晩年のラカンはこう言った。 |
言語は存在しない[le langage, ça n'existe pas. ](Lacan, S25, 15 Novembre 1977) |
象徴界は言語である[Le Symbolique, c'est le langage](Lacan, S25, 10 Janvier 1978) |
ジャック=アラン・ミレールは次のように注釈している。 |
私は言いうる、ラカンはその最後の教えで、すべての象徴秩序は妄想だと言うことに近づいたと。Je dois dire que dans son dernier enseignement, Lacan est proche de dire que tout l'ordre symbolique est délire〔・・・〕 |
ラカンは1978年に言った、「人はみな狂っている、すなわち人はみな妄想する tout le monde est fou, c'est-à-dire, délirant」と。〔・・・〕 あなた方は精神分析家として機能しえない、もしあなた方が知っていること、あなた方自身の世界は妄想だと気づいていなかったら。我々は言う、幻想的と。しかし幻想的とは妄想的のことである。分析家であることは、あなた方の世界、あなた方が意味を為す仕方は妄想的であることを知ることである。Vous ne pouvez pas fonctionner comme psychanalyste si vous n'êtes pas conscient que ce que vous savez, que votre monde, est délirant – fantasmatique peut-on-dire - mais, justement, fantasmatique veut dire délirant. Etre analyste, c'est savoir que votre propre fantasme, votre propre manière de faire sens est délirante (J.-A. Miller, Retour sur la psychose ordinaire; 2009) |
《すべての象徴秩序は妄想だ》とあるが、冒頭に示したように象徴界は言語であり、つまり言語は妄想だということである。さらに妄想とは嘘のことだ。ーー《象徴界は厳密に嘘である[le symbolique, précisément c'est le mensonge.]》(J.-A. MILLER, Le Reel Dans L'expérience Psychanalytique. 2/12/98) より詳しくは➤「言語は妄想、言語は嘘」 巷間のラカニアンはこれをどう処理しているんだろうな、キミらの論文は妄想あるいは嘘だと自覚してんだろうか? |
ボクはラカニアンじゃないつもりだが、とはいえ何度も宣言しているがね、蚊居肢ブログつまり蚊居肢日記は嘘だと。円地文子を引用しつつ。 |
日記というものは嘘を書くものね。私なんぞ気分次第でお天気まで変えて書きます。(円地文子ーー江藤淳『女坂』解説より) |
嘘という言葉がお嫌いな人は、ラカンの親友だったバルトの云う「虚構」でもいいよ、《言語は本来的に虚構である[le langage est, par nature, fictionnel]》(ロラン・バルト『明るい部屋』1980年)。
ラカニアンは本来的には小説を書くべきじゃないかね、《ここにあるいっさいは、小説の登場人物によって語られているものと見なされるべきである[Tout ceci doit être considéré comme dit par un personnage de roman] 》(『彼自身によるロラン・バルト』1975年)。
ボクはむかしツイッターやってたときには女としてしか囀らなかったがね、一度バレて「ネカマ」と難詰されたが、言語の本質が何もわかっていない東大出のラカニアン熟女だったなあ。もう10年ぐらい前の話だけど。
ところでそこの自分語りが好きな哲学愛好者のキミ、これどういう意味かわかるかい? |
自分について多くを語ることは、自分を隠す一つの手段となり得る[Viel von sich reden kann auch ein Mittel sein, sich zu verbergen. ](ニーチェ『善悪の彼岸』169番) |
哲学はさらに一つの哲学を隠している。あらゆる見解もまた一つの隠し場であり、あらゆる言葉もまた一つの仮面である[Jede Philosophie verbirgt auch eine Philosophie; jede Meinung ist auch ein Versteck, jedes Wort auch eine Maske.](ニーチェ『善悪の彼岸』289番) |
ボクは本来的にはニーチェアン・プルースティアンなんだよ、バルトはプルースト小論でこう言ったがね、《人はつねに愛するものについて語りそこなう[on échoue toujours à parler de ce qu’on aime]》(ロラン・バルト『テクストの出口』1980年)。
というのももちろん嘘です、あしからず。
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最も重要なのは自覚的であることだよ、自らがありとあらゆるところで嘘をついていることに。 |
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最もよく見られる嘘は、自分自身を欺く嘘であり、他人を欺くのは比較的に例外の場合である。Die gewöhnlichste Lüge ist die, mit der man sich selbst belügt; das Belügen andrer ist relativ der Ausnahmefall. (ニーチェ『反キリスト』第55番、1888年) |
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人がうそをついていることに気づかなくなるのは、他人にうそばかりついているからだけでなく、また自分自身にもうそをついているからである。ce n'est pas qu'à force de mentir aux autres, mais aussi de se mentir à soi-même, qu'on cesse de s'apercevoir qu'on ment, (プルースト「ソドムとゴモラ」1922年) |
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うそは人間において本質的なものである。うそは人間においておそらく快楽の追及とおなじほど大きな役割を演じているだろう、しかも、うそは快楽の追及に従属するのである。人は自分の快楽をまもるためにうそをつく。人は生涯にわたってうそをつく、人は自分を愛してくれる人たちにさえうそをつく、そういう人たちであればこそとりわけうそをつく、おそらくそういう人たちにだけうそをつくだろう。われわれにとっては、正直いって、そういう人たちだけが、自分の快楽をまもるためにおそろしいのであり、しかもそういう人たちだけから、尊敬を受けることが望ましいのである。 Le mensonge est essentiel à l'humanité. Il y joue peut-être un aussi grand rôle que la recherche du plaisir, et d'ailleurs, est commandé par cette recherche. On ment pour protéger son plaisir ou son honneur si la divulgation du plaisir est contraire à l'honneur. On ment toute sa vie, même surtout, peut-être seulement, à ceux qui nous aiment. Ceux-là seuls, en effet, nous font craindre pour notre plaisir et désirer leur estime. (プルースト「逃げさる女」) |
ま、いずれにせよ、言葉ってものを少しでもまともに考えたら必ず、「言葉は信用できない」となるよ。
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言葉に愛想を尽かして と こういうことも言葉で書くしかなくて 紙の上に並んだ文字を見ている からだが身じろぎする と 次の行を続けるがそれが真実かどうか これを読んでいるのは書いた私だ いや書かれた私と書くべきか 私は私という代名詞にしか宿っていない のではないかと不安になるが 脈拍は取りあえず正常だ ーー「朝」より、谷川俊太郎『詩に就いて』所収(2015年) |
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俊太郎)僕は詩を書き始めた頃から、言葉というものを信用していませんでしたね。一九五〇年代の頃は武満徹なんかと一緒に西部劇に夢中でしたから、あれこそ男の生きる道で、原稿書いたりするのは男じゃねぇやって感じでした(笑)。言葉ってものを最初から信用していない、力があるものではないっていう考えでずーっと来ていた。詩を書きながら、言葉ってものを常に疑ってきたわけです。疑ってきたからこそ、いろんなことを試みたんだと思います。だから、それにはプラスとマイナスの両面があると思うんです。(谷川俊太郎&谷川賢作インタビュー、2013年) |