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2018年12月12日水曜日

原抑圧・固着文献

いままでフロイトの原抑圧(固着)について記すとき、ラカンあるいはラカン派を引用しつつ記したが、もはやラカンのサントームがフロイトの固着と等価であることははっきりしたので、ここではフロイトのみを掲げて、文献とする。


【抑圧と原抑圧】

すべての抑圧の根には原抑圧がある。そして原抑圧とは固着のことである。

「抑圧」は三つの段階に分けられる。 

①第一の段階は、あらゆる「抑圧 Verdrängung」の先駆けでありその条件をなしている「固着 Fixierung」である。(…)

②第二段階は、「本来の抑圧 eigentliche Verdrängung」である。この段階はーー精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているがーーより高度に発達した、自我の、意識可能な諸体系から発した「後期抑圧 Nachdrängen 」として記述できるものである。(… )

③第三段階は、病理現象として最も重要なものだが、その現象は、 抑圧の失敗 Mißlingens der Verdrängung・侵入 Durchbruch・「抑圧されたものの回帰 Wiederkehr des Verdrängten」である。この侵入 Durchbruch とは「固着 Fixierung」点から始まる。そしてリビドー的展開 Libidoentwicklung の固着点への退行 Regression を意味する。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイア(パラノイド性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察』1911年、 摘要訳)
症状形成の全ての現象は、「抑圧されたものの回帰Wiederkehr des Verdrängten」として正当に叙述しうる。(フロイト『モーセと一神教』1939年)
すべての症状形成は、不安を避けるためのものである alle Symptombildung nur unternommen werden, um der Angst zu entgehen;。(フロイト 『制止、不安、症状』第9章、1926年)

ーー不安とはなによりもまず自らの欲動に圧倒される不安である。そして原不安とは、母の去勢(母からの分離)である。

人間の最初の不安体験 Angsterlebnis は出産であり、これは客観的にみると、母からの分離 Trennung von der Mutter を意味し、母の去勢 Kastration der Mutter (子供=ペニス Kind = Penis の等式により)に比較しうる。(フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年)



【欲動代理・欲動固着】

表象代理あるいは欲動代理とは、原抑圧(欲動の固着)にかかわる用語である。

われわれには原抑圧 Urverdrängung、つまり欲動の心的(表象-)代理psychischen(Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes が意識的なものへの受け入れを拒まれるという、抑圧の第一相を仮定する根拠がある。これと同時に固着 Fixerung が行われる。……

欲動代理 Triebrepräsentanz は抑圧により意識の影響をまぬがれると、それはもっと自由に豊かに発展する。

それはいわば暗闇の中に im Dunkeln はびこり wuchert、極端な表現形式を見つけ、もしそれを翻訳して神経症者に指摘してやると、患者にとって異者のようなもの fremd に思われるばかりか、異常で危険な欲動の強さTriebstärkeという装い Vorspiegelung によって患者をおびやかすのである。(フロイト『抑圧』Die Verdrangung、1915年)

欲動固着は欲動興奮に対する欲動代理という形でも表現されている。

症状は、抑圧によって侵害された欲動興奮 Triebregung から生ずる。…

欲動興奮は、抑圧されてもなんらかの代償を見いだすが、この代償はひどく削減され、置換され、制止されたものである。…

自我の力は、一面では欲動代理 Triebrepräsentanzにあり、他面では欲動興奮Triebregungそのものに認められる。(フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)



【抑圧と原抑圧】

フロイトはある時期以降、抑圧という語を原抑圧の意味で使っている。そして通常の抑圧とは後期抑圧である。

われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧 Verdrängungenは、後期抑圧 Nachdrängen の場合である。それは早期に起こった原抑圧 Urverdrängungen を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力 anziehenden Einfluß をあたえる。(フロイト『制止、症状、不安』第2章1926年)
……早期のものと思われる抑圧は 、すべての後期の抑圧と同様、エス内の個々の過程にたいする自我の不安が動機になっている。われわれはここでもまた、充分な根拠にもとづいて、エス内に起こる二つの場合を区別する。一つは自我にとって危険な状況をひき起こして、その制止のために自我が不安の信号をあげさせるようにさせる場合であり、他はエスの内に出産外傷 Geburtstrauma と同じ状況がおこって、この状況で自動的に不安反応の現われる場合である。第二の場合(原抑圧の場合)は原初の危険状況 ursprünglichen Gefahrsituation に該当し、第一の場合は第二の場合からのちにみちびかれた不安の条件であるが、これを指摘することによって、両方を近づけることができるだろう。また、実際に現れる病気についていえば、第二の場合は現勢神経症 Aktualneurose の原因として現われ、第一の場合は精神神経症 Psychoneurose に特徴的である。

(……)現勢神経症 Aktualneurosen の基礎のうえに、精神神経症 Psychoneurosen が発達する。自我は、しばらくのあいだは、宙に浮かせたままの不安を、症状形成によって拘束し binden、閉じ込めるのである。外傷性戦争神経症 traumatischen Kriegsneurosenという名称はいろいろな障害をふくんでいるが、それを分析してみれば、おそらくその一部分は現勢神経症 Aktualneurosen の性質をわけもっているだろう。(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

抑圧 Verdrängungen はすべて早期幼児期に起こる。それは未成熟な弱い自我の原防衛手段 primitive Abwehrmaßregeln である。その後に新しい抑圧が生ずることはないが、なお以前の抑圧は保たれていて、自我はその後も欲動制御 Triebbeherrschung のためにそれを利用しようとする。

新しい葛藤は、われわれの言い表し方をもってすれば「後期抑圧 Nachverdrängung」によって解決される。…分析は、一定の成熟に達して強化されている自我に、かつて未成熟で弱い自我が行った古い抑圧 alten Verdrängungen の訂正 Revision を試みさせる。…幼児期に成立した根源的抑圧過程 ursprünglichen Verdrängungsvorganges を成人後に訂正し、欲動強度 Triebsteigerung という量的要素がもつ巨大な力の脅威に終止符を打つという仕事が、分析療法の本来の作業であるといえよう。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)



【翻訳・拘束の失敗】

固着(原抑圧)とは欲動興奮(身体的なもの)が心的なものに翻訳・拘束されないことである。

翻訳の失敗、これが臨床的に「抑圧」と呼ばれるものである。Die Versagung der Übersetzung, das ist das, was klinisch <Verdrängung> heisst.(フロイト、フリース書簡52、1896)
エスの内容の一部分は、エゴに取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳 Übersetzung に影響されず、正規の無意識としてエスのなかに置き残されたままzurückである。(フロイト『モーセと一神教』、1938年)
(心的装置による)拘束の失敗 Das Mißglücken dieser Bindung は、外傷神経症 traumatischen Neuroseに類似の障害を発生させることになろう。(フロイト『快原理の彼岸』5章、1920年)
人の発達史 Entwicklungsgeschichte der Person と人の心的装置 ihres psychischen Apparatesにおいて、…原初はすべてがエスであった Ursprünglich war ja alles Esのであり、自我Ichは、外界からの継続的な影響を通じてエスから発展してきたものである。このゆっくりとした発展のあいだに、エスの或る内容は前意識状態 vorbewussten Zustand に変わり、そうして自我の中に受け入れられた。他のものは エスの中で変わることなく、近づきがたいエスの核 dessen schwer zugänglicher Kern として置き残された 。(フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』草稿、死後出版1940年)



【身体的なものの置き残し】

身体的なものが心的なものに翻訳されないという意味は、身体的なものがエスのなかに置き残される(居残る)ということである。

・リビドーは、固着Fixierung によって、退行 Regression の道に誘い込まれる。リビドーは、固着を発達段階の或る点に置き残す(居残る zurückgelassen)のである。

・実際のところ、分析経験によって想定を余儀なくさせられることは、幼児期の純粋な出来事的経験 rein zufällige Erlebnisse が、リビドーの固着 Fixierungen der Libido を置き残す hinterlassen 傾向がある、ということである。(フロイト 『精神分析入門』 第23 章 「症状形成へ道 DIE WEGE DER SYMPTOMBILDUNG」、1917年)
・どの固有の欲動志向(性的志向 Sexualstrebung)においても、その或る部分は発達の、よ り初期の段階に置き残される(居残るzurückgeblieben)。他の部分が目的地に到達することがあってさえ。

・より初期の段階のある部分傾向 Partialstrebung の置き残し(滞留 Verbleiben)が、固着 Fixierung、欲動の固着 Fixierung (des Triebes nämlich)と呼ばれるものである。(フロイト『精神分析入門』第22 講)
・生において重要なリビドーの特徴は、その可動性である。すなわち、ひとつの対象から別の対象へと容易に移動する。これは、特定の対象へのリビドーの固着 Fixierung der Libido an bestimmte Objekteと対照的である。リビドーの固着は生涯を通して、しつこく持続する。

・母へのエロス的固着の残余は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への従属として存続する。Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. (フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)



【異物・残存物・残存現象】

固着によって置き残されたものは「異物」「残存物」「残存現象」等と呼ばれる。

通常、抑圧された欲動興奮 verdrängende Triebregung は分離 isoliert されたままでいる。これは、抑圧作用は自我の強さを示すものであるとともに、自我の無力さOhnmachtの証明であり、エスの欲動興奮 Triebregung des Es は影響を受けないことを証明するものである。…この欲動興奮は、いわば治外法権 Exterritorialität にある。……

われわれがずっと以前から信じている比喩では、症状をある異物 Fremdkörper とみなして、この異物としての症状 Symptom als einen Fremdkörper は、埋没した組織の中で、たえず刺激現象や反応現象を起こしつづけていると考えた。もっとも症状形成 Symptombildung によって、好ましからぬ欲動興奮 Triebregung にたいする防衛の闘い Abwehrkampf は終結してしまうこともある。われわれの見るかぎりでは、それはヒステリー的転換でいちばん可能なことだが、一般には異なった経過をとる。つまり、最初の抑圧作用 Akt der Verdrängung についで、ながながと終りのない余波がつづき、欲動興奮にたいする闘いは、症状にたいする闘いとなってつづくのである。

この二次的な防衛闘争 sekundäre Abwehrkampf においては、…自我は、症状の異質性Fremdheitと孤立性 Isolierung を取り除こうとするものと考えられる。daß das Ich auch versucht, die Fremdheit und Isolierung des Symptoms aufzuheben

…症状によって代理されるのは、内界にある自我の異郷 ichfremde 部分である。…ichfremde Stück der Innenwelt statt, das durch das Symptom repräsentiert wird (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年) 
忘却されたもの Vergessene は消滅 ausgelöscht されず、ただ「抑圧 verdrängt」されるだけである。その記憶痕跡 Erinnerungsspuren は、全き新鮮さのままで現存するが、対抗リビドー(対抗備給 Gegenbesetzungen)により分離されているのである。…それは無意識的であり、意識にはアクセス不能である。抑圧されたものの或る部分は、対抗過程をすり抜け、記憶にアクセス可能なものもある。だがそうであっても、異物 Fremdkörper のように分離 isoliert されいる。(フロイト『モーセと一神教』1939年)
トラウマ、ないしその記憶は、異物 Fremdkörper ーー体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子として効果を持つ異物のように作用する。(フロイト『ヒステリー研究』予備報告、1893年)
発達や変化に関して、残存現象 Resterscheinungen、つまり前段階の現象が部分的に置き残される Zurückbleiben という事態は、ほとんど常に認められるところである。…

いつでも以前のリビドー体制が新しいリビドー体制と並んで存続しつづける、そして正常なリビドー発達においてさえもその変化は完全に起こるものではないから、最終的に形成されおわったものの中にも、なお以前のリビドー固着 Libidofixierungen の残存物 Reste が保たれていることもありうる。…一度生れ出たものは執拗に自己を主張するのである。われわれはときによっては、原始時代のドラゴン Drachen der Urzeit wirklich は本当に死滅してしてしまったのだろうかと疑うことさえできよう。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937年)



【トラウマへのリビドー固着】

リビドーの固着は、トラウマへの固着とも呼ばれる。トラウマへのリビドー固着である。

われわれの研究が示すのは、神経症の現象 Phänomene(症状 Symptome)は、或る経験Erlebnissenと印象 Eindrücken の結果だという事である。したがってその経験と印象を「病因的トラウマ ätiologische Traumen」と見なす。…

(1) (a) このトラウマはすべて、五歳までに起こる。…二歳から四歳のあいだの時期が最も重要である。…

(b) 問題となる経験は、おおむね完全に忘却されている。記憶としてはアクセス不能で、幼児性健忘期 Periode der infantilen Amnesie の範囲内にある。その経験は、隠蔽記憶Deckerinnerungenとして知られる、いくつかの分離した記憶残滓 Erinnerungsresteへと通常は解体されている durchbrochen。

(c) 問題となる経験は、性的性質と攻撃的性質 sexueller und aggressiver Natur の印象に関係する。そしてまた疑いなく、初期の自我への傷 Schädigungen des Ichs である(ナルシシズム的屈辱 narzißtische Kränkungen)。…

この三つの点ーー、五歳までに起こった最初期の出来事 frühzeitliches Vorkommen 、忘却された性的・攻撃的内容ーーは密接に相互関連している。トラウマは 自身の身体への経験Erlebnisse am eigenen Körper もしくは感覚知覚 Sinneswahrnehmungenである。…

(2) …トラウマの影響は二種類ある。ポジ面とネガ面である。

ポジ面は、トラウマを再生させようとする Trauma wieder zur Geltung zu bringen 試み、すなわち忘却された経験の想起、よりよく言えば、トラウマを現実的なものにしようとするreal zu machen、トラウマを反復して新しく経験しようとする Wiederholung davon von neuem zu erleben ことである。さらに忘却された経験が、初期の情動的結びつきAffektbeziehung であるなら、誰かほかの人との類似的関係においてその情動的結びつきを復活させることである。

これらの尽力は「トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫Wiederholungszwang」の名の下に要約される。

これらは、標準的自我 normale Ich と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向 ständige Tendenzen desselbenをもっており、「不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。…

したがって幼児期に「現在は忘却されている過剰な母との結びつき übermäßiger, heute vergessener Mutterbindung 」を送った男は、生涯を通じて、彼を依存 abhängig させてくれ、世話をし支えてくれる nähren und erhalten 妻を求め続ける。初期幼児期に「性的誘惑の対象 Objekt einer sexuellen Verführung」にされた少女は、同様な攻撃を何度も繰り返して引き起こす後の性生活 Sexualleben へと導く。……

ネガ面の反応は逆の目標に従う。忘却されたトラウマは何も想起されず、何も反復されない。我々はこれを「防衛反応 Abwehrreaktionen」として要約できる。その基本的現れは、「回避 Vermeidungen」と呼ばれるもので、「制止 Hemmungen」と「恐怖症 Phobien」に収斂しうる。これらのネガ反応もまた、「個性刻印 Prägung des Charakters」に強く貢献している。

ネガ反応はポジ反応と同様に「トラウマへの固着 Fixierungen an das Trauma」である。それはただ「反対の傾向との固着Fixierungen mit entgegengesetzter Tendenz」という相違があるだけである。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)



【タナトスとは反復強迫のことである】

上に「トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫 Wiederholungszwang」とあった。この反復強迫こそタナトスの内実である。

フロイトは『快原理の彼岸』にて死の欲動概念を提出する前年にこう書いている。

心的無意識のうちには、欲動興奮 Triebregungen から生ずる反復強迫Wiederholungszwanges の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越 über das Lustprinzip するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。この内的反復強迫 inneren Wiederholungszwang を想起させるあらゆるものこそ、不気味なもの unheimlich として感知される。(フロイト『不気味なもの』1919年)


エロスとは原抑圧の引力である。

われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧 Verdrängungenは、後期抑圧 Nachdrängen の場合である。それは早期に起こった原抑圧 Urverdrängungen を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力 anziehenden Einfluß をあたえる。(フロイト『制止、症状、不安』第2章1926年)

この引力は融合欲動である。

エロスは接触 Berührung を求める。エロスは、自我と愛する対象との融合 Vereinigung をもとめ、両者のあいだの間隙 Raumgrenzen を廃棄(止揚Aufhebung)しようとする。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)

究極のエロスこそ「死」である。融合してしまえば主体は消滅するのだから。その引力に導かれつつも反撥してエロスの廻りを循環運動をすることこそがタナトスである。

融合が死であることはヨーロッパ共同体を想起すればよい。完全に融合してしまえば各国の死が訪れる。したがって融合を憧憬しつつも離反が生じる。

フロイトは最後まで死の欲動概念について彷徨った。最後まではっきりしたことは書いていない。だが核心のひとつは、死の枕元にあったとされる『精神分析概説』草稿における「引力と斥力」である。

長いあいだの躊躇いと揺れ動きの後、われわれは、ただ二つののみの根本欲動 Grundtriebe の存在を想定する決心をした。エロスと破壊欲動 den Eros und den Destruktionstrieb である。(⋯⋯)

エロスの目標は、より大きな統一 Einheiten を打ち立てること、そしてその統一を保つこと、要するに結び合わせる Bindung ことである。対照的に、タナトスの目標は、結合 Zusammenhänge を分離 aufzulösen(解体)すること、そして物 Dingeを破壊 zerstören することである。

生物学的機能において、二つの基本欲動は互いに反発 gegeneinander あるいは結合 kombinieren して作用する。食事という行為 Akt des Essens は、食物の取り入れ Einverleibung という最終目的のために対象を破壊 Zerstörungすることである。性行為 Sexualakt は、最も親密な結合 Vereinigung という目的をもつ攻撃性 Aggressionである。

この同化/反発化 Mit- und Gegeneinanderwirken という二つの基本欲動 Grundtriebe の相互作用は、生の現象のあらゆる多様化を引き起こす。二つの基本欲動のアナロジーは、非有機的なものを支配している引力と斥力 Anziehung und Abstossung という対立対にまで至る。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)



【身体の過剰度の興奮】

トラウマに戻ろう。

トラウマとは身体の過剰度の欲動興奮にかかわる。

外傷性神経症 traumatischen Neurose を起こす体験にさいして、外側の刺激保護壁Reizschutzがこわれて過剰度の興奮 übergroße Erregungsmengeが心的装置に入り込む。(フロイト『制止、症状、想起』7章、1926年)
・外部から来て、刺激保護壁Reizschutz を突破するほどの強力な興奮 ankommenden Erregungsgrößenを、われわれは外傷性のものと呼ぶ。外部にたいしては刺激保護壁があるので、外界からくる興奮量は小規模しか作用しないであろう。内部に対しては刺激保護は不可能である。

・刺激保護壁 Reizschutzes の防衛手段 Abwehrmittel を応用できるように、内部の興奮があたかも外部から作用したかのように取り扱う傾向が生まれる。これが病理的過程の原因として、大きな役割が注目されている投射Projektionである。

・通常の外傷性神経症 gemeine traumatische Neurose を、刺激保護のはなはだしい破綻の結果と解してみてもよいだろうと思う。(フロイト『快原理の彼岸』第4章)
経験が外傷的性質を獲得するのは唯一、量的要因の結果としてのみである。das Erlebnis den traumatischen Charakter nur infolge eines quantitativen Faktors erwirbt (フロイト『モーセと一神教』1939年)

ーー量的要因 quantitativen Faktors、すなわちQ要因である。


ここではポール・バーハウの簡潔な解説を掲げる。

フロイトにおいて、欲動の問題は最初から見出される。欲動概念が導入される以前のはるか昔からである。その当時のフロイトの全ての試みは「エネルギーの量的要因 Energiequantitäten Faktor」とそれに伴った刺激を把握することである。出発点から彼を悩ました臨床的かつ概念的問題のひとつは、内的緊張の高まり、つまり(『科学的心理学草稿 ENTWURF EINER PSYCHOLOGIE』1895 における)名高いQ要因(quantitativen Faktor)である。すなわちそれは身体内部から湧き起こるエネルギーの流体であり、人はそのQ要因から逃れ得ないことである。Q要因は応答を要求するのである(注)。

このQ要因(quantitativen Faktor)は欲動Triebの中核的性質である。すなわち圧力(衝迫 Drang)と興奮 (Erregung) である(『欲動とその運命』1915)。これは欲動の本来の名をを想起すれば明瞭である。独語TriebはTreiben (圧する)である。不快な興奮の集積として、Q要因は解除されなければならない。そしてその過程で数多くの厄介事が発生する。現勢神経症から神経精神病の発生まで。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe、ON BEING NORMAL AND OTHER DISORDERS、2004年)

上の文の注には、次のフロイト文が付されている。

心的機能において、なんらかの量 Quantität の性質を持っているもの(情動割当 Affektbetrag あるいは興奮量 Erregungs-summe)を識別しなければならないーーもっともそれを計量する手段はないがーー。その量とは、増加・減少・置換・放出 Vergrößerung, Verminderung, der Verschiebung und der Abfuhr が可能なものであり、電気的負荷が身体の表面に拡がるように記憶痕跡 Gedächtnisspuren の上に拡がるものである。(フロイト『防衛-神経精神病 DIE ABWEHR-NEUROPSYCHOSEN 』1894年)

フロイトは『ヒステリー研究 STUDIEN ÜBER HYSTERIE』1895年においても、「興奮の量 Quantität von Erregung」という表現を使いながら、トラウマ的要因を神経システムによっては十分には解消しえない「興奮増大 Erregungszuwachs」として定義している。この「興奮増大 Erregungszuwachs」を患者は意識から遠ざけようとする。そして、この「意識的になること不可能な表象 bewusstseinsunfähiger Vorstellungen」が病理コンプレクスの核である、と結論づけている。

身体の過剰度興奮に襲われれば、人は無力感を抱く。

経験された無力な状況(寄る辺なき状況 Situation von Hilflosigkeit )を外傷的 traumatische 状況と呼ぶ 。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)

天災・レイプ等の事故的トラウマとはこの寄る辺なさの経験である。それは幼児期の構造的トラウマ(身体の出来事)においても同様である。

外傷神経症 traumatischen Neurosen は、外傷的事故の瞬間への固着 Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles がその根に横たわっていることを明瞭に示している。

これらの患者はその夢のなかで、規則的に外傷的状況 traumatische Situation を反復するwiederholen。また分析の最中にヒステリー形式の発作hysteriforme Anfälle がおこる。このアタックによって、患者は外傷的状況のなかへの完全な移行 Versetzung に導かれる事をわれわれは見出す。

それは、まるでその外傷的状況を終えていず、処理されていない急を要する仕事にいまだに直面しているかのようである。…

この状況が我々に示しているのは、心的過程の経済論的 ökonomischen 観点である。事実、「外傷的」という用語は、経済論的な意味以外の何ものでもない。

我々は「外傷的(トラウマ的 traumatisch)」という語を次の経験に用いる。すなわち「外傷的」とは、短期間の間に刺激の増加が通常の仕方で処理したり解消したりできないほど強力なものとして心に現れ、エネルギーの作動の仕方に永久的な障害をきたす経験である。(フロイト『精神分析入門』18. Vorlesung. Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte、トラウマへの固着、無意識への固着 1916年)