2019年12月2日月曜日

蝦蟇口とソーセージ問題ふたたび

注意しよう、ラカンの妄想の普遍性というテーゼはフロイトのテーゼであることを。(Jacques-Alain Miller, Clinique ironique ,1993)
フロイトはすべてはただ夢のみだと考えた。すなわち人はみな(もしこの表現が許されるなら)、ーー人はみな狂っている。すなわち人はみな妄想する。

Freud[…] Il a considéré que rien n’est que rêve, et que tout le monde (si l’on peut dire une pareille expression), tout le monde est fou, c’est-à-dire délirant (Jacques Lacan, « Journal d’Ornicar ? », 1979)
女というものは存在しない。女たちはいる。だが女というものは、人間にとっての夢である。La femme n'existe pas. Il y des femmes, mais La femme, c'est un rêve de l'homme.(Lacan, Conférence à Genève sur le symptôme 、1975)
女というものは存在しないLa femme n’existe pas。しかし存在しないからこそ、人は女というものを夢見るのです。女というものは表象の水準でniveau du signifiantは見いだせないからこそ、我々は女について幻想をし、女の絵を描き、賛美し、写真を取って複製し、その本質を探ろうとすることをやめないのです。(ジャック=アラン・ミレール「エル・ピロポ El Piropo 」1981年)

夢をみるとは、上にあったように妄想することである。したがって人はみな女というものを妄想する。妄想するのは男性だけではなく、女性も女というものを妄想する。




アリアドネよ、私はあなたを愛している。ディオニュソス Ariadne, ich liebe Dich! Dionysos (ニーチェ、Turin, vermutlich 3. Januar 1889: Brief an Cosima Wagner)
ああ、アリアドネ、あなた自身が迷宮だ。人はあなたから逃れえない。…
Oh Ariadne, du selbst bist das Labyrinth: man kommt nicht aus dir wieder heraus” ...(ニーチェ、1887年秋遺稿)
わたしのほかに誰が知ろう、アリアドネが何であるかを was Ariadne ist!……これらすべての謎は、いままでだれ一人解いた者がなかった。そこに謎があることに気がついた者さえいるかどうか疑わしい。(ニーチェ『この人を見よ』1888年)

ーー『エスの本 Das Buch vom Es』(1923)を上梓してフロイトに多大な影響を与えたゲオルク・グロデックが別の場で示したように、「アリアドネが何であるか was Ariadne ist!」は、当初は 「Wer Ariadne ist(アリアドネは誰であるか)」であったが、最終的に「was Ariadne ist! (何であるか)」に変えられているのである。

本源的に抑圧されている要素は、常に女性的なものではないかと想定される。Die Vermutung geht dahin, daß das eigentlich verdrängte Element stets das Weibliche ist (フロイト, Brief an Wilhelm Fließ, 25, mai, 1897)
「女というもの La Femme」 は、その本質において dans son essence、女 la femme にとっても抑圧されている。男にとって女が抑圧されているのと同じように aussi refoulée pour la femme que pour l'homme。(ラカン、S16, 12 Mars 1969)

ーーここでの抑圧は、原抑圧である。

われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧Verdrängungenは、後期抑圧 Nachdrängen の場合である。それは早期に起こった原抑圧 Urverdrängungen を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力anziehenden Einfluß をあたえる。(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

引力とは、フロイトにとって愛(エロス)でもあることに注意しておこう。

こうしてやはり「蝦蟇口とソーセージ」問題に思いを馳せざるをえない。

彼女は三歳と四歳とのあいだである。子守女が彼女と、十一ヶ月年下の弟と、この姉弟のちょうど中ごろのいとことの三人を、散歩に出かける用意のために便所に連れてゆく。彼女は最年長者として普通の便器に腰かけ、あとのふたりは壺で用を足す。彼女はいとこにたずねる、「あんたも蝦蟇口を持っているの? ヴァルターはソーセージよ。あたしは蝦蟇口なのよ Hast du auch ein Portemonnaie? Der Waller hat ein Würstchen, ich hab' ein Portemonnaie」いとこが答える、「ええ、あたしも蝦蟇口よ Ja, ich hab' auch ein Portemonnaie」子守女はこれを笑いながらきいていて、このやりとりを奥様に申上げる、母は、そんなこといってはいけないと厳しく叱った。(フロイト『夢解釈』第6章「夢の仕事Traumarbeit」)

この問題をやや難しくいえば、こうなる。

男性性は存在するが、女性性は存在しない gibt es zwar ein männlich, aber kein weiblich。(⋯⋯)

両性にとって、ひとつの性器、すなわち男性性器 Genitale, das männliche のみが考慮される。ここに現れているのは、(解剖学的な)性器の優位 Genitalprimat ではなく、(徴としての)ファルスの優位 Primat des Phallus である。(フロイト『幼児期の性器的編成(性理論に関する追加)』1923年)
ファルスのゲシュタルトは、その徴がなされているか、徴がなされていないかとしての両性を差異化する機能を果たすシニフィアンを人間社会に提供する。(Safouan , Lacaniana、2001)
女性のシニフィアンの排除がある。これが、ラカンの「女というものは存在しない」の意味である。il y a une forclusion de signifiant de La femme. C'est ce que veut dire le “La femme n'existe pas”

この意味は、我々が持っているシニフィアンは、ファルスだけだということである。Ça veut dire que le seul signifiant que nous ayons, c'est le phallus. (J.-A. Miller, Du symptôme au fantasme et retour, Cours du 27 avril 1983)

原抑圧用語を使っていえばこうなる。

フロイトの原抑圧とは何よりもまず固着である。…この固着とは、何ものかが心的なものの領野外に置き残されるということである。…この固着としての原抑圧は「現実界のなかに女というものを置き残すこと」として理解されうる。[Primary repression can […]be understood as the leaving behind of The Woman in the Real. ](PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?, 1997)
「性関係はない Il n'y a pas de rapport sexuel」。これは、まさに「女性のシニフィアンの排除 forclusion du signifiant de la femme) 」が関与している。…

私は、フロイトのテキストを拡大し、「性関係はないものとしての原抑圧の名[le nom du refoulement primordial comme Il n'y a pas de rapport sexuel」を強調しよう。…話す存在 l'être parlant にとっての固有の病い、この病いは排除と呼ばれる[cette maladie s'appelle la forclusion]。女というものの排除 la forclusion de la femme、これが「性関係はない 」の意味である。(Jacques-Alain Miller, Choses de finesse en psychanalyse III, Cours du 26 novembre 2008)


異なった角度からいえばこうなる。

ファルスの意味作用 Die Bedeutung des Phallusとは実際は重複語 pléonasme である。言語には、ファルス以外の意味作用はない il n'y a pas dans le langage d'autre Bedeutung que le phallus。(ラカン, S18, 09 Juin 1971)
象徴界は言語である。Le Symbolique, c'est le langage(Lacan, S25, 10 Janvier 1978)

例えば、あなたが「私」といえば、これは最も代表的なファルスのシニフィアンであり、あなたは典型的なファルス主義者である。

「男と女のあいだは、うまくいかんもんだよ」、ファルスは始終それを繰り返していた…これは彼の教義の隅石だった。彼はそれをいつまでも声高に主張していた…(ソレルス『女たち』)




真のフェミニスト、ジュリエット・ミッチェルは実に美しい顔をしている。

私たちは、堪え難い現実から逃れるために、その発見者(フロイト)を批判するだけではまったく充分ではない。(ジュリエット・ミッチェル Juliet Mitchell『精神分析とフェミニズムPsychoanalysis and Feminism』Penguin Books, 1990, p. 299)