2019年6月3日月曜日

書いていると思い込んでいるだけ

ああそれは、書いていると思い込んでいるだけである。

人はけっして他人のために書くのではないこと、何を書こうとも、そのことでいとしい人に自分を愛させることにはならぬのだということ、エクリチュールはなにひとつ補償せず、昇華もせぬこと、エクリチュールはまさしくあなたのいないところにあるのだということ、そうしたことを知ることこそが、エクリチュールのはじまりなのである。

Savoir qu'on n'écrit pas pour l'autre, savoir que ces choses que je vais écrire ne me feront jamais aimer de qui j'aime, savoir que l'écriture ne compense rien, ne sublime rien, qu'elle est précisément là où tu n'es pas - c'est le commencement de l'écriture. (ロラン・バルト『恋愛のディスクール』「書く」1977年)


まず背中を向けることである。イマジネールの不毛性からはやく逃れることである。


イタリアへの愛を語ってはいるが、それを伝えてくれないこれらの(『イタリア紀行』の)「日記」(これは少なくとも私自身の判断ですが)だけを読んでいると、憂鬱に(あるいは、深刻に)、「人はつねに愛するものについて語りそこなう on échoue toujours à parler de ce qu'on aime」 と繰り返すのももっともだと思うでしょう。

しかし、二十年後、これも愛のねじれた論理の一部である一種の事後作用après-coup により、スタンダールはイタリアについてすばらしい文章を書きます。それは、私的日記が語ってはいたが、伝えてはくれなかあったこの喜び、この輝きでもって、読者である私(私だけではないと思いますが)を熱狂させます。

この感嘆すべき文章とは『パルムの僧院』の冒頭数ページのことです。フランス軍の到着とともにミラノに《侵入した大量の幸福と快楽 la masse de bonheur et de plaisir qui fit irruption》とわれわれ自身の読む歓びとの間に奇跡的な調和があります。要するに、語られる印象と生み出される印象とが一致するのです。

どうしてこのような転覆 renversement が生じたのでしょうか。それは、スタンダールが、「日記」から「小説」へ、(マラルメの区別を採用すれば)「アルバム」から「書物」へと移り passant du Journal au Roman, de l'Album au Livre、生き生きとした、しかし、構成不能の断片である感覚la sensation, parcelle vive mais inconstructible を切り捨て、「物語 Récit」という、もっと適切にいえば、「神話Mythe」という、大きな媒介的形式に近づいたからにほかなりません。(⋯⋯)

要するに、「旅日記」と『パルムの僧院』との間で生じたことーーそこを通り過ぎたものーーはエクリチュールです。エクリチュールとは何でしょう。長い入門儀式の後に得られると思われる一つの力 puissance です。愛のイマジネールの不毛な不動性 immobilité stérile de l'imaginaire amoureux を打ち破り、愛の体験に象徴的一般性 généralité symbolique を与える力です。スタンダールは、若かった頃、『ローマ、ナポリ、フィレンツェ』を書いた頃、《……嘘をつくと、私はド・グーリ氏のようだ。私は退屈する》と書くことができました。彼はまた知らなかったのです。真理からの迂回 détour de la véritéであると同時にーー何という奇跡でしょうーー、彼のイタリア熱の、ようやくにして得られた表現であるような嘘が、小説的嘘 mensonge romanesqueがあるということを。(ロラン・バルト「人はつねに愛するものについて語りそこなう on échoue toujours à parler de ce qu’on aime 」1980年『テクストの出口』所収)


現在では人はみなこちらを向いている。たとえばアズマやらチバやらは徹底的に醜い。インテリ業界の後楽園のマウンドに立っている連中さえこれだからやむえない。とはいえあれは「書く」というものではない。人のことはまったく言えない身だが、なぜデュラス愛好者がそれをわからないのだろうか? 

愛とは、つまりあのイマージュである。それは、あなたの相手があなたに着せる l'autre vous revêt、そしてあなたを装う(あなたをドレスするhabille)自己イマージュ image de soi であり、またそれがはぎ取られる(脱ドレスされる êtes dérobée)ときあなたを見捨てるlaisse 自己イマージュである。(ラカン、マグリット・デュラスへのオマージュ HOMMAGE FAIT A MARGUERITE DURAS, AE193, 1965)
想像界 imaginaireから来る対象、自己のイマージュimage de soi によって強調される対象、すなわちナルシシズム理論から来る対象、これが i(a) と呼ばれるものである。(ミレール 、Première séance du Cours 2011)
愛自体は見せかけに宛てられる L'amour lui-même s'adresse du semblant。…イマジネールな見せかけとは、欲望の原因としての対象a[ (a) cause du désir」を包み隠す envelopper 自己イマージュの覆い habillement de l'image de soiの基礎の上にある。(ラカン、S20, 20 Mars 1973)



・イマージュは対象aを隠蔽している。l'image se cachait le petit (a).

・イマージュは、見られ得ないものにとってのスクリーンである。l'image fait écran à ce qui ne peut pas se voir(ジャック=アラン・ミレール 『享楽の監獄 LES PRISONS DE LA JOUISSANCE』1994年)


そのままでは疎外されるばかりだ。

主体の最も深刻な疎外は、主体が人に自分自身について話し始めたときに、起こる。Car c'est là l'aliénation la plus profonde du sujet […]sujet commence à nous parler de lui (Lacan, E281、1953年)
じっさい、私がもっとも自分の弱みをさらけ出す羽目になるのは、自分の《私的なこと》を口外するときである。弱みと言っても、「スキャンダル」の危険によって、というわけではなく、むしろ、私的なことをしゃべりながら私は自分というイマージュをそのもっとも堅い固形で提示してしまうからなのだ。そしてイマージュとはすなわち他人の捕獲権の支配下にある姿のことである。(『彼自身によるロラン・バルト』1975年)


誠実さというイマジネールの不毛性をなぜ知らないのだろう?

たとえば、カフカは、《自分の不安を根絶する》ために、いいかえれば、《救いを得る》ために日記をつけた。私にはこの動機は自然とは思えない。少なくとも終始不変とは思えない。伝統的に「私的日記」に与える目的についても同様である。もはやそれが適切とは思えない。それは《誠実さ》(自分を語る、自分をさらけ出す、自分を裁く)の効用や威光と結びつけられてきた。しかし、精神分析、サルトルの底意批判、マルクス主義のイデオロギー批判が告白を空しいものとしてしまった。誠実さは第二度の想像物〔イマジネール〕でしかない。(ロラン・バルト「省察」1979年『テクストの出口』所収)


もっともいまどきエクリチュールなどと言ってしまうのは酷かもしれない。ジュラ―ル・ジュネットは次のスタンダールの文について、《最も無遠慮かつみだらな仕方で自己について語ることが、自分を隠す最良の手段たりうる》と言っている。フィクションの手段を取らずに現在唯一残されたイマジネールの不毛性から逃れる方法はこれなのかもしれない。

私の母、アンリエット・ガニョン夫人は魅力的な女性で、私は母に恋していた。急いでつけくわえるが、私は七つのときに母を失ったのだ。Ma mère Madame Henriette Gagnon était une femme charmante et j'étais amoureux de ma mère. Je me hâte d'ajouter que je la perdis quand j'avais 7 ans.

おそらく六歳で彼女を愛したとき(一七八九年)、私は一八二八年に、アルベルト・ド・リュパンプレ(娼婦)を狂気のように愛したときと、絶対的に同じ性格をもっていた。幸福狩に出かける私のやりかたは、根本的にはまったく変わらなかった。ただ一つつぎの例外がある。恋愛における肉体的なものにたいしては、私はあたかもカエサルがこの世にもどって来て、大砲や小火器の使用にたいしたであろうと同じであった。私はそれをきわめて急速に習得したであろうが、そのことは私の戦術を根本的には何一つ変えなかったであろう。

私は母を接吻でおおうことを、また着物のないことをのぞんだ。彼女は私を熱愛し、よく私に接吻したが、私があまりはげしく母に接吻をかえすので母は逃げていかねばならぬことがよくあった。父が来て私たちの接吻の邪魔をするようなとき、私は彼を憎悪した。私はいつも母への接吻を乳房にあたえたがった。どうか忘れないでいただきたい、私は七歳になるかならぬに、母をお産で失ったのだ。(⋯⋯)

彼女は、私が彼女への愛を勝手に暴露したといって怒ることはできない。もしいつか私がふたたび彼女にめぐり会ったら、私はまた彼女に同じことを言うだろう。それに彼女はこの恋愛に全然協力的でなかった。彼女はベンツォーニ夫人が『ネラ』の著者にたいしてしたように、ヴェネツィア風に振る舞いはしなかった。私はといえば、このうえもなく罪深いものであり、私は彼女の魅力を狂気のように恋していたのだ。

ある夜、なにかの偶然で私は彼女の寝室の床の上にじかに、布団を敷いてその上に寝かされていたのだが、この雌鹿のように活発で軽快な女は自分のベッドのところへ早く行こうとして私の布団の上を飛び越えた。j'aimais ses charmes avec fureur. Un soir, comme par quelque hasard on m'avait mis coucher dans sa chambre par terre, sur un matelas, cette femme vive et légère comme une biche sauta par dessus mon matelas pour atteindre plus vite à son lit.(スタンダール『アンリ・ブリュラールの生涯』)


上にも一部引用したが、ジェラール・ジュネットと、そしてルイ・マランの注釈がまた途轍もなくすばらしい。彼らの文自体、《軽やかな音もなく走りすぎていくものたち、 わたしが神々しいトカゲ göttliche Eidechsen と名づけている瞬間を、 ちょっとのま釘づけにするという、 けっして容易ではない技術であるーー》(ニーチェ『この人を見よ』)。

ーーこれやれよ。パクリでもいいからさ、《蓮の葉に 小便すれば 御舎利かな》 

下手にやるとトカゲが「醜悪な性器」になっちまうんだな、ボクにはぜんぜんムリだね。

エゴチスムの逆説とはおよそ次のようなことだ。最も無遠慮かつみだらな仕方で自己について語ることが、自分を隠す最良の手段たりうるのである。エゴチスムは、この言葉のすべての意味において一つのパレードなのだ。その最も有効な証明が、おそらく「ブリュラール』のあの全く驚くべきエディプスの告白である。(⋯⋯)

専門家たちにとって、このようなテクストは一種のスキャンダルであるにちがいない。どんな解釈の余地があるのか、というわけだ。(⋯⋯)

何よりも語源的な意味におけるスキャンダルなのである。scandalonは《罠》を意味する。そして、言葉に表わせぬことを言うのは無限の罠だ。『ブリュラール』のおかげで、スタンダールの精神分析は未だにわれわれに甚だ不足している。(ジェラール・ジュネット Gerard Genette: Figure Ⅱ)
私はこの短いが有名な一節のなかに、ジュネットがそのすばらしい研究の他のところで強調している一つの特徴を見る。それは省略法、人を動揺させずにはおかぬ沈黙の効果だ。本質的なことは言われない。エクリチュールは雌鹿のように活発に軽やかに、視線の上を跳び越えてしまう。私は、ひと跨ぎ(un enjambement)と、見られてはならず、見られたら死なねばならぬものへの視線とを心にとめる。その視線は、テクスト生成の過程では記入されることも書かれることもできない。メドゥーサの目なのだ。(ルイ・マラン Louis Marin: La voix excommuniee)


以上、応答終り。あとはもししても、半年に一回程度。いや小便でたら応答するかも。背中を向けなくっちゃな。