2019年7月4日木曜日

すべてを初めからやりなおすべき

「自閉症」という語をこのところ何度か口に出していながら、DSM5の自閉症というのに完全な無知だったのだけれど、これでいいのかな→「Autism」(Tom McIntyre, Ph.D. 2018)

とてもわかりやすい図が示されているので拾ったのだけれど。







日本語文献でも拾ってみたけど、簡略して言えばこういうことらしい。




こういうのを眺めていると思いだしちゃったよ。

マゾッホを一行でも読んでみれば、彼の世界がサドの世界とまったく無縁のものだとすぐに感知できる。(……)問題視されているのは、サド=マゾヒスムと呼ばれる単位性そのものなのだ。医学には、徴候群 syndromesと症状 symptômes の区別がある。すなわち症状とは、一つの疾患の特徴的な符牒 signes spécifiques d'une maladieであるが、徴候群とは、遭遇または交叉からなる幾つかの単位であり、大そう異質な因果系統や可変的なコンテキストとの関係を明らかにする。…われわれはサディストとマゾヒストが同一者であるという言葉を聞かされすぎてきた。ついにそれを信ずるまでに至ってしまったのである。すべてを始めからやりなおさなければならない。(ドゥルーズ『マゾッホとサド』蓮實重彦訳ーーただし「症候 symptômes」を「症状」に変更)

シンドロームだよな、自閉症スペクトラム障害って。すべてを始めからやりなおしたほうがいいんじゃないかね。

たとえばこんなことをマガオで言っている精神科医がいるけどさ(まだ若そうだから名前をあげないでおくけど)。

全例把握できているわけではないが、メディアで報道される目立つ事件で、ひきこもり状態にあるものの犯罪は、知る限りすべて自閉スペクトラム症の疑いがある。

ーーあんな診断基準で自閉症スペクトラム障害のレッテル貼られて、おまえあぶないぜってわけかい?

たぶん「自閉症」だけじゃないのだろうけどね。

で、DSM (精神障害の診断・統計マニュアル)ってのをお釈迦にしたらどうだろ?

医学・精神医学をマニュアル化し、プログラム化された医学を推進することによって科学の外見をよそおわせるのは患者の犠牲において医学を簡略化し、疑似科学化したにすぎない。(中井久夫「医学・精神医学・精神療法とは何か」2002年)

なんで精神科医って反DSMのデモおこさないんだろ? 

精神医学診断における新しいバイブルとしての DSM(精神障害の診断と統計の手引き)…。このDSM の問題は、科学的観点からは、たんなるゴミ屑だということだ。あらゆる努力にもかかわらず、DSM は科学的たぶらかしに過ぎない。…奇妙なのは、このことは一般的に知られているのに、それほど多くの反応を引き起こしていないことである。われわれの誰もが、あたかも王様は裸であることを知らないかのように、DSM に依拠し続けている。(⋯⋯)

DSMの診断は、もっぱら客観的観察を基礎とされなければならない。概念駆動診断conceptually-driven diagnosis は問題外である。結果として、どのDSM診断も、観察された振舞いがノーマルか否かを決めるために、社会的規範を拠り所にしなければならない。つまり、異常 ab – normal という概念は文字通り理解されなければならない。すなわち、それは社会規範に従っていないということだ。したがって、この種の診断に従う治療は、ただ一つの目的を持つ。それは、患者の悪い症状を治療し、規範に従う「立派な」市民に変えるということだ。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, Chronicle of a death foretold”: the end of psychotherapy, 2007)

ま、たぶん薬物療法に専念してんだろうがね。

現在の米国の有様を見れば、精神病の精神療法は、医師の手を離れて看護師、臨床心理士の手に移り、医師はもっぱら薬物療法を行っている。わが国もその跡を追うかもしれない。すでに精神療法を学ぼうという人たちの多くは、医師よりも臨床心理士ではないだろうか。(中井久夫「統合失調症の精神療法」1989年)