2020年2月8日土曜日

ヒステリー女が精神分析の起源

バカな! いまどき珍しい父なる神の熱心な信者、きみのような女が精神分析の起源だよ。



ヒステリーの欲望は、父の欲望の支えになることだ。le désir de l'hystérique, c'est de soutenir le désir du père   (Lacan, S11, 29  Janvier  1964)
「ヒステリー女が欲するものは何か? ……」、ある日ファルスが言った、「彼女が支配するひとりの主人である」。深遠な言葉だ。ぼくはいつかこれを引用してルツ(ルツのモデル:アルチュセール)に言ってやったことがあったが、彼は感じ入っていた。 (ソレルス『女たち』)
ぼくは、いつも連中が自分の女房を前にして震え上がっているのを見た。あれらの哲学者たち、あれらの革命家たちが、あたかもそのことによって真の神性がそこに存在するのを自分から認めるかのように …彼らが「大衆」というとき、彼らは自分の女房のことを言わんとしている ……実際どこでも同じことだ …犬小屋の犬… 自分の家でふんづかまって …ベッドで監視され…(ソレルス『女たち』)
まだ若い頃のラカンは『les complexes familiaux(家族複合)』(1938)にて、当時の家族と社会における父の家父長的なイマーゴの凋落が精神病理の主な原因であるとしている。彼は精神分析はこの危機から生まれたとさえ言っている。…

皮肉なことに、ラカンは正しい。ある観点からは、精神分析は本当に家族における父の役割の危機から生まれた。

この洞察を引き継ぎ、かつラカンの四つの言説理論を援用して、セルゲイ・アンドレSerge Andre( “What Does a Woman Want? ”2000)は、シニカルなひねりを加えこう言う、《ヒステリーの主体は、主人の形象が必要である。これが精神分析を生む手助けをした》と。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, new studies of old villains A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex, 2009)