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2018年12月16日日曜日

男女の症状

そうだな、おおむねこう図示できるんじゃないだろうか、だれもはっきりこう示している人は知らないが。



ま、とはいえあまり信用しないように、とくに症状区分については。

そもそも晩年のラカンにとっては神経症とは父の版の倒錯であったりして、なんでも倒錯なんだから。

倒錯とは、「父に向かうヴァージョン version vers le père」以外の何ものでもない。要するに、父とは症状である le père est un symptôme …これを「père-version」と書こう。(ラカン、S23、18 Novembre 1975)
結果として論理的に、最も標準的な異性愛の享楽は、父のヴァージョン père-version、すなわち倒錯的享楽 jouissance perverseの父の版と呼びうる。…エディプス的男性の標準的解決法、すなわちそれが父の版の倒錯である。(コレット・ソレール2009、Lacan, L'inconscient Réinventé)

ーーコレット・ソレールには「一般化倒錯」という概念があるが、これはミレール派の「一般化妄想」とほとんど同じ意味(参照)。 「人はみな妄想する」か、「人はみな倒錯する」か、このどちらかが晩年のラカン。ミレール自身、《すべての欲望は倒錯的である Tout désir est pervers》(L'Autre sans Autre、2013)と言っている。ようするに妄想と倒錯は似たようなもの。どちらも固着による穴(《身体は穴である》[参照])あるいは《母の欲望=原穴の名 le nom du premier trou》(ソレール) に対する穴埋め。

「父との同一化」と「母との同一化」については、「マザコンとナルコンの対決」、ゲイにおける「母との同一化」については、「男性の同性愛における母との同一化」で見たので繰り返さない。基本的には女性一般とゲイとは、フロイト観点では、母との同一化仲間である。

倒錯と精神病が母への固着をしたままだというのは、次の観点に準拠している。

倒錯者は自らを大他者の享楽の道具に転じるだけではない。彼また、この他者を自身の享楽に都合のよい規則システムに従わせる。

倒錯者の不安は、しばしばエディプス不安、つまり去勢を施そうとする父についての不安として解釈されるが、これは間違っている。不安は、母なる超自我にかかわる。彼を支配しているのは最初の大他者である。そして倒錯者のシナリオは、明らかにこの状況の反転を狙っている。

これが、「父の」超自我を基盤とした行動療法が通常、失敗してしまう主要な理由である。それらは見当違いであり、倒錯者の母なる超自我へと呼びかけていない。不安は、はるかな底に横たわっており、大他者に貪り食われるという精神病的な不安に近似している。父の法の押しつけに対する反作用は、しばしば攻撃性発露である。(When psychoanalysis meets Law and Evil: perversion and psychopathy in the forensic clinic Jochem Willemsen and Paul Verhaeghe  2010)

母なる超自我は、S(Ⱥ)と書かれ、固着(母への固着)も同様にS(Ⱥ)と書かれる[参照]。したがって、倒錯者と精神病者は、原初には誰にでもある母への固着がその後の人生でも継続したままで生きている症状者である、と基本的には言える(ラカン派における「症状のない主体はない」の意味は、「母への固着のない主体はない」ということ)。もっとも倒錯も精神病も固着(原症状=サントーム)に対するなんらかの防衛手段はある。

ようするに「父の機能」が十分には機能していないのが倒錯・精神病である。

エディプスコンプレックスにおける父の機能 La fonction du père とは、他のシニフィアンの代わりを務めるシニフィアンである…他のシニフィアンとは、象徴化を導入する最初のシニフィアン(原シニフィアン)premier signifiant introduit dans la symbolisation、母なるシニフィアン le signifiant maternel である。……「父」はその代理シニフィアンであるle père est un signifiant substitué à un autre signifiant。(Lacan, S5, 15 Janvier 1958)

より専門的にいえば、「父」が機能していないとは、父の名の排除ではなく、S2の排除である[参照]。

神経症においては、S1 はS1-S2のペアによる無意識にて秩序づけられている。ジャック=アラン・ミレール は強調している。(精神病における)父の名の排除 la forclusion du Nom-du-Pèreは、このS2の排除 la forclusion de ce S2 と翻訳されうる、と。(De la clinique œdipienne à la clinique borroméenne Paloma Blanco Díaz ,2018, pdf)

このあたりは最近強調されるようになったばかりなのでやや難解。ここでは基本的な話のみに限っている。

母との固着が想像的同一化にかかわるのは次の意味である。

倒錯のすべての問題は、子供が母との関係ーー子供の生物学的依存ではなく、母の愛への依存 dépendance、すなわち母の欲望への欲望によって構成される関係--において、母の欲望の想像的対象 (想像的ファルス)と同一化 s'identifie à l'objet imaginaire することにある。(ラカン、エクリ、E554、摘要訳、1956年)
倒錯 perversion とは…大他者の享楽の道具 instrument de la jouissance de l'Autre になることである。(ラカン、E823、1960年)
倒錯者は、大他者の中の穴をコルク栓で埋めることに自ら奉仕する le pervers est celui qui se consacre à boucher ce trou dans l'Autre, (ラカン、S16, 26 Mars 1969)

繰り返し強調しておくが、冒頭の図はおおむねああいえるだろうというだけで、例外はあまたある。だからあまり信用しないように。