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2017年10月3日火曜日

恋なるもののもっとも堅固な部分

数日前はじめて出会ったのだが、ロッテ・レーマンの「愛する思い "Ich liebe dich,..."」はこよなく美しい。

このYoutube映像は、貼り付け不可になっているが → Lotte Lehmann, Beethoven: Ich liebe dich (Victor, 1936)

この曲は、わたくしにとってとても痛切な記憶にかかわるのである。ディスカウやその他もろもろの歌手たちではいけない。あのときのわたくしの情感とはまったく懸け離れている。それに反して、ロッテ・レーマンの歌唱はあの14歳時のアツく迸る記憶にじつにピッタリとくる。

すこしまえシュワルツコフ/グールドの「あしたには Morgen」を貼り付けたが、今聴き比べてみると、これまたロッテ・レーマンの歌唱のほうに遥かに魅せられる。





ーーなんという果てしない憧憬の、切実かつ情動的な歌声。手に届かないものに手を伸ばそうとするあの少年の悲哀が痛切に蘇ってくる。記憶が音楽に変わるのか、それとも音楽が記憶に変わるのか判然としない・・・

…………

わたくしは冒頭に掲げたベートーヴェンの「愛する思いは 朝夕たえず……」を、中学生時代の最後の音楽の時間に歌った(自分の好きな曲を自由に演奏するという課題だった)。

わたくしの一世一代の歌唱である。歌い終わったあと、クラスでは、三秒ぐらいの静寂がおとずれたほどであった・・・あのくらい歌を「魂をこめて」歌ったことは他にはない。

もちろんあの「愛する思い」とは、実は「ヤリたい思いは 朝夕たえず……」であったかもしれぬが・・・

ひどい恋に陥っていた。当時は、《朝礼で整列している時に、隣りにいるまぶしいばかりの少女に少年が覚えるような羞恥と憧憬と、近しさと距離との同時感覚》(中井久夫)はとうに過ぎ去っていた。

学校帰りの途中にかなりの広さの庭園をもった廃屋がありーーおそらく五百坪近くあったーー、錆びた鉄門を開けてしばしばあの少女と入り込んだ。接吻ぐらいはした、《抱きしめあうことにもなった。吾良は勃起を感じとらせぬよう腰を引く配慮をするどころか、……むしろ相手の下腹やら腿やらをそいつで押しまくってやった》(大江健三郎『取り替え子』)という風だったかどうかは失念した・・・だが学生ズボン越しにわが灼銅製のバナナが、少女の太腿かどこかにグリグリとあたるのを避けようなどとは思わなかったのは確かである。少女があのタマとしての身体(タマとは折口信夫のいう意味である)の脈打つ強度(これももちろんクロソウスキー=ニーチェの強度の波動としてのタマ Stimmung である)に目を瞠り、互に沈黙したまま、上気した顔を見合せることが何度もあった・・・

いま唐突に思いだしたが、後ろから抱きしめることもしばしばあったので、グリグリお尻も多かった(イヤ何故忘レテイタノカ? それがむしろ奇妙である)。夢のなかでは次のような光景が何度も現れたのに・・・




いやそれだけではない。とはいえ、あの乙女の神秘の奥処に魂の強度を差し入れるなどという下品なことは思いもよらなかった(筈デアル)。14歳の少年は純粋だったのである・・・せいぜい次の程度の夢である。




何はともあれ、夢のなかでさえ《鋭い欲情に放電しているもので、彼女の内部に深く触れはしなかった》(金井美恵子『くずれる水』)。ただし常なる間歇的なしたたりはあったのである・・・

私はいまも思いだす、そのときの暑かった天気を、そんな日なたで給仕に立ちはたらいている農園のギャルソンたちの額から、汗のしずくが、まるでタンクの水のように、まっすぐに、規則正しく、間歇的にしたたっていて、近くの「果樹園」で木から離れる熟れた果物と、交互に落ちていたのを。そのときの天候は、かくされた女のもつあの神秘とともに、こんにちまでもまだ私に残っている、――その神秘は、私のためにいまもさしだされている恋なるもののもっとも堅固な部分なのだ。(プルースト「ソドムとゴモラⅠ」)

ある時、人が入り込んでくる気配があり、二人して隣家に面した裏の塀をよじのぼり、逃げたことがある。そのとき少女のお尻をセーラー服のスカート越しに押し上げて彼女の手助けをした。イヤ、モチロンソレダケデハナイ・・・乙女ノ太腿ノ感触ダッテコノ今デサエ残ッテイル・・・忘我の瞬間があったのである。眩暈をもたらす匂いの記憶もあるのだが何のニオヒであるかははっきりしない・・・抱きしめ合ったときの、うなじや腋臭の、さわやかな酸味をまじえた仄かなかおりとは、やや異なるニオヒではあった・・・

ナオミさんが先頭で乗り込む。鉄パイプのタラップを二段ずつあがるナオミさんの、膝からぐっと太くなる腿の奥に、半透明な布をまといつかせ性器のぼってりした肉ひだが睾丸のようにつき出しているのが見えた。地面からの照りかえしも強い、熱帯の晴れわたった高い空のもと、僕の頭はクラクラした。(大江健三郎「グルート島のレントゲン画法」『いかに木を殺すか』所収)



《戀びとよ/すえた菊のにほひを嗅ぐやうに/私は嗅ぐ……》(「薄暮の部屋」)、《白菊の花のくさつたやうに/ほのかに神祕なにほひをたたふ》(「夢」)

するどく指をとがらして、
菊をつまむとねがふより、
その菊をばつむことなかれとて、
かがやく天の一方に、
菊は病み、
饐えたる菊はいたみたる。

ーー萩原朔太郎「すえたる菊」


これこそわたくしの《いまもさしだされている恋なるもののもっとも堅固な部分》なのである。

それでも憧憬の念の止まぬものなら、愛を生きた女たちのことを歌うがよい。(リルケ『ドゥイノの悲歌』)

ーーとはいえ真の愛を生きたのはあの少年だけだった・・・

もっともこの記憶映像の先の、わたくしの発達段階の先史時代(三歳以前)に、スタンダール的出来事がなかったなどと否定するつもりはない。

私の母、アンリエット・ガニョン夫人は魅力的な女性で、私は母に恋していた。 急いでつけくわえるが、私は七つのときに母を失ったのだ。(……)

ある夜、なにかの偶然で私は彼女の寝室の床の上にじかに、布団を敷いてその上に寝かされていたのだが、この雌鹿のように活発で軽快な女は自分のベッドのところへ早く行こうとして私の布団の上を跳び越えた。(スタンダール『アンリ・ブリュラールの生涯』)

わたくしのアンリエット・ガニョン夫人は、手入れがいささか悪かったせいなのか、チーズ臭がしたが、わたくしは今でもひどく臭うチーズが大好物である。

…………

ロッテ・レーマンは、ひょっとしてワーグナーの「愛と死」を歌わせたら、キルステン・フラグスタートと同じくらい美しいのではなかろうか。そう思い、彼女のものをはじめて聴いてみた。

わたくしはワーグナーをほとんど聴かないが、『 ジークフリート牧歌 Siegfried Idyll』とこの「愛の死 Liebestod」だけはそれなりの頻度で聴く。

『ジークフリート牧歌』は名高いチェビリダッケのものではなく、「室内楽」のようであるショルティでなければならない(ニーチェが愛した清澄さを求めるためである)。

またキルステン・フラグスタートの「愛と死」は後年のフルトヴェングラーの指揮のものより、1936年版を格段に好む(Kirsten Flagstad - Liebestod - 1936)。実に崇高である。冒頭ちかくの、スカンション、セミコロン、ダッシュの渦巻く力とでもいうべき歌い方に途轍もなく痺れてしまう。これがフルトヴェングラー版にはないのである。

ロッテ・レーマンはフラグスタートにくらべて、崇高さはやや劣っているかもしれない(イヤイヤ、ソンナコトハナイ・・・)。だが仮にそうであっても、この際、許容しなくてはならない。あの14歳の少年にも崇高さはいささか欠けていたはずだから(そもそもすえた菊のにほひと崇高さはやや相性がわるいのである)。

◆Lotte Lehmann "Isolde's Liebestod" Wagner