まず 日本は特殊な国だということはある(欧米基準から言って、という意味で)。
単純に婚外子比率だけで比較はできないにしろーー欧米では結婚せずに子供を育てているパートナー関係もそれなりにあるだろうからーー傾向としては「父なき時代」だ。
他方、日本というかアジアは依然「父あり」地域だな、韓国も頑張ってるね。
本来、欧米にような一神教的地域は父の名のエリアであり、アジアのような多神教的地域は、父の名の機能が弱いエリアだったんだが、身近な家族制度の様相においては欧米とアジアは逆転している。
ラカン的には父あるいはエディプスコンプレクスは症状だ。
父は症状である。le père est un symptôme(ラカン, S23, 18 Novembre 1975) |
エディプスコンプレクス自体、症状である。父の名がすべてが支えられる名の父である限りで。Le complexe d'Œdipe, comme tel, est un symptôme. C'est en tant que le Nom du Père est aussi le père du nom que tout se soutient,(ラカン, S23, 18 Novembre 1975) |
で、《父の蒸発 évaporation du père》(ラカン Note sur le Père1968年)があれば、症状が隠蔽していた底部の身体的な享楽が露顕する。 |
エディプスの失墜において…超自我は言う、「享楽せよ!」と。au déclin de l'Œdipe …ce que dit le surmoi, c'est : « Jouis ! » (ラカン, S18, 16 Juin 1971) |
愛ももちろん症状。
愛の結びつきを維持するための唯一のものは、固有の症状である。Restent alors seulement les symptômes particuliers pour sustenter les liens d'amour. 享楽は関係性を構築しない」という事実、これは(症状としての愛の根にある)リアルな条件である。la jouissance ne se prête pas à faire rapport. C'est la condition réelle(コレット・ソレール Colette Soler, Les affects lacaniens , 2011) |
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だから父なき世代では愛のデフレがある。
現代的女性は、男を対象aにする。彼女は男に言う、あなたは単なる享楽の手段に過ぎないと。これは、協力し合って、愛のデフレをもたらしている。La femme moderne tend aujourd'hui à faire de l'homme un objet a. Elle lui dit tu n'es qu'un moyen de jouissance. Cela va de pair avec une certaine dévalorisation de l'amour.. (J.-A. Miller, L'os d'une cure, Navarin, 2018) |
愛が症状という意味は、愛は対象aの隠喩あるいは見せかけということ。 |
愛は隠喩である。われわれが隠喩を「代理」として識別する限りで。l’amour est une métaphore, si tant est que nous avons appris à l’articuler comme une substitution (Lacan, S8, 30 Novembre 1960) |
愛自体は見せかけに宛てられる [L'amour lui-même…s'adresse du semblant]。…このイマジネール[i-maginaire]な見せかけとは、欲望の原因としての対象aを包み隠す自己イマージュの覆い[l'habillement de l'image de soi qui vient envelopper l'objet cause du désir]の基礎の上にある。(ラカン、S20, 20 Mars 1973、摘要訳) |
要するに前回示したように《愛について語ることができるためには、「a」の機能は、イマージュ・他の人間のイマージュによってヴェールされなければならない。》ーー愛のヴェールのマテームは、i(a) 。 |
想像界から来る対象、自己イマージュによって強調される対象、すなわちナルシシズム理論から来る対象、これが i(a) と呼ばれるものである。c'est un objet qui vient tout de même de l'imaginaire, c'est un objet qu'on met en valeur à partir de l'image de soi, c'est-à-dire de la théorie du narcissisme, l'image de soi chez Lacan, s'appelle i de petit a.(J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un - 09/03/2011) |
より厳密に言えば次の通り。 |
「享楽の対象」は、「防衛の原因」かつ「欲望の原因」としてある。というのは、欲望自体は、享楽に対する防衛の様相があるから。l'objet jouissance comme cause de la défense et comme cause du désir, en tant que le désir lui-même est une modalité de la défense contre la jouissance 〔・・・〕 享楽の対象[l'objet jouissance]は幻想においていかに隠蔽されるか。とくにそれが愛の様相[la modalité de l'amour]となる時に。〔・・・〕 |
享楽の対象が幻想において隠蔽される二つの様相がある[il y a deux modes sous lesquels l'objet jouissance peut être caché dans le fantasme]。一方はi (a) の下、他方は「大文字の他者[l'Autre]」の下である。この二つの関係は想像界と象徴界である。そして現実界の審級にある欲動の享楽対象[l'objet jouissance de la pulsion]が底部にある。(J.-A. Miller, LES DIVINS DETAILS, 3 MAI 1989) |
繰り返せば《父は症状 le père est un symptôme》(Lacan , S23, 18 Novembre 1975)であり、《症状は隠喩 le symptôme est métaphore 》(J.-A. MILLER, L'ÊTRE ET L'UN, 09/03/2011)であり、《愛は隠喩 l’amour est une métaphore, (Lacan, S8, 30 Novembre 1960)である。 |
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別の言い方をすれば、愛とはヒステリー 女によって支えられていた。 |
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「ヒステリー女が欲するものは何か? ……」、ある日ファルスが言った、「彼女が支配するひとりの主人である」。深遠な言葉だ。ぼくはいつかこれを引用してルツに言ってやったことがあったが、彼は感じ入っていた。 (ソレルス『女たち』) |
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ヒステリーの欲望は、父の欲望の支えになることだ。le désir de l'hystérique, c'est de soutenir le désir du père (Lacan, S11, 29 Janvier 1964) |
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実にひどく奇妙だ、フロイトが指摘しているのを見るのは。要するに父が最初の同一化の場を占め[le père s'avère être celui qui préside à la toute première identification]、愛に値する者[celui qui mérite l'amour]だとしたことは。 これは確かにとても奇妙である。矛盾しているのだ、分析経験のすべての展開は、母子関係の第一の設置にあるという事実と[tout ce que le développement de l'expérience analytique …établir de la primauté du rapport de l'enfant à la mère. ]… 父を愛に値する者とすることは、ヒステリー者の父との関係[la relation au père, de l'hystérique]における機能を特徴づける。我々はまさにこれを理想化された父[le père idéalisé]として示す。(Lacan, S17, February 18, 1970) |
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父なき時代には女が享楽女になってしまう傾向にある。したがって愛のデフレが起こる。でも日本のような特殊の国ではヒステリー女がまだまだたくさんいるね、悪い意味では決してなく。ツイッターなんか覗くとつくづくそう思うよ、 男のほうはどうなのか。父なき世代の男、父の隠喩なき世代の男は。
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