ボクはこの文に徹底的にイカれたんだよ、32歳のとき京都府立植物園裏にある北山通りに面した府立図書館でふと手にした「へるめす」に載っていた中井久夫の文に。それまでにも中井久夫を読んでいなかったわけではないが、散漫な読者にすぎなかったね。
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以下、中井久夫「世界における索引と徴候」の冒頭と末尾である(『徴候・記憶・外傷』2004年所収 初出「へるめす」第26号 岩波書店1990年7月)。 |
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『徴候・記憶・外傷』の「まえがき」にはこうある、《たとえば冒頭の「世界における索引と徴候」である。これはある六月の午後、アカシアの林を通りぬけるわずかな間に、ゆくりなくも私の中に生まれてうつろうた発想の跡を辿ったものである》。 まず冒頭。 |
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ふたたび私はそのかおりのなかにいた。かすかに腐敗臭のまじる甘く重たく崩れた香りーー、それと気づけばにわかにきつい匂いである。 それは、ニセアカシアの花のふさのたわわに垂れる木立からきていた。雨あがりの、まだ足早に走る黒雲を背に、樹はふんだんに匂いをふりこぼしていた。 金銀花の蔓が幹ごとにまつわり、ほとんど樹皮をおおいつくし、その硬質の葉は樹のいつわりの毛羽となっていた。かすかに雨後の湿り気がたちのぼる。 二週間後には、このあたりは、この多年生蔓草の花の、すれちがう少女の残す腋臭のほのかさに通じる、さわやかな酸味をまじえたかおりがたちこめて、ひとは、おのれをつつむこの香の出どころはどこかととまどうはずだ。小さい十字の銀花も、それがすがれちぢれてできた金花の濃い黄色も、ちょっと見には眼にとまらないだろう。 |
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この木立は、桜樹が枝をさしかわしてほのかな木下闇をただよわせている並木道の入口にあった。桜たちがいっせいにひらいて下をとおるひとを花酔いに酔わせていたのはわずか一月まえであったはずだ。しかし、今、それは遠い昔であったかのように、桜は変貌して、道におおいかぶさっているのはただ目に見える葉むらばかりでなく、ひしひしとひとを包む透明な気配がじかに私を打った。この無形の力にやぶれてか、道にはほとんど草をみず、桜んぼうの茎の、楊枝を思わせるのがはらはらと散らばっていた。(中井久夫「世界における索引と徴候」) |
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そして末尾。 |
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最初の記憶のひとつは花の匂いである。私の生れた家の線路を越すと急な坂の両側にニセアカシアの並木がつづいていた。聖心女学院の通学路である。私の最初の匂いは、五月のたわわな白い花のすこしただれたかおりであった。それが三歳の折の引っ越しの後は、レンゲの花の、いくらか学童のひなたくささのまじる甘美なにおいになった。 家が建て込むにつれてレンゲは次第に私の家のあたりから影をひそめたが、家々がきそって花壇をつくるので、ことに三月下旬の初めごろの散歩は、次々にちがう花のかおりに祝われた祝祭となった。色彩も夕暮にはアネモネの赤が沈み、レンギョウの黄がはげしい自己主張をした。 青年時代の京都の生活は、腐葉土のかもしだす共通感覚、すなわち、いくばくかのキノコのかおりと焦げた落葉のにおいと色々の人や動物の体臭のごときものとを交え、さらに水の流れなくなってまだ乾かないうちの石づくりの流水溝の臭気を混ぜたうえで、冷気としめり気とをあたえてひんやりさせ、地を低くはわせたときの共通感覚と切り離すことができない。もっとも同じ京都とはいえ、嵐山のあたりは少しちがって、ある歯切れのよさがある。定家の晩年の歌にはそれを反映したものがあると私は思う。また西山の竹林の竹落葉には少しちがったさわやかさがあって私の好みではあるが、触発される思考の種類さえ京都の東部とは変わってしまう。 |
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これに対して中年期の東京の私の記憶は、何よりもまず西郊の果樹の花のかおり、それも特に桃と梨の花の香と確実にむすびついている。蜜蜂の唸りが耳に聞こえるようだ。むろん、風の匂いは鉄道沿線によって少しずつ異なる。おそらく、その差異の基礎は、土のかおりのちがいであろう。国分寺崖線を境に土の匂いがはっきり異なって、私は、その南側のかおりの記憶のほうに親しみを感じる。国立、小平の家の庭の土と、調布上石原のあたりの土のかおりの差を感じないひとはあるまい。 立川段丘は地元で「ハケ」と呼ばれ、狛江から始まって、特に谷保のあたりでは立派な森になっている。樹種が多いのはむかしの洪水によって流れついたものの子孫だからであろう。ハケ下の小さな、今ではほとんど下水になっている流れが二千年前の多摩川である。川越からその北にかけてのさまざまな微高地の上に生えていた(今でもあるであろうか)樹々のつくる森とは、同じ腐葉土でも、かおりが決定的にちがう。秋にはハケの上の茂みにアケビが生った。珍しい樹種に気づいて驚くこともあった。私の住んだ団地の植栽はずいぶん各地から運んだらしく、ついてきて、頼まれないのに生えている植物を、日曜日ごとに同定してまわったら、六〇種を越えた。ハケの森の樹種はもっと多種だろう。 |
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嗅覚はよくわからない、と首をかしげられる方は視覚のほうなら納得されるだろう。 まず中央線沿線の最初の印象は、長い水平の線が多いということだった。縦の線は短く、挿入されるだけである。これはたしかに譜面の与える印象に近い。京王線では、何よりもまず、葉を落とし尽した欅の樹がみごとな扇形を初冬の空に描いている。もっとも、分倍河原駅を出て多摩川を南西に越えると、匂いも視覚も一変する。 小田急線は、多摩川を越えて読売ランドの南側の「多摩の横山」を背にした狭隘地を抜けると次第に匂いが変化して、京王線の西部のかおりに近づく。 もっとも、小田急線は長く、さまざまの文化を通過し、車窓の風の香もつぎつぎに変化する。本線が小田原に向かって大山を背に南下するところ、酒匂川が豊かな水量の布を盛大に流している、二宮尊徳の生家の東がわの、見えない海のかおりが、もうかすかに混じるのを感じさせるところに来るとほっとする。 |
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塩味のまったくない空気は、どうも私を安心させないらしい。鎌倉の最初の印象は、 “海辺にある比叡山”であった。ふとい杉の幹のあいだの砂が白かっただけではない。比叡の杉を主体とした腐葉土の匂いが、明らかに海辺の、それもほとんど瀬戸内海の夏の匂いでしかありえないものとまじるのが驚きのもとであった。もっとも、比叡山のかおりにも、杉とその落葉のかおりにまじって、琵琶湖の水の匂いが、なくてはならない要素である。この水の匂いゆえに、京都時代の私は、しばしば、滋賀県に出て屈託をいやした。比良山は、六甲山に似て、草いきれがうすく、それでいてわびともさびともちがう、淡いながらに何かがたしかにきまっているという共通感覚をさずけられるのが好きであった。好ましく思うひとたちとでなければ登りたくない山であった。 ふつうは「匂いの記号論」とよばれるであろうか、実はそれを問題にしたところの個人史の一部をここに終る。本稿もこれで終りである。近畿のひとには、神社の森ごとにちがうかおりを語ればいちばんわかってくださるであろう。(中井久夫「世界における徴候と索引」1990年) |
これは外傷性記憶の話だよ、喜ばしい外傷性記憶のレミニサンスの話だ。
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PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年『アリアドネからの糸』所収) |
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過去の復活[résurrections du passé] は、その状態が持続している短いあいだは、あまりにも全的で、並木に沿った線路とあげ潮とかをながめるわれわれの目は、われわれがいる間近の部屋を見る余裕をなくさせられるばかりか、われわれの鼻孔は、はるかに遠い昔の場所の空気を吸うことを強制され [Elles forcent nos narines à respirer l'air de lieux pourtant si lointains]、われわれの意志は、そうした遠い場所がさがしだす種々の計画の選定にあたらせられ、われわれの全身は、そうした場所にとりかこまれていると信じさせられるか、そうでなければすくなくとも、そうした場所と現在の場所とのあいだで足をすくわれ、ねむりにはいる瞬間に名状しがたい視像をまえにしたときどき感じる不安定にも似たもののなかで、昏倒させられる。(プルースト「見出された時」) |
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過去の復活、長い間隔をおいての忘れられたものの回帰[Wiederkehren des Vergessenen nach langen Intervallen](フロイト『モーセと一神教』3.1.4 Anwendung、1939年) |
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ーー《忘れられたものは消去されず、ただ「抑圧 」されるだけである。その記憶痕跡は、全き新鮮さのままで現存するが、対抗備給[Gegenbesetzungen]により分離されているのである。それは他の知的過程とコミュニケーションできず、無意識的であり、意識にはアクセス不能である。抑圧されたものの或る部分は、対抗過程をすり抜け、記憶にアクセス可能なものもありうる。だがそうであっても、異者としての身体[Fremdkörper]として分離されている。 Das Vergessene ist nicht ausgelöscht, sondern nur »verdrängt«, seine Erinnerungsspuren sind in aller Frische vorhanden, aber durch »Gegenbesetzungen« isoliert. Sie können nicht in den Verkehr mit den anderen intellektuellen Vorgängen eintreten, sind unbewußt, dem Bewußtsein unzugänglich. Es kann auch sein, daß gewisse Anteile des Verdrängten sich dem Prozeß entzogen haben, der Erinnerung zugänglich bleiben, gelegentlich im Bewußtsein auftauchen, aber auch dann sind sie isoliert, wie Fremdkörper außer Zusammenhang mit dem anderen.》(フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年) |
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私の現時の思考とあまりにも不調和な何かの印象に打たれたような気がして、はじめ私は不快を感じたが、ついに涙を催すまでにこみあげた感動とともに、その印象がどんなに現時の思考に一致しているかを認めるにいたった。(…)最初の瞬間、私は腹立たしくなって、誰だ、ひょっこりやってきておれの気分をそこねた見知らぬやつ(異者)は、と自問したのだった。その異者は、私自身だった、かつての少年の私だった。 je me sentis désagréablement frappé comme par quelque impression trop en désaccord avec mes pensées actuelles, jusqu'au moment où, avec une émotion qui alla jusqu'à me faire pleurer, je reconnus combien cette impression était d'accord avec elles.[…] Je m'étais au premier instant demandé avec colère quel était l'étranger qui venait me faire mal, et l'étranger c'était moi-même, c'était l'enfant que j'étais alors, (プルースト「見出された時」) |
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トラウマないしはトラウマの記憶は、異物=異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用し、体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子としての効果を持つ[das psychische Trauma, resp. die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange Zeit nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muss]。〔・・・〕 このトラウマは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛み[psychischer Schmerz]を呼び起こし、殆どの場合、レミニサンス[Reminiszenzen]を引き起こす。 ..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz … leide größtenteils an Reminiszenzen.(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要) |
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一般記憶すなわち命題記憶などは文脈組織体という深い海に浮かぶ船、その中を泳ぐ魚にすぎないかもしれない。ところが、外傷性記憶とは、文脈組織体の中に組み込まれない異物であるから外傷性記憶なのである。幼児型記憶もまたーー。(中井久夫「外傷性記憶とその治療―― 一つの方針」2000年『徴候・記憶・外傷』所収) |
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外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。(中井久夫「発達的記憶論」2002年『徴候・記憶・外傷』所収) |
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あの北山通りの図書館で、隣に清楚な少女が座っていて何度も目があったんだよな、 |
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隣のテーブルにいる女の匂[l'odeur de la femme qui était à la table voisine]…それらの顔は、私にとって、節操のかたいこちこちの女だとわかっているような女の顔よりもばるかに好ましいのであって、後者に見るような、平板で深みのない、うすっぺらな一枚張のようなしろものとは比較にならないように思われた。〔・・・〕それらの顔は、ひらかれない扉であった[ces visages restaient fermés]。しかし、それらの顔が、ある価値をもったものに見えてくるためには、それらの扉がやがてひらかれるであろうことを知るだけで十分なのである・・・ (プルースト「花咲く乙女たちのかげに」) |
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で、カフェに誘って話をきいてみると、北野天満宮で巫女修行をしていてバスで来たらしく、車で送っていったよ、車のなかには《少女の残す腋臭のほのかさに通じる、さわやかな酸味をまじえたかおりがたちこめ》クラクラしたね。その後なぜか扉が開かれてしまって、最初の妻と離婚したのはあのせいだよ・・・ |
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ボクは何度も言っているが円地文子派でもあるからな、 |
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日記というものは嘘を書くものね。私なんぞ気分次第でお天気まで変えて書きます。(円地文子ーー江藤淳『女坂』解説より) |
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しかし「開け胡麻」ってのは偶然にあるもんだな、ボクはたいしてモテるほうじゃなかったんだが。 |
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敢えて私自身の言葉を用いれば、マドレーヌや石段の窪みは「メタ記憶の総体としての〈メタ私〉」から特定の記憶を瞬時に呼び出し意識に現前させる一種の「索引 ‐鍵 indice-clef 」である(拙論「世界における徴候と索引」1990年)。もちろん、記憶の総体が一挙に意識に現前しようとすれば、われわれは潰滅する。プルーストは自らが翻訳した『胡麻と百合』の注釈において、「胡麻」という言葉の含みを「扉を開く読書、アリババの呪文、魔法の種」と解説したといっているが〔・・・〕、この言葉は、読書内容をも含めて一般に記憶の索引 ‐ 鍵をよく言い表している。フラッシュバックほどには強制的硬直的で頑固に不動でなく、通常の記憶ほどにはイマージュにも言語にも依存しない「鍵 ‐ことば‐ イマージュ mot- image-clef」は、呪文、魔法、鍵言葉となって、一見些細な感覚が一挙に全体を開示する。〔・・・〕それは痛みはあっても、ある高揚感を伴っている。敢えていえば、解離スペクトルの中位に位置する「心の間歇」は、解離のうち、もっとも生のさわやかな味わい saveur をももたらしうるものである。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」2007年) |
蕾の割れた梅の林から、糸のように漂いやってくる、
五百年前の我が兄子、千年前の我が妹子、
ーー暁方ミセイ
・・・とはいえ巫女の仕事は腹が減るらしいよ。

