2020年12月24日木曜日

愛の条件の固着


前回の末尾に記した内容は、プルーストも既に言っている。


まずドゥルーズ の簡潔な要約文から始めよう。


愛する理由は、人が愛する対象のなかにはけっしてない。les raisons d'aimer ne résident jamais dans celui qu'on aime(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』第2版、1970年)



そしてプルースト自身からである。


私がジルベルトに恋をして、われわれの恋はその恋をかきたてる相手の人間に属するものではないことを最初に知って味わったあの苦しみ cette souffrance, que j'avais connue d'abord avec Gilberte, que notre amour n'appartienne pas à l'être qui l'inspire(プルースト「見出された時」)

そのようにして、アルベルチーヌへの私の愛は、それがどのような差異を見せようとも、ジルベルトへの私の愛のなかにすでに書きこまれていた……Ainsi mon amour pour Albertine, et tel qu'il en différa, était déjà inscrit dans mon amour pour Gilberte ...(プルースト「見出された時」)

ある年齢に達してからは、われわれの愛やわれわれの愛人は、われわれの苦悩から生みだされるのであり、われわれの過去と、その過去が刻印された肉体の傷とが、われわれの未来を決定づける。Or à partir d'un certain âge nos amours, nos maîtresses sont filles de notre angoisse ; notre passé, et les lésions physiques où il s'est inscrit, déterminent notre avenir. (プルースト「逃げ去る女」)


ーーここにある「過去が刻印された肉体の傷[les lésions physiques où il s'est inscrit]」、これが前回の末尾に示した愛の条件の固着[la fixation des conditions de l'amour]、あるいは「享楽の固着=トラウマへの固着」である。


トラウマは、自己身体の上の出来事[ Erlebnisse am eigenen Körper] もしくは感覚知覚 [Sinneswahrnehmungen] であり、…疑いなく、初期の自我への傷 [frühzeitige Schädigungen des Ichs]である。…これは、トラウマへの固着[Fixierung an das Trauma]と反復強迫[Wiederholungszwang]の名の下に要約され、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印 [unwandelbare Charakterzüge]と呼びうる。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3」1938年)


享楽は身体の出来事である。身体の出来事の価値は、トラウマの審級にあり、固着の対象である。la jouissance est un événement de corps. La valeur d'événement de corps est […]  de l'ordre du traumatisme,[…] elle est l'objet d'une fixation. […](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)

享楽の固着とそのトラウマ的作用 fixations de jouissance et cela a des incidences traumatiques. (Entretiens réalisés avec Colette Soler, 2016)


愛の条件の固着は、恋愛の対象に限らない。たとえば自然への愛、芸術への愛も同様である。


われわれが、自然に、社会に、恋愛に、芸術そのものに、まったく欲得を離れた傍観者である場合も、あらゆる印象は、二重構造になっていて、なかばは対象の鞘におさまり、他の半分はわれわれ自身の内部にのびている[toute impression est double, à demi engainée dans l'objet, prolongée en nous-mêmes par une autre moitié]。後者を知ることができるであろうのは自分だけなのだが、われわれは早まってこの部分を閑却してしまう。要は、この部分の印象にこそわれわれの精神を集中すべきであろう、ということなのである。それなのにわれわれは前者の半分のことしか考慮に入れない。その部分は外部であるから深められることがなく、したがってわれわれにどんな疲労を招く原因にもならないだろう。(プルースト「見出された時」)



………………



ここで1912年、芥川龍之介が20歳のときに書いた文を掲げておこう。


自分は、大川端に近い町に生まれた。家を出て椎の若葉におおわれた、黒塀の多い横網の小路をぬけると、すぐあの幅の広い川筋の見渡される、百本杭の河岸へ出るのである。幼い時から、中学を卒業するまで、自分はほとんど毎日のように、あの川を見た。水と船と橋と砂洲と、水の上に生まれて水の上に暮しているあわただしい人々の生活とを見た。真夏の日の午すぎ、やけた砂を踏みながら、水泳を習いに行く通りすがりに、嗅ぐともなく嗅いだ河の水のにおいも、今では年とともに、親しく思い出されるような気がする。 


自分はどうして、こうもあの川を愛するのか。あのどちらかと言えば、泥濁りのした大川のなま暖かい水に、限りないゆかしさを感じるのか。自分ながらも、少しく、その説明に苦しまずにはいられない。ただ、自分は、昔からあの水を見るごとに、なんとなく、涙を落したいような、言いがたい慰安と寂寥とを感じた。まったく、自分の住んでいる世界から遠ざかって、なつかしい思慕と追憶との国にはいるような心もちがした。この心もちのために、この慰安と寂寥とを味わいうるがために、自分は何よりも大川の水を愛するのである。 


銀灰色の靄と青い油のような川の水と、吐息のような、おぼつかない汽笛の音と、石炭船の鳶色の三角帆と、――すべてやみがたい哀愁をよび起すこれらの川のながめは、いかに自分の幼い心を、その岸に立つ楊柳の葉のごとく、おののかせたことであろう。〔・・・〕


ことに日暮れ、川の上に立ちこめる水蒸気と、しだいに暗くなる夕空の薄明りとは、この大川の水をして、ほとんど、比喩を絶した、微妙な色調を帯ばしめる。自分はひとり、渡し船の舷に肘をついて、もう靄のおりかけた、薄暮の川の水面を、なんということもなく見渡しながら、その暗緑色の水のあなた、暗い家々の空に大きな赤い月の出を見て、思わず涙を流したのを、おそらく終世忘れることはできないであろう。 


「すべての市は、その市に固有なにおいを持っている。フロレンスのにおいは、イリスの白い花とほこりと靄と古の絵画のニスとのにおいである」(メレジュコウフスキイ)もし自分に「東京」のにおいを問う人があるならば、自分は大川の水のにおいと答えるのになんの躊躇もしないであろう。ひとりにおいのみではない。大川の水の色、大川の水のひびきは、我が愛する「東京」の色であり、声でなければならない。自分は大川あるがゆえに、「東京」を愛し、「東京」あるがゆえに、生活を愛するのである。(芥川龍之介「大川の水」1912年)



おそらくここには芥川という作家の核、起源のひとつがある。少なくとも私はこの文を彼の後年の作品から「遡及的に」読めるようになって初めて彼をーー「好き」ではなく、真に「愛する」ようになった。


ストゥディウム studiumというのは、気楽な欲望と、種々雑多な興味と、とりとめのない好みを含む、きわめて広い場のことである。それは好き/嫌い(I like/ I don’t)の問題である。ストゥディウムは、好き(to like)の次元に属し、(プンクトゥムの)愛する(to love)の次元には属さない。ストゥディウムは、中途半端な欲望、中途半端な意志しか動員しない。それは、人が《すてき》だと思う人間や見世物や衣服や本に対していだく関心と同じたぐいの、漠然とした、あたりさわりのない、無責任な関心である。


プンクトゥム(punctum)――、ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。〔・・・〕プンクトゥムとは、刺し傷 piqûre、小さな穴 petit trou、小さな染み petite tache、小さな裂け目 petite coupureのことであり――しかもまた骰子の一振り coup de dés のことでもある。(ロラン・バルト『明るい部屋』1980年)



大川とは、隅田川の下流、吾妻橋周辺より下流を、江戸時代以降そう呼んだそうだ。






芥川が言っていることは、大川を愛する理由は、大川という対象のなかにはけっしてないということだ。愛する理由は、「われわれの過去と、その過去が刻印された肉体の傷」、つまり幼少時における愛の条件の固着にある。



享楽は欲望とは異なり、固着された点である。享楽は可動機能はない。享楽はリビドーの非可動機能である。La jouissance, contrairement au désir, c'est un point fixe. Ce n'est pas une fonction mobile, c'est la fonction immobile de la libido. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse III, 26 novembre 2008)

人の生の重要な特徴はリビドーの可動性であり、リビドーが容易にひとつの対象から他の対象へと移行することである。反対に、或る対象へのリビドーの固着があり、それは生を通して存続する。Ein im Leben wichtiger Charakter ist die Beweglichkeit der Libido, die Leichtigkeit, mit der sie von einem Objekt auf andere Objekte übergeht. Im Gegensatz hiezu steht die Fixierung der Libido an bestimmte Objekte, die oft durchs Leben anhält. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)





あの頃の大川の夕景色は、たとい昔の風流には及ばなかったかも知れませんが、それでもなお、どこか浮世絵じみた美しさが残っていたものです。現にその日も万八の下を大川筋へ出て見ますと、大きく墨をなすったような両国橋の欄干が、仲秋のかすかな夕明りを揺かしている川波の空に、一反り反った一文字を黒々とひき渡して、その上を通る車馬の影が、早くも水靄にぼやけた中には、目まぐるしく行き交う提灯ばかりが、もう鬼灯ほどの小ささに点々と赤く動いていました。(芥川龍之介「開化の良人」1919年)


或朝焼けの消えかかった朝、父と彼とはいつものように百本杭へ散歩に行った。百本杭は大川の河岸でも特に釣り師の多い場所だった。しかしその朝は見渡した所、一人も釣り師は見えなかった。広い河岸には石垣の間に舟虫の動いているばかりだった。彼は父に今朝に限って釣り師の見えぬ訣を尋ねようとした。が、まだ口を開かぬうちに忽ちその答を発見した。朝焼けの揺らめいた川波には坊主頭の死骸が一人、磯臭い水草や五味のからんだ乱杭の間に漂っていた。――彼は未だにありありとこの朝の百本杭を覚えている。三十年前の本所は感じ易い信輔の心に無数の追憶的風景画を残した。けれどもこの朝の百本杭は――この一枚の風景画は同時に又本所の町々の投げた精神的陰影の全部だった。(芥川龍之介「大導寺信輔の半生」1925年)

隅田川はどんより曇っていた。彼は走っている小蒸汽の窓から向う島の桜を眺めていた。

花を盛った桜は彼の目には一列の襤褸のように憂欝だった。が、彼はその桜に、――江戸以来の向う島の桜にいつか彼自身を見出していた。(芥川龍之介 「或阿呆の一生」1927年)



上の文の前段にはこうある。


彼は或郊外の二階の部屋に寝起きしてゐた。それは地盤の緩い為に妙に傾いた二階だつた。 


彼の伯母はこの二階に度たび彼と喧嘩をした。それは彼の養父母の仲裁を受けることもないことはなかつた。しかし彼は彼の伯母に誰よりも愛を感じてゐた。一生独身だつた彼の伯母はもう彼の二十歳の時にも六十に近い年よりだつた。 


彼は或郊外の二階に何度も互に愛し合ふものは苦しめ合ふのかを考へたりした。


その間も何か気味の悪い二階の傾きを感じながら。(芥川龍之介「或阿呆の一生」1927年(昭和2年6月)遺稿)



この伯母は実母の姉である。


僕の母は狂人だった。僕は一度も僕の母に母らしい親しみを感じたことはない。…僕は僕の母に全然面倒を見て貰ったことはない。・・・


僕は時々幻のように僕の母とも姉ともつかない四十恰好の女人が一人、どこかから僕の一生を見守っているように感じている。…


僕は母の発狂した為に生まれるが早いか養家に来たから、(養家は母かたの伯父の家だった。)僕の父にも冷淡だった。(芥川龍之介「点鬼簿」1926(大正15)年)



信輔は全然母の乳を吸つたことのない少年だつた。元来体の弱かつた母は一粒種の彼を産んだ後さへ、一滴の乳も与へなかつた。のみならず乳母を養ふことも貧しい彼の家の生計には出来ない相談の一つだつた。彼はその為に生まれ落ちた時から牛乳を飲んで育つて来た。それは当時の信輔には憎まずにはゐられぬ運命だつた。彼は毎朝台所へ来る牛乳の壜を軽蔑した。又何を知らぬにもせよ、母の乳だけは知つてゐる彼の友だちを羨望した。…


信輔は壜詰めの牛乳の外に母の乳を知らぬことを恥ぢた。これは彼の秘密だつた。誰にも決して知らせることの出来ぬ彼の一生の秘密だつた。(芥川龍之介「大導寺信輔の半生」1925年)


重要なのはこれらのジカに現れている文だけではない、だがここではこれ以上言わないでおこう。


或声 お前は俺の思惑とは全然違つた人間だつた。

僕 それは僕の責任ではない。

(芥川龍之介「闇中問答」昭和二年、遺稿)