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2026年7月19日日曜日

若く「きわめて優秀な」ラカニアンへのエアリプ


 「巷の「若くきわめて優秀な」ラカニアンへの笑い」に桑原旅人くんがコメント[参照]しているが、ボクはキミと論争するつもりは毛頭ないからな。とはいえエアリプだけはしとくよ。

キミはドゥルーズにも詳しいようだから、まずは次の文から。


問題は、戦争機械がいかに戦争を現実化するかということよりも、国家装置がいかに戦争を所有(盗用)するかということである La question est donc moins celle de la réalisation de la guerre que de l'appropriation de la machine de guerre. C'est en même temps que l'appareil d'Etat s’approprie la machine de guerre]〔・・・〕


国家戦争を総力戦にする要因は資本主義と密接に関係している[les facteurs qui font de la guerre d'Etat une guerre totale sont étroitement liés au capitalisme ]。

現在の状況は絶望的である。世界的規模の戦争機械がまるでSFのようにますます強力に構成されている[Sans doute la situation actuelle est-elle désespérante. On a vu la machine de guerre mondiale se constituer de plus en plus fort, comme dans un récit de science-fiction ;](ドゥルーズ &ガタリ『千のプラトー』「遊牧論あるいは戦争機械』1980年)


この今、米国ネオコンの戦争機械がいっそう酷くなっていると思わないかい? だがボクの見るところ、そんなことは「我関せず」のようにキミは見えないでもないんだな。


例えば柄谷はこう言っている。


◾️世界戦争の時代に思う──『帝国の構造』文庫化にあたって

柄谷行人、『図書』2023年12月号

われわれは今、世界戦争の危機のさなかにある。それはいわば、国家と資本の「魔力」が前景化してきた状態である。このような「力」は、ホッブズが「リヴァイアサン」と呼び、マルクスが「物神」と呼んだような、人間と人間の交換から生じた観念的な力である。いずれも、人間が考案したようなものではない。だから、思い通りにコントロールすることも、廃棄することもできない。


 かつてマルクス主義者は、国家の力によって資本物神を抑え込めば、まもなく国家も消滅するだろう、と考えた。ところがそうはいかなかった。結局、国家が強化されたばかりか、資本も存続する結果に終わったのである。以来、マルクス主義も否認され、国家・資本は人間が好んで採用したものであり、今後も適切な舵取りさえすれば人間を利する、と信じられてきた。


 現実に、資本も国家も暴威を振るっているのに、人びとは、自分たちの力で何とかできるものだと信じ続けている。そして、AIの発展によって、また宇宙開発のような新奇なビジネスによって、世界を変えることができる、というような「生産様式論」に終始している。しかし、生産様式が変わっても、国家も資本も消えない。現に、今世界戦争が起こっている。私がこのことを予感したのは、ソ連邦崩壊後であった。その時期、「歴史の終焉」が語られたが、私は異議を唱え、二〇世紀の末に「交換様式論」を提起した。『帝国の構造』は、そこから国家の力を解明したものである。


後半部分はさておき、まずは世界戦争だ。日本のインテリはこの今の世界戦争に無関心のヤツがほとんどだ、身近な自分の関心事に引きこもって新自由主義の掌で踊っているヤツばかりが目につくぜ、意図せずにも事実上「権力の道具」になって、ーーという印象を抱かざるを得ないんだ。


けだし政治的意味をもたない文化というものはない。獄中のグラムシも書いていたように、文化は権力の道具であるか、権力を批判する道具であるか、どちらかでしかないだろう。(加藤周一「野上弥生子日記私註」1987年)

自分には政治のことはよくわからないと公言しつつ、ほとんど無意識のうちに政治的な役割を演じてしまう人間をいやというほど目にしている。学問に、あるいは芸術に専念して政治からは顔をそむけるふりをしながら彼らが演じてしまう悪質の政治的役割がどんなものかを、あえてここで列挙しようとは思わぬが……。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』1988年)




で、ドゥルーズに戻れば、彼は死の2年前こう言ってんだな、知ってると思うが。


マルクスは間違っていたなどという主張を耳にする時、私には人が何を言いたいのか理解できない。マルクスは終わったなどと聞く時はなおさらだ。現在急を要する仕事は、世界市場とは何なのか、その変化は何なのかを分析することである。そのためにはマルクスにもう一度立ち返らなければならない。

Je ne comprends pas ce que les gens veulent dire quand ils prétendent que Marx s'est trompé. Et encore moins quand on dit que Marx est mort. Il y a des tâches urgentes aujourd'hui: il nous faut analyser ce qu'est le marché mondial, quelles sont ses transformations. Et pour ça, il faut passer par Marx:〔・・・〕


次の著作はーーこれが最後になるだろうがーー『マルクスの偉大さ』というタイトルになるだろう。私はもう書く気がしない。 マルクスに関する本を終えたら、筆を置くつもりでいる。そして絵を描き始めるつもりだ。

LIVRE Mon prochain livre - et ce sera le dernier - s'appellera « Grandeur de Marx ».

PEINDRE Aujourd'hui, je n'ai plus envie d'écrire. Après mon livre sur Marx, je crois que

j'envisagerai d'arrêter d'écrire. A ce moment-là, je me mettrai à peindre.

(ドゥルーズ「思い出すこと」死の2年前のインタビュー、1993



で、ボクの立場からは、先ずはいくらなんでも「マルクスなんかどうでもいい」はないだろう、といういうことだよ。日本のチョロいマルキストを批判するキミのありようはうなずくことが多いがね、斎藤幸平とかの。



ボクはそもそも「500年」をキーワードにして今の世界を見てるんだ、いささか大袈裟かもしれないし、キミはおそらくまったく「我関せず」だと思うがね500年の人類史の長い波の終わり


ま、ここまで言わなくても、少なくとも1990年以降に席巻するようになった金融資本主義ーー事実上の新自由主義ーーをそれ以前にあった産業資本主義に是非とも戻す必要があるというのがボクの立場だね。

◼️マイケル・ハドソン「金融資本主義の自己破壊的性質」

Finance Capitalism's Self-Destructive Nature By Michael Hudson July 18, 2022

金融資本主義は本質的に自己破壊的であるのに対し、産業資本主義は自己拡張的である。金融資本主義は自己破壊的であり、それがまさに今日起こっていることであり、中国は基本的にかつて産業資本主義と呼ばれていたものの論理に従うことでそれを避けようとしている。

finance capitalism is intrinsically self-destructive whereas industrial capitalism is self-expansive. Finance capitalism is self-destructive and that's exactly what's happening today and that's what China wants to avoid by basically following the logic of what used to be called industrial capitalism.

〔・・・〕

19 世紀までには、誰もが社会主義という言葉を使っていた。社会主義という言葉を使っていたのはマルクス主義者だけではなかった。キリスト教的社会主義者、リバタリアン社会主義者、無政府主義的社会主義者、そしてあらゆる種類の社会主義者がいた。彼らは、バランスのとれた公正な経済発展には政府の支援が必要だと認識していた。生産的なサービスを提供することでではなく、ただの詐欺師になることで人々が金持ちになるのを防ぐ必要がある。基本的に金融資本主義とは、詐欺師が 99 パーセントの人々からお金を奪い、自分の手に収めることで金持ちになる機会を与えることである。

By the 19th century, everybody used the word socialism and it wasn’t only the Marxists that were using the word socialism. There were Christian socialists, libertarian socialists, anarchist socialists and all different kinds of socialists. They recognized that you have to have the government sponsorship of a balanced and fair economic development. You have to prevent people from getting rich not by providing any productive service at all but just by being good rip-off artists and that’s basically what finance capitalism is: opportunity for rip-off artists to get rich uh by taking money away from the 99 percent, into their own hands.

より詳しくは「社会主義」という語の誤解を解く試み


…………

さて、ラカンの話に戻るよ。ジャック=アラン・ミレールはこう言っている。

◾️科学の言説と資本の言説による伝統文化の破壊

21世紀の象徴秩序…それはフロイトが「文化の中の居心地の悪さ」と呼んだものの成長、ラカンが「文明の行き詰まり」として解読したものの成長とともにある。


それは20世紀を置き去りにし、世界における我々の実践を更新し、二つの歴史的要因によって存分に再構成された。つまり科学の言説と資本の言説である。現代のこの支配的言説は、その出現以来、人間の経験の伝統的構造を破壊し始めている。それぞれが他方に依存しているこれら 2 つの言説の複合的な支配は、伝統の最も深い基盤を破壊し、おそらく粉砕することに成功するほどの規模になった。


我々が目にしているのは、象徴秩序に起こった大変動にともなう、その礎である父の名のひび割れである。ラカンが極めて正確に述べたように、伝統による父の名は、科学と資本主義の二つの言説の組み合わせによって影響を受け、価値を下げられたのである。

L'ordre symbolique au XXIème siècle …de ses coordonnées inédites au XXIème siècle, au moment où se développe ce que Freud appelle : « Le malaise dans la culture », que Lacan lira comme les impasses de la civilisation. 

Il s'agit de laisser derrière soi le XXème siècle, pour renouveler notre pratique dans le monde, lui-même suffisamment restructuré par deux facteurs historiques, deux discours : le discours de la science et le discours du capitalisme. Ces discours dominants de la modernité ont commencé, depuis leur apparition, à détruire la structure traditionnelle de l'expérience humaine. La domination combinée de ces deux discours, chacun s'appuyant sur l'autre, a pris une telle ampleur qu'elle a réussi à détruire, et peut-être à briser, les fondements les plus profonds de la tradition.

Nous l'avons vu, …avec le bouleversement survenu dans l'ordre symbolique, dont la pierre angulaire, le Nom-du-Père, s'est fissurée. Et, comme le dit Lacan avec une extrême précision, le Nom-du-Père selon la tradition, a été touché, dévalué, par la combinaison des deux discours, celui de la science et celui du capitalisme.

(ジャック=アラン・ミレール、21世紀における現実界 JACQUES-ALAIN MILLER, LE RÉEL AU XXIèmeSIÈCLE , 27 avril 2012 )


◾️最悪の時代への突入

今日、私たちは家父長制の終焉を体験している。ラカンは、それが良い方向には向かわないと予言した[Aujourd'hui, nous vivons véritablement la sor tie de cet ordre patriarcal. Lacan prédisait que ce ne serait pas pour le meilleur. ]。〔・・・〕

私たちは最悪の時代に突入したように見える。もちろん、父の時代(家父長制の時代)は輝かしいものではなかった〔・・・〕。しかしこの秩序がなければ、私たちはまったき方向感覚喪失の時代に入らないという保証はない[Il me semble que (…)  nous sommes entrés dans l'époque du pire - pire que le père. Cer tes, l'époque du père (patriarcat) n'est pas glorieuse, (…) Mais rien ne garantit que sans cet ordre, nous n'entrions pas dans une période de désorientation totale](J.-A. Miller, “Conversation d'actualité avec l'École espagnole du Champ freudien, 2 mai 2021)


このミレールの言ってることはおそらくラカンの次の発言をベースにしている。



◾️自らを貪り喰う資本の言説

危機は、主人の言説ではなく、資本の言説である。それは、主人の言説の代替であり、今、開かれている [la crise, non pas du discours du maître, mais du discours capitaliste, qui en est le substitut, est ouverte.  ]〔・・・〕

資本の言説…それはルーレットのように作用する。こんなにスムースに動くものはない。だが実際はあまりにはやく動く。自分自身を消費する。とても巧みに、自らを貪り喰う [le discours capitaliste… ça marche comme sur des roulettes, ça ne peut pas marcher mieux, mais justement ça marche trop vite, ça se consomme, ça se consomme si bien que ça se consume.]

さあ、あなた方はその上に乗った…資本の言説の掌の上に…[vous êtes embarqués… vous êtes embarqués…](Lacan, Conférence à l'université de Milan, le 12 mai 1972)


◾️死の欲動としての科学の言説

ラブレーはこう書いている、《良心なき科学は魂の墓場にほかならない》と。まさにその通り。坊主の説教なら、昨今の科学は魂の荒廃をもたらしているとの警告になるが、周知の通り、この時世では魂は存在しない。事実、昨今の科学は魂を地に堕としてしまった 。〔・・・〕魂以外に人間は存在しないのにもかかわらず。

ce qu'a écrit RABELAIS…  « Science sans conscience - a-t-il dit - n'est que ruine de l'âme ».   

Eh ben, c'est vrai.  C'est à prendre seulement, non pas comme les curés le prennent, à savoir que ça fait des ravages, dans cette âme qui comme chacun sait n'existe pas, mais ça fout l'âme par terre !   …il n'y a pas plus de monde que d'âme(Lacan, S21, 19 Février 1974)

科学はとりわけ死の欲動と結びついている[La science est liée à ce qu'on appelle spécialement pulsion de mort](ラカン、S 25, 20 Décembre 1977)


キミはどう思う、先のミレールについて。特に「最悪の時代に突入した」という発言だ。事実上、父なき新自由主義の帰結だとボクは思うがね。おそらくキミがほとんど擁護しているように見える新自由主義だ、チガウカイ?


で、ここでいくらか飛躍して言うが、先の発言だけでなく、キミのマネーに関わる発言はいくらなんでもマズイんじゃないかということだよ。

たしか学園紛争時のラカンの次の発言にも触れていた筈だがね、《革命家諸君よ! 君たちは主人を探し求めている。見つかるだろうよ。Ce à quoi vous aspirez comme révolutionnaire, c’est à un Maître. Vous l’aurez.》(Lacan à Vincennes, le 3 décembre 1969)に。


これ自体はラカンのシニカルな発言だろうがね、「おまえさんたち革命家は、主人をヒステリックに探し求めているだけだよ」のたぐいの。いわゆるヒステリーの言説だな。


とはいえ「主人はマネー」になってしまったこの今、別の言い方があると思うんだな、たとえば1976年のラカンのつぎの発言に仮に基づくならーー《人は父の名を迂回したほうがいい。父の名を使用するという条件のもとで。le Nom-du-Père on peut aussi bien s'en passer, on peut aussi bien s'en passer à condition de s'en servir.》(ラカン, S23, 13 Avril 1976)ーー、「革命家諸君よ、是非とも父の機能を探し求めてくれ!」とね[参照]。これがボクの考えだ。


以上、応答必要なし。


……………


ちなみにジジェクはこういう話を連発していた、キミが資本主義批判をする連中を批判するのも部分的にはこの文脈にあるように見えないでもない。

ドゥルーズとガタリによる「機械」概念は、「転覆的 subversive」なものであるどころか、現在の資本主義の(軍事的・経済的・イデオロギー的)動作モードに合致する。そのとき、我々は、そのまさに原理が、絶え間ない自己変革機械である状態に対し、いかに変革をもたらしたらいいのか。(ジジェク 『毛沢東、実践と矛盾』2007年)

カーニバル的宙吊りの論理は、伝統的階級社会に限られる。資本主義の十全な展開に伴って、今の「標準的な」生活自体が、ある意味で、カーニバル化されている。その絶え間ない自己革命化、その反転・危機・再興。そのとき、我々は、そのまさに原理が、絶え間ない自己変革機械である状態に対し、いかに変革をもたらしたらいいのか。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012年)