2019年6月22日土曜日

新しい灯台

インドソケイが一本死んでしまった。もう一本も元気がない。前庭中央の樹齢二百年以上と言われるガジュマルの巨木が十メートル以上伸ばした大枝の陰になって陽当たりが悪く水膨れしたせいだ。もともと水はけの悪さと陽当たりの悪さにひどく弱い木。植木屋を呼んで二日がかりでガジュマルの枝を切り払い、まだ死んでいないもう一本のプルメリアを裏庭の日の当たる場所に植え替えた。数週間前のことだ。この木も樹齢百年以上と言われるが、成長の遅い木で八人の人夫によって無事移動できた。枝はすべて切り落としたので目の高さから二股に分かれている幹だけの三メートルほどの裸の姿。象皮のような肌をもったゴツゴツしたうねりある形で、天を覆う巨木の傍で小さくなっていた姿とは見違えるほど雄々しい。

今日見ると幹先からもう芽が出ている。しっかり生きてくれていた。ふくふくとした白い花が咲くにはまだ一年ぐらいかかるだろうが、この土地に二十二年前移って来たとき、最初に見惚れた樹種であり、庭にはほかに六本あるのだが樹幹の姿はこの木が一番美しい。この三週間ほど毎日肌を撫でていた。

で、何が言いたいかというと、新しく木を植え替えてその成長を待つのがこんなに楽しみなのは十年ぶりぐらいだな、と言うことだ。


新しい家はきらいである
古い家で生れて育ったせいかもしれない
死者とともにする食卓もなければ
有情群類の発生する空間もない
「梨の木が裂けた」
と詩に書いたのは
たしか二十年まえのことである
新しい家のちいさな土に
また梨の木を植えた
朝 水をやるのがぼくの仕事である
せめて梨の木の内部に
死を育てたいのだ
夜はヴィクトリア朝期のポルノグラフィを読む
「未来にいかなる幻想ももたぬ」
というのがぼくの唯一の幻想だが
そのとき光るのである
ぼくの部屋の窓から四〇キロ離れた水平線上
大島の灯台の光りが
十三秒間隔に

ーー田村隆一「十三秒間隔の光り」


残念ながら書斎の窓から灯台はまったく見えないけれど、あのプルメリアだっていいさ。濃緑の葉叢のあいだからあの清らかな白い花が咲き匂うのを待つというのも別の新しい灯台さ。





自慢じゃないが、幹はこれよりももっと艶々なめらかで、同じ象皮だってもっと高貴な象の皮膚だ。


あの花が見事に咲き乱れる姿は、なぜかバッハの結婚カンタータの冒頭のアリアとセットになってる。そしていままでいろいろ聴いてみたが、今もって静謐さの感覚を最も強く与えてくれるArleen Augérの歌唱が一番。