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2016年10月7日金曜日

愛を語るときに生まれる「演出」

人間は、自身で経験した事件についてさえ、数日後には噂話に影響された話し方しかしないものだ。 (小林秀雄「ペスト」『作家の顔』所収)

…………

僕が、はじめてランボオに出くわしたのは、廿三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いていた、と書いてもよい。向うからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである。僕には、何の準備もなかった。ある本屋の店頭で、偶然見付けたメルキュウル版の『地獄の季節』の見すぼらしい豆本に、どんなに烈しい爆薬が仕掛けられていたか、僕は夢にも考えてはいなかった。しかも、この爆弾の発火装置は、僕の覚束ない語学の力なぞ殆ど問題でないくらい敏感に出来ていた。豆本は見事に炸裂し、僕は、数年の間、ランボオという事件の渦中にあった。それは確かに事件であった様に思われる。文学とは他人にとって何んであれ、少なくとも、自分にとっては、或る思想、或る観念、いや一つの言葉さえ現実の事件である、と、はじめて教えてくれたのは、ランボオだった様にも思われる。(小林秀雄「ランボオ Ⅲ」『作家の顔』所収)

蓮實重彦は、この小林秀雄のランボー小論に「嘘」が混じっていると指摘しているのは比較的よく知られているだろう(高橋悠治による小林秀雄のモーツァルトにおけるメロドラマの指摘と同様に。--《小林秀雄は作品に対することをさけ、感動の出会いを演出する。その出会いは、センチメンタルな「言い方」にすぎないし、対象とは何のかかわりもない》)。

……高橋(英夫)氏が引用するのは、いうまでもなく、「僕が、はじめてランボオに、出くはしたのは、廿三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いてい た、と書いてもよい。向こうからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである」で始まる一節である。だがそれにしても、これが「一種の狂暴 な〈出会い〉として一挙に起こったのだ」という点に注意すべきだとする高橋氏が、すかさず「精神が精神に触れ合う危機」を語り始めるとき、ここで小林氏が 嘘をついているという事実になぜ気づこうとしないのだろう。というより、小林氏は嘘をつくべく強いられているのだ。「神田をぶらぶら歩いていた、と“書い てもよい”」の、動詞「書く」がフランス語の譲歩による語調緩和の「条件法」に置かれている点を見逃してはなるまい。それに続く瞬間的な衝撃性の比喩とし ての「見知らぬ男」の殴打、「偶然見付けたメルキュウル版」に「仕掛けられてて」いた「爆薬」、「敏感」な「発光装置」、「炸裂」などの比喩は、事件としてあったはずのランボー体験を青春の邂逅の光景としてしか語りえない「貧しさ」に苛立っていた言葉が、「書いてもよい」を恰好な口実として一挙に溢れだして小林氏を裏切り、ほとんど無償に近い修辞学と戯れさせてしまったが結果なのであり、問題の一節にあって「条件法」的語調緩和の余韻をわずかにまぬがれている文章は、最後に記される「僕は、数年の間、ランボオといふ事件の渦中にあった」という一行のみである。つまり、真の小林的ランボー体験は、その装われ た性急さにもかかわらず、徐々に、ゆっくりと引き伸ばされ、時間をかけて進行した事件だったのである。わざわざ「『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」とことわっている小林氏は、書物の言葉をかいくぐって一挙に「精神が精神に触れ合う危機」などを演じてしまうほどに、「精神」を信用してはおらぬ、それとも高橋英夫は、小林氏が言葉にもまして「精神」を尊重していたとする確かな証拠でも握っているのであろうか。(……)

……だが、多少とも具体 的な夢へと立ち戻りうる者になら、人が「未知」の何かと「偶然」に遭遇したりはしないという点が素直に理解できるだろうし、そればかりか、むしろ「出会い」を準備しうる環境と徐々に馴れ合い、それを通じて出会うべき対象をかりに無意識であるにせよ引き寄せ始めていない限り、遭遇などありえはしないとさえ 察知しうるはずだ。つまり、小林秀雄は、大学における専攻領域の選択、交遊関係などにおいて、詩人ランボーの書物と「出会い」を演じて決して不思議ではな い環境にあらかじめ住まっていた「制度」的存在なのであり、そのときすでに、ボードレールもパルナシアンの何たるかも知らされてしまっていたのだ。そうで なければ、「メルキュウル版の『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」を「ある本屋の店頭で、偶然見付け」るといったペダンチックなメロドラマは起こったりし まい。いずれにせよ、こちらがそれらしい顔でもしていない限り、「見知らぬ男」が都合よく「僕を叩きのめし」てくれるはずがなく、だからあらゆる「出会 い」は「制度」的に位置づけられ準備され組織された遭遇なのであって、その位置づけられ組織されたさまを隠蔽するために、人は「出会い」を擬似冒険的な色 調に塗りこめ「文学」と「青春」との妥協に役立てずにはいられないのだ。(蓮實重彦「言葉の夢と批評」『表層批評宣言』所収)

こういった「メロドラマ」とは、蓮實重彦が制度(あるいは物語)という言葉で批判しつづけてきた言説のあり方である。

制度とは、語りつつある自分を確認する擬似主体にまやかしの主体の座を提供し、その同じ身振りによってそれと悟られぬままに客体化してしまう説話論的な装置にほかならない。それは、存在はしないが機能する装置なのである。(蓮實重彦『物語批判序説』)
「制度」…。本当はそんな身振りを演ずべき必然性などどこにも見当たらないのに、誰もがついついそんな身振りを演じてしまうことで支えられたかりそめの葛藤劇。それは、かりそめとはいえ、かりそめであるが故に可能な執拗性を帯びている。「制度」が恐ろしいのは、そのかりそめの執拗性という奴が唯一の基盤であるからだ。(蓮實重彦『表層批評宣言』)

なかんずく、人は愛を語ろうとすると、こういった現象に陥りがちだろう。もっと一般的に、 《主体の最も深刻な疎外は、主体が我々に彼自身について話し始めたときに、起こる》(ラカン、E.281)、あるいは《人はつねに愛するものについて語りそこなう》(ロラン・バルト)と言ってもよい。

ところで蓮實重彦は、2003年の国際シンポジウムで、ロラン・バルトへの愛を口頭で(仏語によって)語っている(後に、自ら日本語訳して「文學界」(2006、01)に発表された)。

それはとても「美しい」文であり、とくにその冒頭箇所はーー下記に引用するがーーロラン・バルトファンのわたくしにとって鍾愛してやまないものである。

とはいえそこには、《二五年の余も、バルトを論じることなくすごしていた》とある。ロラン・バルトが《パリ街頭での自動車事故で呆気なく他界》したのは、1980年である。1980年以降、25年のあいだバルトを論じることなくすごしていた、と言っていることになるのだが、1985年に出版された『物語批判序説』の結論部分にはプルーストをめぐる叙述のあとに「Ⅲ ロラン・バルト あるいは受難と快楽』という章があり、247頁から306頁までがそれに当たる(初出は1984年の『海』)。

ーーというわけで、やはり蓮實重彦もロラン・バルトへの愛を「美しく」語ったとき、なんらかの「演出」をしている、あるいは物語の制度に囚われてしまっていると言ってよいだろう。

長いこと、バルトについて語ることを自粛していた。パリ街頭での自動車事故で呆気なく他界してから、その名前を主語とする文章をあえて書くまいとしてきたのである。いきなり視界にうがたれた不在を前にしての当惑というより、彼自身の死をその言葉にふさわしい領域への越境として羨むかのような文書を綴ったのが一九八〇年のことだから、もう二五年の余も、バルトを論じることなくすごしていたことになる。とはいえ、その抑制はあくまで書くことの水準にとどまり、バルトを読むことの意欲が衰えたことなどあろうはずもない。

二〇歳ほどの年齢差にもかかわらず彼との同時代を生きえたわたくしにとって、ロラン・バルトは語の最良の意味における「批評家=エッセイスト」と呼ぶべき存在にほかならない。彼は、「現在」というとりとめのない瞬間に、そのつどほんの思いつきといった身軽さで、しかも、これしかないという鮮やかな身振りで触れてみせる希有の才能に恵まれていた。そのとき、言葉とともにあろうとする彼の身振りのえもいわれぬものやわからさを、その場で気持ちよく「消費」していればよかった。彼のテクストは、大量消費社会が奇蹟のようにもたらす贅沢きわまりない「消費」の対象だったとさえいえる。その言葉を心地よく「消費」しようとする姿勢を、彼自身なら「くつろぎ」《 aise》という言葉で肯定してくれることだろう。

さいわいなことに、この「批評家=エッセイスト」は、あくまで「消費」されることをこばむ「芸術家」などではついぞなかった。読まれることの「現在」と「永遠」との修正しがたいひずみにどこまでも無頓着な「理論家」でもなかった。バルトは、あくまで「現在」に生きるジャーナリスティックな「批評家=エッセイスト」だったのであり、それは、プロに徹した純粋なアマチュアともいうべきすぐれて矛盾した存在だったといってよい。その姿勢は、コレージュ・ド・フランスの教授として「文学記号論」を講じ始めてからも変わることがない。実際、「形容詞は一つの商品である」といった言葉で「中性」的なものを位置づけようとするそのディスクールは、講壇批評の厳密さとはおよそ異なる自在さにおさまっていた。

そうしたバルトのテクストが、死のもたらすだろう「永遠」の時間と触れあうための配慮をあれこれ身にまとっていたとはとても思えない。「永遠」という概念ほど、この「批評家=エッセイスト」にふさわしからぬものも想像しがたいからだ。つかの間の移ろいやすさと真摯に触れあうこと。それが、プロに徹したアマチュアとしてのバルトの決定的な「美しさ」だったはずである。新しい「芸術家」も新しい「理論家」も存在しがたい二〇世紀後半におけるバルトの貴重さは、そこにあったとさえいえる。その死を願ってもない好機ととらえたかのように、さまざまな地域のーーとりわけ合衆国のーー大学がやってのけるバルトの学術的な「カノン」化には、ただただ呆気にとられたというのが正直なところだ。「永遠」の時間とは容易に折り合いをつけがたい彼にふさわしい「くつろぎ」の維持に、人々は率先して目をつむっているかにみえたからだ。

死後出版というかたちで流通しはじめたバルトの「新刊」のいくつかには、何よりもまず、その場で「消費」されることへの心遣いが影をひそめており、そのほとんどを読んでも心が揺れなかった。何にもまして、そこに「くつろぎ」にふさわしい配慮を見いだしえなかったからだ。『全集』にいたっては、心もとない撒布状態を生きることで初めて意味を持つそのテクストに惹かれていたわたくしに、「可哀想なバルト ……」とつぶやかせるのがせいぜいだった。「伝記」と呼ばれるものを目にしても、読む意識をバルトのテクストへと向わせる刺激が徹頭徹尾欠けていることに、うんざりするほかはなかった。コレージュ・ド・フランスの「講義録」の新たな刊行に対しては、いまなお態度を決めかねている。『全集』も「伝記」も「講義録」も、書物としては、バルトのおぼつかない「現在」におよそふさわしからぬもので、それと向かい合うには、バルトが嫌った「厚顔無恥」《 arrogance》に陥るほかはないという危惧の念を捨てきれぬからである。この四文字の漢語を「はしたなさ」という和語に置き換えた方がよかろうとは思うが、いずれにせよ、そうしたことが、わたくしに、四半世紀にもおよぶ短くはない沈黙を選ばせたのかもしれない。「はしたなさ」ばかりが跳梁跋扈する世紀末から二一世紀にかけての「文学理論」や「批評」がもたらす苛立ちも、沈黙を破らせることにはならなかった。

いま、その無言状態からふとぬけだそうとすることに、深い理由があるわけではない。あたりにはりつめていた禁止の力学が、ようやくときほぐれ始めたというのでもない。バルトをめぐってたち騒ぐあたりの饒舌を、雄弁な沈黙によっておきかえようと思いいたったのでもない。そもそも、雑駁きわまりない呼び方で「現代思想」 ――または、店晒しにされた「厚顔無恥」 ――などと分類されたりもするフランスの他の作家たちにくらべてみれば、バルトに対して、人は、あまりにも少なく饒舌だったというべきだろう。

何かを書くというあてもないままの無言状態の中で、わたくしは、好みのテクストにひたすら読み耽っていた。それは、『ミシュレ』であり、『ラシーヌ論』であり、『サド、フーリエ、ロヨラ』であり、『テクストの快楽』であり、『彼自身によるロラン・バルト』であり、『明るい部屋』でもあったりしたのだが、それらを、ちょうどプルーストを読むバルト自身のように、これという確かな方法もなく、一冊のモノグラフィーにも仕立てあがるというひそかな野心もいだかぬまま、読了するという「はしたなさ」をもおのれに禁じつつ、もっぱら贅沢な暇つぶしとして「消費」していただけなのである。暇つぶしとして「消費」しえないことがその価値を高める書物など、現在の地球に、また歴史的にいっても、ごくまれにしか存在しない。

バルトにとってのプルーストが「永遠」の作家ではなく、とだえることのない永続的な「消費」の対象だったように、わたくしにとってのバルトもまた、とだえることのない永続的な「消費」の対象だった。ごく個人的なものにとどまるその「消費」は、あるとき、間違っても刊行されるあてのない不在の書物の構想へとゆきつく。「消費」する者として気ままに思い描いていたわたくしなりのコンテクストにしたがって、この「批評家=エッセイスト」の声のいくつかをよみがえらせてみたいというとりとめもない思いへと誘われたのである。それは、『彼自身によるロラン・バルト』を自在に「リメイク」するという映画のようなフィクションとして、漠たる輪郭におさまることになる。バルトの「全体像」には背を向け、ある任意の一点でバルトを横切るとき、そこにはバルトが書いたわけではないが、バルトの「くつろいだ」声が低く聞きとれるかに錯覚されるフィクションとしての「リメイク」が切りとられるはずだ。

ここに読まれようとしているのは、その「リメイク」の書かれるあてのないシナリオのほんの一部 ――どこかに隠匿されているかもしれない全体の一部ではなく、一部としてしかありえないーーにすぎず、生前のバルトが、ことあるごとに「中性」的な領域に描きだしていた「病気」、「失敗」、「倦怠」という三つの光景をとりあえずの舞台装置として語られることになるだろう。その「シナリオ」は「批評」として読まれることがあってはならず、アマチュアの言葉としてもっぱら「消費」されることのみを願っている。(蓮實重彦「バルトとフィクション 『彼自身によるロラン・バルト』を《リメイク》する試み」)


2016年10月6日木曜日

偶然/遇発性(Chance/Contingency)

写真は絶対的な「個」であり、反響しない、ばかのような、この上もなく「偶発的なもの」であり、「あるがままのもの」である(ある特定の「写真」であって、「写真」一般ではない)。要するにそれは、「偶然 Tuché」の、「機会」の、「遭遇」の、「現実界」の、あくことを知らぬ表現である。.(ロラン・バルト『明るい部屋』花輪光訳)

elle(la Photographie) est le Particulier absolu, la Contingence souveraine, mate et comme bête, le Tel (telle photo, et non la Photo), bref, la Tuché, l'Occasion, la Rencontre, le Réel, dans son expression infatigable.

ロラン・バルトの『明るい部屋』は、「遇発性」論でもある。

いま敢えて、Chance/contingency の対比でしばしば語られ、後者は偶有性や偶発性やらの訳語とされることの多い Contingence(偶発的なもの)を「発性」としてみたが、そうしたのは、ラカン=アリストテレスの Tuché テュケー概念に依拠している(Tuché はセミネール11の邦訳では「僥倖」と訳されているようだが、人は「倖」の字にいささか異和があるはずで、とすれば僥発性としてもよい)。

そもそもロラン・バルトの上の文の la Tuché の箇所は、英訳では、‟What Lacan calls the Tuché”となっている(それを蛇足とするか’親切とするかは読む人によるだろう)。

『明るい部屋』が「遇発的なもの」論であることは、この書の核心概念のひとつ、プンクトゥムが示しているようにわたくしには思える。

ストゥディウム(studium)、――、この語は、少なくともただちに≪勉学≫を意味するものではなく、あるものに心を傾けること、ある人に対する好み、ある種の一般的な思い入れを意味する。その思い入れには確かに熱意がこもっているが、しかし特別な激しさがあるわけではない。(……)
プンクトゥム(punctum)、――、ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。(……)プンクトゥムとは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことであり――しかもまた骰子の一振り coup de dés のことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然 hasard なのである。(『明るい部屋』)

qui vient déranger le studium, je l'appellerai donc punctum; car punctum, c'est aussi : piqûre, petit trou, petite tache, petite coupure — et aussi coup de dés. Le punctum d'une photo, c'est ce hasard qui, en elle, me point (mais aussi me meurtrit, me poigne).

 わたくしはまずここから「至高の遇発的なもの la Contingence souveraine」、つまり《「偶然 la Tuché」の、「機会 l'Occasion」の、「遭遇 la Rencontre」の、「現実界 le Réel」の、あくことを知らぬ表現》である遇発性を、プンクトゥムと相同的なものと読む(この考え方に依拠する別の『明るい部屋』におけるパラグラフは、末尾近くに掲げた)。

ここでバルトの別の書『テキストの快楽』から引用してみよう。

快楽のテクスト。それは、満足させ、充実させ、快感を与えるもの。文化から生れ、それと縁を切らず、読書という快適な実践に結びついているもの。

悦楽のテクスト。それは、忘我の状態に至らしめるもの、落胆させるもの(恐らく、退屈になるまでに)、読者の、歴史的、文化的、心理的土台、読者の趣味、価値、追憶の擬着を揺るがすもの、読者と言語活動を危機に陥れるもの。(ロラン・バルト『テクストの快楽』ーー揺らめかすvaciller というロラン・バルトの鍵言葉

この悦楽(享楽 jouissance)が、プンクトゥムにかかわるものだろう。そして、テュケー Tuché とは、ロラン・バルトが冒頭の文で示しているように現実界である。

かつまた、《現実 réalité とは現実界 réel の顰め面である》(ラカン、テレヴィジョンーーにたにた笑い grin としかめっ面 grimace)。

現実 réalité は象徴界によって多かれ少なかれ不器用に飼い馴らされた現実界 Réel である。そして現実界は、この象徴的空間に、傷、裂け目、不可能性の接点として回帰する。(François Balmès, Ce que Lacan dit de l'être,1999)
享楽の現実界とは、言語の外部に単純にあるものどころか(現実界は、むしろ言語に関して「外密 extimité」である)、言語のなかで象徴化に抵抗する何かであり、言語のなかに異物の核として居残ったものである。現実界は、裂け目、切れ目、隙間、非一貫性、不可能性として現れる。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012,私訳ーー基本版:現実界と享楽の定義

ーーとすれば偶然とは遇発性の顰め面にすぎないのではなかろうか。

…………

ところで偶然と遇発的なものの相違は、より具体的にいえば、なんなのだろうか。それはおそらく「欠如」と「穴」の相違にかかわる。

欠如とは空間的で、空間内部の空虚voidを示す。他方、穴はもっと根源的で、空間の秩序自体が崩壊する点(物理学の「ブラックホール」のように)を示す。(ミレール、2006,Jacques‐Alain Miller, “Le nom‐du‐père, s'en passer, s'en servir,”)

ラカンはセミネール11で、アリストテレス用語の、automaton (αủτoματov) versus tuchè (τuχη) を取り上げている。

テュケーの機能、出会いとしての現実界の機能ということであるが、それは、出会いとは言っても、出会い損なうかもしれない出会いのことであり、本質的には、「出会い損ね」としての「現前」« présence » comme « rencontre manquée » [ in abstentia ]である。このような出会いが、精神分析の歴史の中に最初に現われたとき、それは、トラウマという形で出現してきた。そんな形で出てきたこと自体、われわれの注意を引くのに十分であろう。(ラカン、セミネールⅪ、邦訳よりだが一部変更)

オートマンのほうは、システム内部での自働性である。ラカンが《無意識は言語のように構造化されている》としたときの無意識は、オートマンとしての無意識(力動的無意識)であり、それとは別の無意識(システム無意識)がある(参照)。

現実界は《快原理の障害物である l'obstacle au principe du plaisir》(Lacan,S.11)。オートマンと象徴界によるシステム的決定因の彼方には、テュケー・遇然的要素としての欲動の現実界が待っている。

ラカンによれば、この遇発性はすべて欲動にかかわる。彼は、フロイトに従って、欲動に随伴する部分対象と共に欲動における部分的側面を強調する。フロイトによれば、対象 Objekt は欲動の最も重要でない部分である(欲動 Trieb の源泉 Quelle、衝迫 Drang、目標 Ziel という他の部分に比べて)。

部分対象が重要性に劣ることについて、ラカンは次のように説明している。どの対象も決定的に喪われた原初の対象a (l'objet perdu (a))の場に現れる。《この喪われた対象は、実際には、シンプルに空洞・空虚の現前であり、フロイト曰く、どんな対象によっても占められうる Cet objet qui n'est en fait que la présence d'un creux, d'un vide… occupable, nous dit FREUD, par n'importe quel objet》(S.11)。(ヴェルハーゲ、2001、 Beyond Gender. From Subject to Drive.

《フロイトの反復の議論の混乱はフロイトが二種類の反復を混同している事実による。一方は、シニフィアンの反復、“自動装置automaton”、――それは実は強迫なのであり…トラウマのリアルに対処するための反復努力である。他方で、リアルそのものの反復がある。それはシニフィアンの鎖が限界に達したとき現われる(テュケー tuchè)。》(同、ヴェルハーゲ)

より一般的なオートマンとテュケーの注釈としては、次のロレンツォ・キエーザのものがもっとも分かりやすい。

ラカンは、よく知られたセミネール11 の講義にて、偶然(経験上の偶発性)と絶対的遇発性とのあいだの区別をしている。…アリストテレスの『自然学』第4、5章から引用して、彼は二種類の偶然性、 automaton と tyche があると主張している。

オートマンはシニフィアンの論理(象徴界)に属し、この水準では、恣意性は究極的に常に見かけにすぎない。というのは共時的構造が、通時性のなかに「選択的効果 effets préférentiels」を促し、定まったカードで主体を戯れさせるだけだから。

テュケーは現実界に結びつけられる。よりよく言えば、象徴構造への現実界の侵入にかかわる。それは純粋で無条件的(絶対的)である。

しかしながら、科学とは異なり精神分析は、言語は非全体 pas-toutであり全体化されえないと仮定する。したがって、シニフィアンのネットワーク内部での蓋然的偶然としてのオートマンは、テュケーによって可能・支えられていると同時に、テュケーによって土台を崩される。すなわち、物質的原因として理解されなければならない構造の穴の絶対的遇発性によって。 (ロレンツォ・キエーザ、 2010, Chiesa, L., ‘Hyperstructuralism's Necessity of Contingency',PDF)

上の文の最後にある「物質的原因」の「物質」とは何だろうか。ここでは言語ではなくララング lalangueにかかわるとのみ言っておこう。それをめぐっては、ラカン派の説明ではなく、中井久夫の説明がひときわ優れている(参照:中井久夫とラカン)。


…………


メイヤスーの偶有性をめぐる思考も、基本的にはこれらにかかわるのだろう(もっともわたくしはメイヤスーを読んでいない)。

アレンカ・ジュパンチッチ、2014によれば、次の通り。

メイヤスーは、ポパーの「反証可能性」の批判で始まる『有限性の後で』のある章で、正しく指摘している、科学は偶然 chance を基礎にして機能しており、偶発性 contingency を基礎にしていないことを。(……)

(しかしながら)メイヤスーの観点…すべては偶然的だ、この偶然性の必然性以外は。このように彼は主張することにより、メイヤスーは事実上、不在の原因 absent cause を絶対化してしまっている。(……)

我々は、メイヤスーに不在の〈原因〉absent Cause を絶対化しないですますことができない無神論的構造を見る。…「無神論者の神」のような何か、つまり「神がいないことを保証する神」を。(ジュパンチッチ、2014,Realism in Psychoanalysis Alenka Zupancic、PDF)

すなわち、メイヤスーは例外の論理①から免れておらず、それに反してラカンは非全体の論理②であるというジュパンチッチの見解である。

①全ては偶発的である。この偶発性の必然性以外は(例外の論理)
②必然性は、非一貫的である。(非全体 pas-tout の論理)

ほかにも例えば、エイドリアン・ジョンストン Adrian Johnston によるメイヤスーの Chance/Contingency の区別についての批判がある(ジュパンチッチの批判と類似したものに見えるが、全く同じ形の批判なのかは、これだけでは不明)。

he disputes Meillassoux’s use of the chance/contingency distinction. Chance refers to the calculation of probabilities relative to a One-All set of possibilities, and thus for instance the chance a flipped coin will show up heads approaches 50% as the number of throws approaches infinity, the infinite One-All set of throws. Contingency, on the other hand, is what one has when one adopts Cantor’s “unbounded infinite of multiplicities-without-limits”, for then one undoes the very One-All totality “upon which the probabilistic aleatory reasoning of chance allegedly depends, namely, the presumed existence of a totality of possible outcomes.” (Adrian Johnston,2013)

…………

さてここで、ロラン・バルトの『明るい部屋』から、わたくしには核心的な箇所と思われるいくつかを抜き出しておく。

「写真」は、もしこう言ってよければ(これは言葉の矛盾であるが)、本質的に、偶発的なもの contingence、個別的なもの singularité、冒険 aventure(=不意にやって来るもの)にすぎないという、どうしようもない気持があった。私にとって写真は、つねに、どこまでも、《任意のある何ものか quelque chose quelconque》という性質をおびていた。p.32
一般的な観念(虚構)に関しては無力だが、しかし「写真」の力は、人間精神が現実性 réalité を保証するために考案しうるあらゆる手段を凌駕している--しかし他方、「写真」が保証する現実性 réalité はつねに偶発的なもの contingence にすぎない(《そのとおりのものであって、それ以上ではない ainsi, sans plus 》)。pp.106-107
ある種の写真に私がいだく愛着について(本書の冒頭で、すでにずっと前に)自問したときから、私は文化的な関心の場(ストゥディウム le studium)と、ときおりその場を横切り traverser ce champ やって来るあの思いがけない縞模様 zébrure とを、区別することができると考え、この後者をプンクトゥム le punctum と呼んできた。さて、いまや私は、《細部》とはまた別のプンクトゥム(別の《傷痕 stigmate》)が存在することを知った。もはや形式ではなく、強度 intensité という範疇に属するこの新しいプンクトゥムとは、「時間 le Temps」である。「写真」のノエマ(《それは = かつて = あった ça—a-été》)の悲痛な強調であり、その純粋な表象 représentation pure である。p.118

たとえば、《その場を横切り traverser ce champ 》とある。これは現実(快原理という文化的な場)の横断とすることができる。

「幻想の横断 traversée du fantasme」とは現実の外部に出ることを意味するのではない。そうではなく現実の非一貫的な非全体 pas-tout を受け入れつつ現実を「揺らめかすこと vacillating」を意味する。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012)

幻想とは、象徴化に抵抗する現実界へ意味を与えようとする試みである。また、ラカン派的観点からは、現実とは幻想によって構造化されている。

ここでシェイクスピアの文句さえ、ラカン的な幻想の光の下で読むことができる、と言っておこう。

この世界はすべてこれひとつの舞台、人間は男女を問わず すべてこれ役者にすぎぬ(All the world's a stage, And all the men and women merely players.)。(シェイクスピア『お気に召すまま』)

これらが、上にも掲げた「現実は現実界の顰め面」の意味である。もう少し長く引用しよう。

人間はひとつの構造、つまり言語の構造、-構造とは言語を意味するのですが-この構造が身体を分断することによって思考するのです。(……)

魂にかんして、思考は不調和です。ギリシャ語のヌース神話であって、この迎合は世界、魂が責任を持っている世界(環境世界[Umwelt])に適ったものなのでしょうが、じつは、この世界は思考を支える幻想 fantasmeでしかありません。それもひとつの現実 réalitéには違いないかもしれませんが、現実界の顰め面 grimace du réel として理解されるべき現実 réalité です。(ラカン『テレヴィジョン』)

ほかにもこの現実=幻想を、「見せかけ semblant」の世界とも言う。そしてこの見せかけの世界に裂け目としてリアルが現れる。それを「穴を開ける」、「揺らめかす」などと言ったりする。

・現実界は見せかけのなかに穴を開けるものである。ce qui est réel c'est ce qui fait trou dans ce semblant.(ラカン、S.18)

・ラカンは、人間の現実を「見せかけの世界 le monde du semblant」と考えた。(ヴェルハーゲ、2001)

・無意識は常に、主体の裂け目のなかに揺らめくものとして顕れる。l'inconscient se manifeste toujours comme ce qui vacille dans une coupure du sujet,ラカン、S.11)

・精神分析とは、見せかけ semblant を揺らめかすことである、機知が見せかけを揺らめかすように。[la psychanalyse fai les semblants , le Witz fait vaciller les semblants]》(ジャック=アラン・ミレール,1996

もうひとつ、バルトの文に出現した「純粋な表象 représentation pure」について触れよう。これはラカンの概念「純粋シニフィアン signifiant pur」とともに読むことができる。

我々は強調しなければならない、ラカンがいかに無意識を理解したかを。彼は二つの用語を使っている。記号 symbole 、意味作用の原因としてのシニフィアン、そして、文字 lettre 、純シニフィアン signifiant pur としてのシニフィアンの二種類である。(ロレンツォ・キエーザ、 Lorenzo Chiesa、Subjectivity and Otherness、2007ーー純シニフィアンの物質性

ーーここでのロレンツォによる区分、「記号 symbole 、意味作用の原因としてのシニフィアン」/「文字 lettre 、純シニフィアン signifiant pur 」とは、明らかに偶然/遇発性、欠如/穴にかかわる。そして後者は言語の物質性としてのシニフィアンである。

私の言語理論に関して皆さんが私に同意していただける最低線、それは、ーーもし皆さんが興味を示されるならですがーー、私の言語理論が唯物論的であるということです。

シニフィアンとは、言語においておのれを超越する物質です。(ラカン『哲学科の学生への返答』1966)

Le minimum que vous puissiez m'accorder concernant ma théorie du langage, c'est, si cela vous intéresse, qu'elle est matérialiste.

Le signifiant, c'est la matière qui se transcende en langage. (Lacan: Réponses à des étudiants en philosophie sur l'objet de la psychanalyse)

…………

もちろんわれわれは、ロラン・バルトをラカン的観点から読む必要はない。むしろロラン・バルトの視点からラカンを読むことができる。そのときの核心は上に引用した文からすれば、「時間」(プルースト)であり「強度」(ドゥルーズ)であるだろう、--《いまや私は、《細部》とはまた別のプンクトゥム(別の《傷痕 stigmate》)が存在することを知った。もはや形式ではなく、強度 intensité という範疇に属するこの新しいプンクトゥムとは、「時間 le Temps」である。》

さて、《純粋過去passé pur》(ドゥルーズ)、あるいは《純粋状態での短い時間 Un peu de temps à l'état pur》(プルースト)とは何であったか。

マドレーヌの味、ふたつの感覚に共通な性質、ふたつの時間に共通な感覚は、いずれもそれ自身とは別のもの、コンブレーを想起させるためにのみ存在している。しかし、このように呼びかけられて再び現われるコンブレーは、絶対的に新しいかたちになっている。

コンブレーは、かつて現在であったような姿では現われない。コンブレーは過去として現われるが、しかしこの過去は、もはやかつてあった現在に対して相対するものではなく、それとの関係で過去になっているところの現在に対しても相対するものではない。

それはもはや知覚されたコンブレーでもなく、無意識的記憶の中のコンブレーでもない。コンブレーは、体験さええなかったような姿で、実在 réalité においてではなく、その真実véritéにおいて現われる。

コンブレーは、純粋な過去 passé pur の中に、ふたつの現在と共存して、しかもこのふたつの現在に捉えられることなく、現在の無意識的記憶と過去の意識的知覚の到達しえないところで現われる。それは、《純粋状態での短い時間 Un peu de temps à l'état pur》(プルースト)である。

つまりそれは、現在と過去、現実的な actuel ものである現在と、かつて現在であった過去との単純な類似性ではなく、ふたつの時間の同一性でさえもなく、それを越えて、かつてあったすべての過去、かつてあったすべての現在よりもさらに深い、過去のそれ自体における存在〔即自存在〕である。《純粋な状態での短い時間 Un peu de temps à l'état pur》とは、局在化した時間の本質である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』宇波彰訳)

※プルースト自身の文は、「ドゥルーズ派諸氏の訳文 réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits」を見よ


2016年10月5日水曜日

横川晴児とヨー・ヨー・マ

◆Mozart:Clarinet Quintet K.581/Cla:Seiji Yokokawa,Vc:Yo-Yo Ma



20年ほど前の時が、あるきっかけで蘇ってきたのだが、そこではモーツァルトのクラリネット五重奏曲も鳴っている。その鳴っている曲の演奏を YouTube で探したらーー以前も何度か探したのだがーー2年ほどまえにUPされている。それに昨晩行き当たった。

この演奏ーー横川晴児とヨー・ヨー・マ他ーーは1990年代前半のもので、ヴィデオに録音して何度も聴いた(たしかヨー・ヨーが「もののあわれ」と名付けて主催した演奏会で、彼は結婚式にも葬式にも通用する稀有のK.581と語っていた)。

この曲はわたくしの知るかぎり多くの演奏がクラリネットがでしゃばりすぎている(わたくしの趣味からすれば、という意味だが)。ところが上のものは横川晴児の控え目な親密さの感触がすばらしい。この音と仲間とのバランスを長いあいだ聴きたかった。

とくに二楽章の横川のクラリネットに眩暈のするような箇所がある。


実に結婚式でも葬式でもーー天国に行っても地獄に行ってもーーどちらでもいい気分になる。

そしてヨー・ヨーがあきらかに場を・空間を・親密さを作っている。

ヨー・ヨー・マはのちにいろいろ言われるようになるが、彼はやはり傑出した音楽家であり、その多作ぶり・公衆への迎合ぶりにはいささか辟易しないでもないが、ときに戦慄するような空間をつくってくれる音楽家だ。


2016年10月4日火曜日

軀の中を凧のように通り抜けてゆく匂い

きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人の名だ。……彼女の名をわたしは君たちに言ったことがあるだろうか。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部 「最も静かな時刻」 手塚富雄訳)

ーー《わたしのほかに誰が知ろう、アリアドネが何であるかを!……これらすべての謎は、いままでだれ一人解いた者がなかった。そこに謎があることに気がついた者さえいるかどうか疑わしい。》(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

…………

長い病気の恢復期のような心持が、軀のすみずみまで行きわたっていた。恢復期の特徴に、感覚が鋭くなること、幼少年期の記憶が軀の中を凧のように通り抜けてゆくこととがある。その記憶は、薄荷のような後味を残して消えてゆく。

立上がると、足裏の下の畳の感覚が新鮮で、古い畳なのに、鼻腔の奥に藺草のにおいが漂って消えた。それと同時に、雷が鳴ると吊ってもらって潜りこんだ蚊帳の匂いや、縁側で涼んでいるときの蚊遣線香の匂いや、線香花火の火薬の匂いや、さまざまの少年時代のにおいの幻覚が、一斉に彼の鼻腔を押しよせてきた。(吉行淳之介『砂の上の植物群』)

《プルーストにおいては、五感のうち三つの感覚によって思い出が導き出される。しかし、その木目〔きめ〕という点で実は音響的であるよりもむしろ《香りをもつ》ものというべき声を別とすれば、私の場合、思い出や欲望や死や不可能な回帰は、プルーストとはおもむきが異なっている。私の身体は、マドレーヌ菓子や舗石やバルベックのナプキンの話にうまく乗せられることはないのだ。二度と戻ってくるはずのないもののうちで、私に戻ってくるもの、それは匂いである。》(『彼自身によるロラン・バルト』)


虫籠、絵団扇、蚊帳、青簾、風鈴、葭簀、燈籠、盆景のような洒々たる器物や装飾品が何処の国に見られよう。平素は余りに単白で色彩の乏しきに苦しむ白木造りの家屋や居室全体も、かえってそのために一種いうべからざる明い軽い快感を起させる。この周囲と一致して日本の女の最も刺戟的に見える瞬間もやはり夏の夕、伊達巻の細帯にあらい浴衣の立膝して湯上りの薄化粧する夏の夕を除いて他にはあるまい。(永井荷風『夏の町』)


◆Régine Crespin; "Gedichte der Königen Maria Stuart"; Op. 135; Robert Schumann



痛みはつねに内部を語る。しかしながら、あたかも痛みは手の届かないところにあり、感じえないというかのようである。身の回りの動物のように、てなづけて可愛がることができるのは苦しみだけだ。おそらく痛みはただ次のこと、つまり遠くのものがいきなり耐えがたいほど近くにやってくるという以外の何ものでもないだろう。

この遠くのもの、シューマンはそれを「幻影音」と呼んでいた。ちょうど切断された身体の一部がなくなってしまったはずなのに現実の痛みの原因となる場合に「幻影肢」という表現が用いられるのに似ている。もはや存在しないはずのものがもたらす疼痛である。切断された部分は、苦しむ者から離れて遠くには行けないのだ。

音楽はこれと同じだ。内側に無限があり、核の部分に外側がある。(ミシェル・シュネデール『シューマン 黄昏のアリア』)

…………

吉行淳之介は後年いろいろ言われるるようになるが、『砂の上の植物群』はいつまでも絶品のままだ。

そのときA女の軀が燃え上がった。重ね合わさった二人の女の軀のすべての細胞が白い焔を発して燃え、やがてB女の軀は蛍光色に透きとおってA女の軀に溶接された。男の眼の前には、B女の背のひろがりがあり、不意に彼の鼻腔にある匂いが流れ込んできた。それはB女の肩のあたりから立上がってくるのか、あるいはその下に在るA女の胸から発するものか判別ができなかったが、太陽の光を十分に吸い込んだ牧草の匂いである。娼婦たちの軀が熱したときに漂ってくる、多くの男たちの体液の混じり合った饐えたにおい、それに消毒液の漂白されたようなにおいの絡まり合った臭気とは全く違ったものだった。(『砂の上の植物群』)

 …………

散文の訓練とは、一つには詩を殺すことによって成立する。私は二十代の半ばから、ひたすら詩を殺すことを心がけてきた人間である。だからといって、私の内部にポエジーが枯渇しているということにはならないだろう。私は、私の内部からあふれ出ようとしている安っぽいポエジーに対して、いつも警戒の目を光らせている。私の警戒の網の目をくぐって、紙の上に滲み出してきたポエジーがあったとすれば、それこそ本物のポエジーだろう。(吉行淳之介『文章読本』)

2016年10月3日月曜日

にほふをんなのあそこ




なぜひどく惹かれるのだろう
向うにむかって暈けてゆく感じか
女の股の、女の髪のいい匂いがしてきそうだ
だが別のにおいも訴えかけてくる

足指がひどく醜い女がいた
それ以外はとても美しい
写真の女のように
蹠に疣があったわけではない

妻がでていった直後のマンション
女は何度も訪ねてきた
女は床を裸足で歩いた
短い足指をまるめてなにかを掴むように
芋虫みたいな足指
と口から出かかった

甞めてみようとすると
身を、脚を、捩って抵抗した
とても臭い足だった

匂いのつよいテッポーユリ
の全開期(吉岡実〉

魚の目・タコの角質の蹠
ひどい水虫
だったのは母だ

思い出さない記憶とは何なのだろう
そして突然訪れる記憶とは

女は嵯峨野に住むお嬢さん
いや若い人妻だった

須磨の女ともだちからおくられた
さくら漬をさゆに浮かべると
季節はづれのはなびらはうすぎぬの
ネグリジェのやうにさくらいろ
にひらいてにほふをんなのあそこ
のやうにしょっぱい舌さきの感触に
目に染みるあをいあをい空それは
いくさのさなかの死のしづけさのなか

――那河太郎「小品」


幻想の役割において決定的なことは、欲望の対象と欲望の対象-原因のあいだの初歩的な区別をしっかりと確保することだ(その区別はあまりにもしばしばなし崩しになっている)。欲望の対象とは単純に欲望される対象のことだ。たとえば、もっとも単純な性的タームでいうとすれば、私が欲望するひとのこと。欲望の対象-原因とは、逆に、私にこのひとを欲望させるもののこと。このふたつは同じものじゃない。ふつう、われわれは欲望の対象-原因が何なのか気づいてさえいない。――そうだな、精神分析をすこしは学ぶ必要があるかもしれない、たとえば、何が私にこの女性を欲望させるかについて。

欲望の対象と欲望の対象-原因(対象a)のギャップというのは決定的なんだ、その特徴が私の欲望を惹き起こし欲望を支えるのだから。この特徴に気づかないままでいるかもしれない。でも、これはしばしば起っていることだが、私はそれに気づいているのだけれど、その特徴を誤って障害と感じていることだ。たとえば、誰かがある人に恋に落ちるとする、そしてこう言うんだ、「私は彼女をほんとうに魅力的だと思う、ただある細部を除いて。――それが私は何だかわからないけれど、彼女の笑い方とか、ジェスチュアとかーーこういったものが私をうんざりさせる」。でもあなたは確信することだってありうる、これが障害であるどころか、実際のところ、欲望の原因だったりするのを。欲望の対象-原因というのはそのような奇妙な欠点で、バランスを乱すものなのだが、もしそれを取り除けば、欲望された対象自体がもはや機能しなくなってしまう、すなわち、もう欲望されなくなってしまうのだ。こういったパラドキシカルな障害物。これがフロイトがすでに一つの特徴 der einzige Zug と読んだものと近似している。そして後にラカンがその全理論を発展させたのだ。たとえばなにかの特徴が他者のなかのわたしの欲望が引き起こすということ。そして私が思うには、これがラカンの「性関係がない」という格言をいかに読むべきかの問題になる。(ジジェク”Conversations with Ziiek”(Slavoj Zizek and Glyn Daly”より私訳)


なにかが突然遠くからやってくると
いつもフォーレのop.121を聴きたくなる
のはなぜなのだろう





手が届きそうで、でも届かない感じか
息苦しさと甘美さの混淆にくらくらしそうになる
そんなに昔から聴いていた曲ではないのに
いまではどうしても欠かせない作品

バッハのBWV.914の後半も似た感覚に襲われる





この曲はあの頃も
もっと前からもしばしば聴いていた
マタイのわずか一分の合唱曲と
なぜかわたくしにはセットになっている







2016年10月2日日曜日

柿の木と梨の木

・私は詩人ではない、だが私は詩である。je ne suis pas un poète, mais un poème. (Lacan,17 mai 1976 AE.572)

・ポエジー poésie だけだ、解釈を許容してくれるのは。私の技能ではそこに至りえない。私は充分には詩人ではない。(ラカン、S.24.1977).

…………

(これは)たんなる詩の問題ではない。これは、意味の効果でありながら、また穴の効果でもある詩である。

意味とはシニフィアンの助けにて共鳴するものだ。しかし共鳴は十分ではない。それはむしろ穏やかだ。意味は共鳴を拭い去る。

意味は我々を眠りに誘う。詩も同じく。もし詩が意味から意味へと移行するなら。

眠りから覚めるのは、我々が理解しないときである。

この「新しいシニフィアン」--問題となっているのはシニフィアンの別の使用法であるーーが目を眩ます効果をもつ。そのとき意味の眠りから身を起こす。
.
この強制するもの forçage が詩を通して作働する。

詩人の「離れ技 tour de force」は、意味を不在にすることである。(ミレール、2007ーーInterprétation, semblant et sinthome por ANNE LYSY-STEVENS)


ああかけすが鳴いてやかましい(西脇順三郎ーー生垣の「結び目をほどく」詩人


…………

悟り(「禅」における出来事)とは、多少なりとも強い地殻変動であり(厳粛なものではまったくない)、認識や主体を揺らめかせるもの qui fait vaciller la connaissance, le sujet である。つまり、悟りはパロールの空虚 un vide de parole を生じさせてゆく。そして、パロールの空虚こそがエクリチュール écriture をかたちづくる c'est aussi un vide de parole qui constitue l'écriture。(ロラン・バルト『記号の国』)

《現実界は見せかけのなかに穴を開けるものである。ce qui est réel c'est ce qui fait trou dans ce semblant.》(ラカン、S.18)

ーーラカンは、人間の現実を「見せかけの世界 le monde du semblant」と考えた。(ヴェルハーゲ、2001)

《無意識は常に、主体の裂け目のなかに揺らめくものとして顕れる。l'inconscient se manifeste toujours comme ce qui vacille dans une coupure du sujet,ラカン、S.11)

《精神分析とは、見せかけ semblant を揺らめかすことである、機知が見せかけを揺らめかすように。[la psychanalyse fai les semblants , le Witz fait vaciller les semblants]》(ジャック=アラン・ミレール,1996

《すべてが見せかけではない。ひとつの現実界がある。社会的紐帯の現実界は、性関係の不在であり、無意識の現実界は話す身体である。tout n'est pas semblant, il y a un réel. Le réel du lien social, c'est l'inexistence du rapport sexuel. Le réel de l'inconscient, c'est le corps parlant.》 (ミレール、2014、L'inconscient et le corps parlant par JACQUES-ALAIN MILLER

プルーストの作品は、過去と記憶の発見とに向けられているのではなく、未来と習得の進展とに向けられている。重要なことは、主人公は最初は或ることを知らなかったが、徐々にそれを習得して、ついには最終的な啓示 révélation を受け取るということである。したがって、彼は必然的に失望を味わう。つまり、彼は《信じ》、幻想 illusions を持っていたが、世界は習得の過程の中で揺らめくのである。il« croyait », le monde vacille dans le courant de l'apprentissage. (ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

・エリオットは、詩の意味とは、読者の注意をそちらのほうにひきつけ、油断させて、その間に本質的な何ものかが読者の心に滑り込むようにする、そういう働きのものだという。(中井久夫「顔写真のこと」)

・散文を歩行に、詩を舞踏に例えたのはポール・ヴァレリーである。T・S・エリオットはこれにやんわりと異議を唱えて、詩と散文とはそれほど明瞭に区別されるものではないと述べている。(中井久夫「訳詩の生理学」

・「詩とは言語の徴候優位的使用によってつくられるものである」――これが私の詩の定義である。(中井久夫「世界における索引と徴候」)

・詩とは言語の徴候的側面を主にした使用であり、散文とはその図式的側面を主にした使用である。(中井久夫『現代ギリシャ詩選』序文


…………

We are the hollow men
We are the stuffed men
Leaning together
Headpiece filled with straw. Alas!
Our dried voices, when
We whisper together
Are quiet and meaningless
As wind in dry grass

俺たちのなかみはからっぽ
俺たちのなかみはつめもの
俺たちはよりそうが
頭のなかは藁のくず、ああ!
俺たちがささやきあうと
かわいた声が
うつろにひびく
まるでかわいた草をふきわたる風

ーーエリオット「うつろな人間 the hollow men」より 高松雄一訳


T・S・エリオットは、十七世紀の詩人ジョン・ダンについての評論の中でこの詩人は「観念をバラの花の匂いのごとくに感じる」と述べている。この一句には最近あらためて考えさせられるものがあった。観念には匂いと非常に似ているところがある。まず、それはいっときには一つしか意識の座を占めない。二つの匂いが同じ強度で共在することはありえないが、観念もまた、二つが同じ強度で共存することはーーある程度以下の弱く漠然としたものを除いてはーーきわめて例外的で、病的な状態においてかろうじてありうるか否かというくらいのものである。

第二に、匂いは、たしか二十秒くらいしかとどまらない。匂い物質は送られてきても、それに対する嗅覚は急速に作働しなくなってしまう。これは、嗅覚が新しい入力に対応するためで、こうなくてはならないことである。

観念はどうであろう。観念を虚空に把握しつづけることは、それこそ二十秒以上はむつかしいのではなかろうか。とすれば、持続的といわれる幻覚、妄想、固定観念も、たえざる入力によってくり返しくり返し再出現させて維持されていることを示唆する。ただ、この入力は、決して“ 自由意志 ”によるものではない。

最後に、両者とも、起そうとして起せるものではない。観念も、意識的というか人工的に催起させられるものではない。両者とも、基本的には意識を「襲う」ものである。少なくとも重要な気づきは、はげしい香りと同じく、ひとを打つのである、科学的、思想的発見であっても、パースナルな気づきであっても。(中井久夫「世界における索引と徴候」『徴候・記憶・外傷』所収)


観念と
現実の間に
運動と
行動との間に
影が降りる

Between the idea
And the reality
Between the motion
And the act
Falls the Shadow

ーーT.S Eliot,The Hollow Men


《アクチュアルではないがリアルであり、抽象的ではないが観念的》(プルースト「見出された時」)――この観念的なリアルなもの、この潜在的なものがエッセンスである。« Réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits. » Ce réel idéal, ce virtuel, c'est l'essence. réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

……ところが、すでにきいたり、かつて呼吸したりした、ある音、ある匂が、現在と過去との同時のなかで、すなわち現時ではなく現実的であり、抽象的ではなく観念的である Réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits →「アクチュアルではなくリアルなもの、抽象的ではなく観念的である」二者の同時のなかで、ふたたびきかれ、ふたたび呼吸されると、たちまちにして、事物の不変なエッセンス、ふだんはかくされているエッセンスが、おのずから放出され、われわれの真の自我がーーときには長らく死んでいたように思われていたけれども、すっかり死んでいたわけではなかった真の自我がーーもたらされた天上の糧を受けて、目ざめ、生気をおびてくるのだ。時間の秩序から解放されたある瞬間が、時間の秩序から解放された人間をわれわれのなかに再創造して、その瞬間を感じうるようにしたのだ。それで、この人間は、マドレーヌの単なる味にあのようなよろこびの理由が論理的にふくまれているとは思わなくても、自分のよろこびに確信をもつ、ということがわれわれにうなずかれるし、「死」という言葉はこの人間に意味をなさない、ということもうなずかれる。時間のそとに存在する人間だから、未来について何をおそれることがありえよう?(プルースト『見出された時』井上究一郎訳

…………

詩の擁護又は何故小説はつまらないか  谷川俊太郎

ーー「詩は何もしないことで忙しいのです」ビリー・コリンズ(小泉純一訳)

初雪の朝のようなメモ帳の白い画面を
MS明朝の足跡で蹴散らしていくのは私じゃない
そんなのは小説のやること
詩しか書けなくてほんとによかった

小説は真剣に悩んでいるらしい
女に買ったばかりの無印のバッグをもたせようか
それとも母の遺品のグッチのバッグをもたせようか
そこから際限のない物語が始まるんだ
こんぐらかった抑圧と愛と憎しみの
やれやれ

詩はときに我を忘れてふんわり空に浮かぶ
小説はそんな詩を薄情者め世間知らずめと罵る
のも分からないではないけれど

小説は人間を何百頁もの言葉の檻に閉じこめた上で
抜け穴を掘らせようとする
だが首尾よく掘り抜いたその先がどこかと言えば、
子どものころ住んでいた路地の奥さ

そこにのほほんと詩が立ってるってわけ
柿の木なんぞといっしょに
ごめんね

人間の業を描くのが小説の仕事
人間に野放図な喜びをもたらすのが詩の仕事

小説の歩く道は曲がりくねって世間に通じ
詩がスキップする道は真っ直ぐ地平を越えて行く

どっちも飢えた子どもを腹いっぱいにしてやれないが
少なくとも詩は世界を怨んじゃいない
そよ風の幸せが腑に落ちているから
言葉を失ってもこわくない

小説が魂の出口を探して業を煮やしてる間に
宇宙も古靴も区別しない呆けた声で歌いながら
祖霊に口伝えされた調べに乗って詩は晴れ晴れとワープする

人類が亡びないですむアサッテの方角へ

路地を通り抜ける時試に立止つて向うを見れば、此方は差迫る両側の建物に日を遮られて湿つぽく薄暗くなつてゐる間から、彼方遥に表通の一部分だけが路地の幅だけにくつきり限られて、いかにも明るさうに賑かさうに見えるであらう。殊に表通りの向側に日の光が照渡つてゐる時などは風になびく柳の枝や広告の旗の間に、往来の人の形が影の如く現れては消えて行く有様、丁度灯火に照された演劇の舞台を見るやうな思ひがする。夜になつて此方は真暗な路地裏から表通の灯火を見るが如きは云はずとも又別様の興趣がある。川添ひの町の路地は折々忍返しをつけた其の出口から遥に河岸通のみならず、併せて橋の欄干や過行く荷船の帆の一部分を望み得させる事がある。此の如き光景は蓋し逸品中の逸品である。(永井荷風『路地』)


十三秒間隔の光り 田村隆一

新しい家はきらいである
古い家で生れて育ったせいかもしれない
死者とともにする食卓もなければ
有情群類の発生する空間もない
「梨の木が裂けた」
と詩に書いたのは
たしか二十年まえのことである
新しい家のちいさな土に
また梨の木を植えた
朝 水をやるのがぼくの仕事である
せめて梨の木の内部に
死を育てたいのだ
夜はヴィクトリア朝期のポルノグラフィを読む
「未来にいかなる幻想ももたぬ」
というのがぼくの唯一の幻想だが
そのとき光るのである
ぼくの部屋の窓から四〇キロ離れた水平線上
大島の灯台の光りが

十三秒間隔に


・昔は誰でも、果肉の中に核があるように、人間はみな死が自分の体の中に宿っているのを知っていた。

・女が孕んで、立っている姿は、なんという憂愁にみちた美しさであったろう。ほっそりとした両手をのせて、それとは気づかずにかばっている大きな胎内には、二つの実が宿っていた、嬰児と死が。広々とした顔にただようこまやかな、ほとんど豊潤な微笑は、女が胎内で子供と死とが成長していることをときどき感じたからではないか。(リルケ『マルテの手記』)





2016年10月1日土曜日

要約というイデオロギー

【語りたいあなたたち】
「わかりたいあなた」たちにとっては、わかったかわからないかを真剣に問うことよりも、なるべくスピーディーかつコンビニエント に、わかったつもりになれて(わかったことに出来て)、それについて「語(れ)ること」の方がずっと重要なのです。(佐々木敦『ニッポンの思想』


【何かを理解したかのような気分】
何かを理解することと「何かを理解したかのような気分」になることとの間には、もとより、超えがたい距離が拡がっております。にもかかわらず、人びとは、 多くの場合、「何かを理解したかのような気分」になることが、何かを理解することのほとんど同義語であるかのように振舞いがちであります。たしかに、そう することで、ある種の安堵感が人びとのうちに広くゆきわたりはするでしょう。実際、同時代的な感性に多少とも恵まれていさえすれば、誰もが「何かを理解し たかのような気分」を共有することぐらいはできるのです。しかも、そのはば広い共有によって、わたくしたちは、ふと、社会が安定したかのような錯覚に陥り がちなのです。

だが、この安堵感の蔓延ぶりは、知性にとって由々しき事態たといわねばなりません。「何かを理解したかのような気分」にな るためには、対象を詳細に分析したり記述したりすることなど、いささかも必要とされてはいないからです。とりわけ、その対象がまとっているはずの歴史的な 意味を自分のものにしようとする意志を、その安堵感はあっさり遠ざけてしまいます。そのとき誰もが共有することになる「何も問題はない」という印象が、む なしい錯覚でしかないことはいうまでもありません。事実、葛藤が一時的に視界から一掃されたかにみえる時空など、社会にとってはいかにも不自然な虚構にす ぎないからです。しかも、その虚構の内部にあっては、「何も問題はない」という印象と「これはいかにも問題だ」という印象とが、同じひとつの「気分」のう ちにわかちがたく結びついてしまうのです。(蓮實重彦『齟齬の誘惑』)



【自分の立場を相対的に高めようとする凡庸な精神】
おそらくそこには、帝国の独裁者の振舞いをも嘲笑してみせることで、 自分の立場を相対的に高めようとする凡庸な精神が作用している。 それがそっくりわれわれの精神と共鳴しているかもしれぬその凡庸さが、改めて痛ましく思われる。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)
……もろもろのオピニオン誌の凋落は、「あたしなんかより頭の悪い人たちが書いているんだから、あんなもん読む気がしない」といういささか性急ではあるがその現実性を否定しがたい社会的な力学と無縁でない。そんな状況下で、人がなお他人のブログをあれこれ読んだりするのは、それが「あたしなんかより頭の悪い人たちが書いている」という安心感を無責任に享受しうる数少ない媒体だからにほかならず、「羞恥心」のお馬鹿さんトリオのときならぬ隆盛とオピニオン誌の凋落とはまったく矛盾しない現象なのだ。……。(蓮實重彦


【きみたちにはこんな経験がないかね?】
「きみにはこんな経験がないかね? 何かを考えたり書こうとしたりするとすぐに、それについて最適な言葉を記した誰かの書物が頭に思い浮かぶのだ。しかしいかんせん、うろ覚えではっきりとは思い出せない。確認する必要が生じる──そう、本当に素晴らしい言葉なら、正確に引用しなければならないからな。そこで、その本を探して書棚を漁り、なければ図書館に足を運び、それでも駄目なら書店を梯子したりする。そうやって苦労して見つけた本を繙き、該当箇所を確認するだけのつもりが、読み始め、思わずのめりこんでゆく。そしてようやく読み終えた頃には既に、最初に考えていた、あるいは書きつけようとしていた何かのことなど、もはやどうでもよくなっているか、すっかり忘れてしまっているのだ。しかもその書物を読んだことによって、また別の気がかりが始まったことに気付く。だがそれも当然だろう、本を一冊読むためには、それなりの時間と思考を必要とするものなのだから。ある程度時間が経てば、興味の対象がどんどん変化し移り変わってもおかしくあるまい? だがね、そうやってわれわれは人生の時間を失ってしまうものなのだよ。移り気な思考は、結局、何も考えなかったことに等しいのだ」(ボルヘス 読書について──ある年老いた男の話)


【悪いもの】
悪いもの

“ドクサ”(“通念”)は、彼の言述のなかでさかんに言及されているが、まぎれもなく「《悪いもの》」である。それは内容の面からはどうにも定義することができず、ただ形式の面からしか定義されない。そして恐らく、その悪い形式とはすなわち反復のことなのだ。―――しかし反復されるものにも、ときには良いものがあるではないか。たとえば《テーマ》とは、批評にとっては良いものであって、しかもそれはたしかに、反復される何ものかではないか。―――良い反復とは、身体に由来する反復だ。“ドクサ”が悪いものであるという理由は、それが死んだ反復であること、誰の身体から発生するものでもないということ―――さもなければ、たぶん、まさに“死者たち”の身体から発生するものだ―――という点にある。(『彼自身によるロラン・バルト』) 


【要約というイデオロギー】
本質規定からいって、教師の言述は要約することができる(あるいは、できなければならない)という性格を帯びる(これは国会議員の演説と共通する特権である)。周知のように、わが国の学校では、テクストの要約と呼ばれる訓練が行わている。この呼び方が、まさに、要約のイデオロギーをいい当てている。すなわち、一方に、《思想》という、メッセージの対象であり、行動の要素、科学の要素である。他動的な、あるいは、批判的な力があり、もう一方に、《文体》という、贅沢、閑暇、したがって、無用なものに属する装飾がある。文体から思想を切り離すことは、いわば、言述から聖職的な衣をはぎ取ることであり、メッセージを世俗化することである(そこから、教師と代議士とのブルジョワ的結合が生ずる)。《形式》は圧縮し得るものであると考えられているのえあり、この圧縮は本質的に害を与えるものとは考えられていない。実際、遠い所、つまり、わが西欧の境界を越えた所では、生きているジヴァロの頭と縮小したジヴァロの頭との差異はそれほど重大だろうか。

訳者註)ジヴァロ:アマゾン河上流のインディアン。戦いの後、敵の首を切り、その皮をはぎ、食物の煎じ汁につけたり、熟した石で加工し、拳大の大きさに縮小するという。

教師にとって、自分の講義中、生徒の取る《ノート》を見るのはむずかしい。彼はほとんど見ようとしない。慎みからからか(なぜなら、この作業の儀礼的な性格にもかかわらず、《ノート》ほど個人的なものはないからである)、あるいは、こちらの方が当たっていそうだが、同族の者に加工されたジヴァロのように、死んで、物質的で、しかも縮小された状態にある自分を見るのが怖いからであろう。パロールの流れの中から取られた(差し引かれた)ものがどこにも当てはまる言表(公式、文)であるのか、推論の要点なのか、わかりはしない。どちらの場合にも、失われたものは付加物であるが、そこにこそ言語活動の賭け金が投ぜられているのである。要約はエクリチュールの拒否である。

逆の結論として、要約されることのできない(要約すると、ただちに、メッセージとしての自分の性格を破壊する)《メッセージ》の送り手は、皆、《作家》(この語は、つねに、社会的価値ではなく、実践を指す)と呼ぶことができる。《メッセージ》が要約できないというのが、作家が、狂人、饒舌家、数学者と共有する条件である。しかし、それは、まさに、エクリチュール(すなわち、ある種の能記[シニフィアン]の実践)が明確にしなければならない条件である。(ロラン・バルト「作家、知識人、教師」1971、沢崎浩平訳)


【無駄に近い列挙】
蓮實)僕がやっている批評のほとんどは無駄に近い列挙なんです。これもありますよ、これもありますよ、というようなものでね。こっち見てごらんなさい。夏目漱石、こんなことを書いていますよ。またこっちではこんなことを書いていますよ、という愚鈍なまでの列挙なんです。その意味では批評というより事項が並んでいるだけなんです。ところがいまの若い人たちは列挙しないんですね。非常に優雅に自分の言葉に置き換えちゃっている。(……)

僕の無駄というのは、その無謀な列挙にある。なぜ列挙するかというと、列挙することそのものがかろうじて根拠たりうるようなものしか論じないからです。たとえば、ジョン・フォードには太い大きな幹が出てくる。僕は、それを美しいと思う、というよりそのことに理由のない恐れをいだく。しかしそれには何の意味もない。ただ、太い樹木の幹が見えるというだけなんです。だから『静かなる男』にもあった、『タバコロード』にもあった、『我が谷は緑なりき』にもあったと際限なく羅列してゆくしかない。
……みんな、批評というものを解釈だと勘違いしてしまったんですよ。解釈といったって、形式を読むこともしなければ、ましてや魂の唯物論的な擁護などと思ってもみない。共同体が容認しうるイメージへと作品を翻訳することを意味の解釈だと思っちゃった。(……)

批評の第一の役割は、作品の意味が生成される可能性を思い切り拡げることであり、それを閉ざすことではない。ところが、みんな、無意識に意味生成の場を狭めればそれが主体的だと思ってるんです。僕はそれを可能な限り豊かなものにすることを一貫してやってきた。べつに、意味を無視したわけじゃあないんです。読むことって、無数の意味の闘いでしょ。表層というのは、その闘いの現場であるわけです。解釈が始まるのは、その闘いの現場を通過してからの話でなければいけない。
流通するのは、いつも要約のほうなんです。書物そのものは絶対に流通しない。ダーヴィンにしろマルクスにしろ、要約で流通しているにすぎません。要約というのは、共同体が容認する物語への翻訳ですよね。つまり、イメージのある差異に置き換えることです。これを僕は凡庸化というのだけれど、そこで、批評の可能性が消えてしまう。主義者が生まれるのは、そのためでしょう。書物というのは、流通しないけど反復される。ドゥルーズ的な意味での反復ですよね。そして要約そのものはその反復をいたるところで抑圧する。批評は、この抑圧への闘争でなければならない。(蓮實重彦『闘争のエチカ』


【あたりを埋めつくしている青春派】
どこかで小耳にはさんだことの退屈な反復にすぎない言葉をこともなげに口にしながら、 なおも自分を例外的な存在であるとひそかに信じ、 しかもそう信じることの典型的な例外性が、 複数の無名性を代弁しつつ、 自分の所属している集団にとって有効な予言たりうるはずだと思いこんでいる人たちがあたりを埋めつくしている。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)
……すでに書かれた言葉としてあるものにさらに言葉をまぶしかける軽業師ふうの身のこなしに魅せられてであろうか。さらには、いささか時流に逆らってみせるといった手あいのものが、流れの断絶には至らぬ程度の小波瀾を戯れに惹起し、波紋がおさまる以前にすでに時流と折合いをつけているといったときの精神のありようが、青春と呼ばれる猶予の一時期をどこまでも引き伸ばすかの錯覚を快く玩味させてくれるからであろうか。(蓮實重彦『表層批評宣言』)


【大人になっても子どものままでいる唯一の手段】
文学や自然科学の学生にとってお極まりの捌け口、教職、研究、または何かはっきりしない職業などは、また別の性質のものである。これらの学科を選ぶ学生は、まだ子供っぽい世界に別れを告げていない。彼らはむしろ、そこに留まりたいと願っているのだ。教職は、大人になっても学校にいるための唯一の手段ではないか。文学や自然科学の学生は、彼らが集団の要求に対して向ける一種の拒絶によって特徴づけられる。ほとんど修道僧のような素振りで、彼らはしばらくのあいだ、あるいはもっと持続的に、学問という、移り過ぎて行く時からは独立した財産の保存と伝達に没頭するのである。( ……)彼らに向かって、君たちもまた社会に参加しているのだと言ってきかせるくらい偽りなことはない。( ……)彼らの参加とは、結局は、自分が責任を免除されたままで居続けるための特別の在り方の一つに過ぎない。この意味で、教育や研究は、何かの職業のための見習修業と混同されてはならない。隠遁であるか使命であるということは、教育や研究の栄光であり悲惨である。(レヴィ= ストロース『悲しき熱帯』 Ⅰ 川田順造訳 p77-79)


【教えたい教師たち】
パロールの側にいる教師に対して、エクリチュールの側にいる言語活動の操作者をすべて作家と呼ぶことにしよう。両者の間に知識人がいる。知識人とは、自分のパロールを活字にし、公表する者である。教師の言語活動と知識人の言語活動の間には、両立しがたい点はほとんどない(両者は、しばしば同一個人の中で共存している)。しかし、作家は孤立し、切り離されている、エクリチュールはパロールが不可能になる(この語は、子供についていうような意味に解してもいい〔つまり、手に負えなくなる〕)所から始まるのだ。(ロラン・バルト「作家、知識人、教師」1971『テクストの出口』所収)


【難聴者たち】
私はきのう書いたことをきょう読み直す、印象は悪い。それは持ちが悪い。腐りやすい食物のように、一日経つごとに、変質し、傷み、まずくなる。わざとらしい《誠実さ》、芸術的に凡庸な《率直さ》に気づき、意気阻喪する。さらに悪いことに、私は、自分では全然望んでいなかった《ポーズ》を認めて、嫌気がさし、いらいらする。(ロラン・バルト「省察」1979『テクストの出口』所収)
どこにいようと、彼が聴きとってしまうもの、彼が聴き取らずにいられなかったもの、それは、他の人々の、彼ら自身のことばづかいに対する難聴ぶりであった。彼は、彼らがみずからのことばづかいを聴きとらないありさまを聴きとっていた。

しかし彼自身はどうだったか。彼は、彼自身の難聴ぶりを聴き取ったことがないと言えるのか。彼は、みずからのことばづかいを聴き取るために苦心したのだが、その努力によって産出したものは、ただ、別のひとつの聴音場面、もうひとつの虚構にすぎなかった。

だからこそ、彼はエクリチュールに自分を託す。エクリチュールとは、《最終的な返答》をしてみせることをあきらめた言語活動のことではないか。そして、他人にあなたのことばを聴き取ってもらいたいという願いをこめて、自分を他人に任せることによって生き、息をする、そういう言語活動ではないか。(『彼自身によるロラン・バルト』)

…………

【閑話休題】
話の腰を折ることになるが、――尤、腰が折れて困るといふ程の大した此話でもないが――昔の戯作者の「閑話休題」でかたづけて行つた部分は、いつも本題よりも重要焦点になつてゐる傾きがあつた様に、此なども、どちらがどちらだか訣らぬ焦点を逸したものである。(折口信夫「鏡花との一夕 」)


【凡庸な物書き】
凡庸な物書きは、あら削りで不正確な表現を正確な表現に、あまりにもすばやく置きかえてしまわないよう、用心すべきである。置きかえることによって、最初にひらめきが殺されてしまうからである。そのひらめきは、柄は小さくても、生きた草花ではあったのだ。ところが正確さを得ようとして、その草花は枯れてしまい、まったくなんの価値もなくなってしまう。いまやそれは肥だめのなかに投げ込まれかねないわけだ。草花のままであったなら、いくらかみすぼらしく小さなものであっても、なにかの役にはたっていたのに。(ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン「反哲学的断章」)


【足元の難問】
哲学を勉強したことがないので、あれやこれやの判断を下すことができません」という人が、ときどきいる。こういうナンセンスをきかされると、いらいらする。

「哲学がある種の学問である」などと申し立てられているからだ。おまけに哲学が、医学かなんかのように思われているのである。

――だが、次のようなことは言える。哲学的な研究をしたことのない人には、その種の研究や調査のための、適切な視覚器官が備わっていないのである。

それは、森で、花やイチゴや薬草を探しなれていない人が、何一つとして発見できないのにかなり似ている。かれの目は、そういうものに対して敏感ではないし、また、とくにどのあたりで大きな注意を払わなければならないか、といったこともわからないからである。

同じような具合に、哲学の訓練を受けたことのない人は、草むらの下に難問が隠されているのに、その場をどんどん通り過ぎてしまう。

一方、哲学の訓練を受けた人なら、まだ姿は発見していないのだけれども、その場に立ちどまって、「ここには難問があるぞ」と感じ取る。

――だが、そのようによく気がつく熟達者ですら、じっさいに発見するまでには、ずいぶん長時間、探しまわらなければならない。

とはいえ、それは驚くにはあたらない。何かがうまく隠されている場合、それを発見するのは難しいものなのである。(ヴィトゲンシュタイン「反哲学的断章」)