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| Robert Mapplethorpe |
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すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に徹えるほど匂った。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。(夏目漱石『夢十夜』1908年) |
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匂いのつよいテッポーユリの/全開期(〈内的な恋唄〉)
鉄砲ユリの奥は深く(〈三重奏〉)
筒深い百合の花が咲く(〈メデアム・夢見る家族〉)
真鍮の棒で砕かれる(〈崑崙〉)
ーー吉岡実
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強かろうと弱かろうと、重かろうと軽かろうと、ユリ科植物の香りは、自然の中でもっとも暗示に富み、もっとも心惑わせる。海百合と呼ばれるパンクラスから貴重なバラ色のアマリリスまで、池に咲く百合であるヒヤシンスから、インカ百合、聖ヨハネの百合、聖ヤコブの百合、スーラの百合、マルタゴン・リリーそして野生の百合にいたるまで、用心深い人びとは寝室からそれらを遠ざけるが、それらすべては女性に、そして女性の奥深い親密さ[ l'intimité profonde de la femme] に結びつき、どれほどの甘美さを凝集していることか。 |
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Forts ou faibles, lourds ou légers, les parfums des liliacées sont les plus suggestifs et les plus troublants qui soient dans la nature. Du pancrace, dit aussi lis de mer, à la précieuse amaryllis rose, du narcisse au lis d'étang, au lis des Incas, au lis de Saint Jean et à celui de Saint Jacques, au lis de Surate, à l'altier lis martagon et au lis des champs que les gens prudents retirent des chambres où l'on va dormir, quelle foison de suavités, liées toutes à la femme et à l'intimité profonde de la femme. |
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(アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ, Liliacées langoureuses aux parfums d'Arabie: Photographies de Irina Ionesco, préface de André Pieyre de Mandiargues,Chêne, 1974) |
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においを嗅ぐ悦[Riechlust]のうちには、さまざまの傾向が混じり合っているが、そのうちには、下等なものへの昔からの憧れ、周りをとり巻く自然との、土と泥との、直接的合一への憧れが生き残っている。対象化することなしに魅せられるにおいを嗅ぐという働きは、あらゆる感性の特徴について、もっとも感覚的には、自分を失い他人と同化しようとする衝動について、証するものである。だからこそにおいを嗅ぐことは、知覚の対象と同時に作用であり――両者は実際の行為のうちでは一つになる――、他の感覚よりは多くを表現する。見ることにおいては、人は人であることにとどまっているが、嗅ぐことにおいて、人は消えてしまう。だから文明にとって嗅覚は恥辱であり、社会的に低い階層、少数民族と卑しい動物たちの特徴という意味を持つ。文明人にはそういう悦[Lust]に身をまかせることは許されないのだ。その根絶が確実である場合に限り、この忌避される欲動[Trieb]にふけることが許されるのだ。 |
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In den vieldeutigen Neigungen der Riechlust lebt die alte Sehnsucht nach dem Unteren fort, nach der unmittelbaren Vereinigung mit umgebender Natur, mit Erde und Schlamm. Von allen Sinnen zeugt der Akt des Reichens, das angezogen wird, ohne zu vergegenständlichen, am sinnlichsten von dem Drang, ans andere sich zu verlieren und gleich zu werden. Darum ist Geruch, als Wahrnehmung wie als Wahrgenommenes - beide werden eins im Vollzug - mehr Ausdruck als andere Sinne. Im Sehen bleibt man, wer man ist, im Riechen geht man auf. So gilt der Zivilisation Geruch als Schmach, als Zeichen niederer sozialer Schichten, minderer Rassen und unedler Tiere. Dem Zivilisierten ist Hingabe an solche Lust nur gestattet, wenn das Verbot durch Rationalisierung im Dienst wirklich oder scheinbar praktischer Zwecke suspendiert wird. Man darf dem verpönten Trieb frönen, wenn außer Zweifel steht, daß es seiner Ausrottung gilt. |
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(アドルノ&ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』第5章、1947年) |
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内的な恋唄 吉岡実 1967年
殺人者のすきなストロベリージュース
とても赤くって
ガラスの器へ注がれる!
注がれる魂の花文字
きみたちが死ぬのが喜ばしい
かれらの停電の電車の函詰の墓が
しなやかにきみたちと
だき合って悩ましい夜!
エレベーターの上で
少女を絞め殺すべき契約を欲する
ストローでかきまわすんだ
うすめられて行く
夕焼の空のストロベリージュースを
きみの母の血でなければ
かれらの妹の植物化した直腸の液
ぼくは殺人者で
死にたがっている猫
電子オルガンが鳴っている午後を
黄金の肛門から出る水子
ぼくが水子で
きみたちが多淫な猫の腹と子宮
かれらが爆弾をはれつさせるんだ
氷の上へ
ソーセージの工場へ
ぼくの父の麻薬の舌の下へ
ぼくの弟は痴漢で冬のさびしい森を行く
《そこにはたくさんの女がいる》
眼をふせよ!
あらゆる建築物の裏側で
すべる砂のひびきが聞えるんだ
うずまくデコレーションケーキ
女騎手の咽喉がつまる
きみらのラッパ状の管もつまる
タイルの浴室へ
あふれるサンゴ樹
あふれる兵隊の星
ドラムを叩いてよ! 夏の夜を
飛ぶフォーク
食肉
匂いのつよいテッポーユリ
の全開期
ぼくが殺した運転手
きみらが殺した服飾デザイナー
かれらが殺したミス・シナ
テーブルの円をまわり
沈んでくる秋の霧
自然な状態で上むくスプーン
とじられる唇
映画のフイルムのなかで
とじられる独裁者の
手術の巨大な胃袋の傷
時間をかけて
溶かされて行く
女への愛 樹木への愛
交尾する犬への愛
蛮国への物質的な血の愛
今夜十時から臨時ニュースがある
ぼくが殺人者になった
喜ばしい食事時だ
水を吸いあげる母の涙の魚
ナット・キングコールの唄
教会音楽風な
神秘なブルー一色の
矢印の緑の一日
ぼくの不倫がつくる
麦畑へ
きみたちが火事をみちびく
ついでにけしの畑まで
灯る人家を焼き
密通した人妻の
幼女のマヌカンをぼくは抱くだろう?
糸杉の狂える夜ごと夜ごとを
きみがぼくを殺しにくる
ささやく泡のながれのなかから
ストロベリージュースの
甘い鼻の上
ソファーの灰色をけばだて
かれらがきみらを殺しにくる
ぼくの便秘が
きみたちの空腹へ通ずる朝まだき
かれらの石油くさい岸から
他国へながれでる河とニワトリ
子供は育ってはいけない
むしろ生れてはなお罰せられるんだ
妻が夫をうけ入れるとき
花火が凍る
闇の空
夜それとも真昼
ぼくらの終りの合図?
水時計のうごく水
漂う秒計
唐草模様のうごく枯葉
ぼくは気も狂わないで生きている
きみたち・かれらも
ガラスの器のうごく蜜のように
恋する絵 吉岡実 1967年
造る生活
造られる花のスミレ
ばらまかれたあるものをはさむ
洗濯バサミ・洗濯バサミ
それは夜の続きで
水中の泡の上昇するのを観察する
恋する丈高い魚
白いタイルの上では
考えられない黒人たち
その歯のなかの蜂
雨ふる麻
ぼくがクワイがすきだといったら
ひとりの少女が笑った
それはぼくが二十才のとき
死なせたシナの少女に似ている
肥えると同時にやせる蝶
ひろがると同時につぼまる網
ごぞんじですか?
ぼくの想像妊娠美
海へすすんで行く屍体
造られた塩と罪の清潔感!
幼時から風呂がきらいだ
自然な状態で
ぼくの絵を見ませんか?
病気の子供の首から下のない
汎性愛的な夜のなかの
日の出を
ブルーの空がつつむ
コルクの木のながい林の道を
雨傘さしたシナの母娘
美しい脚を四つたらして行く
下からまる見え
そこで停る
東洋のさざなみ
これこそうすももいろの絵
うすももいろのビンやウニ
うすももいろのミミ
すすめ龍騎兵!
うすももいろの
矢印の右往左往する
火薬庫から浴室まである
恋する絵
三重奏 吉岡実 1969年
わたしは自分の描いた絵を
見てもらいたいので
女友だちを家につれてくる
その女友だちはバカにして笑つた
わたしの絵は観測というものでなく
むしろ昆虫群
わたしは女友だちに絵の構造を説明すべく
本物を見せる
それはピンクの長方形
やわらかくなると同時に
寒ざむとキララ色の袋に収まる
その繩文模様
この夜のムーヴマン
だから愛とは熱く
油絵具のなかにたむろして
出る骨をくるむ
女友だちは絵よりも蝋化した
観念がすきだといつて
わたしのベッドを塗り変える
それがヴァイオレットなら
ヴァイオレットの乳房
鉄の歯のようなものを
によきによき生やす
絵としてわたしが描いた心
低い空でも処女は犯せるか!
鉄砲ユリの奥は深く
わたしの絵はぬれることを知らない
表面というものがない
闇を所有しているわけでもないから
すくなくともわたしには持ち歩くことができる
おそらく女友だちには
それはできぬだろう
絵のなかの馬がそれを拒む
母が息子を拒み
息子が父を拒み
サボテンが露を拒むように板の下を
日と河がながれる
わたしは淋しいことは絵に告げ
死にたいときは
絵のうしろを歩く
そのときはきまつて
暴風雨がくる
女友だちは明日は帰つてゆくだろう
彼女の行手に立ちはだかる
わたしの絵のなかの森の道へ
女友だちが手をひく
娘のような妹は悪霊だな!
こちらをふりかえつて
鼻血をたらす
わたしは便所へかけこみたい感じだ
彼女たちの前で
なぜわたしの描いたものを絵といつたのか!
それはすみからすみまで肉化
されたものであつて
輝やくバクテリアではなかつたか?
細い管と太い管で編まれた
長い長い人生のトンネルかもしれず
光学的には暗く
建築的にはもろく
自然的にも不自然で赤く
わたしが無意識的に模倣している
女友だちのこれから
作りつつある再生芸術だろうか?
彼女たちが午餐をすませて
水着で泳ぐのを
わたしは見に行くんだ
女友だちの娘のような妹の
孕んだ腹を裂くよ
夏とはそんな一日であることを
感謝しながら
みずみずしい帚を買つてくる
メデアム・夢見る家族 吉岡実 1974年
わが家族はつどい来る
その紅蓮地獄の内部を見よ
エーテルはとどこおり
寒冷でもなく白熱でもなく
それでいてあらゆる肉は焼き上る
メデアム
はるかなる星の光が届く
黒いシジミの水桶へ
その中間に
仮想物質がびまんし
波の形をした死者が泳ぐ
メデアム
わたしはなつかしき故郷の納屋にねて
ながながと語る
何から何まで
形而上の問題になる
ふかふかした物体の上に
寝ることの大切なことを群衆に説き
足の方から
モーブ色のスリッパをぬいで
地上に落とす
自然の葉の茂る泉のほとり
わが父は燕尾服のまま横たわる
死のためでなく
生きるために
種子を保存する
メデアム
亀裂せる妹の腹を越え
やがて翼をつけた砲身のように飛ぶ
仮想敵がいるようだ
母は魂の全一性を支えて
いる針金のようなもの
空はあくまでも青く
「美神の絞殺」は行われているんだ
入子風ボートに乗って
いそいそ葬式にきた
屋根職人がつくる
天蓋の下は不滅の闇であろうか
とにかく大鍋の下で
火種を養って一家団欒せよ
運ばれてくる
それはブツブツ泡ふく鵞鳥のからだと脚
セロリの七、八本
料理は言葉で出来ているらしく
時がたつと変色する
メデアム
そこで大理石の土台が据えられ
わが母は記念柱となる
わたしはそのような霊界がすきだ
仮面をかぶった兄ならば笑えるだろう
岩窟の前に立ち
考古学者のように
力でもって万物の化石を引き出す
綿で包まれた炎もともに
いま長椅子の上へ
やけどした姉がとびあがるとき
死せる虎の皮は美しい
もちろんわが家族は
わたしの恋人が裸になることをのぞんでいる
四つの円柱がまもなく立つ
わたしの人生の恩師も
小さな入口から入ってくる
両刃の斧をかかえて
これが到り着くところ
メデアム
水はいつも流れている
人は横梁を渡らなければならない
底があるとしたら
底には血がたまっているんだ
縄と皮の張られた土地には
旅人の求めている
筒深い百合の花が咲く
これが牧歌的生活ではないか
たのしきかな 夢みるはらからは浮遊する
メデアム
崑崙 吉岡実 1968年
では未経験的なピンクの空間へ
ダイビングする
四頭馬車の喪服ずくめ
さかさまになる
四つに分けられた馬の頭は見えず
きみは驚き
ぼくは悲しい顔を剃り
きみの彼女はふとる
墜ちるにはふさわしい水面
ぼくの彼女が笑う月
じゃだれがトップで死ぬんだろう
母の恥しい腹のなかにいる
ぼくかしら?
妻の詰った子宮から出てくるきみかね?
ほんとうのことを云うべきだ
生まれるより先に死ぬべき同行者・同義語
きみの彼女が父の尻の孔の奥まで戻る
これは一種の自負であって
生でなく死でもなく
赤いネオンの透明なはかない消滅法
車輪がとんで行く
めもさめる型式美
とざす障子の桟に巣食う鳥
来るべき潜水艦が丘を越えて
迷宮入り
忘れられているのではないだろうか?
ぼくの彼女の主知的に
あまもる唇
類型の多い死ではないかね
贋金
先頭をだれが行く
ぼくの足の赤い鼻緒のゲタ
きみの胸のエンドマーク
きみの彼女のタワーのようなヘアー
ぼくの彼女のアミタイツの脚
たりない人体
四つの部分で真の人間は出来ていないだろう
すくなくも一万部分の集積
あるいは九個のフラスコのミカン水
ビニールのような耐久性と劣情を示せよ
在るべき時間とは
在らざる愛のこころ
在るべき空間とは
在らざる光線銃
ここはどこか?
ここは深くも浅くもない軟着感!
ぼくの彼女が至りつく
冬のフトンの果て
まっすぐ歩いて
くびれた母型を認識し
似たような荷物をみつける
なにが入っているかもわからぬ観念
歯型
電子音楽
ムラサキ
未来の
愛
ではきみの彼女の運命とは
それは生まれる
むなしい稼業から
もり上ってくる
非情緒的な廃品同様
むしろなんでもなくなりつつある
周辺をかこんで
イチジクの葉
かくすラクダのコブの相似性
同円のスリ鉢叩いて
日常言語の床屋の白い布を裂く
記号の罐
開かれる開かれる
自在に無意味に赤い床から天井へ
横断する横断する
電気芝刈り機
ニクロム線の庭
静電気
そのもののウェーブで
カメをくすぐる彼女たち
玉鳴るソロバン
ハプニング
ハッピー
はるさめ
煙突掃除用ブラシがススでなく
幼児をこするものへ
変化する
壁を掻く老人たちとうとう壁をつきぬけて
けむりを出す
魂と秋
女は自身の手でなにを変える?
虹彩の遊び場で
女はもろもろの疑似割れ目を表現し
毛のはえた裁ちバサミで
紙テープを切る
そしてダンス
そして銃殺シーン
そしてそして想い出を想い出す
まるくまるく
ハリネズミを追いつめ
恍惚たる少年の藍をあびて
水槽では血気の尻
さめるサメ肌をふるわせる
共謀的彼女たち
めざすメザシの
目をつらぬく矢印
死への
橋がかり
金切声
さらにとどろくぼくらの白骨期
真鍮の棒で砕かれる
あるところへ戻ったら
形が変り色が変る
物が物をのむときは闇
吐くときは光るか?
彼女らはすべて見えずと反対のバラのトゲをつかむ
これが芸術だ
それは偶然の自律自慰!
肉色をしていることが
罪悪ならば
ぼくたちになにができる?
藁の上で
肉色の幽霊と化して
にもかかわらず
そのうしろに眠るきみの彼女の螢光体
なめるなぐさめで
分裂するきみの水色の舌
ハンバーグをつくる
ハリボテのハンバーグをつくる
そしてぼくの彼女はヌード
清掃車がくる
起伏がくる
水葬の夜明け
ももいろの回虫の環境
ももいろの夢
凍結がある
そこでぼくらは行く
写真のなかで永遠に
首を吊られている人の下を
真夏の反現場性の海の輝く
金輪
サイコロ
過去からカブトガニの内部は
はたして
うごいているのかゼリーのように
ピンクから白色の世界へ
むしろ次から次へと変革している
そうしてうずまき模様の
ののののの
のたれ死を承認せよ
ノオ
今日ぼくたちにも存在しないだろう?
崑崙!
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或る別の部落へ行った。兵隊たちは馬を樹や垣根につなぐと、土造りの暗い家に入って、チャンチュウや卵を求めて飲む。或るものは、木のかげで博打をする。豚の奇妙な屠殺方法に感心する。わたしは、暗いオンドルのかげに黒衣の少女をみた。老いた父へ粥をつくっている。わたしに対して、礼をとるのでもなければ、憎悪の眼を向けるでもなく、ただ粟粥をつくる少女に、この世のものとは思われぬ美を感じた。その帰り豪雨にあい、曠野をわたしたちは馬賊のように疾走する。ときどき草の中の地に真紅の一むら吾亦紅が咲いていた。満人の少女と吾亦紅の花が、今日でも鮮やかにわたしの眼に見える。揚柳の下に、豪華な色彩の柩が放置されているのも、異様な光景だ。ふたをとって覗いて見たらと思ったが、遂に見たことはない。びらんした屍体か、白骨が収まっているのだろう。みどりに芽吹く外景と係りなく。やがて黄塵が吹きすさぶ時がくるのだ。 反抗的でも従順でもない彼ら満人たちにいつも、わたしたちはある種の恐れを抱いていたのではないだろうか。〔・・・〕 彼らは今、誰に向って「陰惨な刑罰」を加えつつあるのか。 わたしの詩の中に、大変エロティックでかつグロテスクな双貌があるとしたら、人間への愛と不信をつねに感じているからである。(吉岡実「わたしの作詩法?」1967年) |
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