2022年3月23日水曜日

父なき時代の後に来るもの


今まで何度か示してきたが、20世紀は「父の消滅」に向かった時代、そして21世紀は「父なき時代」という、主に精神分析観点からの見方がある。



それぞれの項目についての簡単な解説を以下に列挙しよう。


◼️ヨーロッパの父の危機

我々文明なるものは、今や、すべて滅びる運命にあることを知っている。( ヴァレリー『精神の危機』1919年)


◼️父の失墜

父の蒸発 [évaporation du père] (ラカン「父についての覚書 Note sur le Père」1968年)

エディプスの失墜 [déclin de l'Œdipe ](Lacan, S18, 1971)

「学園紛争は何であったか」ということは精神科医の間でひそかに論じられつづけてきた。1960年代から70年代にかけて、世界同時的に起こったということが、もっとも説明を要する点であった。フランス、アメリカ、日本、中国という、別個の社会において起こったのである。〔・・・〕

精神分析医の多くは、鍵は「父」という言葉だと答えるだろう。〔・・・〕「父」は見えなくなった。フーコーのいう「主体の消滅」、ラカンにおける「父の名」「ファルス」の虚偽性が特にこの世代の共感を生んだのは偶然でなかろう。(中井久夫「学園紛争は何であったのか」1995年『家族の深淵』所収)


◼️最後の父の死(マルクスの死)

ある意味では冷戦の期間の思考は今に比べて単純であった。強力な磁場の中に置かれた鉄粉のように、すべてとはいわないまでも多くの思考が両極化した。それは人々をも両極化したが、一人の思考をも両極化した。この両極化に逆らって自由検討の立場を辛うじて維持するためにはそうとうのエネルギーを要した。社会主義を全面否定する力はなかったが、その社会の中では私の座はないだろうと私は思った。多くの人間が双方の融和を考えたと思う。いわゆる「人間の顔をした社会主義」であり、資本主義側にもそれに対応する思想があった。しかし、非同盟国を先駆としてゴルバチョフや東欧の新リーダーが唱えた、両者の長を採るという中間の道、第三の道はおそろしく不安定で、永続性に耐えないことがすぐに明らかになった。一九一七年のケレンスキー政権はどのみち短命を約束されていたのだ。

今から振り返ると、両体制が共存した七〇年間は、単なる両極化だけではなかった。資本主義諸国は社会主義に対して人民をひきつけておくために福祉国家や社会保障の概念を創出した。ケインズ主義はすでにソ連に対抗して生まれたものであった。ケインズの「ソ連紀行」は今にみておれ、資本主義だって、という意味の一節で終わる。社会主義という失敗した壮大な実験は資本主義が生き延びるためにみずからのトゲを抜こうとする努力を助けた。今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない(しかしまた、強制収容所労働抜きで社会主義経済は成り立ち得るかという疑問に答えはない)。(中井久夫「私の「今」」初出1996年『アリアドネからの糸』所収)


私が気づいたのは、ディコンストラクションとか、知の考古学とか、さまざまな呼び名で呼ばれてきた思考――私自身それに加わっていたといってよい――が、基本的に、マルクス主義が多くの人々や国家を支配していた間、意味をもっていたにすぎないということである。90年代において、それはインパクトを失い、たんに資本主義のそれ自体ディコントラクティヴな運動を代弁するものにしかならなくなった。懐疑論的相対主義、多数の言語ゲーム(公共的合意)、美学的な「現在肯定」、経験論的歴史主義、サブカルチャー重視(カルチュラル・スタディーズなど)が、当初もっていた破壊性を失い、まさにそのことによって「支配的思想=支配階級の思想」となった。今日では、それらは経済的先進諸国においては、最も保守的な制度の中で公認されているのである。これらは合理論に対する経験論的思考の優位――美学的なものをふくむ――である。(柄谷行人『トランスクリティーク』2001年)



◼️父なき時代(市場原理・新自由主義の時代)

今、市場原理主義がむきだしの素顔を見せ、「勝ち組」「負け組」という言葉が羞かしげもなく語られる時である。(中井久夫「アイデンティティと生きがい」『樹をみつめて』所収、2005年)

「帝国主義」時代のイデオロギーは、弱肉強食の社会ダーウィニズムであったが、「新自由主義」も同様である。事実、勝ち組・負け組、自己責任といった言葉が臆面もなく使われたのだから。(柄谷行人「長池講義」2009年) 




以上だが、柄谷が『世界史の構造』で示した観点は冒頭図とはいくらか異なる。



上の図にあるように、柄谷は歴史周期説をとっている(「父在/父不在」の項は私がつけくわえた)。1810年から1870年のあいだの英国パパ、1930年から1990年のあいだの米国パパ。この図の1750年以降のほかの60年の期間はパパのいない時代である。この60年周期を取れば、次にパパが出現するのは、2050年のこととなる。これには異論がある人も多いが、思考のモデルとしては侮り難い。


柄谷スキーマでは、2050年までは弱肉強食の時代、市場原理、新自由主義の時代である。次のパパはどこか?


世界の現状は、米国の凋落でヘゲモニー国家不在となっており、次のヘゲモニーを握るために主要国が帝国主義的経済政策で競っている。日清戦争後の国際情勢の反復ともいえる。新たなヘゲモニー国家は、これまでのヘゲモニー国家を引き継ぐ要素が必要で、この点で中国は不適格。私はインドがヘゲモニーを握る可能性もあると思う。その段階で、世界戦争が起こる可能性もあります。(柄谷行人『知の現在と未来』岩波書店百周年記念シンポジウム、2013年11月23日)


ーーインドの人口が中国を抜くのは、国連予想では2027年、中国共産党の機関誌「人民日報」の国際版「環球時報」では、もっと早く2024年である。


柄谷は上のように言っているが、もちろん異なった予想もしうる。例えば2050年には「殺人ロボットパパ」の時代となっている可能性だって大いにありうるだろう。


半年ほど前拾ったのだが、いま見たらこの防衛省論文PDFは消えてるようだ。


◼️ロボット兵器の自律性に関する一考察

―LAWS(自律型致死兵器システム)を中心として―

上野博嗣  海幹校戦略研究 2019 年 7 月(9-1) 防衛省 PDF

はじめに


近年の戦場における無人兵器の使用は、火薬、核弾頭に次ぐ第 3 の軍事革命と言われており、無人兵器、すなわち「ロボット兵器(robotic weapons)」 は、人工知能(Artificial Intelligence: AI)との融合により、自動化から「自律化」へと進化している。また、ロボット兵器のうち特に自律型兵器システム(Autonomous Weapon Systems: AWS)の導入は、将来の戦争の本質に大きな影響を与えることが予想されている。このように、ロボット兵器と AI の結合が、戦場の様相を変えつつあるのである。

中国は 2030 年までに「最高のグローバル AI イノベーションセンターになる」という目標を掲げ、その過程で AI 技術が米国を上回る可能性が指摘されている。また、現ロシア軍参謀総長ゲラシモフ(Valery Gerasimov) 将軍は、2013 年に「戦争の未来」(future of warfare)という記事の中で、 AI 研究の重要性を挙げ、「近い将来、完全にロボット化された部隊が作られ、独立して軍事作戦を遂行することが可能になるであろう」と予測している。


これらに対し、2016 年 6 月に米国国防科学委員会(Defense Science Board: DSB)がまとめた『自律性に関する夏季研究報告書』(Summer Study on Autonomy)では、ロボット兵器に自律性を持たせることが「接近阻止/ 領域拒否(Anti-Access and Area-Denial: A2/AD)」を強化する主要な例として挙げられており 、 ジャミング 等の敵対的環境下 (adversarial environment)でも任務が遂行できる自律性を持ったロボット兵器の重要性を指摘している。


このようななか、自律型兵器による危険な軍拡競争が進行中であると指摘されている9。特に、ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)とハーバード ロースクール国際人権クリニックは、2012 年 11 月に『失われつつある人間性: 殺人ロボットに反対する論拠』(以下、「HRW 報告書」という。)に おいて、今後 AI を含む科学技術の発展により、20 年から 30 年以内に人間の意思が介入することなく、標的を自ら選択し攻撃できる完全自律型兵器(fully autonomous weapons)、いわゆる「殺人ロボット(killer robots)」 が開発されると予想している。



これからの戦争のヘゲモニーはこの技術の有無に収斂していくだろう。開発規制と言っている人や団体もあるようだが、こんなもの止まるわけがない。ここにあるのは科学という無頭の死の欲動だ。避け難い近未来のアポカリスである。



仮に国民国家がなくなってカント的な世界共和国[Weltrepublik]が実現されてもこの殺人ロボットを使用する連中は出てくるだろうが、そうはいっても対抗できる可能性が僅かでもあるのは「国民国家なき世界共和国」だけではないか。どうだろう、小さな国民国家でも「AI 技術の知」さえあれば自律型致死兵器システムは使い放題になるのではないか? 


次のようなものであれば、10年もかからず実現するのではないか。



致死的ウイルス注射器を仕込んだモスキートドローンを一万匹ほどばら撒けば、一億人ほど殺すのは容易い筈だ。

場合によっては地球の「ために」、人間ウイルスを殺そうとする「善意の」自律型ロボットだって出現しかねない。


地球にとってもっともよいのは、三分の二の人間が死ぬような仕組みをゆっくりとつくることではないだろうか。 Wouldn't the best thing for the earth be to organize slowly so that two thirds of the people will die? (ジジェク『ジジェク、革命を語る DEMANDING THE IMPOSSIBLE』2013)

地球から見れば、ヒトは病原菌であろう。しかし、この新参者はますます病原菌らしくなってゆくところが他と違う。お金でも物でも爆発的に増やす傾向がますます強まる。(中井久夫「ヒトの歴史と格差社会」2006年『日時計の影』所収)