2019年5月12日日曜日

柄谷60年周期説から50年周期説へ

柄谷行人の『世界史の構造』には次の図がある。





「大恐慌」と「マルクスの死」はわたくしがつけ加えた。この図は見ての通り、歴史周期説で60年周期である。次に世界が変わるのは2050年ということになる。

ーーああ、なんと遠い未来なんだろ? ボクはとっくの昔に死んでるや。

柄谷行人はむかしから歴史周期説「愛好家」で、日本の歴史もそれで何度かやっている。歴史とは遡及的にみれば、「自在に」区切りがつけられるということはあるが、ま、過去を眺める分には、それなりにオモシロイ。

とはいえーー、次が遠すぎるのである。


蚊居肢歴史周期説を提案しなくてはならない。50年周期説である。




実際、ヴァレリーの『精神の危機』は、1919年から1922年のあいだに書かれた三つのエッセイであり、あれは精神の危機というよりも「ヨーロッパの父の危機」である。1968年の《父の蒸発 évaporation du père 》(ラカン「父についての覚書 Note sur le Père」1968年)は言うまでもない。

というわけで皆さん! 来年です、世界が変わるのは。楽しみにお待ちください。

この50年周期説だったら、古井由吉だってゴマンゾクなさることでしょう。

近代の資本主義至上主義、あるいはリベラリズム、あるいは科学技術主義、これが限界期に入っていると思うんです。五年先か十年先か知りませんよ。僕はもういないんじゃないかと思いますけど。あらゆる意味の世界的な大恐慌が起こるんじゃないか。

その頃に壮年になった人間たちは大変だと思う。同時にそのとき、文学がよみがえるかもしれません。僕なんかの年だと、ずるいこと言うようだけど、逃げ切ったんですよ。だけど、子供や孫を見ていると不憫になることがある。後々、今の年寄りを恨むだろうな。(古井由吉「すばる」2015年9月号)