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2026年10月30日金曜日

侵略したくなくても突如として侵入してくるモノ

 

やあ、さっそく桑原旅人くんが応答してくれてるな。まさかこんな弱小ブログのエアリプーーというか単なる感想をすぐさま読んでくれるとは思っていなかったよ。そうかそうか、セミネールⅧまでの観点か。


以下、いくらか記すけれど、これはアンサーなしでいいからな。

そもそもボクの問いは固着、つまりトラウマ的固着は侵犯するものかね、ということだ。

トラウマ的固着[traumatischen Fixierung]〔・・・〕ここで外傷神経症は我々に究極の事例を提供してくれる。だが我々はまた認めなければならない、幼児期の出来事もまたトラウマ的特徴をもっていることを[Die traumatische Neurose zeigt uns da einen extremen Fall, aber man muß auch den Kindheitserlebnissen den traumatischen Charakter zugestehen](フロイト『続精神分析入門』第29講, 1933 年)


侵犯なんかまったくしたくなくても突如と侵入してくるもんじゃないかい?キミも折に触れてトラウマ、あるいは幼児期のトラウマに触れているが、侵犯じゃなくて侵入してくるんじゃないのかい?




ボクは掠め読み派だが、読んだ部分については額面通り派なんだ。


で、まずはこうだな。


◼️享楽=現実界=モノ=トラウマ=同化不能=固着

享楽は現実界にある[la jouissance c'est du Réel] (Lacan, S23, 10 Février 1976)

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme.](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

現実界は、同化不能な形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma](Lacan, S11, 12 Février 1964)

固着は、言説の法に同化不能なものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1  07 Juillet 1954)


で、モノはこうだ。


◼️モノ=母(母の身体)=固着

母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノ[das Ding]の場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.   ](Lacan, S7, 16  Décembre  1959)

モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère,] (Lacan, S7, 20  Janvier  1960)

問題となっている母は、いわゆる固着と呼ばれるものにおいて非常に重要な役割を担っている[la mère en question joue un rôle tout à fait important dans ce qu'on appelle  les fixations ](Lacan, S1, 27 Janvier 1954)


フロイト版ならこうだ。


◼️モノ=同化不能=固着➤母への固着=侵入

同化不能の部分(モノ)[einen unassimilierbaren Teil (das Ding)](フロイト『心理学草案(Entwurf einer Psychologie)』1895)

固着されたモノ[die Dinge fixieren](フロイト「フリース宛書簡」 16. 3. 1896)

最初に母への固着がある[Zunächst die Mutterfixierung ](フロイト『嫉妬、パラノイア、同性愛に関する二、三の神経症的機制について』1922年)

発達過程において、いくつかの固着が置き残されている可能性があり、それによって追いやられていたリビドーの侵入[Durchbruch der abgedrängten Libido]が次々と起こると考えられる。

Es können ja in der Entwicklung mehrere Fixierungen zurückgelassen worden sein und der Reihe nach den Durchbruch der abgedrängten Libido gestatten,(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』「症例シュレーバー」第3章 、1911年)


繰り返せば、侵犯なんかまったくしたくなくても侵入してくるよ。母というか、ボクの場合、母の身体への固着がね。



というのは幼児期、スタンダール的出来事があってね、

私の母、アンリエット・ガニョン夫人は魅力的な女性で、私は母に恋していた。〔・・・〕


ある夜、なにかの偶然で私は彼女の寝室の床の上にじかに、布団を敷いてその上に寝かされていたのだが、この雌鹿のように活発で軽快な女は自分のベッドのところへ早く行こうとして私の布団の上を飛び越えた。


Ma mère, madame Henriette Gagnon, était une femme charmante et j’étais amoureux de ma mère.(…) 


Un soir, comme par quelque hasard on m’avait mis coucher dans sa chambre par terre, sur un matelas, cette femme vive et légère comme une biche sauta par-dessus mon matelas pour atteindre plus vite à son lit.

(スタンダール『アンリ・ブリュラールの生涯』la Vie de Henry Brulard, autobiographie de Stendhal.)


要するに《垣間見られた陰毛の光景への固着[fixieren den Anblick der Genitalbehaarung]》(フロイト『フェティシズムFetischismus』1927年)というヤツだ。


ま、あれはひどく強度を持った出来事(身体の出来事)だったなあ、最近はいくらか収まったとはいえ、やっぱりふとした弾みで侵入してくる不変の個性刻印だよ。ーー《幼児の最初期の出来事は、後の全人生において比較を絶した重要性を持つ[die Erlebnisse seiner ersten Jahre seien von unübertroffener Bedeutung für sein ganzes späteres Leben]》(フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)


出来事がトラウマ的性質を獲得するのは唯一、量的要因の結果としてのみである[das Erlebnis den traumatischen Charakter nur infolge eines quantitativen Faktors erwirbt ](フロイト『モーセと一神教』3.1.3 、1939年 )

トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚の出来事である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕

この作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。

この固着は、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)



だいたいこのブログの「蚊居肢」というのは、スタンダール的出来事からの命名なんだ、荷風にヒントを得てね。


スカートの内またねらふ藪蚊哉


ーー『断腸亭日乗昭和十九年甲申歳 荷風散人年六十有六 九月初七



ワカルカイ、侵略したくなくても突如として侵入してるよ、あの股の奥は。

というわけだが、「念のため」円地文子も付け加えておくよ。ーー《日記というものは嘘を書くものね。私なんぞ気分次第でお天気まで変えて書きます。》(円地文子ーー江藤淳『女坂』解説より)