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2018年3月12日月曜日

アンヌ=マリー・ミエヴィルの果物

そう、アンヌ=マリー・ミエヴィル Anne-Marie Miéville の『マリアの本 Le Livre de Marie』 はとってもいいよ、YOUTUBEにはないけど、半年ほどまえVIMEOにアップされているから是非観るべきだね、→ le livre de marie(DVDがどっかにあるはずなんだけど、見当たらないんだな、そもそもDVDは探し出すのに手間がかかる。ネットにアップされているのをiPadで寝転がってみるのが最近の習慣だな)




果実  リルケ

それは地中から実りを目ざしてのぼりにのぼった。
そして静かな幹に黙りこみ
あざやかな開花とともに炎となって
そしてふたたび静かになった。

ひと夏のあいだ夜も昼も
やすみなくいそしむ樹木のなかで成熟し
みまもりつづける周囲にむかって
やがて殺到するわが身をさとった。

そしていまやまるまるした楕円の
ふくらみを見せ円熟を誇ると
それはすべてを断念し果皮のうちの
自らの中心にすべりおちてゆく。





静物    吉岡実

夜の器の硬い面の内で
鮮やかさを増してくる
秋のくだもの
りんごや梨やぶどうの類
それぞれは
かさなったままの姿勢で
眠りへ
ひとつの諧調へ
大いなる音楽へと沿うてゆく
めいめいの最も深いところへ至り
核はおもむろによこたわる
そのまわりを
めぐる豊かな腐爛の時間
いま死者の歯のまえで
石のように発しない
それらのくだものの類は
いよいよ重みを加える
深い器のなかで
この夜の仮象の裡で
ときに
大きくかたむく




それに卵ってのがいいんじゃないかな、次は、上の画像に引き続く、この小品の最後の場面。



ルーブルにキクラデス諸島の小さな彫刻があるんだけど。




20代なかばにルーブルみやげものショップで手に入れたこのイミテーションをいまでも部屋に飾ってある。





まわりの空気が吸い込まれていくって感じがするな、アンヌ=マリー・ミエヴィルの映像みたいに。

アンチファルスの多神教キクラデス文明(紀元前3000年~2000年)の至宝だよ、もすこし大きいのが欲しいとときには思うけど。




このキクラデスの卵に対抗できる美は、ベルナルダ・フィンクの歌うシューベルト「夜咲きすみれ Nachtviolen」のあの箇所(1:38~)しかないね


ところでセザンヌのリンゴってのはどんなのだったか、とすこしみてみると、たいしたことはないな、ミエヴィルのリンゴのほうがずっといいよ(シツレイ! いま口から出まかせをいっているのに気づいてもらわねばならない)。

で、ついでに行き当たった、ジャン・シメオン・シャルダン(Jean-Baptiste Siméon Chardin) のこの作品っていいな、これならミエヴィルに対抗できるかも。




ーーボクがうがい用に使っている銀製のコップみたいだよ、これ。




ーーもっと磨かないとな。

これも触るたびに生きててよかったと思うね、ボクの「白木の箱」なんだ。


にわかにいくつか詩みたいなもの書いたんだ
こういう文体をつかんでね一応
きみはウツ病で寝てるっているけど
ぼくはウツ病でまだ起きている
何をしていいか分からないから起きて書いてる
書いてるんだからウツ病じゃないのかな
でも何もかもつまらないよ
モーツァルトまできらいになるんだ
せめて何かにさわりたいよ
いい細工の白木の箱か何かにね
さわれたら撫でたいし
もし撫でられたら次にはつかみたいよ
つかめてもたたきつけるかもしれないが
きみはどうなんだ
きみの手の指はどうしてる
親指はまだ親指かい?
ちゃんとウンコはふけてるかい
弱虫野郎め

ーー谷川俊太郎「飯島耕一に」『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』