2019年10月30日水曜日

女性の享楽はタナトスである

何度も示しているが、晩年のラカンの女性の享楽とは解剖学的女性とは基本的に関係がない(人はどうしても「女性」というイマジネールな意味合いに囚われてしまいがちだが)。

最後のラカンの「女性の享楽」は、セミネール18 、19、20とエトゥルディまでの女性の享楽ではない。第2期がある。そこでは女性の享楽は、享楽自体の形態として一般化される la jouissance féminine, il l'a généralisé jusqu'à en faire le régime de la jouissance comme telle。

その時までの精神分析において、享楽形態はつねに男性側から考えられていた。そしてラカンの最後の教えにおいて新たに切り開かれたのは、「享楽自体の形態の原理」として考えられた「女性の享楽」である c'est la jouissance féminine conçue comme principe du régime de la jouissance comme telle。(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 2/3/2011) 

女性の享楽とは享楽自体=サントームの享楽(原症状の享楽)であり、身体の出来事(トラウマ)の反復強迫である。



現実界の反復強迫
問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている。le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme.  (Lacan, S23, 13 Avril 1976)
現実界は書かれることを止めない。 le Réel ne cesse pas de s'écrire (ラカン、S 25, 10 Janvier 1978)
サントームは身体の出来事として定義される Le sinthome est défini comme un événement de corps (ミレール , L'Être et l'Un、30 mars 2011)
純粋な身体の出来事としての女性の享楽 la jouissance féminine qui est un pur événement de corps …(Miller, L'Être et l'Un、2/3/2011)
享楽は身体の出来事である la jouissance est un événement de corps…享楽はトラウマの審級 l'ordre du traumatisme にある。…享楽は固着の対象 l'objet d'une fixationである。( J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)
フロイトが固着と呼んだもの…それは享楽の固着 [une fixation de jouissance]である。(J.-A. MILLER, L'Autre qui  n'existe pas et ses comités d'éthique, 26/2/97)
享楽はまさに固着である。…人は常にその固着に回帰する。La jouissance, c'est vraiment à la fixation […] on y revient toujours. (Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009)
享楽の固着とそのトラウマ的作用がある fixations de jouissance et cela a des incidences traumatiques. (Entretiens réalisés avec Colette Soler entre le 12 novembre et le 16 décembre 2016)
反復を引き起こす享楽の固着 fixation de jouissance qui cause la répétition、(Ana Viganó, Le continu et le discontinu Tensions et approches d'une clinique multiple, 2018)
フロイトの反復は、心的装置に同化されえない inassimilable 現実界のトラウマ réel trauma である。まさに同化されないという理由で反復が発生する。(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un,- 2/2/2011 )
サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である。Le sinthome, c'est le réel et sa répétition. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 9/2/2011)


もし享楽の固着による反復強迫が解剖学的女性にかかわるとすれば、それは病因的トラウマとしての身体の出来事が、ほとんど常に母女にかかわるからである。つまり幼児期に人がみなもつ、身体の世話に伴う母もしくは母親役の人物による「身体の上への刻印=固着」である。



トラウマへの固着と反復強迫
(フロイト『モーセと一神教』1938年)
Fixierung an das Trauma und Wiederholungszwang. 
女への固着(通常は母への固着)
(性欲論、1905年)
Fixierung an das Weib (meist an die Mutter)
母への愛の欲求の固着
(レオナルドダヴィンチ論、1910年)
Fixierung der Liebesbedürfnisse an die Mutter
原対象選択の人物への固着 
(精神分析について、1910年)
Fixierung an die Personen der primitiven Objektwahl
母へのエロス的固着
(精神分析概説、1938年)
erotischen Fixierung an die Mutter
母への原固着 =原トラウマ=出産外傷 
(終りなき分析、1937年)
»Urfixierung«an die Mutter =UrtraumaTrauma der Geburt
外傷神経症 traumatischen Neurosen は、外傷的出来事の瞬間への固着 Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles がその根に横たわっている。(フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着 Die Fixierung an das Trauma」1916年)





ようするにトラウマへの固着による反復強迫とは、外傷神経症である。これは事故的外傷神経症ではなく、人が誰もがが免れえない構造的外傷神経症である。

われわれの研究が示すのは、神経症の現象 Phänomene(症状 Symptome)は、或る経験と印象の結果だという事である。したがってその経験と印象を「病因的トラウマ ätiologische Traumen」と見なす。…

このトラウマは自己身体の上への経験 Erlebnisse am eigenen Körper もしくは感覚知覚Sinneswahrnehmungen である。…また疑いなく、初期の自我への傷 Schädigungen des Ichs である(ナルシシズム的屈辱 narzißtische Kränkungen)。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1938年)

したがって享楽=女性の享楽(サントームの享楽)とは、構造的外傷神経症である。

以下の表の右側の「女性の享楽=身体の享楽」が構造的外傷神経症である。左側は「男性の享楽=言語の享楽」としたが、事実上、言語内の快楽もしくは欲望ということであり、身体のリアル=トラウマに対する防衛である。

欲望は享楽に対する防衛である le désir est défense contre la jouissance (Jacques-Alain Miller L'économie de la jouissance、2011)


Symbolique
象徴界
Réel
現実界
jouissance masculine 
男性の享楽
jouissance féminine
女性の享楽
jouissance 
du langage
言語の享楽
jouissance 
du corps 
身体の享楽




symptôme
症状
sinthome
サントーム
vérité
真理
jouissance
享楽
désir
欲望
pulsion
欲動
tuché
テュケー
automaton
オートマトン
manque
欠如
trou
manque-à-être
存在欠如
être
存在
sujet
主体
parlêtre
言存在
fantasme
幻想
corps
身体
Jacques-Alain Miller , Orientation lacanienne III, 8.  (09/09/2005)
ここでのtuché/automatonとは、次の意味。
fonction du réel
dans le Symbolique
象徴界の中の
現実界の機能
Automatismus
フロイトの
自動反復
Automatismus=リビドー固着Fixierungen der Libido(享楽の固着 fixations de jouissance)による無意識のエスの反復強迫 Wiederholungszwang des unbewußten Es(フロイト、1926) 


反復強迫とはその定義上、死の欲動であり、つまりは女性の享楽とはタナトスである。

フロイトは反復強迫を例として「死の本能」を提出する。これを彼に考えさえたものに戦争神経症にみられる同一内容の悪夢がある。…これが「死の本能」の淵源の一つであり、その根拠に、反復し、しかも快楽原則から外れているようにみえる外傷性悪夢がこの概念で大きな位置を占めている。(中井久夫「トラウマについての断想」2006年)
すべての欲動は実質的に、死の欲動である。 toute pulsion est virtuellement pulsion de mort(ラカン、E848、1966年)


もしどうしても解剖学的女性に拘りたい方は、「女性の享楽」ではなく、「女性の穴」、もしくは「女性の去勢」という言葉を使われることが望ましい。そうすれば女性の享楽なるものを「ロマンチックにー文学的に」夢見るはしたなさからたちまち逃れられる筈である。


享楽は穴である la jouissance est le trou
問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. Lacan, S23, 13 Avril 1976
享楽は現実界にある。la jouissance c'est du Réel.(ラカン, S23, 10 Février 1976)
現実界は…穴=トラウマを為す[fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)
穴を為すものとしての「他の身体の享楽」jouissance de l'autre corps, en tant que celle-là sûrement fait trou (ラカン、S22、17 Décembre 1974)
享楽自体、穴を為すものであるjouissance même qui fait trou。(Jacques-Alain Miller, Passion du nouveau、2003)
享楽は去勢である la jouissance est la castration
享楽は去勢である。la jouissance est la castration. 人はみなそれを知っている。それはまったく明白ことだ。Tout le monde le sait, parce que c'est tout à fait évident(Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)
疑いもなく、最初の場処には、去勢という享楽欠如の穴がある。Sans doute, en premier lieu, le trou du manque à jouir de la castration. (コレット・ソレール Colette Soler, Les affects lacaniens, 2011)
享楽の原像は母の去勢である
去勢は、自己身体の享楽を徴す障害の名である。la castration, c'est le nom de l'obstacle qui marque la jouissance du corps propre.(Jacques-Alain Miller Introduction à l'érotique du temps、2004)
乳児はすでに母の乳房が毎回ひっこめられるのを去勢、つまり自分自身の身体の重要な一部の喪失Verlustと感じるにちがいないこと、規則的な糞便もやはり同様に考えざるをえないこと、そればかりか、出産行為 Geburtsakt がそれまで一体であった母からの分離 Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war として、あらゆる去勢の原像 Urbild jeder Kastration であるということが認められるようになった。(フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註)
去勢ー出産 Kastration – Geburtとは、全身体から一部分の分離 die Ablösung eines Teiles vom Körperganzenである。(フロイト『夢判断』1900年ーー1919年註)
人間の最初の不安体験 Angsterlebnis は出産であり、これは客観的にみると、母からの分離 Trennung von der Mutter を意味し、母の去勢 Kastration der Mutter (子供=ペニス Kind = Penis の等式により)に比較しうる。(フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年)
要するに、去勢以外の真理はない。En somme, il n'y a de vrai que la castration  (Lacan, S24, 15 Mars 1977)