2018年2月11日日曜日

母への愛に忠実な同性愛者


フロイトの『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出』(1910年)には、「男の同性愛者は母への愛に忠実な者」という意味合いのことが書かれている。もちろんすべての男性同性愛者に当てはまるわけではないだろうが。

思えば、わたくしは同性愛者の作家に魅せられている。それほど多くの作家の作品を読んでいるわけではないので偶然なのかもしれないが、プルースト、ロラン・バルトがとりわけ好んで読む作家であるのは間違いない。ほかにもジャン・ジュネの『泥棒日記』に強く魅せられるのは、母への忠誠の匂いがしてくるせいではないか、と思いを馳せてみる。

もしその頃わたしの母にめぐり会っていたならば、そして彼女がわたしよりもさらに卑しい境涯にあったならば、わたしは彼女と共に上昇をーーもっとも、言語の一般の慣例ではこのかわりに堕落その他いずれにしろ下へ向う運動を表わす言葉を用いることを要求するらしいが、――困難な、苦しい、汚辱へと導く上昇を懸命に遂行しただろう、わたしは彼女と共にこの冒険に従事し、そしれそれを書き記しただろう、最も卑しい言葉――それが表現する行為の点で、あるいは辞句そのものとして、――最も卑しい言葉を愛によって光輝あらしめるために。(ジャン・ジュネ『泥棒日記』)

だがいまはその話ではない。

ここでは「男の同性愛者は母への愛に忠実な者」をめぐるフロイトの100年前の叙述を抜き出すことが目的である。おそらく21世紀のポリティカルコレクトネスの時代には、人によっては抵抗がある記述もあるだろうが、その箇所も文脈上あわせて引用する。


【同性愛者における母への強いエロス的結びつき】
われわれが調査したすべての同性愛者には、当人が後でまったく忘れてしまったごく早い幼年期に、女性にたいする、概して母にたいする非常に激しいエロス的結びつき erotische Bindung があった、ーー母親自身の過剰な優しさ Überzärtlichkeit によって呼び醒まされたり、あるいは助長させられたりして、さらにはまた幼児の生活中に父親があまり出てこないということによって。

サードガーの主張するところでは、彼の扱った同性愛患者たちの母親は、しばしば男まさりの女であった。つまり精力的な性格の女たちで、亭主を尻に敷いてしまうような女たちだったという。私も往々同様のことを観察した。しかしそれよりも強い印象をうけたのは、父親が最初からいなかったとか、早くいなくなってしまうかして、その結果、男の子がもっぱら女性の影響 weiblichen Einfluß ばかりを受けたような事例である。もし力強い父親 starken Vaters がいたならば、息子は異なったジェンダー entgegengesetzte Geschlecht の対象選択 Objektwahl という正しい決定 richtige Entscheidung をしていただろうと思われるのである。(フロイト『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出』1910)




【母との同一化によって自分自身の代理者を愛する同性愛者】
さて、この予備段階の後に一つの変化が起こる。この変化の機制はわれわれにはわかっているが、その原因となった力はまだわかっていない。

母親への愛は子供のそれ以後の意識的な発展と歩みをともにしない。それは抑圧の手中に陥る。子供は自分自身を母の位置に置き、母と同一化 Mutter identifiziert し、彼自身をモデルVorbildにして、そのモデルに似た者から新しい愛の対象を選ぶことによって、彼は母親への愛を抑圧する verdrängt die Liebe zur Mutter。このようにして彼は同性愛者になる。

いや実際には、彼はふたたび自己愛 Autoerotismus に落ちこんだというべきであろう。というのは、いまや成長した彼が愛している少年たちとは結局、幼年期の彼自身ーー彼の母親が愛したあの少年ーーの代理 Ersatzpersonenであり更新 Erneuerungen に他ならないのだから。

言わば少年は、愛の対象Liebesobjekteをナルシシズムの道 Wege des Narzißmusの途上で見出したのである。ギリシア神話は、鏡に写る自分自身の姿以外の何物も気に入らなかった若者、そして同じ名の美しい花に姿を変えられてしまった若者をナルキッソスNarzissusと呼んでいる。(フロイト『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出』1910)

ーー《母との同一化は、母との結びつきの代替となりうる。Die Mutteridentifizierung kann nun die Mutterbindung ablösen.》(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)




【母への忠誠者としての同性愛者】
心理学的にさらに究明してゆくと、このようにして同性愛者となった者は、無意識裡に自分の母の記憶映像に固着 Erinnerungsbild seiner Mutter fixiert したままである、という主張が正当化される。母への愛を抑圧(放逐)することによって彼はこの愛を無意識裡に保存し、こうしてそれ以後つねに母に忠誠 der Mutter treu な者となる。

彼が恋人としては少年のあとを追い廻しているように見えても、じつは彼はそうすることによって、彼を不忠誠にしうる他の女たち anderen Frauen davon, die ihn untreu machen könnten から逃げ廻っているのである。

われわれはまた直接個々の場合を観察した結果、一見男の魅力しか感じない者も本当は標準的な男性と同様、女の魅力のとりこになる daß der scheinbar nur für männlichen Reiz Empfängliche in Wahrheit der Anziehung, die vom Weibe ausgeht, unterliegt wie ein Normaler ことを証明しえた。しかし彼はそのつど急いで、女から受けた興奮を男の対象に移し、かくしてたえず、彼がかつて同性愛を獲得したあの機制を繰り返すのである。aber er beeilt sich jedesmal, die vom Weibe empfangene Erregung auf ein männliches Objekt zu überschreiben, und wiederholt auf solche Weise immer wieder den Mechanismus, durch den er seine Homosexualität erworben hat. (フロイト『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出』1910年)