このブログを検索

2017年6月30日金曜日

荷風と待合所

駅のホームの女のにおいの詩を「むきたてのにおい」にて引用したが、ここでは「駅の待合室」の荷風である。

昭和廿一年八月十六日。晴。殘暑甚し。夜初更屋内のラヂオに追出されしが行くべき處もなければ市川驛省線の待合室に入り腰掛に時間を空費す。怪し氣なる洋裝の女の米兵を待合すあり。町の男女の連立ち來りて凉むもあり。良人の東京より歸來るを待つらしく見ゆるもあり。案外早く時間を消し得たり。驛の時計十時を告げあたりの露店も漸く灯を消さんとす。二十日頃の月歸途を照す。蟲の聲亦更に多し。(永井荷風『断腸亭日乗』)

荷風は市川驛省線の待合室に何度も訪れている。《今年馬齒七十に垂んとして偶然白鷺の舞ふを見て年少氣鋭の徃時を憶ふ。市川寓居の詩趣遂に忘るべからざるものあり》との叙述もある従弟杵屋五叟家族と貸家に同居していた頃の日記である。

若いころの荷風の作品、明治四十四年七月となっており、明治十二年生れの荷風だから三十二歳のときに書かれた「銀座」にも似たような文がある。

……停車場内の待合所は、最も自由で最も居心地よく、聊かの気兼ねもいらない無類上等の 〔Cafe'〕 である。耳の遠い髪の臭い薄ぼんやりした女ボオイに、義理一遍のビイルや紅茶を命ずる面倒もなく、一円札に対する剰銭を五分もかかって持て来るのに気をいら立てる必要もなく、這入りたい時に勝手に這入って、出たい時には勝手に出られる。そしてこの広い一室の中にはあらゆる階級の男女が、時としてはその波瀾ある生涯の一端を傍観させてくれる事すらある。
新橋の待合所にぼんやり腰をかけて、急しそうな下駄の響と鋭い汽笛の声を聞いていると、いながらにして旅に出たような、自由な淋しい好い心持がする。
自分は動いている生活の物音の中に、淋しい心持を漂わせるため、停車場の待合室に腰をかける機会の多い事を望んでいる。何のために茲に来るのかと駅夫に訊問された時の用意にと自分は見送りの入場券か品川行の切符を無益に買い込む事を辞さないのである。(荷風「銀座」)

小説家とは人間観察がまず第一の仕事だろうが(《およそ芸術の制作には観察と同情が必要である》「十日の菊」)、このほぼ四十年近くの間隙をおいた「待合所」のふたつの文は、いかにも荷風らしい。どんな顔をして坐っていたのか。荷風の顔貌なら似合いそうではあるが、待合室に長時間座ってじわりと観察して様になる人間の顔とは、それほど多くなさそうだ。いわゆるインテリ顔ではまったく様にならない。

じろじろ観察しない、穏やかな表情、たとえば笠智衆の飄々とした風貌なら待合室にとても似合いそうではある。




他方、荷風のほうは《身を乗り出すようにして、しばし脇目もふらずに顔をのぞきこむ》という具合に待合室に坐っていたのではないか。おそらく鍵穴を覗くように。




昭和四十年頃に私は或る同人誌に加わっていたが、その同人の一人で戦中にお年頃を迎えた女性がこんな話をしていた。終戦直後、その女性は千葉県のほうにいたらしいのだが、或る日総武線の電車に乗っていたら市川の駅から、荷風散人が乗りこんできた。例の風体をしていて、まず車内をじわりと物色する。それからやおらその女性の席の前に寄ってくると、吊り皮につかまって、身を乗り出すようにして、しばし脇目もふらずに顔をのぞきこむ。

色白の細面、目鼻立ちも爽やかな、往年の令嬢の美貌は拝察された。それにしても荷風さん陣こそ、いかに文豪いかに老人、いかに敗戦後の空気の中とはいえ、白昼また傍若無人な、機嫌を悪くした行きずりの客に撲られる危険はさて措くとしても、当時の日本人としては何と言っても懸け離れた振舞いである。(古井由吉『東京物語考』)

荷風は、戦後一年目の従弟大島一雄(杵屋五叟)家族との同居を、ラヂオや三味線稽古の音に悩まされて逃げ出し、次にフランス文学者小西茂也と同居をすることになる。

「……小西夫妻の寝室の障子には毎晩、廊下ざかひの障子に新しい破れ穴ができて荷風がのぞきに来るらしいといふので、小西の細君がノイローゼ気味になつたのが、小西の荷風に退去を求めた理由であつたと説く者もある」 (半藤一利と新藤兼人、そして松本哉の語る永井荷風 )

精神分析では「のぞき」について次のようなことが言われるが、さて荷風はどうであったか。

窃視者は、常に-既に眼差しに見られている。事実、覗き見行為の目眩く不安な興奮は、まさに眼差しに晒されることによって構成されている。最も深い水準では、窃視者のスリルは、他人の内密な振舞いの盗み見みされた光景の悦楽というより、この盗み行為自体が眼差しによって見られる仕方に由来する。窃視症において最も深く観察されることは、彼自身の窃視である。(RICHARD BOOTHBY, Freud as Philosopher METAPSYCHOLOGY AFTER LACAN,2001ーー眼差しの作家たち

わたくしは荷風と同じくらい安吾を好むが、安吾の荷風批判はいささか容認しがたい。

私が荷風を根柢的に通俗と断じ文学者に非ずと言をなしたのは……筆を執る彼の態度の根本に「如何に生くべきか」が欠けてをり、媚態を画くに当つて人の子の宿命に身を以て嘆くことも身を以て溺れることも身を以てより良く生きんとすることもない。単なる戯作の筆と通俗な諦観のみではないか。(坂口安吾「通俗作家 荷風――『問はず語り』を中心として――」)

戦後一年目の冒頭の文や「馬齒七十に垂んとして偶然年少氣鋭の徃時を憶ふ」で引用した文章群は、《終生ずいぶん身勝手な人だった》らしい荷風なりの「如何に生くべきか」が強く表れている。

……田圃のあるあたりまで来て、前方の農家数軒がおそらく零れ弾を受けて炎上し牛馬が走り出て水に陥るのを見るや、《予は死を覺悟し路傍の樹下に蹲踞して徐に四方の火を觀望す》とある。死を云々とは偏奇館炎上の際にも、身の危険のかなり迫ったはずの東中野罹災の際にも見えない。わずかに二月二十五日の空襲の直前、取って置きのコーヒーに砂糖をたっぷり入れてパイプをふかし、この世に思い残すこと云々の言葉が見えるが、あれとこれとの隔りを思うべきだ。習うほどに剥出しになる、意気地のなくなるのが恐怖である。前方の農家はやがて焼け落ちて火は麦畑を焼きつつおのずから煙となったとある。

爆音が引いて川の堤の上にもどり対岸の市街のいまや酣の炎上を眺めた時には、空がようやく明けて、また雨が俄に降りはじめる。近くの家の軒下に罹災者と一緒にしばらく雨を避けて、火の衰えた市中にもどり、さらに知人を頼って岡山市の西端の田園地帯まで、振分けの荷を肩に雨中一、二里の道を歩む。知人の世話によって野宿を免れたことを、《其恩義終忘るべきにあらず》と書いている。終生ずいぶん身勝手な人だったとも聞いたが。(古井由吉「境を越えて」『東京物語考』

2017年6月29日木曜日

むきたてのにおい

ネットで次の詩を拾った。

「におい」 飯島耕一

五月の雨の日
西荻窪の駅のホームのベンチに坐っていると
隣に一人の若い女が坐り
大学の紀要のようなものを
読みはじめる
アメリカ問題の論文で
筆者は女性の名だ
この若い女の名
かもしれない

雨のせいか
そのみしらぬ女の
実にあまい体臭が
こちらに ただよってくる
苦しいほどの 女の 肉体の
におい
衿にこまかい水玉のネッカチーフをまいている
レインコートを着ている
人間の女のにおい

ようやく下りの電車が入ってきた
顔はとうとう見ることができず
別の車輛に乗った
もう二度と会うこともないか

これが東京だ
人生のにおい
論文なんか 読むのはやめたら
という 一語
をささやいてやるべきだった。


ーーじつにクラクラする詩だ。胸キュンとなってしまう。
大都会の駅のホームに長いあいだ坐ることのない環境におかれているせいかもしれないが。

居酒屋でちょっと似た感じをおぼえた経験がある。
隣で小太りの少女が独りでやけ酒を飲んでいた。
目がうるんでいる。
どうしたんだ? 
三十路なかばのこれまた独酌の彼は彼女にたずねる
女はあいまいな顔をしたまま黙っている
しばらくすると、彼がもっとみにくかったらよかったのに、と呟く
そうしたらわたしだけのものになる

よいにおいのする女だった
顔はぶ―だったが

《ほら、四十にもなって若い娘の顔を見れば、むきたてに見えるでしょう。》(古井由吉『蜩の声』除夜)


「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」 谷川俊太郎

男と女ふたりの中学生が
地下鉄のベンチに座っていてね
チェシャイア猫の笑顔をはりつけて
桃色の歯ぐきで話しあってる

そこへゴワゴワオウヤと地下鉄がやってきて
ふたりは乗るかと思えば乗らないのさ
ゴワゴワオウオと地下鉄は出ていって
それはこの時代のこの行の文脈さ

何故やっちまわないんだ早いとこ
ぼくは自分にかまけてて
きみらがぼくの年令になるまで
見守ってやるわけにはいかないんだよ


ーーやっちまったよ早いとこ、
あんな可憐なこというんだから。

シツレイ! 自慢話めいて
でも下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるってやつさ


2017年6月28日水曜日

音が消え入ってゆく感覚

……彼らが私の注意をひきつけようとする美をまえにして私はひややかであり、とらえどころのないレミニサンス réminiscences confuses にふけっていた…戸口を吹きぬけるすきま風の匂を陶酔するように嗅いで立ちどまったりした。「あなたはすきま風がお好きなようですね」と彼らは私にいった。(プルースト「ソドムとゴモラⅡ」)

川向うから這ってくる音」で、レジーヌ・クレスパン Régine Crespinのシューマン「異郷」にてを貼り付けた(いままでも何回か貼付しているが)。

◆Schumann, Eichendorff Liederkreis Op 39 - 1. In der Fremde (Régine Crespin)





このクレスパンの歌声があたえてくれる感覚と似たものを感じる別の演奏がある。

わたくしはシューマンは比較的よく聴くが、ショパンはあまり聴かない。だがマリラ・ジョナス Maryla Jonasのマズルカを聴いてひどく驚いた。その東欧の土の香りへのかぎりない憧憬と悲哀とでもいうべきもの。もっともわたくしがこう思い込むのは、彼女の履歴を調べてみたせいだが。

◆Maryla Jonas plays Chopin - Mazurka in F major Op. 68, No. 3



それにしてもこの音が遠くからやってきてそして消え入ってゆく感覚ーー、わたくしがこの数年で出会った稀有の演奏である。実に《戸口を吹きぬけるすきま風の匂》を嗅いでクラクラと陶酔させられる。

それは角を曲がったところで待っているものの感覚でもある。

現実界とはただ、角を曲がったところで待っているもの、ーー見られず、名づけられず、だがまさに居合わせているものである。(ポール・バーハウ、Byond gender, 2001)

「開け、胡麻!」といって扉が開き向こうにあるものが垣間見えるのである。 《扉を開く読書、アリババの呪文、魔法の種》(プルースト訳註、ラスキン『胡麻と百合』の注釈より)
ライナーノーツによると、彼女は、1920年、9歳でデビューし、1926年頃からは全ヨーロッパでリサイタルを開くようになります。しかし1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻によって、演奏活動は中断、彼女は強制収容所に収監されてしまいます。7か月以上収監された後、マリラ・ジョナスの演奏を聴いたことがあるドイツ人高官の手助けを得て脱走、徒歩で数か月かけてベルリンのブラジル大使館まで逃亡し、ブラジルへ亡命します。その後、アルトゥール・ルービンシュタインに見出され、1946年にアメリカでのデビューを果たします。このリサイタルを聴いたニューヨーク・タイムズの評論家が彼女を絶賛し、次第に人気がでるようになりますが、厳しい収容所生活のせいもあり、1959年にわずか48年の生涯を閉じてしまいます。マリラ・ジョナス(Maryla Jonas, 1911~1959年)

この数年でもうひとつ驚いたのは、いわゆる総統のピアニストエリー・ナイ Elly Ney のシューマン、Etudes Symphoniques, Variations Posthumes, No. 5だ。




音楽は一見いかに論理的・倫理的な厳密なものであるにせよ、妖怪たちの世界に属している、と私にはむしろ思われる。この妖怪の世界そのものが理性と人間の尊厳という面で絶対的に信頼できると、私はきっぱりと誓言したくはない。にもかかわらず私は音楽が好きでたまらない。それは、残念と思われるにせよ、喜ばしいと思われるにせよ、人間の本性から切り離すことができない諸矛盾のひとつである。(トーマス・マン『ファウスト博士』)

◆My 10 Favorite Women Pianists



この標準の演奏速度からすればひどく遅いテンポの、一音一音刻み込まれる音たち。彼女の演奏するこの Schumann Variations Posthumes (Op. Posthume, Appendix to Op. 13)は冒頭からとてつもなく美しいが、やはり上に切り取られている10:25からが際立っている。

……この運命を私が怖れているとでも思うの? たとえどんなことになろうと、私は怖れることなく、この運命に向かって突き進んで行くつもりよ。断頭台さえ私にとっては逸楽の玉座でしかなく,死ぬことだってものともしないわ、そして己れの大罪の犠牲者として死ぬ快楽、いつの日か全世界を恐怖せしめる快楽にわれを忘れて、私は気をやるのよ。(サド、ボルゲーゼ公爵夫人)


2017年6月27日火曜日

鮮やかな青色トカゲ

夕方、庭を散歩したり水まきしたりするとき、ひどく美しいトカゲにときおりめぐりあう。コバルトブルーというのかエメラルド色というのか、とても鮮やかな青色トカゲである。全身がそうであるものが一匹、首のすこし下から鮮やかな青であるもう一匹。もちろん薄い灰白色や茶褐色のトカゲは数多くいる。

いまネットでblue Lizard の画像を見てみたが、我が家のトカゲほど美しい画像には行き当たらない。ほぼ同じ色のトカゲの画像を貼り付けるが、一匹は全身が次の色なのである。




美しいトカゲならなおさらそうだが、ふううの色のトカゲでも、彼らに行き当たるとしばらく立ち止まって眺めている。

日光に暖められた石の上に
トカゲがはいあがり
動いてはとまり
とまっては動き出す

トカゲが思い出で
私の額は石であろうか
それとも
トカゲが私で
思い出を
はいずり回っているのだろうか

切り落とした
しっぽの黒い数が
白昼
私の歩みを
止める

ーーリルケ「トカゲ」

とはいえ切り落とした尻尾に出会ったことは数度だけである。

トカゲの自傷、苦境のなかの尻尾切り。享楽の生垣での欲望の災難 l’automutilation du lézard, sa queue larguée dans la détresse. Mésaventure du désir aux haies de la jouissance(ラカン,E 853)

だがそうではなくても、トカゲの姿をみていると、人生の「生垣」に穴が開いたという感を催さないではいられない。

人生の通常の経験の関係の世界はあまりいろいろのものが繁茂してゐて永遠をみることが出来ない。それで幾分その樹を切りとるか、また生垣に穴をあけなければ永遠の世界を眺めることが出来ない。要するに通常の人生の関係を少しでも動かし移転しなければ、そのままの関係の状態では永遠をみることが出来ない。(西脇順三郎「あむばるわりあ あとがき(詩情)」より)

あれが「永遠」なのである。西脇にとってもニーチェにとっても。

まさに、ごくわすかなこと、こくかすかなこと、
ごく軽やかなこと、ちょろりと走るとかげ、
一つの息、一つの疾過、一つのまばたきーー
まさに、わずかこそが、最善のたぐいの幸福をつくるのだ。
静かに。――

わたしに何事が起こったのだろう。
聞け! 時間は飛び去ってしまったのだろうか。
わたしは落ちてゆくのではなかろうか。
落ちたのではなかろうか、――
耳をこらせ! 永遠という泉のなかに。

ーーニーチェ『ツァラトゥストラ』

もちろん永遠を垣間見るためには、トカゲでなくてよい場合もある。

なぜ生垣の樹々になる実が
あれ程心をひくものか神々を貫通
する光線のようなものだ(「さんざしの実」)

向うの家ではたおやめが横になり
女同士で碁をうっている(「近代の寓話」)

イボタの繁みから女のせせら笑いが
きこえてくる。(「六月の朝」)

美容師と女あんまは愛らしいひょうたんを
かたむけてシェリー酒をのんでいる(「失われた時」)

坂を上つて行く 女の旅人
突然後を向き
なめらかな舌を出した正午(「鹿門」)

だがこれらの西脇順三郎の詩句に代表される女のなめらかな舌とは、やはりトカゲの舌のことである。

まだこの坂をのぼらなければならない
とつぜん夏が背中をすきとおした
石垣の間からとかげが
赤い舌をペロペロと出している(「最終講義」)

人は「神々しいトカゲ」に巡り合う瞬間を愛しまねばならない。
それは《一瞬よりはいくらか長く続く間の光景》である。

自分がこれだけ生きてきた人生で、本当に生きたしるしとしてなにがきざまれているか? そうやって一所懸命思い出そうとするならば、かれに思い浮ぶのはね、幾つかの、一瞬よりはいくらか長く続く間の光景なのじゃないか?(『燃え上がる緑の木』) 

ニーチェは狂気に陥る直前にトカゲをめぐって決定的な文章を書いている。

ほんとうにこの書は、 岩塊のあいだで日なたぼっこをしている海獣のように、 身をまるめて、幸福そうに、 たっぷり日をあびて寝ころんでいるのだ。 つまるところ、わたし自身がその海獣だったのだ。

この本の一文一文が、ジェノヴァ附近の、 あの岩がごろごろしているところで、 考え出され、生捕りにされたものである、 そのときわたしのそばには誰もいず、 わたしはひとりで海と秘めごとをしていたのだった。

いまでも偶然この本に手を触れることがあると、 ほとんどその中のすべての箇所がわたしには、 何か類のないものをふたたび深みから 引き上げるためのつまみ場所となる。 そしてその引き上げたものの肌全体が、 追憶のかすななおののきによってふるえているのである。

この本における得意の技術は、 軽やかな音もなく走りすぎていくものたち、 わたしが神々しいトカゲ göttliche Eidechsen と名づけている瞬間を、 ちょっとのま釘づけにするという、 けっして容易ではない技術であるーー

といっても、あの若いギリシアの神が あわれなトカゲを突き刺したような残酷さでするのではない。 だが、尖ったもので突き刺すことでは、同じだ、 つまりわたしはペンで突き刺すのだ……

「いまだ輝き出でざるあまたの曙光あり」-- このインドの銘文が、この本の扉にかかげられてある。(ニーチェ『この人を見よ』)



2017年6月25日日曜日

人はこまやかさの欠如によって科学的となる

1844年生れの29歳のときの講義草稿ーー生前は正式な出版されておらず、いわゆる遺稿ーー「道徳外の意味における真理と虚偽 Ueber Wahrheit und Kuge im aussermoralischen Sinne」(1873年)という論は実にすばらしい。いまごろそんなことに気づいたというのは忸怩たらざるを得ない。人はこのニーチェの生涯を通しても最高の言語論ーーすくなくとももっともよくまとまった言語論ーーをなによりもまず読まねばならない。

わたくしは独語には縁のない身であるがーー100語ぐらいの単語をシッテイル程度であるーー、ここでは独原文も併記しよう。

なおわれわれは、概念 Begriffe の形成について特別に考えてみることにしよう。すべて語Wortというものが、概念になるのはどのようにしてであるかと言えば、それは、次のような過程を経ることによって、直ちにそうなるのである。つまり、語というものが、その発生をそれに負うているあの一回限りの徹頭徹尾個性的な原体験 Urerlebnis に対して、何か記憶というようなものとして役立つとされるのではなくて、無数の、多少とも類似した、つまり厳密に言えば決して同等ではないような、すなわち全く不同の場合も同時に当てはまるものでなければならないとされることによってなのである。すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生するのである Jeder Begriff entsteht durch Gleichsetzen des Nichtgleichen。

Denken wir besonders noch an die Bildung der Begriffe. Jedes Wort wird sofort dadurch Begriff, daß es eben nicht für das einmalige ganz und gar individualisierte Urerlebnis, dem es sein Entstehen verdankt, etwa als Erinnerung dienen soll, sondern zugleich für zahllose, mehr oder weniger ähnliche, daß heißt streng genommen niemals gleiche, also auf lauter ungleiche Fälle passen muß. Jeder Begriff entsteht durch Gleichsetzen des Nichtgleichen.
一枚の木の葉が他の一枚に全く等しいということが決してないのが確実であるように、木の葉という概念が、木の葉の個性的な差異性 Verschiedenheiten を任意に脱落させ、種々相違点を忘却することによって形成されたものであることは、確実なのであって、このようにして今やその概念は、現実のさまざまな木の葉のほかに自然のうちには「木の葉」そのものとでも言い得る何かが存在するかのような観念 Vorstellung を呼びおこすのである。つまり、あらゆる現実の木の葉がそれによって織りなされ、描かれ、コンパスで測られ、彩られ、ちぢらされ、彩色されたでもあろうような、何か或る原形 Urform というものが存在するかのような観念 Abbild を与えるのである。

So gewiß nie ein Blatt einem andern ganz gleich ist, so gewiß ist der Begriff Blatt durch beliebiges Fallenlassen dieser individuellen Verschiedenheiten, durch ein Vergessen des Unterscheidenden gebildet und erweckt nun die Vorstellung, als ob es in der Natur außer den Blättern etwas gäbe, das "Blatt" wäre, etwa eine Urform, nach der alle Blätter gewebt, gezeichnet, abgezirkelt, gefärbt, gekräuselt, bemalt wären, aber von ungeschickten Händen, so daß kein Exemplar korrekt und zuverlässig als treues Abbild der Urform ausgefallen wäre.(ニーチェ「道徳外の意味における真理と虚偽についてÜber Wahrheit und Lüge im außermoralischen Sinne」1873年)

今の上の訳文は、柄谷行人が『マルクスその可能性の中心』(1978年)の冒頭近く(手元の文庫本では、p.19)にて「哲学者の本」という題名で引用しているものである(訳者不明)。

独語にまったく疎い身として文句をつけるつもりは毛頭ないが、《観念 Vorstellung》、《観念 Abbild》と訳されているところだけに注意しておこう。前者は通常は「表象」(ラカン派的にはシニフィアンとされることもある)、後者は独英辞典をみると、「Abbild:image、picture、effigy、portrayal、simulacrum、copy、likeness、reflection」とある。訳語のなかにシミュラークルという語が出現しているのに注目したい。

さらに《すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生する Jeder Begriff entsteht durch Gleichsetzen des Nichtgleichen》などという文があったり、《差異性 Verschiedenheiten 》などという用語も出現する。

まるで20世紀後半のいわゆる「現代思想」のエキスのような文ではないか。

ここでニーチェに敬意を表しつつ、《すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生する》を意訳して、《すべての思考は、同一でないものを同一化することによって、発生する》としておこう。

われわれは、思考にとって「AはAである」A est A ということが昔からいかなる困難を引き起こしてきたかを知っている。「AはAである」というとき、AがかくもAならば、なぜAを自分自身から切り離し、すぐに置き戻すのであろうかというものである。Si l’A est tant A que ça, qu’il y reste ! Pourquoi le séparer de lui-même pour si vite le rassembler ?(ラカンセミネール9「同一化」15 Novembre 1961)

さて最近の邦訳はどうなっているのか、とネット上で探れば次の訳文に行き当たったのでここに貼り付けておく。

それぞれの語は次の過程によってただちに概念となるのである。それぞれの語が成立の母体と仰いでいる一回限りの、徹底して個性化された根源体験のために、それぞれの語になにか記憶の役を果たさせようというのではなくて、多少とも似ている無数の事例に、すなわち厳密に考えれば断じて等しくはない、よってまったく不同の事例に、おのおのの語が当てはまらなければならないということによってである。あらゆる概念は等しからざるものの等値によって成立する。

一枚の木の葉が他の一枚とまったく同じだということが断じてないのは確実であるが、それと同じように確実に、木の葉という概念はこうした個性的な多くの差異を任意に棄て去ることによって、つまり相違点を忘却することによって形成されたものである。そしてこの概念は、自然のなかにはさまざまな木の葉のほかに、 「木の葉」そのものとでもいえるようななにかあるものが、すなわちあらゆる木の葉がそれに則って織られ、描かれ、測られ、彩色され、縮らされ、塗られるようななにかある原型が存在しているかのような観念 を呼びさますのである。(ニーチェ「道徳外の意味における真理と虚偽について」1873年)

柄谷行人は『マルクスその可能性の中心』の冒頭近くで、初期マルクスの「エピクロスとデモクリトスにおける自然哲学の差異」を論じるなかで、冒頭にかかげたニーチェ文を引用した後、次のように記している。

マルクスにとって、読むことは、このような「原形」としてエピクロスに対して、「差異性」としてのそれを見出すことである。哲学的真理が「すりきれたメタフォア」(ニーチェ)であるならば、逆にメタフォリカルに思考することこそ思考することなのだ。歴史的に累積された「厳密さ」を笑うような場において、哲学が根こそぎ揺すぶれれるのである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)

柄谷が直接には引用していない「すりきれたメタフォア」の箇所は、少し前に「真理は女である。ゆえに存在しない」において拾っている。

真理とは錯覚である。人が錯覚であることを忘れてしまった錯覚である。 真理とは、擦り切れて感覚的力が干上がった隠喩である。使い古されて肖像が消え、もはや貨幣としてではなく、金属として見なされるようになってしまった貨幣である。(ニーチェ「道徳外の意味における真理と虚偽について」1873年)

この箇所はロラン・バルトも引用している、《ニーチェは、《真理》とは古い隠喩の凝固したものに他ならない、といった》(『テクストの快楽』)。

さらにバルトから次の文を抜き出しておく。

彼は日ごろ“科学”を怪しいものとにらんでおり、その《無差異性》(ニーチェの用語)、その無=差異性を、非難していた。なにしろ学者たちはその無差異性ないし無関心をもって“法”とし、みずからをその“法”の検察官に任じていたのだ。けれどもその求刑は、“科学”を《ドラマ化する》(“科学”に差異の力、テクスト的効果を取り戻してやる)ことが可能となったときには、必ず取り下げられるのであった。当人たちの内部に、ある乱れ、わななき、狂者、妄想、屈折が検出されるような、そういう科学者たちが、彼は好きだった。(……)

いつもニーチェを思う。私たちは、こまやかさの欠如によって科学的となるのだ。――それとは反対に、ユートピーによって、私はドラマ的でこまやかな科学を思い描いている。それは、アリストテレス的命題をカーニヴァル的に転倒させることをめざし、たとえ一瞬間であっても、あえて、《存在するのは差異の科学だけだ》と考える、そういう科学である。(『彼自身によるロラン・バルト』)

われわれは、21世紀になっても、29歳のニーチェに実は誰もまったく届いていないのではないか、と疑わねばならない。とくに最近は「思い上がった科学的精神」の輩がウヨウヨしているのだから。なかんずく何の留保もなしにエビデンスなんたらといっている連中が(参照:エビデンスに基づく「科学的」精神)。

さらにここで、「「遠近法」、あるいは「自然は存在しない」」で引用した文を再掲しておこう。

・科学が憩っている信念は、いまだ形而上学的信念である。daß es immer noch ein metaphysischer Glaube ist, auf dem unser Glaube an die Wissenschaft ruht

・物理学とは世界の配合と解釈にすぎない。dass Physik auch nur eine Welt-Auslegung und -Zurechtlegung

・我々は、線・平面・物体・原子、あるいは可分的時間・可分的空間とかいった、実のところ存在しないもののみを以て操作する。Wir operieren mit lauter Dingen, die es nicht gibt, mit Linien, Flächen, Körpern, Atomen, teilbaren Zeiten, teilbaren Räumen (ニーチェ『 悦ばしき知 Die fröhliche Wissenschaft』1882年)

…………

柄谷行人の言語をめぐる決定的洞察は、マルクスから来ているというより、ニーチェから来ているとしたほうがよい(参照:最も基本的なところから始めよう)。

言語とはもともと言語についての言語である。すなわち、言語は、たんなる差異体系(形式 体系・関係体系)なのではなく、自己言及的・自己関係的な、つまりそれ自身に対して差異的であるところの、差異体系なのだ。自己言及的(セルフリファレンシャル)な形式体系ある いは自己差異的(セルフディファレンシャル)な差異体系には、根拠がなく、中心がない。あ るいはニーチェがいうように多中心(多主観)的であり、ソシュールがいうように混沌かつ過剰である。ラング(形式体系)は、自己言及性の禁止においてある。( 柄谷行人「言語・数・ 貨幣」『内省と遡行』所収、1985 年)

もちろんニーチェの考え方はヘーゲルにすでにある、という観点があるのは知らないではないが、ほとんど掠った程度でしかないヘーゲルについてはこの際、無視させていただく。


味噌ノ味噌クサキ、鰹節ノカツヲクサキ

総ジテ何ニヨラズ、物ノ臭気ノスルハ、ワルキモノニテ、味噌ノ味噌クサキ、鰹節ノカツヲクサキ、人デ、学者ノ学者クサキ、武士ノ武士クサキガ、大方ハ胸ノワルイ気味ガスルモノナリ。(堀景山『不尽言』)

いやあ考え込んでしまった。蚊居肢子は、すでにお分りになっておられるように、景山などをまさかは読むことはない。 小林秀雄の『本居宣長』に引用されていたものを拾っただけである。

たしかに女ノ女クサキハ胸ノワルイ気味ガスルものである。日本酒の日本酒くさき、白ワインの白ワインくさきもいけない。水にちかくなればなるほどよい。ではなぜ水を飲むだけにしておかないのかという問いはここでは不問にする。じつに答えがたい難問なのだから。

ところで蚊居肢子は赤ワインの赤ワインくさき、タンニン臭のひどく濃厚な赤ワインを好む。いわゆる「フルボディ」というやつである。そしてチーズのチーズくさきやつをすこしずつつまみながら飲むのをひどく好む。

妻の友人がかつてイタリア大使館でコック長をやっていた伊人と結婚して、この夫妻は街中でレストランをやっているのだが、彼は赤ワインだけは北方のフルボディを好む。この夫妻のおかげで、質のよいワインとチーズを比較的安価に手に入れることができる。

なにはともあれ景山のいうことは、必ずしもあてはまらない気がする。

そもそもこう記してみると、「フルボディ」の女に胸がわるくなるなどというのも、どこか嘘っぽいようにさえ思えてくる。

じつは蚊居肢子が好まないのはコビト臭ではなかろうか。

万人向けの書物はつねに悪臭を放つ書物であり、そこには小人臭がこびりついている。(ニーチェ『善悪の彼岸』)

万人向けの美女はいけない、ただそれだけではなかろうか。

ーーなぜか急に、八丁味噌を焦がしてさらにいっそう八丁味噌臭くしたものをつまみにして日本酒の日本酒くさきやつーー質がわるいので長いあいだ飲み残しているやつーーを飲んでみたくなってきた。

※夕食後談

あの日本酒の日本酒くさきやつが一升瓶三分の一ほど残っていたのだが、全部飲もうとしたら妻にとめられた。これは烏賊の塩辛用であり、全部飲んじゃったら、もう作らないわよ、と・・・当地では質の悪い日本酒でも30キロ先の街中までわざわざ買いにいかねばならないのである。米焼酎なら近場でいくらでもある。妻の御蔭で、米焼酎と八丁味噌を焦がしたのもすこぶるいけるのを発見した。




2017年6月24日土曜日

川向うから這ってくる音

荷風の「鐘の音」を読んで遠くからの響きに魅せられた記憶が浮かんできた。鐘の音ではない。電車の通りすぎる音。曇り日は晴れた日よりよく聞こえてきた。

若いころ桂川沿いに建った古いマンションに十年弱住んだ。六階の桂川側が全面ガラスになった居間から、川向うを臙脂色をした車両がゆっくりと走ってゆくのが見える。あの阪急電車の色はとても美しい。そして二百メートルよりやや遠い先からときたま聞こえてくるあの響き。

何か物を考えている時でもそのために妨げ乱されるようなことはない。そのまま考に沈みながら、静に聴いていられる音色である。また何事をも考えず、つかれてぼんやりしている時には、それがためになお更ぼんやり、夢でも見ているような心持になる。(荷風「鐘の音」)

ああそうだった、とくに雨の日に低く這ってくるあの響きは。

たしか三年ほど前だったか、この荷風の小品を読んだときには何とも思わなかった。荷風らしい情緒あふれる随筆だと思ったかどうかもあやしい。作品が心に触れるかどうかはわたくしの場合、偶然なことが多い。音楽だってそうだ。魂の向きが作品に感応する具合になっていないといけない。今回は《埒もないむかしの思出》にいざなわれてしまった。

ふと耳にする鐘の音は、机に頬杖をつく肱のしびれにさえ心付かぬほど、埒もないむかしの思出に人をいざなうことがある。死んだ友達の遺著など、あわてて取出し、夜のふけわたるまで読み耽けるのも、こんな時である。(「鐘の音」)

◆Schumann, Eichendorff Liederkreis Op 39 - 1. In der Fremde (Régine Crespin)



In der Fremde 異郷にて

Aus der Heimat hinter den Blitzen rot   
Da kommen die Wolken her,          
Aber Vater und Mutter sind lange tot,    
Es kennt mich dort keiner mehr.        
Wie bald, ach wie bald kommt die stille Zeit,
Da ruhe ich auch, und über mir         
Rauscht die schöne Waldeinsamkeit,     
Und keiner kennt mich mehr hier.       

稲妻の赤くきらめく彼方、
故郷の方から、雲が流れてくる。
父も母も世を去って久しく
あそこではもう私を知るひともない。
私もまたいこいに入る、その静かな時が
ああ、なんとまぢかに迫っていることだろう,
美しい、人気のない森が私の頭上で葉ずれの音をさせ
ここでも私が忘れられる時が。

 

2017年6月23日金曜日

馬齒七十に垂んとして偶然年少氣鋭の徃時を憶ふ

◆永井荷風『葛飾土産』
市川の町に来てから折々の散歩に、わたくしは図らず江戸川の水が国府台の麓の水門から導かれて、深く町中に流込んでいるのを見た。それ以来、この流のいずこを過ぎて、いずこに行くものか、その道筋を見きわめたい心になっていた。これは子供の時から覚え初めた奇癖である。何処ということなく、道を歩いてふと小流れに会えば、何のわけとも知らずその源委がたずねて見たくなるのだ。来年は七十だというのにこの癖はまだ消え去らず、事に会えば忽ち再発するらしい。雀百まで躍るとかいう諺も思合されて笑うべきかぎりである。
朽ちた丸木橋の下では手拭を冠った女たちがその時々の野菜を洗って車に積んでいる。たまには人が釣をしている。稲の播かれるころには殊に多く白鷺が群をなして、耕された田の中を歩いている。
子供の手を引いて歩いてくる女連の着物の色と、子供の持っている赤い風船の色とが、冬枯した荒凉たる水田の中に著しく目立って綺麗に見える。

いやあ荷風というのは実にいい。とくに終戦直後の荷風というのは絶品である。


◆荷風戰後日歴 永井荷風
昭和廿一年一月一日(熱海にて) 

一月初一。晴れて風なし。またとはなき好き元旦なるべし。去年の暮町にて購ひ來りし暦を見て、久振に陰暦の日を知り得たり。今日は舊十一月廿八日なるが如し。世の噂によれば諸會社株配當金も去年六月以後皆無となりしのみならず、今年は個人の私有財産にも二割以上の税かゝると云。今日まで余の生活は株の配當金にて安全なりしが、今年よりは賣文にて餬口の道を求めざるべからず。去秋以後收入なきにあらねど、そは戰爭中徒然のあまり筆とりし草稿、幸にして燒けざりしを售りしが爲なり。七十歳近くなりし今日より以後、余は曾て雜誌文明を編輯せし頃の如く筆執ることを得るや否や。六十前後に死せざりしは此上もなき不幸なりき。老朽餓死の行末思へばおそろし。朝飯を節するがため褥中に書を讀み、正午に近くなるを待ち階下の臺所に行き葱と人參とを煮、麥飯の粥をつくりて食ふ。食後炭火なければ再び寐床に入り西洋紙に鉛筆にて賣文の草稿をつくる。
一月十四日。晴。暖。東京の諸友に市川へ轉居の事を報ず。
一月十八日。晴。近巷空地林園多くして靜なり。時節柄借家としては好き方なるべし。省線市川の停車場まで十五分ばかりと云。
一月廿二日。晴。暖氣春の如し。疥癬愈甚しければ午前近巷の醫師を尋ねて治を請ふに、傳染せし當初なれば治し易き病なれど、全身に蔓衍しては最早や藥治の能くすべきところならず。硫黄を含む温泉に浴するより外に道なしと言へり。醫師また言ふ。これ歸還兵の戰地より持ちかへりし病にて、國内傳染の患者甚多しとなり。驛前の市場にて惣菜物蜜柑等を購ひ、京成線路踏切を越え松林欝々たる小徑を歩む。人家少く閑地多し。林間遙に一帶の丘陵を望む。通行の人なければ樹下の草に坐し鳥語をきゝつゝ獨り蜜柑を食ふ。風靜にして日の光暖なれば覺えず瞑想に沈みて時の移るを忘る。この小徑より數丁、垣根道を後に戻れば寓居の門前に至るを得るなり。この地に居を移してより早くも一週日を經たれど驛前に至る道より外未知る處なし。されど門外の松林深きあたり閑靜頗る愛すべく、世を逃れて隱れ住むには適せし地なるが如し。
三月初九。晴。風歇みて稍暖なり。午前小川氏來り草稿の閲讀を乞ふ。淺草の囘想記なり。町を歩みて人參を買ふ。一束五六本にて拾圓なり。新圓發行後物價依然として低落の兆なし。四五月の頃には再度インフレの結果私財沒收の事起るべしと云。去年此日の夜半住宅燒亡。藏書悉く灰となりしなり。 
五月十九日。日曜日。晴。午前扶桑書房主人白米五升を贈らる。午後門外を歩むに耕したる水田に鳥おどしの色紙片々として風に翻るを見る。稻既に蒔かれしなるべし。時に白鷺二三羽貯水池の蘆間より空高く飛去れり。余の水田に白鷺の歩むを見、水流に翡翠の飛ぶを見たりしは逗子の別墅に在りし時、また曉明吉原田圃を歩みし頃の事にして、共に五十年に近きむかしなり。今年馬齒七十に垂んとして偶然白鷺の舞ふを見て年少氣鋭の徃時を憶ふ。市川寓居の詩趣遂に忘るべからざるものあり。

もちろん惚れ惚れするのは終戦直後のものだけではない。

◆『鐘の音』(昭和十一年三月)
住みふるした麻布の家の二階には、どうかすると、鐘の声の聞えてくることがある。 

鐘の声は遠過ぎもせず、また近すぎもしない。何か物を考えている時でもそのために妨げ乱されるようなことはない。そのまま考に沈みながら、静に聴いていられる音色である。また何事をも考えず、つかれてぼんやりしている時には、それがためになお更ぼんやり、夢でも見ているような心持になる。西洋の詩にいう揺籃の歌のような、心持のいい柔な響である。
この年月の経験で、鐘の声が最もわたくしを喜ばすのは、二、三日荒れに荒れた木枯しが、短い冬の日のあわただしく暮れると共に、ぱったり吹きやんで、寒い夜が一層寒く、一層静になったように思われる時、つけたばかりの燈火の下に、独り夕餉の箸を取上げる途端、コーンとはっきり最初の一撞きが耳元にきこえてくる時である。 驚いて箸を持ったまま、思わず音のする彼方を見返ると、底びかりのする神秘な夜の空に、宵の明星のかげが、たった一ツさびし気に浮いているのが見える。枯れた樹の梢に三日月のかかっているのを見ることもある。
……まだ夜にはなりきらない頃、読むことにも書くことにも倦み果てて、これから燈火のつく夜になっても、何をしようという目当も楽しみもないというような時、ふと耳にする鐘の音は、机に頬杖をつく肱のしびれにさえ心付かぬほど、埒もないむかしの思出に人をいざなうことがある。死んだ友達の遺著など、あわてて取出し、夜のふけわたるまで読み耽けるのも、こんな時である。
若葉の茂りに庭のみならず、家の窓もまた薄暗く、殊に糠雨の雫が葉末から音もなく滴る昼過ぎ。いつもより一層遠く柔に聞えて来る鐘の声は、鈴木春信の古き版画の色と線とから感じられるような、疲労と倦怠とを思わせるが、これに反して秋も末近く、一宵ごとにその力を増すような西風に、とぎれて聞える鐘の声は屈原が『楚辞』にもたとえたい。

2017年6月22日木曜日

一次過程/二次過程

フロイトの『快原理の彼岸』には、一次過程/二次過程が、「自由に運動する備給(カセクシス)」 /「拘束された備給、あるいは硬直性の備給」にかかわるものと整理されている。

私は無意識におけるこの種の過程を、心的「一次過程 Primärvorgang」と命名した。それは、われわれの正常な覚醒時の生活にあてはまる「二次過程 Sekundärvorgang 」と区別するためである。

欲動の蠢き Triebregungen は、すべてシステム無意識 unbewußten Systemen にかかわる。ゆえに、その欲動の蠢きが一次過程に従うといっても別段、事新しくない。また、一次過程をブロイアーの「自由に運動する備給(カセクシス)」frei beweglichen Besetzung と等価とし、二次過程を「拘束された備給」あるいは「硬直性の備給」gebundenen oder tonischen Besetzung と等価とするのも容易である。

その場合、一次過程に従って到来する欲動興奮 Erregung der Triebe を拘束することは、心的装置のより高次の諸層の課題だということになる。

この拘束の失敗は、外傷性神経症 traumatischen Neuroseに類似の障害を発生させることになろう。すなわち拘束が遂行されたあとになってはじめて、快原理(およびそれが修正されて生じる現実原理)の支配がさまたげられずに成就されうる。

しかしそれまでは、興奮を圧服 bewaeltigenあるいは拘束 bindenするという、心的装置の(快原理とは)別の課題が立ちはだかっていることになり、この課題はたしかに快原理と対立しているわけではないが、快原則から独立しており、部分的には快原理を無視することもありうる。(フロイト『快原理の彼岸』1920年)

「一次過程/二次過程」とは、1900年には次のような形で現れる。

私は心の装置における心的過程の一方を「一次的なもの primären」と名づけたが、私がそう名づけたについては、地位の上下や業績能力を顧慮したばかりではなく、命名によって時間的関係をも同時にいい現わそうがためであった。

「一次過程 Primärvorgang」しか持たないような心的装置は、なるほどわれわれの知るかぎりにおいては存在しないし、また、その意味でこれは理論的仮構 Fiktionにすぎない。しかし二次的な sekundären 過程が人間生活の歴史上で漸次形成されていったのに反して、一次過程 Primärvorgänge は人間の心のうちにそもそもの最初から与えられていたということだけは事実である。そしてこの二次過程は一次過程を阻止してそれを覆い隠し、そしておそらくは人生の頂上をきわめるころおいにおいてはじめて完全に一次過程を支配するにいたるものなのである。

「二次過程 sekundären Vorgänge 」の、こういう遅まきの登場のために、無意識的願望衝動からなっているところの「我々の存在の核 Kern unseres Wesens」は、無意識に発する願望衝動 Wunschregungenにもっとも合目的的な道を指し示すという点にのみその役割を制限されているところの前意識Vorbewußteにとっては把握しがたく、また、阻止しがたいものとなっている。(フロイト『夢判断』1900年)

「一次過程」にかかわるもの、あるいは「我々の存在の核」は、前意識にとっては把握しがたい、とある。冒頭に引用した『快原理の彼岸』には、《欲動の蠢き Triebregungen は、すべてシステム無意識 unbewußten Systemen 》にかかわり、かつ《欲動の蠢きが一次過程に従う》とあった。

システム無意識/システム前意識との関連では次のように記されている。

・ システム前意識においては、二次過程が支配している。Im System Vbw herrscht der Sekundärvorgang

・一次過程(備給の可動性)は、無時間的であり、外的現実を心的現実に置換する。これはシステム無意識に属する過程のなかに見出しうる。

Primärvorgang (Beweglichkeit der Besetzungen), Zeitlosigkeit und Ersetzung der äußeren Realität durch die psychische sind die Charaktere, die wir an zum System Ubw gehörigen Vorgängen zu finden erwarten dürfen.(フロイト『無意識』1915年)

äußeren Realität durch die psychische に現れる表現が、ラカン派では「心的現実 psychische Realität」という表現として、現実界の別の名とされる。

システム無意識/システム前意識とは、以下の文にあらわれる「システム無意識あるいは原抑圧」と「力動的無意識あるいは抑圧された無意識」である。

フロイトは、「システム無意識あるいは原抑圧」と「力動的無意識あるいは抑圧された無意識」を区別した。

システム無意識は欲動の核の身体への刻印であり、欲動衝迫の形式における要求過程化である。ラカン的観点からは、まずは過程化の失敗の徴、すなわち最終的象徴化の失敗である。

他方、力動的無意識は、「誤った結びつき eine falsche Verkniipfung」のすべてを含んでいる。すなわち、原初の欲動衝迫とそれに伴う防衛的エラヴォレーションを表象する二次的な試みである。言い換えれば症状である。

フロイトはこれをAbkömmling des Unbewussten(無意識の後裔)と呼んだ。これらは欲動の核が意識に至ろうとする試みである。この理由で、ラカンにとって、「力動的あるいは抑圧された無意識」は無意識の形成と等価である。力動的局面は症状の部分はいかに常に意識的であるかに関係する、ーー実に口滑りは声に出されて話されるーー。しかし同時に無意識のレイヤーも含んでいる。(ポール・バーハウ、2004、On Being Normal and Other Disorders A Manual for Clinical Psychodiagnosticsーー非抑圧的無意識 nicht verdrängtes Ubw と境界表象 Grenzvorstellung (≒ signifiant(Lⱥ Femme)

この一次過程/二次過程は、次のような形でも叙述されている。

われわれが意識的対象表象 Objektvorstellung とよぶことのできるものは、いまや言語表象 Wortvorstellung と事物表象 Sachvorstellung とにわけられる。それは、直接の事物記憶像ではなく、それより杳かな entfernter 記憶痕跡 Erinnerungsspuren の充当によって成りたつのである。

いまとつぜんわれわれは、意識的表象がなにによって無意識的表象から区別されるかがわかると思う。両者は、われわれが考えたように、異なった心的場における同一の内容の異なった記憶ではなく、またおなじ場における異なった機能的な充当でもなく、意識的表象は、事物表象とそれに属する言語表象とをふくみ、無意識的表象はたんに事物表象だけなのである。

システム無意識 System Ubw は対象の事物充当つまり最初で本来の対象充当をふくんでいる。システム前意識 System Vbw は、この事物表象が、それに相応する言語表象と結合して重層充当をうけることによって生ずる。このような重層充当は、高次の心的体制をもたらし、一次過程 Primärvorgangesを、「前意識 Vbw」を支配している二次過程Sekundärvorgang によって交代することを可能にするものであると、推測することができる。(フロイト『無意識』)

一体われわれが思いださない回想とはなんであろう?」と「プラトン/プルーストのレミニサンス」にて記したことに依拠しつつ憶測すれば、おそらくフロイトの「一次過程/二次過程」とは、プルーストの「無意志的なもの(強制されるもの)/積極的な意志」に大いにかかわる。そしてラカン=アリストテレスのテュケー/オートマンに(現実界との出会い rencontre du réel/シニフィアンのネットワーク réseau de signifiants)。

ラカンにとってテュケーという現実界は、《書かれぬことを止めぬもの C'est ce qui ne cesse pas de ne pas s'écrire》(ラカン、S20)である。これはまさに強制されるということである。そしてそれはドゥルーズの潜在的対象にもかかわる。《潜在的対象 l'objet virtuel は、二つの現実的系列 deux séries réelles の間で、たえず循環し遷移することをやめない ne cesse de circuler et de se déplacer。》(ドゥルーズ『差異と反復』1968)

ドゥルーズの別の表現であるなら、《強制された運動の機械(タナトス)machines à movement forcé (Thanatos)》である(参照:三種類の運動)。

「無意志的なもの(強制されるもの)/積極的な意志」は、ドゥルーズ=プルーストには例えば次のような形であらわれる。

哲学者には、《友人》が存在する。プルーストが、哲学にも友情にも、同じ批判をしているのは重要なことである。友人たちは、事物や語の意味作用について意見が一致する、積極的意志 esprits de bonne volonté のひとたちとして、互いに関係している。彼は、共通の積極的意志の影響下にたがいにコミュニケーションをする。哲学は、明白で、コミュニケーションが可能な意味作用を規定するため、それ自体と強調する、普遍的精神の実現のようなものである。

プルーストの批判は、本質的なものにかかわっている。つまり、真実は、思考の積極的意志 la bonne volonté de penser にもとづいている限り、恣意的で抽象的なままだというのである。慣習的なものだけが明白である。つまり、哲学は、友情と同じように、思考に働きかける、影響力のある力、われわれに無理やりに考えさせるもろもろの決定力が形成される、あいまいな地帯を無視している。

思考することを学ぶには、積極的意志や、作り上げられた方法では決して十分ではない。真実に接近するには、ひとりの友人では足りない。ひとびとは慣習的なものしか伝達しない。人間は、可能なものしか生み出さない。哲学の真実には、必然性と、必然性の爪が欠けている。実際、真実はおのれを示すのではなく、おのずから現れるのである。それはおのれを伝達せず、おのれを解釈する。真実は望まれたものではなく、無意志的 involontaire である。.

『見出された時』の大きなテーマは、真実の探求が、無意志的なもの involontaire に固有の冒険だということである。思考は、無理に思考させるもの、思考に暴力をふるう何かがなければ、成立しない。思考より重要なことは、《思考させる donne à penser》ものがあるということである。哲学者よりも、詩人が重要である plus important que le philosophe, le poète。…『見出された時』にライトモチーフは、「強制する forcer」という言葉である。たとえば、我々に見ることを強制する印象とか、我々に解釈を強制する出会いとか、我々に思考を強制する表現、などである。

(……)われわれは、無理に contraints、強制されて forcés、時間の中でのみ真実を探求する。真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である 。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは、天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらくは創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密な圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともの、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「思考のイマージュ」の章)

フロイトの一次過程をめぐる記述に《無時間的 Zeitlosigkeit》とあった。これはプルーストの《時間の外 dehors du temps》、あるいは《超時間的 extra-temporel》と相同的である、とわたくしは思う。

ところでこの原因を、 私はこうした様々な至福の印象を比較することによって見抜いたが、そうした印象は互いのうちで次のような共通点を持っていた。というのは、皿に当たるスプーンの音、不揃いな敷石、マドレーヌの味などを、現在の瞬間において感じると同時に、遠い過去の瞬間においても感じていた結果、私は過去を現在に食い込ませることになり、 自分のいるのが過去なのか現在なのかも判然としなくなっていた、ということだ。実を言うと、その時私のなかでこの印象を味わっていた存在は、その印象の持っている昔と今とに共通のもの、 超時間的なもの extra-temporel のなかでこれを味わっていたのであり、その存在が出現するのは、現在と過去のあいだにあるあのいろいろな同一性の一つによって、その存在が生きることのできる唯一の環境、物の本質を享受できる唯一の場、すなわち時間の外 dehors du temps に出たときでしかないのだった。そのことが知らず知らずにプチット・マドレーヌの味を再認した瞬間に、死にかんする私の不安がやんだ理由を説明してくれるものだった。 なぜならこのときの私は超時間的 extra-temporel な存在であり、したがって将来に訪れる苦難も気にしない存在だったからだ。つまりこうした存在は、行動したり、物を直接的に享受したりするときではなく、それ以外のところで、 二つのものの類似の奇跡が私を現在時からのがれさせるそのたびごとに私のところへやって来て、その姿をあらわしたにすぎなかった。(プルースト『見出された時』)
Or cette cause, je la devinais en comparant ces diverses impressions bienheureuses et qui avaient entre elles ceci de commun que je les éprouvais à la fois dans le moment actuel et dans un moment éloigné, jusqu'à faire empiéter le passé sur le présent, à me faire hésiter à savoir dans lequel des deux je me trouvais; au vrai, l'être qui alors goûtait en moi cette impression la goûtait en ce qu'elle avait de commun dans un jour ancien et maintenant, dans ce qu'elle avait d'extra-temporel, un être qui n'apparaissait que quand, par une de ces identités entre le présent et le passé, il pouvait se trouver dans le seul milieu où il pût vivre, jouir de l'essence des choses, c'est-à-dire en dehors du temps. Cela expliquait que mes inquiétudes au sujet de ma mort eussent cessé au moment où j'avais reconnu inconsciemment le goût de la petite madelaine, puisqu'à ce moment-là l'être que j'avais été était un être extra-temporel, par conséquent insoucieux des vicissitudes de l'avenir. Cet être-là n'était jamais venu à moi, ne s'était jamais manifesté, qu'en dehors de l'action, de la jouissance immédiate, chaque fois que le miracle d'une analogie m'avait fait échapper au présent.79

2017年6月21日水曜日

プラトン/プルーストのレミニサンス

ドゥルーズはプラトンとプルーストのレミニサンスを比較している。

ドゥルーズのいう《プラトンのレミニサンス réminiscence platonicienne》とは、プラトンの「想起」、またプルースト「レミニサンス」用語に馴染んでいる日本では、奇妙な表現に思えるかもしれない。

今ネットから行き当たりばったりに拾えば、次のような言い方がなされている。《une remémoration, ou réminiscence (nom qui est resté attaché à cette conception platonicienne)》。

仏語には疎いが、おそらくプラトンの場合、「想起 remémoration」とされることが多いのではないか。わたくしはラカンの次の文を読んで、てっきりそう思っていた。

私は…問題となっている現実界 le Réel は、一般的にトラウマ traumatismeと呼ばれるものの価値を持っていると考えている。…これは触知可能である…人がレミニサンス réminiscence と呼ぶものに思いを馳せることによって。…レミニサンス réminiscence は想起 remémoration とは異なる。(ラカン、S.23, 13 Avril 1976)

おそらくプラトンのレミニサンス/プルーストのレミニサンスとは、象徴界にかかわる想起/現実界にかかわる想起/と考え得るのではなかろうか?

ラカン=アリストテレス用語なら、オートマン/テュケーである。

ラカンは、アリストテレスの『自然学』から、二種類の偶然性 αύτόματον [ automaton ]/τύχη [ tuché ]という言葉を取り上げ、「シニフィアンのネットワーク réseau de signifiants」の 内部での蓋然的偶然としてのオートマン automaton と、「現実界との出会い rencontre du réel」としての遇発性であるテュケー tuché を語っている。だがいまはこれ以上触れまい(参照)。

話を戻せば、もともと réminiscence という語そのものも、「想起」や「回想」と訳して何も奇妙ではない語の筈である。プルーストの場合、特別な使用法がなされているので、ときに「レミニサンス」とされる場合があるだけである(プルーストいよるレミニサンスあるいは無意志的記憶をめぐる基本的考え方は「一体われわれが思いださない回想とはなんであろう?」を参照のこと)。


さてドゥルーズによる二人のレミニサンスの相違をめぐる叙述である。

◆ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』第第二部「アンチロゴス」(1970年第二版より)
われわれはプルーストに、或るプラトニズムがあったことを認めてきた。『失われた時を求めて』全体は、レミニサンス réminiscence とエッセンスの実験である。プルーストは、能力を無意志的 involontaire に行使するとき、それを分割 disjoint して用いるが、そのモデルがプラトンにあることをわれわれは知っている。つまり、プラトンはシーニュの力に対して開かれている感受性、シーニュを解釈し、その意味を再発見する、記憶作用をする魂 âme、エッセンスを見出す理知的思考を用いているのである。しかし、プルーストとプラトンとのあいだには、明らかな差異がある。

プラトンのレミニサンス réminiscence platonicienne の出発点は、相互に捉えられ、その生成と、変化と、不安定な対立と、《相互融合 fusion mutuelle》とにおいて把握された性質と、感覚的関係の中にある(たとえば、或る点では不平等な平等、小さくなる大きなもの、軽いものと不可分な重いものなど)。しかしこの質的生成は、どうにかこうにか、またその力にしたがってイデアを模倣する物の状態、世界の状態を示している。そして、レミニサンスの到達点としてのイデアは、安定したエッセンスであり、対立したものを分離し、全体の中に正しい尺度(平等でしかない尺度)を導入する物それ自体である。イデアが、たとえあとから見出される場合でさえも、常に《前に avant》あり、常に前提とされているのはそのためである。出発点は、到達点をすでに模倣できるという能力によってのみ価値がある。その結果、いくつかの能力を分断して用いることは、それらの能力全体を同じひとつのロゴスに統一する弁証法への《前奏 prélude》にほかならない。それは円弧の部分を作ることが弧全体の回転を準備するのに似ている。弁証法に対する批判の全部を要約してプルーストが言うように、理知は常に先にくるのである l'Intelligence vient toujours avant。

『失われた時を求めて』においては、これとは全く同じではない。質的生成、相互融合、《不安定な対立 instable opposition》は、魂の状態の中に書き込まれる inscrits dans un état d'âme のであって、もはや、物や世界の状態の中に記されるのではない。夕陽の斜めの光線・匂い・味・空気の流れ・束の間の質的複合体は、それらが入り込んで行く《主観的側面 côté subjectif》においてのみ価値を持つはずである。それが、レミニサンス réminiscence が介入してくる理由である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「アンチロゴス」の章)

ーープラトンのレミニサンスは理知が常に先にある(イデアが先にある)ものであり、プルーストのレミニサンスは魂の状態のなかに書き込まれるものとされている。

「魂 âme」とは何か? ここでドゥルーズのニーチェ論に《アリアドネはアニマ、魂である Ariane est l'Anima, l'Ame》(Nietzsche et la Philosophie)という表現があるのを想い起しておこう。さらに《愛される者は、ひとつのシーニュ、《魂》として現れる。 L'être aimé apparaît comme un signe, une « âme»》(『プルーストとシーニュ』)ともある。

このプルースト/プラトンの対比は究極的には次の対比である(参照:哲学と友情)。

・愛 amour/友情 amitié
・感受性 sensibilité/観察 observation
・思考 pensée /哲学 philosophie
・翻訳 traduction/反省 réflexion
・沈黙した解釈 interprétation silencieuse/会話 conversation
・名 noms/言葉 mots
・暗示的シーニュ signes implicites/明示的意味作用 significations explicites
・シーニュ・症状(徴候)の世界 monde des signes et des symptômes /属性の世界 monde des attributs


…………

次のドゥルーズが、ベルグソンとプルーストの潜在的なものの違いを説明している箇所を、その前後も含めて抜き出す。

◆ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』第一部第五章「記憶の二次的役割」より

【意志的記憶 la mémoire volontaire】
意志的記憶 mémoire volontaire には、「過去の即自存在 l'être en soi du passé 」という本質的なものが欠けているのは明らかである。意志的記憶は、過去が以前に現在であったのちに、過去が過去として構成されたかのようにふるまう。(……)確かに、われわれは過去を現在として経験しているその同じときに、何かを過去として把握することはない(……)。しかしそれは、意識的知覚と、意志的記憶との結合された要求によって、もっと深いところで両者の潜在的共存 coexistence virtuelle が存在しているところに、実在的連続 succession réelle が作られるからである。

【一気に、過去そのものの中に自らを置くこと】
もしもベルクソンとプルーストの考え方にひとつの類似があるとすれば、それはこのレヴェルにおいてである。つまり、持続のレヴェルにおいてではなく、記憶のレヴェルにおいてである。現実の現在から過去にさかのぼったり、過去を現在によって再構成したりしてはならず、一気に、過去そのものの中に自らを置かなくてはならない。この過去は、過去の何かを表象するものではなく、現在存在するもの quelque chose qui est、現在としてそれ自体と共存する何か qui coexiste avec soi comme présent だけを表象する。

【ベルクソンの潜在的なもの】
過去はそれ自体以外のものの中に保存されてはならない。なぜならば過去はそれ自体において存在し、それ自体において生き残り、保存されるからである。――これが『物質と記憶』の有名なテーゼである。過去のこのようなそれ自体における存在をベルクソンは「潜在的なもの virtuel」と呼んだ。同様にプルーストも、記憶のシーニュによって帰納された状態について、《現勢的でないリアルなもの、抽象的でないイデア的なもの Réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits》と言っている。

【ベルクソンとプルーストの相違】
確かにそこを出発点として、プルーストとベルクソンとでは問題が同じではなくなる。ベルクソンにとっては、過去がそれ自体で保存されることを知れば足りる。(……)これに対してプルーストの問題は、それ自体において保存される過去、それ自体において生き残るような過去をどのように救うかという問題である。(……)この問題に対して、無意志的記憶 mémoire involontaire のはたらきという考え方が解答を与える。

【無意志的記憶 La mémoire involontaire】
無意志的記憶のはたらきは、まだ第一に、ふたつの感覚、ふたつの時間の間の類似性に依存しているように思われる。しかし、もっと深い段階では、類似性からわれわれは厳密な同一性へと導かれる。それは、ふたつの感覚に共通な性質の同一性か、あるいは、現在と過去というふたつの時間に共通な感覚の同一性である。

たとえば味であるが、味は、同時にふたつの時間に拡がる、或る量の持続 durée を含んでいる。しかしまた逆に、同一の性質である感覚は、何か差異のあるものとのひとつの関係を含んでいる。マドレーヌの味は、それに含まれたものの中に、コンブレーを閉じこめ、包んでいる。われわれが意志的知覚に留まっている限り、マドレーヌはコンブレーと全く外的な接近関係しか持たない。われわれが意志的記憶に留まる限り、コンブレーは、過去の感覚と不可分のコンテクストとして、マドレーヌに対して外的なままである。しかし、ここに無意志的記憶の特質がある。無意志的記憶はこのコンテクストを内在化し、過去のコンテクストを、現在の感覚と不可分なものにする。

【内在化された差異 différence intériorisée】
ふたつの時間の間の類似性が、もっと深い同一性へとおのれを越えて行くのと同時に、過去の時間に属している接近性は、もっと深い差異へとおのれを越えて行く。コンブレーは現在の感覚の中に再現され、過去の感覚とその差異は、現在の感覚の中に内在化される。したがって、現在の感覚は、異なった対象 objet différentとのこの関係とはもはや分離できない。

無意志的記憶における本質的なものは、類似性でも、同一性でさえもない。それらは、無意志的記憶の条件にすぎないからである。本質的なものは、内的なものとなった、内在化された差異 différence intériorisée である。レミニサンス réminiscence が芸術と類比的で、無意志的記憶が隠喩と類比的であるというのは、この意味においてである C'est en ce sens que la réminiscence est l'analogue de l'art, et la mémoire involontaire, l'analogue d'une métaphore。無意志的記憶 la mémoire involontaire における本質的なものは、《ふたつの異なった対象 deux objets différents》を、たとえば、その味をともなったマドレーヌと、色と気温という性質をともなったコンブレーを把握する。それは一方を他方のなかに包み、両者の関係を、何らかの内的なものにする。

ーー《内在化された差異 différence intériorisée》とは、『差異と反復』に現れる《単独的差異 différence singulière》 《内的差異 différence interne》 《差異の差異化 le différenciant de la différence》《純粋差異 pure différence》と等価である。

ジジェク解釈では、『意味の論理学』における《準原因 quasi-cause》も同様なものとして捉えられている(これらはすべてラカンの対象a、あるいは外密 Extimitéと相同的とされる)。

ふたたびドゥルーズの引用を続ける。

【純粋過去 passé pur】
マドレーヌの味、ふたつの感覚に共通な性質、ふたつの時間に共通な感覚は、いずれもそれ自身とは別のもの、コンブレーを想起させるためにのみ存在している。しかし、このように呼びかけられて再び現われるコンブレーは、絶対的に新しいかたち forme absolument nouvelle になっている。

コンブレーは、かつて現在 été présent であったような姿では現われない。コンブレーは過去として現われるが、しかしこの過去は、もはやかつてあった現在に対して相対するものではなく、それとの関係で過去になっているところの現在に対しても相対するものではない。

それはもはや知覚されたコンブレーでもなく、意志的記憶の中のコンブレーでもない。コンブレーは、体験さええなかったような姿で、リアリティréalité においてではなく、その真理において現われる。コンブレーは、純粋過去 passé pur の中に、ふたつの現在と共存して、しかもこのふたつの現在に捉えられることなく、現在の意志的記憶と過去の意識的知覚の到達しえないところで現われる。それは、《純粋状態にあるわずかな時間 Un peu de temps à l'état pur》である。つまりそれは、現在と過去、現勢的もの actuel である現在と、かつて現在であった過去との単純な類似性ではなく、ふたつの時間の同一性でさえもなく、それを越えて、かつてあったすべての過去、かつてあったすべての現在よりもさらに深い、過去の即自存在 l'être en soi du passé である。《純粋状態にあるわずかな時間 Un peu de temps à l'état pur》とは、「局在化した時間の本質 l'essence du temps localisée」である。

【差異と反復】
現勢的でないリアルなもの、抽象的でないイデア的なもの Réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits 》――この「イデア的リアルなもの réel idéal」、この「潜在的なもの virtuel」が本質である。本質は、無意志的記憶の中に実現化 réalise または具現化 incarne される。ここでも、芸術の場合と同じく、包括 enveloppementと展開 enroulement は、本質のすぐれた状態として留まっている。そして、無意志的記憶は、本質の持つふたつの力を保持している。それは、「過去の時間の中での差異 différence dans l'ancien moment」と、「現勢性の中での反復 répétition dans l'actuel」である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』第一部第五章「記憶の二次的役割」)

…………

現勢的でないリアルなもの、抽象的でないイデア的なもの Réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits 》ーーこのプルーストの『見出された時』の文については(参照)、『差異と反復』には次のようにある。


潜在的なもの virtuel は、リアルなもの réel には対立しない。ただ現勢的なもの actuel に対立するだけである。潜在的なものは、潜在的なものであるかぎりにおいて、或る十全なリアリティ réalité を保持している。潜在的なものについて、まさにプルーストが共鳴の諸状態について述定していたのと同じことを述定しなければならない。すなわち、《現勢的でないリアルなもの Réels sans être actuels、抽象的でないイデア的なもの idéaux sans être abstraits》(プルースト)ということ、そして、虚構でない象徴的なもの symboliques sans être fictifs である。(ドゥルーズ『差異と反復』1968年)

ーー潜在的なもの virtuel 、つまり現勢的でないリアルなもの、抽象的でないイデア的なもの Réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits 》は、『プルーストとシーニュ』においては、《イデア的リアルなもの réel idéal》とされていたが、『差異と反復』では、《虚構でない象徴的なもの symboliques sans être fictifs 》となっている。これからみると潜在的なものは象徴的なものなのであって、後期ラカンの現実界 Réelと同様(参照)、けっして象徴界の彼岸にあるものではない。

潜在的なものをめぐって、もうすこし抜き出そう。

可能的なもの possible は、リアル réel に対立する。可能なもののプロセスは、「実現化 réalisation」である。

反対に、潜在的なもの virtuel は、リアル réel に対立しない。それ自体で充溢したリアリティpleine réalité を持っている。潜在的なもののプロセスは、「現勢化 actualisation」 である。(『差異と反復』)
可能的なものと潜在的なもの le possible et le virtuel は、次のように区別される。可能的なものは、「概念 concept」における同一性という形式を示す。潜在的なものは「理念 Idée」における純粋多様体 multiplicité pure を示す。この多様体は、先行条件としての同一的なものを根底的に排除する。(『差異と反復』)

《可能的なものは、「概念 concept」における同一性》/《潜在的なものは「理念 Idée」における純粋多様体》の対比とは、冒頭近くに引用した、レミニサンスにおけるプラトン的な《理知は常に先にくる》/プルースト的な《魂の状態の中に書き込まれる》にかかわるはずである。


一体われわれが思いださない回想とはなんであろう?

プルーストは、自らの作品を「ベルクソン的小説」と呼ばれるのは心外だ、という含意をもつ発言をしている。

私の作品はたぶん一連の 「無意識の小説 Romans de l'Inconscient」 の試みのようなものでしょう。(……)「ベルクソン的小説」というのは正確さを欠く言い方になるでしょう。なぜなら私の作品は、無意志的記憶(mémoire involontaire)と意志的記憶(mémoire volontaire)の区別に貫かれていますが、この区別はベルクソン氏の哲学に現れていないばかりでなく、それと矛盾するものでさえあるからです。 (Interview de Marcel Proust par Élie-Joseph Bois, parue dans le journal “Le Temps” du 13 novembre 1913)

『失われた時を求めて』本文では次のように現れる。

われわれは、自分のすべての記憶を、自分に所有している。ただ、記憶の全部を思いだす能力をもっていないだけだ、とベルグソン氏の説にしたがいながら、ノルウェーのすぐれた哲学者はいった(……)。しかし、一体われわれが思いださない回想とはなんであろう?  

Nous possédons tous nos souvenirs, sinon la faculté de nous les rappeler, dit d'après M. Bergson le grand philosophe norvégien... Mais qu'est ce qu'un souvenir qu'on ne se rappelle pas? (プルースト「ソドムとゴモラⅡ」)

プルーストはまた無意志的記憶とレミニサンスの微妙な使い分けを語っている。

これは極めて現実的な(リアルな)書 livre extrêmement réel だが、 「無意志的記憶 mémoire involontaire」を模倣するために、…いわば、恩寵 grâce により、「レミニサンスの花柄 pédoncule de réminiscences」により支えられている。 (Comment parut Du côté de chez Swann. Lettre de M.Proust à René Blum de février 1913

これはたぶん無意志的記憶が基盤にあって、そこにレミニサンスの花柄が生まれる、という風にいっているのだろう。

最晩年のエッセイでは、別に「無意識の再記憶 ressouvenirs inconscients」という表現ーーこれは本文には現れないーーも使っている。

私は作品の最後の巻――まだ刊行されていない巻――で、無意識の再記憶 (ressouvenirs inconscients) の上に私の全芸術論をすえる 。(Marcel Proust, « À propos du “ style ” de Flaubert » , 1er janvier 1920)

…………

ところでフロイトは、プルーストとほぼ同時期に、《いかにして何かが意識的になるかWie wird etwas bewußt?》という問いを提出している。

他の箇所で(『無意識』1915)、すでに私は、無意識的表象と前意識的表象(思想)との本質的な相違を述べた。その相違は、前者が認識されないままの、なんらかの材料Materialによって生じるのにたいして、後者(前意識的表象)が、言語表象 Wortvorstellungen との結合が加わっているという点にある、と仮定した。ここで、前意識的なものと無意識的なものとの二つのシステム beiden Systeme Vbw und Ubw の特徴――意識への関係とはちがう特徴――をあげることの最初のこころみがなされる。《いかにして何かが意識的 bewußt になるか》という問題は、より目的にかなった形で述べれば、《いかにしてなにかが前意識的 vorbewußt になるか》ということである。その答は、それに対応する言語表象との結合によって、となるだろう。(フロイト『自我とエス』1923年)


言語表象に結びつけば、前意識的になる、と言っている。言語表象に結びつかず、事物表象のままであれば、無意識的なままなのである。

1915年の『無意識』から拾えば次の通り。

われわれが意識的対象表象 Objektvorstellung とよぶことのできるものは、いまや言語表象 Wortvorstellung と事物表象 Sachvorstellung とにわけられる。それは、直接の事物記憶像ではなく、それより杳かな entfernter 記憶痕跡 Erinnerungsspuren の充当によって成りたつのである。

いまとつぜんわれわれは、意識的表象がなにによって無意識的表象から区別されるかがわかると思う。両者は、われわれが考えたように、異なった心的場における同一の内容の異なった記憶ではなく、またおなじ場における異なった機能的な充当でもなく、意識的表象は、事物表象とそれに属する言語表象とをふくみ、無意識的表象はたんに事物表象だけなのである。

システム無意識 System Ubw は対象の事物充当つまり最初で本来の対象充当をふくんでいる。システム前意識 System Vbw は、この事物表象が、それに相応する言語表象と結合して重層充当をうけることによって生ずる。このような重層充当は、高次の心的体制をもたらし、一次過程 Primärvorgangesを、「前意識 Vbw」を支配している二次過程Sekundärvorgang によって交代することを可能にするものであると、推測することができる。(フロイト『無意識について』)

フロイトの区分けは、「システム無意識」/「システム前意識+システム意識」であり、潜在的無意識と呼ばれるものはシステム前意識であり、本来の無意識(システム無意識)ではない。

もしも心的行為が(ここでは表象という性質を持ったものにかぎろう)「システム無意識 System Ubw」から「システム意識 System Bw」(あるいは「前意識 Vbw」)への変換を受けるとしよう。その場合、この変換とともに再度の「固着 Fixierung」、いわばその表象の第二の「刻印(記載 Niederschrift)」が行なわれる、とみとめるべきだろうか。つまり、その刻印が新しい心的局所にふくまれると同時に、本来の無意識的刻印もそのまま存続していることをみとめるべきであろうか。あるいは、むしろその変換はおなじ素材、おなじ局所で遂行される状態変化のうちに成り立つものと信じるべきであろうか。(フロイト『無意識』1915年)

これについては次のバーハウの注釈が優れている。「システム無意識」/「システム前意識+システム意識」とは、「システム無意識あるいは原抑圧」/「力動的無意識あるいは抑圧された無意識」とほぼ等価としてよい。

フロイトは、「システム無意識あるいは原抑圧」と「力動的無意識あるいは抑圧された無意識」を区別した。

システム無意識は欲動の核の身体への刻印であり、欲動衝迫の形式における要求過程化である。ラカン的観点からは、まずは過程化の失敗の徴、すなわち最終的象徴化の失敗である。

他方、力動的無意識は、「誤った結びつき eine falsche Verkniipfung」のすべてを含んでいる。すなわち、原初の欲動衝迫とそれに伴う防衛的エラヴォレーションを表象する二次的な試みである。言い換えれば症状である。

フロイトはこれをAbkömmling des Unbewussten(無意識の後裔)と呼んだ。これらは欲動の核が意識に至ろうとする試みである。この理由で、ラカンにとって、「力動的あるいは抑圧された無意識」は無意識の形成と等価である。力動的局面は症状の部分はいかに常に意識的であるかに関係する、ーー実に口滑りは声に出されて話されるーー。しかし同時に無意識のレイヤーも含んでいる。(ポール・バーハウ、2004、On Being Normal and Other Disorders A Manual for Clinical Psychodiagnosticsーー非抑圧的無意識 nicht verdrängtes Ubw と境界表象 Grenzvorstellung (≒ signifiant(Lⱥ Femme)

ーーラカンにとって「システム無意識あるいは原抑圧」は、現実界の審級にある。

一体われわれが思いださない回想とはなんであろう?》と問うたプルーストと、《いかにして何かが意識的になるか?》と問うたフロイトは、実はほとんど同じ問いを出しているのではないか、というわたくしの想定は次のラカン文に依拠している。

私は…問題となっている現実界 le Réel は、一般的にトラウマ traumatismeと呼ばれるものの価値を持っていると考えている。…これは触知可能である…人がレミニサンス réminiscence と呼ぶものに思いを馳せることによって。…レミニサンス réminiscence は想起 remémoration とは異なる。(ラカン、S.23, 13 Avril 1976)

さらにまたこうも引用することができる。

もしフロイトが存在しなかったとすれば、二十世紀の精神医学はどういう精神医学になっていたでしょうかね」と私は問うた。問うた相手はアンリ・F・エランベルジュ先生。(……)

先生は少し考えてから答えられた。「おそらくプルースト的な精神医学になっただろうね、あるいはウィリアム・ジェームスか」…

彼(プルースト)は科学者ではもちろん決してないけれども、科学者の子であり、科学者の世界、少なくとも科学者の出入りする社交界を熟知しており、彼自身、植物採集家の眼を以て人間を見ている。たとえば人物を蘭やマルハナバチに巧みにたとえている。(……)

プルースト的精神医学といえば、まず「心の間歇」と訳される intermittence du cœur が頭ん浮かぶだろう。『失われた時を求めて』は精神医学あるいは社会心理学的な面が大いにあり、社交心理学ないし階級意識の心理学など、対人関係論的精神医学を補完する面を持つにちがいないが、著者自身が小説全体の題に「心の間歇」を考えていた時期があることをみれば、まず、この概念を取り上げるのが正当だろう。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」初出2007年『日時計の影』所収)


2017年6月20日火曜日

ナイトキャップというコルク栓

身体は穴である corps……C'est un trou(ラカン、1974、conférence du 30 novembre 1974, Nice
対象a は穴 trou である l'objet(a), c'est le trou (S16, 1968)
私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)

ようは「原抑圧 Urverdrängung とはサントーム sinthome のことである」で記したことから明らかなように、原抑圧とは穴であり、対象aである。あらためていうまでもないがいっておこう。

・欲動の現実界 le réel pulsionnel がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。欲動は身体の空洞 orifices corporels に繋がっている。誰もが思い起こさねばならない、フロイトが身体の空洞 l'orifice du corps の機能によって欲動を特徴づけたことを。

・原抑圧 Urverdrängt との関係…原起源にかかわる問い…私は信じている、(フロイトの)夢の臍 Nabel des Traums を文字通り取らなければならない。それは穴 trou である。(ラカン、Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975

穴とはもちろんふつうの穴ではない。

欠如の欠如 Le manque du manque が現実界を生む。それは唯一、コルク栓(穴埋め bouchon)としてのみ現れる。このコルク栓は不可能の用語にて支えられている。我々が現実界について知っている僅かなことは、すべて本当らしさへのアンチノミーを示している。(Lacan、1976 AE.573)

誤解をしてはならない。欠如の欠如とあるように、穴とはブラックホールなのである。それをS(Ⱥ)と書いたり、S(a)と書いたり、《Lⱥ femme 斜線を引かれた女》と書いたりする。

ニーチェのいうように 真理は女である。真理は斜線を引かれた女である。ゆえにわれわれは女のまわりを循環して生を送るのである。

我々はあまりにもしばしば混同している、欲動が接近する対象について。この対象は実際は、空洞・空虚の現前 la présence d'un creux, d'un vide 以外の何ものでもない。フロイトが教えてくれたように、この空虚はどんな対象によっても par n'importe quel objet 占められうる occupable。そして我々が唯一知っているこの審級は、喪われた対象a (l'objet perdu (a)) の形態をとる。対象a の起源は口唇欲動 pulsion orale ではない。…「永遠に喪われている対象objet éternellement manquant」の周りを循環する contourner こと自体、それが対象a の起源である。(ラカン、S11, 13 Mai 1964)

ところでヘーゲルの世界の夜 Nacht der Welt ももちろん穴=対象aである。

だがナイトキャップ Nachtmützen とはなんだろうか、と蚊居肢散人は10秒ほど考え込んでしまった・・・


世界も生もあまりにバラバラ!
ドイツのあの教授を訪ねてみるさ
きっと生をつなぎ合わせて
完全無穴の体系を構築してくれる
ナイトキャップと寝巻の襤褸を
世界の穴に詰め込むってわけさ

Zu fragmentarisch ist Welt und Leben!
Ich will mich zum deutschen Professor begeben.
Der weiß das Leben zusammenzusetzen,
Und er macht ein verständlich System daraus;
mit seinen Nachtmützen und Schlafrockfetzen
Stopft er die Lücken des Weltenbaus.

ーーハインリヒ・ハイネ「帰郷 Die Heimkehr」LVIII『歌の本』


ナイトキャップも対象aである! 穴埋めとしての対象aである! 

ナイトキャップとはっもちろん寝酒のことでもある。寝酒もやはり女のまわりを循環する一種である。

燈火の周圍にむらがる蛾のやうに、ある花やかにしてふしぎなる情緒の幻像にあざむかれ、そが見えざる實在の本質に觸れようとして、むなしくかすてらの脆い翼をばたばたさせる。私はあはれな空想兒、かなしい蛾蟲の運命である。(萩原朔太郎「青猫」序)

ーー蚊居肢とはじつは萩原朔太郎のパクリである。

女性の享楽は非全体pas-tout の補填 suppléance を基礎にしている。(……)彼女は(a)というコルク栓 bouchon de ce (a) を見いだす(ラカン、S20)

だがなぜこんなことを思いつくのに10秒も喪ってしまったのだろうか。そろそろ老化現象がはじまっていることを疑わねばならぬ。

対象a の根源的両義性……対象a は一方で、幻想的囮/スクリーンを表し、他方で、この囮を混乱させるもの、すなわち囮の背後の空虚 void をあらわす。(Zizek, Can One Exit from The Capitalist Discourse Without Becoming a Saint? ,2016, pdf)

いやあ安物の赤ワインを寝酒に飲んでいるとロクなことがない。もはやこういった話はやめにしなければならない。



原抑圧 Urverdrängung とはサントーム sinthome のことである

「原抑圧 Urverdrängung とはサントーム sinthome のことである」としたが、ラカン派ってのはだれもはっきりとはそう言ってるのを見たことはない。だが以下に列挙する資料からそれは明らかである。

…………

まずフロイトの原抑圧をめぐる記述を四つ掲げる。

◆フロイト、1911年
「抑圧」は三つの段階に分けられる。

①第一の段階は、あらゆる「抑圧 Verdrängung」の先駆けでありその条件をなしている「固着 Fixierung」である。(…)

②第二段階は、「本来の抑圧 eigentliche Verdrängung」である。この段階はーー精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているがーーより高度に発達した、自我の、意識可能な諸体系から発した「後の抑圧 Nachdrängen 」として記述できるものである。(… )

③第三段階は、病理現象として最も重要なものだが、その現象は、抑圧の失敗・侵入・「抑圧されたものの回帰 Wiederkehr des Verdrängten」である。この侵入 Durchbruch とは「固着 Fixierung」点から始まる。そしてリビドー的展開 Libidoentwicklung の固着点への退行 Regression を意味する。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイア(パラノイド性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察』1911年、 私訳)

◆1915年 
われわれには原抑圧 Urverdrängung、つまり欲動の心理的(表象的)な代理 (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes が意識の中に入り込むのを拒否するという、第一期の抑圧を仮定する根拠がある。これと同時に固着 Fixierung が行われる。というのは、その代表はそれ以後不変のまま存続し、これに欲動が結びつくのである。(……)

抑圧の第二階段、つまり本来の抑圧 Verdrängung は、抑圧された代表の心理的な派生物に関連するか、さもなくば、起源は別だがその代表と結びついてしまうような関係にある思考傾向に関連している。

こういう関係からこの表象は原抑圧をうけたものと同じ運命をたどる。したがって本来の抑圧とは後の抑圧 Nachdrängung である。それはともかく、意識から抑圧されたものに作用する反撥だけを取り上げるのは正しくない。同じように原抑圧を受けたものが、それと関連する可能性のあるすべてのものにおよぼす引力をも考慮しなければならない。かりにこの力が協働しなかったり、意識によって反撥されたものを受け入れる用意のある前もって抑圧されたものが存在しなかったなら、抑圧傾向はおそらくその意図をはたさないであろう。(フロイト『抑圧』1915年、既存訳修正、以下同様)

◆1926年
われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧 Verdrängungen は、後の抑圧 Nachdrängen の場合である。それは早期に起こった原抑圧 Urverdrängungen を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえるのである。こういう抑圧の背景や前提については、ほとんど知られていない。また、抑圧のさいの超自我の役割を、高く評価しすぎるという危険におちいりやすい。この場合、超自我の登場が原抑圧 Urverdrängungと後期抑圧 Nachdrängen との区別をつくりだすものかどうかということについても、いまのところ、判断が下せない。いずれにしても、最初のーーもっとも強力なーー不安の襲来は、超自我の分化の行われる以前に起こる。原抑圧 Urverdrängungen の手近な誘引として、もっとも思われることは、興奮の過剰な強さ übergroße Stärke der Erregung により刺激保護 Reizschutzesが破綻するというような量的な契機である。(フロイト『制止、症状、不安』1926 年)

◆1937年
抑圧 Verdrängungen はすべて早期幼児期に起こる。それは未成熟な弱い自我の原防衛手段 primitive Abwehrmaßregeln である。その後に新しい抑圧が生ずることはないが、なお以前の抑圧は保たれていて、自我はその後も欲動制御 Triebbeherrschung のためにそれを利用しようとする。

新しい葛藤は、われわれの言い表し方をもってすれば「後の抑圧 Nachverdrängung」によって解決される。…分析は、一定の成熟に達して強化されている自我に、かつて未成熟で弱い自我が行った古い抑圧 alten Verdrängungen の訂正 Revision を試みさせる。…幼児期に成立した根源的抑圧過程 ursprünglichen Verdrängungsvorganges を成人後に訂正し、欲動強度 Triebsteigerung という量的要素がもつ巨大な力の脅威に終止符を打つという仕事が、分析療法の本来の作業であるといえよう。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937年)

…………

【原抑圧】

結局、フロイトは分析的ディスクールのなかで進んでいくにつれて、原抑圧が最初である le refoulement originaire était premier という考え方に傾いていったのである。(ラカン、テレヴィジョン、1973年)
エロスとタナトスは、次ののように区別される。すなわち、エロスは、反復されるべきものであり、反復のなかでしか生きられないものであるのに対して、(超越論的的原理 principe transcendantal としての)タナトスは、エロスに反復を与えるものであり、エロスを反復に服従させるものである。唯一このような観点のみが、反復の起源・性質・原因、そして反復が負っている厳密な用語という曖昧な問題において、我々を前進させてくれる。なぜならフロイトが、表象 représentations にかかわる"正式の proprement dit "抑圧の彼方に au-delà du refoulement、「原抑圧 refoulement originaire」の想定の必然性を示すときーー原抑圧とは、なりよりもまず純粋現前 présentations pures 、あるいは欲動 pulsions が必然的に生かされる仕方にかかわるーー、我々は、フロイトは反復のポジティヴな内的原理に最も接近していると信じるから。(ドゥルーズ『差異と反復』1968年)
四番目の用語(サントーム=原症状)にはどんな根源的還元もない、それは分析自体においてさえである。というのは、フロイトが…どんな方法でかは知られていないが…言い得たから。すなわち原抑圧 Urverdrängung があると。決して取り消せない抑圧である。この穴を包含しているのがまさに象徴界の特性である。そして私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。

Il n'y a aucune réduction radicale du quatrième terme. C'est-à-dire que même l'analyse, puisque FREUD… on ne sait pas par quelle voie …a pu l'énoncer : il y a une Urverdrängung, il y a un refoulement qui n'est jamais annulé. Il est de la nature même du Symbolique de comporter ce trou, et c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)


【欲動の現実界】
・夢の臍 l'ombilic du rêve…それは欲動の現実界 le réel pulsionnel である。

・欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。欲動は身体の空洞 orifices corporels に繋がっている。誰もが思い起こさねばならない、フロイトが身体の空洞 l'orifice du corps の機能によって欲動を特徴づけたことを。

原抑圧 Urverdrängt との関係…原起源にかかわる問い…私は信じている、(フロイトの)夢の臍 Nabel des Traums を文字通り取らなければならない。それは穴 trou である。(ラカン、Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975


【欲動の根】
たとえ分析治療が成功したとしても、その結果治癒した患者を、その後に起こってくる別の神経症、いやそれどころか前の病気と同じ欲動の根 Triebwurzel から生じてくる神経症、つまり以前の疾患の再発に苦しむことからさえも患者を守ってあげることが困難であることがこれで明らかになった。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937年)


【夢の臍・菌糸体】
どんなにうまく解釈しおおせた夢にあっても、ある箇所は未解決のままに放置しておかざるをえないこともしばしばある。それは、その箇所にはどうしても解けないたくさんの夢思想の結び玉 Knäuel があって、しかもその結び玉は、夢内容になんらそれ以上の寄与をしていないということが分析にさいして判明するからである。これはつまり夢の臍 Nabel des Traums、夢が未知なるもののうえにそこに坐りこんでいるところの、その場所 die Stelle, an der er dem Unerkannten aufsitzt なのである。判読(解読)においてわれわれがつき当る夢思想は一般的にいうと未完結なものとして存在するより仕方がないのである。そしてそれは四方八方に向ってわれわれの観念世界を網の目のごとき迷宮に通じている。この編物の比較的目の詰んだ箇所から夢の願望が、ちょうど菌類の菌糸体 myceliumから菌が頭を出しているように頭を擡げているのである。(フロイト『夢判断』第七章「夢事象の心理学」)


【我々の存在の核】 
私は心の装置における心的過程の一方を「一次的なもの primären」と名づけたが、私がそう名づけたについては、地位の上下や業績能力を顧慮したばかりではなく、命名によって時間的関係をも同時にいい現わそうがためであった。

「一次過程 Primärvorgang」しか持たないような心的装置は、なるほどわれわれの知るかぎりにおいては存在しないし、また、その意味でこれは理論的仮構 Fiktionにすぎない。しかし二次的な sekundären 過程が人間生活の歴史上で漸次形成されていったのに反して、一次過程 Primärvorgänge は人間の心のうちにそもそもの最初から与えられていたということだけは事実である。そしてこの二次過程は一次過程を阻止してそれを覆い隠し、そしておそらくは人生の頂上をきわめるころおいにおいてはじめて完全に一次過程を支配するにいたるものなのである。

「二次過程 sekundären Vorgänge 」の、こういう遅まきの登場のために、無意識的願望衝動からなっているところの「我々の存在の核 Kern unseres Wesens」は、無意識に発する願望衝動にもっとも合目的的な道を指し示すという点にのみその役割を制限されているところの前意識にとっては把握しがたく、また、阻止しがたいものとなっている。(フロイト『夢判断』1900年)


【一次過程/二次過程】
・前意識システム System Vbw においては、二次過程 Sekundärvorgang が支配している。

・一次過程 Primärvorgang(備給の可動性 Beweglichkeit der Besetzungen)は、無時間的であり、外部の現実を心的現実に置換する。これはシステム無意識 System Ubw に属する過程のなかに見出しうる。(フロイト『無意識』1915年)
われわれは、心的装置の最初の、そしてもっとも重要な機能として、侵入する衝動の蠢き anlangenden Triebregungen を「拘束 binden」すること、それを支配する一次過程を二次過程に置き換えること、その自由に流動する備給エネルギー frei bewegliche Besetzungsenergie をもっぱら静的な(強直性の)備給に変化させることなどのことを見出した。この転換の行なわれるあいだに、不快の発展を顧慮していることはできないが、だからといって快原理は放棄されるのではない。むしろ快原理に沿うように行なわれる。拘束は快原理の支配の端緒となり、それを確実なものとする一種の準備行動なのである。(フロイト『快原理の彼岸』1920年)


 【サントーム】
症状(=サントーム)とは身体の出来事のことである。…le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps (ラカン、JOYCE LE SYMPTOME,AE.569、16 juin 1975)
ラカンが症状概念の刷新として導入したもの、それは時にサントーム∑と新しい記号で書かれもするが、サントームとは、シニフィアンと享楽の両方を一つの徴にて書こうとする試みである。Sinthome, c'est l'effort pour écrire, d'un seul trait, à la fois le signifant et la jouissance. (ミレール、Ce qui fait insigne、The later Lacan、2007所収)

【固着】
フロイトにおいて、症状は本質的に Wiederholungszwang(反復強迫)と結びついている。『制止、症状、不安』の第10章にて、フロイトは指摘している。症状は固着を意味し、固着する要素は、無意識のエスの反復強迫 der Wiederholungs­zwang des unbewussten Esに存する、と。症状に結びついた症状の臍・欲動の恒常性・フロイトが Triebansprüche (欲動要求)と呼ぶものは、要求の様相におけるラカンの欲動概念化を、ある仕方で既に先取りしている。(ミレール、Le Symptôme-Charlatan、1998)
「一」Unと「享楽」jouissanceとの関係が分析的経験の基盤であると私は考えている。そしてそれはまさにフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである。(ジャック=アラン・ミレール2011, Jacques-Alain Miller Première séance du Cours)






2017年6月18日日曜日

ナイトキャップと世界の夜

世界も生もあまりにバラバラ! 
ドイツのあの教授を訪ねてみるさ 
きっと生をつなぎ合わせて 
完全無穴の体系を構築してくれる 
ナイトキャップと寝巻の襤褸を 
世界の穴に詰め込むってわけさ

Zu fragmentarisch ist Welt und Leben!
Ich will mich zum deutschen Professor begeben.
Der weiß das Leben zusammenzusetzen,
Und er macht ein verständlich System daraus;
mit seinen Nachtmützen und Schlafrockfetzen
Stopft er die Lücken des Weltenbaus.

ーーハインリヒ・ハイネ「帰郷 Die Heimkehr」LVIII『歌の本』




いやあすばらしい。ナイトキャップとは寝酒のことではなかろうか、と考えたが、ヘーゲルはちゃんとナイトキャップをかぶっておられる。

とはいえ、すこしまえ「世界の闇」と訳したあの文は、すなおに「世界の夜」とすべきではなかっただろうか。

ヘーゲルの《ナイトキャップNachtmützen》に敬意を表して、《世界の夜 Nacht der Welt》に変更させていただく。

人間存在は、すべてのものを、自分の不可分な単純さのなかに包み込んでいる世界の夜 Nacht der Weltであり、空無 leere Nichts である。人間は、無数の表象やイメージを内に持つ宝庫だが、この表象やイメージのうち一つも、人間の頭に、あるいは彼の眼前に現れることはない。この闇。幻影の表象に包まれた自然の内的な夜。この純粋自己 reines Selbst。こちらに血まみれの頭 blutiger Kopf が現れたかと思うと、あちらに不意に白い亡霊 weiße Gestalt が見え隠れする。一人の人間の眼のなかを覗き込むとき、この夜を垣間見る。その人間の眼のなかに、 われわれは夜を、どんどん恐ろしさを増す夜を、見出す。まさに世界の夜 Nacht der Welt がこのとき、われわれの現前に現れている。 (ヘーゲル『現実哲学』イエナ大学講義録草稿 Jenaer Realphilosophie 、1805-1806)

Der Mensch ist diese Nacht der Welt, dies leere Nichts, das alles in ihrer Einfachheit enthält, ein Reichtum unendlich vieler Vorstellungen, Bilder deren keines ihm gerade einfällt oder die nicht als gegenwärtige sind. Dies ist die Nacht, das Innere der Natur, das hier existiert – reines Selbst. In phantasmagorischen Vorstellungen ist es ringsum Nacht; hier schießt dann ein blutiger Kopf, dort eine andere weiße Gestalt hervor und verschwinden ebenso. Diese Nacht erblickt man, wenn man dem Menschen ins Auge blickt – in eine Nacht hinein, die furchtbar wird; es hängt die Nacht der Welt einem entgegen.(Hegel, Jenaer Realphilosophie, 1805/6)


ハイネの詩を「皮肉」とのみとらえる必要はない。

たとえばラカン派的にも世界は穴なのである。

我々は皆知っている。というのは我々すべては現実界のなかの穴を埋めるために何かを発明するのだから。現実界には「性関係はない il n'y a pas de rapport sexuel」、 それが「穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」をもたらす。(ラカン、S21、19 Février 1974 )

ゆえにその穴をナイトキャップや寝巻などの襤褸で埋めなければならない。

倒錯者は、大他者の中の穴をコルク栓で埋めることに自ら奉仕する le pervers est celui qui se consacre à boucher ce trou dans l'Autre, (ラカン、S16, 26 Mars 1969)

世界の構築という欲望のためにはコルク栓というフェティシュが必要なのである!

フェティッシュとは、欲望が自らを支えるための条件である。 il faut que le fétiche soit là, qu'il est la condition dont se soutient le désir. (Lacan,S10)

ここで、倒錯やフェティシュという用語について誤解がないようにしなければならない。

倒錯とは、欲望に起こる不意の出来事ではない。すべての欲望は倒錯的であるTout désir est pervers。享楽がけっしてその場ーーいわゆる象徴秩序が欲望をそこに置きたい場のなかにないという意味で。

そしてこれが、ラカンが後に父の隠喩についてアイロニカルであった理由だ。彼は言う、父の隠喩もまた倒錯だ la métaphore paternelle est aussi une perversion、と。彼は、父の隠喩を père-version と書いた、一つのヴァージョンを徴示するため、「父へと向かう動き un mouvement vers le père」を徴示するために。(ミレール、2013,L'Autre sans Autre par JACQUES-ALAIN MILLER
ジャック=アラン・ミレールによって提出された「見せかけ semblant」 の鍵となる定式がある、「我々は、見せかけを無を覆う機能と呼ぶ。Nous appelons semblant ce qui a fonction de voiler le rien」

これは勿論、フェティッシュとの繋がりを示している。フェティッシュは同様に空虚を隠蔽する、見せかけが無のヴェールであるように。その機能は、ヴェールの背後に隠された何かがあるという錯覚を作りだすことにある。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012,私訳)


2017年6月14日水曜日

究極のフェミニスト、ニーチェ

究極の絶対的差異 différence ultime absolue とは何か。それは、ふたつの物、ふたつの事物の間の、常にたがいに外的な extrinsèque、経験の差異 différence empirique ではない。プルーストは本質について、最初のおおよその考え方を示しているが、それは、主体の核の最終的現前 la présence d'une qualité dernière au cœur d'un sujet のような何ものかと言った時である。すなわち、内的差異 différence interne であり、《われわれに対して世界が現われてくる仕方の中にある質的差異 différence qualitative、もし芸術がなければ、永遠に各人の秘密のままであるような差異》(プルースト)である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

究極の絶対的差異とは、内的差異である。それはまた純粋差異とも呼ばれる。

永遠回帰 L'éternel retourは、同じものや似ているものを環帰させることはなく、それ自身が純粋差異 la pure différence の世界から派生する。

・・・永遠回帰には、つぎのような意味しかない―――特定可能な起源の不在 l'absence d'origine assignable。それを言い換えるなら、起源は差異である l'origine comme étant la différence と特定すること。もちろんこの差異は、異なるもの(あるいは異なるものたち)をあるがままに環帰させるために、その異なるものを異なるものに関係させる差異である。

そのような意味で、永遠回帰はまさに、起源的で、純粋で、総合的で、即自的な差異 une différence originaire, pure, synthétique, en soi の帰結である(この差異はニーチェが『力の意志』と呼んでいたものである)。差異が即自であれば、永遠回帰における反復は、差異の対自である。(ドゥルーズ『差異と反復』1968)

もちろんここでリトルネロという語を出してもよい。

ここでニーチェの考えを思い出そう。小さなリフレイン、リトルネロとしての永遠回帰。しかし思考不可能にして沈黙せる宇宙の諸力を捕獲する永遠回帰。

Rappelons-nous l'idée de Nietzsche : l'éternel retour comme petite rengaine, comme ritournelle, mais qui capture les forces muettes et impensables du Cosmos.(ミラ・プラトー、1980年)

詳しくは、 愛の享楽回帰(リトルネロ)を見ていただくことにして、今、話題にしたいのは、仮象ー歌唱の詩人ニーチェの「最小の裂目 die kleinste Kluft」である。

言葉と音調があるということは、なんとよいことだろう。言葉と音調とは、永遠に隔てられているものどうしのあいだにかけわたされた虹、そして仮象の橋 Schein-Brückenではなかろうか。

それぞれの魂は、それぞれ別の世界をもっている。それぞれの魂にとって、他の魂はみな一つの背後世界 Hinterweltである。

最も似かよっているものどうしのあいだにかかっているとき、仮象 Schein は、たとえいつわりにせよ、最も美しい。わたしがそう言うのは、最小の裂目 die kleinste Kluft は、最も橋をかけにくいものであるから。

わたしにとってはーーどうしてわたしの外Ausser-mir というものがありえよう。外 Aussen というものは存在しないのだ。しかし、音調を聞くたびに、わたしはそのことを忘れる。忘れるということは、なんとよいことだろう。

事物に名と音調が贈られるのは、人間がそれらの事物から喜びを汲み取ろうとするためではないか。音声を発してことばを語るということは、美しい狂宴である。それをしながら人間はいっさいの事物の上を舞って行くのだ。 (ニーチェ「快癒しつつある者 Der Genesende」『ツァラトゥストラ』第三部)

ニーチェは第三部の前年に書かれた第二部でも「最小の裂目」と口に出している。

わたしの手は与えつづけて休むことがない、それがわたしの貧しさだ。どこを見てもわたしの目にうつるのは、待ちうける目と、あかりをともした憧れの寄るばかり。それがわたしの妬みだ。

おお、与える者のふしあわせ。わが太陽の憂鬱。欲しがることへの憧れ。飽満のなかの激しい飢え。

かれらはわたしから受ける。だがわたしはかれらの魂に触れることができるだろうか。与えることと受けること、そのあいだには一つの裂け目がある。そして最小の裂目 die kleinste Kluft こそ、いちばん橋をかけることはむずかしい。

わたしの美しさのなかから飢えが生まれる。わたしが光を与えている者たちに、わたしは痛みを加えてやりたい。わたしが贈り物を与えた者たちから、わたしは奪いたい。ーーこういうふうにわたしは悪意に飢える。(ニーチェ『夜の歌 Das Nachtlied』『ツァラトゥストラ』第二部)

だが、これは第三部で花開いたのである。そして1887年には大輪の花となる。

・・・おお、このギリシア人たち! ギリシア人たちは、生きるすべをよくわきまえていた。生きるためには、思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどまることが必要だった。仮象 Schein を崇めること、ものの形や音調や言葉を、仮象のオリュンポス全山を信ずることが、必要だったのだ! このギリシア人たちは表面的であった。深みからして! そして、わたしたちはまさにその地点へと立ち返るのではないか、--わたしたち精神の命知らず者、わたしたち現在の思想の最高かつ最危険の絶頂に攀じのぼってそこから四方を展望した者、そこから下方を見下ろした者は? まさにこの点でわたしたちはーーギリシア人ではないのか? ものの形の、音調の、言葉の崇め人ではないのか? まさにこのゆえにーー芸術家なのではないか。(ニーチェ『悦ばしき知』序文4番ーー1887年追加)

《思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどま》り、《仮象 Schein を崇める》のは女であることはよく知られている。

女は、見せかけ semblant に関して、とても偉大な自由をもっている!la femme a une très grande liberté à l'endroit du semblant ! (Lacan、S18, 20 Janvier 1971ーー真理は女である。ゆえに存在しない)

人は《女の最大の関心事は見せかけ Schein》 なのを知らないわけではあるまい?

女は真理を欲しない。女にとって真理など何であろう。女にとって真理ほど疎遠で、厭わしく、憎らしいものは何もない。――女の最大の技巧は嘘をつくことであり、女の最大の関心事は見せかけ Schein と美しさである。

われわれ男たちは告白しよう。われわれが女がもつほかならぬこの技術とこの本能をこそ尊重し愛するのだ。われわれは重苦しいから、女という生物と附き合うことで心を軽くしたいのである。女たちの手、眼差し、優しい愚かさに接するとき、われわれの真剣さ、われわれの重苦しさや深刻さが殆んど馬鹿馬鹿しいものに見えて来るのだ。(『善悪の彼岸』232番、1886年)

 したがって、人は女へと生成変化しなくてはならない。それがギリシャ人になることの真の意味である。

人は女を深いとみなしているーーなぜか? 女の場合にはけっして浅瀬に乗りあげることはないからである。女はまだ浅くさえないのである。(ニーチェ『偶像の黄昏』 「箴言と矢」27番、1888年)

なぜ真のフェミニストであるニーチェが、アンチフェミニストと称されるのだろうか。ニーチェが究極のフェミニストであるのは、あまりにもあきらかなのに。

女が男の徳をもっているなら、逃げだすがよい。また、男の徳をもっていないなら、女自身が逃げだす。(『偶像の黄昏』「箴言と矢」28番、1888年)

ニーチェは男の徳をもっている女たちを嘲弄しただけである。

……「男性」に戦いをいどむ、と言っているのは、つねに手段、口実、戦術にすぎぬ。彼女らは、自分たちを「女そのもの」、「高級な女」、女の中の「理想主義者」に引き上げることによって、女の一般的な位階を引き下げようとしている存在だ。それをなしうる最も確実な手段は、高等教育、男まがいのズボン、やじ馬的参政権である。つまるところ、解放された女性とは、「永遠の女性」の世界における無政府主義者、復讐の本能を心の奥底にひめている出来そこないにほかならない。 (ニーチェ『この人を見よ』1888年)

そもそも女性性とは「純粋差異」そのものであり、どんな概念化をも拒む「最小の裂目」である。これがニーチェあるいはラカンの言っていることである。ニーチェにとって詩人あるいはギリシャ人とは、解剖的には男性であっても、女性である。すくなくとも構造主義やラカンの反哲学的思考を経た21世紀人である我々はそう読まねばならない。

ラカンにとって女とは何だろうか? …解剖学的観点からの女の問題ではない。そうではなく、シニフィアンとしての象徴的意味作用における女の問題である。難題は、我々はしばしばイマジネールな女の意味に囚われたままであることだ。結果として、具象的な女のイメージから逃れえず、論理内での場の観点における女を考えることができないでいる。

ラカンは性別化の式で女をLⱥ Femme と書いている。つまり女とはシニフィアンであり、中身はない。(Liora Goder, What is a Woman and What is Feminine Jouissance in Lacan? 、PDF

敢えてあまり知られていない女流ラカン派 Liora Goder の文を掲げたが、この認識が決定的である。シニフィアン、それは「見せかけ semblant」のことであり、ニーチェ用語では「仮象 Schein」のことである。《見せかけ、それはシニフィアン自体のことである! Ce semblant, c'est le signifiant en lui-même ! 》(Lacan,S18, 13 Janvier 1971) 
 
私は強調する、女というものは存在しないと。それはまさに「文字」である。女というものが、大他者はない、すなわちS(Ⱥ)というシニフィアンである限りでの「文字」である。

…La femme … j'insiste : qui n'existe pas …c'est justement la lettre, la lettre en tant qu'elle est le signifiant qu'il n'y a pas d'Autre. [S(Ⱥ)]. (ラカン、S18, 17 Mars 1971)

さらにーーこのところくり返して引用しているがーー次の二文を並べておこう。

わたしにとって今や「仮象」とは何であろうか! 何かある本質の対立物では決してない。 Was ist mir jetzt »Schein«! Wahrlich nicht der Gegensatz irgendeines Wesens(ニーチェ『悦ばしき知』1882年)
真理は見せかけの対立物ではない La vérité n'est pas le contraire du semblant.(ラカン、S18, 20 Janvier 1971)

人はニーチェからラカンを読んでもよい。ラカンからニーチェを読んでもよい。もちろんどちらか一方を徹底的に読み込む方法もあるだろう。だがどのやり方もなしで、いまだ《イマジネールな女の意味に囚われたまま》であるのは、いかんとも許容しがたい。

真理は女である。die wahrheit ein weib (ニーチェ『善悪の彼岸』1886年)
女というものは男(人間)の真理である la femme soit la vérité de l'homme(ラカン、S18, 20 Janvier 1971)

だがなぜ仮象(仮面)あるいは見せかけであることが真理なのであろうか。 これについては長々とした記述が必要であるが、ここでは詳細は割愛する(参照:性別化と四つの言説における「非全体」)。

簡潔に言ってしまえば、仮象に徹することによって象徴界の非一貫性(非全体pas-tout)が現われる、すなわち最小の裂目(純粋差異)に遭遇し得る(例外なしの論理・無限判断)。これをラカンは、見せかけに穴を開けることと言った。

見せかけのなかに穴を開けることが現実界である。ce qui est réel c'est ce qui fait trou dans ce semblant.(ラカン、S18, 20 Janvier 1971)

他方、仮象(仮面)の裏には、なにか隠された真理があるとする態度においては、象徴界は安定してしまう(例外の論理・否定判断)。ゆえに最小の裂目に出会えない。この後者の態度を取ってしまっているのが、構造的な意味での「男」である。

「仮象の scheinbare」世界が、唯一の世界である。「真の世界 wahre Welt」とは、たんに嘘 gelogenによって仮象の世界に付け加えられたにすぎない。(ニーチェ『偶像の黄昏』1888年)

上のニーチェのような態度、たとえばロラン・バルトのように、仮面の下には何もないと考える人間が、構造的な意味での「女」である。

シーニュとは裂けめでありそれを開いてもべつのシーニュの顔がみえるだけである Le signe est une fracture qui ne s'ouvre jamais que sur le visage d'un autre signe(ロラン・バルト『記号の国』(シーニュの帝国 L'Empire des signes)

もちろんバルトだけではなく、ドゥルーズや小林秀雄も、すくなくともある相で「女」になることを希求した、としなければならない。

仮面は、他の仮面以外には、何も隠していない。反復される最初の項はない。Les masques ne recouvrent rien, sauf d'autres masques. Il n'y a pas de premier terme qui soit répété(ドゥルーズ『差異と反復』)
仮面を脱げ、素面を見よ、そんな事ばかり喚きながら、何処へ行くのかも知らず、近代文明というものは駆け出したらしい。(小林秀雄「当麻」)

ドゥルーズがとりあげたプルーストの表現、《 十人のアルベルチーヌ dix Albertines 》、《密封した千の瓶 mille vases clos 》、《小さな差異 petites différences》、《最小の変化 minimum de variété》等々、さらにこれらを洗練させて《純粋多様体 multiplicité pure》と呼んだものは、すべてニーチェの《最小の裂目 die kleinste Kluft》にかかわる。

それぞれの愛は、それ自体でセリーのひとつのかたちを借りている。ふたつの愛の間には見出される小さな差異 petites différences と、対立関係とを、われわれはすでに同一の愛の中に発見している。たとえばアルベルチーヌへの愛と、もうひとつの愛である。なぜならば、アルベルチーヌは、数多くの魂と、数多くの顔を持っているからである。確かに、それらの顔と魂は、同じ面の上にはなく、セリーを構成している。(対立の法則によれば、《最小の変化 le minimum de variété は…ふたつである。われわれは精力的な一瞥、大胆な態度で思い出すのであるが、次に出会ったときに驚き、ほとんど独自の仕方で衝撃を受けるのは、どうしても次の機会に、ほとんどやつれたような横顔、一種の夢見るような甘さ、つまり、その前の思い出の中では無視されていたものによってである。》(プルースト)(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

そしてラカンはこれらをY'a d'l'Un(一のようなものがある )と呼んだ。

純粋差異としての「一」は、要素概念と区別されるものである。L'1 en tant que différence pure est ce qui distingue la notion de l'élément.(S19,17 Mai 1972)


2017年6月13日火曜日

究極の人権宣言:男というものは存在しない

女というものは存在しない。生というものは存在しない。死というものも存在しない。

「ひとつの生」une vie のほうが、「生というもの 」 la vie よりも重要であり、「ひとつの死」une mort のほうが「死というもの」 la mortよりも重要だというところなど、ドゥルーズはゴダールといちばん感性が響き合っているなと思いますね。ゴダールが不定冠詞についてほとんど同じことを言っている。《Une femme mariée》という映画があって、そこを《La femme mariée》にするかしないかをめぐって検閲でもめたときに、彼は《Une femme mariée》にしちゃった。そのほうが広いのだ、と。(蓮實重彦、共同討議「ドゥルーズと哲学」批評空間1996Ⅱ―9[ポジとネガ])  

ひとりの女がいる。ひとつの生が、ひとつの死がある。

とすれば男というものは存在するのだろうか?

「女というものは存在しない」という命題を受け入れるなら、スラヴォイ・ジジェクが言うように、男というものの定義は次のようなものになる――男は「自分が存在すると信じている女である」。( アレンカ・ジュパンチッチ『リアルの倫理―カントとラカン』)

なぜ男というものは、自分が存在すると信じているのだろうか?

ーーオチンチンがわるいのである!

子供が生まれた瞬間にーーいや現在では胎児のうちからエコーでーーオチンチンの有無をまっさきに探りだし、「あ、男の子だわ、女の子だわ!」と選別する人間たちがわるいのである!

この人間の悪癖を根絶せねばならぬ!!
真のフェミニスト蚊居肢散人はそう宣言する!!!

とはいえ究極的には言語の使用を廃止すべきではなかろうか(概念という人間のパートナー)。

言語はレトリック Die Sprache ist Rhetorikである。というのは、 言語はドクサのみを伝え、 何らエピステーメを伝えようとはしないからである。(Nietzsche: Vorlesungsaufzeichnungen 講義録(WS 1871/72 – WS 1874/75)

だが蚊居肢散人はこの宣言をするためにさえ、言語を使用している・・・
なんたる男根主義者! 忸怩たらざることを得ない。

象徴秩序はまたファルス的秩序と呼ばれる。ファルス的秩序は、ファルス関数に従属している。ファルス関数が、私たちの世界の概念・社会秩序・性的ポジションを構成する。本能的な性的方向付け・男女の性的ポジションとしての両性の自然な刻印の不在という人間の宿命のなか、私たちはファルスに関するセクシャリティ内部でのみ私たち自身を位置づけうる。ファルス関数に依拠することなしでは両性の刻印のどんな可能性もない。(Liora Goder、What is a Woman and What is Feminine Jouissance in Lacan?ーーファルス秩序から逃れるための十か条

なにはともあれ《真理は女である。die wahrheit ein weib 》(ニーチェ『善悪の彼岸』1886年)

これだけは繰り返し強調せねばならぬ(参照:真理は女である。ゆえに存在しない)。



概念という人間のパートナー

吾々にとつて幸福な事か不幸な事か知らないが、世に一つとして簡単に片付く問題はない。遠い昔、人間が意識と共に与へられた言葉といふ吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない。劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。而も、若し言葉がその人心眩惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。(小林秀雄「様々なる意匠」1929年)

ーー今頃気づくのもなんだが、やはりここにもニーチェがいる(参照)。

言語はレトリック Die Sprache ist Rhetorikである。というのは、 言語はドクサのみを伝え、 何らエピステーメを伝えようとはしないからである。(Nietzsche: Vorlesungsaufzeichnungen 講義録(WS 1871/72 – WS 1874/75)

…………

ラカンはセミネールX にて、根本幻想とは、《窓の枠組みの上に位置づけられた絵 un tableau qui vient se placer dans l'encadrement d'une fenêtre》としている。この《馬鹿げたテクニック Technique absurde》は、人が《窓から見えるものを見ない ne pas voir ce qui se voit par la fenêtre》こと、斜線を引かれた大他者・大他者のなかの欠如 Ⱥ を見ないことにある、と。

誰でもこの根本幻想のシステムをもっている。そもそもクリステヴァがいうように《言語自体が、我々の究極的かつ不可分のフェティッシュ》であるならば(参照)、言語システム自体が幻想システムである。

フェティッシュとは、欲望が自らを支えるための条件である。 il faut que le fétiche soit là, qu'il est la condition dont se soutient le désir. (Lacan,S10)

そして《フェティッシュと幻想は同じ地位にある》(Vincent Zumstein, 2006)、かつまた《主体の生活の真のパートナーは、実際は、人物ではなく言語自体である》(Jean-Louis Gault)。

言語による幻想とは(厳密さを期さなければ)概念による幻想といってもほとんど同じことである。

人間と動物を分け隔てるすべては、生々しい隠喩 anschaulichen Metaphern を概念的枠組みSchemaのなかに揮発 verflüchtigen させる能力にある。つまりイメージを概念へと溶解するのである。この概念的枠組みのなかで何ものかが可能になる。最初の生々しい印象においてはけっして獲得されえないものが。(ニーチェ「道徳外の意味における真理と虚偽について」1873年)

すなわち概念による幻想システムにより、物を直に見ないテクニックを備えているのが我々人間である。

プルーストを掲げよう。

「知った人に会う」とわれわれが呼んでいる非常に単純な行為にしても、ある点まで知的行為なのだ。会っている人の肉体的な外観に、われわれは自分のその人についてもっているすべての概念を注ぎこむ。したがってわれわれが思いえがく全体の相貌のなかには、それらの概念がたしかに最大の部分を占めることになる。そうした概念が、結局相手の人の頬にそれとそっくりなふくらみをつくり、その鼻にぴったりとくっつけた鼻筋を通してしまい、その声に、それがいわば振動する二つの透明な膜にすぎないかのように、さまざまなひびきのニュアンスを出させることになるのであって、その結果、われわれが相手の人の顔を見、その声をきくたびに、目のまえに見え、耳にきこえているのは、その人についての概念なのである。(プルースト「スワン家のほうへ」井上究一郎訳)

…………

以下の文も同様。

愛情は、いとしい人々の顔がわれわれにさしむける映像をわれわれにとどかせるまえに、それをおのれの渦巻のなかにとらえ、そうした映像をいとしい人々についてわれわれがつねに抱きつづけている観念の上に投じ、その観念に密着させ、その観念に一致させる

その前後も含めて。

ああ、私の帰ったことを知らされずに本を読んでいる祖母を私がサロンにはいって見出したとき、私の目に映ったのは、そのような幻影であった。私はそこにいた、というよりもまだそこにいなかった、というべきであった。なぜなら祖母は私がそこにいることを知らずに、物思いにふけっていたからであって、そんな姿を私のまえで見せたことはいままでになく、まるで彼女は、人がはいってくればかくしてしまうような編物か何かをしているところをふいに見つけられた女のようであった。

私はといえばーー長くはつづかない特権、旅から帰った短い瞬間に自分自身の不在を突然まのあたりに見る能力をさずかるあの特権によってーー帽子をかぶり、旅行用のコートを着た、証人で目撃者、この家の者ではない外来の客、二度と見られない場所をフィルムにとりにきた写真師、といった要素しか残していない人間のようであった。私が祖母の姿を認めたこのときに、私の目のなかに機械的に写されたのは、なるほど一枚の写真であった。われわれがいとしい人々を見るのは、生きて動いている組織のなか、われわれのやむことのない愛情の永久の運動のなかにおいてでしかないのであって、愛情は、いとしい人々の顔がわれわれにさしむける映像をわれわれにとどかせるまえに、それをおのれの渦巻のなかにとらえ、そうした映像をいとしい人々についてわれわれがつねに抱きつづけている観念の上に投じ、その観念に密着させ、その観念に一致させるのだ。

(……)しかし、われわれの目がながめたのではなくて、単なる物質的な対物レンズとか写真の乾板とかがながめたのであったら、たとえば学士院の構内に見られるものにしても、それは辻馬車を呼ぼうとしている一人のアカデミー会員の退出の姿ではなくて、あたかもその人が酔っているか地面が凍ったぬかるみに被われているかのように、その人のよろめく足どり、うしろ向きに倒れないための用心、転倒の放物線であるだろう。おなじことは次の場合にも言いうる、すなわち、われわれの視線から、それがながめるべきではないものをかくすために、われわれの理知と敬虔とから出た愛情がうまく駆けつけようとするときに、偶然の残酷なたくらみがそれをさまたげてしまう、つまり愛情が視線に先手を打たれてしまう場合であって、視線が真先に即座にやってきて、機械的に感光板の作用をはたしてしまうのである、そんな場合、ずいぶんまえからもういなくなった愛するひと、しかし愛情がその死をけっしてわれわれにあらわに感じさせることを欲しなかったひと、そのようなひとの代わりに、視線がわれわれに見せつけるのは、新しいひと、日に百度も愛情がいつわりの親しげな類似の相貌をとらせる新しいひとなのである。

(……)私は、祖母すなわち私自身という関係をまだ断ちきっていなかった私は、祖母を私の魂のなかにしか、つねに過去のおなじ場所にしか、そして隣りあいかさなりあう透明な思出を通してしか、けっして見たことのなかったこの私は、突然、私の家のサロンのなかに、新しい一つの世界、時間の世界、「ひどく年をとったなあ」と人からささやかれる見知らぬ人たちが住んでいる世界、そんな世界の一部分となった私の家のサロンのなかに、はじめて、ほんの一瞬のあいだ(というのはそういう祖母はすぐにぱっと消えてしまったからだが)、ランプの下の、長椅子の上に、赤い顔をして、鈍重で俗っぽくて、病んで、夢にふけって、頭がすこしぼけたような目を本の上にさまよわせている、私の知らないうちひしがれた一人の老婆の姿を認めたのであった。(プルースト「ゲルマントのほうへ Ⅰ」 井上究一郎訳)


2017年6月11日日曜日

「遠近法」、あるいは「自然は存在しない」

まず「真理は女である。ゆえに存在しない」に付記した、ニーチェ最初期の文献学者としての文を再掲する。

歴史とは、 それぞれの存立を賭けた無限に多様で無数の利害関心(Interessen)相互の闘争でないとしたら、一体何であろうか (Nietzsche, Nachgelassene Aufzeichnungen , Herbst 1867-Frühjahr 1868)

ーー1884年生れのニーチェであり、20歳代前半の言明ということになる。

そして実質上最晩年のニーチェの草稿(1886/87)を読んでみよう。

現象 Phänomenen に立ちどまったままで「あるのはただ事実のみ es giebt nur Thatsachen」と主張する実証主義 Positivismus に反対して、私は言うであろう、否、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ nein, gerade Thatsachen giebt es nicht, nur Interpretationenと。私たちはいかなる事実「自体」をも確かめることはできない。おそらく、そのようなことを欲するのは背理であろらう。

「すべてのものは主観的である Es ist Alles subjektiv」と君たちは言う。しかしこのことがすでに解釈なのである。「主観 Subjekt」は、なんらあたえられたものではなく、何か仮構し加えられたもの、背後へと挿入されたものである。---解釈の背後になお解釈者を立てることが、結局は必要なのであろうか? すでにこのことが、仮構であり、仮説である。

総じて「認識 Erkenntniß」という言葉が意味をもつかぎり、世界は認識されうるものである。しかし、世界は別様にも解釈されうるのであり、それはおのれの背後にいかなる意味をももってはおらず、かえって無数の意味をもっている。---「遠近法主義 Perspektivismus
 
世界を解釈するもの、それは私たちの欲求 Bedürfnisse である、私たちの衝動 Trieb とこのものの賛否である。いずれの衝動も一種の支配欲 Jeder Trieb ist eine Art Herrschsucht であり、いずれもがその遠近法 Perspektive をもっており、このおのれの遠近法を規範としてその他すべての衝動に強制したがっているのである。(ニーチェ『権力への意志』)
Gegen den Positivismus, welcher bei den Phänomenen stehn bleibt »es giebt nur Thatsachen«, würde ich sagen: nein, gerade Thatsachen giebt es nicht, nur Interpretationen. Wir können kein Faktum »an sich« feststellen: vielleicht ist es ein Unsinn, so etwas zu wollen.

»Es ist Alles subjektiv« sagt ihr: aber schon Das ist Auslegung. Das »Subjekt« ist nichts Gegebenes, sondern etwas Hinzu-Erdichtetes, Dahinter-Gestecktes. – Ist es zuletzt nöthig, den Interpreten noch hinter die Interpretation zu setzen? Schon Das ist Dichtung, Hypothese.

Soweit überhaupt das Wort »Erkenntniß« Sinn hat, ist die Welt erkennbar: aber sie ist anders deutbar, sie hat keinen Sinn hinter sich, sondern unzählige Sinne. – »Perspektivismus«.

Unsere Bedürfnisse sind es, die die Welt auslegen; unsere Triebe und deren Für und Wider. Jeder Trieb ist eine Art Herrschsucht, jeder hat seine Perspektive, welche er als Norm allen übrigen Trieben aufzwingen möchte.(Nietzsche: Der Wille zur Macht I - Kapitel 24,481)

ニーチェはすくなくともこの点に関して、実に初期から首尾一貫している。いや文献学者としてのニーチェが、この思考を生んだとしてもよい。

ニーチェが『曙光』(1881年)に 1886年になって追加した序文(第5節)にはこうある。

私が文献学者であったのは無駄ではない。私はいまなお文献学者だろう、つまりゆっくりした読み方の教師だろう-そのあげく私はまたゆっくりと書くのである。 あらゆる種類の 「いそがしい」人間を絶望せしめないようなものはもはやなにも書かないということが、いまでは私の習慣に属するばかりでなく、また私の趣味-ひょっとして悪意の趣味だろうか?-に属する。けだし文献学とは、かの尊敬すべき技芸-精巧で慎重な仕事ばかりやらな ければならず、「緩徐に(レントー)」やるのでなければなにごともできない言葉の金細工師の技術・知識として、なにをおいてもまず次の一事をその崇拝者から要求するところの技芸である-すなわち回り道をし、時間をかけ、静かになり、緩慢になること。-しかもそのためにこそ、それは今日これまでになく必要なのである。そのためにこそ、それはわれわれをもっとも強く惹きつけ、魅惑するところがあるのだ。「勤労」の時代、すなわち躁急の時代、一切を、すべての新古の書物にしても、早速「片づけ」てしまおうとする不躾な汗まみれの性急な時代のさなかで。 -文献学というものはそんなにわけなく物を片づけない。それはよき読み方を教える。すなわちゆっくりと、深く、慎重な顧慮をもって、底意をもって、心の扉をあけ放したままにしておいて、繊細な指と眼とをもって読むことを…。(ニーチェ『曙光』「序文」)


…………

ある時期から考古学 archéologie から 系譜学 généalogie(系譜学の手続き procédure)  へと移行したミシェル・フーコーは次のように言っている。

ニーチェの考えるような歴史的感覚は、自らがある視点 perspectif を持つことを知っており、自らに固有の不公正さの体系を拒否しはしない。歴史的感覚は、評価し、イエスかノーを言い、毒のあらゆる痕跡をたどり、最良の解毒剤を見つけ出そうという断固とした意図 (propos)をもって、特定の角度から眺めるのである。(フーコー「ニーチェ、系譜学、歴史 Nietzsche, la généalogie, l'histoire」、1971年)

ここで人はカントの《視差parallax》を想い起しておくべきだろう。

以前に私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した、今私は自分を自分のでない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もいそかなる動機もろとも、他人の視点から考察する。両方の考察の比較はたしかに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段でもある。(カント『視霊者の夢』)


こういったカントやニーチェの思考は歴史だけではなく、すべての事象が「ある視点」から捉えられたもの、--つまり「遠近法」だということになるはずである。

たとえば「科学」。

科学が憩っている信念は、いまだ形而上学的信念である。

daß es immer noch ein metaphysischer Glaube ist, auf dem unser Glaube an die Wissenschaft ruht(ニーチェ『悦ばしき知』1882年)

科学者が形而上学者であるとはどういう意味か?

理論X が理論Y によって取って変わられるとき、科学者はそれにもかかわらず以前の理論X の部分的有効性を説明しようとする。通常の接近法は、古い理論は、実在のある相を正しく把握していたことを示そうとする。これは、底に横たわる「絶対的真理」があるという想定であり、その真理に対して、ある理論がより正しいかより劣っているかという考え方である。(Daniel Smith、Nietzsche: Science and Truth 、2013、PDF

科学者たちは「真なる自然」があると信じている。だがニーチェは上に引用したように、科学はメタ信念に基づいているということにより、遥かにラディカルな観点を提示している。

ニーチェは物理学についてこう記している。

・物理学とは世界の配合と解釈にすぎない。dass Physik auch nur eine Welt-Auslegung und -Zurechtlegung

・我々は、線・平面・物体・原子、あるいは可分的時間・可分的空間とかいった、実のところ存在しないもののみを以て操作する。Wir operieren mit lauter Dingen, die es nicht gibt, mit Linien, Flächen, Körpern, Atomen, teilbaren Zeiten, teilbaren Räumen (ニーチェ『 悦ばしき知 Die fröhliche Wissenschaft』1882年)

これはラカンの次の言明と相同的である。

物理学の言説が物理学者を決定づける。その逆ではない c'est que
c'est le discours de la physique qui détermine le physicien, non pas le contraire(ラカン、S16、20 Novembre 1968)

ところでジジェクは、すでに1991年の段階でこう言っている。

ラカンの「女は存在しない」という命題にならって、たぶん我々は「自然は存在しない」と主張すべきである。 Homologous to the Lacanian proposition "Woman does not exist," we should perhaps assert that Nature does not exist.(ジジェク『斜めから見る』1991年)

真理は女である。ゆえに存在しない」にてジジェク2012の文を引用した。

女というものは存在しない 、だが女たちはいる。
la Femme n'existe pas, mais il y a des femmes(ジジェク、LESS THAN NOTHING, 2012)


これは、それぞれの言語ゲームのなかで部分的真理はある。だが各ゲームを統一する真理はない(家族的類似性)ということである。

ラカンが、自然は《 非一 》pas-une であると言っているのはこの意味である。

La nature, dirai-je pour couper court, se spécifie de n’être « pas-une ». D’où le procédé logique pour l’aborder.(Lacan, S23, 18 Novembre 1975)

もちろんこういった考え方はラカン派だけではない。かねてよりニーチェの「遠近法」をくりかえし問うてきた柄谷行人は次のように書いている。

コペルニクス以前にも以後にも太陽はある。それは東に昇り、西に沈む。しかし、コペルニクス以後の太陽は、計算体系から想定されたものである。つまり、同じ太陽でありながら、われわれは違った「対象」をもっているのである。(柄谷行人『トランスクリティーク』2001年)
科学が事実・データからの帰納や“発見”によるのではなく、仮説にもとづく“発明”であること、科学的認識の変化は非連続的であること、それが受けいれられるか否かは好み(プレファレンス)あるいは宣伝(プロパガンダ)・説得(レトリック)によること(柄谷行人『隠喩としての建築』1983年)
経験的データが理論の真理性を保証しているのではなく、逆に経験的データこそ一つの「理論」の下で、すなわち認識論的パラダイムの下で見出される……そして、それが極端化されると、「真理」を決定するものはレトリックにほかならないということになる。(柄谷行人「形式化の諸問題」1983年)

こうして人は、初期ニーチェの言葉をかみしめなければならないことになる。

言語はレトリックである。Die Sprache ist Rhetorik, (Nietzsche: Vorlesungsaufzeichnungen 講義録(WS 1871/72 – WS 1874/75)

これは100年後にラカンが、 《見せかけ semblant、それはシニフィアン自体のことである! Ce semblant, c'est le signifiant en lui-même ! 》(Lacan,S18, 13 Janvier 1971)としたのと等価な表現として捉えられるべきである。あるいは《言説自体、いつも見せかけ semblant の言説である。le discours, comme tel, est toujours discours du semblant》(S19, 21 Juin 1972)

ーーラカンの言説は、フーコーの言説とは異なり、「社会的つながり lien social」という意味である。

ラカンは人間の現実は「見せかけの世界 le monde du semblant」とも言ったが、それは「仮象の世界 scheinbare Welt」と言っても同じことである。

わたしにとって今や「仮象 Schein」とは何であろうか! 何かある本質の対立物では決してない。

Was ist mir jetzt »Schein«! Wahrlich nicht der Gegensatz irgendeines Wesens(ニーチェ『悦ばしき知』1882年)
真理は見せかけ semblant の対立物ではない La vérité n'est pas le contraire du semblant.(ラカン、S18, 20 Janvier 1971)
仮象の scheinbare」世界が、唯一の世界である。「真の世界 wahre Welt」とは、たんに嘘 gelogenによって仮象の世界に付け加えられたにすぎない。(ニーチェ『偶像の黄昏』1888年)

 もっともこういった観点は別に目新しいものではない、という人もいるだろう。

この世界はすべてこれひとつの舞台、人間は男女を問わず すべてこれ役者にすぎぬ(All the world's a stage, And all the men and women merely players.)。(シェイクスピア『お気に召すまま』1600年)

現在エビデンス主義などということを何の留保もなしに主張している連中は、シェイクスピア以前に退行していると見なすべきである・・・ガリレオ(1564年ー1642年)が言ったように、事実(エビデンス)は理論によって生み出されるのであり、その反対ではない。







2017年6月10日土曜日

真理は女である。ゆえに存在しない

【言語とはレトリックである】
言語はレトリックである。というのは、 言語はドクサのみを伝え、 何らエピステーメを伝えようとはしないからである。

Die Sprache ist Rhetorik, denn sie will nur eine doxa, keine episteme übertragen“ (Nietzsche: Vorlesungsaufzeichnungen 講義録(WS 1871/72 – WS 1874/75)

《しかし言語自体が、我々の究極的かつ不可分なフェティッシュではないだろうか Mais justement le langage n'est-il pas notre ultime et inséparable fétiche? 。言語はまさにフェティシストの否認を基盤としている(「私はそれを知っている。だが同じものとして扱う」「記号は物ではない。が、同じものと扱う」等々)。そしてこれが、言語存在の本質 essence d'être parlant としての我々を定義する。その基礎的な地位のため、言語のフェティシズムは、たぶん分析しえない唯一のものである。》(クリステヴァ1980、J. Kristeva, Pouvoirs de l’horreur, Essais sur l’abjection)


【すべての言語は隠喩である】
言語の使用者は、人間に対する事物の関係を示しているだけであり、その関係を表現するのにきわめて大胆な隠喩を援用している。すなわち、一つの神経刺戟がまず形象に移される! これが第一の隠喩。その形象が再び音において模造される! これが第二の隠喩。そしてそのたびごとにまったく別種の、新しい領域の真只中への、各領域の完全な飛び越しが行われる。

Er bezeichnet nur die Relationen der Dinge zu den Menschen und nimmt zu deren Ausdrucke die kühnsten Metaphern zu Hilfe. Ein Nervenreiz, zuerst übertragen in ein Bild! Erste Metapher. Das Bild wieder nachgeformt in einem Laut! Zweite Metapher. Und jedesmal vollständiges Überspringen der Sphäre, mitten hinein in eine ganz andre und neue.(ニーチェ「道徳外の意味における真理と虚偽について Über Wahrheit und Lüge im außermoralischen Sinn」1873年:死後出版)

ーー神経刺戟 Nervenreiz → 形象 (イメージ Bild) → 音による模造 nachgeformt in einem Lautとある。

原始感覚的(プロトペイシック)→漠然とした綜合感覚(母親に抱かれた抱擁感等)→世界の整合化と因果関連化(言語化)(中井久夫ーー参照:言語による世界の整合化と貧困化

《ニーチェによって獲得された自己省察(内観 Introspektion)の度合いは、いまだかつて誰によっても獲得されていない。今後もおそらく誰にも再び到達され得ないだろう。

Eine solche Introspektion wie bei Nietzsche wurde bei keinem Menschen vorher erreicht und dürfte wahrscheinlich auch nicht mehr erreicht werden." 》(フロイト、於ウィーン精神分析協会会議 1908年 Wiener Psychoanalytischen Vereinigung)


【世界の概念化】
人間と動物を分け隔てるすべては、生々しい隠喩 anschaulichen Metaphern を概念的枠組みSchemaのなかに揮発 verflüchtigen させる能力にある。つまりイメージを概念へと溶解するのである。この概念的枠組みのなかで何ものかが可能になる。最初の生々しい印象においてはけっして獲得されえないものが。

Alles, was den Menschen gegen das Tier abhebt, hängt von dieser Fähigkeit ab, die anschaulichen Metaphern zu einem Schema zu verflüchtigen, also ein Bild in einen Begriff aufzulösen. Im Bereich jener Schemata nämlich ist etwas möglich, was niemals unter den anschaulichen ersten Eindrücken gelingen möchte:(同上「道徳外の意味における真理と虚偽について」1873年)

《言語化への努力はつねに存在する。それは「世界の言語化」によって世界を減圧し、貧困化し、論弁化して秩序だてることができるからである。》(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』所収)


 【真理とは錯覚である】
真理とは錯覚である。人が錯覚であることを忘れてしまった錯覚である。 真理とは、擦り切れて感覚的力が干上がった隠喩である。使い古されて肖像が消え、もはや貨幣としてではなく、金属として見なされるようになってしまった貨幣である。

die Wahrheiten sind Illusionen, von denen man vergessen hat, daß sie welche sind, Metaphern, die abgenutzt und sinnlich kraftlos geworden sind, Münzen, die ihr Bild verloren haben und nun als Metall, nicht mehr als Münzen, in Betracht kommen(ニーチェ「道徳外の意味における真理と虚偽について」1873年)

《私は常に真理を言う、すなわち非全体を。Je dis toujours la vérité : pas toute…》(ラカン、Télévision, 1973)

男でない全ては女だろうか? 人はそれを認めるかもしれない。だが女は全てではない(非全体 pas « tout » )のだから、どうして女でない全てが男だというのか?

Tout ce qui n'est pas homme… est-il femme ? On tendrait à l'admettre. Mais puisque la femme n'est pas « tout », pourquoi tout ce qui n'est pas femme serait-il homme ? (S.19, 10 Mai 1972)

ーーこれはカントの無限判断の論理である。

仮に私が魂について「魂は死なない」と言ったとすれば、私は否定判断によって少なくとも一つの誤謬を除去したことになるだろう。ところで「魂は不死である die Seele ist nichtsterblich」という命題による場合には、私は魂を不死の実体という無制限の外延中に定置することによって、論理の形式面からは事実肯定したことになる。(……)

[後者の命題が主張するのは]魂とは、死すものがことごとく除去されてもなお残るところの、無限に多くのものの一つである、ということに他ならない。(……)しかし、この[あらゆる可能なものの]空間はこのように死すものが除去されるにも関わらず、依然として無限であり、もっと多くの部分が取り去られても、そのために魂の概念が少しも増大したり肯定的に規定されるということはありえない。(カント『純粋理性批判』)

《大他者の大他者はない il n'y a pas d'Autre de l'Autre、それを徴示するのがS(Ⱥ) である …« Lⱥ femme 斜線を引かれた女»は S(Ⱥ) と関係がある。…彼女は« 非全体 pas toute »なのである。》(ラカン、S20, 13 Mars 1973)

ーー「大他者の大他者はない「とは、 象徴的大他者はどんな〈他〉の外部の支え(父の名の普遍的法)によっても正当化されないということであり、象徴界が非全体 pas-tout である限り、象徴界に関するリアルな〈他者性〉はもはやあり得ないことである。


【物理学とは世界の配合・解釈】
・物理学とは世界の配合と解釈にすぎない。dass Physik auch nur eine Welt-Auslegung und -Zurechtlegung

・我々は、線・平面・物体・原子、あるいは可分的時間・可分的空間とかいった、実のところ存在しないもののみを以て操作する。Wir operieren mit lauter Dingen, die es nicht gibt, mit Linien, Flächen, Körpern, Atomen, teilbaren Zeiten, teilbaren Räumen (ニーチェ『 悦ばしき知 Die fröhliche Wissenschaft』1882年)

《物理学の言説が物理学者を決定づける。その逆ではない c'est que c'est le discours de la physique qui détermine le physicien, non pas le contraire》(ラカン、S16、20 Novembre 1968)

《近代科学は…対象の数学化を要求する。それは対象が数学的本質であることを要求しない。したがって対象が永遠・完璧であることを要求しない。……むしろ、反対に、数学化の手段によって、対象の把握を目指す。数学化において、対象はそれ自体と異なることもありうる。対象は、実験上の、偶然的・反復的、したがって一時的な性質をもちうる。》(ジャン=クロード・ミルネールJean-Claude Milner, Le périple structural, 2002、私訳)


【真理は仮象の対立物ではない】
わたしにとって今や「仮象」とは何であろうか! 何かある本質の対立物では決してない。

Was ist mir jetzt »Schein«! Wahrlich nicht der Gegensatz irgendeines Wesens(ニーチェ『悦ばしき知』1882年)

《真理は見せかけの対立物ではない La vérité n'est pas le contraire du semblant.》(ラカン、S18, 20 Janvier 1971)

《見せかけ、それはシニフィアン自体のことである! Ce semblant, c'est le signifiant en lui-même ! 》(Lacan,S18, 13 Janvier 1971)

《現実界とは、見せかけに穴を開けることである。ce qui est réel : ce qui est réel c'est ce qui fait trou dans ce semblant.》(ラカン、S18, 20 Janvier 1971)


「仮象の scheinbare」世界が、唯一の世界である。「真の世界 wahre Welt」とは、たんに嘘 gelogenによって仮象の世界に付け加えられたにすぎない。(ニーチェ『偶像の黄昏』1888年)


【名付けの機能】
事物が何であるかよりも、事物がどう呼ばれるかのほうがはるかに重要である。

einzusehen, dass unsäglich mehr daran liegt, wie die Dinge heissen, als was sie sind.(ニーチェ『悦ばしき知』1882年)

《父の諸名 、それは何かの物を名付ける nomment quelque chose という点での最初の諸名 les noms premiers のことである》(LACAN 、S22,. 3/11/75)

《たとえば世界に「昼と夜」というシニフィアンが導入されたとき、何か全く完全に新しいものがうまれる。》 (ミレール、The Axiom of the Fantasm、 Jacques-Alain Miller)


【真理は女である】
真理は女である。die wahrheit ein weib (ニーチェ『善悪の彼岸』1886年)

《真理は乙女である。真理はすべての乙女のように本質的に迷えるものである。la vérité, fille en ceci …qu'elle ne serait par essence, comme toute autre fille, qu'une égarée.》(Lacan, S9, 15 Novembre 1961)

《女は、見せかけに関して、とても偉大な自由をもっている!la femme a une très grande liberté à l'endroit du semblant ! 》(Lacan、S18, 20 Janvier 1971)


【真理は存在しない】

ニーチェの真理は女である、とは、ラカンの《女というものは存在しない》として理解されるべきである。

女というものは存在しない 、だが女たちはいる。
la Femme n'existe pas, mais il y a des femmes(ジジェク、LESS THAN NOTHING, 2012)

すなわち、それぞれの言語ゲームのなかで部分的真理はある。だが各ゲームを統一する真理はない(家族的類似性)。

・私たちが見ているのは、多くの類似性――大きなものから小さなものまで――が互いに重なり合い、交差してできあがった複雑な網状組織なのである。

・私は、この類似性を特徴付けるのに「家族的類似性Familienähnlichkeit」という言葉以上に適切なものを知らない。なぜなら家族の構成員の間に成り立つ様々な類似性――体格、顔つき、眼の色、歩き方、気性、等々――は、まさにそのように重なり合い、交差しているからである。そこで私はこう言いたい、「ゲーム」もまた一つの家族を構成しているのだ、と。(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』66ー67節)

※参照:家族的類似性

…………

※付記

ニーチェ批判(吟味)の文脈でかつて次のようなことが言われた。

「真理はない」が真理なら、結局ひとつの真理があることになる。(Maudemarie Clark、1990)

この論理を適用すれば、例えば、《「神は死んだ」が真理なら、「神がいないことを保証する神=真理」があることになる》と言えるだろう。

他にも、ラカンによるニーチェへの当てこすりとも読める次の文をどうよむべきか。

無神論の真の公式 la véritable formule de l’athéisme は「神は死んだ Dieu est mort」ではなく、「神は無意識的である Dieu est inconscient」である。(ラカン、S11, 12 Février 1964)

後年、次のようにも言っている。

無意識の仮説、それはフロイトが強調したように、父の名を想定することによってのみ支えられる。父の名の想定とは、もちろん神の想定のことである。

L'hypothèse de l'Inconscient - FREUD le souligne - c'est quelque chose qui ne peut tenir qu'à supposer le Nom-du-Père.Supposer le Nom-du-Père, certes, c'est Dieu.(Lacan, S23, 13 Avril 1976)
「大他者の(ひとつの)大他者はある il y ait un Autre de l'Autre」という人間のすべての必要(必然)性。人はそれを一般的に〈神〉と呼ぶ。だが、精神分析が明らかにしたのは、〈神〉とは単に〈女 〉« La femme » だということである。

La toute nécessité de l'espèce humaine étant qu'il y ait un Autre de l'Autre. C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ».(S23、16 Mars 1976)

今、この問いは宙吊りにしたままにしておく。要するにはっきりとはわからない。真理はない(どう考えているかは本文ににいくらか暗示したつもりではあるが)。いずれにせよ、ニーチェを疑うのなら、ラカンの「無意識」のほうをもっと疑いたくなるところがわたくしにはある(参照:神と女をめぐる「思索」)。

ところで、ニーチェの《遠近法 Perspektivismus》とは、ラカンの《メタランゲージはない》と相同的である、という見解がある(Daniel Smith、Nietzsche: Science and Truth 、2013、PDF)。

《メタランゲージはない》とは《大他者の大他者はない》と等価であり(参照)、Daniel Smith によれば、ニーチェの思想は、基本的に「女性の論理」、つまりカントの無限判断、ウィトゲンシュタインの家族的類似性の領域にある、と捉えていることになる。

最後に最初期のニーチェーー文献学者としてのニーチェーーの言葉を掲げておこう。

歴史とは、 それぞれの存立を賭けた無限に多様で無数の利害関心(Interessen)相互の闘争でないとしたら、一体何であろうか (Nietzsche, Nachgelassene Aufzeichnungen , Herbst 1867-Frühjahr 1868)

あきらかに遠近法あるいは「メタランゲージはない」の人がすでにここにいる。

※続き→「遠近法」、あるいは「自然は存在しない」