2020年7月26日日曜日

エロス資本


ははあ、そうか。

橘 イギリスの女性社会学者にキャサリン・ハキムという人がいて、『エロティック・キャピタル』という本を書いているんです。男女の外見の魅力がテーマですが、とりわけ若い女性は大きな「エロス資本」を持っていると述べていて、なるほどと思いました。経済学でいうヒューマン・キャピタル(人的資本)は基本的には学歴・資格・経験ですけど、それとは別に女性には大きなエロティック・キャピタルがある。それは思春期ぐらいから現れはじめて、20歳前後で頂点に達し、それから徐々に減っていって35歳くらいで消失する……。(「若さという「エロス資本」を失ったあと、オンナはどうするか」2020年3月27日)

いつの書なんだろ、と調べてみたら、原著2010年、Catherine Hakim,  Erotic Capital

20歳前後で頂点っていう通説は昔も今も変わらないんだな

「どうしたって、女は十六、七から二十二、三までですね。色沢がまるでちがいますわ。男はさほどでもないけれど、女は年とるとまったく駄目ね。」(徳田秋声『爛』1913年)

安吾は「女の人の老年は男に比べてより多く救われ難いものに見える」と言ってるが、そんなの今でもありかね。

宇野さんの小説の何か手紙だったかの中に「女がひとりで眠るということの佗しさが、お分りでしょうか」という意味の一行があった筈だが、大切な一時間一時間を抱きしめている女の人が、ひとりということにどのような痛烈な呪いをいだいているか、とにかく僕にも見当はつく。…

…女の人にとっては、失われた時間というものも、生理に根ざした深さを持っているかに思われ、その絢爛たる開花の時と凋落との怖るべき距りに就て、すでにそれを中心にした特異な思考を本能的に所有していると考えられる。事実、同じ老年でも、女の人の老年は男に比べてより多く救われ難いものに見える。思考というものが肉体に即している女の人は、その大事の肉体が凋落しては万事休すに違いない。(坂口安吾「青春論」1942年)


最近は非モテ男のほうがもっと救われがたいようにみえるけど。





「思春期ぐらいから現れはじめて、20歳前後で頂点に達し、それから徐々に減っていって35歳くらいで消失する……。」ってのもヒドイな、アジアの女性は45歳ぐらいまでもつよ

ホントは20歳前後から下降するってのもな、最近は30歳ぐらいまで上昇する女性だっているさ、新鮮な果実度はやっぱり20歳あたりから減るかも知れないけど。

でもそのあとはやっぱり「立ちくらみ」なんだろうか?

「いつも思うのですが、女性というのは厄介な生き物ですね。わたしは生まれ変わることがあっても必ず男になりたい。女性として生きるというのは想像しただけでも立ちくらみがします。」(藤田博史「摂食障害の治療技法」セミネール断章 、2012年)


何かおかしんじゃないかね、現在の男女関係は。



女が花盛りをとうに過ぎた年齢で結婚するなんてな、

革命起こさないとな。