2019年12月4日水曜日

セルゲイの祈り

セルゲイ・カスプロフ Sergei Kasprov はほんとにいい男だな、彼にはつねに静謐さと祈りがある。ボクが女だったら彼に徹底的に惚れ込むね(あまり人気がでないようだが)。

現在生きているピアニストではピョートル・アンデルジェフスキ Piotr Anderszewski ーー、彼のシューマンの幽霊変奏はほんとにスバラシイ、とくに前半の沈潜が。後半はエクスタシーすぎる。後半は自殺未遂後作曲したんだけど、これではボクにはうるさいーーと同じくらい惹きつけられる演奏家だよ。





これはそれぞれの曲の断片のみだが冒頭の曲は、「J-B.レイエ:ハープシコードまたはスピネットのためのレッスンIより」らしい。

Jean-Baptiste Lœillet (de Londres), 1680年11月18日 - 1730年7月19日

スカルラッティにとても似ているが、ほとんど演奏されない作曲家のようで、上の曲自体は、youtubeにはない。

だがセルゲイと同じロシアの演奏家がレイエの曲を演奏している。

■J. B. Loeillet - Gigue (suite no. 1 en sol mineur) (giga, suite in G minor)



ーーとてもいい演奏だけれど、祈りがないんだよな、鳥肌が立たないんだ(ボクはいまテキトウに言っているからな)


さっき愛するピアニストとして二人だけあげたけど、ポゴレリチを忘れてたな、シツレイ!

■Ivo Pogorelich Plays Scarlatti Sonata L.366/K.1




ああ、風が吹き抜けるね、からだのなかを。

彼らが私の注意をひきつけようとする美をまえにして私はひややかであり、とらえどころのないレミニサンス réminiscences confuses にふけっていた…戸口を吹きぬけるすきま風の匂を陶酔するように嗅いで立ちどまったりした。「あなたはすきま風がお好きなようですね」と彼らは私にいった。(プルースト「ソドムとゴモラ」)

こう引用したっていい。

――……この一瞬よりはいくらか長く続く間、という言葉に私が出会ったのはね、ハイスクールの前でバスを降りて、大きい舗道を渡って山側へ行く、その信号を待つ間で…… 向こう側のバス・ストップの脇にシュガー・メイプルの大きい木が一本あったんだよ。その時、バークレイはいろんな種類のメイプルが紅葉してくる季節でさ。シュガー・メイプルの木には、紅葉時期のちがう三種類ほどの葉が混在するものなんだ。真紅といいたいほどの赤いのと、黄色のと、そしてまが明るい緑の葉と…… それらが混り合って、海から吹きあげて来る風にヒラヒラしているのを私は見ていた。そして信号は青になったのに、高校生の私が、はっきり言葉にして、それも日本語で、こう自分にいったんだよ。もう一度、赤から青になるまで待とう、その一瞬よりはいくらか長く続く間、このシュガー・メイプルの茂りを見ていることが大切だと。生まれて初めて感じるような、深ぶかとした気持で、全身に決意をみなぎらせるようにしてそう思ったんだ……(大江健三郎『燃え上がる緑の木 第一部』)

あの風を感じれば、人はもうすこし長生きしたくなる。

ポゴレリチはボクと同じ年なんだ。彼は20歳ほど年上の妻(ピアノ教師)が死んでから何年かはひどい鬱病になって演奏旅行ができなくなった。