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2024年3月28日木曜日

わたしの まちがいだった

 


間違い

               谷川俊太郎


わたしのまちがいだった

わたしの まちがいだった

こうして 草にすわれば それがわかる


そう八木重吉は書いた(その息遣いが聞こえる)

そんなにも深く自分の間違いが

腑に落ちたことが私にあったか


草に座れないから

まわりはコンクリートしかないから

私は自分の間違いを知ることができない

たったひとつでも間違いに気づいたら

すべてがいちどきに瓦解しかねない

椅子に座って私はぼんやりそう思う


私の間違いじゃないあなたの間違いだ

あなたの間違いじゃない彼等の間違いだ

みんなが間違っていれば誰も気づかない


草に座れぬまま私は死ぬのだ

間違ったまま私は死ぬのだ

間違いを探しあぐねて



ーー『日々の地図』所収 1996年




良い詩だね、八木重吉がとくにいいんだが。


初稿は旧仮名と新仮名が混淆した、そして最初の1行に息遣いのスペースがあったそうだ。






草にすわるのを忘れると

人は頑なになるのだろうか

いや私は日々半時間は草にすわって

雑草取りをするのだけれど頑固のままだ


私の間違いじゃないあなたの間違いだ

あなたの間違いじゃない彼等の間違いだ

ーーとは言わないが


きみたちの間違いだと言って

このきみたちにはわたしも含まれる

と言うのだが


草にすわると こうなるよ