2020年10月28日水曜日

婚姻の指輪は死と呼ばれる以外のなにものでもない



ああ、どうして私は永遠を求める激しい渇望に燃えずにいられよう? 指輪のなかの指輪である婚姻の指輪を、ーーあの回帰の輪を求める激しい渇望に!


Oh wie sollte ich nicht nach der Ewigkeit brünstig sein und nach dem hochzeitlichen Ring der Ringe, - dem Ring de Wiederkunft!


私はまだ自分の子供を産ませたいと思う女に出会ったことがないーーだが、ただ一人私が愛し、その子供が欲しい女がここにいる。おお、永遠よ!私はおまえを愛している。


Nie noch fand ich das Weib, von dem ich Kinder mochte, sei denn dieses Weib, das ich lieb: denn ich liebe dich, oh Ewigkeit!


私はおまえを愛しているのだ、おお、永遠よ!


Denn ich liebe dich, oh Ewigkeit!

(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部「七つの封印 Die sieben Siegel 」第6節、1884年)


おまえたちは、かつて悦 Lust にたいして「然り」と言ったことがあるか。おお、わたしの友人たちよ、そう言ったことがあるなら、おまえたちはいっさいの苦痛にたいしても「然り」と言ったことになる。すべてのことは、鎖によって、糸によって、愛によってつなぎあわされているのだ。


Sagtet ihr jemals ja zu Einer Lust? Oh, meine Freunde, so sagtet ihr Ja auch zu _allem_ Wehe. Alle Dinge sind verkettet, verfädelt, verliebt, -


……いっさいのことが、新たにあらんことを、永遠にあらんことを、鎖によって、糸によって、愛によってつなぎあわされてあらんことを、おまえたちは欲したのだ。おお、おまえたちは世界をそういうものとして愛したのだ、


- Alles von neuem, Alles ewig, Alles verkettet, verfädelt, verliebt, oh so _liebtet_ ihr die Welt, -

(ニーチェ『ツァラトゥストラ』「酔歌」第10節、1885年)


悦 Lustが欲しないものがあろうか。悦は、すべての苦痛よりも、より渇き、より飢え、より情け深く、より恐ろしく、よりひそやかな魂をもっている。悦はみずからを欲し、みずからに咬み入る。悦のなかに環の意志が円環している。――- _was_ will nicht Lust! sie ist durstiger, herzlicher, hungriger, schrecklicher, heimlicher als alles Weh, sie will _sich_, sie beisst in _sich_, des Ringes Wille ringt in ihr, -

(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「酔歌」第11節、1885年)


おお、人間よ、心して聞け!

深い真夜中は何を語る?


「わたしは眠った、わたしは眠ったーー、

深い夢からわたしは目ざめた。--

世界は深い、

昼が考えたより深い。

世界の痛みは深いーー、

悦 Lustーーそれは心の悩みよりもいっそう深い。

痛みは言う、去れ、と。

しかし、すべての悦は永遠を欲するーー

ーー深い、深い永遠を欲する!」


Oh Mensch! Gieb Acht!

Was spricht die tiefe Mitternacht?


»Ich schlief, ich schlief –,

»Aus tiefem Traum bin ich erwacht: –

»Die Welt ist tief,

»Und tiefer als der Tag gedacht.

»Tief ist ihr Weh –,

»Lust – tiefer noch als Herzeleid:

»Weh spricht: Vergeh!

»Doch alle Lust will Ewigkeit

»will tiefe, tiefe Ewigkeit!«

(ニーチェ 『ツァラトゥストラ』第4部「酔歌 Das Nachtwandler-Lied」第12節)


完全になったもの、熟したものは、みなーー死ぬことをねがう!


Was vollkommen ward, alles Reife - will sterben!

(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「酔歌」第9節、1885年)






苦痛のなかの悦[Schmerzlust]は、マゾヒズムの根である。(フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年、摘要)

フロイトは書いている、「享楽はその根にマゾヒズムがある」と。[FREUD écrit : « La jouissance est masochiste dans son fond »](ラカン, S16, 15 Janvier 1969)

我々は、フロイトが悦と呼んだものを享楽と翻訳する。ce que Freud appelle le Lust, que nous traduisons par jouissance. (J.-A. Miller, LA FUITE DU SENS, 19 juin 1996)


享楽は現実界にある。マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはこれを発見したのである。la jouissance c'est du Réel. […], Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert (ラカン、S23, 10 Février 1976)

マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている。〔・・・〕そしてマゾヒズムはサディズムより古い。〔・・・〕我々が、欲動において自己破壊を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動の顕れと見なしうる。

Masochismus […] welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat. […] daß der Masochismus älter ist als der Sadismus […]Erkennen wir in diesem Trieb die Selbstdestruktion unserer Annahme wieder, so dürfen wir diese als Ausdruck eines Todestriebes erfassen,(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)

死への道…それはマゾヒズムについての言説である 。死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。Le chemin vers la mort… c'est de cela qu'il s'agit, c'est un discours sur le masochisme …le chemin vers la mort n'est rien d'autre que  ce qu'on appelle la jouissance.  (ラカン、S17、26 Novembre 1969)




時間はとまつてしまった

永遠だけが残ったこの時間のない

ところに顔をうずめてねむつている

「汝を愛するからだ  おお永遠よ」

もう春も秋もやつて来ない

でも地球には秋が来るとまた

路ばたにマンダラゲが咲く


ーー西脇順三郎「坂の五月」