2019年7月3日水曜日

真珠貝の法話

いやあ、純粋に感動しちゃったよ、真珠貝の法話に。


■「真珠貝に学ぶ
天然の真珠は一体どのようにして誕生するのでしょうか。

ある書物に次のような説明がされていました。

真珠貝と呼ばれる貝(主にアコヤ貝)は普段、砂の中で生息しています。すると、海水と一緒に砂や泥を吸い込みます。そういう異物が入ると貝は嫌がって吐き出そうとします。

たいていの異物は吐き出せるのですが、時たま、尖った石のかけらなどが入ってくることがあるそうです。貝は痛いので懸命に吐き出そうとするのですが、どうしても吐き出せない時があるそうです。

そんな時は致し方ありません。貝はその異物を体の中に保つしかありません

ところが、ここからが真珠貝の素晴らしいところなのです。

痛みに耐えながらも、異物によって内蔵を傷められないようにと、体から分泌物を出して、長い年月をかけてその異物を幾重にも幾重にも包み込み、そうして出来上がったのが、あの真珠の珠だそうです。

現在行われている真珠の養殖は、この真珠貝の習性を利用しているのです。

この説明を読んだ時、「私たちの人生もこれとよく似ているなぁ」と思いました。

私たちもこの真珠貝同様、毎日のように心の中に傷みが入ってきます
たいていの痛みは吐き出すことが出来ますが、時にぐさりと胸に突き刺ささって、吐き出そうにも吐き出せない痛みに出遭うこともあります。

そんな時私たちはどうしたらいいのでしょうか。
その時は仕方ないのです。痛みに耐えながらじっと胸の中に包み込む以外、方法はありません。

けれども、その痛みに耐えながらも、真珠貝と同じように、その苦しみを尊い宝石の玉に仕上げる道がこの人生に唯一つ開かれています。

(以下略)


砂のなかで棲息する真珠貝⋯⋯⋯《私たちもこの真珠貝同様、毎日のように心の中に傷みが入ってきます》《長い年月をかけてその異物を幾重にも幾重にも包み込み、そうして出来上がったのが、あの真珠の珠》ってのはな・・・


■真珠貝の核の砂粒
ここで、咳 Husten や嗄れ声 Heiserkeit の発作に対して見出したさまざまな決定因を総括してみたい。最下層には「器官的な誘引としてのリアルな咳の条件 realer, organisch bedingter Hustenreiz」 があることが推定され、それは「真珠貝が真珠を造りだすその周囲の砂粒 Sandkorn also, um welches das Muscheltier die Perle bildet 」のようなものである。

この刺激は固着しうる Reiz ist fixierbar が、それはその刺激がある身体領域と関係するからであり、ドラの場合、その身体領域 Körperregionが性感帯 erogenen Zone としての意味をもっているからなのである。したがってこの領域は興奮したリビドー erregten Libidoを表現するのに適しており、(このカタル Katarrhs)はおそらく、最初の心的外被psychische Umkleidungである。(フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片 Bruchstück einer Hysterie-Analyse(症例ドラ)』1905年)
現勢神経症 aktualneuroseは(…)精神神経症 Psychoneurosenに、「身体側からの反応 somatische Entgegenkommen」を提供する。現勢神経症は刺激性の(興奮を与える)素材を提供する。そしてその素材は「心的に選択された、心的外被 psychisch ausgewählt und umkleidet」を与えられる。従って一般的に言えば、精神神経症の症状の核ーー真珠の核の砂粒 das Sandkorn im Zentrum der Perleーーは身体的-性的発露 somatischen Sexualäußerung から成り立っている。(フロイト『自慰論』Zur Onanie-Diskussion、1912年)
現勢神経症 Aktualneurose の症状は、しばしば、精神神経症 psychoneurose の症状の核Kernであり、先駆け Vorstufe である。リビドー 興奮 libidinöse Erregung による身体の上への影響 Beeinflussungen des Körpersがある。…このリビドー興奮は、「母なる真珠の実体の層もった真珠貝を包む砂粒 Sandkorns, welches das Muscheltier mit den Schichten von Perlmuttersubstanz 」の役割を果たす。(フロイト『精神分析入門』第24章、1917年)


あの法話というのは、フロイト・ラカン理論の核心みたいなもんだよ。




フロイトはその理論の最初から、症状には二重の構造があることを識別していた。一方には「欲動」、他方には「プシュケ(心的なもの)」である。ラカン用語なら、現実界と象徴界である。……

フロイトは、《真珠貝が真珠を造りだすその周囲の砂粒 Sandkorn also, um welches das Muscheltier die Perle bildet のようなもの》(『あるヒステリー患者の分析の断片(症例ドラ)』1905)としている。享楽の現実界は症状の地階あるいは根なのであり、象徴界は上部構造なのである。(Lacan’s goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way by Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq、2002)
フロイトには「真珠貝が真珠を造りだすその周りの砂粒 Sandkorn also, um welches das Muscheltier die Perle bildet 」という名高い隠喩がある。砂粒とは現実界の審級にあり、この砂粒に対して防衛されなければならない。真珠は砂粒への防衛反応であり、封筒あるいは容器、すなわち原症状の可視的な外部である。内側には、元来のリアルな出発点が、「異物 Fremdkörper」として影響をもったまま居残っている。

フロイトはヒステリーの事例にて、「身体からの反応 Somatisches Entgegenkommen)」ーー身体の何ものかが、いずれの症状の核のなかにも現前しているという事実ーーについて語っている。フロイト理論のより一般的用語では、この「Somatisches Entgegenkommen」とは、いわゆる「欲動の根 Triebwurzel」、あるいは「固着 Fixierung」点である。ラカンに従って、我々はこの固着点のなかに、対象a を位置づけることができる。(ポール・バーハウPaul Verhaeghe, On Being Normal and Other Disorders: A Manual for Clinical Psychodiagnostics,、2004)


ようするに真珠貝の核の砂粒=異物=モノ=対象a=トラウマ=現実界(現勢神経症)なんだけどさ。




ーーみなさん、法話をちゃんとききましょう!