2022年2月25日金曜日

庶民的正義感のはけ口として騒いでるだけ

 

オバマ2013年とトランプ2018年は「米国は世界の警察官の役割をもはや御免蒙る」と言ったわけでね。

種々の人が私に書簡を送ってくる、「われわれは世界の警察官であるべきでない We should not be the world’s policeman」と。私は同意する。


米国は世界の警察官ではない。悲惨な出来事が世界中で起こっている。そしてすべての悪事を正すことはわれわれの手に余る。America is not the world's policeman. Terrible things happen across the globe, and it is beyond our means to right every wrong. オバマ「シリア内戦に関するテレビ演説 2013/09/10


米国は世界の警察官であり続けることは出来ない。まったく不公平だ、われわれ米国にすべての責務が負わされるのは。われわれは世界中にばら撒かれている。われわれはたいていの人びとが聞いたこともない国々にさえいる。率直にいって、馬鹿げている。


The United States cannot continue to be the policeman of the world," said Trump. "It’s not fair when the burden is all on us, the United States... We are spread out all over the world. We are in countries most people haven’t even heard about. Frankly, it’s ridiculous.”いる。(トランプ、シリア撤退決定についての発言、Al Asad Air Base, Iraq, December 26, 2018



これが現在の潮流だよ。


ウクライナに派兵せず NATO事務総長

2/24(木) 22:10配信 AFP=時事

【AFP=時事】北大西洋条約機構(NATO)のイエンス・ストルテンベルグ(Jens Stoltenberg)事務総長は24日、親西側のウクライナにロシア軍が侵攻したのを受け、NATOがウクライナに派兵する考えはないと改めて表明した。


 ベルギーの首都ブリュッセルで行われたNATOの大使級による緊急会合後の記者会見で、事務総長は「ウクライナにNATO軍は駐留しておらず、ウクライナにNATO軍を派兵する計画もない」と述べた。【翻訳編集】 AFPBB News


































やれることは経済制裁ぐらいしかないんだ。


で、ふつうの人は自分の国や家族に関係なくてよかったなと安堵しつつ、ウクライナに同情して「プーチンは悪だ!」と叫ぶネタになってるだけさ。



被害者の側に立つこと、被害者との同一視は、私たちの荷を軽くしてくれ、私たちの加害者的側面を一時忘れさせ、私たちを正義の側に立たせてくれる。それは、たとえば、過去の戦争における加害者としての日本の人間であるという事実の忘却である。その他にもいろいろあるかもしれない。その昇華ということもありうる。


社会的にも、現在、わが国におけるほとんど唯一の国民的一致点は「被害者の尊重」である。これに反対するものはいない。ではなぜ、たとえば犯罪被害者が無視されてきたのか。司法からすれば、犯罪とは国家共同体に対してなされるものであり(ゼーリヒ『犯罪学』)、被害者は極言すれば、反国家的行為の単なる舞台であり、せいぜい証言者にすぎなかった。その一面性を問題にするのでなければ、表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・外傷・記憶』所収)


もっともリベサヨの庶民的正義感自体をバカにするつもりはないよ、でも連中はすぐ忘れるんだな、例えばプーチンがシリアやチェチェンで何やってきたのかはすっかり忘れている。今度のウクライナ侵攻も一時的な庶民的正義感のはけ口として騒いでるだけさ。


ま、人間ってのはもともとそういうもんだけどさ、こう書いているボクも例外ではない。


今回の出来事を日本に関連づけて言えば、結局、収斂するのはこれだな。





リアルポリティクスやらと言ってる連中はほとんどみな①だよ、リアルというのは「その場限りの」と言い換えてもよいが。これは世界的に見ても同様。《ナショナリズム、それが戦争だ[Le nationalisme, c'est la guerre]》(フランソワ=ミッテラン、1995年)ーーこれがEUの決定的理念のひとつだったのだが、今じゃどこもかしこも愛国者ばかりだ。


で、今は④、つまり次のようなことを言える左翼もほとんど絶滅だな。



柄谷)人権なんて言っている連中は偽善に決まっている。ただ、その偽善を徹底すればそれなりの効果をもつわけで、すなわちそれは理念が統整的に働いているということになるでしょう。〔・・・〕


憲法第九条は、日本人がもっている唯一の理念です。しかも、もっともポストモダンである。これを言っておけば、議論において絶対に負けないと思う。むろん実際的にやることは別だとしても、その前にまず理念を言わなければいけない。自衛隊の問題でも、日本は奇妙に正直になってしまう。自衛隊があるから実は憲法九条はないに等しいのだとか、そんなことは言ってはいけない。あくまで憲法九条を保持するが、それは自衛隊をもつことと矛盾しない、と言えばよい。それで文句を言う者はいないはずです。アメリカだって、今までまったく無視してきた国連の理念などを突然振りかざしてくる。それが通用するのなら、何だって通用しますよ。ところが、日本では、憲法はアメリカに無理やり押しつけられたものだから、われわれもしようがなく守っているだけだとか、弁解までしてしまう(笑)。これでは、アジアでやっていけるわけがないでしょう。アメリカ人は納得するかもしれないけれど。


浅田)実際、アメリカに現行憲法を押しつけられたにせよ、日本国民がそれをずっとわがものとしてきたことは事実なんで、これこそわれわれの憲法だといってまことしやかに大見栄を切ればいいわけですよ。それがもっとも先端的な世界史的理念であることはだれにも疑い得ないんだから。


柄谷)ヘーゲルではないけれど、やはり「理性の狡知」というのがありますよ。アメリカは、日本の憲法に第九条のようなことを書き込んでしまった。


浅田)あれは実は大失敗だった。


柄谷)日本に世界史的理念性を与えてしまったわけです(笑)。ヨーロッパのライプニッツ・カント以来の理念が憲法に書き込まれたのは、日本だけです。だから、これこそヨーロッパ精神の具現であるということになる。〔・・・〕


柄谷)日本人は異常なほどに偽善を嫌がる。その感情は本来、中国人に対して、いわば「漢意=からごごろ」に対してもっていたものです。中国人は偽善的だというのは、中国人は原理で行くという意味でしょう。中国人はつねに理念を掲げ、実際には違うことをやっている。それがいやだ、悪いままでも正直であるほうがいいというのが、本居宣長の言う「大和心」ですね。それが漱石の言った露悪趣味です。日本にはリアル・ポリティクスという言い方をする人たちがいるけれども、あの人たちも露悪趣味に近い。世界史においては、どこも理念なしにはやっていませんよ。〔・・・〕

浅田)日本人はホンネとタテマエの二重構造だと言うけれども、実際のところは二重ではない。タテマエはすぐ捨てられるんだから、ほとんどホンネ一重構造なんです。逆に、世界的には実は二重構造で偽善的にやっている。それが歴史のなかで言葉をもって行動するということでしょう。


柄谷)偽善には、少なくとも向上心がある。しかし、人間はどうせこんなものだからと認めてしまったら、そこから否定的契機は出てこない。自由主義や共産主義という理念があれば、これではいかんという否定的契機がいつか出てくる。しかし、こんなものは理念にすぎない、すべての理念は虚偽であると言っていたのでは、否定的契機が出てこないから、いまあることの全面的な肯定しかないわけです。(『「歴史の終わり」と世紀末の世界』柄谷行人/浅田彰対談1993年)