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2017年9月30日土曜日

あんたの魂のことを書くんだよ。描写するんじゃねえぞ

「あんたの魂のことを書くんだよ。描写するんじゃねえぞ」とは小林秀雄が大岡昇平にあたえたアドバイスの言葉である。

巷間に流通しているのは、《小林秀雄が「君は魂のことを書け」とアドヴァイスをしたところ、大岡は「いや、事実を書く」と反発した》(魂ではなく事実を書く——大岡昇平の視点)だが、これは下に引用する大岡昇平の文を読むかぎりでは異なる。「事実を書く」などとはどこにも言っていない。「描写する」という表現がなされているだけである。

「事実を書く」であるなら、ニーチェの文を引用して罵倒しようと思ったのだがそうはいかなくなって残念である・・・

現象 Phänomenen に立ちどまったままで「あるのはただ事実のみ es giebt nur Thatsachen」と主張する実証主義 Positivismus に反対して、私は言うであろう、否、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ nein, gerade Thatsachen giebt es nicht, nur Interpretationen と。私たちはいかなる事実「自体」をも確かめることはできない。おそらく、そのようなことを欲するのは背理であろらう。(ニーチェ『権力への意志』ーー「遠近法」、あるいは「自然は存在しない」

というわけで(?)、ネット上から拾ったのだが、大岡昇平の「再会」から核心部分を掲げる。

「君、一つ従軍記を書いてくれないかな」 と待望の話になった。「従軍記」には私は思わず吹き出した。私は本物の兵隊として行ったので、 報道班員のように「従軍」したのではない。しかしX先生がそういうのも一理ないこともない。私はてんで戦う気はなかったのであるから、事実上従軍みたいなものである。

「ああ、Bからちょっと聞いた。でもねえ……」 と勿体をつける。

「いやなのかい」

「いやじゃないけどね。戦場の出来事なんて、その場で過ぎてしまうもので、書き留める値打があるかどうかわかんないんだよ。ただ俘虜の生活なら書ける。人間が何処まで堕落出来るかってことが、そうだな、三百枚は書けそうだ。だけど日本が敗けちゃって、国中ががっかりしてる時に、そいつを書くのは可哀そうだな。もっとも今は共産党とかなんとかいってるけれど、そのうちきっと反動が来ると思います。その時書いてもいいですな」

私はただてれているにすぎなかった。それがX 先生に見破られないはずはない。先生は長口舌を振う私の顔を憐むように見ていたが、

「復員者の癖になまいうもんじゃねえ。何でもい い、書きなせえ。書きなせえ。ただ三百枚は長すぎるな。百枚に圧縮しなせえ、他人の事なんか構わねえで、あんたの魂のことを書くんだよ。描写するんじゃねえぞ」

「へえ」  

しかしスタンタリヤンを捉えて、描写するなとは余計な忠告というものである。半年後出来上がった百枚の原稿を、先生はほめてくれたが(私の書いたものが、先生にほめられた最初である) 、あんまり描写がないのに、少し驚いたらしい。

「ふむ、こりゃいいもんが出来たが、どうもあんまりフィリピンの緑の感じが出てねえな。八犬伝の雑兵が、清澄山から東京湾を見下ろしてるようじゃねえか。時々ちょっと描写を挿むと効果的なんだ」  

私は内心凱歌を挙げた 。(大岡昇平「再会」)

《スタンタリヤンを捉えて、描写するなとは余計な忠告というもの》とあるように、大岡昇平は「魂のことを書く」より「描写」のほうが肝腎だと考えたということになる。

彼は脚下に二十里四方の土地を見た。ハヤブサであろう、彼の頭上の大岩から飛び立った鳥が、いたって大きな輪を、音もなく、えがいているのがときどき彼の視界に入った。ジュリアンの目は、機械的にこの猛禽のあとを辿っていた。その落ち着いた、しかも力強い動きが、彼の心を打った。彼はあの力をうらやんだ。彼はあの孤立をうらやんだ。それはナポレオンの運命であった。いつの日か、それが彼の運命になるだろうか。(スタンダール『赤と黒』)

他方、小林秀雄の「魂のことを書く」とは何か? それは次の文によく表れている。

歴史は決して二度と繰返しはしない。だからこそ僕等は過去を惜しむのである。歴史とは、人類の巨大な恨みに似ている。歴史を貫く筋金は、僕等の愛惜の念というものであって、決して因果の鎖という様なものではないと思います。それは、例えば、子供に死なれた母親は、子供の死という歴史事実に対し、どういう風な態度をとるか、を考えてみれば、明らかな事でしょう。母親にとって、 歴史事実とは、 子供の死という出来事が、 幾時、 何処で、どういう原因で、どんな条件の下に起ったかという、単にそれだけのものではあるまい。 かけ代えのない命が、取返しがつかず失われて了ったという感情がこれに伴わなければ、歴史事実としての意味を生じますまい。若しこの感情がな ければ、子供の死という出来事の成り立ちが、ど んなに精しく説明出来たところで、 子供の面影が、 今もなお、眼の前にチラつくというわけには参る まい。歴史事実とは、嘗て或る出来事が在ったというだけでは足りぬ。今もなおその出来事が在る事が感じられなければ仕方がない。母親は、それをよく知っている筈です。母親にとって、歴史事実とは、子供の死ではなく、寧ろ死んだ子供を意味すると言えましょう 。 (小林秀雄「歴史と文学」昭和16年)

《子供の死ではなく、寧ろ死んだ子供》とは何だろうか。まずは一般的なことではなく単独的なこととしうる。《わたしたちは、個別的なものに関する一般性であるかぎりの一般性と、単独的なものに関する普遍性としての反復とを対立したものとみなす》(ドゥルーズ『差異と反復』)

単独的なものは「身体の出来事」という風にもたぶん捉えうる。《症状(原症状)は身体の出来事である。le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps》(ラカン、JOYCE LE SYMPTOME, AE.569、1975)

このサントーム SINTHOME とも呼ばれる原症状は、原トラウマ(フロイトの原固着)とほぼ等価である(参照)。

トラウマ、ないしその想起は、異物 Fremdkörper ーー体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子として効果を持つ異物ーーのように作用する。(フロイト『ヒステリー研究』予備報告、1893年)
我々は「トラウマ的 traumatisch」という語を次の経験に用いる。すなわち「トラウマ的」とは、短期間の間に刺激の増加が通常の仕方で処理したり解消したりできないほど強力なものとして心に現れ、エネルギーの作動の仕方に永久的な障害をきたす経験である。(フロイト『精神分析入門』18. Vorlesung. Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte、1916年、私訳ーー基本的なトラウマの定義)

ここで次のように補っておこう。

PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年)

魂としての身体」で記した「マレビトとしての身体」とは、上のフロイト文にある「異物 Fremdkörper」のことである(仏語訳では corps étranger)。

このマレビトとしての身体は、象徴界の非一貫性(非全体pastout)の「内部」に立ち現れる(外立する)ものであり、けっして超越的彼岸にあるものではない。むしろ超越論的なものである。 

・現実界とは形式化の袋小路である Le reel est un impasse de formalization)(ラカン、S20)

・現実界は外立する Le Réel ex-siste(S22)

前回、マレビトとしての身体は、魂としての身体である、としたが、たとえば、こうも引用することができる。

無意識の主体は、身体を通してのみ、魂に触れる。En fait le sujet de l'inconscient ne touche à l'âme que par le corps(ラカン、テレヴィジョン、1973)
魂とは肉体のなかにある何ものかの名にすぎない。 Seele ist nur ein Wort für ein Etwas am Leibe.(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部「肉体の軽侮者」)

いずれにせよ、このように考えると、「魂は描写(形式化)の袋小路に現れるもの」とすることができる。つまりこの観点をとると、「魂のことを書くこと」と「描写すること」とは相反するものではまったくない。ただしその描写するものは、おそらく、向こうから押し寄せて来るもの、《書かれぬことをやめぬもの ce qui ne cesse de ne pas s'écrire》(Lacan, S.20)でなければならない。

たとえば大岡昇平は次のように描写することによって、魂のことを表現した。

しかし彼が谷の向こうの兵士に答え、私がその薔薇色の頬を見た時、私の心で動いたものがあった。

それはまず彼の顔の持つ一種の美に対する感嘆であった。それは白い皮膚と鮮やかな赤の対照、その他我々の人種にはない要素から成立つ、平凡ではあるが否定することの出来ない美の一つの型であって、真珠湾以来私の殆ど見る機会のなかったものであるだけ、その突然の出現には一種の新鮮さがあった。そしてそれは彼が私の正面に進むことを止めた弛緩の瞬間私の心に入り、その敵前にある兵士の衝動を中断したようである。

私は改めて彼の著しい若さに驚いた。彼の若さは最初私が彼を見た時既に認めていたが、今さらに数歩近づいて、その前進する兵士の姿勢を棄て、顔を上げて鉄兜に蔽われたその全貌を現した時、新しく私を打ったのである。彼は私が思ったよりさらに若く、多分まだ二十歳に達していないと思われた。

彼の発した言葉を私は逸したが、その声はその顔にふさわしいテノールであり、言い終わって語尾を呑み込むように子供っぽく口角を動かした。そして頭を下げて谷の向こうの僚友の前方を斜めにうかがうように見た。(この時彼がうかがわねばならなかったのは、明らかに彼自身の前方であった)

人類愛から発して射たないと決意したことを私は信じない。しかし私がこの若い兵士を見て、私の個人的理由によって彼を愛したために、射ちたくないと感じたことはこれを信じる。(大岡昇平“捉まるまで”―『俘虜記』)

アレンカ・ジュパンチッチ Alenka Zupančič(The Splendor of Creation: Kant, Nietzsche, Lacan,2013、PDF)によれば、神としてのリアル(あるいは魂)は二種類の捉え方がある。

宗教が基盤としているのは、リアルは根源的に超越的な・〈大他者〉の・排除されたものという仮定である。リアルは、不可能かつ禁じられており、超越的で手の届かないものである。
芸術が基盤としているのは、リアルは内在的かつ手の届かないものという想定である。リアルは、つねに表象に「突き刺さっている」。表象の他の側あるいは裏面に、である。裏面は、定められた空間に常に内在的でありながら、また常に手が届かない。(……)芸術は常に境界と戯れる。境界を創造・移動・越境する。(Alenka Zupančič、2013)

われわれが魂のことを書くと聞くと、通常、宗教的なものを想起しがちだろうが、芸術的なタマシヒがある。

もう一例あげよう。ラカン=アリストテレスのテュケー/オートマン(αύτόματον [ automaton ]/τύχη [ tuché ])とは、「現実界との出会い rencontre du réel/シニフィアンのネットワーク réseau de signifiants」である。

オートマンとテュケーは共存し絡み合っている。シンプルに言えば、テュケーはオートマトンの裂目である。…どの反復も微細な仕方であれ、象徴化から逃れるものが既に現れている。…裂目のなかに宿る偶有性の欠片、裂目によって生み出されたものがある。そしてこの感知されがたい微かな欠片が、喜劇が最大限に利用する素材である。(ムラデン・ドラー、喜劇と分身、2005年)

散文による裂目との遭遇と、詩や喜劇による裂目との遭遇の仕方は異なる。だが肝腎なのは表象の裂目・穴である。 《生垣に穴をあけなければ永遠の世界を眺めることが出来ない》(西脇順三郎「詩情」)。たとえば蓮實重彦の「表象の奈落」とはそのことを差している(参照:壺作りと揺らめかし)。

ラカンは、科学的言説についてさえ「穴」という言葉を使って同様な指摘をしている。

科学的言説がかかわる全ては、そのネットワーク・その織物・その格子によって、正しい場所に正しい穴が現れるようにすること fasse apparaître les bons trous à la bonne place である。

この演繹によって到達される唯一の参照項は不可能である。この不可能が実在 réelである。我々は物理学において、言説の装置の助けをもって、実在 le réel であるところの何かを目指す。その厳格さのなかで、一貫性の限界に遭遇する rencontre les limites de sa consistance のである。(ラカン、セミネール18、20 Janvier 1971、私訳)

もし《神の外立 l'ex-sistence de Dieu》(ラカン、S22)、あるいは《コトバとコトバの隙間が神の隠れ家》(谷川俊太郎「おやすみ神たち」)を受け入れるなら、コトバとコトバの隙間にタマシヒは「祟る」のである。 

たゝりはたつのありと複合した形で、後世風にはたてりと言ふところである。「祟りて言ふ」は「立有而言ふ」と言ふ事になる。神現れて言ふが内化した神意現れて言ふとの意で、実は「言ふ」のでなく、「しゞま」の「ほ」を示すのであつた。(折口信夫『「ほ」・「うら」から「ほかひ」へ』ーー「玄牝の門」「杣径」「惚恍」「外祟」

…………

後年の小林秀雄は、ベルグソンとフロイトを引いて「魂のこと」を語っている。

◆質問「魂の存在について」 (講演第四巻「現代思想について」
生理的なものと精神的なものには絶対に密接的な関係があるのです。無論生理的な原因から説明することのできる精神現象はたくさんあるわけです。だけれどもフロイトは精神異常者(言葉を換えてあります)を扱った心理学者なのです。ですから普通の心理ではないわけです。皆異常な真理です。そのような異常な真理を調べてみますと肉体的な生理学的な原因からとても説明ができそうもないような患者が出てくるのです。身体(からだ)は健康なんですからね。

例えばぜんぜん健康な体の男がどうしても癌だというでしょう。おれはどうしても癌だと信じてそういう妄想に苦しめられるでしょう。だからそういった妄想はどこから起るのか。そう言った患者に当った場合には生理的な原因といったものにどうしても医者はこだわっていた時に、彼(フロイト)はそれを全く精神的な原因にあるに違いないという仮説の元にやってみたられは、果してそういう妄想には生理的な原因ではなくてまったく精神的な原因があったんですよ。その精神的な原因を取り除いたら、治っちゃったんですよ。

 そういうことをあの人は初めてやったわけだね。あそこで心理学が大きく展開したということは、心理学というものを今までのようにあくまでも生理学的な基礎からね分析していくのをやめてだね、そういった精神には隠れた精神的な、観念的な原因があると、というふうに新しいメソードを立てたわけです。とともに、必然的に人間の心というものは意識とは違うということが解ったわけです。

 無意識という大きな世界をしょっていて僕らの意識というものは、その間のその一部が現実化しているに過ぎないんで、それで魂があるということが解ったわけです。ベルグソンの研究によれば魂というものは脳の組織の中には存在していないのです。もしも脳組織の中に存在していれば脳組織を調べれば魂が解るわけでしょう。だけれども記憶というものいわゆる魂です。魂という言葉をベルグソンも使っているけれども、記憶現象というものは脳組織の中には存在していないのです。だけれども存在しているんです。

 というのは僕らのような古い習慣的な考え方ですよ。存在するというといつも空間を考えるのです。空間的なものを考えるのです。これは僕らの悟性というものの習慣にすぎないのです。習慣的にそう考えているのです。存在するものが空間を閉めなくともちっとも構わないわけです。そうでしょう空間的には規定できない存在しうるわけです。ということを証明したわけですね(ベルグソンは)。

 だから空間的に存在するものはそういった潜在的な存在の顕現するのを制限したに過ぎないのですよ。制限している機構だということを証明したにすぎないのですよ。だからそれ(魂)がどこに存在にすることは意味がないことです。だけれども(魂は)存在するのです。それがどこに存在するかということは無意味だということを証明したんです。それが今の無意識心理学です。

 じゃぁ意識はどこに存在するんですか? 頭の中ですか? (頭にあるとするならば)じゃぁ生理学じゃないですか。そうじゃないんです無意識心理学というのは心理学なんです。心理を心で心を尋ねる学問なんです。だから心は脳の中には存在していませんよ。だけれども存在しているんですよ。何処にですか? 何処にと問うのは意味がないでしょう。これが今の新しい心理学の根拠です。こういう道をフロイトとベルグソンが拓(ひら)いたんです。

 このことは非常に難しいでしょう。だからそっちの方はほっぽかされたんです。そういう根本的な問題がほっぽかされてしまったんです。それでベルグソンの哲学だとか、一派としての哲学つまりベルクソニズム、それでフロイトはフロイティズムといい、そういったものが流行しているのです。知識として。だけれども彼らが開いた戸口というものはそのくらい重要なものなのです。

 諸君が魂はどこに存在するかというのは無意味なのです。だけれども魂の実在というものは決して空間的に何処に存在するものつまり物的存在に還元しえないものなのです。

口頭質問への応答ということもあるのだろう、ややわかりにくい表現はあるが、ここにはマレビトとしての身体、あるいはレミニサンスとしての現実界に近いことが語られている、とわたくしは捉える。

私は…問題となっている現実界 le Réel en questionは、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値 valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme を持っていると考えている。…これは触知可能である…人がレミニサンスと呼ぶもの qu'on appelle la réminiscence に思いを馳せることによって。…レミニサンスは想起とは異なる la réminiscence est distincte de la remémoration。(ラカン、S.23, 13 Avril 1976)


2017年9月29日金曜日

魂としての身体

魂とは何だろうか? 
ひょっとして身体のことではなかろうか?

魂は身体だって?
バカな! 

だがイマジネールな身体のことではない
マレビトとしての身体 corps étranger のことである(参照

マレビトとはもちろん神のことでもある。
そして、《魂のことを追いかけて行くと、最終的には神に行きあたるわけでしょう?》(大江健三郎『燃え上がる緑の木』第二部)

ゆえにマレビトとしての身体とは、先ず魂としての身体である・・・

……なぜなら確かに、これら渇き、飢え、苦痛、等々の感覚は、精神と身体との結合と、いわば混合とから生じた或る不分明な思惟の仕方にほかならないから。(三木清訳)

Car en effet tous ces sentiments de faim, de soif, de douleur, etc., ne sont autre chose que de certaines façons confuses de penser, qui proviennent et dépendent de l’union et comme du mélange de l’esprit avec le corps.(デカルトデカルトMéditation 「第六省察」)

このデカルトの文は、「私は身体で考える je pense avec le corps」と言い換えうる。ごく当たり前の話である。ひとは身体で考えなかったら何で考えるというのか?

私は私の身体で話している。私は知らないままでそうしている。だから私は、常に私が知っていること以上のことを言う。

Je parle avec mon corps, et ceci sans le savoir. Je dis donc toujours plus que je n'en sais. (ラカン, S20. 15 Mai 1973)

※これらの議論を「科学的に」考えたい方は、ベンジャミン・リベットの議論を見よ(「良心と意識」)

…………

わが魂よ、不死を求めず、
きみの限界を汲み尽くせ。

Μή, φίλα ψυχά, βίον ἀθάνατον
σπεῦδε, τὰν δ' ἔμπρακτον ἄντλει μαχανάν.

 ーーー ピンダロス Pindare「ピュティア祝勝歌 Pythiques」


このピンタロスは、ヴァレリーの「海辺の墓地」のエピグラフである(中井久夫訳)

以下、「海辺の墓地」から

ああ、太陽……魂に何たる亀の影、
大股のアキレスが金縛り!
Ah! le soleil. . . Quelle ombre de tortue
Pour l’âme, Achille immobile à grands pas!

違ふ……立て!
Non, non!. . . Debout!

乙女の布裂く叫び
Les cris aigus des filles


ーーああ、なんという美しい詩句たち
これこそ魂としての身体の言葉である

ヴァレリー詩には独特の奇妙な毒が確かにあると私は感じている。それはしばしば行間から立ちのぼって、私の手を休めさせずにはおかなかった。時には作業は何日も停滞するのであった。(中井久夫「ヴァレリーと私」)

2017年9月28日木曜日

あれがタマシヒであることを知った

「今日着てきたコートも武満のものですよ。体形がぴったりだから」(谷川俊太郎、2014.12.03

ーーいやあ、ちょっとグッときてしまうな



飲んでるんだろうね今夜もどこかで
氷がグラスにあたる音が聞える
きみはよく喋り時にふっと黙りこむんだろ
ぼくらの苦しみのわけはひとつなのに
それをまぎらわす方法は別々だな
きみは女房をなぐるかい?

ーー谷川俊太郎「武満徹に」

(『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』所収)


◆武満徹「そして、それが風であることを知った」2-1





And then I knew 'twas Wind   Emily Dickinson

  Like Rain it sounded till it curved
  And then I knew 'twas Wind -
  It walked as wet as any Wave
  But swept as dry as sand -
  When it had pushed itself away
  To some remotest Plain
  A coming as of Hosts was heard
  That was indeed the Rain -
  It filled the Wells, it pleased the Pools
  it warbled in the Road -
  It pulled the spigot from the Hills
  And let the Floods abroad -
  It loosened acres, lifted seas
  The sites of Centres stirred
  Then like Elijah rode away
  Upon a Wheel of Cloud.


こうして、あれがタマシヒであることを知った


タマシヒのこの世での故郷は音楽
耳に聞こえる音が描く見えない地平を越えて
タマシヒは帰ってゆく
どこまで帰るのだろうとヒトは訝る

…………

音楽が曲の終りでディミヌエンドして
だんだん音がかすかになっていって
静けさに溶け入ってゆくときの
言葉がとうに尽きてしまった
絶え入るような世界の感触

私の耳で
タマシヒが
まどろんでいる

ーー谷川俊太郎『おやすみ神たち』より

……葬儀に帰られたKさんと総領事が、伊東静雄の『鶯』という詩をめぐって話していられた。それを脇で聞いて、私も読んでみる気になったのです。〈(私の魂)といふことは言へない/しかも(私の魂)は記憶する〉

天上であれ、森の高みであれ、人間世界を越えた所から降りてきたものが、私たちの魂を楽器のように鳴らす。私の魂は記憶する。それが魂による創造だ、ということのようでした。いま思えば、夢についてさらにこれは真実ではないでしょうか?

私の魂が本当に独創的なことを創造しうる、というのではない。しかし私たちを越えた高みから夢が舞いおりて、私の魂を楽器のようにかきならす。その歌を私の魂は記憶する。初めそれは明確な意味とともにあるが、しだいに理解したことは稀薄になってゆく。しかしその影響のなかで、この世界に私たちは生きている……  すべて夢の力はこのように働くのではないでしょうか? ………(大江健三郎『燃え上がる緑の木』第三部)

耀かしかつた短い日のことを
ひとびとは歌ふ
(……)
私はうたはない
短かかつた耀かしい日のことを
寧ろ彼らが私のけふの日を歌ふ

ーー伊東静雄『反響』「わがひとに與ふる哀歌」所収

    

二つの根源的な愛の対象

人間は二つの根源的な性対象、すなわち自己自身と世話をしてくれる女性の二つをもっている der Mensch habe zwei ursprüngliche Sexualobjekte: sich selbst und das pflegende Weib(フロイト『ナルシシズム入門』1914)

もっともフロイトは数頁あと、次のように記している。

人は愛する Man liebt:

1)ナルシシズム型では、

a)現在の自分(自己自身)
b)過去の自分
c) そうなりたい自分
d)自己自身の一部であった人物

2) アタッチメント型 Anlehnungstypusでは、

a) 養育してくれる女性
b) 保護してくれる男性

この時期のフロイトらしくアタッチメント型の(b) に《 保護してくれる男性 schützenden Mann》がつけ加えられている。だが核心はやはり《世話をしてくれる女性 pflegende Weib》、《養育してくれる女性nährende Frau》である。

かつまたナルシシズム型の(d)に《自己自身の一部であった人物 die Person, die ein Teil des eigenen Selbst war》とある。究極の自己自身の一部であった人物とは母にきまっている。

母胎内の時期に触れないまでも、出生後の最初期、乳幼児は、《母の乳房と自分の身体とのあいだの区別をしていない》。

子供の最初のエロス対象 erotische Objekt は、彼(女)を滋養する母の乳房 Mutterbrustである。愛は、満足されるべき滋養の必要性への愛着に起源がある die Liebe entsteht in Anlehnung an das befriedigte Nahrungs-bedürfnis。疑いもなく最初は、子供は乳房と自分の身体とのあいだの区別をしていない Die Brust wird anfangs gewiss nicht von dem eigenen Körper unterschieden。乳房が分離され「外部 aussen」に移行されなければならないときーー子供はたいへんしばしば乳房の不在を見出す--、彼(女)は、対象としての乳房を、原初の自己愛的リビドー備給 ursprünglich narzisstischen Libidobesetzung の部分と見なす。

最初の対象は、のちに、母という人物 Person der Mutter のなかへ統合される。その母は、子供を滋養するだけではなく、世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を彼(女)に引き起こす。身体を世話することにより、母は、子供にとっての最初の「誘惑者Verführerin」になる。この二者関係 beiden Relationen には、独自の、比較を絶する、変わりようもなく確立された母の重要性 Bedeutung der Mutter の根が横たわっている。全人生のあいだ、最初の最も強い愛の対象 Liebesobjekt として、のちの全ての愛の関係性Liebesbeziehungen の原型としての母ーー男女どちらの性 beiden Geschlechternにとってもである。(フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』草稿、死後出版1940年、私訳)

…………

以下、ラカン派による上に記したフロイトの考え方の代表的な注釈をかかげる(ミレール、1992『愛の迷宮 Les labyrinthes de l'amour』Jacques-Alain Miller、pdfより)

我々はフロイトの次の仮説から始める。

・主体にとっての根源的な愛の対象 l'objet aimable fondamental がある。
・愛は転移 transfert である。
・後のいずれの愛も根源的対象の置き換え déplacement である。

我々は根源的愛の対象を「a」(対象a)と書く。…主体が「a」と類似した対象x に出会ったなら、対象xは愛を引き起こす。(Miller、1992)

根源的な愛の対象 l'objet aimable fondamental の「置き換え」は、最近の論では「昇華sublimation」という表現で注釈されている。

ラカンの昇華の諸対象 objets de la sublimation。それらは付け加えたれた対象 objets qui s'ajoutent であり、正確に、ラカンによって導入された剰余享楽 plus-de-jouir の価値である。言い換えれば、このカテゴリーにおいて、我々は、自然にあるいは象徴界の効果によって par nature ou par l'incidence du symbolique、身体と身体にとって喪われたものからくる諸対象 objets qui viennent du corps et qui sont perdus pour le corps を持っているだけではない。我々はまた原初の諸対象 premiers objets を反映する諸対象 objets を種々の形式で持っている。問いは、これらの新しい諸対象 objets nouveaux は、原対象a (objets a primordiaux )の再構成された形式 formes reprises に過ぎないかどうかである。(JACQUES-ALAIN MILLER ,L'Autre sans Autre May 2013)

フロイトにとっては、学問も芸術も昇華の一種であり、《この種の満足は「上品で高級 feiner und höher」なものに思えるという比喩的な説明しかできない》(フロイト『文化の中の居心地の悪さ』)

故にミレールは次のように言うことになる。

科学があるのは女性というもの la femme が存在しないからです。知はそれ自体「他の性Autre sexs」についての知の場にやってくるのです。(ミレール「もう一人のラカン」)

もちろん他の性とは、男女ともに「女性の性」である、《「女性の性 sexe féminin」とは、男たちにとっても女たちにとっても「他の性 Autre sexs」である》(ミレール、Jacques-Alain Miller、The Axiom of the Fantasm)。

ここで次の文をも引用しておこう。

定義上異性愛者とは、おのれの性が何であろうと、女性を愛することである。それは最も明瞭なことである。Disons hétérosexuel par définition, ce qui aime les femmes, quel que soit son sexe propre. Ce sera plus clair. (ラカン、L'étourdit, AE.467, le 14 juillet 72)
 
女が男を愛するのは「倒錯」なのである・・・本能が狂った動物であるヒト族(参照)のなかの雌は、発達段階において、さらにもうひとつ「狂った」のである。最初の愛の対象は、女児にとっても、母=女であるのは瞭然としているのに、父=男への愛に転回するなどとはいかにも奇妙である・・・

そもそも古来からの格言があるではないか、《母は確かであり、父は常に不確かである mater certissima, pater semper incertus》と。

幼児は、性関係 sexuellen Beziehungen において父母が演じる役割の相違を知るようになり、「父性は常に不確実 pater semper incertus est」で「母性は確実 Mutter certissima ist」だと悟る…。(フロイト『ファミリーロマンス』1909)

もちろんこの雌族の有様は「狂った」の二重否定でありーー「否定の否定」とは逸脱の逸脱であるーー、至高の存在、つまり(場合によっては)神でありうる・・・、《精神分析が明らかにしたのは、〈神〉とは単に《女 La femme》だということである》(ラカン、S23、1976)

以下、ふたたびミレール1992年を続ける。

精神分析作業は何に関わるのか? 対象a と対象x とのあいだの類似性、あるいは類似性の顕著な徴に関わる。これは、男は彼の母と似た顔の女に惚れ込むという考え方だけには止まらないしかし最初のレベルにおいては、類似性のイマジネールな徴が強調される。この感覚的徴は、一般的な類似性から極度の個別的な徴へ、客観的な徴から主体自身のみに可視的な徴へと移行しうる。

そして象徴的秩序に属する別の種類の類似性の徴がある。それは言語に直接的に基礎を置いている。例えば、「名」の対象選択を立証づける精神分析的な固有名の全審級がある。さらに複雑な秩序、フロイトが『フェティシズム』論文で取り上げた「鼻のつや Glanz auf der Nase」--独語と英語とのあいだ、glanz とglanceとのあいだの翻訳の錯誤において徴示的戯れが動きだし、愛の対象の徴が見出されるなどという、些か滑稽な事態がある。

類似性の三番目の相は、ひょっとして、より抽象的かもしれないが、愛の対象と何か他のものとの関係に関わる。すなわち主体は、対象x ーー彼が根源的対象ともった同じ関係の状況のもとの対象xに恋に陥ることがありうる。あるいはさらに別の可能性、対象x が彼自身と同じ関係にある状況。

フロイトは見出した、「a」は自分自身であるか、あるいは家族の集合に属することを。家族とは、父・母・兄弟・姉妹であり、祖先、傍系親族等々にまで拡張されうる。…

例えば、主体は、彼自身に似た状況にある対象x に惚れ込む。ナルシシズム的対象選択である。あるいは母が主体ともったのと同じ関係にある対象x に惚れ込む(主体を保護してくれる者への対象選択)。(ミレール「愛の迷宮 Les labyrinthes de l'amour」1992、pdf)

フロイト文からミレールのいう第二の愛の相である「鼻のつや」箇所を引用しておこう。

ある青年の例…彼はある種の「鼻のつや」をフェティッシュ的条件 fetischistischen Bedingung にしていた。…患者はイギリスで行儀作法をしつけられ、後にドイツにやってきたが、そのときには母国語をほとんど完全に忘れていた。この小児期に由来しているフェティッシュ Fetisch は、ドイツ語でなく、英語で読まれるべきもので、「鼻のつや Glanz auf der Nase」は、本来「鼻への一瞥 Blick auf die Nase」 (glance = Blick)なのである。こうして鼻は、結局、彼から勝手に、他人には分からぬような特殊な輝きをつけ加えられて、フェティッシュ Fetisch となっていた。(フロイト『フェティシズム Fetischismus』1927年)

ミレールは2010年のインタヴューにおいて次のように語っている。

――男性のファンタジーはどんな具合なのですか?

最初の一瞥で愛が見定められることがとても多いのです。ラカンがコメントした古典的な例があります。ゲーテの小説で、若いウェルテルはシャルロッテに突然の情熱に囚われます、それはウェルテルが彼女に初めて会った瞬間です。シャルロッテがまわりの子どもたちに食べ物を与えている場面です。女性の母性が彼の愛を閃かせたのです。

ほかの例をあげましょう。これは私の患者の症例で次のようなものです。五十代の社長なのですが、秘書のポストの応募者に面接するのです。二十代の若い女性が入ってきます。いきなり彼は愛を表白しました。彼はなにが起こったのか不思議でなりません。それで分析に訪れたのです。そこで彼は引き金をあらわにしました。彼女のなかに彼自身が二十歳のときに最初に求職の面接をした自分を想いおこしたのです。このようにして彼は自分自身に恋に陥ったのです。

このふたつの例に、フロイトが区別した二つの愛の側面を見ることができます。あなたを守ってくれるひと、それは母の場合です。そして自分のナルシシスティックなイメージを愛するということです。(ミレール 「愛について」、Jacques-Alain Miller: On Love:We Love the One Who Responds to Our Question: “Who Am I?”)

このウェルテルをめぐっては、ロラン・バルトが《われわれが最初に愛するのは一枚のタブローなのだ》と美しく書いている。

車から降りたウェルテルがはじめてシャルロッテをみかける(そして夢中になる)。戸口を額縁のようにして彼女の姿が見えている(彼女は子供たちにパンを切り分けている。しばしば注釈されてきた有名な場面)。われわれが最初に愛するのは一枚のタブローなのだ。というのも、ひとめぼれにはどうしても唐突性の記号が必要だからである(それがわたしの責任を解除し、わたしを運命に委ね、運び去り、奪い去るのだ)。(……)幕が裂ける、そのときまで誰の目にも触れたことのないものが全貌をあらわすにする。たちまちに眼がこれをむさぼる。直接性は充溢性の代償となりうるのである。わたしは今、秘密をあかされたのだ。タブローは、やがてわたしが愛することになる対象を聖別 consacre しているのである。(ロラン・バルト『恋愛のディスクール』1977年「魂を奪われるRAVISSEMENT」の項)

…………

女性の場合の愛は、男性にくらべて一見、原初の「母との結びつき・母拘束 Mutterbindung」から逃れているようにみえる。

男性の場合には、栄養の供給や身体の世話などの影響によって、母が最初の愛の対象 ersten Liebesobjekt となり、これは、彼女に本質的に似ているものとか、彼女に由来するものなどによって置き換えられるようになるまでは、この状態がつづく。女性の場合にも、母は最初の対象 erste Objekt であるにちがいない。対象選択 Objektwahl の根本条件は、すべての小児にとって同一なのである。しかし、発達の終りごろには、男性である父が愛の対象となるべきであって、というのは、女性の性の変換には、その対象の性の変換が対応しなくてはならないのである。(フロイト『女性の性愛』1931年)

だがフロイトはこうも記していることを、ここではラカン派による注釈抜きで、強調しておこう。

………前エディプス präödipal 期と名づけられることのできる、もっぱら母との結びつき(母拘束 Mutterbindung)時期はしたがって、女性の場合には男性の場合に相応するのよりはるかに大きな意味を与えられる。女性の性生活の多くの現れは、以前には十分には理解されていなかったが、前エディプス期までに遡ることによって完全に解明することができるようになった。

われわれがたとえばもうとっくに気づいていたことであるが、多くの女性は父をモデルにして夫を選んだり、夫を父の位置に置き換えたりしておきながら、現実の結婚生活では、夫を相手にして母に対する好ましくない関係を反復している schlechtes Verhältnis zur Mutter wiederholen のである。夫が妻の父から相続するのは父への関係であるべきであろうのに、実際には母への関係を相続しているのである。

これは手近な退行 Regression の一例だと思えば、容易に理解される。母との関係のほうが根源的 Mutterbeziehung war die ursprünglicheであり、そのうえに父との結びつき Vaterbindung がきずきあげられていたのだが、いまや結婚生活において、この抑圧されていた根源的なものが現われてくるのである。母対象から父対象へ vom Mutter- auf das Vaterobjekt の情動的結びつき affektiver Bindungen の振り替えÜberschreibungこそは、女らしさ Weibtum に導く発達の主要な内容をなしていたのである。(フロイト『女性の性愛』1931年)
非常に多くの女性の場合に、ちょうどその青春時代が母との闘い Kampf mit der Mutterで明け暮れしたように、その成熟期が夫との闘争でみたされているという印象をわれわれがうけるときに、(……)彼女たちの母に対する敵意ある態度 feindselige Einstellung zur Mutter はエディプスコンプレックスという競争意識の帰結ではなくて、それ以前の時期に由来するものであり、エディプス的状況におかれることによってそれが強化され、利用されたにすぎない、ということになる。(同上、『女性の性愛』1931年、私訳)
女性の母との同一化 Mutteridentifizierung は二つの相に区別されうる。つまり、①前エディプス期 präödipale の相、すなわち母への愛着 zärtlichen Bindung an die Mutterと母をモデルとすること。そして、②エディプスコンプレックス Ödipuskomplex から来る後の相、すなわい、母から逃れ去ろうとして、母の場に父を置こうと試みること。

どちらの相も、後に訪れる生に多大な影響を残すのは疑いない。…しかし前エディプス期の相における結びつき(拘束 Bindung)が女性の未来にとって決定的である。(フロイト「女性性 Die Weiblichkeit」第33講『続・精神分析入門講義』1933年、私訳)

ーー上の文に出現する母との結びつき(母拘束 Mutterbindung)と父との結びつき(父拘束 Vaterbindung)とは、フロイトが別の論文で使っている「マザコン/ファザコン(マザーコンプレックス Mutterkomplex/ファザーコンプレックス Vaterkomplexe )」とどう違うのか? ま、似たようなもんじゃないか?

コンプレックスとは、フロイトの朋友ブロイアーに起源があり、《観念複合体 Ideen Complex》という意味である。われわれは何らかの形で母への観念複合、父への観念複合をもって生きてゆくのである。

たとえば後者のファザコンは、ラカン派的に、「父の名」観念複合としてもよい。

言語、それは父の名であり、超自我である。C'est le langage qui est le Nom-du-Père et même c'est le langage qui est le surmoi.(ミレール、séminaire  96/97)

ファザコンが言語コンプレックスであれば、マザコンは、ララングコンプレックスである。

ララング langage は、幼児を音声・リズム・沈黙の蝕 éclipse 等々で包む。ララング langage が、母の言葉 la dire maternelle と呼ばれることは正しい。というのは、ララングは常に(母による)最初期の世話に伴う身体的接触に結びついている liée au corps à corps des premiers soins から。フロイトはこの接触を、以後の愛の全人生の要と考えた。(コレット・ソレール、2011, Colette Soler, Les affects lacaniensーー「中井久夫のララング論」)

…………

※付記

「父なき時代」以降、男性における《女性への推進力 pousse-à-la-femme》(ラカン)、女性における《男性への推進力 pousse-à-l'homme》(ミレール)の現象がみられるのは事実であるが、ここではそれに触れないまま記した(参照)。

(かつてから超自我なき社会であった日本では、男性における《女性への推進力》、つまり《母との結びつき・母拘束 Mutterbindung》や《母との同一化 Mutteridentifizierung》が欧米にくらべ際立っている。ゆえにフロイト・ラカン理論は、日本においては本来、この観点から調整して読まねばならない)。


2017年9月27日水曜日

性関係を基礎づけるものはない il n'y a pas de rapport sexuel

男の愛と女の愛は、心理的に別々の位相にある、という印象を人は抱く。

Man hat den Eindruck, die Liebe des Mannes und die der Frau sind um eine psychologische Phasendifferenz auseinander.(フロイト「女性性 Die Weiblichkeit」第33講『続・精神分析入門講義』1933年)

ーーラカンの「性関係はない」とは、上のようなフロイトの考え方を大胆に表現したものとしてよい。

「〜のようなものはない il n'y a pas」という表現は、性関係を基礎づけることが不可能だということである。…l'énoncé qu'il n'y a pas, qu'il est impossible de poser le rapport sexuel (ラカン、S20、21 Novembre 1972)

すなわち "il n'y a pas de rapport sexuel " ーー邦訳では〈性関係はない〉、ときには〈性関係は存在しない〉とさえ訳されるーーは、「性関係の不在」に言及しているのではない。むしろ《性関係を基礎づけるものはない》という意味である。

ーー〈性関係は存在しない〉とは誤訳の範疇に入るとわたくしは思う(もっとも「性関係はない」という邦訳も「正しい」とは言えない。あくまで《性関係を基礎づけるものはない》というほぼ厳密な説明的訳を簡潔に訳した、次善のものである)。

たとえばジジェクは厳密な表現の仕方で、《女というものは存在しない。だが女たちはいる la Femme n'existe pas, mais il y a des femmes》(ジジェク、2012)としているが、 "il n'y a pas de rapport sexuel "を「性関係は存在しない」と訳してしまったら、この《女というものは存在しない la Femme n'existe pas》の「存在しない n'existe pas」と区別されえない。

ラカン用法において、「存在しない n'existe pas」とは象徴界には存在しないことであり、現実界における存否は問うていない。他方、 "il y a"あるいは "il n'y a pas"は現実界のレベル(象徴界の裂目(穴)に外立 ex-sistence にするものというレベル)での有無である(これも基本的にそうだろう、ということであり、ラカンが口頭のセミネールで、常に厳密にそのように使っているとは言い難い)。

ーー仏語の"il y a"とは、独語の"es gibt"のような表現であり、"es gibt"は、ハイデガー邦訳では「存在がある」とされるようだ。(不詳だが)おそらく「存在を基礎づけるものがある」という意味だろう。すなわちハイデガー用語「外に立つ Ex-sistenz」とは、ラカンの外立ex-sistenceである。《現実界は外立する Le Réel ex-siste》(S22)


ジジェクは次の文で、 "il n'y a pas de rapport sexuel " を《性関係を普遍的に保証するものはない》としているが、これはラカンの《性関係を基礎づけるものはない》とほぼ等価である。

ラカンが「性関係はない there is no sexual relationship」という逆説的な表現であらわしたものとは、パートナーとの調和的な性関係を普遍的に保証するものはない、ということである。個々の主体が自分なりの幻想、つまり性関係の「私的な」公式を作り上げなくてはならない。女性との関係が可能なのは、唯一、パートナーがこの公式にフィットしたときだけである。(ジジェク『ラカンはこう読め』私訳)

あるいは、《「性関係はない」……性差とは二つの性的立場の対立であり、両者の間に共通分母はない。》(同上ジジェク)

…………

以下はやや難解版だが、これも付け加えておこう。

ラカンの命題が孕んでいるもの…その命題によれば、「原初的に抑圧されている」ものは、二項シニフィアン (Vorstellungs-Repräsentanz 表象代表のシニフィアン)である。すなわち象徴秩序が締め出しているものは、(二つの)主人のシニフィアン Master-signifiers、S1ーS2 のカップルの十全な調和的現前 full harmonious presence である。S1 – S2 、すなわち陰陽(明暗、天地等々)、あるいはどんなほかのものでもいい、二つの釣り合いのとれた「根本原理」だ。「性関係はない」という事態が意味するのは、まさに第二のシニフィアン(女のシニフィアン)が「原抑圧されている」ということであり、この抑圧の場に我々が得るもの、その裂け目を満たすもの、それは「抑圧されたものの回帰」としての多数的なもの multitude、「ふつうの」シニフィアンの連続 series である。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012 、私訳)

《表象代理は二項シニフィアンである Le Vorstellungsrepräsentanz, c'est ce signifiant binaire.》《表象代理(Vorstellungsrepräsentanz)は、カップル couple の徴示的S2(le signifiant S2)である。》(ラカン、S11)

ーーこの S2 は実質上は S(Ⱥ)、すなわち原抑圧のシニフィアンのことである、だがはっきりと、"S(Ⱥ) est le signifiant de l'Urverdrängung"といっているラカン派の注釈者は(わたくしの知るかぎり今のところ)いない。ジジェクの上の文は、 すくなくとも S2 =S(Ⱥ)が、半ば口から出かかっている、とわたくしは思う。

フロイト概念の核心、Vorstellungs-Reprasentanze(表象代理)は、不可能な・排除された表象の象徴的代理(あるいはむしろ代役 stand-in)である。(ジジェク、『幻想の感染 THE PLAGUE OF FANTASIES』1997 )

表象代理 Vorstellungrepräsentanzは、欲動代理 Triebrepräsentanzen と等価である(参照)。

『心理学草稿』1895年以降、フロイトは欲動を「心的なもの」と「身体的なもの」とのあいだの境界にあるものとして捉えた。つまり「身体の欲動エネルギーの割り当てportion」ーー限定された代理表象に結びつくことによって放出へと準備されたエネルギーの部分--と、心的に飼い馴らされていないエネルギーの「代理表象されない過剰」とのあいだの閾にあるものとして。

最も決定的な考え方、フロイトの全展望においてあまりにも基礎的なものゆえに、逆に滅多に語られない考え方とは、身体的興奮とその心的代理との水準のあいだの「不可避かつ矯正不能の分裂 disjunction」 である。

つねに残余・回収不能の残り物がある。一連の欲動代理 Triebrepräsentanzen のなかに相応しい登録を受けとることに失敗した身体のエネルギーの割り当てがある。心的拘束の過程は、拘束されないエネルギーの身体的蓄積を枯渇させることにけっして成功しない。この点において、ラカンの現実界概念が、フロイトのメタ心理学理論の鎧へ接木される。想像化あるいは象徴化不可能というこのラカンの現実界は、フロイトの欲動概念における生の力あるいは衝迫 Drang の相似形である。(RICHARD BOOTHBY, Freud as Philosopher METAPSYCHOLOGY AFTER LACAN, 2001)

ーーRICHARD BOOTHBYは、《つねに残余・回収不能の残り物がある》で記しているが、これは、フロイト用語においては《残存現象 Resterscheinungen》のことである(参照)。

…………

さて話を戻せば、結局、セミネール20(アンコール)に現れている性別化の式が《性関係を基礎づけるものはない il n'y a pas de rapport sexuel 》の把握のための核心である(同時期のL'ÉTOURDIT(14 juillet 72、オートルエクリ所収)に現れる表現、pourtout 全体化(全てに対して)/pastout 非全体(全てではない)がその最も簡潔版)。

ラカンは「性別化の定式」において、性差を構成する非一貫性を詳述した。そこでは、男性側は普遍的機能とその構成的例外によって定義され、女性側は「非全体」 (pas‐tout) のパラドクスによって定義される(例外はない。そしてまさにその理由で、集合は非全体であり全体化されない)。(ジジェク、LESS THAN NOTHING, 2012)

ジジェクは、ラカン理論の二つの華である「四つの言説」と「性別化の式」の統合を2012年の書で試みているが、ここではその図を掲げるだけにしておく(参照:性別化と四つの言説における「非全体」)。



(さらには、後期ラカンにおいて "il n'y a pas de rapport sexuel" から "il y a du non‐rapport (sexuel)"ーー後者は「性的非関係 non-rapport sexuel がある」とでも訳せるかーーへの移行があり、これはカントの否定判断の無限判断との間の相違にぴったりフィットするとも言っている。ここでのジジェクは、反ミレールの Guy Le Gaufey の議論に大きく依拠している)。


ところで前期ラカンは、男性の愛の《フェティッシュ形式 la forme fétichiste》 /女性の愛の《被愛妄想形式 la forme érotomaniaque》(E733)としているが、ジジェクの次の文は、この男性のフェティッシュ(ファルス化された対象a)的愛/女性の被愛妄想の対比としても読め、《性関係を基礎づけるものはない il n'y a pas de rapport sexuel》の注釈として、すこぶる秀逸だとわたくしは思う。

二、三年前、イギリスのTVでビールの面白いCMが放映された。それはメルヘンによくある出会いから始まる。小川のほとりを歩いている少女がカエルを見て、そっと膝にのせ、キスをする。するともちろん醜いカエルはハンサムな若者に変身する。

しかし、それで物語が終わったわけではない。若者は物欲しそうな眼差しで少女を見て、少女を引き寄せ、キスする。すると少女はビール瓶に変わり、若者は誇らしげにその瓶を掲げる。女性から見れば(キスで表現される)彼女の愛情がカエルをハンサムな男、つまりじゅうぶんにファルス的存在に変える。男からすると、彼は女性を部分対象、つまり自分の欲望の原因(対象a)に還元してしまう。

この非対称ゆえに、「性関係はない」のである。女とカエルか、男とビールか、そのどちらかなのである。絶対にありえないのは自然な美しい男女のカップルである。幻想においてこの理想的なカップルに相当するのは、瓶ビールを抱いているカエルだろう。この不釣り合いなイメージは、性関係の調和を保証するどころか、その滑稽な不調和を強調する。

われわれは幻想に過剰に同一化するために、幻想はわれわれに対して強い拘束力をもっているが、右のことから、この拘束から逃れるにはどうすればよいかがわかる。同じ空間内で、同時に両立しえない幻想の諸要素を一度に抱きしめてしまえばいいのだ。つまり、二人の主体のそれぞれが彼あるいは彼女自身の主観的幻想に浸かればいいのだ。少女は、じつは若者であるカエルについて幻想し、男のほうは、じつは瓶ビールである少女について幻想すればいい。(ジジェク『ラカンはこう読め!』 鈴木晶訳 P.99~、一部訳語変更)

すなわち《性関係を基礎づけるものはない》とは、《ビール瓶を抱いたカエル》という関係なのである。このイメージは、男性の愛の《フェティッシュ形式 la forme fétichiste》 と女性の愛の《被愛妄想形式 la forme érotomaniaque》とピッタリではなかろうか? これがわれわれの日常の性関係の姿であることをしっかりと悟らねばならぬ・・・

最後に「伝説の女性コラージュニスト」と呼ばれることもある岡上淑子さん(1928年生れ)の2013年の作品「招待」を掲げておこう。






2017年9月26日火曜日

リーベの迷宮

私は志摩の海女にあこがれているのである。彼女らの生活にふれてみたいのだ。(「安吾の新日本地理 01 安吾・伊勢神宮にゆく」) 
木暮村へ到着忽々、まづ下婢の美貌にたぢろいだのが皮切りで、その後村を歩いてゐると、藁屋根の下に釣瓶の水を汲む娘や、柴を負ふて山を降る女達、また往還の日当たりに乾瓢をほす女などに、出会ひがしらに思はず振向きかけるやうな美人を見出すことが多い。勿論かうした山中のことで、美人を予期してゐないのが過大な驚異を与へるわけだが、脚絆に手甲のいでたちで、夕靄の山陰からひよいと眼前へ現れてくる女達の身の軽さが、牝豹の快い弾力を彷彿させ、曾て都会の街頭では覚えたことがないやうな新鮮な聯想を与へたりする。(坂口安吾「木々の精、谷の精」)

ーーこうやって女に「あこがれ」るのは、愛なのだろうか、欲望なのだろうか?

人が何かを愛するのは、その何かのなかに近よれないものを人が追求しているときでしかない、人が愛するのは人が占有していないものだけである。(プルースト「囚われの女」)

私は見るだろう優しい女の手を-白い腕輪をつけたその手が灰色の風に
法螺貝のようにむせび泣くのを、夕暮れにその女(ひと)は池のほとりに立ち
煎り米の家鴨を連れてでも行くよう どこか物語の国へと-(……)

知らなかった こんなにやわらかな匂いが立つとは 美しい女(ひと)の結いあげた髪に 
地上のどんな道でも、やわらかな稲の香り-藻草の匂い
家鴨の羽、葦、池の水、淡水魚たちの
微かな匂い、若い女の米をとぐ濡れた手-冷たいその手

ーー『美わしのベンガル』ジボナノンド・ダーシュ、臼田雅之訳)

若い娘たちの若い人妻たちの、みんなそれぞれにちがった顔、それらがわれわれにますます魅力を増し、もう一度めぐりあいたいという狂おしい欲望をつのらせるのは、それらが最後のどたん場でするりと身をかわしたからでしかない、といった場合が、われわれの回想のなかに、さらにはわれわれの忘却のなかに、いかに多いことだろう。(プルースト「ゲルマントのほうⅡ」)

《得ようとして、得た後の女ほど情無いものはない。》(永井荷風『歓楽』)

…………

我々は愛する、「私は誰?」という問いへの応答、あるいは一つの応答の港になる者を。

愛するためには、あなたは自らの欠如を認めねばならない。そしてあなたは他者が必要であることを知らねばならない。

ラカンはよく言った、《愛とは、あなたが持っていないものを与えることだ l'amour est donner ce qu'on n'a pas 》と。その意味は、「あなたの欠如を認め、その欠如を他者に与えて、他者のなかの場に置く c'est reconnaître son manque et le donner à l'autre, le placer dans l'autre 」ということである。あなたが持っているもの、つまり品物や贈物を与えるのではない。あなたが持っていない何か別のものを与えるのである。それは、あなたの彼方にあるものである。愛するためには、自らの欠如を引き受けねばならない。フロイトが言ったように、あなたの「去勢」を引き受けねばならない。

そしてこれは本質的に女性的である。人は、女性的ポジションからのみ真に愛する。愛することは女性化することである。この理由で、愛は、男性において常にいささか滑稽である。(ミレール、2010, On aime celui qui répond à notre question : " Qui suis-je ? " Jacques-Alain Miller)

…………

わたくしは自らを「愛の人」と思い込んで生きてきたが、最近になって(ようやく)実は「欲望の人」ではなかったか、と疑い始めている、ーーと書けば大袈裟になる。実は、愛についても欲望についてマトモに考えていなかったというのが正しい。

リーベ Liebe は、愛 amour と欲望 désir の両方をカバーする用語である。もっとも人は愛の条件と性的欲望の条件の分離を観察する場合がある。ゆえにフロイトは、欲望する場では愛することができず、愛する場では欲望することができない男のタイプを抽出した。(ミレール、1992、愛の迷宮 Les labyrinthes de l'amour' 、Jacques-Alain Miller、pdf)

フロイトは、女性的「対象選択 Objektwahl」を愛と欲望の収束、男性的「対象選択」を愛と欲望の分離としている。そして男性のある種のタイプは、《愛する場では欲望しない。欲望する場では愛しえない。Wo sie lieben, begehren sie nicht, und wo sie begehren, können sie nicht lieben.》(フロイト「性愛生活が誰からも貶められることについて Uber die allgemeinste Erniedrigung des Liebeslebens」1912)

《欲望する場では愛することができず、愛する場では欲望することができない男のタイプ》とあるが、そうでない男のタイプがあるのが、わたくしにはいささか信じがたい。

結婚生活を例にとってみても、わたくしは二度しているが、妻を愛しているかどうはは別にして(いや愛していた(いる)、と思う)、欲望することが少なくなっていったのは確かである。

人が愛するとき、それは性とは全く関係がない。 quand on aime, il ne s'agit pas de sexe(ラカン、S20, December 19, 1972)

ーーラカンがいうように愛とは性とは関係がないとして、では愛の結婚生活を送っても、そのとき性的欲望はどう処理したらよいのか? 「もう我慢できない、あなたフケツよ! 」と言われて、妻に出て行かれないようにするためには。

今の妻も一度出て行ったことがある。すると強い欲望の対象へと再豹変した。今思い返せば、最も激しい官能的な性交をしたのは、逃げさる妻をふたたび捉えたときである。

出奔した女は、いままでここにいた女とはおなじ女ではもはやなくなっている。(プルースト「逃げ去る女」)

獣めく夜もあった
にんげんもまた獣なのねと
しみじみわかる夜もあった

シーツ新しくピンと張ったって
寝室は 落葉かきよせ籠り居る
狸の巣穴とことならず
なじみの穴ぐら
寝乱れの抜け毛
二匹の獣の匂いぞ立ちぬ

ーー茨木のり子「獣めく」『歳月』所収

だがその後やはりふたたび友だちになってしまった、それは安吾の云う通り。

浮気っぽい私のことで、浮気は人並以上にやるだろうが、私が私の家へ回帰する道を見失うことは決してあり得ない。私は概ねブッチョウ面で女房に辛く対することはシキリであるし、茶ノミ友だち的な対座で満足し、女房と一しょに家にいて時々声をかけて用を命じる程度の交渉が主で、肉体的な交渉などは忘れがちになっているが、それは私の女房に対する特殊な親愛感や愛情が、すでに女というものを超えたところまで高まっているせいだろうと私は考えている。私はとッくに女房に遺言状すらも渡しているのだ。どの女のためよりも、ただ女房の身を思うのが私の偽らぬ心なのである。それはもう女という観念と質のちごうものだ。そして女房に献身のある限り、私の気質に変ることは有りえない。つまり私は決して私と女房とを平等には見ておらぬ証拠で、女房とは女房という職業婦人であるが、すでにカケガエのない唯一の職業婦人として他の女たちと質のちごう存在になっていることが確かなのである。(坂口安吾「安吾人生案内 その八 安吾愛妻物語」)

そもそも男はクンデラの名言から逃れうるのだろうか?

三という数字のルールを守らなければならない。一人の女と短い期間に会ってもいいが、その場合はけっして三回を越えてはだめだ。あるいはその女と長年つき合ってもいいが、その場合の条件は一回会ったら少なくとも三週間は間をおかなければならない。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』)

三回を越えた女と短い期間の逢瀬、三週間の間をおかない女との長年のつきあい、そこでは対象aがほとんど間違いなく消え失せてゆく。

ラカン派の用語では、結婚は、対象(パートナー)から「彼(彼女)のなかにあって彼(彼女)自身以上のもの」、すなわち対象a(欲望の原因―対象)を消し去ることだ。結婚はパートナーをごくふつうの対象にしてしまう。ロマンティックな恋愛に引き続いた結婚の教訓とは次のようなことである。――あなたはあのひとを熱烈に愛しているのですか? それなら結婚してみなさい、そして彼(彼女)の毎日の生活を見てみましょう、彼(彼女)の下品な癖やら陋劣さ、汚れた下着、いびき等々。結婚の機能とは、性を卑俗化することであり、情熱を拭い去りセックスを退屈な義務にすることである。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、私訳)

仮にジジェクのいうように結婚相手を愛の対象として「崇高化」しても、そのとき性的欲望はどう処理せよ、というのか。情熱なしの退屈な義務だって? そんなものは御免被るね・・・変態プレーを導入しても長続きはしなかった・・・

結婚とは崇高化が理想化のあとに生き残るかどうかの真のテストの鍵となるものだったらどうだろう? 盲目的な愛では、パートナーは崇高化されるわけではない。彼(彼女)はただ単純に理想化されるだけだ。結婚生活はパートナーをまちがいなく非理想化する。だがかならずしも非崇高化するわけではない。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、私訳)
誤った崇拝は理想化をうむ。それは他者の弱さを見えなくする──あるいは、それはむしろ、自己のいだく幻影を投影するスクリーンとして他者を利用し、他者そのものを見えなくする。(ジジェク『信じるということ』)


2017年9月25日月曜日

三人目の女

私自身が一人の女に満足できる人間ではなかつた。私はむしろ如何なる物にも満足できない人間であつた。私は常にあこがれてゐる人間だ。

私は恋をする人間ではない。私はもはや恋することができないのだ。なぜなら、あらゆる物が「タカの知れたもの」だといふことを知つてしまつたからだつた。 

ただ私には仇心があり、タカの知れた何物かと遊ばずにはゐられなくなる。その遊びは、私にとつては、常に陳腐で、退屈だつた。満足もなく、後悔もなかつた。(坂口安吾「私は海をだきしめてゐたい」)

「あこがれ」とは何だろう、究極的な「あこがれ」とは。 おそらく「三人目の女」へのあこがれである。三人目の女の選択とは、《われを選びしものは、おのれが持つものすべてを投げだすべし》(シェイクスピア)である。

…………

大他者の享楽はない il n'y a pas de jouissance de l'Autre。大他者の大他者はない il n'y a pas d'Autre de l'Autre のだから。それが、斜線を引かれたA [Ⱥ] の意味である。 (Lacan,S23, 16 Décembre 1975)
大他者の享楽 jouissance de l'Autre について、だれもがどれほど不可能なものか知っている。そして、フロイトが提起した神話、すなわちエロスのことだが、これはひとつになる faire Un という神話だろう。…だがどうあっても、二つの身体がひとつになりっこない qu'en aucun cas deux corps ne peuvent en faire qu'Un、どんなにお互いの身体を絡ませても。

…ひとつになることがあるとしたら、ひとつという意味が要素 le sens de l'élément、つまり死に属するrelève de la mort ものの意味に繋がるときだけである。(ラカン、三人目の女 La troisième、1er Novembre 1974)

ーー「三人目の女 La troisième」とは、通常、三回目のローマ講演とまず言われるらしいが、フロイトも三人目の女について語っている(上にラカンが言及しているフロイトの神話とは、プラトンの『饗宴』におけるアリストファネスの神話(『快原理の彼岸』で言及)だと思うが、ここではその話ではない)。

ボーシャ:……さあ、お選びください。

モロッコ大公:最初のは金の箱、銘が刻んであるな、「われを選びしものは、衆人の望みしものは得べし」。次は銀、これは約言か、「われを選びしものは、おのれにふさわしきものを得べし」。三番目は鈍い鉛だ、その警告もぶっきら棒だ、「われを選びしものは、おのれが持つものすべてを投げだすべし」。(シェイクスピア『ヴェニスの商人』)

フロイトの『小箱選びのモティーフ』1913年は、『ヴェニスの商人』と『リア王』をめぐって書かれている。上の文は金の女、銀の女、鉛の女と解釈される。三人目の女とは鉛の女である。

ここでは『リア王』をめぐる箇所は割愛するが、このフロイトの論の最後にはこうある。

ここに描かれている三人の女たちは、男にとって不可避的な、女にたいする三通りの関係である。すなわち、生む女、性的対象としての女、破壊者としての女 Die Gebärerin, die Genossin und die Verderberin である。

あるいはまた、人生航路のうちに母の形象が変遷していく三つの形態であることもできよう。すなわち、母それ自身 Die Mutter selbst、男が母の像を標準として選ぶ愛人 die Geliebte, die er nach deren Ebenbild gewählt、最後にふたたび男を抱きとる母なる大地 die Mutter Erde, die ihn wieder aufnimmt である。

そしてかの老人は、彼が最初母からそれを受けたような、女の愛 Liebe des Weibes をえようと空しく努める。しかしただ運命の女たちの三人目の者 die dritte der Schicksalsfrauen、沈黙の死の女神 die schweigsame Todesgöttin のみが彼をその腕に迎え入れるであろう。(フロイト『小箱選びのモティーフ』、1913)

ラカンの《ひとつになることがあるとしたら、……死に属するものの意味に繋がるときだけである S'il y a quelque chose qui fait l'Un,…… le sens de l'élément, le sens de ce qui relève de la mort》とは、まさにフロイトのいう三人目の女、《沈黙の死の女神 die schweigsame Todesgöttin》にかかわるだろう。

…………

(Lacan, S19, 03 Février 1972)


仮象(見せかけsemblant)の存在であるわれわれ人間は、享楽(大他者の享楽 jouissance de l'Autre )と融合したい(究極のエロス)。だがそんなことは不可能である。

ミレールは見せかけsemblantの下部にある隠された真理 vérité について次のように注釈している。

すべてが見せかけではない。ひとつの現実界がある。社会的つながりの現実界は、性関係の不在であり、無意識の現実界は話す身体である。

tout n'est pas semblant, il y a un réel. Le réel du lien social, c'est l'inexistence du rapport sexuel. Le réel de l'inconscient, c'est le corps parlant(ミレール、2014、L'inconscient et le corps parlant par JACQUES-ALAIN MILLER

性関係の不在(《性的非関係 non-rapport sexuel》)ゆえに大他者との融合は不可能である。そして剰余享楽が生じる。剰余享楽 plus-de-jouir とは《享楽の欠片 les lichettes de la jouissance》(LACAN, S17)である。



もうひとつ、ミレールの云う《話す身体 le corps parlant》とは、身体の欲動(欲動の現実界 le réel pulsionnel)のことである。そして欲動は《享楽の漂流 la dérive de la jouissance》(S20)である。究極のエロス(大他者の享楽)は不可能=死であるがゆえに、人は漂流する。すなわち喪われた享楽 jouissance perdue =究極のエロス(死)の周囲を永遠に循環運動(漂流 dérive)する。

死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n'est rien d'autre que ce qui s'appelle la jouissance(ラカン、S17)

これこそわれわれの生の反復強迫である。

まさに享楽の喪失が、その自身の享楽、剰余享楽(plus‐de‐jouir)を生み出す。というのは享楽は、いつも常に喪われたものであると同時に、それから決して免れる得ないものだからだ。フロイトが反復強迫と呼んだものは、この現実界の根源的に曖昧な地位に根ざしている。それ自身を反復するものは、現実界自体である。それは最初から喪われており、何度も何度もしつこく回帰を繰り返す。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012、私訳)

それは萩原朔太郎が言っている通りである。

燈火の周圍にむらがる蛾のやうに、ある花やかにしてふしぎなる情緒の幻像にあざむかれ、そが見えざる實在の本質に觸れようとして、むなしくかすてらの脆い翼をばたばたさせる。私はあはれな空想兒、かなしい蛾蟲の運命である。(萩原朔太郎「青猫」序)

燈火とは《永遠に喪われている対象 objet éternellement manquant 》である。燈火に融合したら死が訪れる。ここにも三人目の女がいる。

ラカンの対象aとはフェティシュ(幻想的囮)であるとともに、循環運動自体のことを言う。

対象a の根源的両義性……対象a は一方で、幻想的囮/スクリーンを表し、他方で、この囮を混乱させるもの、すなわち囮の背後の空虚 void をあらわす。(ジジェク2016, Zizek, Can One Exit from The Capitalist Discourse Without Becoming a Saint? , pdf)
我々はあまりにもしばしば混同している、欲動が接近する対象について。この対象は実際は、空洞・空虚の現前 la présence d'un creux, d'un vide 以外の何ものでもない。フロイトが教えてくれたように、この空虚はどんな対象によっても par n'importe quel objet 占められうる occupable。そして我々が唯一知っているこの審級は、喪われた対象a (l'objet perdu (a)) の形態をとる。対象a の起源は口唇欲動 pulsion orale ではない。…「永遠に喪われている対象objet éternellement manquant」の周りを循環する contourner こと自体、それが対象a の起源である。(ラカン、S11, 13 Mai 1964)

…………

ところで「エロ道」の反復強迫とは何だろう。これも循環運動だろうか?

「男どもはな、別にどうにもこうにもたまらんようになって浮気しはるんとちゃうんや。みんな女房をもっとる、そやけど女房では果たしえん夢、せつない願いを胸に秘めて、もっとちがう女、これが女やという女を求めはんのや。実際にはそんな女、この世にいてへん。いてえへんが、いてるような錯覚を与えたるのがわいらの義務ちゅうもんや。この誇りを忘れたらあかん、金ももうけさせてもらうが、えげつない真似もするけんど。目的は男の救済にあるねん、これがエロ事師の道、エロ道とでもいうかなあ。」(野坂昭如『エロ事師たち』)

エロ道とは三人目の女ではなく二人目の女ーー性的対象としての女ーーにあこがれているようにみえるが、わたくしは今のところまだ考え込めていない(そもそもひとは三人目の女は不可能なのだから、実のところ皆二人目の女にあこがれるのではなかろうか?)

問題は二人目の女であったはずの女が、通常、別の女になってしまうことである(女のゼロ度?)

浮気っぽい私のことで、浮気は人並以上にやるだろうが、私が私の家へ回帰する道を見失うことは決してあり得ない。私は概ねブッチョウ面で女房に辛く対することはシキリであるし、茶ノミ友だち的な対座で満足し、女房と一しょに家にいて時々声をかけて用を命じる程度の交渉が主で、肉体的な交渉などは忘れがちになっているが、それは私の女房に対する特殊な親愛感や愛情が、すでに女というものを超えたところまで高まっているせいだろうと私は考えている。私はとッくに女房に遺言状すらも渡しているのだ。どの女のためよりも、ただ女房の身を思うのが私の偽らぬ心なのである。それはもう女という観念と質のちごうものだ。そして女房に献身のある限り、私の気質に変ることは有りえない。つまり私は決して私と女房とを平等には見ておらぬ証拠で、女房とは女房という職業婦人であるが、すでにカケガエのない唯一の職業婦人として他の女たちと質のちごう存在になっていることが確かなのである。(坂口安吾「安吾人生案内 その八 安吾愛妻物語」)

21世紀日本ではこういうことをいっても許してもらえそうもない。おそらくよっぱどいい男以外は。 実に難問である。

……よい結婚というものがあるとすれば、それは恋愛の同伴と条件をこばみ、友愛の性質を真似ようとする。結婚は人生における甘美な結合であり、恒常と、信頼と、無数の有益で堅実な相互の奉仕と義務に満ちた結合である。

結婚は有益と正義と名誉と恒常を本文とする。平坦ではあるが斉一な快楽である。恋愛はただ一つの快楽の上にもとづいている。しかもこの快楽は、実際に、いっそう甘美で強烈で鋭敏である。困難によって掻き立てられる快楽である。これには刺激と焼灼が要る。恋愛に矢と火がなくなれば、もはや恋愛ではない。ご婦人方が惜しみなく与える愛情は、結婚においては、過剰となり、愛情と欲望の鋒先を鈍らせる。(モンテーニュ『エセー』)

モンテーニュを参照したって解決できない難問である・・・熟考せねばならぬ・・・

若い娘たちの若い人妻たちの、みんなそれぞれにちがった顔、それらがわれわれにますます魅力を増し、もう一度めぐりあいたいという狂おしい欲望をつのらせるのは、それらが最後のどたん場でするりと身をかわしたからでしかない、といった場合が、われわれの回想のなかに、さらにはわれわれの忘却のなかに、いかに多いことだろう。(プルースト『ゲルマントのほう二』)

いやいやプルーストでも解決しがたい・・・

いまはエロ道、これも《快の獲得 Lustgewinn》には相違ない、とだけしておく。

フロイトの「快の獲得 Lustgewinn」、それはシンプルに、私の「剰余享楽 plus-de jouir」のことである。 …oder unmittelbaren Lustgewinn… à savoir tout simplement mon « plus-de jouir ».(Lacan,S.21)

まずはじめに口 der Mund が、性感帯 die erogene Zone としてリビドー的要求 der Anspruch を精神にさしむける。精神の活動はさしあたり、その欲求 das Bedürfnis の充足 die Befriedigung をもたらすよう設定される。これは当然、第一に栄養による自己保存にやくだつ。しかし生理学を心理学ととりちがえてはならない。早期において子どもが頑固にこだわるおしゃぶり Lutschen には欲求充足が示されている。これは――栄養摂取に由来し、それに刺激されたものではあるが――栄養とは無関係に快の獲得 Lustgewinn をめざしたものである。ゆえにそれは‘性的 sexuell'と名づけることができるし、またそうすべきものである。(Freud『Abriss der Psychoanalyse 精神分析学概説』草稿、死後出版1940年)

…………

最後に女性の方向けに、シェイクスピアを引用しておくことにする。

女は口説かれているうちが花。落ちたらそれでおしまい。喜びは口説かれているあいだだけ。Women are angels, wooing: Things won are done; joy's soul lies in the doing.( シェイクスピア、Troilus and Cressida)


2017年9月24日日曜日

最初の誘惑者 Verführerin

フロイトにとっての「最初の誘惑者」とは、最初の性的侵入者、最初のセクシャルハラスメント者と言い換えることができる(ハラスメントの語源は、中期フランス語 harasser (侵略する、悩ませる)から)。

ファルス期 phallischen Phase の受動的な心の動きのなかでも際立っているのは、少女はいつでもきっと母に誘惑者 Verführerin の罪をきせることであり、その理由は身体を洗ったり世話をしてもらったりしたときに母(または母の代理人、養育者など)によって最初のしかも最も強い性器の刺激を感じざるをえないようにさせられた、ということである。(フロイト『女性の性愛について』1931年、私訳)
我々は、少女の前エディプスの先史時代 präödipalen Vorgeschichte における誘惑ファンタジー Verführungsphantasie を見出す。しかし誘惑者 Verführerin はいつも母である。…幼児は身体を清潔にしようとする母の世話によって必ず刺激をうける。おそらく女児の性器に最初の快感覚 Lustempfindungen を目覚めさせるのさえ事実上は母である。(フロイト『新精神分析入門』1933年、私訳)
子供の最初のエロス対象 erotische Objekt は、彼(女)を滋養する母の乳房Mutterbrustである。愛は、満足されるべき滋養の必要性への愛着に起源があるdie Liebe entsteht in Anlehnung an das befriedigte Nahrungs-bedürfnis。疑いもなく最初は、子供は乳房と自分の身体とのあいだの区別をしていない。乳房が分離され「外部」に移行されなければならないときーー子供はたいへんしばしば乳房の不在を見出す--、彼(女)は、対象としての乳房を、原初の自己愛的リビドー備給 ursprünglich narzisstischen Libidobesetzung の部分と見なす。

最初の対象は、のちに、母という人物 Person der Mutter のなかへ統合される。その母は、子供を滋養するだけではなく、世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を彼(女)に引き起こす。身体を世話することにより、母は、子供にとっての最初の「誘惑者Verführerin」になる。この二者関係 beiden Relationen には、独自の、比較を絶する、変わりようもなく確立された母の重要性 Bedeutung der Mutterの根が横たわっている。全人生のあいだ、最初の最も強い愛の対象 Liebesobjekt として、のちの全ての愛の関係性Liebesbeziehungen の原型としての母ーー男女どちらの性 beiden Geschlechternにとってもである。(フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』草稿、死後出版1940年、私訳)


人は侵入されたら侵入し返す傾向がある。

治療における患者の特性であるが、統合失調症患者を診なれてきた私は、統合失調症患者に比べて、外傷系の患者は、治療者に対して多少とも「侵入的」であると感じる。この侵入性はヒントの一つである。それは深夜の電話のこともあり、多数の手紙(一日数回に及ぶ!)のこともあり、私生活への関心、当惑させるような打ち明け話であることもある。たいていは無邪気な範囲のことであるが、意図的妨害と受け取られる程度になることもある。彼/彼女らが「侵入」をこうむったからには、多少「侵入的」となるのも当然であろうか。世話になった友人に対してストーキング的な電話をかけつづける例もあった。(中井久夫「トラウマと治療体験」『徴候・記憶・外傷』所収 P.106)
性的虐待の昨日の犠牲者は、今日の加害者になる恐れがあるとは今では公然の秘密である。(When psychoanalysis meets Law and Evil、Jochem Willemsen and Paul Verhaeghe 、2010、PDF

ラカンにとって、《享楽の侵入 une irruption de la jouissance》の最初の《刻印 inscription》をするのは母である(参照:「侵入・刻印・異物」)。

そしてこうも言っている。

《女 la femme》は、性関係において、quoad matrem、すなわち《母 la mère》としてのみ機能する。

…quoad matrem, c'est-à-dire que « la femme » n'entrera en fonction dans le rapport sexuel qu'en tant que « la mère ». (ラカン、S20、09 Janvier 1973)

ーー《すべての女性に母の影は落ちている。つまりすべての女は母なる力を、さらには母なる全能性を共有している。》(ポール・バーハウ1998,Paul Verhaeghe,THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE)

(最初期の母子関係において)、母が幼児の訴えに応答しなかったらどうだろう?…母は崩落するdéchoit……母はリアルになる elle devient réelle、…すなわち権力となる devient une puissance…全能(の母) omnipotence …全き力 toute-puissance …(ラカン、セミネール4、12 Décembre 1956)


フロイトにとっては、《娼婦愛 Dirnenliebe》でさえ母のコンプレックスーーここではブロイアー起源の《観念複合体 Ideen Complex》として「コンプレックス」という語を捉えなければならないーーに起源がある。

男児は、母が性交を、彼自身とではなく父とすることを許さない。彼は、それを(娼婦と同様な)不貞な行為と見なす。(……)

こうして我々は心的発達の断片への洞察を得た。…娼婦愛 Dirnenliebe…娼婦のような対象を選択する愛の条件 Liebesbedingung は、直接的にマザーコンプレックス Mutterkomplex に由来するのである。(……)

ある種の男性の愛の型…それは思春期において形成された幻想への固着にある。それが結局、後の実際の生活に出現するための隘路を見出すのである。(……)

(娼婦の)救出モチーフ Rettungsmotiv は、…マザーコンプレックス、より正確には親コンプレックス Mutter- oder, richtiger gesagt, des Elternkomplexeの独立した派生物である。(フロイト『男性における対象選択のある特殊な型について Uber einen besonderen Typus der Objektwahl beim Manne』1910年、私訳)

上の文は次のような文脈のもとに書かれている。

ある型の男性は、《愛する場では欲望しない。欲望する場では愛しえない。Wo sie lieben, begehren sie nicht, und wo sie begehren, können sie nicht lieben. 》(フロイト「性愛生活が誰からも貶められることについて」1912年)

場合によっては、《誰にも属していない女は黙殺されたり、拒絶されさえする。他の男と関係がありさえすれば、即座に情熱の対象となる。》(『男性における対象選択のある特殊な型について』1910年)

ーーここには古来からの名高い格言「一盗二婢三妾四妓五妻」がある。

もっともこれらはすべての男性のタイプではないことを、当たり前だが、強調しておこう。たとえば神経症的に「父の名」が十分に機能していればーーファルス秩序の囚人であればーー、こうでなくなりうる。

「父の名 Nom-du-Père」は「母の欲望 Désir de la Mère」の上に課されなければならない。その条件においてのみ、身体の享楽 jouissance du corps は飼い馴らされ、主体は、他の諸主体と共有された現実の経験に従いうる。(JACQUES-ALAIN MILLER L’Autre sans Autre,2013)

ーーわれわれは原初の「母なる性的ハラスメント者」に対抗するために「父の名」が必要なのである・・・

ところで「父の名」を課すとは、ファザーコンプレクスを課すこととどう異なるのだろう。「父」を「父の機能」という風に捉えれば、ファザコンはマザコンの上に課されなければならない、と言いうるのではないだろうか。

宗教、道徳、社会的感覚ーー人間における高等なものの主要内容ーーは元来一つであった。(……)これらは系統発生的にファザーコンプレックス Vaterkomplexe から得られ、宗教と道徳的制約は本来のエディプスコンプレックス Ödipuskomplexes を支配することによって、そしてまた、社会的感情は若い世代の仲間い起こる競争をなくす必要によって得られた。(フロイト『自我とエス』1923年)

「ファザコンはマザコンの上に課されなければならない」とするときのファザコンとは、後期ラカンの概念「サントーム sinthome」も含めて考えている、《父の名は単にサントームのひとつの形式にすぎない。父の名は、単に特別安定した結び目の形式にすぎないのだ》(Thomas Svolos、Ordinary Psychosis in the era of the sinthome and semblant、2009)。

…………

※「誘惑者」という用語を使っていない、おそらくより一般に受け入れやすいフロイトにとっての原初の母子関係についての考え方は 「われわれの出発点」を見よ。とくに《母を見失うという外傷的状況 Die traumatische Situation des Vermissens der Mutter》(『制止、症状、不安』)という形でトラウマという用語を使っている等。

トラウマという語もコンプレックスと同様に、フロイト・ラカン派においては巷間で一般に使用されているのとは大きく異なる意味合いをもっている。

われわれは皆、トラウマ化されている tout le monde est traumatisé(ミレール、«Vie de Lacan» , 17 mars 2010ーー「女とは「異者としての身体」のこと」)

ほかにも、たとえばwikiのマザーコンプレックスファザーコンプレックスの項には次の記述がある。

子供の母親に関する感情の理論はジークムント・フロイトやカール・グスタフ・ユングが唱えた。だが、彼らがマザーコンプレックスという用語は使ったことはない。
父親に対する感情はジークムント・フロイトやカール・グスタフ・ユングが語ったが、彼らはファーザー・コンプレックスという用語は使っていない。

日本語版wikiには、しばしば驚くべき初歩的な誤謬が書かれているので、この項についてもことさら文句をいうつもりはないが、上にフロイト文を引用したように、フロイトは「マザーコンプレックス Mutterkomplex」「ファザーコンプレックス Vaterkomplexe」という用語を使っている。


2017年9月23日土曜日

高麗笛



ーー ははあ、すばらしい。ビックリした。

だがなにがすばらしいのかは言わないでおく(内政にも外交にもとびきりのすぐれたメッセージであるなどと主張するつもりはない。あくまで天皇・皇后両陛下の私的旅行である)。

とはいえ高麗神社について、一週間ほどまえに読んだところだった、というのも「すばらしい」のうちのひとつである。

今日では埼玉県入間郡高麗村ですが、昔は武蔵の国の高麗郡であり、高麗村でありました。東京からそこへ行くには池袋駅から西武電車の飯能行きで終点まで行き、吾野行きに乗りかえ(同じ西武電車だが池袋から吾野行きの直通はなく、いっぺん飯能で乗りかえなければならない)飯能から二ツ目の駅が高麗です。
この高麗は新羅滅亡後朝鮮の主権を握った高麗ではなくて、高句麗をさすものである。(安吾の新日本地理 10 高麗神社の祭の笛――武蔵野の巻―― )


そのとき、読んだだけではなく、高麗神社の映像まで見ている。

◆高麗神社 桜の下で雅楽とあそぶ 2010年3月28日


改めて笛の音にきき入ると、モウイイカイ、マアダダヨオ、という子供たちの隠れんぼの声が、この笛の音律と舞いの内容に深いツナガリがあって民族のハラワタをしぼるようにして沁みでてきたものではないかと思われ、そう信じても不当ではないと言いきりたいような大きな感動に私はひきこまれていたのであった。

安吾の言うように高麗笛(こまぶえ)の響きは徹底的に美しい。

この民族の一部はすでに古くから安住の地をもとめて海を越え、日本の諸方に住みついていたと考えられます。高句麗は天智天皇の時代に新羅に亡ぼされたが、そのはるか以前からの当時の大陸文化をたずさえて日本に移住していることは史書には散見しているところで、これらの史書に見ゆるものは公式の招請に応じたものか、または日本のミヤコや朝廷をめざして移住してきたものに限られているのであろう。
霊亀二年五月に今の高麗村(以下コマ村と書く)がひらかれたという続日本紀の記事に於ても、決してその年に渡来したコマ人をそこに住ませたのではなく、「駿河と甲斐と相模と上総と下総と常陸と下野の七ヶ国のコマ人一千七百九十九人を武蔵の国にうつしてコマ郡をおいた」 とある通り、すでに各地に土着しておったコマ人を一ヶ所にまとめたにすぎない。 

これがコマ人の総数でなかったことは確かであろう。恐らくそれ以前に日本各地に土着したコマ人たちは、単に部落民として中央政府の支配下に合流して自らをコマ人、クダラ人、シラギ人などと云うことなく新天地の統治者に服従して事もなく生活していたに相違なく、これに反して、すでに日本の諸地に土着しつつも敢てコマ人と称して異を立てておった七ヶ国のコマ人一千七百九十九人の方が珍しい存在と云うべきであろう。彼らが土地を移して一ヶ所にまとめられた意味はそういうところにあるのかも知れない。(安吾の新日本地理 10 高麗神社の祭の笛――武蔵野の巻―― )

武満徹の秋庭歌も高麗笛(こまぶえ)を使っている。じつは三日ほどコマ笛の音色が頭のなかで鳴っていた。風で木の葉が揺れるとことさら鳴るのである、《民族のハラワタをしぼるようにして沁みでてきた》かのようなあの音色が。そしてわたくしの知らない「京城の深く青く凛として透明な空」に思いを馳せたのである。




2017年9月22日金曜日

ヒロ美と掘スケ

あたしは便器か
いつから
知りたくは、なかったんだが
疑ってしまった口に出して
聞いてしまったあきらかにして
しまわなければならなくなった

ーー伊藤比呂美「きっと便器なんだろう」





◆On Women and the Phallus Pierre-Gilles Guéguen, 2010
若く美しい、そして情熱的なヒロ美 Hermioneは、掘スケ Oresteを「見ている」。掘スケはヒロ美をじっと「見つめたまま」でいるべきなのに、そうでない。ヒロ美には不満が湧き起こる。というのは彼らは短く荒々しい性交をしただけなのだから。

ヒロ美はこの若い男と信頼関係をもちたいと願っている。しかし、掘スケが雄々しさを証明してみせ、ヒロ美が性的享楽に満たされた夜々の次の朝、そのときにはことさら、なんとしても掘スケと諍いを起こさねばならなかった。ヒロ美はそうせざるをえない。

掘スケは、目覚めた直後からの、彼にはまったく理解できないこの非難に呆れかえって腹を立てる。この、女性的「無分別」に直面して、掘スケはヒロ美が謝るよう待っている。こうして彼は間違いを犯す。

ヒロ美は私に相談しにきた。彼女は掘スケにたいして憤り不平不満を言う。掘スケは昨日からあたしに声をかけないの。あたしに向けてどんな仕草もしないの。裏切り者よ。もう信用できないわ。

私は指摘した。あなた自身も朝の大荒れの理由を分かっていないのではないか。だから掘スケもあなたに声をかけることが難しいのではないか、と。

ヒロ美はうなずいた。この同意に促され、私は注意深く提案した。あなたがまず先に歩み寄ったほうがよいのでは。たとえばメモ書きの伝言を通して、と。

だがヒロ美は断固として拒絶する。もしあたしが悪いとしても、掘スケよ、証明しなくちゃならないのは。彼は、あたしを欲望しているだけでなく、それに付け加えて、あたしを愛していることの証拠を示さなくちゃならない(あたしが憎まれるようなあらゆる事をしたときでさえ)。

…こうしてヒロ美は《欲望されると同時に愛される être désirée en même temps qu'aimée》(ラカン、E694)ことが彼女の願いであることを理解した。

ーーこのような経験がないだろうか、男性諸君! 「あたしは便器か」とまで言われなくても、上のヒロ美 Hermione に出会ったことは。


…………

ラカンは、男性の愛の《フェティッシュ形式 la forme fétichiste》 /女性の愛の《被愛妄想形式 la forme érotomaniaque》(E733)としている。

もっとも女性にフェティッシュ形式の愛がないわけではない。

女性の愛の要求 demande d'amour が向けられる人物の身体のなかの…器官 organe…それはフェティッシュ fétiche の価値をもつ。(ラカン「ファルスの意味作用」E694)

だがおおむねの傾向として、男の愛はフェティッシュ的、女の愛は、愛されるために愛するという形の被愛形式をとる。

女性の愛の形式は、フェティシスト fétichiste 的というよりもいっそう被害妄想的érotomaniaqueです。女たちは愛され関心をもたれたいのです。 (ジャック=アラン・ミレール、2010、On aime celui qui répond à notre question : " Qui suis-je ? "

…………

ここで出来るだけ簡略化してフロイト・ラカン派の愛をめぐる考え方をもういくらか記す。

まずラカンが次のように言うとき、ファルス享楽とはファルス化された対象a(フェティッシュ)の享楽という風に捉えうる。

・男性は、まったく、ああ、ファルス享楽 jouissance phallique そのものなのである。

・ファルス享楽は身体の享楽のでき損ないとして出来上がっている la jouissance phallique devienne anomalique à la jouissance du corps(Lacan,La troisième,1974)
ファルス享楽 jouissance phallique は 障碍 obstacleである。というのは男は、女性の身体を享楽する jouir du corps de la femme に到らない (イケない n'arrive pas)から。男が享楽するのは、まさに器官の享楽 jouissance, celle de l'organe である。(S20、21 Novembre 1972)

そもそも《フェティッシュとは、欲望が自らを支えるための条件である。 il faut que le fétiche soit là, qu'il est la condition dont se soutient le désir.》(Lacan,S10)であり、言語自体がフェティシュとする観点さえある(参照:人はみなフェティシストである)。

他方、女はファルス享楽だけではなく、他の享楽(身体の享楽)にかかわる。「他の享楽 l'autre jouissance」とは「ファルス享楽 la jouissance phallique」の非一貫性(非全体pas-tout)の内部に外立 ex-sistence する享楽のことである(ex-sistence ≒ extimité)。[参照

かつまた他の享楽とは、《言語外 hors langage、象徴界の外 hors symbolique》(troisième,1974)の享楽である。

これらがアンコールセミネールで示された性別化の図の右側(女性の論理側)で、Lⱥ が、ファルスΦに向かい、かつS(Ⱥ)に向かうという二重化《Lⱥ femme … se dédouble》(S20)の(最も基本的な)意味合いである(Lⱥ femme → Φ, Lⱥ femme → S(Ⱥ))。



Suzanne Barnardは、ブルース・フィンクとともに編集したアンコール注釈書(2002)の序文において、次のように記している、《splitting between phi (desire) and S(Ⱥ) (love)》。これはいささか単純化されすぎているが、今はこの記述に則って記せば、ファルスΦとは欲望、S(Ⱥ)は愛にかかわるということになる。女性はΦ(欲望)とS(Ⱥ)(愛)とに二重化されているのである。

ーー本来、S(Ⱥ)はまずなりよりも欲動(身体の欲動)、あるいは原抑圧にかかわる(参照:S(Ⱥ)、あるいは欠如と穴)。ゆえにS(Ⱥ)はすくなくとも欲動あるいは身体の欲動とすべきだが、とはいえ、ラカンは次のように言っている。

愛の形而上学の倫理……「愛の条件 Liebesbedingung」(フロイト) の本源的要素……私が愛するもの……ここで愛と呼ばれるものは、ある意味で、《私は自分の身体しか愛さない Je n'aime que mon corps》ということである。たとえ私はこの愛を他者の身体 le corps de l'autreに転移させる transfèreときにでもやはりそうなのである。(ラカン、S9、21 Février 1962)

こうしてまわりまわって、しかもごく簡潔に記せば、身体の欲動(欲動の現実界 le réel pulsionnel)のマテーム S(Ⱥ)は愛とすることができるのだろう(おそらくSuzanne Barnardの驚くべき簡潔な記述はこういった思考の流れに由来するのではないかと憶測する。すくなくともS(Ⱥ)=愛としているラカン派注釈者は初見)。

ところでフロイトは、女性的「対象選択 Objektwahl」を愛と欲望の収束、男性的「対象選択」を愛と欲望の分離とした。そしてある種のタイプの男性的人物は次のようなことさえ起こり得る。

愛する場では欲望しない。欲望する場では愛しえない。Wo sie lieben, begehren sie nicht, und wo sie begehren, können sie nicht lieben. (フロイト「性愛生活が誰からも貶められることについて Uber die allgemeinste Erniedrigung des Liebeslebens」1912年)

いずれにせよ、

人が愛するとき、それは性とは全く関係がない。 quand on aime, il ne s'agit pas de sexe(ラカン、S20, December 19, 1972)

そして愛することとは女性化することである。

我々は愛する、「私は誰?」という問いへの応答、あるいは一つの応答の港になる者を。

愛するためには、あなたは自らの欠如を認めねばならない。そしてあなたは他者が必要であることを知らねばならない。

ラカンはよく言った、《愛とは、あなたが持っていないものを与えることだ l'amour est donner ce qu'on n'a pas 》と。その意味は、「あなたの欠如を認め、その欠如を他者に与えて、他者のなかの場に置く c'est reconnaître son manque et le donner à l'autre, le placer dans l'autre 」ということである。あなたが持っているもの、つまり品物や贈物を与えるのではない。あなたが持っていない何か別のものを与えるのである。それは、あなたの彼方にあるものである。愛するためには、自らの欠如を引き受けねばならない。フロイトが言ったように、あなたの「去勢」を引き受けねばならない。

そしてこれは本質的に女性的である。人は、女性的ポジションからのみ真に愛する。愛することは女性化することである。この理由で、愛は、男性において常にいささか滑稽である。(ミレール、On aime celui qui répond à notre question : " Qui suis-je ? " Jacques-Alain Miller janvier 2010

男性諸君が、ラカン派的な意味での男のままで、性交に切磋琢磨すれば、かならずヒロ美に遭遇するはずである、「あたしは便器か」! 

荒木経惟の写真たちの中に喜多見駅周辺の写真を見てあこれはわたしが性交する場所だと思って恥ずかしいと感じたのだわたしは25歳の女であるからふつうに性行為する。板橋区から世田谷区まで来る来るとちゅうは性行為を思いださない性欲しない車外を行き過ぎる世田谷区の草木を見ているこの季節はようりょくそが層をなしている飽和状態まで水分がたかまる会えばたのしさを感じるだから媚びて手を振るが性行為を思いだすのはアパートの部屋でラジオをつけた時である、(伊藤比呂美「小田急線喜多見駅周辺」)




(ひろみ、
(尻を出せ、
(おまえの尻、
と言ったことばに自分から反応して
わ。
かべに
ぶつかってしまう
いたいのではない、むしろ
息を
洩らす
声を洩らす
(ひろみ
とあの人が吐きだす
(すきか?
声も搾られる
(すきか?
きつく問い糺すのだ、いつもそうするのだ
(すきか? すきか?

すき

って言うと
おしっこを洩らしたように あ
暖まってしまった

ーー伊藤比呂美「とてもたのしいこと」より 




次の映像に出現する男たちもおおむね「男」のままであったのではなかろうか?

比呂美−毛を抜く話 / HIROMI - Pulling hairs

ーーねじめ正一、西成彦、林浩平、四方田犬彦、そして撮影者の鈴木志郎康・・・


いずれにせよ男性諸君にとって最も肝腎なことは次のことを知ることである。

コトバとコトバの隙間が神の隠れ家(谷川俊太郎「おやすみ神たち」) 

そして《精神分析が明らかにしたのは、〈神〉とは単に《女 La femme》だということである。 ……Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ».》(ラカン、S23、16 Mars 1976)

すなわち、コトバとコトバの隙間が女の隠れ家であり、女にめちゃくちゃにしてほしいの、などとコトバでいわれても、マにうけたらダメなのである・・・

とはいえコトバに囚われた生き物にすぎないわれわれ男あるいは人間は、「女性の享楽」(他の享楽)にどう応じたらよいのか?


※この図の語彙群の注釈のいくらかは「S(Ⱥ)、あるいは欠如と穴」を見よ。

parlêtre(言存在)用語が実際に示唆しているのは主体ではない。存在欠如 manque à êtreとしての主体 $ に対する享楽欠如 manqué à jouir の存在 êtreである。(コレット・ソレール2009, l'inconscient réinventé )

女性の享楽について、《だれもがどれほど不可能なものか知っている。そして、フロイトが提起した神話、つまりエロスのことだが、これはひとつになるという神話だろうが、このことでだれもがへとへとになっている。なぜならば、どうあっても、二つの身体がひとつになりっこない。どんなにお互いの身体を絡ませても。》

身体を密着することでせいぜいできることといえば、「わたしをぎゅっと抱き締めて serre-moi fort 」と言うことぐらいだろう。しかしあまり強く抱き締めると、相手は最後にはへとへとになる。だから、ひとつになる方法なんてまったく存在しない。まったく傑作中の傑作である冗談だね、これは。ひとつになることがあるとしたら、ひとつという意味が要素、つまり死に属するものの意味に繋がるときだけだろう。 S'il y a quelque chose qui fait l'Un, c'est quand même bien le sens, le sens de l'élément, le sens de ce qui relève de la mort.(ラカン、三人目の女La troisième,1974)

すなわち、ラカンの若い友人だったソレルスの小説『女たち』の冒頭近くの文、《世界は女たちのものである/つまりは死に属している》。男たちは諦めたほうがいい。世界は女たちのものである。ヒロ美菩薩に抵抗してはならぬ。

ところでラカンは上の「三人目の女」で、名高い《性関係はない il n'y a pas de rapport sexuel》ではなく、《性的非関係 non-rapport sexuel》といっている。

ようするに肝腎なのは、《性的関係はない》ではなく《性的非関係がある il y a du non-rapport sexuel》である(カントの否定判断から無限判断への移行)。

仮に私が魂について「魂は死なない ist nicht sterblich」と言ったとすれば、私は否定判断によって少なくとも一つの誤謬を除去したことになるだろう。ところで「魂は不死である die Seele ist nichtsterblich」という命題による場合には、私は魂を不死の実体という無制限の外延中に定置することによって、論理の形式面からは事実肯定したことになる。(……)

[後者の命題が主張するのは]魂とは、死すものがことごとく除去されてもなお残るところの、無限に多くのものの一つである、ということに他ならない。(……)しかし、この[あらゆる可能なものの]空間はこのように死すものが除去されるにも関わらず、依然として無限であり、もっと多くの部分が取り去られても、そのために魂の概念が少しも増大したり肯定的に規定されるということはありえない。(カント『純粋理性批判』)

これが 《神の外立 l'ex-sistence de Dieu》(S22) の真の意味である。《現実界は外立するLe Réel ex-siste》(S22)のであり、《現実界とはただ、角を曲がったところで待っているもの、ーー見られず、名づけられず、だがまさに居合わせているものである。》(ポール・バーハウ、Byond gender, 2001)

ハイデガーの「Ek-sistenz 外立・脱自」とは実はそれしか言っていない。すなわち、女は外立する、女は祟るのである・・・

たゝりはたつのありと複合した形で、後世風にはたてりと言ふところである。「祟りて言ふ」は「立有而言ふ」と言ふ事になる。神現れて言ふが内化した神意現れて言ふとの意で、実は「言ふ」のでなく、「しゞま」の「ほ」を示すのであつた。(折口信夫『「ほ」・「うら」から「ほかひ」へ』ーー「玄牝の門」「杣径」「惚恍」「外祟」

実は現実界とはどこにでも「祟る」。角を曲がったらよいだけである。

存在の開けた明るみ Lichtung の中に立つことを、私は、人間の「外立 Ex-sistenz」と呼ぶ。人間にのみ、こうした存在の仕方が、固有のものとしてそなわっているのである。(ハイデガー『杣径Holzwege』)

ファルス享楽の彼岸にある女性の享楽(他の享楽)とは、《無性的 (a)sexuée》(S20)であり、《パラセックス parasexué》(troisième)ーー性から脇にずれることーーであるから、ヤッテはならない。拝んで匂いを嗅ぐだけなのが核心である・・・(もちろんそれが可能であるならばの話である・・・)

人は安吾の名品の冒頭の真意を推し量らねばならない。

匂いって何だろう? 私は近頃人の話をきいていても、言葉を鼻で嗅ぐようになった。ああ、そんな匂いかと思う。それだけなのだ。つまり頭でききとめて考えるということがなくなったのだから、匂いというのは、頭がカラッポだということなんだろう。(坂口安吾『青鬼の褌を洗う女』)

これこそ女性の享楽、すなわち《言語外 hors langage、象徴界の外 hors symbolique》を希求する至高の態度にほかならない。





杣径(そまみち Holzwege)とは、 森林の空地 Lichtungに至る森のなかの道である。角を曲がってふと空地に遭遇したら、われわれは「外立 Ex-sistenz」――語源は、ギリシア語の έκσταση であり、Ekstase (エクスタシー・脱自)である――するのである。

杣(そま、Holz)とは森(Wald)に対する古い名称のことである。杣にはあまたの径があるが、大抵は草木に覆われ、突如として径なきところに杜絶する。

それらは杣径 と呼ばれている。

どの杣径も離れた別の経路を走る、しかし同じ森の中に消えてしまう。 しばしば或る杣径が他の杣径と似ているように見える。けれども似ているように見えるだけである。

これらの径の心得があるのは、杣人たちであり森番たちである。杣径を辿り径に迷うとはどういうことであるのか、熟知しているのは彼らなのである。 (ハイデガー『杣径』)

大江健三郎も記している、杣径(森の鞘)では、鉈を振るってはならない、と。人は山桜の匂いをかぐだけにせねばならぬ。

妻とギー兄さんは森の鞘に入って山桜の花盛りを眺めた日、その草原の中央を森の裂け目にそって流れる谷川のほとりで弁当を食べた。(……)そして帰路につく際、ギー兄さんは思いがけない敏捷さ・身軽さで山桜の樹幹のなかほどの分れめまで登り、腰に差していた鉈で大きい枝を伐ろうとした。妻は心底怯えて高い声をあげ、思いとどまってもらった。(大江健三郎『懐かしい年への手紙』)

2017年9月21日木曜日

Tristis post Coitum

なんだか燃料が切れた気分だな、以下、日毎の惰性で記す。

Post coitum omne animalium triste est (性交後、すべての動物は悲しくなる)という文句は知っていたのだが、これが簡略版であるのを(今頃)知ったので、その次い手のメモ。

…………

暖炉の火が穏やかな気配の弱さになっていたのを、僕は立て直そうとした。(……)

炎の起こったところでふりかえると、スカートをたくしあげている紡錘形の太腿のくびれにピッチリはまっているまり恵さんのパンティーが、いかにも清潔なものに見えた。マニ教の秘儀ではないが、切磋琢磨する性交をつうじて、生ぐさい肉体に属するものは、根こそぎアンクル・サムに移行し、まり恵さんには精神の属性のみが残ったようだ……(大江健三郎『人生の親戚』)

※アンクル・サムとはまり恵さんの米人セックスフレンドのこと。



…………

「賢者タイム」とは、性交後の賢人モードをいうらしいが、主に男性における現象である。英語では post-cum clarity(イッタ後の清澄さ)がそれに当たる。上の大江の表現なら「精神の属性のみが残る」である。

ただし女性側からは、男性の次のような態度に遭遇したときに「賢者タイム」という語が使われることが多いらしい。

女性からすると要するに「今まであんなに盛り上がっていたのに終わった途端スンっと引くってどういうこと?」という状態(……)。

「たいてい、『触るな!』という無言の圧力がかかります。具体的に言葉にはしてきませんが、俺に構うなオーラがすごい……これで冷めてしまったこともありました」(「性行為後に「賢者タイム」にはいる男性。みんなはどう対応してる?」)

冒頭に掲げた大江健三郎の『人生の親戚』におけるまり恵さんも「賢者タイム」のはずだが、女性の場合、男に「あっちいけ、シッシ!」とはならない場合が多いように思う(ーーとはもちろん憶測である)。

先の大江文は次のように次のように続く。

もっともまり恵さんは、僕がスカートの奥に眼をひきつけられているのに気づくと、両腿を狭める動作をするかわりに、あらためて疲れと憂いにみちているが、ベティさん式の派手な顔に微笑を浮べ、かならずしも精神プロパーではない提案をした。さりとて肉体プロパーでもなかったはずだが……

ーー今後もう私には、あなたと一緒に夜をすごすことはないのじゃないかしら? それならば、元気をだして一度ヤリますか? 光さんが眠ってから、しのんで来ませんか?

――……ずっと若い頃に、かなり直接的に誘われながらヤラなかったことが、二、三人についてあったんだね。後からずっと悔やんだものだから、ある時から、ともかくヤルということにした時期があったけれども…… いまはヤッテも・ヤラなくても、それぞれに懐かしさがあって、ふたつはそうたいしたちがいじゃないと、回想する年齢だね。

ーーつまりヤラなくていいわけね。……私も今夜のことを、懐かしく思い出すと思うわ、ヤッテも、ヤラなくても、とまり恵さんはむしろホッとして様子を示していった。(大江健三郎『人生の親戚』)



ところで、上に女性の場合は「あっちいけ、シッシ!」とはならないだろう、と憶測したのは、上の大江の小説からではなく、なによりもまず、偉大なるモンテーニュに依拠している。

われわれは次のように、女性の扱い方に分別を欠いている。すなわち、われわれは、彼女らがわれわれと比較にならないほど、愛の営みに有能で熱烈であることを知っている。このことは……かつて別々の時代に、この道の達人として有名なローマのある皇帝(ティトゥス)とある皇后(メッサリナ)自身の口からも語られている。この皇帝は一晩に、捕虜にしたサルマティアの十人の処女の花を散らした。だが皇后の方は、欲望と嗜好のおもむくままに、相手を変えながら、実に一晩に二十五回の攻撃に堪えた。……以上のことを信じ、かつ、説きながらも、われわれ男性は、純潔を女性にだけ特有な本分として課し、これを犯せば極刑に処すると言うのである。(モンテーニュ『エセー』)

もっともモンテーニュのような考え方は、古代の男性軍がすでに「悟達」していたようである。

たとえば、Post coitum omne animalium triste est (性交後、すべての動物は悲しくなる)というラテン語格言(ギリシャ人医師兼哲学者Galenによる)がある。だがこれは簡略版であり、正式版は、post coitum omne animal triste est sive gallus et mulier(性交後、雄鶏と女を除いて、すべての動物は悲しくなる)だそうだ。

西脇のTristis post Coitum(性交後の悲しみ)も正式版の意味で読む必要がある。

原始的淋しさは存在という情念から来る。
Tristis post Coitumの類で原始的だ。
孤独、絶望、は根本的なパンセだ。
生命の根本的情念である。
またこれは美の情念でもある。

ーー西脇順三郎『梨の女「詩の幽玄」』より



2017年9月20日水曜日

生きているのはひまつぶし

ーー酒はきみをゆっくりと殺すらしいぜ
そうさ、俺たちはそんなに急ぐ必要はないだろ?

いやあ尿酸値が高くて膝が腫れかかってるのに、
テニス仲間と暴飲暴食をしちまったな、しかも鼈鍋なんてね。




死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n’est rien d’autre que ce qu’on appelle la jouissance (ラカン、S17、26 Novembre 1969)
人は循環運動をする on tourne en rond… 死によって徴付られたもの marqué de la mort 以外に、どんな進展 progrèsもない 。

それはフロイトが、« trieber », Trieb という語で強調したものだ。仏語では pulsionと翻訳される… 死の衝動(欲動 la pulsion de mort) …もっとましな訳語はないもんだろうか。「dérive 漂流」という語はどうだろう。(S23, 16 Mars 1976)

深沢七郎に「生きているのはひまつぶし」という題名の書があったが、今思えばいかにもラカン的だね、

深沢の時代に「生きているのはひまつぶし」ってのはひとつの姿勢だったよ
さらに遡って安吾の戦後期だってこの達観を表白しえた。

ところが、現在はこう言いにくくなってしまった。なぜか?

たぶん安吾や深沢の時代は、世の中が全体的にはよくなってゆくという「幻想」があったはず。細部に文句はあってもね。




現在、たとえば10年後の「世界」あるいは「日本」がいまよりよくなっていると楽観的に考えうる人間は稀だろう。おそらくそのせいだね。

ま、でもわたくしは「生きているのはひまつぶし」でいくしかないな。そもそもわたくしの住んでいる国は、現在、世界中で稀な「10年後にいまよりよくなっている」と妄想している国ナンバーワンらしい。

《世の中がいやになっちゃうよ、もう。かってにしやがれ》(大岡昇平)

いやいや宴会に参加してくれたピチピチの美女ーー豊かなお尻と腰にくびれの対照が見事なテニスギャルーーは「かってにしやがれ」どころじゃなかったな





2017年9月18日月曜日

ふたつの理想化(菊乃と津世子)

批評家は、作家のめざしてゐるものを見よ。最高の理想をめざして身悶えながら、汚辱にまみれ、醜怪な現実に足をぬき得ず苦悶悪闘の悲しさに一掬の涙をそゝぎ得ぬのか。然り。そゝぎ得ぬ筈だ。おん身らは、かゝる苦闘を知らないのだから。日本文学の伝統などといふものを表面の字づらの上で読みとり、綴り合せて、一文を草することしか知らないのだから。(坂口安吾「理想の女」初出1947年)

…………

以下、主にメモ(青空文庫にある安吾の作品を「あ」から読み返しているのだが、ようやく「あ」が終ったところでのメモである。かつて読んだ「あ」以外の印象が残っている作品についての引用もいくらかある)。

◆「安吾人生案内その六 暗い哉 東洋よ」より(初出:「オール読物 第六巻第一〇号」1951(昭和26)年10月1日発行)

塩谷先生は菊乃さんが自殺したと説をなす者を故人を誣いるものだとお考えのようであるが(同氏手記「宿命」――晩香の死について――週刊朝日八月十二日号)誰が自殺しても別にフシギはないし、自殺ということが、その人の、またはその良人の不名誉になることだとも思われない。
大詩人だの大音楽家だのと云ったって、その他人にすぐれているのは詩と音楽についてのことで、ナマの現身はそうは参らん。現身はみんな同じこと。否、現身に属する美点欠点にも差はあるだろうが、それは詩や音楽の才能と相応ずるものではありません。

漢学者塩谷温(1878-1962)は一部では《その研究史上の功労は日本人研究者においては京都大学の青木正児(1887-1964)、吉川幸次郎(1904-1980)といった学者に並ぶものだ》とされる方だそうだ(前川晶「塩谷温と『支那文学概論講話』について」)。ただし《知名度は…明らかに低い》。なぜなら《戦前支那学研究の基礎的作業に終始》にしたから、と。

前川晶氏の同じ論文には、塩谷温の晩年について、次のように記されている。

戦後不如意の生活を強いられつつも、国体と道徳の再興を叫んで意気軒高に過ごしていた塩谷は、古希を迎えて三十才半ばの花柳界出身の相手・長谷川菊乃(晩香)と再婚した。当時世に知られた二年足らずの「老いらくの恋」ののち昭和二六年(1951)七月、この菊乃が謎の死を遂げ、それが(老漢学者の若夫人自殺)と興味本位に騒がれて事件がスキャンダル化したとき、〈自殺と決めつける世人〉への反論として塩谷が書き散らかした手記のひとつ「宿命――晩香の死についてーー」(『週刊朝日』1951年8月12日号)を読んだ坂口安吾は、そこに示されたあまりにもアナクロな愛情表現に反発し、『安吾人生案内/暗い哉東洋よ』のなかで塩谷を厳しく論難した。

その文章を坂口はこのように締めくくっている。「人間の倫理は「己が罪」というところから始まったし、そうでなければならんもんだが、東洋の学問は王サマの弁護のために論理が始まったようなもんだから、分らんのは仕方がないが。 ああ、暗い哉。東洋よ。暗夜、いずこへ行くか。 オレは同行したくないよ。」(前川晶「塩谷温と『支那文学概論講話』について」2001,pdf

以下、ふたたび「安吾人生案内その六 暗い哉 東洋よ」より

塩谷先生は悪意はなかった。むしろ善意と、献身的な気持で溢れていたようだ。けれども、自分の美化した想念に彼女を当てはめて陶酔し、彼女のきわめて卑近な現実から自分の知らない女を発見したり、彼女の心の裏の裏まで見てやりはしなかったようだ。先生は彼女を詩中の美女善女のように賞揚して味っていたが、詩中の美女善女のような女は現実的には存在しないものである。 

現実的な人間は、もっともっと小さくて汚く、卑しいところもあるものである。それは肉慾の問題、チャタレイ的なことのみを指すものではありません。肉慾などよりも、精神的に甚しい負担が彼女にかかっていて、彼女はジリジリ息づまるように追いつめられていたのではありますまいか。それは詩の中の最上級の美女善女に仕立てられた負担であった。もっと卑しくて、汚らしくて、小さくて、みじめなところ、欠点も弱点も知りつくした上で愛されなくては、息苦しくて、やりきれまい。       
塩谷先生は菊乃の欠点もよく知っていた、全てを知った上で、彼女を美しきもの良きもの正しきものと観じて愛したのだ。と仰有るかも知れないが、私はそうではないと思う。 

先生の愛し方は独裁者の愛し方ですよ。たとえば軍人が、軍人精神によって、一人の兵隊をよき兵隊として愛す。ところがこの兵隊はよき軍人的であるために己れを偽って隊長の好みに合せている。その好みに合せることは良き軍人ということにはかのうが、決してよき人間ということにはかなわない。彼自身が欲することは良き人間でありたいということで、良き軍人ということではなかったのだが、この社会では軍人絶対であるから、どうにもならない。独裁者の意のままの人形になってみせなければ生きられないのである。

傑出した心理家坂口安吾といおう。

心理学者の決疑論。――この者は一人の人間通である。いったい何のために彼は人間を研究するのであろうか? 彼は人間に関する小さな利益を引っとらえようと欲する、ないしは大きな利益をも。――彼は政略家にほかならない!・・・あそこのあの者もまた一人の人間通である。だから諸君は言う、あの者はそれで何ひとつ自分の利益をはかろうとしない、これこそ偉大な「無私の人」であると。もっと鋭く注意したまえ! おそらく彼はさらにそのうえ“いっそう良くない”利益を欲している、すなわち、おのれが人々よりも卓越していると感じ、彼らを見くだしてさしつかえなく、もはや彼らとは取りちがえられたくないということを欲しているのである。こうした「無私の人」は”人間軽蔑者”にほかならない。だからあの最初の者の方が、たとえ外見上どうみえようとも、むしろ人間的な種類である。彼は少なくとも同等の地位に身をおき、彼は“仲間入り”する。(ニーチェ『偶像の黄昏』「或る反時代的人間の遊撃」)

たとえば《先生の愛し方は独裁者の愛し方ですよ》《独裁者の意のままの人形になってみせなければ生きられない》とする安吾の文は、理想化のメカニズムを見事に分析しているとしてよい。

誤った崇拝は理想化をうむ。それは他者の弱さを見えなくする──あるいは、それはむしろ、自己のいだく幻影を投影するスクリーンとして他者を利用し、他者そのものを見えなくする。(ジジェク『信じるということ』)

なぜこのようなすぐれた心理家が生まれたのか。安吾はひとりの女を徹底的に愛し、徹底的に苦しんだからである。わたくしは(今のところ)そう考えたい。《われわれは、無理に contraints、強制されて forcés、時間の中でのみ真実を探求する。真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である 。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。》(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』ーー作家の手の爪の血

…………

◆二十七歳(初出:「新潮 第四四巻第三号」1947(昭和22)年3月1日発行)
さて、私は愈々語らなければならなくなつてきた。私は何を語り、何を隠すべきであらうか。私は、なぜ、語らなければならないのか。 

私は戦争中に自伝めく回想を年代記的に書きだした。戦争中は「二十一」といふのを一つ書いたゞけで、発表する雑誌もなくなつてしまつたのだが、私がこの年代記を書きだした眼目は二十七、それから三十であつた。つまり、矢田津世子に就てゞあつた。

私は果して、それが書きうるかどうか、その時から少からず疑つてゐた。たゞ、私は、矢田津世子に就て書くことによつて、何物かゞ書かれ、何物かゞ明らかにされる。私はそれを信じることができたから、私はいつか、書きうるやうにならなければいけないのだと考へてゐたのであつた。 

始めからハッキリ言つてしまふと、私たちは最後まで肉体の交渉はなかつた。然し、メチルドを思ふスタンダールのやうな純一な思ひは私にはない。私はたゞ、どうしても、肉体にふれる勇気がなかつた。接吻したことすら、恋し合ふやうになつて、五年目の三十一の冬の夜にたゞ一度。彼女の顔は死のやうに蒼ざめてをり、私たちの間には、冬よりも冷めたいものが立ちはだかつてゐるやうで、私はたゞ苦しみの外なにもなかつた。たかゞ肉体ではないか、私は思つたが、又、肉体はどこにでもあるのだから、この肉体だけは別にして、といふ心の叫びをどうすることもできなかつた。 

そして、その接吻の夜、私は別れると、夜ふけの私の部屋で、矢田津世子へ絶交の手紙を書いたのだ。もう会ひたくない、私はあなたの肉体が怖ろしくなつたから、そして、私自身の肉体が厭になつたから、と。そのときは、それが本当の気持であつたのかも知れぬ。その時以来、私は矢田津世子に会はないのだ。彼女は死んだ。そして私はおくやみにも、墓参にも行きはしない。 

その後、私は、まるで彼女の肉体に復讐する鬼のやうであつた。私は彼女の肉体をはづかしめるために小説を書いてゐるのかと疑らねばならないことが幾度かあつた。私は筆を投げて、顔を掩うたこともある。



◆三十歳(初出:「文学界 第二巻第五号」1948(昭和23)年5月1日発行)
私は「いづこへ」の女が夜の遊びをもとめる時に、時々逆上して怒った。「君はそのために生きているのか! そのためにオレが必要なのか!」 

私にとって、私がそのことを怒るべき時期であったに相違ない。あの女とは限らない。どの女であるにしても、その事柄を怒らずにいられない時期であったと思う。 

私は女の生理を呪った。女の情慾を汚らしいものだと思った。その私は、女以上に色好みで、汚らしい慾情に憑かれており、金を握れば遊里へとび、わざ〳〵遠い田舎町まで宿場女郎を買いに行ったりしていたのである。 

私はこうして女の情慾に逆上的な怒りを燃やすたびに、神聖なものとして、一つだけ特別な女、矢田津世子のことを思いだしていた。もとより、それはバカげたことだ。もとより当時からそのバカらしさは気付いていたが、そうせずにいられなかっただけである。 

一つの女体としての矢田津世子が、他のあらゆる女体と同じだけの汚らしさ悲しさにみちたものであることを、当時の私といえども知らぬ筈はない。それどころか、女の情慾の汚らしさに逆上的な怒りを燃やすたびに、私はむしろ痛切に、矢田津世子がそれと同じものであることを痛く苦く納得させられ、その女の女体から矢田津世子の女体を教えられているのであった。 

それにも拘らず、逆上的な怒りのたびに、矢田津世子の同じ女体を、一つ特別な神聖なものとして思いだしてもいるのだ。

《私は二十七まで童貞だった。 二十七か八のころから三年ほど人の女房だった女と生活したが、これからはもう散々で、円盤ややりや自動車の比ではない。窒息しなかったのが不思議至極で、思いだしても、心に暗幕がはられてしまう。》(坂口安吾「てのひら自伝」初出1947年)

矢田津世子と再会して、混乱の時期が収ったとき、私の目に定着して、ゆるぎも見せぬ正体をあらわしたのは、矢田津世子の女体であった。その苦しさに、私は呻いた。 

三年間、私が夢に描いて恋いこがれていた矢田津世子は、もはや現実の矢田津世子ではなかったのだ。夢の中だけしか存在しない私の一つのアコガレであり、特別なものであった。

今日の私はその真相を理解することができたけれども、当時の私はそうではなかった。私の恋人は夢の中で生育した特別な矢田津世子であり、現実の矢田津世子ではなくなっていることを理解できなかったのだ。私はたゞ、驚き、訝り、現実の苦痛や奇怪に混乱をつゞけ、深めていた。 

現実の矢田津世子は、夢の中の矢田津世子には似ず、呆れるほど、別れたばかりの女に似ていた。むしろ、同じものであったのだ。同じ女体であったから。私は然し、当時は、恋する人の名誉のために、同じ、という見方を許すことができなかったから、私の理解はくらみ、益々混乱するばかりであったのである。 

二十七歳のころは、私は矢田津世子の顔を見ているときは、救われ、そして安らかであった。三十歳の私は、別れたあとの苦痛の切なさは二十七のころと同じものであったが、顔を合せている時は、苦しさだけで、救いもなく、安らかな心は影だになかった。 

私はあの人と対座するや、猟犬の鋭い注意力のみが感官の全部にこもって、事々に、あの人の女体を嗅ぎだし、これもあの女に似てるじゃないか、それもあの女と同じじゃないか、私は女体の発見に追いつめられ、苦悶した。
私も、あの人も、大人になっていたのだ。私は「いづこへ」の女との二年間の生活で、その女を通して矢田津世子の女体を知り、夢の中のあの人と、現実のこの人との歴然たる距りに混乱しつゝも、最も意地わるくこの人の女体を見すくめていた。
私は然し、今日、私がこのように平静でありうるのも、矢田津世子がすでに死んだからだと信ぜざるを得ないのである。 

思えば、人の心は幼稚なものであるが、理窟では分りきったことが、現実ではママならないのが、その愚を知りながら、どうすることもできないものであるらしい。 

矢田津世子が生きている限り、夢と現実との距りは、現実的には整理しきれず、そのいずれかの死に至るまで、私の迷いは鎮まる時が有り得なかったと思われる。

私はどんな放浪の旅にも、懐から放したことのない二冊の本があった。N・R・F発行の「危険な関係」の袖珍本で、昭和十六年、小田原で、私の留守中に洪水に見舞われて太平洋へ押し流されてしまうまで、何より大切にしていたのである。 

私はこの本のたった一ヶ所にアンダーラインをひいていた。それはメルトイユ夫人がヴァルモンに当てた手紙の部分で「女は愛する男には暴行されたようにして身をまかせることを欲するものだ」という意味のくだりであった。
私の部屋はKホテルの屋根の上の小さな塔の中であった。特別のせまい階段を登るのである。 

せまい塔の中は、小型の寝台と机だけで一パイで、寝台へかける外には、坐るところもなかった。 

矢田津世子は寝台に腰かけていた。病院の寝台と同じ、鉄の寝台であった。 

私は、さすがに、ためらった。もはや、情慾は、まったく、なかった。ノドをしめあげるようにしてムリに押しつめてくるものは、私の決意の惰性だけで、私はノロ〳〵とにじりよるような、ブザマな有様であった。

私は矢田津世子の横に腰を下して、たしかに、胸にだきしめたのだ。然し、その腕に私の力がいくらかでも籠っていたという覚えがない。 

私は風をだきしめたような思いであった。私の全身から力が失われていたが、むしろ、磁石と鉄の作用の、その反対の作用が、からだを引き放して行くようであった。 

私の惰性は、然し、つゞいた。そして、私は、接吻した。 

矢田津世子の目は鉛の死んだ目であった。顔も、鉛の、死んだ顔であった。閉じられた口も、鉛の死んだ唇であった。 

私が何事を行うにしても、もはや矢田津世子には、それに対して施すべき一切の意識も体力も失われていた。表情もなければ、身動きもなかった。すべてが死んでいたのであった。 

私は茫然と矢田津世子から離れた。まったく、そのほかに名状すべからざる状態であったと思う。私は、たゞ、叫んでいた。

「出ましょう。外を歩きましょう」 

そして、私は歩きだした。私について、矢田津世子も細い階段を下りてきた。 

表通りへでると、私はたゞちに円タクをひろって、せかせかと矢田津世子に車をすゝめた。

「じゃア、さよなら」 

矢田津世子は、かすかに笑顔をつくった。そして、「おやすみ」 と軽く頭を下げた。 

それが私たちの最後の日であった。そして、再び、私たちは会わなかった。 

私は、塔の中の部屋で、夜更けまで考えこんでいた。そして、意を決して、矢田津世子に絶縁の手紙を書き終えたとき、午前二時ごろであったと思う。ねむろうとしてフトンをかぶって、さすがに涙が溢れてきた。 

私の絶縁の手紙には、私たちには肉体があってはいけないのだ、ようやくそれが分ったから、もう我々の現身はないものとして、我々は再び会わないことにしよう、という意味を、原稿紙で五枚くらいに書いたのだ。


安吾は、上の「三十歳」が書かれた三年後、「安吾人生案内 その八 安吾愛妻物語」(初出「オール読物 第六巻第一二号」1951(昭和26)年12月1日発行)にて次のように記している。《二十七と三十一のバカらしさはすでにバカげた記録を綴っておいたが、これもそのうち静かに書き直す必要があろう。》

ほぼ同じ時期の「安吾の新日本地理秋田犬訪問記――秋田の巻――」(初出:「文藝春秋 第二九巻第一五号」 1951(昭和26)年11月1日発行)には、次のような文がある。

私がフラフラ状態で秋田市へつき、旅館に辿りついたとき、いきなり秋田の新聞記者が訪ねてきた。「秋田市の印象はいかがですか」 (……)
 
しかし、着いたトタンに当地の印象いかがとは気の早い記者がいるものだ。その暗さや侘しさがフルサトの町に似た秋田は切ないばかりで、わずかばかりの美しさも、わずかばかりの爽かさも、私の眼には映らない。 

けれども私は秋田を悪く云うことができないのです。なぜなら、むかし私が好きだった一人の婦人が、ここで生れた人だったから。秋田市ではなく、横手市だ。けれども秋田県の全体が、あそこも、ここも、みんなあの人を育てた風土のようにしか思われない。すべてが私にとっては、ただ、なつかしいのも事実だから仕方がありません。汽車が横手市を通る時には、窓から吹きこむ風すらも、むさぼるばかりに、なつかしかった。風の中に私がとけてしまッてもフシギではなかったのです。秋田市が焼跡のバラック都市よりも暗く侘しく汚くても、この町が私にとってはカケガエのない何かであったことも、どう言い訳もなかったのです。

「秋田はいい町だよ。美しいや」 

私は新聞記者にそうウソをついてやりました。すると彼は、たぶん、と私が予期していたように、しかし甚ださりげなく、また慎しみを失わずに、あの人の名を言いだした。

「あゝ。あの人なら、知ってるよ。たぶん、横手のあたりに生れた人だろう」

私は何食わぬ顔で、そう云ってやった。むろん私はその記者に腹を立てるところなどミジンもなかった。私はこの土地であの人の名をハッキリ耳にきくことによって、十年前に死んだ、その人と対座している機会を得たような感傷にひたった。着いたトタンにいきなり新聞記者が訪ねて来たことも、そしていきなりあの人の名をきいてしまったことも、私とこの土地に吹く風だけが知り合っている秘密のエニシであるということをひそかに考えてみることなどを愉しんだのである。

上の1951年のエッセイに「十年前に死んだ」とあるが、矢田津世子は、1943年に肺炎で亡くなっている。

途中、傑出した心理家安吾としたが、傑出していても人は自分のことが見えなくなることは必ずある。《万人はいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きている(Human being cannot endure very much reality ---T.S.Eliot)》(中井久夫「統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』所収)

安吾が塩谷温氏の心理を鋭く分析しているからといって、自己分析が同様にできているとは必ずしもいえない。

他者の「メタ私」は、また、それについての私の知あるいは無知は相対的なものであり、私の「メタ私」についての知あるいは無知とまったく同一のーーと私はあえていうーー水準のものである。しばしば、私の「メタ私」は、他者の「メタ私」よりもわからないのではないか。そうしてそのことがしばしば当人を生かしているのではないか。(中井久夫『世界における徴候と索引』)

かつまた上に引用した、「二十七歳」と「三十歳」は小説の記述であることに注意しなければならない。たとえば安吾三十歳の年、《昭和11年1月頃、しばらく途絶えていた安吾との交際が再開されたが、3月5日頃に本郷の菊富士ホテルに安吾をたずねたのを最後に、その後津世子のほうから安吾に絶縁の手紙が出される》とWIKIの矢田津世子の項に書かれているが、これは「三十歳」の叙述とはいささか齟齬がある。

私が「いづこへ」の女と別れる時には、私はどうしてもこの狂気の処置をつけなければならないことを決意していたのである。求婚の形でか、より激しく狂気の形でか、強姦の形でか、とにかく何か一つの処置がなければならぬことだけは信じていた。

矢田津世子も、たぶん、そうであったらしい。二人は別々に離れて、同じような悲しい狂気に身悶えていたらしい。 

あの人が訪ねてきたとき、私はちょうど、玄関の隣りの茶の間に一人で坐っていた。そして私が取次にでた。 

あの人は青ざめて、私を睨んで立っていた。無言であった。睨みつづけることしか、できないようであった。私の方から、お上りなさい、と言葉をかけた。(……)

「私はあなたのお顔を見たら、一と言だけ怒鳴って、扉をしめて、すぐ立去るつもりでした。私はあなたを愛しています、と、その一と言だけ」 (……)

「僕もあなたを愛していました。四年間、気違いのように、思いつづけていたのです。この部屋で、四年前、あなたが訪ねてこられた日から気違いのようなものでした。いわばそれから、あなたのことばかり思いつめていたようなものです」 

私がこう言い終ると、あの人がスックと立ち上ったように思ったが、実際は、あの人が顔を上げたゞけなのだ。その顔が青ざめはてて、怒りのために、ひきしまり、狂ったように、きつかったのだ。「四年前に、なぜ、四年前に」(「三十歳」)

ネット上には事実関係らしきものを記した安吾研究家の叙述がないではないが、ここではそれを引用することは敢えてしない。・・・いやひとつだけ面白いものがあるので引用しよう。

近藤富枝の「花影の人」によると、この時期に矢田津世子は次のようなメモを書き残しているという。

「私が彼を愛してゐるのは、実際にあるがままの彼を愛してゐるのではなくして、私が勝手に想像し、つくりあげてゐる彼を愛してゐるのです。だが、私は実物の彼に会ふと、何らの感興もわかず、何等の愛情もそそられぬ。

そして、私は実体の彼からのがれたい余り彼のあらばかりをさがし出した。しかしそのあらを、私の心は創造してゐたのである」

もしこれが事実だとすれば、安吾の「三十歳」の叙述、《現実の矢田津世子は、夢の中の矢田津世子には似ず、呆れるほど、別れたばかりの女に似ていた》は、先に矢田が言っていたことになる。

いやアこうやってメモしながら記していると、この文を記そうと思った当初の意図とは別の方向にいってしまう・・・《真理の愛とは、弱さの愛、弱さを隠していたヴェールを取り払ったときのその弱さの愛、真理が隠していたものの愛、去勢と呼ばれるものの愛である。》(ラカン、 S17, 14 Janvier 1970)

というわけでこのあたりで次の文を引用してやめておこう。

作品というものは、私の場合、私の全的なもので、自伝的作品といっても、過去の事実の単純な追想や表現ではないのである。事実の復原をめざして書くなどということは、私のてんから好まざるところ、左様な意味のものならば、私は自伝などは書かぬ。

私が自伝を書くには、書くべき文学的な意味があり、私の思想や生き方と、私の過去との一つの対決が、そこに行われ、意志せられ、念願せられているという、それを理解していただきたい。 

その対決のあげくが、どう落付きどう展開することになるか、それを私自身が知らず、ただ、それを行うところから出発する、そういう手段だけが、私の小説の、私に於ける意味なのである。(坂口安吾「わが思想の息吹」)


2017年9月17日日曜日

愛する対象の非全体

愛する理由は、人が愛する対象のなかにはけっしてない。les raisons d'aimer ne résident jamais dans celui qu'on aime(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

スワンのオデットへの愛、マルセルのアルベルチーヌへの愛、反復される山間の農家の牛乳売りの娘への夢想…。あるいは小説家ベルゴットへの愛でさえも。

冒頭のドゥルーズ文は、『失われた時を求めて』に繰り返し出現する主要テーマにかかわり、たとえば最終巻の「見出された時」にはこうある。

バルベックの美は、一度その土地に行くともう私には見出されなかった、またそのバルベックが私に残した回想の美も、もはやそれは二度目の逗留で私が見出した美ではなかった、ということを。私はあまりにも多く経験したのだった、私自身の奥底にあるものに、現実のなかで到達するのが不可能なことを。また、失われた時を私が見出すであろうのは、バルベックへの二度の旅でもなければ、タンソンヴィルに帰ってジルベルトに会うことでもないのと同様に、もはやサン・マルコの広場の上ではないということを。また、それらの古い印象が、私自身のそとに、ある広場の一角に、存在している、という錯覚をもう一度私の起こさせるにすぎないような旅は、私が求めている方法ではありえない、ということを。

またしてもまんまとだまされたくはなかった、なぜなら、いまの私にとって重大な問題は、これまで土地や人間をまえにしてつねに失望してきたために(ただ一度、ヴァントゥイユの、演奏会用の作品は、それとは逆のことを私に告げたように思われたが)、とうてい現実化することが不可能だと思いこんでいたものにほんとうに自分は到達できるのかどうか、それをついに知ることであったからだ。(プルースト「見出された時」)

《またしてもまんまとだまされたくはなかった》とあるが、人はことあるごとに騙されてしまうのだ。わたくしはこのところ安吾を読んでいるが、わたくしの安吾への愛は、安吾のなかにない、と常に疑わねばならないのに、ついうっかり忘れてしまう。

もっともプルーストは上にあるようにヴァントゥイユの作品という例外を語っている。これについてドゥルーズは、プルースト文にあらわれる非物質性(シネ・マテリア Sine materia)という語を取り出して注釈してはいる(参照:社交・愛・感覚・芸術のシーニュ)。真の芸術のシーニュは、愛する対象のなかにあると言えるのかもしれないが、それについてはわたくしはいまだ処理できていない(シネ・マテリア自体、後述のシミ=対象a=純粋差異ではないだろうか、と考えているところがある)。

一般にはドゥルーズがプルースト文を引用して記しているように「対象の鞘のなかの印象/己れ自身の内部にのびている印象」の後者が肝腎であるというのが、プルーストの「もう騙されたくはなかった」の意味合いである。

我々のどの印象もふたつの側面を持っている。《あらゆる印象は、二重構造になっていて、なかばは対象の鞘におさまり、他の半分はわれわれ自身の内部にのびている》。それぞれのシーニュはふたつの部分を持っている。それはひとつの対象を指示しdésigne、他方、何か別のものを徴示する signifie。客観的側面は、快楽 plaisir、直接的な悦楽 jouissance immédiate 、それに実践 pratique の側面である。

我々はこの道に入り込む。我々は《真理》の側面を犠牲にする。我々は物を再認reconnaissons する。だが、我々は決して知る connaissons ことはない。我々はシーニュが徴示すものを、それが指示する存在や対象と混同してしまう。我々は最も美しい出会いのかたわらを通り過ぎ、そこから出て来る要請 impératifs を避ける。出会いを深めるよりも、容易な再認の道を選ぶ。ひとつのシーニュの輝きとして印象の快楽を経験するとき、我々は《ちぇ、ちぇ、ちぇ zut, zut, zut 》とか、同じことだが《ブラボー、ブラボー》とかいうほかない。すなわち対象への賞賛を表出する表現しか知らない。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

とはいえ、愛する理由は愛する対象のなかにはなく、己自身の内部にのびているもととするとき、その具体的なあり方は何か。

そのひとつの解釈としては、愛する理由は対象のなかに書き込まれているシミにある、という観点である。

プンクトゥム punctum とは、刺し傷 piqûre、小さな穴 petit trou、小さなシミ petite tache、小さな裂け目 petite coupureのことでもありーーしかもまた、骰子の一振りcoup de dés のことでもある…。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺すme point 偶然 hasard (それだけなく、私にあざをつけme meurtrit、私の胸をしめつけるme poigne)偶然なのである。(ロラン・バルト『明るい部屋』第10章)

このシミが人を動顛させ突き刺す(参照:眼差しとしてのプンクトゥム)。

ある一つの細部が、私の読み取りを完全に覆してしまう。それは関心の突然変異であり、稲妻である。ある何ものかの徴がつけられることによって、写真はもはや任意のものでなくなる。そのある何ものかが一閃して、私の心に小さな震動を、悟りを、無の通過を生ぜしめたのでる(指向対象が取るに足りないものであっても、それは大して問題ではない)。(ロラン・バルト『明るい部屋』)

バルトが《指向対象が取るに足りないものであっても、それは大して問題ではない》と記していることに注目しよう。

たとえば誰かがわたくしの書いた「駄文」を愛するとする。だが彼(女)がわたくしの文を愛する理由は、わたくしの書いた文の内容では直接にはない。たまたまわたくしの書いた文に、彼(女)を触発するシミが書き込まれていて、《小さな震動》をもたらした、という側面が十分にありうる。おそらく、わたくしの駄文という「石鹸の広告」にパスカルの『パンセ』を読んだのである。

われわれも相当の年になると、回想はたがいに複雑に交錯するから、いま考えていることや、いま読んでいる本は、もう大して重要性をもたなくなる。われわれはどこにでも自己を置いてきたから、なんでも肥沃で、なんでも危険であり、石鹸の広告のなかにも、パスカルの『パンセ』のなかに発見するのとおなじほど貴重な発見をすることができるのだ。(プルースト「逃げさる女」)

ラカン派的にいえば次の通り。

・確かに絵は、私の目のなかにある。だが私自身、この私もまた、絵のなかにある。le tableau, certes est dans mon oeil, mais moi je suis dans le tableau.

・そして私が絵の中の何ものか quelque chose dans le tableau なら、…それは染み tâche としてある。

・眼差しは外部にある le regard est au dehors…私は眼差される je suis regardé、すなわち私は絵である je suis tableau…私は写真に写される je suis photo, photo-graphié(ラカン、S11)

《主体の眼差しは、常に-既に、知覚された対象自体にシミとして書き込まれている。「対象以上の対象のなか」(=対象a)に。その盲点から対象自体が主体を眼差し返す。》(ジジェク、パララックス・ヴュ―、2006)


いま引用したラカン文をムラデン・ドラ―がたくみに注釈している。ようするに愛を抱く対象には、主体が刻印されているのである。これを「表象は非全体 pas-tout」と言っている。

写真の動きが、視野の主体に宿っている。人は視野の領野において、写真を写す主体として己れを孤立化しうる以前に、あたかも人は写真に写されている。人が視野のなかで、写真に写され、掴み取られ、捕獲されるそのあり方、それは写真のなかに斑点、染み、歪みとしての徴を残す。すなわち眼差しという不透明なスクリーンである。

ここで問題になっている事は、表象概念ではない。表象 Vorstellungs とは常に主体にとっての表象である。すなわち彼の前に置かれたもの (vor-stellen 表-象)である。染みは、スクリーンの機能を所有しており、眼差しの代役のようなものである。染みは、主体とその欲望の、対象化された外部の「代理」であり、究極的には、言語とシニフィアンの領野における、(フロイトの)悪評高い「表象代理 Vorstellungsrepräsentanz(欲動代理 Triebrepräsentanz)」と同じ機能をもっている。

染みは、構造的に喪われている表象の代役(喪われているシニフィアンのシニフィアン)である。表象の全領野は染みに依拠している。染みという代理は、構造的に喪われているにもかかわらず、この代役は他の諸表象と同じ水準にあり、絶えず閉じ・脱境界化し・全体化する表象の領野の不可能性にとっての代役である。表象は「すべてではない」。表象は非全体 pas-tout である。表象が非全体なのは、主体の刻印のためである。表象自体の領野のなかに、主体にとっての何かが代理されているのだが、その主体の刻印のためである。

ここにはショート short-circuit がある(したがってまたラカンの名高い聖典的公式《シニフィアンは他のシニフィアンに対して主体を代理する Le signifiant, c'est ce qui représente le sujet pour un autre signifiant 》がある。すなわち、表象を、徴示的連鎖と無限への換喩に内在的な固有のものにする。この公式の決定的カナメは、主体は代理された何かとして重要な役割をなすということであり、一般に考えられているように、主体の代わりに何かが代理されるということではないことである。)

ここで問題になっている事はまた、ある種の「表象の彼岸」ではない。あるいはラカンが用いるカント的用語における、現象の領域の彼岸ではない。…(ムラデン・ドラ―2016, Mladen Dolar, Anamorphosis, pdf

…………

※付記

シミが鑑賞者を眼差していることに気づかないことは大いにありうる。

視野においてはすべてが、二律背反的な二つの項がある。

①物 choses の側には眼差し regard がある。すなわち、物が私を眼差す regardent。

②私にはそれらの物が見える voir。

聖書においてしきりに強調される、《彼らは、見えないかもしれない眼をもっている Ils ont des yeux pour ne pas voir》という言葉は、この意味で理解されなければならない。

何が見えないかもしれないのか Pour ne pas voir quoi ? それはまさしく、物が私を眼差している les choses me regardent ことである。(ラカン、S11、11 mars 1964)

プルーストには、自らの作品の役割は、読者が己れを読むことにあるとする、とても美しい文章がある。

私の読者たちというのは、私のつもりでは、私を読んでくれる人たちではなくて、彼ら自身を読む人たちなのであって、私の書物は、コンブレーのめがね屋が客にさしだす拡大鏡のような、一種の拡大鏡でしかない、つまり私の書物は、私がそれをさしだして、読者たちに、彼ら自身を読む手段を提供する、そういうものでしかないだろうから。したがって、私は彼らに私をほめるとかけなすとかいうことを求めるのではなくて、私の書いていることがたしかにその通りであるかどうか、彼らが自身のなかに読みとる言葉がたしかに私の書いた言葉であるかどうかを、私に告げることを求めるだけであろう(その点に関して、両者の意見に相違を来たすこともありうる、といってもそれは、かならずしも私がまちがっていたからそういうことが起こるとはかぎらないのであって、じつはときどきあることだが、その読者の目にとって、私の書物が、彼自身をよく読むことに適していない、ということから起こるのであろう)。

本を読むとき、読者はそれぞれに自分自身を読んでいるので、それがほんとうの意味の読者である。作家の著書は一種の光学器械にすぎない。作家はそれを読者に提供し、その書物がなかったらおそらく自分自身のなかから見えてこなかったであろうものを、読者にはっきり見わけさせるのである。書物が述べていることを読者が自分自身のなかに認めることこそ、その書物が真実であるという証拠であり、すくなくともある程度、その逆もまた真なりであって、著者のテキストと読者のテキストのあいだにある食違は、しばしば著者にでなくて読者に負わせることができる。さらにつけくわえれば、単純な頭の読者にとって、書物が学問的でありすぎ、難解でありすぎることがある、そんなときはくもったレンズしかあてがわれなかったように、読者にはよく読めないことがあるだろう。しかし、それとはべつの特殊なくせ(倒錯のような)をもった読者の場合には、正しく読むために一風変わった読みかたを必要とすることもあるだろう。著者はそれらのことで腹を立てるべきではなく、むしろ逆に、最大の自由を読者に残して、読者にこういうべきである、「どれがよく見えるかあなたがた自身で見てごらん、このレンズか、あのレンズか、そちらのレンズか。」(プルースト『見出された時』井上究一郎訳)

そしてこの文のすぐれた注釈としてドゥルーズ文をも掲げる。

プルーストにおいて新しいもの、マドレーヌの永遠の成功、永遠の意味作用にしているものは、単に忘我や特権的瞬間の存在ではない。文学には、そのような特権的瞬間の例が無数にある。それはまた、プルーストがそれらの瞬間を提示し、彼の文体の中で分析する独創的なやり方だけでもない。むしろそれはプルーストがそれらの瞬間を生産するという事実、そしてそれらの瞬間が、文学機械 machine littéraire の効果になるという事実である。

そこから、『失われた時を求めて』の終りの部分で、ゲルマント夫人の家において、反響 résonances が増大するとこになる。それはあたかも文学機械がその完全な体制を見出すかのようである。もはや、文学者が報告したり、利用したりする超文学 extra-littéraire 的な経験が問題なのではなく、文学によって生産される芸術的実験、文学の効果が問題である。ここで効果というのは、電気的効果とか、電磁的効果とかいう意味での効果である。(… )

芸術が生産するための機械であるということ、そして特に効果を生産するための機械であることについての、プルーストは、最も生なましい意識を持っている。ここで効果というのは、他人に対する効果である。なぜならば、読者または観客は、彼ら自身の内部と外部に、芸術が作品が生産しえたのと似た効果を、発見しようとするからである。《女たちが街を通りすぎて行くが、昔の女とは違っている。なぜならば、彼女たちはルノアールだからである。それは、昔われわれが女たちであると見るのを拒否したルノアールである。馬車も、水も、空もルノアールである。》 プルーストが、自分の書いた本は眼鏡であり、光学機械 instrument d'optique だと言うのは、この意味においてである。

プルーストを読んだあとで、彼が記述する反響に似た現象を体験したなどというおろかなまねをする痴者 imbéciles は大ぜいはいないし、また、そのような体験が、記憶錯誤症・記憶喪失症・記憶過多症のケースではないかと自問するようなペダンティックな者 pédants も多くはいない。プルーストの独自性は、この古典的な領域に、彼以前には存在しなかったメスを入れ、操作を導入した点にある。しかし、単に他人に対して生産された効果だけが問われるのではない。芸術作品こそが、それ自体の内部で、またそれ自体に対して、それ固有の効果を生産し、それによってみたされ、それを養分とするのである。芸術作品は、おのれが生む真実を養分とする。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

…………

※追記

ジジェクの解釈においては、対象aあるいはシミとはドゥルーズやラカンの「純粋差異」のことである(参照)。

……対象a はカントの超越論的対象 transcendental object に近似している。なぜなら、対象a は「知られていないX」、仮象の彼方の対象の「ヌーメノンNoumenon」的核を表すから。それは《あなたのなかにあるあなた以上のもの quelque chose en toi plus que toi》である。

したがって対象a は、純粋視差対象 pure parallax objectとして定義される。…さらに厳密に言えば、対象a は、視差の裂目 parallax gapの「原因」である。

ここでのパラドクスは厳密なものである。まさにこの点にて、純粋差異が現れる。差異はもはや「二つの可能的に存在する対象 two positively existing objects」のあいだの差異ではない。そうではなく「「一」とそれ自体からの同じ対象を分割する divides one and the same object from itself」差異である。この差異「それ自体」は即座に測り知れない unfathomable 対象と一致する。

諸対象の間の単なる差異とは対照的に、純粋差異はそれ自体、対象である。(パララックス・ヴュー、私訳、原文