2019年12月25日水曜日

かたつむりの歌




ああ、私はルーサンヴィルの楼閣に哀願したけれども空しかったーーコンブレーの私たちの家のてっぺんの、アイリスの香がただよう便所にはいって、半びらきの窓ガラスのまんなかにその尖端しか見えないルーサンヴィルの楼閣に向って、その村の女の子を私のそばによこしてほしい、とたのんだけれども空しかったーーそしてそこにそうしているあいだに、あたかも何か探検をくわだてている旅行者か、自殺しようとする絶望者のような、悲壮なためらいで、気が遠くなりながら、私は自分自身のなかに、ある未知の道、死の道とも思われた一つの道をかきわけていた、そしてそのあげくは、私のところまで枝をたわめている野性の黒すぐりの葉に、あたかもかたつむりが通った跡のように見える、自然に出たものの跡が、一筋つくのであった。(プルースト「スワン家のほうへ」)





…ところでこの静かな水は乳である
また 朝の柔らかな孤独にひろがるすべてのものである。
夜明け前、夢の中のように 曙を溶かした水で洗われた橋が空と美しい交わりをむすぶ。そして讃うべき陽光の幼い日々が いくつも巻いたテントの柵をつたって じかにぼくの歌に降りてくる。


いとしい幼年期よ、追憶に身をゆだねさえすればよい…あのころぼくはそう云ったろうか? もうあんな肌着などほしくない


そしてこの心、この心、ほらあそこに、心は橋の上をずるずると裾ひきずって行くがよいのだ、古びた雑巾ぼうきよりもつつましく 荒々しく
くびれ果てて…

ーーサン=ジョン・ペルス詩集 多田智満子訳