2019年9月16日月曜日

タロウファンリベラルのみなさんへの「こども版」

国民集団としての日本人の弱点を思わずにいられない。それは、おみこしの熱狂と無責任とに例えられようか。輿を担ぐ者も、輿に載るものも、誰も輿の方向を定めることができない。ぶらさがっている者がいても、力は平均化して、輿は道路上を直線的に進む限りまず傾かない。この欠陥が露呈するのは曲がり角であり、輿が思わぬ方向に行き、あるいは傾いて破壊を自他に及ぼす。しかも、誰もが自分は全力をつくしていたのだと思っている。(中井久夫「戦争と平和についての観察」『樹をみつめて』所収、2005年)



聞きたいことは信じやすいのです。はっきり言われていなくても、自分が聞きたいと思っていたことを誰かが言えばそれを聞こうとするし、しかも、それを信じやすいのです。聞きたくないと思っている話はなるべく避けて聞こうとしません。あるいは、耳に入ってきてもそれを信じないという形で反応します。(加藤周一「第2の戦前・今日」2004年)

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東浩紀を引用するが、彼の政治的態度ーーたとえば極端なデモ嫌いーーを全面的に信頼する者ではまったくないことを最初に断っておこう。

■れいわ新選組の躍進の背景にあるもの…東浩紀「これからリベラルは試される」2019年07月24日

東:僕としては、れいわ新選組ってかなりポピュリズム的な政党だと思うんです。つまり、「現実に実現できないかもしれないけど、そうなったらいいな」という口当たりのいい政策を使い、かなり劇場型政治を演出して、一気に浮動層をかき集めることがポピュリズムだとしたら、今回のれいわ新選組はまさにそうであって、次回の衆院選にもこの戦略を持って向かうので、今後このポピュリズムにどのように接していくのかをリベラルは試されているところだと思います。日本での今までのリベラルは、ポピュリズム批判はそのまま右派批判で、在特会(在日特権を許さない市民の会)やネットから出てきたポピュリズムの流れは右側の方が早かった。でもそういう人たちに対して、「お前らはポピュリズムの祭りだけやっている無責任な人たちだ」と言っていればリベラルはよかったわけですが、これからはリベラル側でもそういった状況がでてくる。そのときにそちらに乗ってしまうのか、そこは冷静に実現可能な政策を議論する人たちを育てていく側に行くのか。これはリベラルの言論人だけじゃなくて、有権者全体が試される状況になってきたなと思います。
(……)

東:元々、自民党の長期政権の中でなぜ左派がダメだったのかと言うと、現実に実現できないようなことばかり言っていて、「とりあえず『反自民党だ』と言えばなんとかなる」という人たちだと国民から思われて、左派とかリベラルは評判が悪くなった。それに対して、1990年代初めからの政界再編の中で「そうじゃないんだ」「やっぱり政権交代をすることが大事なんだ」という流れを作っていったんですよね。そのときにもう一度、単に反対しているだけの口当たりのいいことだけを言っているだけの、そして実現できないようなことばかり並べるのがリベラルになるのかどうかを、もう一度試されてきていると思うので、ここでポピュリズムに巻き込まれないでほしいなと僕は思っています。 


ーーポピュリストを自認している山本太郎への批判であるとともに、ポピュリズムに巻き込まれてしまっているリベラル批判である。

そのリベラルとはたとえば次のような人たちである。

内田樹@levinassien 2019年9月12日

昨日の『赤旗』のインタビューの最後に「共産党に望むことは?」と訊かれたので「山本太郎を真ん中にして、左右にウィングを拡げて挙国一致で救国戦線を結成してください」とお願いしました。よい流れだと思います。
想田和弘@KazuhiroSoda 2019年09月15日

言いたいのは、僕が山本太郎さんを応援しているのは、彼が政治家として素晴らしいビジョンを示していて、しかもその道筋を提案されているからです。人並外れた努力もされています。リーダーシップもあります。単に「いい人」だから応援しているのではありません
山崎 雅弘@mas__yamazaki 2019年07月23日

「SNSでいくら盛り上がっても、得票には繋がらないのでは?」という話もよく見たが、候補者断トツの99万2000票という数字は、そんな認識を吹き飛ばした。

もちろん票の源泉は、山本太郎議員らの街頭演説が持つ説得力で、それがSNSで拡散されて大量の票と寄付金に繋がった。選挙戦の新しい形を作った。 


この三人が「現実に実現できないかもしれないけど、そうなったらいいな」という山本太郎のビジョンに踊っているだけか否かの判断はしないでおこう。だが彼らの発言をいくらか眺めるかぎりでは、財政にはひどく弱いという印象をもたざるをえない。ほとんど無知に近いのではないかとさえ疑いたくなる三者である。

彼らを見ていると、小林秀雄の菊池寛論にある言葉を想起せざるをえないのである、「世の中で一番始末に悪い馬鹿、背景に学問も持った馬鹿」。

とくに想田和弘と山崎雅弘というふたりのヒロちゃんの言説は実に「正義の人」の構造をもっているようにみえる。

一般に「正義われにあり」とか「自分こそ」という気がするときは、一歩下がって考えなおしてみてからでも遅くない。そういうときは視野の幅が狭くなっていることが多い。 (中井久夫『看護のための精神医学』2004年)

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さてここで池田信夫を引用しよう。ここでもまた先に断っておかねばならない。わたくしは彼の原発や韓国などにかかわる歴史認識にかんしてはまったく好まない者であることを。だが信頼しうる経済学者たちは、山本太郎のヤの字にも触れないのであり、財政的面において池田信夫を引用せざるをえない。

そして以下の「こども版」である「山本太郎さんは消費税をなくして年金も減らすの?」はほぼ正統的な指摘をしているとわたくしは考えている。


■「山本太郎さんは消費税をなくして年金も減らすの?」池田信夫、2019年06月25日

選挙が近づいてきて、政治家のみなさんがバラ色の約束をするようになりました。中でもわかりやすいのは、山本太郎さんの「消費税の廃止」という公約ですが、8%の消費税をやめると18兆円の財源がなくなります。

国民年金(と基礎年金)の財源は半分、消費税から出るので、消費税をなくすと年金が減ります。年金について彼は何も語りませんが、年金財政の赤字をどうやって埋めるつもりなんでしょうか?
#山本太郎 #れいわ新選組#財務省 の #嘘 を動画にしました
騙されてはいけない、国の借金はあなたの借金ではない pic.twitter.com/ltFZ2VKkTG
— enserio (@enseriomajide) 2019年6月24日
山本さんは国債で埋めればいいといっています。彼の話では「国の借金はあなたの借金ではなく資産だから問題ない」そうです。これはまちがいではありません。

国債は政府が日本国民から借りるお金ですから、国としては得も損もしません。日本を一つの家庭と考えると、お父さんがお母さんからお金を借りても、家の中でお金が動くだけです。

でも国債を将来返すときは、増税しなければなりません。家の中でいうと、お父さんがお金を使ってしまって、お母さんに返すお金がないので、子どものおこづかいを取り上げるようなものです。

このときも家としては得も損もしませんが、お父さんは消費でき、お母さんは貸したお金に金利をつけて返してもらえるのに、子どもはおこづかいが減るだけです。つまり納税者は税金を取られるだけで消費できないので、消費は減ります。これが将来の納税者の負担です。

山本さんの支持者も、今は消費税がなくなると得しますが、将来は年金をもらえなくなります。山本さんも所得税の累進税率を強化し、法人税を累進課税(!)にするといっています。これは結局同じことですね。つまり彼は、今の消費税を将来の税金に置き換えているだけなのです。
「インフレ税」で年金給付は減る

永久に増税しない方法もあります。日銀がお札を印刷して国債を買うのです。お札を印刷できる国では、借金を返せないということはありません。消費税が18兆円足りなくなったら、1万円札を18億枚印刷すれば赤字は埋められます。

でも日本でいま流通しているお札は約100兆円ですから、18兆円もお札が出てくるとインフレになるんじゃないでしょうか?

大丈夫です。ハイパーインフレになりそうだったら、印刷をやめるのです。それで足りない財源は緊急に増税すればいいのです。でもインフレになってから増税するといって、すぐできるんでしょうか?
山本さんは「ハイパーインフレは先進国では起こらない」といっていますが、それは彼のような政治家が政権をとらなかったからです。頭のおかしい独裁者が政権をとった途上国では、ハイパーインフレはよく起こります。

れいわ新選組が政権をとって、山本首相が「借金は返さない」と宣言したら、国債が暴落して物価が上がり、ハイパーインフレになるでしょう。物価が2倍になったら、みなさんの銀行預金の値打ちは半分になり、国の借金も半分になります。

インフレは税金と同じなので、インフレ税と呼ばれることがあります。実質的な年金の価値は「年金給付額÷物価」で決まるので、給付額が同じでも物価が上がると実質的な給付は減ります。

これは政治的に手をつけられない年金給付を減らす最後の手段です。預金に課税するので格差は縮小しますが、医療や介護や生活保護などの社会保障も切り下げられます。

要するに老後までの人生を考えると、いま払う税金を減らしてもどこかで負担は発生するのです。山本さんの世代には、それがまだ見えていないだけです。それが彼が年金の話をしない理由でしょう。

どっちみち彼は年金をもらう年齢まで政治家を続ける気はないから、若い有権者に夢を見せて今年当選すればいいと思ってるんでしょう。それは選挙の戦術としては合理的です。そういう政治家が参議院東京選挙区で当選するのが、日本の民主主義なのです。

ーー「こども版」なので、簡潔に書かれすぎているところもある。だがおおむねの線はこうであるとわたくしは思う。

たとえば《お父さんは消費でき、お母さんは貸したお金に金利をつけて返してもらえるのに、子どもはおこづかいが減るだけです》とあるが、これは「財政的幼児虐待」と呼ばれる現象を示している。

「財政的幼児虐待 Fiscal Child Abuse」とは、ボストン大学経済学教授ローレンス・コトリコフ Laurence Kotlikoff の造りだした表現で、 現在の世代が社会保障収支の不均衡などを解消せず、多額の公的債務を累積させて将来の世代に重い経済的負担を強いることを言う。

つまり「財政的幼児虐待」の内実は次のような意味である。

公的債務とは、親が子供に、相続放棄できない借金を負わせることである(ジャック・アタリ『国家債務危機』2011年 )
簡単に「政治家が悪い」という批判は責任ある態度だとは思いません。

しかしながら事実問題として、政治がそういった役割から逃げている状態が続いたことが財政赤字の累積となっています。負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきたわけです。(池尾和人「経済再生 の鍵は不確実性の解消」2011)

「財政的幼児虐待」とは本来、いまここにいない「未来の他者への虐待」を言わんとしたことだが、日本の場合はそれだけではない。いまここに生きている若者たちがすでに、すくなくとも30年まえから引き続くポピュリズム政治(大衆迎合主義政治)による「財政的幼児虐待の犠牲者」である。


さてリベラルのみなさん、どうだろう? このままヤマモトタロウを応援し続けるなら、この「こども版」タロウ批判ぐらいには、反論したらどうだろう。タロウは《政治家として素晴らしいビジョンを示していて、しかもその道筋を提案されている》などというたぐいの「寝言」ばかりを言っていないで。

二宮尊徳曰く《道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である》である。

財務省などの行政側は、現在の驚くべき巨額の財政赤字と少子高齢化社会における社会保障費急増を国民に認知させようと必死であり、最近では「こども版」まで提示している→「これからの日本のために 財政を考える、財務省、令和元年6月、PDF」。

この資料はわたくしの知るかぎり、最もわかりやすく示された行政側の現状認識である。最低限、タロウファンはこれぐらいは十全にオベンキョウし、もしこうでないというなら「理論的に」反論したらよいのである。

ちなみに高校生版は「社会保障について」 (平成31年4月23日、PDF)であり、大学生版は「令和時代の財政の在り方に関する建議 令和元年6月 19 日 財政制度等審議会」(PDF)である。だがあれらタロウファンやそれを信奉する取り巻き連は「こども版」からはじめることをお勧めする。

ほかにもたとえば次の映像は、経済同友会による「こども版」(2019/09/06)である。




ーーこれはたとえば大前研一による次のような発言の映像化である。

これからの日本の最大の論点は、少子高齢化で借金を返す人が激減する中、膨張する約1000兆円超の巨大な国家債務にどう対処していくのか、という点に尽きます。

私は、このままいけば、日本のギリシャ化は不可避であろうと思います。歳出削減もできない、増税も嫌だということであれば、もうデフォルト以外に道は残されていません。

日本国債がデフォルトとなれば必ずハイパーインフレが起こります。(大前研一「日本が突入するハイパーインフレの世界。企業とあなたは何に投資するべきか」2017年)

もっともハイパーインフレについては一部の経済学者や政治家のなかにでさえ次のような立場があることを付記しておこう。

ハイパーインフレは、国債という国の株式を無価値にすることで、これまでの財政赤字を一挙に清算する、究極の財政再建策でもある。

 予期しないインフレは、実体経済へのマイナスの影響が小さい、効率的資本課税とされる。ハイパーインフレにもそれが当てはまるかどうかはともかく、大した金融資産を持たない大多数の庶民にとっては、大増税を通じた財政再建よりも望ましい可能性がある。(本当に国は「借金」があるのか、福井義高 2019.02.03)

大増税だけではない。社会保障大幅削減もある。前回しめしたように既存システム維持側からの基本的施策は現在に至るまで、2013年に示された10年に1度の財務次官といわれた武藤敏郎案かその変奏であるようにわたくしにはみえる。




社会保障は原因が非常に簡単で、人口減少で働く人が減って、高齢者が増えていく中で、今の賦課方式では行き詰まります。そうすると給付を削るか、負担を増やすかしかないのですが、そのどちらも難しいというのが社会保障問題の根本にあります。(小峰隆夫「いま一度、社会保障の未来を問う」2017年)
日本の場合、低福祉・低負担や高福祉・高負担という選択肢はなく、中福祉・高負担しかありえないことです。それに異論があるなら、 公的保険を小さくして自己負担を増やしていくか、産業化するといった全く違う発想が必要になるでしょう。(財政と社会保障 ~私たちはどのような国家像を目指すのか~ 大和総研理事長武藤敏郎、 2017年1月18日)


………

最後に古賀茂明によるタロウ批判を掲げておこう。これは池田信夫の「こども版」をいささか程度を上げた「高校生版」であり、タロウ批判だけではなく全政党批判でもある。


■古賀茂明「山本太郎の『MMT』理論はアベノミクスと本質は同じ」(2019.07.29

 選挙が終わって暗い気持ちになった。理由の一つは、投票率が50%割れとなったことだ。

 投票率が上がるのは、何かが変わると思ったときか、どうしても変えなければならないと感じたときだ。ということは、多くの人が、どうせ変わらないと考え、しかも、変わらなくてもそんなに困ることにはならないと考えていることを示す。一億総弛緩社会の始まりだ。

 安倍政権が、選挙向けフェイクを交えて庶民を安心させる言葉を並べているのに、マスコミが選挙期間中は安倍政権の問題点を報じない。このままだと政治に変化は訪れないだろう。 
 暗い気持ちになったもう一つの理由は、今回の選挙戦の結果、今後の政治のテーマがバラマキ競争になることが決まったことだ。

 これには、れいわ新選組の「MMT」(現代貨幣理論)に基づく徹底的分配政策が影響している。MMTは、自国通貨建ての借金をどんなに増やしても、政府が通貨を発行して返済すればよいので、国家破たんはないという考え方だ。バラマキを続ければ景気が良くなって国民生活も向上し、財政も健全化に向かうという。

 ただし、インフレになることは認めていて、そのときは、財政を引き締めたり金利を上げれば、ハイパーインフレは防げるという。

 眉唾だと思う人は多いだろう。しかし、よく考えると、これはアベノミクスと似ている。世界に類を見ない規模に借金を増やし、公共事業、幼児教育・高校無償化などの歳出を増やす。景気が良くなれば国民が豊かになり、税収も増えて財政も健全化に向かうという。MMTと同じではないか。

 ただ、アベノミクスには、MMTと一つ大きな違いがあった。財源なきバラマキを公には否定していたことだ。だから、社会保障財源の名目で再増税を決めた。

 既成野党は、増税を否定し、明確な財源も示さないのでMMTに近い。れいわは消費税廃止まで打ち出したが、国民受けが良いということで、与野党とも安心して「財源なきバラマキ」を訴える素地が広がった。
驚いたのは、安倍総理の「10年間消費増税なし」宣言。アベノミクスがMMTに同化した。これで、今後は、財源なきバラマキ競争になることが決まった。対立軸は、「タカ派のバラマキ」か「ハト派のバラマキ」かと言えばよいのか。

 アベノミクスとMMTのもう一つの共通点は、そのうち景気が良くなって国民生活が向上するという楽観論に何の具体的な裏打ちもないことだ。アベノミクスでは成長戦略がそれを担っていたが、結局何もできず、物価は上がったが、実質賃金は下がってしまった。

 MMTの実施は、これまで失敗したアベノミクスをさらに派手に推進するということ。円安も物価上昇ももう一段進むだろう。しかし、成長戦略なきバラマキでは、生産性は上がらず、名目賃金は上がっても実質的な生活向上は望めない。インフレが高まり、バラマキをやめるときには、日本経済は極端な不況に陥るか、それを恐れた政府がバラマキを続けて物価急上昇となるかのどちらかだ。株も土地も暴落し、中国企業が買い漁るが、それに対抗する日本企業は皆無となる。

 そう考えると、カリスマ投資家ジム・ロジャーズではないが、私も日本の若者に早く海外に出ろと言いたい。海外で大金を稼ぎ、日本が買い叩かれるときに、日本買いに入ってくれと。

 ただし、そのとき彼らがそれだけの価値を日本に見いだしてくれればの話だが……。

なお蚊居肢ブログの仮の登場人物「仮厦」によるこども版は「タロウちゃんの「充実」」である。