2019年11月1日金曜日

股開き欲動

蚊居肢散人の脳髄のなかでは、ほとんどの女性には股開き欲動(開脚欲動)がかならずある。

フロイトは次のような形で、覗き見欲動と露出欲動の反転があることを示している(反転とは投射の一種である。マゾヒズムがサディズムになるように、愛が憎悪になるように反転する。天秤の左右の皿の機制である)。



これを利用して言ってみよう。たとえば、母の性器の覗見欲動は幼児期ほとんど誰にでもでもあった筈。そしてこれが反転すれば、性器の誇示欲動、露出欲動になる。

フロイトを受け入れて言うなら、女性に股開き欲動があるのは当然である。母の性器覗見欲動は知の欲動の起源だというのがフロイトだから。


メリ・ローラン(マネ、マラルメの愛人)



スフィンクスの謎 Das Rätsel der Sphinx

小児の性生活が最初の開花に達するのと同じ時期、つまり三歳から五歳までの年頃に、小児にはまた、知の欲動あるいは探究欲動 Wiß- oder Forschertrieb にもとづく活動の発端が現われてくる。この欲動は、本源的な欲動成分 elementaren Triebkomponenten とみなすわけにもゆかず、またセクシャリティSexualität だけに区分することもできない。この活動は一方では独占 Bemächtigung の昇華された仕方sublimierten Weise に対応し、他方では覗見欲Schaulustのエネルギーを用いて行われる。しかし性生活への関係がとくに重要なのであって、それというのは、小児たちの知の欲動 Wißtrieb は思いもよらないほどに早く、また意想外に激しい仕方で、性的問題 sexuellen Problemen に惹きつけられる、いやそれどころか、おそらくは性的問題によってはじめて目ざめさせられる、ということをわれわれは精神分析によって知ったからなのである。…

小児における探究活動の働きを進行させるのは、理論的な関心ではなくて、実践的な関心である。次の子供が実際に生れたり、やがては生まれるという予想のために自分の生存条件が脅かされたり、またこの出来事と関連して、親の愛や庇護を失うかもしれないと恐れるために、小児は物思いがちになったり、敏感になったりするのである。この探究活動の発達段階において、小児が熱中する最初の問題は、性差 (ジェンダー差異 Geschlechtsunterschiedes)の問題ではなく、子供はどこからやってくるのかWoher kommen die Kinder? という謎である。これは、テーベのスフィンクス thebaische Sphinx がかけた謎の一つの変形である。(フロイト『性欲論三篇』1905年)

こういったことは個人的先史時代の話だから、ほとんど忘却されているではあろうが。

私たちは成人文法性成立以前の記憶には直接触れることができない。本人にとっても、成人文法性以前の自己史はその後の伝聞や状況証拠によって再構成されたものである。それは個人の「考古学」によって探索される「個人的先史時代」である。縄文時代の人間の生活や感情と同じく、あて推量するしかない。これに対して成人文法性成立以後は個人の「歴史時代」である。過去の自己像に私たちは感情移入することができる。(中井久夫「外傷性記憶とその治療ーー 一つの方針」初出2003年『徴候・記憶・外傷』)





ーーこのオルセー美術館にてクールベの「世界の起源」の前で開脚する女性アーティストDeborah de Robertisちゃんこそまともな女性ではなかろうか?

ラブレーは、女にヴァギナギを見せつけられた悪魔は退散しているって言ってるが、悪魔は慣れてなかっただけである、悪魔ではない人類はそろそろ女性の欲動の真の解放のために股開きに慣れなくてはならない、これこそ21世紀の女性解放運動トスベキデアル。

自然的本性を熊手で無理やり追いだしても、それはかならずや戻ってやってくるだろう。Naturam expellas furca, tamen usque recurret (ホラティウス Horatius, Epistles) 

この開脚欲動は、ふつうは制止(あるいは防衛反応として「回避」)されている場合が多いだろうが、防衛しているファルス的鎧ーーフロイト用語では「心的外被 psychisch  umkleidet」ーーが剥がれ落ちてしまえば、この欲動がきっと現れる。

ファルス人格じゃない女性にとっては、あったりまえだよ、股を開きたいってのは。

あったりまえのことを抑圧してるから、パニック発作とか摂食障害とかがおこるんじゃないかとボクは睨ンデイル・・・いやあこれはいくらなんでも消しとかないとダメだ。


原幼児期には母は全能の母として現れる。

全能 omnipotence の構造は、母のなか、つまり原大他者 l'Autre primitif のなかにある。あの、あらゆる力 tout-puissant をもった大他者…(ラカン、S4、06 Février 1957)

つまり母なる女の支配がある。

(原母子関係には)母なる女の支配 dominance de la femme en tant que mère がある。…語る母・幼児が要求する対象としての母・命令する母・幼児の依存 dépendance を担う母が。(ラカン、S17、11 Février 1970)

この全能の母との同一化がある、大半の女性には。

ラカンは、この母との同一化を《ファリックマザーとの同一化 s'identifie à la mère phallique》(S4, 1957)と言ったけれど、ここではよりいっそう綿密に記されているフロイト を引こう。

女性の母との同一化 Mutteridentifizierung は二つの相に区別されうる。つまり、①前エディプス期präödipale の相、すなわち母への愛着 zärtlichen Bindung an die Mutterと母をモデルとすること。そして、②エディプスコンプレックス Ödipuskomplex から来る後の相、すなわち、母から逃れ去ろうとして、母の場に父を置こうと試みること。(フロイト『続・精神分析入門講義』第33講「女性性 Die Weiblichkeit」、1933年)
母との同一化 Mutteridentifizierungは、母との結びつき Mutterbindung を押しのける ablösen 。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)

多くの女性が原愛の対象である母から逃れているのは、つまりマザコンでないのは、母との同一化のせいである。

母が男女ともに原初の愛の対象であるのは、どうしたって認めざるをえない。

母は、子供を滋養するだけではなく、世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を子供に引き起こす。身体を世話することにより、母は、子供にとって「原誘惑者 ersten Verführerin」になる。この二者関係 beiden Relationen には、独自の、比較を絶する、変わりようもなく確立された母の重要性の根が横たわっている。全人生のあいだ、最初の最も強い愛の対象 Liebesobjekt として、のちの全ての愛の関係性Liebesbeziehungen の原型としての母ーー男女どちらの性 beiden Geschlechternにとってもである。(フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』草稿、死後出版1940年)

母とは原誘惑者であり、原支配者だから、悪の根源みたいなもんだよ。 その母との同一化がある女ってのも、諸悪の根源にきまってるダロ?

女はその本質からして蛇であり、イヴである Das Weib ist seinem Wesen nach Schlange, Heva」――したがって「世界におけるあらゆる禍いは女から生ずる vom Weib kommt jedes Unheil in der Welt」(ニーチェ『アンチクリスト』1888年)

ええっと、話を戻せば、大半の女性はこの「母との同一化」によりーー母を取り入れることによりーーナルシシズムとなる。つまり母が娘を愛したり世話したりするように、自身を愛し世話をするようになる(これは男性の同性愛者も同じメカニズム)。

女児の人形遊び Spieles mit Puppen、これは女性性 Weiblichkeit の表現ではない。人形遊びとは、母との同一化 Mutteridentifizierung によって受動性を能動性に代替する Ersetzung der Passivität durch Aktivität 意図を持っている。女児は母を演じているのである spielte die Mutter。そして人形は彼女自身である Puppe war sie selbst。(フロイト『続・精神分析入門講義』第33講「女性性 Die Weiblichkeit」1933年)
われわれは、女性性には(男性性に比べて)より多くのナルシシズムがあると考えている。このナルシシズムはまた、女性による対象選択 Objektwahl に影響を与える。女性には愛するよりも愛されたいという強い要求があるのである。geliebt zu werden dem Weib ein stärkeres Bedürfnis ist als zu lieben.(フロイト『新精神分析入門』第33講「女性性」1933年)

これらがフロイトの考え方だ。みとめざるをえないね。チガウカイ?

この考え方に則れば、知の欲動の起源ーー「子供はどこからやってくるのか」への探究欲動ーーのヴァリエーションでありうる開脚欲動の主因のひとつはナルシシズムである。





もちろんそうでない場合もあるだろうが、ベースはここにしかない。ベースとは、つまり開脚欲動とナルシシズムのベースは、ということである。

開脚欲動を抑圧している女たちのほうをむしろ笑い飛ばすべきではなかろうか、あたしどうしてこんなに股を開きたくなっちゃんでしょ、なんて思い悩んでいないで。シツレイ! これも消しとかないとな。