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2018年6月30日土曜日

二〇世紀的な「知」の体系が蒙りもした最大の不幸

⋯⋯いずれにせよ、「シーニュ」、「シニフィエ」、「シニフィアン」という三つの語彙がきわだたせる言語記号の定義が、ソシュール自身にとっての不幸にとどまらず、いまやその決算期にさしかかりつつある二〇世紀的な「知」の体系が蒙りもした最大の不幸なのもかしれぬという視点が、しかるべき現実感を帯び始めているのはまぎれもない事実だといわねばならない。(蓮實重彦『「魂」の唯物論的擁護にむけて ――ソシュールの記号概念をめぐって』「ルプレザンタシオン」第五号所収 1993年)


以下、蓮實重彦1993におけるソシュールと星雲をめぐる記述をまず掲げる。

⋯⋯⋯彼(ソシュール)は、体系化されることのない積極的な差異なるものを明らかに知っている。「混沌たる塊」や「星雲」といった比喩で語っているものこそがそれでなければならない。そこには、体系化されることのない積極的な差異としての言語記号が無数におのれを主張しあうことで、カオスと呼ばれるにふさわしい風土を形成している。ソシュールが裸の言語記号を思考することを断念せざるをえないのは、そのひとつひとつが「イマージュ」を身にまとうことをひたすらこばみ、素肌のままであたりを闊歩するという野蛮さに徹しているからだ。これはなんとも始末におえない世界だとつぶやきながら、彼は思わず目を閉じ、耳を覆わざるをえない。

その瞬間、ソシュールの不可視の視界には、不在を告げるものとしての「イマージュ」をまとった「シーニュ」と、その体系にほかならぬ「ラング」とが、同時に音もなく浮上することになるだろう。『一般言語学講義』と『原資料』とに詳細に書き込まれているはずでありながら、「シーニュ」としてはそのように読まれることをこばんでいるのは、体系化されることのない積極的な差異の世界から体系化された否定的な差異の世界へのソシュールの余儀ない撤退ぶりにほかならない。ソシュールを読むにあって見落としてはならぬ肝心の記号は、おそらく、この差異の領域を隔てている差異をひそかに不在化してしまった「イマージュのソシュール」の身振りをめぐるものだろう。それは、差異に言及しようとするまさにその瞬間、それをすぐさま否定的なものだと定義せずにはおれず、差異の肯定を進んで放棄してしまうソシュールに対する『差異と反復』のジル・ドゥルーズの苛立ちを招いた身振りにほかならない。(⋯⋯) 
フェルディナン・ド・ソシュールが明らかに知っていながら、それに言及することを避けることしかできなかったふたつの差異を隔てる不在化が、いたるところで思考から記憶を奪い、その活動を鈍らせてゆく。仮にポストモダンと呼ぶものが話題になりうるとしたら、あたかもこの不在化が自然な事態だといわんばかりに思考が受け入れている記憶喪失による活動の純化をおいてはないだろう。近代化された「観念論」ともいうべきこうした風潮の中でひたすら鈍り行く思考は、二つの差異の間の差異を知っていたことの痕跡さえとどめぬ「イマージュ」の世界のみを視界に認めているが故に、かえってすべてがすがすがしく冴えわたっているかの錯覚と戯れることができる。ひろく共有されているこの錯覚に対する闘いが、複数性の擁護として闘われなけれなならないことを、ソシュールは少なくとも自覚していた。だが、それに続くものとして形成された二〇世紀の「知」の体系のほとんどは、その自覚からの余儀ない撤退を、あたかも自然なこととして容認してしまっている。

その容認を自然なものとしては容認せずにおくこと。それが、ソシュール以後に生きるものたちの思考の身振りでなければならない。「魂」の唯物論的な擁護がいささかの倒錯性も身にまとうことなくいま始まろうとしている。(蓮實重彦『「魂」の唯物論的擁護にむけて ――ソシュールの記号概念をめぐって』「ルプレザンタシオン」第五号所収 1993年)


ここでの核心は、ソシュールの《体系化されることのない積極的な差異の世界から体系化された否定的な差異の世界へのソシュールの余儀ない撤退ぶり》である。

ラカンは逆の動きをした。《無意識は言語のように構造化されている》(体系化された否定的差異の世界)から、「言存在は、言語のように構造化されていない」(体系化されることのない積極的な差異の世界へ)と。

ラカンは “Joyce le Symptôme”(1975)で、フロイトの「無意識」という語を、「言存在 parlêtre」に置き換える remplacera le mot freudien de l'inconscient, le parlêtre。…

言存在 parlêtre の分析は、フロイトの意味における無意識の分析とは、もはや全く異なる。言語のように構造化されている無意識とさえ異なる。 ⋯analyser le parlêtre, ce n'est plus exactement la même chose que d'analyser l'inconscient au sens de Freud, ni même l'inconscient structuré comme un langage。(ジャック=アラン・ミレール、2014, L'inconscient et le corps parlant  par JACQUES-ALAIN MILLER )

※この言存在は、言語ではなく、ララング(言葉の物質性)の審級にある(参照:ララング定義集)。さらにいえばララングとは、ドゥルーズ&ガタリのリトルネロの審級にある。

リトルネロとしてのララング lalangue comme ritournelle (Lacan、S21,08 Janvier 1974)
ここでニーチェの考えを思い出そう。小さなリフレインpetite rengaine、リトルネロritournelleとしての永遠回帰。しかし思考不可能にして沈黙せる宇宙の諸力を捕獲する永遠回帰。(ドゥルーズ&ガタリ、MILLE PLATEAUX, 1980)


ミレールは2005年のセミネールで、「言存在」概念をふくめて次のように図式化している。



もっともーー、フロイトの「無意識」をラカンは「言存在」に置きかけたとミレールは言っているがーー、実はフロイトにも二つの無意識がある。力動的無意識とシステム無意識である(参照:非抑圧的無意識 nicht verdrängtes Ubw と境界表象 Grenzvorstellung (≒ signifiant(Lⱥ Femme))。これは一般にはほとんど知られていないが、フロイトの叙述に何度も現れる。

かつまたフロイトには、精神神経症と現勢神経症概念がある。

現勢神経症 Aktualneurose の症状は、しばしば、精神神経症 psychoneurose の症状の核であり、そして最初の段階である。(フロイト『精神分析入門』1916-1917)

これもそれぞれ精神神経症が力動的無意識、現勢神経症がシステム無意識にかかわり、後者の現勢神経症はーーわたくしの知るかぎりでだがーー日本では中井久夫が何度も取り上げている(参照)。


力動的無意識が「自由連想」に馴染む(通念としての)「無意識」であり、フロイト派臨床では長い間これが主だった。だが現在、「自由連想」は実質上、お釈迦の時代である(参照:「幻想の横断」・「自由連想」・「寝椅子」のお釈迦)。

いまはこれについてはもう触れない。ここでは、力動的無意識が「言語のように構造化された無意識」、システム無意識が「言語のように構造化されていない無意識」である、そのことだけを強調しておくだけにする。

フロイトは、「システム無意識あるいは原抑圧」と「力動的無意識あるいは抑圧された無意識」を区別した。

システム無意識は欲動の核の身体への刻印であり、欲動衝迫の形式における要求過程化である。ラカン的観点からは、まずは過程化の失敗の徴、すなわち最終的象徴化の失敗である。

他方、力動的無意識は、「誤った結びつき eine falsche Verkniipfung」のすべてを含んでいる。すなわち、原初の欲動衝迫とそれに伴う防衛的エラヴォレーションを表象する二次的な試みである。言い換えれば症状である。

フロイトはこれをAbkömmling des Unbewussten(無意識の後裔)と呼んだ。これらは欲動の核が意識に至ろうとする試みである。この理由で、ラカンにとって、「力動的あるいは抑圧された無意識」は無意識の形成と等価である。力動的局面は症状の部分はいかに常に意識的であるかに関係する、ーー実に口滑りは声に出されて話されるーー。しかし同時にシステム無意識のレイヤーも含んでいる。(ポール・バーハウ、2004、On Being Normal and Other Disorders A Manual for Clinical Psychodiagnostics)


⋯⋯⋯⋯


以下、冒頭に戻って、日本においてソシュールをめぐり、どういうことが言われてきたかについての重要だと思われる文を掲げる(もちろんわたくしの知る限られた範囲である)。

丸山圭三郎派の幼稚なカオス概念……つまり言語的に分節化されない一様な混沌がカオスだと言うなら、もちろんそのようなカオスはドゥルーズにはない。むしろ、カオス―――少なくとも内在平面においてとられられたカオスは、それ自体、とことん差異化=微分化されていて、さまざまな特異点がひしめいている。そのようなものをカオスと呼ぶなら、それは潜在的多様体として存在する。 (浅田彰発言『批評空間』1996Ⅱー9 共同討議「ドゥルーズと哲学」)
たとえば「シニフィアンとシニフィエの絆は、ひとが混沌たる塊に働きかけて切り取ることの出来るかくかくの聴覚映像とかくかくの観念の切片の結合から生じた特定の価値のおかげで、結ばれる」とソシュールが書くとき、その「混沌たる塊」こそ、現前化しつつある差異の立ち騒ぐ領域なのである。ソシュール自身のよってときにカオスとも呼ばれ、丸山圭三郎がイェルムスレウの術語の英語訳としてのパポートを採用しているものにも相当するこの「混沌たる塊」は、しかし、『ソシュールの思想』の著者が考えているように、分節しがたいものの不定形なマグマ状の連続体といったものではない。たしかにソシュール自身もそうした誤解を招きかねない「星雲」といった比喩を使ってはいるが、あらゆるものがもつれあっているが故にそれがカオスと呼ばれるのではなく、そこにあるすべての要素がそれぞれに異なった自分をわれがちに主張しあっているが故にカオスなのである。

なるほど、一見したところそこには秩序はないが、しかし、秩序はそこからしか生じえないはずのものであり、これを「コスモス=分節化されたもの」と「カオス=分節化以前のもの」の対立としてとらえるかぎり、作家としてのソシュールが視界に浮上する瞬間は訪れないだろう。「作家」とは、みずからを差異として組織することで「作品」という差異を生産するものだからである。もちろんこの差異はコスモスには属していない。(蓮實重彦『「魂」の唯物論的擁護にむけて――ソシュールの記号概念をめぐって  丸山圭三郎の記憶に』1993年)
マルクスがいう「社会的関係の隠蔽」は、一般に、物象化として、すなわち本来関係的なものが実体化されることとして理解されている。そんなことなら、マルクスでなくても他の人でもいえるだろう。さらに、たとえば、言語にかんして、それが、本来差異的な関係体系(分節化)なのに、物象化されて、世界が“実体的に”そうであるかのようにいられるというたぐいの批判も、それと同じことである(丸山圭三郎)。

ここから一つの“根源的な”批判と治療法が提起されてしまう。だが、それらの理論こそ“社会性”の隠蔽である。われわれは、遡行すべき、共同主観的世界も、分節化をこえた連続的・カオス的世界ももたない。それらは、言語ゲームの外部にあるがゆえに無意味であるか、またはそれ自体言語ゲームの一部にすぎない。それらはたんに物語として機能する。(柄谷行人『探求Ⅰ』1986年)


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※付記

上に一部を引用したが、『「魂」の唯物論的擁護にむけて』全文を掲げておこう(以前に既に数度引用したものである)。


慎重さの放棄

かねてから言語学の術語の曖昧さに深い苛立ちを覚えていたフェルディナン・ソシュールは、なんとか誤解を避けようとして傾けられたはずの厳密な語彙の模索にもかかわらず、結局のところ、その努力が自分に慎重さの放棄を促すしかないというならそれはそれで仕方がないがと諦めきったかのように、いささか唐突ながら、言語記号に「シーニュ」signeという名前を与えることを提案する。

「シーニュ」とは、それが指し示している対象に与えられた名前ではなく、「シニフィエ」signifiéと「シニフィアン」signifiantというふたつの異なる心的な要素の相互的な依存関係においてのみ、記号として機能するものだというのがその提案の内容である。言語記号としての「シーニュ」が、ときに「聴覚映像」と訳されもする「音のイマージュ」と「概念」と呼ばれたりする「思考のイマージュ」との恣意的な結びつきにほかならぬといった事実を、ここで改めて指摘するには及ぶまい。もちろん、このような定義によって確定された言語記号としての「シーニュ」が、「ラング」langueと呼ばれる言語記号の体系の単位なのである。この提案のなされた日付が一九一一年五月十九日のことであることもよく知られているし、そのとき、ソシュールが、ジュネーヴ大学の「一般言語学」講座の担当教授として、三年目の講義を行っていたことさえ、いまでは周知の事実である。

では、こうしたソシュールの提案がいくぶんか慎重さを欠いた行為だったとも受け止められかねぬというのは、いかなる意味においてであるか。もちろん、記号一般が「シーニュ」と呼ばれるのは、フランス語を母語として操るものにとってごく自然な事態だとまず指摘しておくべきだろう。だが、ソシュール自身は、言語記号をも「シーニュ」と呼ぶことにいくぶんかのためらいを感じており、のちにみるごとく、それ以外の語彙によるさまざまな命名の試みを行っていたのである。「シーニュ」を構成するかたちで相互依存の関係にあるふたつの心的な要素「シニフィエ」と「シニフィアン」についても、また同様である。問題は、ジュネーヴ大学での「一般言語学」の講義が三年目に入った一九一一年五月十九日に改めて提案された三つの語彙の間に、いかにも厳密すぎる形式的な秩序が存在していることにある。つまり、「シーニュ」とは、「意味すること」を意味するフランス語の動詞「シニフィエ」signifierに対応する名詞にほかならず、その動詞の過去分詞にあたる「シニフィエ」signifiéと、現在分詞にあたる「シニフィアン」signifiantとが、いわば名詞化されたかたちで、それを構成するふたつの心的要素を意味する語彙として選ばれているのである。日本語の訳語として、ときに「シニフィエ」が受動的に「意味されるもの」、「シニフィアン」が能動的に「意味するもの」とされるのも、同じ動詞の過去分詞と現在分詞という対立が前提とされていることによる。

ところで率直にいって、この命名法はあまりにも形式的に完璧すぎる。「シニフィエ」と「シニフィアン」との関係はあくまで「恣意的」なものだという注釈をあからさまに嘲笑するかと思われるほど、あらゆる恣意性の概念を排除するかたちで互いに緊密に対応しあっているからである。こうして、この三つの語彙を口にするものたちに過度の安心感を与えかねないほどみごとな形式的秩序が成立してしまった結果、ソシュールが構築せんとしつつある科学としての「言語学」のイメージがいささか平板化され、言語を思考しようとするものが陥らざるをえない深い諦念に対する感受性が、あらかじめ断たれてしまうことになる。あるいは、そのことによって、今日、ソシュール理解のひとつの潮流を形成しつつある「言語学批判」の実践者という立場が、視界に鮮明な輪郭を結ばなくなってしまう危険があるといってもよい。

事実、ソシュール自身、そうした危険には充分に自覚的であったはずであり、手稿のまま残された厖大な『原資料』(それが異る段階をへて徐々に人目に触れるようになった事情はここでは詳述しない)にあたってみればそれはあまりに明らかだとする視点もたしかに成立する。丸山圭三郎の先駆的な業績『ソシュールの思想』に刺激されて活気をおびた日本派「ソシュール」研究の系譜につらなる研究者たちに、そうした傾向は著しく顕著である。実際、彼らは、『一般言語学講義』のそれではなく、『原資料』のソシュールを解読しながら、『《力》の思想家ソシュール』(立川健二)を擁護したり、『沈黙するソシュール』(前田英樹)について語ったりしており、そこに、傾聴に値する議論が展開されていることはいうまでもない。にもかかわらず、『講義』と『原資料』との差異を超えたかたちで、「シーニュ」、「シニフィエ」、「シニフィアン」という語彙で言語記号の特性を提示しようとするソシュール像というものがまぎれもなく存在しており、そうした肖像の成立に手をかすことになったソシュール自身の慎重さの欠如が、『原資料』の詳細な解読によって救われるとは到底思えないのである。

もっとも、そのとき書物を執筆していたわけではないソシュールにとって、講義中に口にされたこの「シーニュ」の定義など、いつでも訂正のきくとりあえずのものだったのかもしれない。にもかかわらず、彼の弟子たちのノートをもとに編纂された『一般言語学講義』の肝心な部分で、「シーニュ」は「シニフィエ」と「シニフィアン」という二つの要素の緊密な結合だと説かれることで、あたかもそれが、久しく続けられていた言語記号の定義の試みの最終的な形態であるかのように受け取られてしまう。なるほど、死後出版としての『講義』が刊行されてから半世紀ほどたってようやく出版されることになったいわゆる『原資料』を念入りにひもといてみれば、こうした「シーニュ」の定義があえて修正されねばならぬ理由など、いささかも存在していないことは明瞭である。それがどのような語彙で呼ばれることになろうと、ソシュールにとっての言語記号の概念はあくまで一貫しているからである。

なるほど、ソシュールが一九一一年五月十九日の定義に落ち着くまでに、語彙の上でいくつかの躊躇や逡巡を示していた事実を跡づけられぬわけではない。「シーニュ」に到達する以前に、「セームséme」が言語記号にふさわしい語彙として考えられていた時期があったと指摘することは極めて容易だからである。「シーニュ」の一語が体系性を欠いたもろもろの「しるし」をも意味しうるのと異なり、「セームは体系に属し、シーニュの二項が一体化した全体、つまり記号であり同時に意味であるものをあらわす」とあるとおり、それはあくまで「ラング」という体系の単位とみなされているし、読まれるとおりそのときでも、「セーム」が、ものの名前を指示する記号ではないという姿勢は一貫している。また、「シニフィエ」と「シニフィアン」についても、「ソンson(=音声)」と「サンスsens(=意味)」を初めとして、いくつもの対立的な語彙が提案されては修正されている。しかも、「ソン」が物理的な音でも生理学的な声でもなく、ごく抽象的な「音のイマージュ」にほかならず、また、「サンス」にしても、いわゆる意味ではなく、あくまで「音のイマージュ」に対応すべき「概念」、すなわち「思考のイマージュ」であるとする視点は確実に維持されているのである。つまり、そのいずれもが、一九一一年五月十九日に提案されたとされる「シーニュ」、「シニフィエ」、「シニフィアン」とほぼ同じ内容を示しているのだから、この点に関するかぎり、講義中にノートをとっていた弟子たちは、師の考えをいささかも誤解しもしなかったし、歪曲してもいないということができる。言語記号の定義についてみるならば、『一般言語学講義』も『原資料』もほぼ同じことを述べており、『原資料』ばかりが特権視されねばならぬ理由はまったく存在していない。事実、『一般言語学講義』の第一編「言語記号の特質」の冒頭に、「われわれは概念と聴覚映像との結合を記号と呼ぶ」という言葉が読まれる。それに続いて、聴覚映像のみを「記号」と呼ぶ一般的な了解とは異なり、「われわれは、記号という語を、総体を示すためにとっておき、概念と聴覚映像とを、それぞれ『シニフィエ』と『シニフィアン』に変えることを提案する」と書きつがれており、「シニフィエ」と「シニフィアン」とを結びつけるのは恣意的な関係であるという指摘も、その直後にみられるものだ。

たとえば、「シーニュ」、「シニフィアン」、「シニフィエ」という三つの語彙による言語記号の定義に到達する以前に、ソシュールは、純粋に心的なものと定義される「聴覚印象」というものが、「ラング」は恣意的なものだとはいえ、発音にあたっては肉体器官の意志的な使用を前提とせざるをえない以上、はたしてその物理的かつ生理的な条件から独立したかたちで充分に定義しうるものであろうかと自問自答している断章が存在する(ノート「3305.7」)。そこでの彼は、言語記号の定義に必要とされるのが、人類に普遍的にそなわっている言語事象の運用能力だとする立場に立っている。実際、アルファベットの[L] の音と[r]の音とを区別するにあたってギリシア人はいかなる理論など必要としてはおらず、ごく自然にその「差異」を識別していたというのである。つまり、「聴覚印象」に従ってしか器官の意志的な使用はありえないがゆえに、精神にもたらされる「聴覚印象」を誰もが「確実かつ明瞭に」確定可能だとされているのだ。そう述べてから、言語記号は「観念」Idéeと「音」Phonismeとの結びつきではないと指摘し、いわゆるソシュール的な記号の定義を図解することになる。

そこで提起された図を言説化するなら、まず、「記号の領域」というものが設定され、それに「心理的」という説明が括弧で示される。その領域は二分され、「聴覚映像」と「思考の映像」が併置され、その関係が「心的結合」であると改めて指摘されている。さらに、「聴覚映像」の部分から直線が伸び、「発音行為」という言葉につながっており、また「思考の映像」から伸びる直線は、「聴覚映像を反復する……ための発音行為」という語群に直結しているのである。

「シーニュ」、「シニフィエ」、「シニフィアン」という語彙は使用されていなくても、この図式をかたちづくる諸要素が、一九一一年五月十九日の言語記号の定義にかさなりあうことはほぼ明らかである。「聴覚映像」という言葉は『一般言語学講義』にも姿をみせており、それを「シニフィアン」と呼ぶのだと提起されているから誤解の余地はなかろうし、『講義』では「シニフィエ」と呼ばれることになる「概念」が、ここではいまだ「思考の映像」という説明にとどまっている点に関しても、さしたる問題はなかろうと思う。にもかかわらず、「ノート」における記述と『講義』のそれとになんらかの違いが識別しうるとしたら、それは、言語記号を「シーニュ」と呼ぶことで、ソシュールがそれまでくりかえして試みてきた語彙の模索に終止符をうち、以後、注釈を放棄しているかにみえることにつきている。

これは、予想される以上の大きな差異をかたちづくることになる。というのも、「言語学者」フェルディナン・ソシュールが蒙った最大の不幸は、言語記号を「シーニュ」と呼び、それが「シニフィエ」と「シニフィアン」との結合からなるとしたことで、彼の言語理論における「記号」の概念が決定的な輪郭におさまったかのごとく信じられても不自然ではない状況が、客観的に成立してしまったからである。彼がいったん構想されもした『書物』を完成させず、また『一般言語学講義』を自分の手で刊行しなかったのは、その言語記号の定義をめぐる躊躇や逡巡が、論理的な完璧さを実現しえぬことの苛立ちによるものではなく、その完璧さが保証するかもしれない「言語学」の体系化が、みずからの意図とは気の遠くなるほど距ったものであることに充分自覚的だったからである。

いま「みずからの意図」と呼んだものが、具体的にどんなものであるかの詮索は別の機会に譲ることにする。だが、いずれにせよ、「シーニュ」、「シニフィエ」、「シニフィアン」という三つの語彙がきわだたせる言語記号の定義が、ソシュール自身にとっての不幸にとどまらず、いまやその決算期にさしかかりつつある二〇世紀的な「知」の体系が蒙りもした最大の不幸なのもかしれぬという視点が、しかるべき現実感を帯び始めているのはまぎれもない事実だといわねばならない。事実、「シーニュ」、「シニフィエ」、「シニフィアン」という三つの用語は、命名者ソシュール自身の思惑を遥かに超えた頻度で、言語学の音韻論的な領域はいうまでもなく、文化人類学から精神分析学にいたるまで、この上なく便利な概念として、ありとあらゆる領域に身軽な流通ぶりを誇っている。

こうした隣接の学問領域に流通している記号の概念の多くが、ソシュールとはむしろ無縁なものだと判断することは決してむずかしくない。たとえばジャック・ラカンが「シニフィアン」の優位を口にするとき、それはソシュール的な記号の概念とはいささか異なるものだし、また、クロード・レヴィ=ストロースの「神話素」といった概念もまた、ソシュールその人にとってはむしろ消極的な意義しか担っていない音韻論に、多くのものを負っているはずである。さらには、「シーニュ」の定義が、とりわけ「シニフィアン」をめぐって、それが物理的かつ生理的な音であると主張されたりするように、ときに信じがたい誤読の対象にするなっていた事実を指摘することさえ、いまではむしろ容易なのである。

だが、優れて大胆な思考の身振りを演じてみせたものにはしばしば起こりがちなこうした読み間違いが、言語学の領域でソシュールの思想の正しい継承をさまたげていることの不幸をいまさらいい募ってみても始まるまい。問題は、ソシュール自身が、ある種の諦めから慎重さを放棄することで引き寄せてしまった「言語学」的な身振りそのものの不幸の質を吟味することにある。それは、まさしく「シーニュ」の定義そのものに露呈されている言語記号を思考することの不可能性という不幸にほかなるまい。

その不幸とは、言語について思考しようとするソシュールが、とりわけ言語記号をめぐって行う言表行為のあらゆる水準で絶えず向かい合うことになった不幸である。科学としての言語学の成立に不可欠な要素としての不幸だとさえいってよかろうと思うが、「シーニュ」、「シニフィエ」、「シニフィアン」という三つの語彙で言語記号を定義しなければならなくなったとき、充分に意識的だったはずの不幸を、わずかなりとも軽減しようとする誘惑に、ソシュールが思わず屈してしまっているかのようにみえる。ここでの定義が、いくぶんか慎重さを放棄することでえられたものだと冒頭でいっておいたのも、そうした意味においてである。また、なにがしかの諦念が彼に不幸と直面することを延期させたのではなかろうかという想像も、そうした事態に由来するものだ。いま、その不幸について論じるべきときがきているように思う。
イマージュのソシュールとソシュールのイマージュ』

すでに触れたことだが、『一般言語学講義』のテクストと『原資料』の記述との微妙な差異を超えたかたちで、言語記号を「シーニュ」、「シニフィエ」、「シニフィアン」という三つの語彙で定義したソシュール像というものがまぎれもなく存在する。そうした肖像におさまるソシュールを、とりあえず「イマージュのソシュール」と名づけることにしよう。あるいは、そこに「ソシュールのイマージュ」と呼ぶにふさわしい肖像が成立するのだというほうがより正確かとも思うが、いったん不幸に顔をそむけることで言語記号の定義が可能となったとするなら、「イマージュのソシュール」にはある種の楽天性がたちこめているといえるかもしれない。あるいは、それがある諦めからでた振る舞いだとするなら、ことによるとペシミズムが色濃く漂っているというべきなのかもしれない。いずれにせよ、かかる肖像が、『原資料』を詳しく読みとき、さらには後期の「アナグラム」をめぐる彼の言説と親しく接することで成立するソシュールの全体像といったものによって修正さるべきか否かといった論議は、このさい無視することにする。理由は、それがソシュールであれ誰であれ、必ずしも一貫した言説を担い続けていたとはいいがたいひとりの作家を前にした場合、そのさまざまな発言の矛盾を弁証法的に統合することで、そこに初めてその“正しい”「全体像」がかたちづくられるはずだといったたぐいの議論など、にわかに信じることはできないからである。

それが誰であれ、ひとつの存在は、決って複数の異なる肖像のもとで視界に浮上する。言語的な事象もまた、そのような複数の表情におさまることで思考を刺激するものだが、しかるべき目的の遂行にあたって、そうした肖像や表情のいくつかをとらあえず無視するという態度は、当然のことながらいくらでも可能である。というより、思考というものは、そのようにしてしかしかるべき事態を厳密な対象としてとらえることはできないはずなのだ。事実、ソシュール自身にしても、言語がまとう複数の表情のいくつかを自覚的に排除するという方法的な選択によって、かろうじて言語記号の定義にたどりついたにすぎない。

丸山圭三郎にならって、そうした手続きを「記号論的な還元」と呼ぶべきか、あるいは『グラマトロジーについて』のジャック・デリダとともに、「音声的質料の還元」と呼ぶべきかという問題はさして重要ではない。ここでなにより重要なのは、言語記号を「シーニュ」と呼ぼうと提案するソシュールが、言語そのものではなく、なによりもまず、言語の「イマージュ」を視界に浮上させようとしているという事態にほかならない。そのとき、彼は、言語と無媒介的に接することを断念しているのだが、それは『一般言語学講義』のテクストからも、『原資料』の文章からしても明らかである。たとえば、「言語は形態formeであって、実体substanceではない」、あるいは「言語には差異しかない」といった記述を『一般言語学講義』に読むときひとはなにを想像することができるか。さらには、「aはbのたすけがなくてはなにも示すことができない。あるいは、ふたつはたがいの差異によってしか価値を持たないと言ってよい。……価値はあの永遠の差異の茂みにあるだけだ」といった記述を『ノート』のひとつに読んだりする場合、なにを想像することができるか。かろうじて想像しうるのは、「実体ではない」といわれる言語記号としての「シーニュ」の徹底した不在である。「シーニュ」とは、それと現実に接することで思考されるものではなく、それと接したことの刻印を介して初めて思考可能になる対象だといわれているからである。「思考の映像」としての「シニフィエ」と「聴覚映像」としての「シニフィアン」との心的な結合によって成立するのだという「シーニュ」は、そもそもの始まりからして「イマージュ」としてしか思考の対象となりがたいものだったはずなのだ。しかも、「シーニュ」が言語記号として単独に意味作用の形成に貢献するのではなく、それ自体として「実体ではない」はずの差異によってしか意味が生成しないというのだから、ここでの「シーニュ」の不在は二重化されているといわねばなるまい。こうして、ソシュールは、言語そのものではなく、「イマージュ」としての言語を、「イマージュ」を介して思考するという姿勢を選択したことになるのである。そして、そうした選択をしたことの意味はきわめて重い。

もちろん、「イマージュ」を介して言語を思考するという自覚的な選択が、彼自身にどんな試練を課すことになるか、ソシュールは充分に心得ていたはずである。それが彼の真意であるか否かはひとまずおくとしても「イマージュのソシュール」は、言語をひとまず「体系=システム」として思考せざるをえない状況に自分を追いやっているのであり、そのとき形成されるのが「ソシュールのイマージュ」というひとつの肖像にほかならない。「ソシュールは『システムと構造』の思想家ではない」という立川健二の言葉にもかかわらず、言語記号を「シーニュ」と呼ぼうと提案するソシュールは、その当然の帰結として、「体系」としての言語を思考しなければならないからである。そして、誰ひとりとして、その事実を否定する権利を持ってはいない。

確かなことは、言語記号を「シーニュ」として定義するソシュール像の形成を、それが形成されようとするその瞬間に、ソシュール自身がことさら妨げようとしていないというという事実である。ある種の諦念からそうするほかはなかったのだろうというのはひとつの解釈にすぎないが、その解釈が正当化されうる文脈をソシュールは明らかに準備しているようにみえる。にもかかわらず、ここでのソシュールが、慎重さを放棄することで、不幸を軽減しようとしているという事実は厳然として残る。つまり、「イマージュ」としての言語を選ぶことで、彼は、言語とともにある状態からいったん自由になり、距離のかなたにしりぞいた言語をめぐって、つまりはその不在の「イマージュ」に向けて思考を投げかける権利を行使することになったのである。

こうした選択が、ソシュールにとって可能であったはずの数ある選択のひとつにすぎないと主張することは難しい。現存としての言語とともにある限り、その「体系」を思考することはいうまでもなく、その単位を確定することさえ不可能だからである。かれには、そうすることしかできなかったのだ。であるが故に、「イマージュのソシュール」が導きだす「ソシュールのイマージュ」を否定するのは無駄ないとなみというほかはない。われわれの興味は、なぜソシュールが、あれほど形式的に整いすぎた「シーニュ」、「シニフィエ」、「シニフィアン」という三つの語彙で言語記号の定義を行い、そのことで、それ以前の躊躇や逡巡の跡を抹殺しようとしたのかという心理的な理由の詮索にはない。問題は、言語を思考するものとして、彼が不断に向かい合っていたはずの不幸から、ここでいったん顔をそむけることになったという事実そのものである。「イマージュとしてのソシュール」とはそのようにして成立するひとつの肖像にほかならないが、そうした肖像によって触発される「ソシュールのイマージュ」がどんな輪郭におさまっているのかを真剣に考えてみなければならない。

「イマージュのソシュール」によって成立する「ソシュールのイマージュ」は、たとえば丸山圭三郎のように、後期のアナグラム研究に着目しながら、「乗り越えるための記号論」をソシュールが準備していたと指摘することで回避できる程度のものではないし、また、立川健二のように「《力》の思想家」としてのソシュールを擁護することで回避できる程度のものでもない。「イマージュのソシュール」なるものは、そうした指摘と擁護とはおよそ無縁の領域に、あるいは、ことによるとそうした読み方となんら矛盾することなく、「言語学」的な思考とは異なる力に支えられたかたちでそびえているのかもしれない。

もちろん、「ソシュールのイマージュ」などというそんな肖像など初めから存在しており、いまさら驚くにはあたらないとする視点も存在する。たとえば、「『記号』でも『形態』でもいいが、これは『観念』と『音』とがどこからやってきて結びついた結合体ではない」と書き、「ソシュールは結合の事実など信じてはいない」と小気味よく断言する『沈黙するソシュール』の前田英樹は、「結合の事実など一度もなかったのだ。あるのは、『記号』がそういう抽象的要素に分解されることができるという事実だけだ。……ただ『記号』というひとつの経験、『音』にも『観念』にも似ていない『記号』という具体的な経験があるのだ」と続けることで、誰もが多少は胡散臭い思いをいだいたことのある「シニフィエ」と「シニフィアン」の問題に、あっさり決着をつけてしまう。

ことによると、こうした立論は決定的に正しいのかもしれない。「ソシュールが『音』や『観念』やそれらの結合について語るのは、むろん言語学が、あるいはそれが基礎とする形而上学が、そういう記号の操作としてしか成りたたないからだ」と前田英樹がいうとき、彼は「イマージュのソシュール」を当然の前提としているかにみえるからである。だが、「実体」substanceという語彙の導入をめぐって、そもそも言語学が形而上学の内部にしか成立しえないという事実を、みずからこしらえあげた装置によって言語学者たちに向ってあらかじめ示す目的があったのだと彼が論を進めるとき、われわれはそこに姿をみせる意識されざる思考のニヒリズムといったものに、思わずたじろがざるをえない。いったい、ソシュールは、いわゆる『原資料』の草稿類を埋めつくしたあれだけの言葉を、もっぱら無自覚な他人に事態を認識させるために、しかも、おのれにとってはあまりに当然すぎる事実をあえて書いていたとでもいうのだろうか。

たしかに、ソシュールの思考の中で、言語記号たる「シーニュ」の「イマージュ」や、その体系としての「ラング」といった「イマージュ」があっさり形成されてしまうかにみえるとき、そこに「形而上学」的な何かが顔をのぞかせている事実を否定するのは難しい。また、そうならざるをえないことの成り行きに充分自覚的だったソシュールが、科学としての「言語学」の完璧な成立をできれば遅延させたいと願っていたというのならまんざらわからぬでもない。だが、「草稿が示しているのは、記述のための基礎原理といったものではない。それは、どんなときでも『語』や『単位』や『記号』や、その他もろもろの言語学の言葉に対する注釈的延期として現れる」と書き、さらに「彼がひたすら希望していたのは、ラングの学としての<言語学。に厳密な言説をおくりこむこと、ただそれだけだ」とも述べている著者が、ことソシュールの思考の「形而上学」的な側面に触れたときばかりは、いかにもニヒルな語調で、それが同時代の言語学者たちに対して示す一種の戦術的な態度にすぎぬと断じたりしているのは自家撞着もはなはだしく、理解に苦しむといわねばならない。

おそらく、ソシュールの読み手として決して資質を欠いているわけではない一人の研究者が、不意に意識されざるニヒリズムに陥ったりしてしまうのは、前田英樹が、これという根拠も示さぬまま、「彼が草稿のなかで際限なくただひとつのことを書き」続けていたのだと冒頭から断定していることに由来している。だが、あえていうまでもあるまいが、人は、決して「ただひとつのこと」だけを書いたりはしない。事実、ソシュールは、多くのことがらを書き残しており、この当然の事態を認識することからすべての読みは始まらなければならない。そのとき、ソシュールになり代わって思考することをおのれに禁じるだけの慎しみを失わずにいることが、あらゆる書き手に求められるのは当然のことである。

すでに指摘したことだが、われわれがいう「イマージュのソシュール」とは、いくつも存在しているはずのソシュール像のひとつにすぎない。「イマージュ」を介してしか言語と言語記号とを思考しえないというその立場は文字通り「形而上学」的なものではあるが、そうあるしかないことの責任は、もちろんソシュールその人が引き受けているはずのものだ。事実、ソシュールは、いま形成されたばかりの「ソシュールのイマージュ」をさらに徹底させようとしているかにみえるのだが、そのことの意義にある程度まで自覚的ではあったろうと想像されはするものの、だからといって、彼が充分なまでに自覚的であったとは誰にも断言しがたいのである。

かくして、とりあえず形成された肖像としての「イマージュのソシュール」によって導きだされる「ソシュールのイマージュ」は、楽天的でもあれば悲観的でもあるという二重の相貌におさまることになるかにみえる。だが、より正確にいうなら、そうした「ソシュールのイマージュ」は、楽天的でもなければ悲観的でもないのである。問題は、むしろ、負の二重性ともいうべきその曖昧な風土に触れることで、言語を思考することに特有の不幸があっさり中和されてしまうという事実である。つまり、「シーニュ」、「シニフィエ」、「シニフィアン」という三つの語彙による言語記号の定義だけは断じて避けて通らねばならなかったし、それを避けて通ることもまた断じて許されないという苛酷な現実に直面していたはずのソシュールは、いつしか、そうした定義を試みてもよいし、また試みなくてかまわないといった二者択一を引き受けようとする余裕のある存在へと変貌しているのである。そのとき、不幸が思考の条件でなくなっているのはいうまでもない。

もっとも、こうした不幸の消失ぶりは、必ずしも思考の頽廃を意味するものではない。そのような事態が許されていないかぎり、ひとは絶えざる失語状態に陥るほかはないだろうし、また、ものを書くことも永遠に禁じられたいとなみでしかなくなってしまうだろう。それが、言語記号を思考するという体験と、書くという言語記号の実践とを隔てている微妙ではあるが決定的な違いなのである。

思考するという体験は、その対象がなんであれ、純粋に「イマージュ」の体験であり、とりわけ言語が主題となった場合、「イマージュ」にさからう体験として言語記号を書くこと、すなわちエクリチュールの実践とはいかなる意味のおいてもかさなりあうことがない。そこには、誰にも修正を施す術すらない偏差が横たわっており、「イマージュのソシュール」によって導きだされる肖像としての「ソシュールのイマージュ」は、まさしくその決定的なずれゆきによって支えられているものなのだ。

『一般言語学講義』が弟子たちの手で編まれた死後出版だという事実をいくぶん神話化するかのように、ある時期には間違いなく構想されていた書物の執筆を最終的に断念したことが、フェルディナン・ド・ソシュールを他の言語学者たちから隔てる決定的な優位なのだと論じたてようとするひとつの傾向が存在する。だが、いったんは書き始められた草稿を彼が完成させなかったことは、みずからの手で書物を刊行することがなかったことと同様に、とりたてて特筆さるべきことがらではない。ソシュールはまぎれもなく書くひととして生涯を終えており、その事実を否定するにたるものはなにひとつとして残されていないからである。事実、『原資料』の解読から始められた注目すべきソシュール研究のほとんどは、書かれたもの、すなわち彼のエクリチュールを読むことで成立しているのだが、丸山圭三郎の先駆的な著作が『ソシュールの思想』と題されており、『ソシュールのエクリチュール』でなかったことが象徴的であるように、その多くは、ソシュールの思考をエクリチュールを介して読みとることがごく自然に可能であるかのような視点をとっている。もちろん、それが絶対的に不可能だというつもりはないが、少なくとも、それを可能にするための方法が模索されていたという形跡はどの書物にも読み取ることはできない。ごく自然に書かれた言葉から出発していながら、そこには、書くという言語記号の実践と「イマージュ」の体験として言語記号を考えることの絶対的な偏差に対する戦略が徹底して欠けているからである。

ソシュールは「言語学者ではない。ソシュールは思想家である」といった立川健二の宣言が露呈させているのも、そうした戦略の欠如にほかなるまい。ソシュールが言語学者であろうが、思想家であろうが、そんなことはどうでもよろしい。だが、ソシュールが書くひとだったこと、つまり言語記号の実践者としての作家であったことだけは、誰も否定することはできまい。われわれの到達しうる「ソシュールのイマージュ」とは、まさしく作家としての、エクリチュールの人としての輪郭のもとに姿をみせる肖像にほかならない。
差異と力

作家としてのソシュールは、当然のことながら、いままさに自分がそれとともにあるはずの言語記号なるものを思考することの不可能性に逢着する。彼がかろうじて思考の対象としうるのは、まさしく現前化しつつある瞬間のそれではなく、いま、ここには不在であることのみを告げている「イマージュ」としての言語記号にすぎないからである。

だが、それは、いささかも驚くべき事態ではない。言語記号を「シーニュ」と呼ぶと提案し、「シニフィエ」と「シニフィアン」との恣意的な結合を生きるものだとされるその「シーニュ」が「ラング」という言語体系の単位だと定義しないかぎり、あたりに偏在する無数の言語記号の群れそのものは、たんなる無秩序のかたまりしかかたちづくることがないからである。そのときソシュールがいわんとしているのは、そうとは公言されていないものの、「シーニュ」という形式におさまろうとしないあまたの言語記号が、ひたすら差異化することしか知らない始末におえぬ差異にほかならないという事実をおいてほかにあるまい。つまり、現前化しつつある瞬間の言語記号そのものが差異なのであり、その作動中の差異を思考しようとする試みを彼があらかじめ回避しているのは、ごく当然の成り行きだといってよい。

たとえば「シニフィアンとシニフィエの絆は、ひとが混沌たる塊に働きかけて切り取ることの出来るかくかくの聴覚映像とかくかくの観念の切片の結合から生じた特定の価値のおかげで、結ばれる」とソシュールが書くとき、その「混沌たる塊」こそ、現前化しつつある差異の立ち騒ぐ領域なのである。ソシュール自身のよってときにカオスとも呼ばれ、丸山圭三郎がイェルムスレウの術語の英語訳としてのパポートを採用しているものにも相当するこの「混沌たる塊」は、しかし、『ソシュールの思想』の著者が考えているように、分節しがたいものの不定形なマグマ状の連続体といったものではない。たしかにソシュール自身もそうした誤解を招きかねない「星雲」といった比喩を使ってはいるが、あらゆるものがもつれあっているが故にそれがカオスと呼ばれるのではなく、そこにあるすべての要素がそれぞれに異なった自分をわれがちに主張しあっているが故にカオスなのである。なるほど、一見したところそこには秩序はないが、しかし、秩序はそこからしか生じえないはずのものであり、これを「コスモス=分節化されたもの」と「カオス=分節化以前のもの」の対立としてとらえるかぎり、作家としてのソシュールが視界に浮上する瞬間は訪れないだろう。「作家」とは、みずからを差異として組織することで「作品」という差異を生産するものだからである。もちろんこの差異はコスモスには属していない。

「『星雲』というのは、シーニュによる分節以前の実質である意味のマグマを指して」いると丸山圭三郎が主張している(『ソシュールを読む』、四〇頁)が、では彼は、「シーニュ」の分節能力はどこからくるというのだろうか。ソシュールにとって、「ラング」が差異の体系だといったことぐらいなら、いまでは誰もが知っている。事実、「シーニュがあるのではなく、シーニュの間の差異があるだけだ」といったたぐいのことをソシュールはいたるところで口にしているし、「シーニュ」は「純粋に否定的で示差的な価値」しか持ってはないとさえ念をおすことを忘れてはいない。だがソシュールが、そうした記号概念を知っているということは、同時に、彼自身がまぎれもなく書いた言葉の中に、あからさまにそうと明言されてはいなくとも、彼がまぎれもなく知っている別のことがらを読み取ることをうながしているはずである。

では、ソシュールはなにを知っているのか。「ラング」が差異の体系だということは、それが体系化された差異からなりたっていることを意味しているはずである。だとすれば、そう書いたものは、当然のことながら、体系化されない差異というものをも知っていることを前提としていなければなるまい。また、「シーニュが否定的で示差的な価値」を持つものだというなら、否定的ではない差異、すなわち積極的な差異というものを知っていることを前提としているはずである。事実、彼は、体系化されることのない積極的な差異なるものを明らかに知っている。「混沌たる塊」や「星雲」といった比喩で語っているものこそがそれでなければならない。そこには、体系化されることのない積極的な差異としての言語記号が無数におのれを主張しあうことで、カオスと呼ばれるにふさわしい風土を形成している。ソシュールが裸の言語記号を思考することを断念せざるをえないのは、そのひとつひとつが「イマージュ」を身にまとうことをひたすらこばみ、素肌のままであたりを闊歩するという野蛮さに徹しているからだ。これはなんとも始末におえない世界だとつぶやきながら、彼は思わず目を閉じ、耳を覆わざるをえない。

その瞬間、ソシュールの不可視の視界には、不在を告げるものとしての「イマージュ」をまとった「シーニュ」と、その体系にほかならぬ「ラング」とが、同時に音もなく浮上することになるだろう。『一般言語学講義』と『原資料』とに詳細に書き込まれているはずでありながら、「シーニュ」としてはそのように読まれることをこばんでいるのは、体系化されることのない積極的な差異の世界から体系化された否定的な差異の世界へのソシュールの余儀ない撤退ぶりにほかならない。ソシュールを読むにあって見落としてはならぬ肝心の記号は、おそらく、この差異の領域を隔てている差異をひそかに不在化してしまった「イマージュのソシュール」の身振りをめぐるものだろう。それは、差異に言及しようとするまさにその瞬間、それをすぐさま否定的なものだと定義せずにはおれず、差異の肯定を進んで放棄してしまうソシュールに対する『差異と反復』のジル・ドゥルーズの苛立ちを招いた身振りにほかならない。その身振りは、まぎれもなく記号化されているが、そのとき記号化されているものが「シーニュ」としての言語記号でないことはいうまでもない。そのことについて、「シーニュ」としての言語記号はあくまで沈黙をまもっている。

共時的現象としての言語ではなく、不等質な《動く差異》が戯れている領域としてのその通時的な側面に注目する立川健二は、あたかもソシュールが「ダイナミックで自由な<差異>の運動」を生きることをわれわれに示差しているかのごとくに語ってはいる。それは、「表象不可能な<運動>」にほかならず、ソシュールが難儀しながら何とか語ろうとしたのはこの語りえぬものなのだと彼はいうのだが、それは、体系化された否定的な差異と体系化されることのない積極的な差異との差異をソシュールが充分に意識しており、後者から前者への撤退はみせかけにすぎないという視点にほかなるまい。「イマージュのソシュール」に対して「力のソシュール」というものが存在しており、そうした可能性の中心においてこそソシュールは読まれるべきだというのだろう。

もちろん、『《力》の思想家ソシュール』を擁護するみちはそれしか残されておらず、できればわれわれからもそうすることでソシュールを救いたいとさえ思う。だが、「通時的現象によって創り出された差異」によって「共時的現象の本質」をなすというソシュールの言葉を立川はいささか楽天的に誤解しているかにみえる。それは、「アポセーム変化」といった術語を作り上げて論ずべき問題ではなく、「シーニュ」が反復されることで心的刻印として固定化され、差異が体系化されるというごく当たり前の過程を述べているにすぎず、それがないかぎり「ラング」の共時的な秩序など成立しがたいのは当然だろう。しかも、立川が語りえぬものだという《動く差異》とやらの運動に身をさらすということは、かりにそんなことが可能だったとして、ごく単純に言語についての「イマージュ」を決定的に失うことを意味しており、「ダイナミックで自由な」振舞いだの、「固定したシステム=制度」からの解放だのといった楽天性とはいっさい無縁の思考放棄につながるものである。なるほど、ソシュールは、諦念に彩られた振る舞いとして言語の「イマージュ」へと撤退しはしたが、それは、この種の楽天的な身振りだけはおのれに禁じようとする厳しさを見失わずにおくためではなかったか。

余儀ない撤退からひたすら沈黙への道を選ぶソシュールのこの不幸な肖像の成立を、言語学の意識されざる「形而上学」化という言葉で呼ぶことはいくらでも可能である。あるいはそこで、「形而上学」の伝統が「現象学」的な思考とひそかに連繋し、装いを新たにしたのだといえるのかもしれない。たとえば、二〇世紀的な「知」の支配的な形態と呼ぶこともできよう「構造主義」的な思考のかなりの部分が、撤退しつつ沈黙する「ソシュールのイマージュ」の記憶を無自覚に反芻することでかたちづくられていったことは、否定しがたい現実だからである。もっぱら「イマージュ」を介して運動する思考が、「イマージュ」を欠いた世界での体験の記憶をいささかもとどめていないという意味でなら、「ソシュールのイマージュ」の無意識の反芻によって形成される「知」の支配的な形態のことごとくを、たとえば唯物論的な身振りの回避として定義することも可能である。さらには、同じ理由によって、体系化されることのない積極的な差異にほかならぬ複数性の活動を思考から徹底的に追放しようとする風土の無自覚な定着を、近代のニヒリズムのあからさまな露呈ととらえることもできるだろう。そのことに苛立つ風情もないまま思考がかさねられてゆくかのごとき現状を目のあたりにすると、思わず「魂」という古色蒼然たる言葉が筆先からこぼれ落ちてしまう。たとえば、体系化される否定的な差異の世界に保護されたまま甘美なまどろみをむさぼっている連中は、「魂」に触れぬまま、もっぱら記号の「イマージュ」のみと戯れているとしかみえぬからである。

いま、「知」の領域でおおがかりに進行しつつあるのは、この種の唯物論の回避と連携しあるニヒリズムの露呈にほからなない。文化から政治にいたるすべての領域で、たとえば複数性とは無縁の多元論に逃れたり、「形而上学」と化した民主主義の「イマージュ」を顕揚する無自覚なニヒリズムとしてこの傾向が定着されようとしている。フェルディナン・ド・ソシュールが明らかに知っていながら、それに言及することを避けることしかできなかったふたつの差異を隔てる不在化が、いたるところで思考から記憶を奪い、その活動を鈍らせてゆく。仮にポストモダンと呼ぶものが話題になりうるとしたら、あたかもこの不在化が自然な事態だといわんばかりに思考が受け入れている記憶喪失による活動の純化をおいてはないだろう。近代化された「観念論」ともいうべきこうした風潮の中でひたすら鈍り行く思考は、二つの差異の間の差異を知っていたことの痕跡さえとどめぬ「イマージュ」の世界のみを視界に認めているが故に、かえってすべてがすがすがしく冴えわたっているかの錯覚と戯れることができる。ひろく共有されているこの錯覚に対する闘いが、複数性の擁護として闘われなけれなならないことを、ソシュールは少なくとも自覚していた。だが、それに続くものとして形成された二〇世紀の「知」の体系のほとんどは、その自覚からの余儀ない撤退を、あたかも自然なこととして容認してしまっている。

その容認を自然なものとしては容認せずにおくこと。それが、ソシュール以後に生きるものたちの思考の身振りでなければならない。「魂」の唯物論的な擁護がいささかの倒錯性も身にまとうことなくいま始まろうとしている。(蓮實重彦『「魂」の唯物論的擁護にむけて ――ソシュールの記号概念をめぐって   丸山圭三郎の記憶に』「ルプレザンタシオン」第五号所収 1993年)





2018年6月28日木曜日

身を慎んで目を覚ましていなさい

身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを貪り喰おうと探し回っています。diabolus tamquam leo rugiens circuit quaerens quem devoret(『聖ぺトロの手紙、58』)


(ゴダール、『(複数の)映画史』1A)


ああ、《すべての天使は恐ろしい Ein jeder Engel ist schrecklich》(リルケ、ドゥイノの悲歌)



(ゴダール、『(複数の)映画史』3B)

海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。(三好達治「郷愁」)

ああ、すべての女神は恐ろしい

僕は海にむかって歩いている。僕自身の中の海にむかって歩いている。(中上健次『海へ』)

ああ、子宮回帰は恐ろしい





誕生とともに、放棄された子宮内生活 Intrauterinleben へ戻ろうとする欲動 Trieb、…この母胎内 Mutterleib への回帰…(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)




メデューサの首の裂開的穴は、幼児が、母の満足の探求のなかで可能なる帰結として遭遇しうる、貪り喰う形象である。Le trou béant de la tête de MÉDUSE est une figure dévorante que l'enfant rencontre comme issue possible dans cette recherche de la satisfaction de la mère.(ラカン、S4, 27 Février 1957)

《ラカンの母は、quaerens quem devoret(『聖ペテロの手紙』lettres 1, 5, 8)という形式に相当する。すなわち母は「貪り喰うために誰かを探し回っている」。ゆえにラカンは母を、鰐 crocodileとして、口を開いた主体 sujet à la gueule ouverte.として提示した。》(ジャック=アラン・ミレール 、La logique de la cure、1993)

母とは巨大な鰐 Un grand crocodile のようなもんだ、その鰐の口のあいだにあなたはいる。…あなたは決して知らない、この鰐が突如襲いかかり、その顎を閉ざす refermer son clapet かもしれないことを。これが母の欲望 le désir de la mère である。(ラカン、S17, 11 Mars 1970)


ああ、《世の中に絶えて女のなかりせばをとこの心のどけからまし》(太田南畝)

かつて「ジンプリチシムス Simplicissimus」(ウィーンの風刺新聞)に載った、女についての皮肉な見解がある。一方の男が、女性の欠点と厄介な性質 die Schwächen und Schwierigkeiten des schöneren Geschlechts について不平をこぼす。すると相手はこう答える、『そうは言っても、女はその種のものとしては最高さ Die Frau ist aber doch das Beste, was wir in der Art haben』。(フロイト 『素人分析の問題』1927年 後書)





行ったり来たりする母 cette mère qui va, qui vient……母が行ったり来たりするのはあれはいったい何なんだろう?Qu'est-ce que ça veut dire qu'elle aille et qu'elle vienne ? (ラカン、セミネール5、15 Janvier 1958)

《世の中は金と女がかたきなりどふぞかたきにめぐりあひたい》(太田南畝)

自分が愛するからこそ、その愛の対象を軽蔑せざるを得なかった経験のない者が、愛について何を知ろう。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部「創造者の道 Vom Wege des Schaffenden 」)




生への信頼 Vertrauen zum Leben は消え失せた。生自身が一つの問題となったのである。ーーこのことで人は必然的に陰気な者、フクロウ属になってしまうなどとけっして信じないように! 生への愛 Liebe zum Leben はいまだ可能である。ーーただ異なった愛なのである・・・それは、われわれに疑いの念をおこさせる女への愛 Liebe zu einem Weibe にほかならない・・・(『ニーチェ対ワーグナー』エピローグ、1888年)
真理への意志 Wille zur Wahrheit は、いまだ我々を誘惑している。…我々は真理を欲するという。だがむしろ、なぜ非真理 Unwahrheit を欲しないのか? なぜ不確実 Ungewissheit を欲しないのか? なぜ無知 Unwissenheit さえ欲しないのか?(ニーチェ『善悪の彼岸』第1番、1886年)

《真理は女である。真理は常に、女のように非全体 pas toute(非一貫的)である。la vérité est femme déjà de n'être pas toute》(ラカン,Télévision, 1973, AE540)

真理は乙女である。真理はすべての乙女のように本質的に迷えるものである。la vérité, fille en ceci …qu'elle ne serait par essence, comme toute autre fille, qu'une égarée.》(ラカン, S9, 15 Novembre 1961)
真理は女である die wahrheit ein weib 、と仮定すれば-、どうであろうか。すべての哲学者は、彼らが独断家であったかぎり、女たちを理解することにかけては拙かったのではないか、という疑念はもっともなことではあるまいか。彼らはこれまで真理を手に入れる際に、いつも恐るべき真面目さと不器用な厚かましさをもってしたが、これこそは女っ子に取り入るには全く拙劣で下手くそな遣り口ではなかったか。女たちが籠洛されなかったのは確かなことだ。(ニーチェ『善悪の彼岸』「序文」1886年)



2018年6月27日水曜日

御牝孔・御曼孔をめぐって

死というのは一点ではない、生まれた時から少しずつ死んでいくかぎりで線としての死があり、また生とはそれに抵抗しつづける作用である。(グザビエ・ビシャ Xavier Bichat ーー、フーコー『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳より孫引き)

ラカンはセミネール17にて、このビシャの《生とは死に抵抗しつづける作用(の集合)である La vie est l’ensemble des fonctions qui résistent à la mort》を引用した直後、こう言っている。

死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n’est rien d’autre que ce qu’on appelle la jouissance (ラカン、S17、26 Novembre 1969)

ラカンにとって、最晩年までこの考え方の変りはない。

人は循環運動をする on tourne en rond… 死によって徴付られたもの marqué de la mort 以外に、どんな進展 progrèsもない 。

それはフロイトが、« trieber », Trieb という語で強調したものだ。仏語では pulsionと翻訳される… 死の欲動 la pulsion de mort、…もっとましな訳語はないもんだろうか。「dérive 漂流」という語はどうだろう。(ラカン、S23, 16 Mars 1976)

何度も繰り返したが(たとえば参照:「死とは享楽のこと」)、三年前にはこう言っている。

私は…欲動Triebを、享楽の漂流 la dérive de la jouissance と翻訳する。(ラカン、S20、08 Mai 1973)

同じ時期、《われわれの享楽の彷徨い égarement de notre jouissance(ラカン、Télévision 、Autres écrits, p.534) とも言っている。

ラカンにとって《すべての欲動は実質的に、死の欲動である。 toute pulsion est virtuellement pulsion de mort》(ラカン、E848、1966年)である。

したがって、「享楽の漂流」とは、「死の漂流」(漂流とは「逸脱」とも訳せる)のことである。

日本語の御牝孔(オメコ)、あるいは御曼孔(オマンコ)という語をひとはバカにしてはならない。

牝の孔とは老子の玄牝乃門のことである。

谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。(老子『道徳経』第六章)

ハイデガーはこの老子の 『道徳経』を自ら翻訳したのち、杣径概念を提出している(参照:「玄牝の門」「杣径」「惚恍」「外祟」)、あれも実際は、京言葉の「おそそ」にかかわる。オソソは適当な漢字の当て字が思いつかないが、 御禹疏とすれば、《とおる・ふさがった所を、わけ離してとおす》である・・・

杣(そま、Holz)とは森(Wald)に対する古い名称のことである。杣にはあまたの径があるが、大抵は草木に覆われ、突如として径なきところに杜絶する。

それらは杣径 Holzwege と呼ばれている。

どの杣径も離れた別の経路を走る、しかし同じ森の中に消えてしまう。 しばしば或る杣径が他の杣径と似ているように見える。けれども似ているように見えるだけである。

これらの径の心得があるのは、杣人たちであり森番たちである。杣径を辿り径に迷うとはどういうことであるのか、熟知しているのは彼らなのである。 (ハイデガー『杣径』)

ここで人は、ゴダールにおいて、1998年の『(複数の)映画史』以降、しばらく途絶えていた杣が、2014年、84才の作品になってふんだんにあることを想起せねばならない(参照:ゴダールによる世界の起源的美)。






牝の孔、つまり玄牝乃門に戻って邦訳を掲げれば、

谷神は不死。之を玄牝(ゲンピン)と謂う。
玄牝の門、是を天地の根と謂う。
緜緜(メンメン)として存する如く、之を用いて不動(不死身)。


そして曼孔の曼とは、マンダラ、すなわち生々流転に関わることを表す。まさに享楽の漂流である。

われわれは、《誕生とともに、放棄された子宮内生活 Intrauterinleben へ戻ろうとする欲動 Trieb、⋯⋯母胎内 Mutterleib への回帰》運動、子宮回帰運動があるのである(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)。すなわち御曼孔の漂流、御曼孔のまわりの循環運動である。

燈火の周圍にむらがる蛾のやうに
ある花やかにしてふしぎなる情緒の幻像にあざむかれ
そが見えざる實在の本質に觸れようとして
むなしくかすてらの脆い翼をばたばたさせる
私はあはれな空想兒
かなしい蛾蟲の運命である。

ーー萩原朔太郎「青猫」序文

どの「標準的な」男も避けがたく女に向って駆り立てられる。焼き焦がす燈火にむれる蛾のように like a moth to the scorching flame of the candle。男は欲動に駆り立てられるのである。(Paul Verhaeghe, Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE, 1998)

オンナの場合の、 御曼孔のまわりの彷徨とは自傷行為やパニック発作等である。拒食症も同じく。

拒食症 anorexie mentaleとは、食べない ne mange pas のではない。そうではなく、無を食べる manger rien。(ラカン、S4, 22 Mai 1957)

無の核には「イマージュの背後の無」でみたように、− φ (去勢、母の去勢)がある。


もう一度、ビシャの《生とは死に抵抗しつづける作用の集合である La vie est l’ensemble des fonctions qui résistent à la mort》の集合という語に光を与えれば、

女というもの La femme は空集合 un ensemble videである (ラカン、S22、21 Janvier 1975)

女というものは御曼孔の集合である。ここで人は性的な意味のみを考えてはけっしてならない。むしろ谷川俊太郎の絶唱「なんでもおまんこ」を想起しなければならない。

なんでもおまんこ 谷川俊太郎

なんでもおまんこなんだよ
あっちに見えてるうぶ毛の生えた丘だってそうだよ
やれたらやりてえんだよ
おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな
すっぱだかの巨人だよ
でもそうなったら空とやっちゃうかもしれねえな
空だって色っぽいよお
晴れてたって曇ってたってぞくぞくするぜ
空なんか抱いたらおれすぐいっちゃうよ
どうにかしてくれよ
そこに咲いてるその花とだってやりてえよ
形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ
花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ
あれだけ入れるんじゃねえよお
ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお
どこ行くと思う?
わかるはずねえだろそんなこと
蜂がうらやましいよお
ああたまんねえ
風が吹いてくるよお
風とはもうやってるも同然だよ
頼みもしないのにさわってくるんだ
そよそよそよそようまいんだよさわりかたが
女なんかめじゃねえよお
ああ毛が立っちゃう
どうしてくれるんだよお
おれのからだ
おれの気持ち
溶けてなくなっちゃいそうだよ
おれ地面掘るよ
土の匂いだよ
水もじゅくじゅく湧いてくるよ
おれに土かけてくれよお
草も葉っぱも虫もいっしょくたによお
でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ
笑っちゃうよ
おれ死にてえのかなあ


《おれ死にてえのかなあ》、--ここに精神分析のひとつの核心があるのである。

(少なくともある時期までの)フロイトが気づいていなかったことは、最も避けられることはまた、最も欲望されるということである。不安の彼方には、受動的ポジションへの欲望がある。他の人物、他のモノに服従する欲望である。そのなかに消滅する欲望……。(ポール・バーハウ1988, Paul Verhaeghe 、THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE ーー享楽という原マゾヒズム


御曼孔の集合とは神の集合と捉えてもよい。

「大他者の(ひとつの)大他者はある il y ait un Autre de l'Autre」という人間のすべての必要(必然)性。人はそれを一般的に〈神〉と呼ぶ。だが、精神分析が明らかにしたのは、〈神〉とは単に〈女 〉« La femme » だということである。(ラカン、S23、16 Mars 1976)

なにはともあれ人は、オトコもオンナも、御曼孔と融合したいのである。人は生誕とともにあの原初のエロス的融合から分離してしまったのだから。

人間の最初の不安体験は、出産であり、これは客観的にみると、母からの別離を意味し、母の去勢(子供すなわち陰茎の等式により)に比較できるかもしれない。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)

人はいまだ「去勢」の意味を取り違えている。

フロイトは、抑圧は禁圧に由来するとは言っていない Freud n'a pas dit que le refoulement provienne de la répression。つまり(イメージで言うと)、去勢はおちんちんをいじくっている子供に今度やったら本当にそれをちょん切ってしまうよと脅かすパパからくるものではない。(ラカン、テレヴィジョン、1973)

母の去勢において、人は、御曼孔と分離してしまったのだから、ふたたび融合を求めるのである、生きている存在には、不可能な融合を。

エロスは接触 Berührung を求める。エロスは、自我と愛する対象との融合 Vereinigung をもとめ、両者のあいだの間隙 Raumgrenzen を廃棄(止揚Aufhebung)しようとする。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)
エロスとは二つが一つになることだ。l'Éros se fonde de faire de l'Un avec les deux(ラカン、S19、 03 Mars 1972 Sainte-Anne)
大他者の享楽 jouissance de l'Autre について、だれもがどれほど不可能なものか知っている。そして、フロイトが提起した神話、すなわちエロスのことだが、これはひとつになる faire Un という神話だろう。…だがどうあっても、二つの身体 deux corps がひとつになりっこない ne peuvent en faire qu'Un、どんなにお互いの身体を絡ませても。

…ひとつになることがあるとしたら、ひとつという意味が要素 élément、つまり死に属するrelève de la mort ものの意味に繋がるときだけである。(ラカン、三人目の女 La troisième、1er Novembre 1974)

ーー究極の融合、究極の享楽が死だというのもこの意味である(参照:「究極のエロス・究極の享楽とは死のことである」)。


たとえば、大江健三郎にとって「魂のことをする」とは、《「中心の空洞」に向けて祈りを集中》ことである(『燃え上がる緑の木』第二部第二章「中心の空洞」)。「中心の空洞」に向けて祈りを集中こととは、まさに御曼孔に向けて祈りを集中することにほかならぬ。これこそ「魂のことをする」である。

あるいは人はまた、古井由吉のエロスをめぐる発言を想起しなければならない。

エロスの感覚は、年をとった方が深くなるものです。ただの性欲だけじゃなくなりますから。(古井由吉『人生の色気』2009年)
この年齢になると死が近づいて、日常のあちこちから自然と恐怖が噴き出します。(古井由吉、「日常の底に潜む恐怖」 毎日新聞2016年5月14日)

さらにはドゥルーズの《強制された運動の機械》も、その内実は御曼孔の引力にかかわる。すなわち原抑圧の穴(ブラックホール)の引力である。

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)

なんども繰返し引用したので、ここでは列挙するのみにしておくが、巷間のドゥルーズ研究者はいまだこの核心においてゼロに等しい。

エロス Érôs は己れ自身を循環 cycle として、あるいは循環のエレメント élément d'un cycle として生きる。それに対立する他のエレメントは、記憶の底にあるタナトス Thanatos au fond de la mémoire でしかありえない。両者は、愛と憎悪 l'amour et la haine、構築と破壊 la construction et la destruction、引力と斥力 l'attraction et la répulsion として組み合わされている。(ドゥルーズ『差異と反復』1968年)
エロスとタナトスは、次ののように区別される。すなわち、エロスは、反復されるべきものであり、反復のなかでしか生きられないものであるのに対して、(超越論的的原理 principe transcendantal としての)タナトスは、エロスに反復を与えるものであり、エロスを反復に服従させるものである。唯一このような観点のみが、反復の起源・性質・原因、そして反復が負っている厳密な用語という曖昧な問題において、我々を前進させてくれる。なぜならフロイトが、表象 représentations にかかわる「正式の proprement dit」抑圧の彼方に au-delà du refoulement、「原抑圧 refoulement originaire」の想定の必然性を示すときーー原抑圧とは、なりよりもまず純粋現前 présentations pures 、あるいは欲動 pulsions が必然的に生かされる仕方にかかわるーー、我々は、フロイトは反復のポジティヴな内的原理に最も接近していると信じるから。(ドゥルーズ『差異と反復』1968年)
三種類の機械⋯⋯それは、部分対象の機械(欲動)machines à objets partiels(pulsions)・共鳴の機械(エロス)machines à résonance (Eros)・強制された運動の機械(タナトス)machines à movement forcé (Thanatos)である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「三つの機械 Les trois machines」第二版 1970年)
・エロスは共鳴によって構成されている。だがエロスは、強制された運動の増幅 l'amplitude d'un mouvement forcé によって構成されている死の本能に向かって己れを乗り越える(この死の本能は、芸術作品のなかに、無意志的記憶のエロス的経験の彼方に、その輝かしい核を見出す)。

・⋯⋯「暗き先触れ précurseur sombre」の活動のおかげで、システムのうちに生起するもの、つまり共鳴し合う諸々の系列のあいだで生起するものが、〈聖体顕現(エピファニー épiphanie)〉と呼ばれる。そして宇宙的な cosmique 拡がりは、ある種の強制された運動が大きく増幅されること l'amplitude d'un mouvement forcé と一体をなしている。(ドゥルーズ『差異と反復』1968年)

こられがラカンの云う、《症状は現実界について書かれることを止めぬもの》の意味である。

書かれないことを止める cesse de ne pas s'écrire から書かれることを止めない ne cesse pas de s'écrireへの否定のneの移動、偶然から必然への移動、そこに宙づりになった時間がやってくる。そしてすべての愛はそこに繋ぎ止められる。(ラカン、S20、1973)
症状は、現実界について書かれる事を止めぬ le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel (ラカン、三人目の女 La Troisième、1974、1er Novembre 1974)

そして症状とは女のことである。

ひとりの女とは何か? ひとりの女は症状である! « qu'est-ce qu'une femme ? » C'est un symptôme ! (ラカン、S22、21 Janvier 1975)

ラカンの若い友人だったソレルスははやい時期からこのことを知っていた。

世界は女たちのものである。
つまりは死に属している。
(⋯⋯)

世界は女たちのものだ、いるのは女たちだけ、しかも彼女たちはずっと前からそれを知っていて、それを知らないとも言える、彼女たちにはほんとうにそれを知ることなどできはしない、彼女たちはそれを感じ、それを予感する、こいつはそんな風に組織されるのだ。男たちは? あぶく、偽の指導者たち、偽の僧侶たち、似たり寄ったりの思想家たち、虫けらども …一杯食わされた管理者たち …筋骨たくましいのは見かけ倒しで、エネルギーは代用され、委任される …(ソレルス『女たち』鈴木創武士訳、邦訳1993年 原著1983年)

ここでさらに、リルケを引用してもよい。

昔は誰でも、果肉の中に核があるように、人間はみな死が自分の体の中に宿っているのを知っていた。(リルケ『マルテの手記』)
死とは、私達に背を向けた、私たちの光のささない生の側面である。(リルケ『ドウイノの悲歌』)

中井久夫=安永浩はこれらを図式化している。




安永(安永浩)と、生涯を通じてのファントム空間の「発達」を語り合ったことがある。簡単にいえば、自極と対象極とを両端とするファントム空間軸は、次第に分化して、成年に達してもっとも離れ、老年になってまた接近するということになる。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』所収)

この図式は、まさに死のさまよい、享楽のさまよいの図である。




2018年6月25日月曜日

イマージュの背後の無

モノ La chose、それはもし美あるいは女とともに avec une belle ou avec une dame 現れないとしても、スクリーンの上の暗くされた部屋のなかのイマージュとともに dans la salle obscure avec une image qui est sur l'écran 現れる。(ラカン、S3, 31 Mai 1956)




確かにイマージュとは幸福なものだ。だがそのかたわらには無が宿っている。そしてイマージュのあらゆる力は、その無に頼らなければ、説明できない。(ゴダール『(複数の)映画史』「4B」)

ーーゴダールにとって、なぜカーテンの背後には女たちばかりがいるのだろうか?

我々は、「無 le rien」と本質的な関係性を享受する主体を、女たち femmes と呼ぶ。私はこの表現を慎重に使用したい。というのは、ラカンの定義によれば、どの主体も、無に関わるのだから。しかしながら、ある一定の仕方で、女たちである主体が「無」を享受する関係性は、(男に比べ)より本質的でより接近している。 (ジャック=アラン・ミレール、1992, Des semblants dans la relation entre les sexes)
(対象aの形象化として)、乳首[mamelon]、糞便 [scybale]、ファルス(想像的対象)[phallus (objet imaginaire=想像的ファルス])、小便[尿流 flot urinaire]、ーーこれらに付け加えて、音素[le phonème]、眼差し[le regard]、声[la voix]、そして無[ le rien]がある。(ラカン、E817、1960)


(ラカン、セミネールⅣ、対象関係論)


(ラカンのセミネール4の図において)ここに、主体、一つの点、すなわちヴェール(カーテン)がある。他の側には無がある。Ici, le sujet, un point ; le voile ; et de l'autre côté, un autre point, le rien.

もし、ヴェールがないなら、我々は無があるのを見る。S'il n'y a pas de voile, on constate qu'il n'y a rien。

もし、主体と無とのあいだにヴェールがあるなら、すべてが可能である。 Si entre le sujet et le rien il y a un voile, tout est possible.

人はヴェールにて戯れ jouer avec le voile、事物を想像する imaginer des choses ことができる。…ヴェールは無から何ものかを創造する le voile crée quelque chose ex nihilo。ヴェールは神である Le voile est un Dieu。(ジャック=アラン・ミレール 、享楽の監獄 LES PRISONS DE LA JOUISSANCE 、1994年)





セミネール4において、ラカンは、この「無 rien」に最も近似している 対象a を以って、対象と無との組み合わせを書こうとした。ゆえに、彼は後年、対象aの中心には、− φ (去勢、母の去勢)がある au centre de l'objet petit a se trouve le − φ、と言うのである。そして、対象と無 l'objet et le rien があるだけではない。ヴェール le voile もある。したがって、対象aは、現実界であると言いうるが、しかしまた見せかけでもある l'objet petit a, bien que l'on puisse dire qu'il est réel, est un semblant。対象aは、フェティッシュのような見せかけ semblant comme le fétiche である。(ジャック=アラン・ミレール 、la Logique de la cure 、1993)

(ラカン、セミネールⅩ、「不安」、5 juin 1963)


モノChoseは常にどういうわけか空虚videによって表象される。(ラカン、S7. 03 Février 1960)
親密な外部、この外密 extimitéが「モノ la Chose」である。extériorité intime, cette extimité qui est la Chose (ラカン、S7、03 Février 1960)
対象a とは外密である。l'objet(a) est extime(ラカン、S16、26 Mars 1969)

ーー《モノとは対象aの初期ヴァージョン》(フィンク、1995)であり、《外密 extimitéとは、フロイトの「不気味なもの Unheimliche 」のラカンの翻訳》(ムラデン・ドラー、1990)でもある。

女性器 weibliche Genitale という不気味なもの Unheimliche は、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷 Heimat への入口である。冗談にも「愛とは郷愁だ Liebe ist Heimweh」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器 Genitale、あるいは母胎 Leib der Mutter であるとみなしてよい。したがって不気味なものUnheimlicheとはこの場合においてもまた、かつて親しかったもの Heimische、昔なじみのものなの Altvertraute である。しかしこの言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴 Marke der Verdrängung である。(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)


(『さらば、愛の言葉よAdieu au Langage 』, 2014)


対象aは、大他者自体の水準において示される穴である。l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel (ラカン、S18, 27 Novembre 1968)
我々はみな現実界のなかの穴を塞ぐ(穴埋めする)ために何かを発明する。現実界には 「性関係はない」、 それが穴=トラウマ(troumatisme )をつくる。…tous, nous inventons un truc pour combler le trou dans le Réel. Là où il n'y a pas de rapport sexuel, ça fait « troumatisme ».(ラカン、S21、19 Février 1974 )

以上より、モノ das Ding、対象a(原対象 objets a primordiaux)、穴 trou、空虚vide、 − φ(去勢)は、ほぼ等置できる。

(ラカン、セミネールⅩ、「不安」, 5 juin 1963)


イマージュは対象aを隠蔽している。l'image se cachait le petit (a).(ジャック=アラン・ミレール 『享楽の監獄 LES PRISONS DE LA JOUISSANCE』1994年)

ーーイマージュが覆っているのは、無としての原対象a(穴Ⱥ、空虚 vide= − φ )である。

無、たぶん? いや、ーーたぶん無でありながら、無ではないもの
Rien, peut-être ? non pas – peut-être rien, mais pas rien(ラカン、S11, 12 Février 1964)

ーーBarbara Cassinはこのラカンにこう言わせたかったとしている、《無ではなく、無以下のもの Pas rien, mais moins que rien (Not nothing, but less than nothing)》

ジジェクの2012年の書名はここから来ている。「無以下のもの」とは、ジジェクにとって空虚としての対象aである。《女とは、対象aである》(ジジェク『LES THAN NOTHING 無以下のもの』2012年)

対象a の根源的両義性……対象a は一方で、幻想的囮/スクリーンを表し、他方で、この囮を混乱させるもの、すなわち囮の背後の空虚 vide をあらわす。(Zizek, Can One Exit from The Capitalist Discourse Without Becoming a Saint? ,2016)
我々は、欲動が接近する対象について、あまりにもしばしば混同している。この対象は実際は、空洞・空虚の現前 la présence d'un creux, d'un vide 以外の何ものでもない。フロイトが教えてくれたように、この空虚はどんな対象によっても par n'importe quel objet 占められうる occupable。そして我々が唯一知っているこの審級は、喪われた対象a (l'objet perdu (a)) の形態をとる。対象a の起源は口唇欲動 pulsion orale ではない。…「永遠に喪われている対象 objet éternellement manquant」の周りを循環する contourner こと自体、それが対象a の起源である。(ラカン、S11, 13 Mai 1964)

(ポール・バーハウ、2004)


ーー真ん中の、a/ − φ とは、a/Ⱥ とも書きうる。そして分子の a とは見せかけsemblant(≒フェティッシュ)としてのaである。さらに言えば、semblant a/objets a primordiaux とも書きうる。分母はすべて「無 rien」「空虚 vide」と(ほぼ)等価である。

ラカン派にとってイマージュとは、無を覆うものである。

イマージュは、見られ得ないものにとってのカーテン(スクリーン)である。l'image fait écran à ce qui ne peut pas se voir(ジャック=アラン・ミレール 『享楽の監獄 LES PRISONS DE LA JOUISSANCE』1994年)
人が見るもの(人が眼差すもの)は、見られ得ないものである。Ce qu’on regarde, c’est ce qui ne peut pas se voir(ラカン、S11, 13 Mai 1964)


(ポール・バーハウ、2011)


(フロイトによる)モノ、それは母である。das Ding, qui est la mère, (ラカン、 S7 16 Décembre 1959 )
quoad matrem(母として)、すなわち《女 la femme》は、性関係において、母としてのみ機能する。…quoad matrem, c'est-à-dire que « la femme » n'entrera en fonction dans le rapport sexuel qu'en tant que « la mère ». (ラカン、S20、09 Janvier 1973)
〈母〉、その底にあるのは、「原リアルの名 le nom du premier réel」である。それは、「母の欲望 Désir de la Mère」であり、シニフィアンの空無化 vidage 作用によって生み出された「原穴の名 le nom du premier trou 」である。(コレット・ソレール、C.Soler « Humanisation ? »2013-2014セミネール)




ラカンの昇華の諸対象 objets de la sublimation。それらは付け加えたれた対象 objets qui s'ajoutent であり、正確に、ラカンによって導入された剰余享楽 plus-de-jouir の価値である。言い換えれば、このカテゴリーにおいて、我々は、自然にあるいは象徴界の効果によって par nature ou par l'incidence du symbolique、身体と身体にとって喪われたものから来る諸対象 objets qui viennent du corps et qui sont perdus pour le corps を持っているだけではない。我々はまた原初の諸対象 premiers objets を反映する諸対象 objets を種々の形式で持っている。問いは、これらの新しい諸対象 objets nouveaux は、原対象a (objets a primordiaux )の再構成された形式 formes reprises に過ぎないかどうかである。(JACQUES-ALAIN MILLER ,L'Autre sans Autre May 2013)





本源的に抑圧(追放)されているものは、常に女性的なものではないかと疑われる。(フロイト, Brief an Wilhelm Fließ, 25, mai, 1897)
女は、女にとっても抑圧(追放)されている。男にとってと同じように。La femme est aussi refoulée pour la femme que pour l'homme.(Miller J.-A., Ce qui fait insigne, 1987年)
すべての話す存在 être parlant にとっての、「女性 Lⱥ femme」のシニフィアンの排除。精神病にとっての「父の名」のシニフィアンの限定された排除(に対して)。

forclusion du signifiant de La/ femme pour tout être parlant, forclusion restreinte du signifiant du Nom-du-Père pour la psychose.(LES PSYCHOSES ORDINAIRES ET LES AUTRES sous transfert , 2018年主流ラカン派会議の中心議題)


(はなればなれに  Bande à part、1964)


女というものは存在しない。だが女たちはいる la Femme n'existe pas, mais il y a des femmes。(ジジェク 、LESS THAN NOTHING, 2012)
「女というものは存在しない La femme n’existe pas」とは、女というものの場処 le lieu de la femme が存在しないことを意味するのではなく、この場処が本源的に空虚のまま lieu demeure essentiellement vide だということを意味する。場処が空虚だといっても、人が何ものかと出会う rencontrer quelque chose ことを妨げはしない。(ジャック=アラン・ミレール、1992, Des semblants dans la relation entre les sexes)


 (「結婚したひとりの女 Une femme mariée」邦題:恋人のいる時間、1964)

存在するのは女たち les femmes、一人の女 une femme そしてもう一人の女 une femme そしてまたもう一人の女 une femme・・・である。……

女というものは存在しない La femme n’existe pas。われわれはまさにこのことについて夢見る。女はシニフィアンの水準では見いだせないからこそ我々は女について幻想をし、女の絵を画き、賛美し、写真を取って複製し、その本質を探ろうとすることをやめない。(ミレール 、El Piropoベネズエラ講演、1979年)

(左から、ミレール2007、2009、2011)


――《S(Ⱥ)とは、大他者のなかの穴 trou dans l'Autre のシニフィアンである》(ミレール、2007)。

«斜線を引かれた Lⱥ femme »は S(Ⱥ) と関係がある。これだけで彼女は二重化dédouble される。彼女は« 非全体 pas toute »なのだ。というのは、彼女は大きなファルスgrand Φ とも関係があるのだから。(ラカン、S20, 13 Mars 1973)

− φは、去勢(母の去勢)である。《ラカンの不可能な享楽− J は、フロイトの − φのこと》(ミレール、2009摘要)

人間の最初の不安体験は、出産であり、これは客観的にみると、母からの分離 Trennung von der Mutter を意味し、母の去勢 Kastration der Mutter に比較しうる。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)

他方、小さなファルスφとは、想像的ファルス(≒フェティッシュ)、あるいは見せかけsemblantとしての対象aである(逆に、原対象aとは、− φに相当する)。

フェティッシュは女のファルス(母のファルス)の代理物である。der Fetisch ist der Ersatz für den Phallus des Weibes (der Mutter) (フロイト『フェティシズム』1927年)
(リアルなファルス、あるいは象徴的ファルスとは異なった)他のファルスは、母の想像的ファルスである。un autre phallus c'est le phallus imaginaire de la mère. (ラカン、S4、22 Mai 1957)
ジャック=アラン・ミレールによって提案された「見せかけ semblant」 の鍵となる定式がある、《我々は、見せかけを無を覆う機能と呼ぶ[Nous appelons semblant ce qui a fonction de voiler le rien]》。(J.A. Miller, "Des semblants dans la relation entre les sexes", 1997年)

これは勿論、フェティッシュとの結びつきを示している。フェティッシュは、見せかけが無のヴェールであるのと同様に、空虚を隠蔽する。その機能は、ヴェールの背後に隠された何かがあるという錯覚を作りだすことにある。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012)



2018年6月24日日曜日

アイデンティティ(同一化と分離)をめぐって

以下、一般教養篇である(ポール・バーハウ Paul Verhaegheの2013年の講演の議事録、" Identity, trust, commitment and the failure of contemporary universities"の冒頭から)。

一般公衆に向けて、同一化あるいはアイデンティティをめぐり、とても明瞭に語られている。ラカン派における「同一化」議論については、「母による身体上の刻印と距離(サントームをめぐって)」で記したように、「サントーム(原症状)との同一化」というかなり難解な部分があるのだが、それについては語られていない。

とはいえバーハウにとって、サントームとの同一化自体、アイデンティティにかかわる。

……構造的欠如を基盤とする象徴秩序において、要素を結びつけたり統合するものは何か? この問題は一見アカデミックなもののようにみえるが、そうではない。究極的には、人のアイデンティティにおいて要素を結びつけるものは何かという問いに関わるからだ。このときまでに、ラカンは常に強調していた、主体性における根本的な疎外と分裂を。そこでは統一については脇に置かれていた。後者(統一)は父の名の効果だと想定された。

ラカンがこの理論から離れたとき、彼は、人のアイデンティティにおける主体の統一のために別の説明を生み出さねばならない。ラカンは休むことなしに続けた、次のような用語を再公式化したり言い換えたりと。すなわち「父の諸名」という複数形から、おそらく基礎的かつひどく格言的な「一のようなものがある Yad'lun」まで。しかし、ラカンの絶え間ない問いは事態を明瞭化することに貢献していない。そして最終的な答が欠けている。皮肉なことに、これはラカンの新しい理論(《大他者の大他者はない》)の本質と極めて首尾一貫したものなのだ。(PAUL VERHAEGHE、New studies of old villains、2009)

「一のようなものがある」とあるが、これはミレールによれば、サントームと等価である。

サントーム le Sinthome」……それは 「一のようなものがある Yad'lun」と同一である(ジャッ ク=アラン・ミレール2011, XIV. le point de capiton de Montpellier / tripartition de consistances cliniques)

もっともラカン自身はこうも言っているのである。

「一のようなものがある Yad'lun 」とは「非二 pas deux」であり、それは即座に「性関係はない il n'y a pas de rapport sexuel 」と解釈されうる。 (ラカン、S19、17 Mai 1972)

《性関係はない》とあるが、これは「非関係 non-rapport」--他者とは関係をもたない自閉症状態ともされ、最も単純に言ってしまえば、サントームとの同一化とは、自閉症的になることなのか? という疑問が生じる(参照:自閉症とは「二」なき「一」(自己状態 αὐτός-ismos)のことである)。英語圏における代表的なラカン注釈者バーハウの、最後のラカン理論への戸惑いはこのあたりにある。

だがいまはこの話はしない。ここでは「一般教養篇」としてのアイデンティティである。アイデンティティとは、ランボーの云う《私は他者である JE est un autre》なのである。


【あなたとは誰?】
個人的な質問から始めさせて下さい、「あなたとは誰?」と。これは昔からある問いです。そしてことさら現代では、答えるのにとても難しいものです。どうして難しいのかといえば、アイデンティティとはどのようなものかについて、全く間違った考え方が見出されるからです。数多くの歴史的理由で、私たちは考えています、私たちのアイデンティティとは、なにか実体的なもので、私たちのなかに深く根ざしたほとんど不変のエッセンスのようなもの、生得の、遺伝的等々の何かだと。私は最初から私自身であり、その後いささかの変化はあるにもかかわらず、私は、生涯、私自身のままだろう、と。

これは完全に間違っています。あなたはその考えから、出来るだけはやく逃れれば逃れるほどよいでしょう。これが間違っているのを明らかにする最も簡単な仕方は、養子について考えてみることです。インドのラジュスタンで生まれた女児で、スウェーデン人の親によってウプサラで育ったのなら、スウェーデンの女性になります。同じ子供がフランス人の親の養子になりパリで育ったのなら、パリジェンヌになります。逆もまた真です。もしあなたが、赤子として、スーダンのムスリムカップルによって養子にされてハルツームで育ったのなら、あなたはスーダンのアイデンティティをもつようになります。つまり、あなたはまったく異なった誰かになります。

結論としては、アイデンティティとは構築 construction に帰着するのです。そこでは文化が決定的な役割を果たします。これは私たちに別の二つの問いをもたらします、どうやって構築されるのか、そしてこの構築の内容はなんなのだろう、と。この問いに答えるための十分な科学的根拠があります。そこには二つの過程が働いています。すなわち同一化と分離です。


【同一化】
同一化は今ではミラーリング((鏡像化 mirroring)と呼ばれます。そして、それは同一化を言い換えるとても相応しい仕方です。このミラーリングは私たちの生の最初の日から始まります。乳児はお腹がへったり寒かったりして泣き叫びます。そして魔法のように、ママが現れます。彼女は心地よい声を立て、赤ちゃんに話しかけます、彼女が考えるところの、なにが上手くいってないのかを乳児に向けて語り、彼女自身の顔でその感情を真似てみせます。このシンプルな相互作用、何百回とくり返される効果のなんと重要なことでしょう。私たちは、何を感じているのか、なぜこの感情をもつのか、そしてもっと一般的には、私たちは誰なのかを、他者が告げ私たちに示してくれるのです。空腹とオシメから先に進み、世話人からの子供へのメッセージは、すぐに、よりいっそう入り組んだものになり、かつ幅広くなります。

幼児期以降、私たちは継続的に、なにを感じ、なぜそう感じ、これらの感じをどのように取り扱うか、取り扱うべきでないかを教えられています。私たちは聞くのです、良い子なのかいたずらっ子なのか、美しいのか醜いのか、おばあちゃんのように頑固なのか、パパのように賢いのか、と。同時に、自分のカラダや他人のカラダで何ができて何ができないのかを聞かされます(すこしは大人しく座ってなさい! あなたの弟にかまいすぎないで! ダメよ、耳にピースなんてしたら!)。こういったことすべては、私たちは誰で、どうすべきで、どうすべきではないかを明らかにします。

どの心理学理論も認めています、これらの乳幼児と母のあいだの最初のやり取り、そして子供と親たちのあいだのそれの重要性を。それはアイデンティティの構築のためのものなのです。とはいえ、この重要性はある片寄った観点を導き入れます。私たちは忘れがちになってしまうのです、両親はただ彼ら自身が受け取ったもののみを鏡に反映するということを。彼らのメッセージは無からは生まれません。私たちの家族は、自分の文化、ーー地方の、宗教の、国民の等々ーーの重要な考え方を鏡に反映させるのです。物語や考え方、それは、家族や私たちが所属する社会階級、わたしたちがその部分である文化によって、私たちに手渡されるのですがーー、こういったものすべての鏡が、混じりあって、象徴秩序、より大きな集団の偉大なる語り Great Narrative を作り上げるのです。それが多かれ少なかれ共通のアイデンティティを生みます。より多くの語り(ナラティヴ)が共有されれば、よりいっそう私たちは似たもの同士になります。

この共有された語りの重要性は計り知れません。というのは、それは私たちの存在の関する存在論的 existential 問いに答えてくれるからです。「真の」男とはなに? あるいは「真の」女とは? 男女の関係はどうあるべきか? キャリアと親であることの場と意義とはなんだろう? 男にとってと、女にとっての違いは? 権威への態度はどうあるべきか? どうやって取り扱うべきか、性、病い、死を? 私たちは答えを探すなか、象徴秩序や偉大なる語りgreat narratives に頼ります。それは複数形です。というのは、異なった語りがあり、異なった答えがあるからです。たとえばあなたがスウェーデンで育ったなら、デンマークで育った誰かとは異なります。鏡に反映するものがやはりわずかにでも異なるのですから。より高いレベルでは、両者ともスカンジナビアンです。その意味は、南ヨーロッパ人とは異なるということです。さらに高いレベルでは、西ヨーロッパ人です。アメリカ人等々とは異なるということです。そして確かなことは、これは人種とはまったく関係ないことです。もう一度、養子について考えてみてください。

したがって、私たちのアイデンティティの構成の最初の過程は同一化です。まだラテン語をご存知の方にとっては、アイデンティティと同一化は同じ語源を共有しているのがお分かりでしょう、“IDEM”の意味、それは、“同じ”、“相似”です。私たちは他者と同類になることによって己れのアイデンティティを築いてゆくのです。そしてこれはふつう気づかれていません、私たちは皆異なると思っているのです。(…)


【分離】
さて、「私はそうではない “I am not” 」と人が言うとき、私たち二番目の過程に導かれます。分離、それは相違を導入します。私たちは異なったようになります、というのは、初期の段階以降、私たちはある同一化のモデルを拒絶し、他のモデルを好むようになるからです。どの親も経験します、二歳のよちよち歩きの子供がむづかるようになり、自分の意志を示すようになります。そのとき彼もしくは彼女が、同時に二つの新しい単語を発見するのは偶然ではありません。その単語とは、「イヤ no」と「自分 me」であり、とてもしばしば、その二語を組み合わせて使います。自立の要求がふたたびほとばしり出るのは思春期で、それはその時期のホルモン分泌の強度のなかでです。今度は独立心の錯覚を伴っています(ぼくが自分自身で決めるよ!)。ある範囲で、この独立心は錯覚なのです。というのは基本的には、分離は或る同一化を拒絶し、他の代替を選ぶことに帰結するからです。その意味は別の鏡に反映させるということです。同一化と分離の組み合せが意味するのは、最初期から、私たちのアイデンティティは、類似と相違のあいだの天秤だということです。私たちは引き裂かれるのです、他者に融合する促しと、他者から距離をとる促しのあいだで。

最初の過程はいかにも逃れようがありません。二番目の過程はもっと自由があります。というのは自身で選択できるからです。注意しましょう、変化の可能性そのものが、まさに私たちのアイデンティティを構成する仕方なのです。変化は二つの方向からやって来ます。鏡が変わるかもしれないこと、あるいは私たち自身が異なった選択をすること。さてこれから以降の話は、現代の鏡に集中します。そしてその鏡が私たちのアイデンティティに齎すものについて。


 【私たちのアイデンティティ】
今度は、二番目の問いに関わります。私たちのアイデンティティの内容についてです。ここでふたたび、私は「私は誰なのか」についての直感的な考え方を訂正しなくてはなりません。個人主義のこの時代、私たちは数多くのパーソナリティーの特徴をもって、その質問に応答するでしょう。そして忽ち、それでは満足させてくれるものからほど遠いのを見出します。より格段に興味深く、かつ私たちのアイデンティティを表わすために訂正したほうがいいことは、数多くの鍵となる点における「私たちは誰なのか」――それを明らかにする基礎的関係の見地です。

基本的に「私が私である」のは、ある重要な他者と関係する私独自の仕方によります。もっと個別的に言うなら、私が他のジェンダーに関わる仕方、他の世代に、私の同僚に、そして最終的には、私自身に関わる仕方です。実に、幼児期以来受け取ってきたジェンダーのアイデンティティを鏡に映すことは、同時にジェンダーの関係を鏡に映すことでもあります。私の男性性は、いかに女性性に気づき学んできたかによって決定されます。もし私が女性をすべての悪の根源、私を罪に陥れるものと思い込んでいたなら、私戦々恐々とした、厳格な男ーー己れの煩悩に打ち勝つための闘争を女性に投影する男ーーになるでしょう。もし私が女性を優しく思いやりのある、けれども、支配的な存在だと感じていたなら、私はそこから永遠に逃れようと努める大きな息子 man-son になるでしょう。等々。これ等は、男と女の本質を定める努力の運命づけられた特質です。

ジェンダーの関係についての社会の信念は、二番目の重要な他者との係わりにそのすべてがあります。その他者と私たちは多かれ少なかれ継続的な関係を打ち立てます、その名は権威としての他者です。私たちの権威の形象への態度は、私たちのアイデンティティの別の重要な部分を形作ります。批評的かつ反抗的? 服従的かつ支持的? 攻撃的かつ競争的? これもまた、私たちの同一化を通して獲得されたなにかです。私のアイデンティティの三番目の重要な内容は、私の同輩、はじめは兄妹、のちには同僚や隣人との関係にかかわります。嫉妬的? 支持的? 競争的? 私たちのほとんどは、同輩との関係の典型的な仕方を持っています、しばしば十分に、そして自らそれに気づかないままで。

これらの三つの関係に、私たちのアイデンティティが構成される仕方を容易に認めることができます。でもまだ四番目があります。それは驚くかもしれませんが、私たち自身と持つ関係です。一見びっくりするように思えるかもしれませんが、それを描写するのはたいして難しくありません。毎朝、バスルームの鏡で、私たちは私たち自身と対話を交わすことから始め、それは終日続きます。私は私自身に怒っているかもしれません。喜んでいるかも、失望しているかも。というのは「私 ‘me' 」を判定する「私 ‘I' 」は、判定される「 私‘me'」とは異なった同一化を基盤にしているからです。「私たち自身 ‘ourselves'」への怒りや満足は、継続することもあり得ます。すると、それは自己嫌悪 self-hatred や自己愛 self-loveに導かれます。自己評価 self-esteemと自己尊重 self-respect の高い低い、等々。これらの語彙の接頭辞 ‘自己self' が生み出すのは、私たちのアイデンティティはある本質的な生得の個性を構成するという印象です。私たちは忘れています、そのような個性は、他者が私たちの振舞いを解釈し鏡に反映させる仕方によって決定されていることを。他者が決定するのです、私が私自身について考える仕方を。自己信頼、自己評価、自己尊重はよりよく理解されるでしょう、他者の信頼、他者の評価、他者の尊重というもともとの文脈で。すなわち、他者が私たちを信頼し、評価し、尊重した範囲が、私たちの自己信頼、自己評価、自己尊重に反映されるのです。

このようにして、私たちのアイデンティティの内容は、重要な他者との継続的な関係というタームでもっともよく理解することができます。でも、これは、説明としては、いささか控え目すぎるようにきこえます。私はつけ加えなければなりません、なにかもっとリアルに響くような重要なことを。異性という他者、権威、同輩、そして最終的には私たち自身との関係は、けっして偏らないものではありません。権威の人物は、最初の段階で、私たちに告げます、私たちはなにができるのか、私たちの体や他者の体でなにができないのか、と。それは楽しみが犠牲にされたり、また犠牲にされなかったりします。こういったことすべては、していいこととしてはいけないことの議論をまっすぐに供給します。この意味で、規範や価値観は、私たちのアイデンティティの全的部分なのです。そんなに昔のことではありません、こういった特徴が美徳という形で表現されたのは。たとえば、注意深さ、正義、自己コントロール、忍耐深さ。あるいは逆に基本的な悪として、たとえば、傲慢、強欲、好色、憤怒、等々。これは驚きをもって聞かれるかもしれない結論を引き起します。すなわち、私たちのアイデンティティは、個人の特徴の中立的な盛り合わせではけっしてないのです。そうではなく、私たちが同一化した(あるいは同一化しなかった)道徳的な、なにをするべきか、なにをすべきではないのかにすべてかかわるのです。

これが意味するのは、どのアイデンティティも地層にあるイデオロギーを基礎としているということです。そのイデオロギーという用語は、私がとても幅広く解釈する意味では、人間関係、そしてその関係を調節する異なった仕方についての考え方の集合体ということです。歴史は示してくれます、イデオロギーは他のイデオロギーに対抗して考案されることを。その結果、私たちのなかに他のイデオロギーに反対する思考態度を生み出します。異なった特色のある規範と価値観をともなう異なったイデオロギーは、異なったアイデンティティを決定づけます。考えてみてください、“本当の”社会主義者、“典型的な”カソリック、さらには“本当のフィンランド人”さえをも。言い換えれば、彼らのイデオロギーとそれに付随したアイデンティティは、重要な他者にむかっての、“標準的な”、あるいは“正しい”態度として見なされることの異なった解釈にあるのです。


【要約】 
さてここで、これまで説明してきたことを要約してみましょう。私たちのアイデンティティは構築物です。それは私たちの文化の支配的な語りを基礎としています。その語りとは、他の性、権威、私たちの同輩、私たち自身に向けて基本的な関係の立場を定めます。これはけっして中立的なものではなく、つねに倫理的に操られています。私は想像することができます、あなた方はこれらすべてにおいて遺伝学の場所について思いを巡らしているのを。答えはまったく単純です。遺伝子それ自体のレベルでは、私たちの心理学的なアイデンティティの内容が遺伝的に決定されているなんの証拠もないのです、けれども、この点に関して、格段に重要な別の遺伝的形質の形式があります。進化生物学は、私たちは社会的な動物であることを教えてくれます。その意味は、私たちは集団にて生きていくことになっていることです。もし私たちが独りだけになった社会種族を見出すのなら、可能な答えは二つしかありまでん。病気か、集団から追い払われたか。そしてふつうはその両方です。

霊長類の研究からの二番目の発見、なかんずくオランダの生物学者フランス・ドゥ・ヴァール Frans de Waal によれば、私たちは二つの異なった振舞いにあらかじめ配置されているのです。一方では、協調と連帯。他方では、競争的個人主義とエゴイズム。そして彼の調査から得られるさらにいっそう重要な結論があります。それは、どの振舞いが優位になるかを決定するのは環境だということです。

あなた方がこれらの二つの振舞いについて考えるのなら、アイデンティティの構築の二つの過程をその二つの振舞いに戻って見出すのはそんなに難しくはないでしょう。同一化は集団への傾向にかかわり、分離は個人主義の必要にかかわる、と。けれども、ーーふたたび強調しますがーー私たちはまずなによりも忘れるべきではありません、私たちが社会的動物であることを。フランス・ドゥ・ヴァールによる美しい実験があります、それは私たちの生得の公正への感情を明らかにしています。それは相互作用と感情移入のより大きな研究の部分です。あなた方は見るでしょう、それはすべてモラルについてなのです。すなわちアイデンティティについて、という意味です。…(ポール・バーハウ 2013、Paul Verhaeghe、Identity, trust, commitment and the failure of contemporary universities)

⋯⋯⋯⋯

上のバーハウ講演の冒頭箇所は、「同一化と分離」が主要主題であるが、(比較的よく知られているだろう)ラカンの幻想の式自体、同一化と分離の式である。

ラカンの幻想の式「$ ◊ a」は、最も基本的には「言語によって身体と分割された主体$は、対象aと関係する」と読む。ところで真ん中にある菱形紋◊とはどんな意味だろうか?

幻想の式 $ ◊ aとは、$ が a と対立関係において示されるものであり、この関係は、その多価性 polyvalence、その多重性 multiplicité が菱形◊ losange のもつ性格によってみごとに表される。つまり分離(disjonction) Λでもあり、同一化(結合conjonction) V でもあり、あるいはより大きい > でもあり、より小さい < でもあることである。(ラカン、S10、13 Mars l963)

したがってまずは次のように書きうる。





同一化とは融合化でもあり、融合と分離とは、フロイトの語彙においてはエロスとタナトスである。

エロスとタナトス…。前者は、現存しているるものをより大きな統一 Einheiten に結合 zusammenzufassen しようと努め、他のものは、この融合 Vereinigungen を分離 aufzulösen(解体)し、融合によって形成された構造 entstandenen Gebilde を破壊 zerstören しようとする。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』 1937年)


ラカンの幻想の式は、注釈者たちによって、さらに次のように補足されて書かれる。

ポール・バーハウ2004年なら、



ジャック=アラン・ミレール2007年なら、




これらの図の説明はここでは割愛。さらに注釈者たちによって種々の補足図があるが、それについても触れない。



2018年6月23日土曜日

母による身体上の刻印と距離(サントームをめぐって)

以下、ラカン最晩年の臨床「症状との同一化」について、いくらかまとめて記す(主に引用の列挙である)。

乳幼児は何よりもまず、母への呼びかけを生みださねばならない。その呼びかけとは、欲動興奮と寄る辺なさとの混淆を基礎にしている。母の応答(鏡像段階を想起せよ)、それは、(欲動興奮を)統御し・徴をつけ・満足を与える形で作用する。子供がふたたび同じ享楽の統御を見出したいとき、母へ「要求」を向けねばならない。結果として、子供は母の応答と同一化しなければならなくなる。そして母が既に生み出した徴に同一化することになる。 (ポール・バーハウ、2009、PAUL VERHAEGHE、New studies of old villains A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex)

同一化には、想像的同一化(理想自我)、象徴的同一化(自我理想)が比較的よく知られているだろうが(参照)、上の文でバーハウが記している「母の徴」との同一化とは、現実界的同一化である、とわたくしは考える。この「母の徴」の代表的なものは、ララング(母の言葉)であり、現実界的シニフィアンS(Ⱥ)=サントームである。

S (Ⱥ)とは真に、欲動のクッションの綴じ目である。S DE GRAND A BARRE, qui est vraiment le point de capiton des pulsions(ジャック=アラン・ミレール、L'Être et l'Un 、2011
ララング Lalangue は象徴界的 symbolique なものではなく、現実界的 réel なものである。 現実界的というのは、ララングはシニフィアンの連鎖外 hors chaîne のものであり、したがって意味外 hors-sens にあるためである(シニフィアンは、連鎖外にあるとき現実界的なものになる le signifiant devient réel quand il est hors chaîne )。 (コレット ・ソレール2009、Lacan, l'inconscient réinventéーー「ララング定義集」)
サントーム(原症状)は、母の言葉(ララング)に起源がある Le sinthome est enraciné dans la langue maternelle。話すことを学ぶ子供は、このララングlalangueと母の享楽によって生涯徴づけられたままである。

これは、母の要求・欲望・享楽、すなわち「母の法」への従属化をもたらす Il en résulte un assujettissement à la demande, au désir et à la jouissance de celle-ci, « la loi de la mère »。が、人はそこから分離しなければならない。

この「母の法」は、「非全体」としての女性の享楽の属性を受け継いでいる。それは無限の法である。Cette loi de la mère hérite des propriétés de la jouissance féminine pas-toute : c’est une loi illimitée..Geneviève Morel 2005 Sexe, genre et identité : du symptôme au sinthome)


結局、現実界の症状とされる「サントーム」とは、「母による身体上の刻印」なのである(刻印にはほとんど常に「母の言葉」が伴っているだろう)。

症状は身体の出来事である。le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps(ラカン、JOYCE LE SYMPTOME,AE.569、16 juin 1975)

ーーこの「症状 symptôme」は、「サントーム sinthome」のことである。

サントームは身体の出来事として定義される Le sinthome est défini comme un événement de corps (ミレール, Fin de la leçon 9 du 30 mars 2011)
身体における、ララングとその享楽の効果との純粋遭遇 une pure rencontre avec lalangue et ses effets de jouissance sur le corps(ミレール、2012、Présentation du thème du IXème Congrès de l'AMP par JACQUES-ALAIN MILLER)
身体の出来事は、トラウマの審級にある。衝撃、不慮の出来事、純粋な偶然の審級に。événement de corps…est de l'ordre du traumatisme, du choc, de la contingence, du pur hasard

…この享楽は、固着の対象である。elle est l'objet d'une fixation…

それは…純粋な身体の出来事としての女性の享楽 la jouissance féminine qui est un pur événement de corp である。(Miller, dans son Cours L'Être et l'Un 、2011、pdf

⋯⋯⋯⋯

症状との同一化、サントームとの同一化とは、実際は同一化だけではない。原症状と同一化しつつそれから距離をとることである。

分析の道筋を構成するものは何か? 症状との同一化ではなかろうか、もっとも症状とのある種の距離を可能なかぎり保証しつつである s'identifier, tout en prenant ses garanties d'une espèce de distance, à son symptôme?

症状の扱い方・世話の仕方・操作の仕方を知ること…症状との折り合いのつけ方を知ること、それが分析の終りである。savoir faire avec, savoir le débrouiller, le manipuler ... savoir y faire avec son symptôme, c'est là la fin de l'analyse.(Lacan, S24, 16 Novembre 1976)

ーーここでラカンが言っている「症状」とはサントーム(原症状)のことである。

ラカンが症状概念の刷新として導入したもの、それは時にサントーム∑と新しい記号で書かれもするが、サントームとは、シニフィアンと享楽の両方を一つの徴にて書こうとする試みである。Sinthome, c'est l'effort pour écrire, d'un seul trait, à la fois le signifant et la jouissance. (ミレール、Ce qui fait insigne、The later Lacan、2007所収)
我々が……ラカンから得る最後の記述は、サントーム sinthome の Σ である。S(Ⱥ) を Σ として grand S de grand A barré comme sigma 記述することは、サントームに意味との関係性のなかで「外立ex-sistence」の地位を与えることである。現実界のなかに享楽を孤立化すること、すなわち、意味において外立的であることだ。(ミレール、「後期ラカンの教え Le dernier enseignement de Lacan,  LE LIEU ET LE LIEN ,2001)
(旧来の)症状が、解釈を通して解消される無意識の形成物であるなら、サントーム(原症状)は、「分割不能な残余」であり、それは解釈と解釈による溶解に抵抗する。サントームとは、最小限の形象あるいは瘤であり、主体のユニークな享楽形態なのである。このようにして、分析の終点は「症状との同一化」として再構成される。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』2012)
現実界の症状、それは意味から切断されているが、言語からは切断されていない。現実界の症状は、「言葉の物質性 motérialité」と享楽との混淆であり、享楽される言葉あるいは言葉に移転された享楽にかかわる。(コレット・ソレール2009、Colette Soler、L'inconscient Réinventé )

サントーム(原症状)とは、フロイトの固着のことである。

「一」Unと「享楽」jouissanceとの接合(つながり connexion)が分析的経験の基盤であると私は考えている。そしてそれはまさにフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである。⋯⋯

フロイトにとって抑圧 refoulement は、固着 fixation のなかに根がある。抑圧Verdrängung はフロイトが固着 Fixierung と呼ぶもののなかに基盤があるのである。(ミレール2011, L'être et l'un)
固着としての症状 Le symptôme, comme fixion・シニフィアンと享楽の結合 coalescence de signifant et de jouissance としての症状(コレット・ソレール、Avènements du réel、2017)
・精神分析的治療は抑圧を取り除き、裸の「欲動の固着」を露わにする。この諸固着はもはやそれ自体としては変更しえない。

・固着とは、フロイトが原症状と考えたものであり、ラカン的観点においては、一般的な性質をもつ。症状は人間を定義するものである。そしてそれ自体、修正も治療もできない。これがラカンの最後の結論、すなわち「症状なき主体はない」である。(ポール・バーハウ、他, Lacan's goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way. Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq ,2002)

⋯⋯⋯⋯

フロイトの固着をめぐる記述の基本は、「ラカンのサントームとは、フロイトの固着のことである」を参照。

ここではやや別の角度から、最晩年の次の二文を引用しておく。

生において重要なリビドーの特徴は、その可動性である。すなわち、ひとつの対象から別の対象へと容易に移動する。これは、特定の対象へのリビドーの固着と対照的である。リビドーの固着は生涯を通して、しつこく持続する。

Charakter ist die Beweglichkeit der Libido, die Leichtigkeit, mit der sie von einem Objekt auf andere Objekte übergeht. Im Gegensatz hiezu steht die Fixierung der Libido an bestimmte Objekte, die oft durchs Leben anhält. (フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
母へのエロス的固着の残余は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への隷属として存続する。

Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine über-grosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. (同『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)

これは、上の半ばほどに引用した.Geneviève Morel 2005が記している《母の要求・欲望・享楽、すなわち「母の法」への従属化をもたらす》のことである。

再掲しよう。

サントーム(原症状)は、母の言葉(ララング)に起源がある Le sinthome est enraciné dans la langue maternelle。話すことを学ぶ子供は、このララングlalangueと母の享楽によって生涯徴づけられたままである。

これは、母の要求・欲望・享楽、すなわち「母の法」への従属化をもたらす Il en résulte un assujettissement à la demande, au désir et à la jouissance de celle-ci, « la loi de la mère »。が、人はそこから分離しなければならない。

この「母の法」は、「非全体」としての女性の享楽の属性を受け継いでいる。それは無限の法である。Cette loi de la mère hérite des propriétés de la jouissance féminine pas-toute : c’est une loi illimitée..(Geneviève Morel 2005 Sexe, genre et identité : du symptôme au sinthome)


無限の法とは、母なる勝手気ままである。

母の法 la loi de la mère…それは制御不能の法 loi incontrôlée…分節化された勝手気ままcaprice articuléである(Lacan, S5, 22 Janvier 1958)
〈母〉、その底にあるのは、「原リアルの名 le nom du premier réel」である。それは、「母の欲望 Désir de la Mère」であり、シニフィアンの空無化 vidage 作用によって生み出された「原穴の名 le nom du premier trou 」である。(コレット・ソレール、C.Soler « Humanisation ? »2013-2014セミネール)

ーーより詳しくは、「母の法と父の法(父の諸名)」を参照。

ゆえに人はここから距離をとらなければならない。

人は父の名を迂回したほうがいい。父の名を使用するという条件のもとで。le Nom-du-Père on peut aussi bien s'en passer, on peut aussi bien s'en passer à condition de s'en servir.(ラカン, S23, 13 Avril 1976)

実際は、サントームとは二種類あるのである。母による身体上の刻印としてのサントームと、そこから距離をとるサントーム。すくなくともわたくしはそう考える。


最後のラカンにおいて、父の名はサントームとして定義される défini le Nom-du-Père comme un sinthome。言い換えれば、他の諸様式のなかの一つの享楽様式として。(ミレール「L'Autre sans Autre (大他者なき大他者)」、2013)

後者のサントーム(距離をとるサントーム)が、次の文でポール・バーハウが言っている《享楽の不可能性の上に、別の種類の症状を設置すること》であると考える。

エディプス・コンプレックス自体、症状である。その意味は、大他者を介しての、欲動の現実界の周りの想像的構築物ということである。どの個別の神経症的症状もエディプスコンプレクスの個別の形成に他ならない。この理由で、フロイトは正しく指摘している、症状は満足の形式だと。ラカンはここに症状の不可避性を付け加える。すなわちセクシャリティ、欲望、享楽の問題に事柄において、症状のない主体はないと。

これはまた、精神分析の実践が、正しい満足を見出すために、症状を取り除くことを手助けすることではない理由である。目標は、享楽の不可能性の上に、別の種類の症状を設置することなのである。フロイトのエディプス・コンプレクスの終着点の代りに(「父との同一化」)、ラカンは精神分析の実践の最終的なゴールを「症状との同一化」(そして、そこから自ら距離をとること)とした。(ポール・バーハウ2009、PAUL VERHAEGHE、New studies of old villains)


2018年6月22日金曜日

行ったり来たりする女




⋯⋯⋯⋯

母の行ったり来たり allées et venues de la mère⋯⋯行ったり来たりする母 cette mère qui va, qui vient……母が行ったり来たりするのはあれはいったい何なんだろう?Qu'est-ce que ça veut dire qu'elle aille et qu'elle vienne ? (ラカン、セミネール5、15 Janvier 1958)


東京物語

《一切女人、是れ我が母なり》(仏典)

すべての女に母の影は落ちている。つまりすべての女は母なる力を、さらには母なる全能性を共有している。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe、THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE、1998)


麦秋


一分と立たぬ間に、影は反対の方から、逆にあらわれて来た。振袖姿のすらりとした女が、音もせず、向う二階の椽側を寂然として歩行て行く。余は覚えず鉛筆を落して、鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた。 

花曇りの空が、刻一刻に天から、ずり落ちて、今や降ると待たれたる夕暮の欄干に、しとやかに行き、しとやかに帰る振袖の影は、余が座敷から六間の中庭を隔てて、重き空気のなかに蕭寥と見えつ、隠れつする。

女はもとより口も聞かぬ。傍目も触らぬ。椽に引く裾の音さえおのが耳に入らぬくらい静かに歩行いている。腰から下にぱっと色づく、裾模様は何を染め抜いたものか、遠くて解からぬ。ただ無地と模様のつながる中が、おのずから暈されて、夜と昼との境のごとき心地である。女はもとより夜と昼との境をあるいている。 

この長い振袖を着て、長い廊下を何度往き何度戻る気か、余には解からぬ。いつ頃からこの不思議な装をして、この不思議な歩行をつづけつつあるかも、余には解らぬ。その主意に至ってはもとより解らぬ。もとより解るべきはずならぬ事を、かくまでも端正に、かくまでも静粛に、かくまでも度を重ねて繰り返す人の姿の、入口にあらわれては消え、消えてはあらわるる時の余の感じは一種異様である。(夏目漱石『草枕』)





母が幼児の訴えに応答しなかったらどうだろう?…母は崩落するdéchoit……母はリアルになる elle devient réelle、…すなわち権力となる devient une puissance…全能(の母) omnipotence …全き力 toute-puissance …(ラカン、セミネール4、12 Décembre 1956)

⋯⋯⋯⋯

◆「黃金之弦 La Belle Epoque. Hou Hsiao-hsien」、2011年





2018年6月21日木曜日

ふたたび「彼女は私を六秒みつめた」

すこしまえ「彼女は私を六秒みつめた」で、ルック・ドラエ Luc Delahaye, 1992 の作品をゴダールが二度使っているのをメモしたが、そのとき「すくなくとももう一箇所、この写真はゴダールの作品のどれかに現れた記憶があるのだが、気のせいかもしれない」と記している。

昨晩、たまたま「もう一つ」を『For Ever Mozart』 (1996年)に見出した。特に何が言いたいわけでももはやないが--おそらくこうだろうという憶測めいたものは、「彼女は私を六秒みつめた」で記しているーー、備忘のためにここに貼付しておく。


(『フォーエヴァー・モーツアルト』 1996年)


以前に貼り付けたのは次の二枚である。

(『(複数の)映画史』1998年)


(『アワーミュージック』2004年)。


2018年6月20日水曜日

ゴダールによる世界の起源的美

ゴダール 2014年の作品『さらば、言語よ Adieu au Langage 』(邦題:「さらば、愛の言葉よ」)は、実に「世界の起源 L'Origine du monde」的美に満ち溢れている。

ゴダールは『(複数の)映画史』以降、あのような宿命的美のイマージュがほとんどなかったように記憶するが、なぜ84才になって復活したんだろうな・・・ボクはウブなほうなので考え込んでしまう。





『(複数の)映画史』には、たとえば次のように現れる。









2018年6月19日火曜日

ベケットとあなたを貪り喰う空虚

ジジェクの2017年の著作は"Incontinence of the Void" (the title is inspired by a sentence in Samuel Beckett's late masterpiece Ill Seen Ill Said)という題名だが、このベケットの『見ちがい言いちがい Ill Seen Ill Said』に触発された表現、"Incontinence of the Void" は、そのままの形ではベケットのなかになく、次のようにある。

Incontinent the void. The zenith. Evening again. When not night it will be evening. Death again of deathless day. On one hand embers. On the other ashes. Day without end won and lost. Unseen. (Samuel Beckett, Ill Seen Ill Said)

ーーこの文は、次のように訳されている(宇野氏の訳は仏版「Mal Vu Mal Dit」からの訳だろうが。ーーべケットの多くの書と同じく、この作品も仏語で書いた後、自ら英語版を出している)。 

いきなり広がる空虚。天頂。また夕方。夜でなければ夕方だろう。また死にかけている不死の光。一方には真っ赤な燠。もう一方には灰。勝っては負ける終わりのないゲーム。誰も気づかない。(サミュエル・ベケット『見ちがい言いちがい』宇野邦一訳、書肆山田、1991年)

ところで、Incontinence について英語版のwikiにはこうある。

Incontinence (philosophy) Incontinence ("a want of continence or self-restraint") is often used by philosophers to translate the Greek term Akrasia (ἀκρασία). Used to refer to a lacking in moderation or self-control, especially related to sexual desire, incontinence may also be called wantonness.

これに依拠すれば、"Incontinence of the Void" は、空虚の勝手気まま、空虚のみだらさ、空虚の貪婪さ等と訳せるか? 

ベケットの『見ちがい言いちがい』には、空虚をめぐってこうもある。

最後の秒の最初。すべてを貪ってしまうために、まだ十分残っているとして。一秒も惜しんで貪るように。空と大地そしてあらゆるごたごた。(…)いや。もう一秒。一秒だけ。この空虚を吸いこむ間だけ。幸福を知る。

First last moment. Grant only enough remain to devour all. Moment by glutton moment. Sky earth the whole kit and boodle. … No. One moment more. One last. Grace to breathe that void. Know happiness. (ベケット『見ちがい言いちがい』)

とすれば、ベケット 自身の表現 Incontinent the voidとは、「(あなたを)貪り喰う空虚」とも意訳できるかも知れない。 あるいは引力としての空虚と。

フロイト用語では引力とは、原抑圧にかかわる。

そしてラカンにとっては、原抑圧は穴である。

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)

さらに穴とはブラックホールとしての引力である。

あなたを吸い込むヴァギナデンタータ(歯のはえた膣)、究極的にはすべてのエネルギーを吸い尽すブラックホールとしてのS(Ⱥ) の効果。(ポール・バーハウ1999、PAUL VERHAEGHE ,DOES THE WOMAN EXIST?,1999)

ーーS(Ⱥ)とは、大他者のなかの穴 trou dans l'Autre のシニフィアンのこと。

すると(わたくしの偏った観点からは)、これは母なる空虚である。

ラカンの母は、《quaerens quem devoret》(『聖ペテロの手紙』lettres 1, 5, 8)という形式に相当する。すなわち母は「貪り喰うために誰かを探し回っている」。ゆえにラカンは母を、鰐・口を開いた主体 le crocodile, le sujet à la gueule ouverte.として提示した。(ミレール、1993, La logique de la cure)
構造的な理由により、女の原型は、危険な・貪り喰う大他者と同一である。それは起源としての原母であり、元来彼女のものであったものを奪い返す存在である。(ポール・バーハウ, 1995, NEUROSIS AND PERVERSION: IL N'Y A PAS DE RAPPORT SEXUEL)

ーー《女は子供を連れて危機に陥った場合、子供を道連れにしようという、そういうすごいところがあるんです。》(古井由吉「すばる」2015年9月号)

母とは巨大な鰐 Un grand crocodile のようなもんだ、その鰐の口のあいだにあなたはいる。…あなたは決して知らない、この鰐が突如襲いかかり、その顎を閉ざす refermer son clapet かもしれないことを。これが母の欲望 le désir de la mère である。(ラカン、S17, 11 Mars 1970)

 あるいは母なるブラックホールである。 

ジイドを苦悶で満たして止まなかったものは、女性のある形態の光景、彼女のヴェールが落ちて、唯一ブラックホール un trou noir のみを見させる光景の顕現である。あるいは彼が触ると指のあいだから砂のように滑り落ちるものである。(ラカン, « Jeunesse de Gide ou la lettre et le désir »,Écrits, 1966)
〈母〉、その底にあるのは、「原リアルの名 le nom du premier réel」である。それは、「母の欲望 Désir de la Mère」であり、シニフィアンの空無化 vidage 作用によって生み出された「原穴の名 le nom du premier trou 」である。(コレット・ソレール、C.Soler « Humanisation ? »2013-2014セミネール)

いやいやこれでは、過剰解釈のそしりをまぬがれないのは知っている。ベケットのような至高の作家を精神分析的に解読するなどと!

これら⋯を精神分析的に解読した場合になる解釈……そんな解釈を得意がって提起するほどわれわれは文学的に破廉恥ではないつもりだ。そうした事実とは、どんな不注意な読者でも見逃しえない図式として、そこに露呈されているだけなのである。(蓮實重彦『小説から遠く離れて』)

とはいえ、『見ちがい言いちがい』における老婦人は、パーキンソン病との闘病生活に明け暮れたベケットの母の影が落ちているに相違ない。

寝床から、彼女には金星の昇るのが見える。あいかわらず晴れた空に、太陽を背にして金星の昇るのが寝床から見える。そのとき彼女はこの生命の源を恨む。あいかわらず。

From where she lies she sees Venus rise. On. From where she lies when the skies are clear she sees Venus rise followed by the sun. Then she rails at the source of all life. On. (ベケット『見ちがい言いちがい』)

 『見ちがい言いちがい』は端的にそうだが、別の作品においても、Murphy, Watt, Malone, Molloy, Mahood, Worm 等、最もシンプルに言ってしまえば、彼は原母と子宮の作家、すなわち穴の作家でありうる(参照:Samuel Beckett: From the Mother to the Womb)。 

私は母の寝室にいる。今ではそこで生活しているのは私だ。どんなふうにしてここまでやってきたかわからない。救急車かもしれない、なにか乗り物で来たには違いない。だれかが助けてくれた。一人では来られなかったろう。(サミュエル・ベケット『モロイ』)

 『見ちがい言いちがい』の紹介文には、《まなざしもことばも錯誤としてしか機能しないという視座から、錯誤の総和であるしかない生を見つめ、死という終結に向う待機時間としての極限的な生を語る作品》とあるが、これはまさに《人はみな妄想する》である。

 私は言いうる、ラカンはその最後の教えで、すべての象徴秩序は妄想だと言うことに近づいたと。… ラカンは1978年に言った、「人はみな狂っている、すなわち人はみな妄想する tout le monde est fou, c'est-à-dire, délirant」と。…あなたがた自身の世界は妄想的である。我々は言う、幻想的と。しかし幻想的とは妄想的である。(ジャック=アラン・ミレール 、Ordinary psychosis revisited、2009) 

そして、 

「人はみな妄想する」の臨床の彼岸には、「人はみなトラウマ化されている」がある。au-delà de la clinique, « Tout le monde est fou » tout le monde est traumatisé (ジャック=アラン・ミレール J.-A. Miller, dans «Vie de Lacan»,2010 )

トラウマとは、ラカン用語では穴と等価である。 

我々は皆知っている。というのは我々すべては現実界のなかの穴を埋め合わせる combler le trou dans le Réel ために何かを発明するのだから。現実界には「性関係はない il n'y a pas de rapport sexuel」、 それが「穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」を作る。(ラカン、S21、19 Février 1974 )

たとえば人はまず、次のベケットの映像作品『夜と夢』の右上にあらわれる穴と女はなにかと問えばいいのである。

◆Samuel Beckett ~ Nacht und Träume




わたくしが出会ったなかで最も美しいと感じるシューベルトの『夜と夢』も掲げておこう。

◆Barbara Hendricks  Schubert "Nacht und Träume"




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