えているのを見て、いらいらした。古びないのはあの天候であって、アミエルの哲学ではないはずなのに。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)

一月廿二日。晴。暖氣春の如し。疥癬愈甚しければ午前近巷の醫師を尋ねて治を請ふに、傳染せし當初なれば治し易き病なれど、全身に蔓衍しては最早や藥治の能くすべきところならず。硫黄を含む温泉に浴するより外に道なしと言へり。醫師また言ふ。これ歸還兵の戰地より持ちかへりし病にて、國内傳染の患者甚多しとなり。驛前の市場にて惣菜物蜜柑等を購ひ、京成線路踏切を越え松林欝々たる小徑を歩む。人家少く閑地多し。林間遙に一帶の丘陵を望む。通行の人なければ樹下の草に坐し鳥語をきゝつゝ獨り蜜柑を食ふ。風靜にして日の光暖なれば覺えず瞑想に沈みて時の移るを忘る。この小徑より數丁、垣根道を後に戻れば寓居の門前に至るを得るなり。この地に居を移してより早くも一週日を經たれど驛前に至る道より外未知る處なし。されど門外の松林深きあたり閑靜頗る愛すべく、世を逃れて隱れ住むには適せし地なるが如し。住民の風俗も澁谷中野あたり、東京の西郊にて日常見るものとは全く同じからず、所謂インテリ風に化せざるところ大に喜ぶべし。されど道路の地質及び四方一帶の地勢よりして考ふるに、秋冬の交大雨の際河川汎濫の事なきや否や。慮ふべきは唯この一事のみ。(同 荷風)

…………

どうして荷風の日記に快楽を覚えるのか? どうして鴎外や石川淳よりも、荷風の文章を格段に好むのか? それは文体の魅力だけか?

日本語の文学的散文を操って比類を絶するのは石川淳である。その漢文くずし短文は、語彙の豊かさにおいて、語法の気品において、また内容の緊密さにおいて、荷風を抜きほとんど鴎外の塁に迫る。・・・・・・荷風以後に文人と称し得る者はただ一人の夷斎石川である。(加藤周一『日本文学史序説』)

ロラン・バルトが荷風の日記を読むことがあったなら、ひどく好んだのではないか。

ーーというのは、バルトが書いているように、ある種の人にとって、ということだけである。退屈と感じる人びとがいるのはわかる。

ただ、わたくしは季節の変わり目に、荷風の日記をひどく読みたくなることが、この数年続いている。

もっとも「掃庭人格」などという批判(吟味)があるのを知らないわけではない。

「荷風先生という方はとても変った方だよ。立派なお邸に住っていらしって、優しく、丁寧なものごしの方だけど、その御家の荒れていること、雑草がもう背よりも高く茂ってて、まるでお化け屋敷のようだったよ」(小堀杏奴「火吹竹」)

この文を引用しつつ、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(川本三郎)にはこう書かれている。

荷風の庭好きはだから極端にいえば、言葉(文化)としての庭好きであって、実際に、庭や草花が好きというのとは少し違う。現実の庭いじりよりも、荷風にとっては、日記に「庭の落葉を掃ふ」「雨の晴れ間に庭の雑草を除く」と書き記すことが大事なのである。

事実、本当に庭好きならば偏奇館の庭はいつもきれいに整えられている筈だが、実際にはそうではなかった。

断腸亭日乗 大正14年11月16日より。

毎朝二階を掃除して後、暇あれば庭に出で草を抜き葉を掃ふ時、必思出すは伊澤蘭軒が掃庭の絶句なり。

すなわち、次ぎの文である。

わたくしは更に細に詩集を検して、箒を僮僕の手に委ぬることが、蘭軒のために奈何に苦しかつたかを想見した。文化己巳は蘭軒の猶起行することを得た年である。当時の詩中に「掃庭」の一絶がある。「手提筅箒歩庭隅。無那春深易緑蕪。刈掃畏鏖花草去。頃来不輙付園奴。」(森鴎外『伊沢蘭軒』)

中井久夫が次ぎのようにいうときも、たぶん「掃庭人格」のたぐいのことを読みとってであろう。

日記も、読まれることを予想して書かれることがしばしばある。永井荷風の『断腸亭日乗』やジッドの『日記』は明らかにそうであろう。精神医学史家エランベルジェは、日記を熱心に書きつづける人には独立した「日記人格」が生まれてくると言っている。日記をつける人も読む人も、このことは念頭に置くほうがよいだろう。(中井久夫「伝記の読み方、愉しみ方」『日時計の影』所収)

これらの日記人格でありうるとは念頭に置きながらも、やはり荷風の日記に魅せられるのだ。

《「自我」がもはや「自身」でない以上、私が「自我」について語っていけない理由はないではないか。》(『彼自身によるロラン・バルト』)

《ここに書かれているいっさいは、小説の一登場人物――というより、むしろ複数の登場人物たち――によって語られているものと見なされるべきだ。(……)すなわちエッセーはおのれが《ほとんど》小説であること、固有名詞の登場しない小説であることを、自分に対して白状するべきであろう。》(同上)

……たとえば、カフカは、《自分の不安を根絶する》ために、いいかえれば、《救いを得る》ために日記をつけた。私にはこの動機は自然とは思えない。少なくとも終始不変とは思えない。伝統的に「私的日記」に与える目的についても同様である。もはやそれが適切とは思えない。それは《誠実さ》(自分を語る、自分をさらけ出す、自分を裁く)の効用や威光と結びつけられてきた。しかし、精神分析、サルトルの底意批判、マルクス主義のイデオロギー批判が告白を空しいものとしてしまった。誠実さは第二度の想像物〔イマジネール〕でしかない。そうだ。(作品としての)「私的日記」を正当化する理由は、純粋な意味で、懐古的でさえある意味で、文学的でしかあり得ないだろう。私は、今、四つの動機を考えている。

第一は、エクリチュールの個性、《文体》(以前なら、そういっただろう)、作品に固有の個人語法(少し前なら、そういっただろう)に彩られたテクストを提供することである。これを詩的動機と名づけよう。

第二は、毎日毎日、重大なニュースから風俗の細部まで、大小入りまじった時代の痕跡を散りばめることである。(……)これを歴史的動機と名づけよう。

第三は、作者を欲望の対象とすることである。私は私の関心を引く作家の内面を知りたいと思うことがある。彼の時代の、趣味の、気質の、気づかいの日常的な細部を知りたいと思うことがある。作品よりも彼の人となりの方を好むことさえある。彼の「日記」を貪り読んで、作品は放り出すこともある。だから、私は、他人が私に与えることのできた快楽の作り手となって、今度は自分が、作家から人間に、また、その逆へと移行させる回転ドアのように、人を誘惑しようと努力することができる。あるいは、さらに重大なことだが、(私の本の中で)《私は私が書くものよりも価値がある》ことを証明しようと努力することもできるのだ。「日記」のエクリチュールは、その時、剰余としての力(ニーチェのいうPlus von Macht「力の剰余」として作られる。人はそれが完全なエクリチュールに欠ける所を補うであろうと思っている。これをユートピア的動機と名づけよう。実際、人は決して、「想像物〔イマジネール〕」に打ち勝つことができないからである。

第四の動機は「日記」を文の作業場にすることである。《美しい》文のではない。正確な文のである。つまり、絶えず言表行為〔エノンシアシオン〕の(言表〔エノンセ〕のではない)正確さを磨くことである。夢中になって、一生懸命、デッサンのように忠実に。もうまるで情熱としっていいほどに。《もしあなたのくちびるが正しい事を言うならば、わたしの心も喜ぶ》(『箴言』、第二十三章十六節)。これを愛の動機と名づけよう(多分、熱愛的とさえいってもいいだろう。私は「文」を熱愛する)。……(ロラン・バルト「省察」1979『テクストの出口』所収ーー痛みやすい果実

もちろんこのブログもブログ人格に居直って書いているのはいうまでもない。ツイッターを眺めれば、他人のツイートのほとんどは「ツイッター人格」によるものではないかとさえ睨んでいる。

ではリアルでは、人は「リアル人格」なのか。そもそも「リアル」とは何なのだろう?人は直接に他人と対面するときでさえ、「演技」しているのではないか。

……私が自分の選んだ仮面(偽りの人格)を通じて演じる感情は、どういうわけか、自分自身の内部で感じていると思っている感情よりもずっとリアルだということである。自分自身の偽りのイメージを作り上げ、自分が参加しているヴァーチャル・コミュニティでそのイメージを使うとき(たとえば性的なゲームでは、内気な男はしばしば魅力的で淫蕩な偽人格 screen persona をまとう)、その偽人格が感じ、装う感情はけっして偽りのものではない。真の自己(だと自分で思っているもの)がそれを感じているわけではないにもかかわらず、ある意味ではそれは本物の感情である。たとえば私は心の奥底ではサディストで、他の男をぶちのめし、女を強姦することを夢想しているとする。実生活において、他人に対しこの真の自己をあらわすことは許されていない。そこで私はもっと謙虚で礼儀正しい仮面をかぶる。この場合、実生活における態度の方が仮面で、私の真の自己は、私が虚構の偽人格として選んだものの方に近いのではなかろうか。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

 とすればフロイトの英訳者であったジョン・リヴィエールーー女流精神分析医でもあったーーの「仮装としての女性性」(Joan Rivière,Womanliness as a Masquerade(1929))というラカンが再三言及した名高い論の記述を思い出さないではいられないが(参照)、ここではあまりややこしいことは言わずに、ふたたびジジェクの文を貼りつけておくだけにしよう。

A man stupidly believes that, beyond his symbolic title, there is deep in himself some substantial content, some hidden treasure which makes him worthy of love, whereas a woman knows that there is nothing beneath the mask. (ZIZEK,LESS THAN NOTHING,2012)

《男はマヌケにも信じている、象徴的仮面に下に、己の実体、隠された宝があって、それが彼を愛するに値する者にすると。他方、女は知っている、仮面の下にはなにもないことを。》

もちろん、ここの男と女は、解剖学的な男女ではない。男のなかにもラカン派のいう「女」はいるし、逆もしかり。

中上健次は私の家に泊っていった時、ホモの家に来たみたいだな、と言ったものですが、私はといえば、彼を、まったくこれは中上のオバだ、と思いましたし、第一、彼の書く小説は、ある意味で女性的です――そして、それが秀れた小説の特徴なのです。(金井美恵子 『小説論』)

2015年7月22日水曜日

襖一枚の隔てて筒抜けの隣の声

私にも二十代には、驟雨が屋根を叩いて走るのを耳にするだけで、情欲が八方へ静かにひろがり出し、命あるものであろうとなかろうと、ありとあらゆる物音にひそむ忍び笑いと忍び泣きと、それから恐怖に、はてしもなく、苦しめられる、そんな時期があった、と何とはなしに思い出した。(古井由吉『哀原』雫石)
共寝の床の中で、常の女の存在から、生気が肌の内へ静まり、個の表情が洗い流され、女体そのものというような裸像があらわれることがある。美しい、と男はつかのまながら思う。それにひきかえ常の存在を訝り疎むこともある。そんな時、私は、あの裸像のひしめきを思う。(『哀原』池沼)

ラカンにC'est ce qui ne cesse pas de ne pas s'écrire(書かれぬことを止めぬ)という言葉がある。一般に「現実界」(象徴化できない事態)との遭遇が、「書かれないことを止めない」ものとされるが、その代表としてはトラウマとの遭遇だろう。

古井由吉は1937年11月19日生まれであり、東京大空襲のときは、七歳だったことになる。彼はどこかでなぜ書きつづけるか、と問われて、「復讐」のためというようなことを言っていたはずだが、今その文を見いだせない。

僕は作品でエロティックなことをずっと追ってきました。そのひとつの動機として、空襲の中での性的経験があるんですよ。爆撃機が去って、周囲は焼き払われて、たいていの人は泣き崩れている時、どうしたものか、焼け跡で交わっている男女がいます。子供の眼だけれども、もう、見えてしまう。家人が疎開した後のお屋敷の庭の片隅とか、不要になった防空壕の片隅とか、家族がみんな疎開して亭主だけ残され、近所の家にお世話になっているうちにそこの娘とできてしまうとか、いろんなことがありました。(古井由吉『人生の色気』)

この《焼け跡で交わっている男女がいます。子供の眼だけれども、もう、見えてしまう》というのが正確にトラウマと呼ばれるべきものかどうかは知らない。また、ああそうだったのか、といまさらながら感じ入るのは、「作家」という存在に日頃たいして思いを馳せたことのない者の迂闊さにすぎないだろう。思い返せば、中上健次もそうだろうし、坂口安吾もそうだ。むしろ「すぐれた」作家ならそうでない者がありうるのかと問うべきなのだ。あるいは詩人の吉岡実だってこう言っている。

或る別の部落へ行った。兵隊たちは馬を樹や垣根につなぐと、土造りの暗い家に入って、チャンチュウや卵を求めて飲む。或るものは、木のかげで博打をす る。豚の奇妙な屠殺方法に感心する。わたしは、暗いオンドルのかげに黒衣の少女をみた。老いた父へ粥をつくっている。わたしに対して、礼をとるのでもなけ れば、憎悪の眼を向けるでもなく、ただ粟粥をつくる少女に、この世のものとは思われぬ美を感じた。その帰り豪雨にあい、曠野をわたしたちは馬賊のように疾 走する。ときどき草の中の地に真紅の一むら吾亦紅が咲いていた。満人の少女と吾亦紅の花が、今日でも鮮やかにわたしの眼に見える。〔……〕反抗的でも従順 でもない彼ら満人たちにいつも、わたしたちはある種の恐れを抱いていたのではないだろうか。〔……〕彼らは今、誰に向って「陰惨な刑罰」を加えつつあるのか。

わたしの詩の中に、大変エロティックでかつグロテスクな双貌があるとしたら、人間への愛と不信をつねに感じているからである。(吉岡実『わたしの作詩法?』――小林一郎氏「吉岡実詩集《神秘的な時代の詩》評釈」から


砕かれたもぐらの将軍
首のない馬の腸のとぐろまく夜の陣地
姦淫された少女のほそい股が見せる焼かれた屋根
朝の沼での兵士と死んだ魚の婚礼
軍艦は砲塔からくもの巣をかぶり
火夫の歯や爪が刻む海へ傾く
死児の悦ぶ風景だ
しかし母親の愛はすばやい
死児の手にする惨劇の玩具をとりあげる(吉岡実「死児」)


半病人の少女の支那服のすそから
かがやき現われる血の石(〈珈琲〉)


ぼくがクワイがすきだといったら
ひとりの少女が笑った
それはぼくが二十才のとき
死なせたシナの少女に似ている(〈恋する絵〉)


コルクの木のながい林の道を
雨傘さしたシナの母娘
美しい脚を四つたらして行く
下からまる見え(同上)


物書きとは本来、こういったことのみをーー書かれぬことを止めぬもののみをーー書くべきなのだろう。

公団が爆発的に流行したのは、人の耳に入らない密閉された空間で交わりたいという男女の熱い思いがあった。団地以前は、閉ざされた空間の中でのセックスではなく、人の耳をはばかりながら交わっていました。しかしまたそこにエロティシズムがあったんです。周りから保護された性的な関係は、最初は作家も奔放なことを書けるけれども、次第に書きようがなくなっていきます。晩年の中上健次は、日本家屋がなくなって困った代表でしょう。(古井由吉『人生の色気』)

ここで《隣の声は襖一枚の隔てを筒抜けだった》と引用することもできる。

……もとより、騒音の中で生きて来た者である。子供の頃には一時期、都電通りから路地を入ったすぐ奥のところに住んでいた。表を電車の通りかかるそのたびに、家は地から揺すられる。大震災よりも前の普請になる古家は内廊下のつきあたりの、手水場の窓の上で梁がはっきりと傾いていた。しかも二階を載せいてた。同じ屋根の下に何人も身を寄せいていて隣の声は襖一枚の隔てを筒抜けだった。(古井由吉『蜩の声』)

あるいは、初期長篇からこう引用したっていい。

「……どうしたの、そんなところで」
突拍子もない母親の声に春子が寝床の中で目をあけると、枕のすぐそばに大きくふやけたような男の顔がこちらを向いて眠っていた。(……)川崎は…蒲団の中から片手を哀れっぽく差し出して、口もきけぬという顔つきで、天井を何度も何度も指さした。しばらくした母親がクスクスと笑い出したかと思うと、「いやだわ」と若い娘みたいな声を立てて隣の部屋へ逃げこんだ。笑いに息たえだえの話し声が襖の陰でして、それから父親が空惚けた顔をこちらへ出した。川崎は目をあけず、まだ天井のほうをせつなそうに指先で訴えていた。
「川崎君、えらいご災難だそうだね」
「熱烈で熱烈で、はたのほうが、もう身がもたなくて」 (古井由吉『女たちの家』)

そういえば、丹生谷貴志氏はかつて中上健次を語るなかで、「現実を利用することで自分史を書きあげるタイプの作家」と「現実を利用したことは一度 もなく現実は押し寄せてくるというタイプ」の作家を対比させていたが(「個人史を巡る旅:中上健次を巡る旅」)、押し寄せてくる現実とは、典型的には「幼少の砌の髑髏」であるに相違ない。

頼朝公卿幼少の砌の髑髏〔しゃれこうべ〕、という古い笑い話があるが、誰しも幼少年期の傷の後遺はある。感受性は深くて免疫のまだ薄い年頃なので、傷はたいてい思いのほか深い。はるか後年に、すでに癒着したと見えて、かえって肥大して表れたりする。しかも質は幼年の砌のままで。小児の傷を内に包んで肥えていくのはむしろまっとうな、人の成熟だと言えるのかもしれない。幼い頃の痕跡すら残さないというのも、これはこれで過去を葬る苦闘の、なかなか凄惨な人生を歩んできたしるしかと想像される。しかしまた傷に晩くまで固着するという悲喜劇もある。平生は年相応のところを保っていても、難事が身に起ると、あるいは長い矛盾が露呈すると、幼年の苦に付いてしまう。現在の関係に対処できなくなる。幼少の砌の髑髏が疼いて啜り泣く。笑い話ではない。

小児性を克服できずに育った、とこれを咎める者もいるだろうが、とても、当の小児にとっても後の大人にとってもおのれの力だけで克服できるようなしろものではない、小児期の深傷〔ふかで〕というものは。やわらかな感受性を衝いて、人間苦の真中へ、まっすぐに入った打撃であるのだ。これをどう生きながらえる。たいていはしばらく、五年十年あるいは二十年三十年と、自身の業苦からわずかに剥離したかたちで生きるのだろう。一身の苦にあまり耽りこむものではない、という戒めがすくなくとも昔の人生智にはあったに違いない。一身の苦を離れてそれぞれの年齢での、家での、社会での役割のほうに付いて、芯がむなしいような心地でながらく過すうちに、傷を克服したとは言わないが、さほど歪まずとも受け止めていられるだけの、社会的人格の《体力》がついてくる。人の親となる頃からそろそろ、と俗には思われているようだ。

しかし一身の傷はあくまでも一身の内面にゆだねられる、個人において精神的に克服されなくてはならない、克服されなくては前へ進めない、偽善は許されない、という一般的な感じ方の世の中であるとすれば、どういうことになるだろう。また社会的な役割の、観念も実態もよほど薄い、個人がいつまでもただの個人として留まることを許される、あるいは放置される世の中であるとすれば。(古井由吉「幼少の砌の」『東京物語考』)

…………

徳田秋声の『足迹』。葬式の、納棺の場面がある。そろそろ葬儀屋が棺をしめる折、《「さあ皆さん打っ着けてしまいますよ。」葬儀屋の若いものと世話役の安公とが、大声に触れ立てると、衆〔みんな〕はぞろぞろと棺の側へ寄って行った。》女たちがもめる、死者が生前に好んだ人形、色々の着物を縫って着せるのが楽しみだったそれを棺に入れるかどうか。《「入れないそうです。」と、誰やらが大分経ってから声かけた。衆〔みんな〕が笑い出した。》

「《衆〔みんな〕が笑い出した。》と、変に印象に残る一行であった、と文芸時評家の流儀に従えば、それで済みもすることなのだが。」ーーそのように『東京物語考』の古井由吉は書き、続けて《まず、通夜とか葬式の席で人はあんがいに笑う、ちょっとした齟齬をきっかけにとかくだれかたような笑いを洩らすものだ、とは一般的に言える。いよいよ納棺の、気の張りつめた間際に、人形のことで、まだ決まりのつかぬことが出てきた。……》とする。

この変に印象に残るものを表現したいと願うのもまた作家なのだろう。それはまさしく「人生の色気」である。

「男に色気がない、と感じるのは、たとえば通夜やお葬式の席です。年配者の姿を見ていると、お焼香の姿がサマになっていないんですよ。不祝儀の場の年寄りの振る舞いに、男の色気は出るものなんです。稚いというか、みんな形を踏まえていない、しわくちゃな振る舞いになっています。あれじゃあ、女性も面白くないでしょう。…儀式の場などでは、肉体が純化される時があるでしょう。その時、人の性的な部分もはっきりと現れるものなんです。女にしても男にしても、そうした場での振舞いがむさいと、まことに色気がない社会になってしまいます。言葉のなかにも・・・」(古井由吉『人生の色気』)

《僕も、文学が残る、やがて必要とされるとかたく信じていますけれども、差し当たっては厳しい。人がそれほど強く求めていないということは確かです。

だけど、今の世の中は行き詰まると思う。日本だけではありません。世界的に。そのときに何が欠乏しているか。欠乏を心身に感じるでしょう。そのときに文学のよみがえりがあるのではないかと僕は思っています。》(古井由吉「群像」2015年7月号 堀江敏幸対談)


最後に蓮實重彦によって40年ほどまえ書かれた文、いまではひどく「挑発的」ににみえるかもしれない小説顕揚文を掲げておこう。

もしかりに、ヨーロッパが真の反省的思考に目覚める瞬間があるとするならば、そのときヨーロッパが描きあげるだろうその自画像は「小説」を中心にした構図におさまることになるだろう。あるいは逆に「小説」を構図の中心に据えたヨーロッパ像が想定されぬ限り、ヨーロッパはその自意識を獲得することはなかろうというべきかもしれない。「小説」を視界におさめなかったが故に、デカルトは真の反省的思考を実践しえなかったし、マルクスも、またニーチェも、そしてフロイトも、「小説」を曖昧にとり逃がしてしまったが故に、ヨーロッパ的な現実を周到に描きつくすにはいたらなかったのだ。階級闘争も、永劫回帰も、無意識 も、「小説」に対してはひたすら無効の身振りしか演じてはいない。そしてその事実を自覚する瞬間に、ヨーロッパは初めて真の反省的な思考を獲得することに なるだろう。またそうでない限り、ヨーロッパは、ルイ十四世の時代と質的にはほとんど変わらぬ仕草で思考をめぐらせ続けるほかあるまい。(蓮實重彦「小説の構造」(初出=「国文学」1977年)


2015年7月21日火曜日

現実の裂け目としての自由=リアル

《現実は現実界のしかめっ面である》(ラカン『テレヴィジョン』)

現実は象徴界によって多かれ少なかれ不器用に飼い馴らされた現実界である。そして現実界は、この象徴的な空間に、傷、裂け目、不可能性の接点として回帰する。(François Balmès, Ce que Lacan dit de l'être)

…………

ラカンにとって、不安は欲望の対象=原因が欠けているときに起るのではない。不安を引き起こすのは対象の欠如ではなく、反対に、われわれが対象に近づきすぎて欠如そのものを失ってしまいそうな危険が、不安を引き起こす。

ここで説明抜きで唐突にこういっておこう、「寝言は寝てから言え」と。さて何の話だろうか?

ドストエフスキーは人々は「自由」など望んでいないといったが、同様に、“精神”であることを人は望んでいない。自分はめざめて、現実を直視し、ほかの人は幻想に支配されていると説くあの連中のように、夢をみていることを望むのである。(柄谷行人『探求Ⅱ』P95)


以下、『ジジェク自身によるジジェク』の結論部分から私訳するが、その前に最近のミレール批判としても読めるので、その文を先に掲げておこう。

◆LESS THAN NOTHING(2012)CHAPTER 9 Suture and Pure Differenceより

ミレールにとって(彼はここでラカンに従っている)、不安は、我々を騙すことのない唯一の情動である(フロイトがすでに言ったように)。この意味は、〈大義〉のためのどの(政治的)熱狂も、想像的な誤認の要素だということだ。ミレールは、この最近の数年、ことさら主張しているのだが、政治は、想像的あるいは象徴的同一化の領野であり、それ自体イリュージョンだと。

このような立場は、必然的に、ある種の冷笑的悲観主義に終わる…。すなわち全ての集団的熱狂のアンガーシュマンは屑に終わる。真理は、悲壮な誠意の自己盲目的行動において、瞬時のあいだのみ経験されるだけである……。

こういった瞬間は永遠に維持できはしない。だから我々に出来る唯一のことは、「(社会的)ゲームをする」ことだけだ、と。政治的行動は、究極的にイリュージョンの単なる遊戯でしかないと気づきつつ。

バディウは、我々を、この高尚化された悲壮な冷笑主義から抜け出すことを可能にしてくれる。すなわち、熱狂は、不安よりも、すこしも「真正」でないわけではない、と。集団的な政治のアンガーシュマンは、その事実だけで、想像的誤認であるわけではない。

この相違は、今日、全く決定的である。政治的な死と生の相違であり、支配的なポスト政治的な冷笑主義への是認と、ラディカルな解放運動のための勇気の集結のあいだの相違である。

ーーより詳しくは、「デモの猥雑な補充物としての「享楽」」を見よ。

さて、『ジジェク自身によるジジェク』(原典2004)からである。

ラカンの現実界の標準的な読み方は、リアルとは超越論的ア・プリオリな障害物ーーそれは偶然的な外部の障害物として間違って表象されるーーというものだ。ここでの現実界の不可能性は、出来事が起こるのは不可能だという意味で理解されている。これは現実界の歪像的観点だ。そこではあなたが出来ることのすべては二次的な近似物、部分的な接近等々にすぎないというわけだ。すなわち現実界はわれわれが直接に接近することに出来ない中心的な物ということだ。たとえば現実界としての性的行為は決して十全にリアルな〈モノ〉ではないということを意味する。現実界についてのこの観点は、ラカン理論をある種の失敗の昇華として提示する。すなわち我々の出来る全ては、正当的な形での失敗(の試み)であり、我々は決して〈モノ〉自体を得ることは出来ない、と。

しかし私が『信じるということ』で主張したように、これはラカンの現実界の究極の地平ではない。ある意味で、不可能としての現実界が意味するのは、それが起こり得るということだ。ラカンにとって奇跡は起こる、そしてそれがラカンの現実界だ。現実界が不可能なのは、ただそれを象徴化できないこと、あるいは受け入れることができないという意味にすぎない。例えば、あなたが気狂いじみた何かをする。そう、英雄的な行動のような振舞いを。それはあなたのあらゆる利益に反している。まさにこのとき現実界は起こるのだ、ーーあなたはそれの十分な根拠を示すことも説明することもできない。だからラカンの現実界は、それが起こらないとか決して遭遇できないいう意味での不可能としての現実界ではない(この核心はまた、アレンカ・ジュパンチッチによって(『リアルの倫理』)巧みに叙述されている。

おわかりだろうか、違うんだ、それは起こるのだ。けれどもそれはひどくトラウマティックなので人は想定できないのだ。言わせてもらえば、倫理的行為はリアルだ。もし不可能としてのリアルを基本的な意味での失敗として読むなら、そのときカントのタームでは我々は本当にはリアルな物事をしたことは全く確かでない。リアルな物は本当のところは自由な行為なのだ。カントが言うように、我々のどんな行為も本当に倫理的行為であるかどうかは全く確かでない。常に疑いがある、我々はその倫理的行為をあるパトロジカルな理由でしたのではないかと。あなたが本当に生命を賭けたにしろ、おそらくあなたはナルシシティックな幻想を抱いているのかもしれない、いかにあなたはその後に賞賛されるか等々と。だからあなたは全く確かでない。これが初歩的な意味での不可能としての現実界だ。

けれど私が考えるに、正当な考え方はまさにそれをひっくり返すことだ。すなわち、我々はリアルなモノ、自由な行為を実践しうる。しかしそれを受け入れるにはあまりにトラウマティックだということだ。それが象徴的な用語で理論化しようとする理由だ。だがリアルは起こる。これはまた人間の死にいたる病という観点のキルケゴールの反転にもかかわる。真の恐怖は私が死を免れえないことではない。真の恐怖はむしろ私が不死であることであり、私はそこから逃れようとする。そしてドイツ観念論において、人間が直面する最も恐るべき事は、自由意志のこの深淵だと言ったのはカント、そしてとりわけシェリングだ。それは誰かがシンプルに自由意志から行動したときに遭遇する。そしてそれを受け入れるにはひどくトラウマティックなのだ。

人はまた生物-遺伝子学的な還元主義の恐怖をこの線に沿ってひっくり返すべきだ。ふつう我々が生物学的/遺伝子学的に条件づけられた対象に還元されるたら怖ろしいと考える。しかし私が考えるには真の不安は我々が自由な行為をしたことに気づくことによって引き起こされる、ーーそれが受け入れるには最も困難なことなのだ。ラカンは失敗(の試み)の詩人のたぐいではない。真のトラウマティックな事態とは奇跡が起こることだ、宗教的な意味ではなく自由な行為の意味での奇跡が。しかしそれは言葉では言い表しがたい。さあ、だから我々は失敗の考え方など蹴散らすべきだ。ラカンにとって、現実界は我々が接近できない物自体ではない。現実界はむしろ現実の織物における根源的な裂け目としての自由なのだ。(『ジジェク自身によるジジェク』私訳)

途中、「パトロジカルな理由」という表現が出てくる。あるいはジュパンチッチの『リアルの倫理ーーカントとラカン』の名も出てくる。この書も邦訳はわたくしの手許にはない。ジジェクが朋友ジュパンチッチとの会話から生みだされた次の叙述を『批評空間』2001 Ⅲ-1に掲載されている「メランコリーと行為」より抜き出しておく。

カントの倫理に関する標準的な誤読は、次のような理論にカントの倫理を還元してしまうというものだ。その理論とは、真の倫理的行為とたんなる法的行為との差異は主体の内面的姿勢のみにかかわるとでも言うかのように、行為の倫理的性格を判断する唯一の基準として、主体の意図の純粋な内面性を措定する理論である。法的行為において、私は、パトローギッシュな(感性的動因による)配慮(罰への恐れ、ナルシシスティックな満足、仲間からの賞賛)から法に従うのだが、他方で、義務を尊重する純粋な気持ちから同じ行為を行いさえすれば、つまり、義務がその行為を成し遂げる唯一の動機であるならば、私の行為は本当の道徳的行為となりうる、というわけだ。この意味で、本当の倫理的行為とは二重に形式的なのだ。つまり、そうした行為が法の普遍的形式に従うというだけでなく、この普遍的形式がその行為の唯一の動機でもある、ということだ。しかしながら、〔法の〕新たな内容そのものが、そうした形式の二重化からのみ現れうるとしたらどうだろう。形式主義(形式的法規範)の枠組みを事実上粉砕する真に新たな内容が、形式の自己反省を通してのみ現れうるとしたらどうだろうか。法とのその侵犯という点から言えば、本当の倫理的行為とは、法規範の侵犯――たんなる法律違反とは対照的に、法規範を破るだけではなく、何が法規範であるか定義し直すような侵犯行為――である。道徳律は善に従うのではない。何が善であるか、その新しい形を作り出すものなのだ。

ここで重要な問題に直面することになる。次のような素朴な疑問が生じるのだ。なぜそうなのか? 主体が義務感からのみ行うようなやり方で既存の倫理規範をそのまま現実化する、そういう倫理的行為はなぜ可能ではないのか? この問題にこれとは反対の側からアプローチしよう。新たな倫理規範はどのようにして現われるのか? 規範の既存の枠組みとこうした規範が適用される経験的内容との相互作用からは、この疑問には答えられない。状況があまりにも複雑になるか激変するかして、旧来の規範では対応しきれなくなり、新たな規範を作らねばならなくなる(旧来の規範をそのまま適用すると行き詰ってしまうクローン技術や臓器移植の場合のように)ということではない。さらなる条件が満たされねばならないのだ。既存の規範を適用するにすぎない行為は合法的なだけだが、これに対して、何が倫理規範であるか定義し直す行為は、ただ合法的なだけの身振りとしては成し遂げられず、先に述べたような言葉の二重の意味での形式的な身振りとして実現されなければならない。つまり、そうした行為は義務のために完遂されねばならない、ということでもあるのだ。なぜ? という疑問が再び生じる。なぜそうした倫理的行為は、新たな現実に既存の規範を当てはめる行為としては完遂されえないのだろうか。

現実が発する新たな要求に応じるために法規範を変えるならば(たとえば、カトリック穏健派が「現実主義的」になり、新時代に対して部分的に譲歩し、夫婦間の性交渉にかぎって避妊を認めるという場合のように)、法からその尊厳をア・プリオリに奪うことになる。なぜなら、そのときわれわれは、功利主義的なやり方で、パトローギッシュな利益=関心(幸福)に関する満足度を増大させうる道具として法規範を扱っているからだ。これが意味しているのは、法をめぐる厳格な形式主義(どれほど犠牲を払うことになろうと、無条件に、事情の如何にかかわらず、法の文言を厳守すべきだ)と、プラグマティックで功利的な日和見主義(法規範には柔軟性がある。法は生活の必要に応じて修正すべきだ。法は、それ自体が目的なのではなく、生活する生身の人間の要求を満たすものでなければならない)とは、同じコインの裏と表であるということだ。というのは、この両者はどちらも、義務のために果たされる倫理的行為として規範を侵犯する、という考え方を排除していることで成立しているからである。さらに言えば、根源的悪とは、最も極端な場合、規範を乱暴に破ることではなく、パトローギッシュな理由から規範に服従することなのである。間違った理由から正しいことを行うこと、自分の利益になるから法に従うということは、たんに法を侵犯するよりもはるかに悪いことなのだ。直接的な侵犯行為はたんに法を破るだけで、法の尊厳はそのまま保たれるが、他方、間違った理由から正しいことを行うことは、法を尊重されるべきものとして扱わず、法を人間のパトローギッシュな利益=関心のための道具にまで貶めることであって、法の尊厳をその内側から掘り崩すことなのだーーそれはもはや法の外部からの侵犯ではなく、法の自己破壊、法の自殺行為である。言いかえると、悪の形式をめぐる伝統的な位階序列は次のように転倒されねばならない。一番の悪は、外面的な合法性、パトローギッシュな理由から法を遵守することである。次にくるのは、たんなる法律違反、法を無視することだ。最後に、間違った(パトローギッシュな)理由から正しい(倫理的な)ことを行うこととは正反対の行為がくる。それはつまり、正しい理由から間違ったことを行うこと、倫理規範を、パトローギッシュな理由からではなくただその規範のために破るという行為である(カントはこうした行為をーーそれが行われる可能性は否定したけれどもーー悪魔的悪と呼んだ)。そのような悪を、形式的に善から区別することはできないのだ。

したがって、倫理的行為は、義務感から成し遂げられる行為であるばかりか、アクチュアルな効果を与えるものでもあり、現実に介入するものでもある、というだけではない。アクチュアルな結果をもたらすという意味で、現実への介入以上のことをするのである。つまり、倫理的行為は何が現実であるのか定義し直すものである、ということだ。本当の道徳的行為において、内面と外面、内的意図と外的結果は一致する。それらは同じコインの裏と表なのだ。(ジジェク「「メランコリーと行為」鈴木英明訳)

2015年7月20日月曜日

ハイデガー化されたラカン研究者小笠原晋也氏の「口すべり」

《ラカンはわれわれに教えてくれたーーこのように一瞬あらわれてはその後すぐに忘れられる区別には最大限の注意を払わなければならない》

 以下、小笠原晋也氏ツイートより。


【2015.07.01】


【2015.07.08】



「ラカンの言葉につられて」とある。それはラカンの言葉を素直に読めば、Triebは剰余悦であるということだろう。

……ラカンはわれわれに教えてくれたーーこのように一瞬あらわれてはその後すぐに忘れられる区別には最大限の注意を払わなければならない、なぜならそれらを通して、フロイトの決定的に重要な洞察を探り当てることができるからだ、フロイト自信はその洞察の重大な意義に気づいていないのだ、と(一例だけ挙げるならば、ラカンが、これと同様の、自我理想と理想自我との「口がすべったかのような」区別から何を引き出したかを思い出してみようではないか)。(ジジェク 『斜めから見る』)



【2015.07.11】




わたくしはこれらの言葉から、シツレイながら、小笠原晋也氏のハイデガー化されたラカン解釈の崩壊の端緒をみるーーいや遠慮してそれを疑う、といっておくだけにしよう(究極的には ex-sistenceの解釈をめぐるがここでは触れない)。彼は「無意識的には」それに気づきつつあるのではないか、と。


◆小笠原晋也氏 2015年07月12日(日)ツイートより。


さて,誤謬や矛盾に陥ることを恐れずに,先に進みましょう.というのも,わたし自身,『ハィデガーとラカン』に書いたことが部分的に過っていたことに気づいたからです.それは特に,l'objet a est de l'ordre du réel という命題に関してです.

1965-66年の Séminaire XIII L'objet de la psychanalyse[精神分析の客体]の1966年1月5日の講義において Lacan は「a は,実在の位のものである」と初めて公式化します.

そして,この「実在」は,厳密に,1974-75年の Séminaire XXII RSI において Lacan が実在を ex-sistence と定義したとおりに取るべきです.

「a は実在の位のものである」と公式化する直前,Lacan は,根本的な異状としての同一化を惹起する image, 異状化する影像の学素 i(a) について論じ,次いでこう言っています:a は,この囚われ,この幻の核心において,同一化を実在的に支えるものである.

i(a) への同一化を a が実在的に支える.この命題は,この学素によって形式化され得ます: https://pic.twitter.com/wNrIkjjmnW



この Séminaire XIII において Lacan は déchet[ごみ,屑]としての客体 a を強調しています.déchet は,外へ捨てられるものです.つまり,ex-sistent となるものです.

身体から脱落し,捨てられ,déchet となる客体 a は,まさに ex-sistence としての実在の位のものであり,そのような a を同一化の仮象は保匿する.Séminaire XIII における Lacan の議論はそう読解され得ます.

かくして,a は,RSI のボロメオ結びの図に示されているとおり,同時に,解脱実存,穴,定存として,実在,徴在,影在の位のものである,と言うことができます.「同時に」を強調しておきましょう. https://pic.twitter.com/cwHYzJ0yoA







ーーーこれらの言葉によって、彼は懸命に自らのハイデガー化されたラカン理論を護ろうとしているようにみえる。

とはいえこのようにして、彼のツイートの二転三転を追うのはやや退屈してきた。

参照1:メモ:ラカンのセミネールⅩⅩⅡからⅩⅩⅢへの移行(JA→JȺ)
参照2:「仮象(想像的なもの)、形式(象徴的なもの)、物自体(リアルなもの)(柄谷行人=ラカン)」の後半

彼は自分が「無意識的」に気づいていることを否定するために、ハイデガー流の「深淵な」解釈までするようになってしまった(ようにみえる)。




さる質問者の問い。

しばらくお休みだそうですが、忘れないうちにくり返せば、アンコールのあの文において、あなたに確認しているのは、これだけなんですけど。私には「文法的には」①にみえるけど、あなたの「深淵な」解釈では②だということでいいのでしょうか? → 

①悦という本来的なものからの逸脱。
②悦が本来的なものから逸らされていること。

S/sとしたら

①Trieb(plus-de-jouir) / jouissance impossible
②jouissance(plus-de-jouir)/ Trieb( ex-sistence)
 https://twitter.com/ogswrs/status/612895301351837696 … @ogswrs


◆小笠原晋也(2015.06.22)ツイート


実際、二週間もたたずに言うことが二転三転している。

いずれにせよ彼のセミネールⅩⅩ(アンコール)の上掲した解釈をふくめた訳は、「深いメタフォリカル」な解釈かもしれないが、リテラルには、あるいは文法的には、間違っている、--すくなくともわたくしはそう疑う。


要するに、《深遠な理念であれ、深さを誇るならすぐさまいかがわしいものと堕する》ということをいいたいのだが、彼をハイデガーの「いかさま」と並べるのは、その「いかさま」ぶりがあまりにもちゃちでハイデガーにたいして失礼であろう・・・

そうはいっても小粒の疑似ハイデガー論理の信奉者であることは間違いなさそうだ。

「[自国語に対する]素朴さを喪失した[亡命からの]帰国者は、自国語とのもっとも内的な関係と、自国語が促進する一切の妄想への倦むことを知らぬ警戒心とを(mit unermudlicher Wachsamkeit)結合させるべきです。それは、ドイツ語で説明される形而上学の真意なり、形而上学一般についての真実なりが、ドイツ語の形而上学的な過剰(den metaphysischen Uberschuss der deutschen Sprache)と私が命名したく思うものによってすでにあらかじめ保証されている、と信仰することに対する警戒心でもあります。わたしが『Jargon der Eigentlichkeit[本来性という隠語]』」を書いたのはそのためであると、事のついでに告白しても、たぶんお許し願えるのではないでしょうか。 (中略)形而上学的言語構造は特権ではありません。深遠な理念であれ、深さを誇るならすぐさまいかがわしいものと堕するのであり、それは形而上学的言語構造には帰しがたいものであります。ドイツ的魂という概念についても同様です。(中略)ドイツ語で書き、己れの思想がドイツ語によって浸透されていることを知るものは、こうした問題に関する、ニーチェの批判を忘却してはならないでしょう」(アドルノ、『批判的モデル集II-見出し語』)

とはいえ、このような「症状」--いや現象にツイッター上で出会えるのは、わたくしにはとても興味深かった、ということを認めるのに吝かではない。

以上は、わたくしの「誤解」であるかもしれず、それは読者の判断にまかせる。

読者? 彼の「道化師的」ツイートをまともに追っている読者などいるようには思えない・・・
むしろいくらかまともに追ってしまったわたくし自身に忸怩たる思いを抱かないでもない。

ーーいやここでわたくしはたちまち「言い直し」ている。実はいまだ小笠原晋也氏の「紆余曲折ぶり」がすこぶる興味深いのだ・・・

以上、ハイデガーにほとんど無知なものが失礼なことを書いてしまったかもしれない。すなわちこの文は個人的なメモの範囲を出ない。

…………

→① ラカンのテキストの「痴呆的」解釈

→② 今、エディプス期以後の精神分析学には誤謬はあっても秘密はない



「すべてをお忘れなさい Oblivion soave 」(Bernarda Fink)

◆Bernarda Fink, Monteverdi, l'incoronazione di Poppea, "Adagiati, Poppea - Oblivion soave" (Arnalta)



暗闇に幼な児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ちどまる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ。子供は歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが、歌それ自体がすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスの中に秩序を作りはじめる。しかし、歌には、いつも分解してしまうかもしれぬという危険もあるのだ。アリアドネの糸はいつも一つの音色を響かせている。オルペウスの歌も同じだ。(『千のプラトー』p359)

世界にはカウンターテナーの声が好きな人たちもいるらしいが(たとえばPhilippe Jaroussky)、なんというちがいだろう・・・いや以前彼の歌唱でなにかを気に入ったことはあったような気はするが、--左様ナラ!

Philippe JarousskyならバスのEZIO PINZAのほうがずっとマシだ。

◆EZIO PINZA "OBLIVION SOAVE" CLAUDIO MONTEVERDI




上に引用した「ミラプラトー」はリトルネロの章の冒頭だが、ほかの章にもこうある。

われわれは、リトルネロ(リフレイン)こそ、まさに音楽の内容であり、音楽にひときわ適した内容のブロックであると考える。一人の子どもが暗闇で心を落ち着けようとしたり、両手を打ち鳴らしたりする。あるいは歩き方を考え出し、それを歩道の特徴に適合させたり、「いないいない、ばあ」(Fort-Da)の呪文を唱えたりする(精神分析家は《Fort-Da》を適切に語ることができない。《Fort-Da》は一個のリトルネロだというのに、彼らはそこに音素の対立関係や、言語としての無意識を代理する象徴的構成要素を読みとろうとするからだ)。タララ、タララ。一人の女が歌を口ずさむ。「小声で、やさしく一つ節を口ずさむのが聞こえた。」小鳥が、独自のリトルネロを歌いはじめる。ジャヌカンからメシアンにいたるまで、音楽は実にさまざまな形で、小鳥の歌に貫かれている。ルルル、ルルル。音楽は幼児期のブロックによって、また女性性のブロックによって貫かれている。音楽はありとあらゆるマイノリティに貫かれているが、それでもなお絶対な力能を構成する。子供たちのリトルネロ、女たちの、さまざまな民族の、さまざまな領土の、そして愛と破壊のリトルネロ。そこにリズムが生まれる。シューマンの全作品はリトルネロや幼児期のブロックから成り立ち、そこに独自の処理がほどこされている。こうしてシューマン独自の子供への生成変化と、クララという名をもつ女性への生成変化が生まれる。子供の遊戯や子供時代の光景、そして小鳥の歌をすべて拾いあげ、音楽史上のリトルネロが示す斜線上の、あるいは横断的な用例を一覧表にまとめあげることはできるだろう。しかし一覧表など何の役にも立たない。実際には音楽にとって本質的で必然的な内容が問題となっているのに、一覧表を作ってしまうと、主題や題材のモチーフの豊富な実例に目を奪われることになるからだ。リトルネロのモチーフは不安、恐怖、悦び、愛、労働、行進、領土など、さまざまでありうる。しかしリトルネロ自体はあくまでも音楽の内容なのである。

われわれは、リトルネロが音楽の起源であるとか、音楽はリトルネロをもって始まると主張しているのではない。いつ音楽が始まるのか、実のところよくわからないのだ。それにリトルネロは、むしろ音楽を妨げ、祓いのけ、あるいは音楽なしですませるための手段ではないか。しかし音楽が存在するのは、リトルネロもまた存在するからだ。音楽は内容としてのリトルネロととりあげ、これをつかもとって表現の形式に組み入れるからだ。音楽がリトルネロとブロックをなし、それを別のところにもたらすからだ。それ自体は音楽でない子供のリトルネロが、音楽の<子供への生成変化>とブロックをなす。(千のプラトー「強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること……」p344)

ここはシューマンを貼りつけるべきところだが、このところシューマンばかりなので、もうひとり女性の声で同じ《すべてをお忘れなさい Oblivion soave 》を貼りつけよう。わたくしにはPhilippe Jarousskyよりこっちのほうがずっといい。

◆Olivia Chaney -Oblivion Soave from Monteverdi's Poppea



Olivia Chaney -Aupres de ma Blonde(a popular chanson dating to the 17th century)

ドゥルーズのいうようにアリアドネの糸が漂ってくるよ、《蕾の割れた梅の林から、糸のように漂いやってくる、》(暁方ミセイ)アリアドネの糸!《五百年前の我が兄子、千年前の我が妹子、》

《迷路の人間は、決して真実を求めず、ただおのれを導いてくれるアリアドネを求めるのみ。》(ニーチェ 遺稿

《賢くあれ、アリアドネ!……そなたは小さき耳をもつ、そなたはわが耳をもつ。》(ニーチェ『ディオニュソスーディテュランボス』(Dionysos-Dithyrambus)第七歌「アリアドネの嘆き」(Klage der Ariadne)
……一つの<線―ブロック>が音の中間を通りぬけ、位置決定が不可能な独自の環境(中間)で芽を吹くのだ。音のブロックはインテルメッツォ〔間奏曲〕である。つまり音学的組織をすりぬけ、なおさら強度の音を放つ器官なき身体、あるいは反-記憶なのである。

「シューマン的身体は一箇所にとどまることがない。(……)インテルメッツォは全作品と一体化している。(……)極言するなら、インテルメッツォしかないのだ。(……)シューマン的身体には分岐しかない。この身体はみずからを構築していくのではなく、ただ間奏曲(休止)を積み重ね、不断の分岐を続けるのだ。(……)シューマン的鼓動は、狂乱しながらもなお、コードをそなえている。そして鼓動を刻む音の狂乱が一般には見過されがちなのは、一見したところ、この狂乱が穏当な言語の限度内に収まっているからである。(……)調性には、矛盾し、しかも共存しうる二つの面があると想定してみよう。一方にはスクリーンが、つまり既知の組織にしたがって身体を分節する言語がありながら、しかしもう一方では、矛盾したことに調性が、別の水準では馴致すべきはずの鼓動に対して、その巧みなしもべとなるのだ。」(ロラン・バルト『第三の意味――映像と演劇と音楽と』)(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』「強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること……」p342)

2015年7月19日日曜日

「いや、何でもない、騒がないでくれ。取って喰おうってわけじゃない」

ツイッターの「古井由吉の文章@furuiyo」より(順不同かもしれず、連続して引用しているのかどうか、あるいはもし続けた引用であっても行分けは不明)。

東北の大震災の後しばらく、東京の街は都心も郊外も、地上も地下も、電力の節減をせまられて、それまでよりもよほど夜が暗くなった。(『雨の裾』踏切り)

それにつけて、このほうが落着くな、ひさしぶりに宵の巷を歩いている気がするよ、夜の寝つきもいいようだ、とつぶやく声を受けて、いや、お蔭で夜の町が昔のように、明るくなった、と妙なことを言い出すのがあった。(『雨の裾』踏切り)

踏切りというところはほかよりも、高くなっているんだ、と渡りながら感じた。線路に沿って何かの鳴る音が、この寒空に遠い祭りの囃子のように伝わってくる。(『雨の裾』踏切り)

昔、電車にはねられて奇跡的に命はとりとめた年寄りが、どうしてそんなにぼんやりしていたのと後から咎められて、飾り立てた山車が近づいて来て、ああ、おもしろい、と眺めたまでは覚えているが、と答えたという。(『雨の裾』踏切り)

ながらく行方知れずの縁者や、時には死者を、暮れ方の人出の中に探しに行くとかいう習わしが古くにあったと聞く。あの叔父の眼は、行き交う人の顔に、先を急ぐ生者の面(おも)に、蒼いような翳のつかのま差すのを見て訝る眼ではなかったか。(『雨の裾』踏切り)

そう思うと、腕組みをして眺めるばかりになった姿のまわりに、長い時間が、過ぎたのも来るのもひとつになって、凝(こご)ってくるように感じられた。(『雨の裾』踏切り)

あるいはまた、死者の翳が差してこそ生者は生彩を放つものであり、叔父はひさしぶりに人の往来の賑わいを感じて立ち停まったのではないか、とも思った。(『雨の裾』踏切り)

わたくしは最近の古井由吉のエッセイとも小説ともつかぬ文章を垣間読むと、誰かに昔語りされているような感を覚えることがある。古井由吉は、1937年11月19日生まれで、わたくしの母より5年おそく生れている。母の弟のひとり、つまりわたくしのこれも母と同じ齢の50歳ではやばやと死んでしまった叔父のひとりは古井由吉と同年生まれだった。

《踏切りというところはほかよりも、高くなっているんだ、と渡りながら感じた》とある。どこかで似たような文章に巡りあったことがあるな、と小一時間ほど探していたのだが見当たらない。

ひょっとして荷風の日記の文章が混淆して聞えてきたのかもしれない。

荷風戰後日歴 第一 昭和廿一年 永井荷風(年六十八)より。

一月廿二日。晴。暖氣春の如し。疥癬愈甚しければ午前近巷の醫師を尋ねて治を請ふに、傳染せし當初なれば治し易き病なれど、全身に蔓衍しては最早や藥治の能くすべきところならず。硫黄を含む温泉に浴するより外に道なしと言へり。醫師また言ふ。これ歸還兵の戰地より持ちかへりし病にて、國内傳染の患者甚多しとなり。驛前の市場にて惣菜物蜜柑等を購ひ、京成線路踏切を越え松林欝々たる小徑を歩む。人家少く閑地多し。林間遙に一帶の丘陵を望む。通行の人なければ樹下の草に坐し鳥語をきゝつゝ獨り蜜柑を食ふ。風靜にして日の光暖なれば覺えず瞑想に沈みて時の移るを忘る。この小徑より數丁、垣根道を後に戻れば寓居の門前に至るを得るなり。この地に居を移してより早くも一週日を經たれど驛前に至る道より外未知る處なし。されど門外の松林深きあたり閑靜頗る愛すべく、世を逃れて隱れ住むには適せし地なるが如し。住民の風俗も澁谷中野あたり、東京の西郊にて日常見るものとは全く同じからず、所謂インテリ風に化せざるところ大に喜ぶべし。
四月廿九日。晴。風あり。午前江戸川堤を歩む。堤防の斜面にも麥植ゑられ菜の花猶咲殘りたり。國府臺新緑の眺望甚よし。路傍の蕎麥屋に代用食ふかし芋ありますとの貼紙あり。入りて憩ふ。一皿五圓なり。三十前後のおかみさん澁茶を汲みながら、其夫去年沖繩に送られしまゝ今だに生死知れず。子供三人あれば女の手一ツにては暮しも立ちがたしと語れり。歸途手古奈堂に近き町の古本屋にて武江年表活字本を買ふ。(三十五圓。)家に至るに凌霜子來りて待てり。大森邊の古本屋にて井上唖々の猿論語を得たりとて示さる。又築地宮川の雞肉を惠まる。
六月十一日。晴。午後省線新小岩町の私娼窟を歩す。省線驛前に露店並びたる處より一本道の町を歩み行くこと七八丁。人家漸く盡きむとする町端に在り。災前平井町に在りし藝者家と龜戸に在りし銘酒屋の移轉せしものと云。女は思ひしほど醜からず。揚代客の和洋を問はず五拾圓と云。燈刻勝部眞玄氏、齋藤書店主人、中村光夫氏、近藤博士等來話。

踏切を渡って徒歩10分のアパート
の部屋に入る
何週間か前に踏切で飛びこみがあった
踏切に木が敷かれてある
木に血が染みていた
線路のくぼみの中に血のかたまりと
臓器のはへんらしいものが残っていた

ーーー伊藤比呂美「小田急線喜多見駅周辺」より

と引用してきたところで、ツイッターbotにてもう一つの文に行き当たった。

《踏切を渡る人間は、渡る前の自分と、渡った後の自分と、すっかり同じなのか。だいたい踏切というのは気味の悪いところです。何となく変な風が吹いてきて、生臭いような。鉄粉が散るのでしょう。しかも錆びる。血のにおいがします。》(古井由吉「群像」2015年7月号 堀江敏幸対談)

…………

九月も最終土曜日の正午すぎ頃、総武線は下総中山駅の、発車間際の下り電車から若い女がホームへ駆け下りた。車内は学校帰りの生徒たちやもうひとつ先の西船橋まで行く競馬客やで込みあって、人の載りこんで来る頃にいきなり走り出た女に脇をぶつけられたり足を踏まれる客もあり閉じた扉ごしに睨んでいたが、女は車内に背を向けてジーパンの腰のわきを片手でそろそろと撫ぜながら、天井からさがった駅名をただ不思議そうに見あげていた。電車が走り去ると、人のすくなかった階段をふらりと降りて行った。若いといっても三十のほうに近くは見えた。

新宿から乗りこんだ客だった。まだすいていた車内の隅のほうの席に腰をおろして、疲れの荒く浮いた顔で中吊り広告の、墜落事故の記事の見出しを眺めるうちに瞼がさがり、市ヶ谷すぎでちらりと壕のほうを振り返って次ぐらいに降りそうな様子を見せたがまた眠りこみ、腕組みをした頭を垂れ、ときたま細く白眼などを剥いて、下総中山に停まるまで覚めなかった。

改札口でも簡単な清算に手間取っていたが、小雨の降り出した駅前広場の前に立った時には、艶のさえない額にそれでもほんのりと、四十分も居眠りしたせいか、赤みが差していた。雨降りといっても早朝から雲が低くて朝焼けもひどかったので、都心のほうから戻る人間たちもたいてい傘の用意をしていた。その傘の往来を眺めやり、相変らず片手で腰の、脇からややうしろを気づかいながら軒の下に立っている。迎えの者でも待つのかと思ったら、次の電車から吐き出されてきた客たちに混って広場をあっさり突っきり、雨に首もすくめず、駅からまっすぐ商店街の表通りへ入って行った。

行くうちに気ままな足取りになり、片側に並ぶ店の中をいちいち、なにかあらわな女の目でのぞいて千葉街道との交差点にさしかかり、その手前で急に興が尽きたふうに止まって荒涼とした顔をあたりへ向けていたが、信号が青に変るとついと渡った。京成電車の線路まで来て、左手のすぐ先にいきなりな感じで湧く京成中山駅のホームへ目をやりながら踏切りを越し、道の上にかかる門をくぐり、さらに行く手に立つ法華経寺の南大門に惹かれたか、屈めぎみだった腰も伸びて、門前町の長い坂道をたゆまず登って行った。人から染まったものとも、自分の肌のものとも、つかなくなる。

女の行く手を老人がひとりゆっくり登っていた。糠雨の中を、傘をささずに杖をついて、くたびれた背広に黒靴ばかりが真新しい。白い五分刈の頭にイヤホーンを片耳にはめて右足をひきずり、そちらへ傾き傾き歩いている。ときおり立ち止まりそうになってはじわりと足を運ぶ。その過度に張りつめた背の表情に女はなにがなし嫌悪の情をそそられて、追い抜いてしまおうと足を速めたが、すぐ近くまで寄りながら、あと三歩ばかりの間が詰まりそうで詰まらない。不思議な気がして眺めると、老人はいよいよひっそり歩きながら、女の足音がすぐ近くに迫ってざわつくと、前へ押し出されたみたいに進む。あせりのあまりすくむようなけはいも見えて、女のほうが思わず足をゆるめてしまう。

追いついたのは、坂を登りきって大門をくぐるところだった。屋根の下には石畳が敷かれていたが乾いた土のにおいがした。その暖かいような空気に女はひさしぶりに安堵した心地がして、しっとりと濡れた髪を搔きあげ、すこし離れて肩を並べるかたちになった老人の存在を忘れた。太い敷居をまたぐときに腰の右側が鈍く疼いて内股にためらいが感じられ、ジーパンはもう惨めだから、今日かぎりにしよう、とそんなことを思った。気がつくと、隣と歩調がぴたりと合っていて、老人は敷居をまたいで動かなくなった。

いまにも前にのめりそうに腰をかがめて、目がうつろに宙を見つめ、わずかに左の小手を妙な高さに動かして女を招いていた。寄りかねていると、むこうからわなわなと身を傾けてきて、金〔かね〕を焦がすようなにおいがひろがり、意外に骨太の手が女の右腕のつけねを摑んで、男の重みがずっしりと肩にかかってきた。女は両足を踏んばって、腋にアザができるわと思ったきり、雨の中を眺めた。「いや、何でもない、騒がないでくれ。取って喰おうってわけじゃない」
……(古井由吉「中山坂」) 




2015年7月18日土曜日

「濡れた」文章(Virginia Woolf)

"Yes, of course, if it's fine tomorrow," said Mrs Ramsay. "But you'll have to be up with the lark," she added.

――とても魅力的に始まるヴァージニア・ウルフの『灯台へ』である。わたくしの手許にはこの書の邦訳はないのだが、ウエブ上には比較的的評判のよい御輿哲也氏の訳を引用している方たちがいる。ここでいくらか原文と邦訳を並べてみよう(わたくしにはすぐれた文学のテキストを翻訳する力は到底ない)。

「そう、もちろんよ、もし明日が晴れだったらばね」とラムジー夫人は言って、つけ足した。「でも、ヒバリさんと同じくらい早起きしなきゃだめよ」
息子にとっては、たったこれだけの言葉でも途方もない喜びの因(もと)になった。まるでもうピクニックは行くことに決まり、何年もの間と思えるほど首を長 くして待ち続けた素晴らしい体験が、一晩の闇と一日の航海さえくぐり抜ければ、すぐ手の届くところに見えてきたかのようだった。

"Yes, of course, if it's fine tomorrow," said Mrs Ramsay. "But you'll have to be up with the lark," she added. To her son these words conveyed an extraordinary joy, as if it were settled, the expedition were bound to take place, and the wonder to which he had looked forward, for years and years it seemed, was, after a night's darkness and a day's sail, within touch.

この子はまだ六歳だったが、一つの感情を別の感情と切り離しておくことができず、喜びや悲しみに満ちた将来の見通しで今手許(てもと)にあるものまで色づけてしまわずにいられな い、あの偉大な種族に属していた。こういう人たちは年端もいかぬ頃から、ちょっとした感覚の変化をきっかけに、陰影や輝きの宿る瞬間を結晶化させ不動の存 在に変える力をもっているものなのだが、客間の床にすわって「陸海軍百貨店」の絵入りカタログから絵を切り抜いて遊んでいたジェイムズ・ラムジーも、母の 言葉を聞いた時たまたま手にしていた冷蔵庫の絵に、自らの恍惚(こうこつ)とした喜びを惜しみなく注ぎこんだ。その冷蔵庫は、歓喜の縁飾りをもつことに なったわけである。

Since he belonged, even at the age of six, to that great clan which cannot keep this feeling separate from that, but must let future prospects, with their joys and sorrows, cloud what is actually at hand, since to such people even in earliest childhood any turn in the wheel of sensation has the power to crystallise and transfix the moment upon which its gloom or radiance rests, James Ramsay, sitting on the floor cutting out pictures from the illustrated cata-logue of the Army and Navy stores, endowed the picture of a refrigerator, as his mother spoke, with heavenly bliss. It was fringed with joy.

ほかにも庭の手押し車や芝刈り機、ポプラの葉のそよぎや雨の前の白っぽい木の葉の色、さらにはミヤマガラスの鳴き声や窓を叩くエニシダの枝、ドレスの衣(きぬ)ずれの音など-こうした何でもないものが、彼の心の中ではくっきりと色づけきわだたせられていたので、いわば彼には自分だけの暗号、秘密の言葉があるようなものだった。だがそばにいる夫人にとっては、子どもなりに毅然とした態度を崩さず、人間の弱さに少し眉をしかめるような率直さ や純粋さがあり、秀でた額と青く鋭い目をしたジェイムズの様子ばかりが目に映り、彼がていねいに冷蔵庫の絵を切り取っているところを見ていると、白貂(し ろてん)をあしらった真紅の法服姿で法廷に現われたり、国家存亡の機に厳しく重大な計画を指揮したりする際の息子の姿が、われ知らず思い浮かびもするの だった。

The wheelbarrow, the lawnmower, the sound of poplar trees, leaves whitening before rain, rooks cawing, brooms knocking, dresses rustling—all these were so coloured and distinguished in his mind that he had already his private code, his secret language, though he appeared the image of stark and uncompromising severity, with his high forehead and his fierce blue eyes, impeccably candid and pure, frowning slightly at the sight of human frailty, so that his mother, watching him guide his scissors neatly round the refrigerator, imagined him all red and ermine on the Bench or directing a stern and momentous enterprise in some crisis of public affairs.

「でも」と、ちょうどその時客間の窓辺を通りかかった父親が足を止めて言った、「晴れにはならんだろう」 手近に斧か火かき棒があれば、あるいは父の胸に穴をこじ開け、その時その場で彼を殺せるようなどんな武器でもあれば、ジェイムズは迷わずそれを手に取った だろう。ラムジー氏が、ただそこにいるだけで子どもたちの胸に引き起こす感情の嵐は、それほど凄まじいものだった。(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』 御輿哲也訳 岩波文庫)

"But," said his father, stopping in front of the drawing-room window, "it won't be fine." Had there been an axe handy, a poker, or any weapon that would have gashed a hole in his father's breast and killed him, there and then, James would have seized it. Such were the extremes of emotion that Mr Ramsay excited in his children's breasts by his mere presence;

たぶんウルフのこの文章は読むひとが読めばとても「濡れている」と感じるのではないか。御輿哲也訳に文句をつけるつもりは毛頭ないが、やはりいくらかの箇所がもたもたした訳であるように感じられる。とはいえ英文を小声で読んでみるときの快楽にくらべらば物足りないところがあるのはやむえないのだろう。

私は、詩の翻訳可能性にかんしての議論は表層言語の水準では解決できないものであると考えている。訳詩というものがそもそも果たして可能かという議論はいつまでも尽きない永遠の問題である。これが、ゼノンの逆理に似ているのは、歩行は現実にできているのだが、それを歩行と認めるかどうかという問題だからだ。ゼノンの逆理に対してディオゲネスは「立って歩けば解決できる」と言ったが、それでもなお「歩いているというのは何かの間違いだ」「ほんとうは歩けないはずだ」という反論はありうるだろう。つまり、詩の訳はできているし、あるのだが、それでもなお「それは原詩とはちがう」「ほんとうは詩の訳はできない」ということはできる。

私は、多くのものが他のもので代表象〔ルプラザンテ〕できる程度には詩の翻訳は可能であると考える。それだけでなく、もっと強く、原文を味到できる人も、その人の母語が別の言語であるならばその人の母語によって訳詩を読むことにかけがえのない意義があると考える。

その詩を母語としない外国語学の専門家が原文を母語のように味到できるという可能性は絶無ではないが、言語の生理学からは非常に至難の技である。ましてや詩である。

人間は胎内で母からその言語のリズムを体に刻みつけ、その上に一歳までの間に喃語を呟きながらその言語の音素とその組み合わせの刻印を受け取り、その言語の単語によって世界を分節化し、最後のおおよそ二歳半から三歳にかけての「言語爆発」によって一挙に「成人文法性 adult grammaticality」を獲得する。これが言語発達の初期に起こることである。これは成人になってからでは絶対に習得して身につけることができない能力であると決っているわけではないけれども、なまなかの語学の専門家養成過程ぐらいで身につくものではないからである。

それを疑う人は、あなたが男性ならば女性性器を指す語をあなたの方言でそっと呟いてみられよ。周囲に聴く者がいなくても、あなたの体はよじれて身も世もあらぬ思いをされるであろう。ところが、三文字に身をよじる関西人も関東の四文字語ならまあ冷静に口にすることができる。英語、フランス語ならばなおさらである。これは母語が肉体化しているということだ。

いかに原文に通じている人も、全身を戦慄させるほどにはその言語によって総身が「濡れて」いると私は思わない。よい訳とは単なる注釈の一つの形ではない。母語による戦慄をあなたの中に蘇えらせるものである。「かけがえのない価値」とはそういうことである。

この戦慄は、訳者の戦慄と同じでなくてもよい。むしろ多少の違和感があることこそあなたの中にそういう戦慄を蘇えらせる契機となる。実際、訳詩家は翻訳によって初めて原詩の戦慄を翻訳に着手する以前よりも遥かに深く味わうものである。そうでなければ、経済的に報われることが散文翻訳に比してもさらに少ない詩の翻訳を誰が手掛けるだろうか。

翻訳以前の原詩は、いかに精密であり美しくてもアルプスの地図に過ぎない。翻訳は登頂である。ただに頂上を極めることだけではなく、それが極められなくとも、道々の風景を実際に体験する。翻訳を読むことは、あなたが原文を味到することが十分できる方〔かた〕であって、その翻訳にあきたりないところがあっても、登頂の疑似体験にはなる。愛するすべての外国語詩を原語で読むことは誰にもできない相談であるから、訳詩を読むことは、その言語に生まれついていない人には必ず独立の価値があって、それをとおして、原詩を味わうのに貢献すると私は思う。

また、こういう場合もある。晩年のゲーテは『ファウスト』を決してドイツ語では読まなかった。読んだのはもっぱらネルヴァルのフランス散文詩訳である。おそらく、おのれの書いた原文の迫るなまなましさから距離を置きたくもあり、翻訳による快い違和感を面白がりもしていたのであろう。(中井久夫「訳詩の生理学」)

もうすこし『灯台へ』から邦訳が拾えるところを原文と並べておく、

…波音は、たいていは控えめに心を和らげるリズムを奏で、夫人が子どもたちとすわっていると、「守ってあげるよ、支えてあげるよ」と自然の歌う古い子守唄のようにも響くのだが、また別の時、たとえば夫人が何かの仕事からふとわれにかえった時などは、そんな優しい調子ではなく、激しく太鼓を打ち鳴らすように生命の律動を容赦なく刻みつけ、この島もやがては崩れ海に没し去ることを教えるとともに、あれこれ仕事に追われるうちに彼女の人生も虹のように消え去ることを、あらためて思い起こさせもするのだった。…

…so that the monotonous fall of the waves on the beach, which for the most part beat a measured and soothing tattoo to her thoughts and seemed consolingly to repeat over and over again as she sat with the children the words of some old cradle song, murmured by nature, "I am guarding you—I am your support," but at other times suddenly and unexpectedly, especially when her mind raised itself slightly from the task actually in hand, had no such kindly meaning, but like a ghostly roll of drums remorselessly beat the measure of life, made one think of the destruction of the island and its engulfment in the sea, and warned her whose day had slipped past in one quick doing after another that it was all ephermal as a rainbow—this sound which had been obscured and concealed under the other sounds suddenly thundered hollow in her ears and made her look up with an impulse of terror.
――子供は決して忘れない。だからこそ、大人が何を言い何をするかはとても重要で、あの子達が寝てしまうと、どこかホッとする。これでやっと誰に対しても気を遣わなくてもすむ。一人になって、私自身に戻れる。そうしてそれは、最近しばしばその必要を感じることだった。――考えること、いや考えることでさえなく、ただ黙って一人になること。すると日ごろの自分のあり方や行動、きらきら輝き、響きあいながら広がっていたすべてものが、ゆっくり姿を消していく。やがて厳かな感じとともに、自分が本来の自分に帰っていくような、他人には見えない楔形をした暗闇の芯になるような、そんな気がする。

— children never forget. For this reason, it was so important what one said, and what one did, and it was a relief when they went to bed. For now she need not think about anybody. She could be herself, by herself. And that was what now she often felt the need of—to think; well, not even to think. To be silent; to be alone. All the being and the doing, expansive, glittering, vocal, evaporated; and one shrunk, with a sense of solemnity, to being oneself, a wedge-shaped core of darkness, something invisible to others.(Virginia Woolf,To the Lighthouse (1927))




2015年7月17日金曜日

未知の涼気

風立ちぬ、いざ生きめやも

風が立つ!……いまこそ生きねばならぬ!

風が起こる……生きる試みをこそ


文法上は誤訳に近いと言われる堀辰雄訳だが、書斎を微風が通り抜ければ、やはり「風立ちぬ、いざ生きめやも」である。

雨季で雨は夕方にほとんど毎日ふるのだが、やや過ごしやすい時節になり、午後曇り空のなか微風を浴びれば心地よい。東西に日除け用に植えた木蓮の葉むらが揺れ白い花の甘いかおりも漂ってくる。この木蓮は写真でみるかぎり日本の木蓮ほど樹容も花の形も美しくはないが、わたくしはこれで満足している。

風にあたるのが苦手な乾燥肌の人もいるのだろうが、わたくしはこの齢になっても皮膚はたっぷり脂で覆われており風は強風でさえ清涼剤だ。

とはいえ憂鬱なときには、「ああ、お前はいったい何をしてきたのか。吹き来る風が私に云ふ」と呟かないでもなかったが、最近は面の皮が厚くなったせいか、中也にお世話になることは稀だ。

わたくしは記憶力がわるいほうで、憶えている詩句はわずかなのだが、このふたつぐらいは記憶にある。それと高校生時代、無理矢理おぼえた「朝の歌」はところどころ覚束ないとはいえ、今でもほぼ十四行いける。

――などと書いているのは、さきほどロラン・バルトの『記号の国』石川美子新訳の「訳者あとがき」を読んでいたせいだ。

『記号の国』ではまったくふれられていなかったにもかかわらず、『小説の準備』ではきわめて重視されているものがある。それは、天候や季節の記述であった。バルトは言う。プルーストの『失われた時を求めて』には80回も天候の記述が出てくるが、それがまるで生の本質であるかのように語られているのだと。なぜ、生の本質なのか。天候を記述することは、季節のなかに個我を投影することであり、いいかえれば、季節という普遍的なものと「わたし」の生とが反映しあうことになるからあである。バルトは、母を亡くしてからは、季節や時間の効果に敏感になっていた。「愛するものを失った人はだれでも、その季節をとてもよく思い出します。光、花、香りなどを。喪と季節とのあいだには、対比的な一致があるのです。太陽の光のもとでは、どれほど苦悩を感じてしまうことでしょうか」。そのような季節や日々や時間の色あいを、俳句があざやかに表現していることが、バルトの心に染み入ってきたのだった。(石川美子)

中学生時代、「石川美子」さんという名の、バスケットボール部の主将でしなやかな躰をした美しい少女がいたものだ。もちろん同姓同名だけであり、そのひととは同じではない。

雌鹿のような少女でブルマー姿がよく似合った。

私の母、アンリエット・ガニョン夫人は魅力的な女性で、私は母に恋していた。
急いでつけくわえるが、私は七つのときに母を失ったのだ。(……)

ある夜、なにかの偶然で私は彼女の寝室の床の上にじかに、布団を敷いてその上に寝かされていたのだが、この雌鹿のように活発で軽快な女は自分のベッドのところへ早く行こうとして私の布団の上を跳び越えた。(スタンダール『アンリ・ブリュラールの生涯』)

(相米慎二『台風クラブ』)


彼女を想起すれば、いまでも《朝礼で整列している時に、隣りにいるまぶしいばかりの少女に少年が覚えるような羞恥と憧憬と、近しさと距離との同時感覚》(中井久夫)を覚える何人かのうちのひとりではある。彼女とは同じ大学で、高田の馬場の喫茶店で出合ったことがあるが、別の男性に熱烈な恋をしているようだったので目配せするだけで話しかける余地がなかった。

次ぎの文はロラン・バルトがプルーストの「80回も天候の記述」のなかに含めているのかどうかはわからないが、わたくしが愛する官能的な箇所である。

夕食後、自動車はふたたびアルベルチーヌをパルヴィルから連れだしてくるのだ。まだ暮れきらないで、ほのかなあかるさが残っているのだが、あたりのほとぼりは多少減じたものの、焼けつくような日中の暑気のあとで、私たち二人とも、何か快い、未知の涼気を夢見ていた。そんなとき、私たちの熱っぽい目に、ほっそりした月があらわれた(私がゲルマント大公夫人のもとに出かけた晩、またアルベルチーヌが私に電話をかけてきた晩にそっくりで)、はじめは、ひとひらのうすい果物の皮のように、またときどき、私のほうから、女の友をむかえに行くときは、時刻はもうすこしおそくて、彼女はメーヌヴィルの市場のアーケードのまえで、私を待つことになっていた。最初の瞬間は、彼女の姿がはっきり見わけられなくて、きていないのではないか、勘ちがいしたのではないか、と早くも心配になってきた。そんなとき、白地に青の水玉模様のブラウスを着た彼女が、車のなかの私のそばへ、若い娘というよりは若い獣のように、軽くぽんととびこんでくるのを見るのだ。そしてやはり牝犬のように、すぐに私を際限なく愛撫しはじめるのだった。夜が完全にやってきて、ホテルの支配人がいうように、一面の星屑夜になるころ、私たちは、シャンパンを一びんもって森へ散歩に行くのでなければ、砂丘の下で寝そべるのだが、かすかなあかりに照らされた堤防の上を、まだ散歩者たちがぶらついているけれども、砂の上は暗くて、一歩先のものは何一つ彼らの目にとまるものはなかったから、べつに遠慮することはいらなかった、かつて波の水平線を背景に通りすぎてゆくのをはじめて私が目にした少女たちの、あの美しい肉体、スポーツ的な海の女性美がやわらかく息づいているあのおなじ肉体、それを私は自分のからだにぴったりとくっつけるのだ、ふるえる一筋の光の線がなぎさを区切っている不動の海の間近で、おなじ一枚のひざかけの下で、そうして、私たちは、飽かずに、海にきき入る、その海が息をひそめて、潮のひきがとまったかと思われるほど、じっと長くそのままでいるときも、またついに、息を吐いて、私たちの足もとで、その待たれた、おそい、ささやきをもたらすときも、おなじ快楽をもって、私たちはそれにきき入るのだった。(プルースト「ソドムとゴモラ 2」井上究一郎訳)

2015年7月16日木曜日

年だけいった大ども

けっきょくのところ、われわれに確信を与えているものは、確かな認識であるよりもむしろはるかにより多く習慣であり先例であること、しかもそれにもかかわらず少し発見しにくい真理については、それらの発見者が一国民の全体であるよりもただ一人の人であるということのほうがはるかに真実らしく思われるのだから、そういう真理にとっては賛成者の数の多いことはなんら有効な証明ではないのだ、ということを知った。(デカルト『方法序説』野田又夫訳)
こどもはまず、自分をとりまく人たち、自分にすべての禍福をもたらしてくれる人たちを観察する。すなわち彼はまず政治的に生きるわけだ。この柔軟な精神は、まず慣習や気まぐれや情念を反映する。真実のものよりも好都合のものを、知識よりも礼節をはるかに貴しとする習慣は、それゆえわれわれだれしものうちにあってもっとも古いものである。多くの無分別、頑迷、不毛の論議といったものは、こうしたところから説明できる。われわれのまわりにも年だけいった大どもにはこと欠かない。(アラン「外的秩序と人間的秩序」「プロポ集」井沢義雄・杉本秀太郎訳)

…………

法学者であり東京大学先端科学技術研究センター教授でもある玉井克哉なる人物が昨晩(2015.07.16)次のようなツイートをしている。

@tamai1961: 本当は、大学というのは、すべてを疑う、疑った上で自分で確かめる、そういう知的態度を身に着ける場なのです。リンゴが落ちるのに月が落ちないのはなぜか。同じ法則で説明できないか。そういう発想を伸ばすところなのです。空気に乗ってアジ演説をする者に給料を払うために存在しているのではない。

それにたいして山口二郎が次ぎのように返している。

山口二郎@260yamaguchi: 知ったふうなことを言うなよ。もっとも疑うべきは、権力者のプロパガンダとデマゴギーだろう。この人は法学部でも、政治学を勉強していないのだろうから、政治の初歩がわかっていないのだろうが。権力者のウソを疑うために私は給料をもらっているのだ https://t.co/U5qvs28ZIb

玉井氏が《すべてを疑う、疑った上で自分で確かめ》て発言しているのか、山口氏のいうように《もっとも疑うべきは、権力者のプロパガンダとデマゴギー》であるのかは知るところではない。どちらのほうが《われわれのまわり》にいる《年だけいった大ども》であるのかも保留しておこう。ただしこうは引用しておこう。

根源的悪とは、最も極端な場合、規範を乱暴に破ることではなく、パトローギッシュな理由(感性的動因による配慮(罰の恐れ、ナルシシスティックな満足、仲間からの賞賛等々:引用者)から規範に服従することなのである。間違った理由から正しいことを行うこと、自分の利益になるから法に従うということは、たんに法を侵犯するよりもはるかに悪いことなのだ。(ジジェク『メランコリーと行為』)

これはラカン派(の一部)がカントの倫理から読み取った考え方である。この文だけでは解りにくいかもしれない。この文の前後は「デモの猥雑な補充物としての「享楽」」の後半に抜き取りがある。核心は《間違った理由から正しいことを行うこと》とは、法の尊厳を侮蔑すること、《法の自己破壊、法の自殺行為》ということである。

さて、ふたりのやりとりを垣間見て、原発事故一周年の間もないことの2012年3月24日 立教大学総長 吉岡知哉による「卒業生の皆さんへ(2011年度大学院学位授与式)」の言葉を思い出した。《「考える」という営みは既存の社会が認める価値の前提や枠組み自体を疑うという点において、本質的に反時代的・反社会的な行為です》と。もちろんこの《反時代的・反社会的な行為》を押し潰そうとする勢力が最近いっそう顕著になってきているのを知らないわけではないが。

では、大学の存在根拠とはなにか。

一言で言えばそれは、「考えること」ではないかと思います。

大学とは考えるところである。もう少し丁寧に言うと、人間社会が大学の存在を認めてきたのは、大学が物事を徹底的に考えるところであるからだと思うのです。だからこそ、大学での学びについて、単なる知識の獲得ではなく、考え方、思考法を身につけることが大切だ、と言われ続けてきたのでしょう。

現実の社会は、歴史や伝統、あるいはそのときどきの必要や利益によって組み立てられています。日常を生きていく時に、日常世界の諸要素や社会の構造について、各自が深く考えることはありません。考えなくても十分生きていくことができるからです。あるいは、日常性というものをその根拠にまで立ち戻って考えてしまうと、日常が日常ではなくなってしまうからだ、と言ったほうがよいかもしれません。

しかし、マックス・ウェーバーが指摘したように、社会的な諸制度は次第に硬直化し自己目的化していきます。人間社会が健全に機能し存続するためには、既存の価値や疑われることのない諸前提を根本から考え直し、社会を再度価値づけし直す機会を持つ必要があります。

大学は、そのために人間社会が自らの中に埋め込んだ、自らとは異質な制度だと言うことができるのではないでしょうか。大学はあらゆる前提を疑い、知力の及ぶ限り考える、ということにおいて、人間社会からその存在を認知されてきたのです。

既存の価値や思考方法自体を疑い、それを変え、時には壊していくことが「考える」ということであるならば、考えるためには既存の価値や思考方法に拘束されていてはならない。つまり、大学が自由であり得たのは、「考える」という営みのためには自由がなければならないことをだれもが認めていたからに他ならない。大学の自由とは「考える自由」のことなのです。

言葉を換えると、大学は社会から「考える」という人間の営みを「信託」されているということになると思います。


もちろん、われわれは加藤周一や大江健三郎の師匠筋であったユマニスト渡辺一夫の言葉を引用することもできる。

秩序は守られねばならず、秩序を乱す人々に対しては、社会的な制裁を当然加えてしかるべきであろう。しかし、その制裁は、あくまでも人間的でなければならぬし、秩序の必要を納得させるような結果を持つ制裁でなければならない。

更にまた、これは忘れられ易い重大なことだと思うが、既成秩序の維持に当たる人々、現存秩序から安寧と福祉とを与えられている人々は、その秩序を乱す人々に制裁を加える権利を持つとともに、自らが恩恵を受けている秩序が果たして永劫に正しいものか、動脈硬化に陥ることはないものかどうかということを深く考え、秩序を乱す人々のなかには、既成秩序の欠陥を人一倍深く感じたり、その欠陥の犠牲になって苦しんでいる人々がいることを、十分に弁える義務を持つべきだろう。(渡辺一夫「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」)

社会秩序が動脈硬化に陥っているとき、その既存秩序を破壊しよう、あるいはその秩序の座標軸を変えようとする行為は、その秩序にとっては「悪」とならざるをえないだろう。

行為とは、不可能なことをなす身振りであるだけでなく、可能と思われるものの座標軸そのものを変えてしまう、社会的現実への介入でもあるのだ。行為は善を超えているだけではない。何が善であるのか定義し直すものでもあるのだ。(ジジェク「メランコリーと行為」『批評空間』2001 Ⅲ―1所収)

そもそも殆んどのひとは、《パトローギッシュな理由(感性的動因による配慮(罰の恐れ、ナルシシスティックな満足、仲間からの賞賛等々)から規範に服従》しているだけではないか。

《すべてを疑う、疑った上で自分で確かめる、そういう知的態度を身に着け》たつもりになっている学者たちはどうか?

学者というものは、精神上の中流階級に属している以上、真の“偉大な”問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない。(ニーチェ『悦ばしき知識』)

もちろんいまさらニーチェでもあるまい。かつまた例外もあるだろう。とはいえおおむねはいまだーーいや現在ではいっそうーー次ぎの通りではないか。

文学や自然科学の学生にとってお極まりの捌け口、教職、研究、または何かはっきりしない職業などは、また別の性質のものである。これらの学科を選ぶ学生は、まだ子供っぽい世界に別れを告げていない。彼らはむしろ、そこに留まりたいと願っているのだ。教職は、大人になっても学校にいるための唯一の手段ではないか。文学や自然科学の学生は、彼らが集団の要求に対して向ける一種の拒絶によって特徴づけられる。ほとんど修道僧のような素振りで、彼らはしばらくのあいだ、あるいはもっと持続的に、学問という、移り過ぎて行く時からは独立した財産の保存と伝達に没頭するのである。( ……)彼らに向かって、君たちもまた社会に参加しているのだと言ってきかせるくらい偽りなことはない。( ……)彼らの参加とは、結局は、自分が責任を免除されたままで居続けるための特別の在り方の一つに過ぎない。この意味で、教育や研究は、何かの職業のための見習修業と混同されてはならない。隠遁であるか使命であるということは、教育や研究の栄光であり悲惨である。(レヴィ= ストロース『悲しき熱帯』 Ⅰ 川田順造訳 p77-79)

…………

The time is out of joint: O cursed spite,
That ever I was born to set it right,(Hamlet 1.5.189-190)

この世の関節がはずれてしまったのだ。なんの因果か、
それを直す役目を押しつけられるとは!(シェイクスピア 福田恆存訳)
世界はまちがいもなく脱臼してしまっている。暴力的な動きによってのみ、それをふたたびはめ込むことができる。ところが、それに役立つ道具のうちには、ひとつ、小さく、弱くて、軽やかに扱ってやらなきゃならないものがあるはずだ。(ブレヒト『真鍮買い』)

さてここでいささか過激なジジェクの言葉を抜き出しておこう。おそらく玉井サンには思いもよらぬ主張であろう。

私たちがますますもって必要としているのは、私たち自身に対するある種の暴力なの だということです。イデオロギー的で二重に拘束された窮状から脱出するためには、ある種の暴力的爆発が必要でしょう。これは破壊的なことです。たとえそれが身体的な暴力ではないとしても、それは過度の象徴的な暴力であり、私たちはそれを受け入れなければなりません。そしてこのレヴェルにおいて、現存の社会を本当に変えるためには、 このリベラルな寛容という観点からでは達成できないのではないかと思っています。おそらくそれはより強烈な経験として爆発してしまうでしょう。そして私は、これこそ、 つまり真の変革は苦痛に充ちたものなのだという自覚こそ、今日必要とされているのではないかと考えています 。(『ジジェク自身によるジジェク』)
資本主義社会では、主観的暴力((犯罪、テロ、市民による暴動、国家観の紛争、など)以外にも、主観的な暴力の零度である「正常」状態を支える「客観的暴力」(システム的暴力)がある。(……)暴力と闘い、寛容をうながすわれわれの努力自体が、暴力によって支えられている。(ジジェク『暴力』)

…………

学者のおおくは専門家なのでありーーすぐれた学者ならの話だがーー、彼らの専門性に敬意を表するのに吝かではないつもりだ。だが、

プロフェッショナルというのはある職能集団を前提としている以上、共同体的なものたらざるをえない。だから、プロの倫理感というものは相対的だし、共同体的な意志に保護されている。(…)プロフェッショナルは絶対に必要だし、 誰にでもなれるというほど簡単なものでもない。しかし、こうしたプロフェッショナルは、それが有効に機能した場合、共同体を安定させ変容の可能性を抑圧するという限界を持っている。 (蓮實重彦『闘争のエチカ』)

彼らは“Sie wissen das nicht, aber sie tun es” 、「彼らはそれを知らないが、そうする」(マルクス)のである。すなわち共同体の変容の可能性を抑圧するのだ。


2015年7月15日水曜日

子どものころよく座敷の柱におでこをくっつけて泣いた

批評は文学であり、「批評の方法も創作の方法と本質上異なるところはあるまい」と言う。このねたましげな表現にかくれて、小林秀雄は作品に対することをさけ、感動の出会いを演出する。その出会いは、センチメンタルな「言い方」にすぎないし、対象とは何のかかわりもない。(高橋悠治『小林秀雄「モオツァルト」読書ノート』1974年

……だが、多少とも具体 的な夢へと立ち戻りうる者になら、人が「未知」の何かと「偶然」に遭遇したりはしないという点が素直に理解できるだろうし、そればかりか、むしろ「出会 い」を準備しうる環境と徐々に馴れ合い、それを通じて出会うべき対象をかりに無意識であるにせよ引き寄せ始めていない限り、遭遇などありえはしないとさえ 察知しうるはずだ。つまり、小林秀雄は、大学における専攻領域の選択、交遊関係などにおいて、詩人ランボーの書物と「出会い」を演じて決して不思議ではな い環境にあらかじめ住まっていた「制度」的存在なのであり、そのときすでに、ボードレールもパルナシアンの何たるかも知らされてしまっていたのだ。そうで なければ、「メルキュウル版の『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」を「ある本屋の店頭で、偶然見付け」るといったペダンチックなメロドラマは起こったりし まい。いずれにせよ、こちらがそれらしい顔でもしていない限り、「見知らぬ男」が都合よく「僕を叩きのめし」てくれるはずがなく、だからあらゆる「出会 い」は「制度」的に位置づけられ準備され組織された遭遇なのであって、その位置づけられ組織されたさまを隠蔽するために、人は「出会い」を擬似冒険的な色 調に塗りこめ「文学」と「青春」との妥協に役立てずにはいられないのだ。(蓮實重彦「言葉の夢と批評」『表層批評宣言』所収

なにやら言ってくる人がいるが、わたくしは一時期上のふたりの小林秀雄批判にいかれてしまって、どうも昔のことを記すとメロドラマになってしまいそうで、あまり書く気はしないのだがーーつまり少年時代は小林秀雄にいかれており、今も根はそれから逃れている心持は到底ないーー、できるだけ「ペタンチックなメロドラマ」か「センチメンタルな言い方」を避けて書けば、こういうことだ。これでも三分の一ぐらいカットしたが、どうもいまだメロドラマ臭が漂っている気がしてならない。

…………

歌曲が好きなんですね、と人に言われるとそうなのだろうか、と思う。合唱は好むが(学生時代、大学内のではなく外部の合唱団に入っていたくらいだ)、たとえばドイツリート好みと言われると、いやそれほどでも、といいたくなる。何か歌曲が好きだというのは気恥ずかしい心持になってしまうところがある。でも音楽を好むようになったはじまりは歌曲だったのを隠すつもりはない。

母がよく「赤いサラファン」を歌ったので、幼いころロシア民謡のレコードをしばしば聴いた。「赤いサラファン」以外にも「黒い瞳」とか「泉のほとり」、「ヴォルガの舟歌」などをことさら好んだ。その後シューベルトやシューマンの歌曲集を手に入れーー日本人の歌い手の有名な曲ばかり入っているものだーー好みはシューベルト・シューマンに移った。たぶん小学四年生前後のことだ。当時馴染んだ曲がふと流れてくると今でもいたってよわい。開け胡麻!となってその頃の記憶が蘇ってくる。

小学校入学前後、母がいわゆる「神経」を病んで大都市から母方の祖父の家の隣に移り住んだのだが、なにやらと苦しんだ。家から突然いなくなって町をさ迷うなどということもあった。家から百メートルほど先に路面電車がとおった通りがあり、その向う側のうどん屋の前に佇んでいるなどということも何度かあったらしい。大きく切った鰹節でうどんがみえないほどになって出てくるその店の「にかけ」を母は天ぷらうどんなどよりも好んだ。たしかに鰹節のにおいでくらくらするような「にかけ」だった。

子どものころよく座敷の柱におでこをくっつけて泣いた
外出している母がもう帰ってこないのではないかと思って
母はどんなにおそくなっても必ず帰ってき
ぼくはすぐに泣き止んだけれど
そのときの不安はおとなになってからも
からだのどこか奥深いところに残っていてぼくを苦しめた
だがずっとあとになって母が永遠に帰ってこなくなったとき
もう涙は出なかった

(谷川俊太郎「なみだうた」より 『モーツァルトを聴く人』)


後に精神分裂病と診断されていたことを知ったがーー当時のことだ、誤診だったかもしれない、 名古屋市立大学医学部精神科における伝説の「木村教授・中井助教授」黄金時代はまだ始まっていなかったーー、祖父の家の台所の横にあった六畳の部屋で寝ていることが多かった。南向きの部屋だったのに前庭の大きな松が陰気な影を落していつも暗く、母の軀から発しているらしい粘り気のある淀んだ熱のにおいが重苦しかった。台所がざわめき叔父たちが祖母に向かう母を取り押さえようとするなどということもあった。ナイフの刃が煌めいた。だれかが後ろからわたくしの眼を塞いで抱きかかえ遠くに連れて行こうとした。

……だから今でもシューベルトやシューマンを聴くと平静でいられない心持に襲われることがある。不思議にロシア民謡はそうでない。その理由がよくわからない。最近はシューベルトよりもシューマンのほうが痛い。よく聴いたのはシューベルトなのに。





この冒頭のIm wunderschönen Monat Mai 素晴らしく美しい五月にの終り方なんてくらくらするよ、Fischer-Dieskauの名演はあるが、オレには女の声がいいんだな、ときに少女のような声をだすBarbara Bonneyの歌唱もわるくない(彼女はなによりもフォーレがよいが)。

断章は(俳句と同様に)《頓理》である。それは無媒介的な享楽を内含する。言述の幻想、欲望の裂け目である。文としての思考、という形をとって、断章の胚種は、場所を選ばず、あなたの念頭に現れる。それはキャフェでかもしれず、列車の中かもしれず、友だちとしゃべっているときかもしれない(それは、その友だちが話していることがらの側面から突然出現するのだ)。そういうときには、手帳を取り出す。が、その場合書きとめようとしているものは、ある一個の「思考」ではなく、何やら刻印のようなもの、昔だったら一行の「詩句」と呼んだであろうようなものである。 何だって? それでは、いくつもの断章を順に配列するときも、そこには組織化がまったくありえないとでも? いや、そうではない、断章とは、音楽でいう連環形式のような考えかたによるものなのだ(『やさしき歌』、『詩人の恋』)。個々の小品は、それだけで充足したものでありながら、しかも、隣接する小品群を連結するものでしかない。作品はテクストの外にしか成立しない。断章の美学を(ウェーベルン以前に)もっともよく理解し実践した人、それはだぶんシューマンである。彼は断片を「間奏曲」と呼んでいた。彼は自分の作品の中に、間奏曲の数をふやした。彼がつくり出したすべては、けっきょく、《挿入された》ものであった。しかし、何と何の間に挿入されていたと言えばいいのか。頻繁にくりかえされる中断の系列以外の何ものでもないもの、それはいったい何を意味しているのか。 断章にもその理想がある。それは高度の濃縮性だ。ただし、(“マクシム〔箴言、格言〕”の場合のように)思想や、知恵や、真理のではなく、音楽の濃縮性である。すなわち、「展開」に対して、「主調」が、つまり、分節され歌われる何か、一種の語法が、対立していることになるだろう。そこでは《音色》が支配するはずである。ウェーベルンの《小品》群。終止形はない。至上の権威をもって彼は《突然切り上げる》のだ! (ロラン・バルト『彼自身によるバルト』)

シューベルトは短いものであっても、始まりがあって終りがある。だがシューマンはどこか遠くからやってきて宙吊りのまま終わるものがおおい。シューマンの「享楽」、あるいは「痛み」はそこにある。

痛みはつねに内部を語る。しかしながら、あたかも痛みは手の届かないところにあり、感じえないというかのようである。身の回りの動物のように、てなづけて可愛がることができるのは苦しみだけだ。おそらく痛みはただ次のこと、つまり遠くのものがいきなり耐えがたいほど近くにやってくるという以外の何ものでもないだろう。

この遠くのもの、シューマンはそれを「幻影音」と呼んでいた。ちょうど切断された身体の一部がなくなってしまったはずなのに現実の痛みの原因となる場合に「幻影肢」という表現が用いられるのに似ている。もはや存在しないはずのものがもたらす疼痛である。切断された部分は、苦しむ者から離れて遠くには行けないのだ。

音楽はこれと同じだ。内側に無限があり、核の部分に外側がある。(ミシェル・シュネデール『シューマン 黄昏のアリア』)



2015年7月14日火曜日

「意志」というものはない、あるいは遠近法的倒錯(ニーチェ)

私はあのとき「Aを選ばないこともできたはずだ」という信念を抱くからこそ、私はAを自由に選んだと了解しているのです。つまり、自由とは、みずから実現したある過去の意図的行為に対して、「そうしないこともできたはずだ」(他行為可能)という信念とともに生じてくる。(中島義道『後悔と自責の哲学』)

――という文をツイッターで拾ったので、いくらかの備忘メモ。

《「意志の不自由か自由か? 「意志」というものはない。これは「物質」と同じく、悟性が単純化するために構想したものにすぎない。すべての行為は、それが意欲される以前に、可能なものとしてまず機械的に準備されていなければならない。ないしは、「目的」は、たいてい、その遂行の準備がととのえられたときにはじめて思い浮かぶ。》(ニーチェ『権力への意志』)

…………

柄谷)ドゥルーズは超越論的といいますが、これもまさにカント的な用法ですが、これを正確に理解している人はドゥルーズ派みたいな人にはほとんどいない。カントの超越論という観点は、ある意味で無意識論なんです。実際、精神分析は超越論的心理学ですし、ニーチェの系譜学も超越論的です。(……)

ア・プリオリという言葉がありますけど、ア・プリオリというものは、実際には事後的なんです―――無意識がそうであるのと同じように。それがほとんど理解されていない。さっき言った様相のカテゴリーはア・プリオリですが、それはたとえば可能性が先にあってそれが現実化されるというような意味ではまったくない。可能性とは事後的に見いだされるア・プリオリです。最近、可能世界論などといっている連中は、こんな初歩的なこともわかっていない。『批評空間』1996Ⅱー9共同討議「ドゥルーズと哲学」(財津/蓮實/前田/浅田/柄谷行人)
――私は私の行為する時点において、決して自由ではないのである。それどころかたとえ私が自分の現実的存在の全体は、なんらかの外来の原因(神のような) にまったくかかわりがないと思いなしたところで、従ってまた私の原因性の規定根拠はおろか私の全実在の規定根拠すら、私のそとにあるのではないと考えてみ たところで、そのようなことは自然必然性を転じて自由とするわけにはいかないだろう。私はいかなる時点においても、依然として〔自然〕必然性に支配され、 私の自由にならないものによって、行為を規定されているからである。それにまた私は、すでに予定されている〔自然必然的な〕秩序に従って出来事の無限の系列――  すなわち<a parte priori(その前にあるものから)>つぎつぎに連続する系列をひたすら追っていくだけで、私自身が或る時点にみずから出来事を始めるというわけにいか ないのである。要するに一切の出来事のこういう無際限な系列は、自然における不断の連鎖であり、従ってまた私の原因性は決して自由ではないのである。 (カント『実践理性批判』、波多野精一他訳、岩波文庫)

《定理48 精神の中には絶対的な意志、すなわち自由な意思は存しない。むしろ精神はこのことまたはかのことを意志するように原因によって決定され、この原因も同様に他の原因によって決定され、さらにこの後者もまた他のの原因によって決定され、このようにして無限に進む。》(スピノザ『エチカ』)

スピノザは、われわれは情念を意志によって操作できない、だが、その「原因」を知ろうとすることはできるし、少なくともその間は情念からは自由であると考える。

彼は「自由意志」を批判する。しかし、それは、自由や意志を否定することではない。実際は諸原因に規定されているのに”自由”だと思い込んでいる状態に対して、超越論的であろうとする意志(=知性)に、スピノザは自由を見出すのである。(柄谷行人『探求Ⅱ』)
スピノザは、身体からくる受動感情(情念)を”意志”によって克服しようとする姿勢を否定する。感情に対しては、われわれはその原因を知ろうと努めることしかできない。感情にとってかわるのは、意志ではなく、もう一つの感情である。いいかえれば、意志そのものが、われわれが複雑すぎるがゆえにその原因を知らないところの欲望(意識された衝動)にほかならない。くりかえしていうが、スピノザはそのような感情や欲望の不可避性を承認しようとするのであって、それを理性や意志によって克服しようとする態度を否定するのである。

《感情は、それと反対の、しかもその感情よりもっと強力な感情によらなければ抑えることができない》(『エチカ』)。これは、ある意味で、フロイトが宗教についていったことを想起させる。フロイトの考えでは、宗教は集団神経症である。神経症を意志によって克服することはできない。が。彼は、ひとが宗教に入ると、個人的神経症から癒えることを認めている。それは、ある感情(神経症)を除去するには、もっと強力な感情(集団神経症)によらねばならないということである。むろんフロイトは、神経症を集団神経症によって癒すことに反対である。困難であるとしても、個人的・集団神経症に対して立ち向かう方法がひとつある。それはスピノザのいったつぎのことである。

受動の感情は、われわれがその感情についての明瞭・判明な観念を形成すれば、ただちに受動の感情ではなくなる》(『エチカ』)。

つまり、それについて「明瞭・判明な観念」をもつこと以外には、受動性のなかにある状態から出られないと、スピノザはいうのだ。この場合、彼は感情のみについて語っているけれども、「受動性」はすべての「意識」についてあてはまる。真理の意識さえでも表象であり、受動性においてある。真理としてのイデオロギーを越えるのは、いつも別の真理のイデオロギーである。

こ こで、すでに示唆してきたように、いくつかの疑問が生じる。それは先ず、真理の意識そのものを表象とみなす「観念」は、それ自体意識ではないのか、ということだ。これはつぎのようにもいいかえられる。われわれが自然史のなかにあり、受動性=表象のなかにあって、それを超越しうるという考えそのものが表象に すぎないとするならば、そのようにいうこと自体は超越なのではないか、と。あるいは、個としての主体を受動的な表象とみなすとき、なおそれをそのようにみ なす主体があるのではないか、と。(柄谷行人『探求Ⅱ』)

だがスピノザのいう受動の感情とは、究極的にはなんだろう。

ーーー汝の生み出した行為の内なる死の欲動を、決してしらばくれることなしに汝自身のものと認めよ。

権力への意志が原始的な欲動=情動(Affekte)形式であり、その他の欲動(Affekte)は単にその発現形態であること、――(……)「権力への意志」は、一種の意志であろうか、それとも「意志」という概念と同一なものであろうか?――私の命題はこうである。これまでの心理学の意志は、是認しがたい普遍化であるということ。こうした意志はまったく存在しないこと。(ニーチェ遺稿 1888年春)
最も純粋な超自我の審級……不可解な審級、それがわれわれを操り、自己破壊の渦巻く奈落へと導く。

超自我の機能は、まさにわれわれ人間存在を構成する恐怖の動因、人間存在の非人間的な核を途方に暮れさせることにある。この次元とは、ドイツの観念論者が否定性と呼んだものであり、そしてまたフロイトが死の欲動と呼んだものである。現実界のトラウマ的な固い核、――そこから昇華がわれわれを保護してくれるーーその核であるどころか、超自我そのものが現実界を仕切っている仮面なのである。(ZIZEK"LESS THAN NOTHING"私訳)


…………

……いまや、自然が自分のためにいかなる目的もたてず、またすべての目的因が人間の想像物にすぎないことを示すために、われわれは多くのことを論ずる必要はない。(……)だが、私はさらにこの目的に関する説が自然についての考えをまったく逆転させてしまうことをつけ加えておきたい。なぜならこの目的論は、実は原因であるものを結果と見なし、反対に〈結果であるものを原因〉と見なすからである。(スピノザ『エチカ』第一部付録)

この「原因であるものを結果と見なし、反対に〈結果であるものを原因〉と見なす」態度を「遠近法的倒錯」と呼ぶ。この倒錯をわれわれはほとんどつねにやってしまっている、たとえスピノザやカントの言葉を頭で「理解」していようと、いつのまにか「遠近法的倒錯」に囚われている。

カントがいう「批判」は、ふつうにわれわれがいう批判とはちがっている。つまり、ある立場に立って他人を批判することではない。それは、われわれが自明であると思っていることを、そういう認識を可能にしている前提そのものにさかのぼって吟味することである。「批判」の特徴は、それが自分自身の関係するということにある。それは、自らをメタ(超越的)レベルにおくのではない。逆に、それは、いかなる積極的な立場をも、それが二律背反に陥ることを示すことによって斥ける、つまり、「批判」は超越論的なのである。

しかし、カントの「批判」を、べつに「批判哲学」のように限定して考える必要はない。たとえば、今日デリダやド・マンのいうディコンストラクションは、「批判」以外の何であろうか。それは、一義的な意味(真理)を、決定不能性(二律背反)に追いこむことによって無効化するものだし、批判(解体)ではなく、「批判」(脱構築)なのである。「超越論的」という言葉も同様である。それをとくにフッサールのいう意味に限定する必要はない。

したがって、私は、超越論的ということを、自己意識の構造や自我の統一などといった問題に限定しないで、われわれが経験的に自明且つ自然であると思っていることをカッコにいれ、そのような思いこみを可能にしている諸条件を吟味(批判)することだという意味で考える。

すると、これは狭義の認識論に領域にとどまりえないことがわかる。たとえば、近代の思考が、デカルト的な二元論の機制の下にあると言うことは、それ自体超越論的なのだ。なぜなら、それは、われわれにとって自明且つ自然にみえていることがらをカッコにいれ、それをそのように受けとめさせている認識論的枠組そのものを吟味するということだからである。

しかし、これはいわゆる歴史的に考えるということと似て非なるものだ。ふつうの歴史的思考は、現代の認識論的枠組で過去を構成し解釈することでしかないからである。ニーチェがこのような「歴史主義」を攻撃する一方で、「歴史的に考える」ことを説いたことは矛盾しない。後者は、前者を超越論的に考察することにほかならない。

混乱を避けるために、後者を「系譜学的」と呼ぶことにしよう。系譜学的であることは、結果であるものを原因とみなす「認識の遠近法的倒錯」をえぐり出すことである。ニーチェがいう「歴史性」は、歴史的に規定されているということではなくて、この遠近法的な倒錯性ということなのだ。

けれども、こういう考え方はニーチェに固有のものではない。たとえば、マルクスもいっている。

《歴史とは、個々の世代の連続的交代にほかならない。それらのどの世代も、それ以前の全世代が贈った諸材料、諸資本、生産諸力を利用する。したがって各世代は、一面ではまったく変化した状況で、継承した活動を続行するのであり、他面ではまったく変化した活動によって、これまでのふるい状況の姿を変更するのである。ところが、思弁的にゆがめられたかたちでこれがとらえられると、後代の歴史が、前代の歴史の目的にされてしまう。たとえば、アメリカの発見の根底には、フランス革命の勃発を助けるという目的があったというように。こうなると、歴史は、自分だけの特殊な目的をかかえており(《自己意識》、《批評》、《唯一者》などといった)、《他の諸登場人物にならぶ登場人物》の一人となるのであるが、しかし、前代の歴史の《使命》、《目的》、《萌芽》、《理念》といった言葉でしめされているものは、実際は、後代の歴史からの抽象物、前代の歴史が後代におよぼす能動的な影響の抽象物にすぎない。》(マルクス『ドイツ・イデオロギー』)

つまり、マルクスはすでに系譜学的なのである。歴史が倒錯的に構成されていること、発生論的記述が「自然成長的」な生成を結果から逆投射的に構成したにすぎないことを指摘する、そのときにのみ、彼は「歴史性」を見出すのである。それは一切の目的論に対する「批判」である。それは、俗にマルクス主義といわれる目的論的な歴史観とは正反対なのであるから、そんなものを批判したところで、マルクスをこえたことにはならない。

そもそも、このような系譜学はこえること(超越的)ではなく、超越論的なのである。たとえば、マルクスやニーチェが何といおうと、ひとは(彼ら自身も)“目的論的”に生きている。それを否定することはできない。だが、それをカッコにいれることはできる。たとえば、日常的にもの(客観)が私(主観)の前にあるという考え方を否定するならば、ひとはまず生きていけない。その自明性をとりあえず還元(カッコ入れ)しようとするのが超越論的ということであって、本当にその通りに生きてしまえば、分裂病者になるだろう。(柄谷行人『探求Ⅱ』p187-189)