2026年1月31日土曜日

書評『トラウマと解離の文脈 ピエール・ジャネの再発見』の誤謬


 

この"Rediscovering Pierre Janet: Trauma, Dissociation"の原著は2019年に上梓されているようだが、昨年『トラウマと解離の文脈 ピエール・ジャネの再発見』との題名で邦訳されたようだ。


そして日本の解離研究の第一人者とされる岡野憲一郎氏が、このところそのブログで書評(おそらく草稿だろうが)を連続してアップされている。私は大半の解離研究者においてフロイトの「抑圧」について根本的に誤読があるという立場をとっているが、フロイトの抑圧の第一段階は解離である。▶︎「フロイトの抑圧はジャネの解離」。


この解離としての抑圧の第一段階は原抑圧=排除である。《原抑圧の名は排除と呼ばれる[le nom du refoulement primordial…s'appelle la forclusion]》(J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 26 novembre 2008)。


これは日本でも中井久夫が既に指摘している。


外傷神経症〔・・・〕その主な防衛機制は何かというと、解離です。置換・象徴化・取り込み・体内化・内面化などのいろいろな防衛機制がありますが、私はそういう防衛機制と解離とを別にしたいと思います。非常に治療が違ってくるという臨床的理由からですが、もう少し理論化して解離とその他の防衛機制との違いは何かというと、防衛としての解離は言語以前ということです。〔・・・〕

サリヴァンも解離という言葉を使っていますが、これは一般の神経症論でいう解離とは違います。むしろ排除です。フロイトが「外に放り投げる」という意味の Verwerfung という言葉で言わんとするものです。(中井久夫「統合失調症とトラウマ」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)


ある時期以降、特に1920年以降のフロイトが「抑圧」という語を使うとき、ほとんどの場合、抑圧の第一段階での原抑圧=排除である。たとえば《抑圧された欲動[verdrängte Trieb]》(フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)は、《排除された欲動 verworfenen Trieb]》(『快原理の彼岸』第4章、1920年)であり、つまり《原初に抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe]》(『症例シュレーバー 』第3章、1911年)である。そしてこの原抑圧のさらなる別名が固着である。


われわれには原抑圧[Urverdrängung]、つまり、抑圧の第一段階を仮定する根拠がある。それは欲動の心的(表象-)代理が意識的なものへの受け入れを拒まれるという事実から成り、これにより固着[Fixerung]がもたらされる。問題となっている欲動の代理はそれ以後不変のまま存続し、欲動はそれに拘束される。

Wir haben also Grund, eine Urverdrängung anzunehmen, eine erste Phase der Verdrängung, die darin besteht, daß der psychischen (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes die Übernahme ins Bewußte versagt wird. Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; die betreffende Repräsentanz bleibt von da an unveränderlich bestehen und der Trieb an sie gebunden.(フロイト『抑圧』1915年)




ところで岡野憲一郎氏は次のように書評している。



この書評は岡野氏の問題というより原著の問題かもしれないが、少なくとも上で私が赤線で囲った部分は、ことごとく誤謬である。抑圧の第一段階の原抑圧と後期抑圧の区別がついていないのである。



ここで抑圧の第一段階(原抑圧)と後期抑圧が鮮明に区別されている『症例シュレーバー』から引こう。


「抑圧」は三つの段階に分けられる「das »Verdrängung«… den Vorgang in drei Phasen zu zerlegen]〔・・・〕


①抑圧の第一段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«.


固着は次のように説明できる。ある欲動または欲動的要素が、予想された正常な発達経路をたどることができず、その発達が制止された結果、より幼児期の段階に置き残される。問題のリビドーの流れは、その後の心的構造との関係で、無意識体系に属するもの、抑圧されたもののように振舞う。[Die Tatsache der Fixierung kann dahin ausgesprochen werden, daß ein Trieb oder Triebanteil die als normal vorhergesehene Entwicklung nicht mitmacht und infolge dieser Entwicklungshemmung in einem infantileren Stadium verbleibt. Die betreffende libidinöse Strömung verhält sich zu den späteren psychischen Bildungen wie eine dem System des Unbewußten angehörige, wie eine verdrängte.


この欲動の固着は、以後に継起する病いの基盤を構成する。そしてさらに、とくに三段階目の抑圧の相を生み出す決定因となる[Fixierungen der Triebe die Disposition für die spätere Erkrankung liege, und können hinzufügen, die Determinierung vor allem für den Ausgang der dritten Phase der Verdrängung.


②抑圧の第二段階は、正式の抑圧である。この段階は精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているが、これは自我のより高度に発達した意識システムから生じ、実際には「後期抑圧」と表現できる[Die zweite Phase der Verdrängung ist die eigentliche Verdrängung, die wir bisher vorzugsweise im Auge gehabt haben. Sie geht von den höher entwickelten bewußtseinsfähigen Systemen des Ichs aus und kann eigentlich als ein »Nachdrängen« beschrieben werden.


後期抑圧は本質的に能動的な過程であるという印象を与えるが、他方、固着は本来的に受動的な置き残しに見える[Sie macht den Eindruck eines wesentlich aktiven Vorganges, während sich die Fixierung als ein eigentlich passives Zurückbleiben darstellt. ]〔・・・〕

③第三段階は、病理現象として最も重要であり、抑圧の失敗、侵入、抑圧されたものの回帰である Als dritte, für die pathologischen Phänomene bedeutsamste Phase ist die des Mißlingens der Verdrängung, des Durchbruchs, der Wiederkehr des Verdrängten anzuführen.


この侵入は固着点から始まる。そしてリビドー的展開の固着点への退行を意味する[Dieser Durchbruch erfolgt von der Stelle der Fixierung her und hat eine Regression der Libidoentwicklung bis zu dieser Stelle zum Inhalte. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー  1911年)



これを読めば岡野氏曰くの《ジャネ自身のフロイト理論との違いに関する主張は3点あるが、一番大事なのは、解離は受け身的、抑圧は能動的ということである。》は全き誤謬であるのは明らかだろう、フロイトは《後期抑圧は本質的に能動的な過程であるという印象を与えるが、他方、固着は本来的に受動的な置き残しに見える[Sie macht den Eindruck eines wesentlich aktiven Vorganges, während sich die Fixierung als ein eigentlich passives Zurückbleiben darstellt. ]》と記しているのだから。


ポストフロイトの精神分析界はフロイトの原抑圧=排除=固着を忘れてしまっている。これについてはラカン派から厳しい批判があるが、いまだもってフロイトのテキストをまともに読み返してみることさえしていない者がほとんどである。これこそ彼ら自身の病理というほかない。フロイトを意識的=能動的に抑圧しているという意味で、後期抑圧の症状である。



フロイト以降、原抑圧概念は全く忘れられるつつある。証拠として、Grinsteinを見るだけで十分である。Grinstein、ーすなわちインターネット出現以前の主要精神分析参考文献一覧である。96,000項目の内にわずか4項目しか、「原抑圧」への参照がないこの驚くべき過少さを説明するのは、とても簡単である。原抑圧概念は、ポストフロイト時代の理論にはまったく合致しないのである。彼らが参照しているのは、1910年前後以前のフロイトに過ぎない。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, DOES THE WOMAN EXIST? 1999


後期ラカンにとって、症状は「身体の出来事」として定義される〔・・・〕。症状は現実界に直面する。シニフィアンと欲望に汚染されていないリアルな症状である。症状を読むことは、症状を原形式に還元することである。この原形式は、身体とシニフィアンとのあいだの物質的遭遇にある〔・・・〕。これはまさに主体の起源であり、書かれることを止めない。--《現実界は書かれることを止めない。 le Réel ne cesse pas de s'écrire)(ラカン, S 25, 10 Janvier 1978)ーー。我々は「フロイトの原抑圧の時代the era of the ‘Ur' – Freud's Urverdrängung])にいるのである。ジャック=アラン・ミレール はこの「原初の身体の出来事」とフロイトの「固着」を結びつけている。フロイトにとって固着は抑圧の根である。固着はトラウマの審級にある。それはトラウマの刻印ーー心的装置における過剰なエネルギーの瞬間の刻印--であり、欲動要求の回帰が生じる。

Lacan's late teaching, where the symptom is defined as a body event…; the symptom has a face of the real, beyond the defiles of the signifier and of desire, …to read a symptom is to reduce it to its primal formula, to the material encounter between the body and a signifier …This is the very origin of the subject, which does not cease repeating itself. This brings us to the era of the ‘Ur’ – Freud’s Urverdrängung. … Miller makes between this primal body event and what Freud calls fixation. For Freud, fixation is at the root of repression. It is a registration of a trauma – a moment of too much energy in the psychic apparatus - to which there is an exigency of the drive to return.Anne Lysy, Report on the Preparatory Seminar Towards the 10th NLS Congress "Reading a Symptom", 2012


……………


なお用語的には主に次の語彙群が原抑圧と後期抑圧の相違である。



原抑圧

Urverdrängung

抑圧された欲動[verdrängte Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)

抑圧された固着[verdrängten Fixierungen (フロイト『精神分析入門』第23講、1917年)

抑圧されたトラウマ[verdrängte Trauma](フロイト『精神分析技法に対するさらなる忠告』1913年)

後期抑圧

Nachverdrängung

抑圧された願望(欲望)[verdrängte Wünsche](フロイト『夢解釈』第5章、1900)

抑圧された表象[verdrängten Vorstellungen](フロイト『夢解釈』第7章、1900年)

抑圧された思想[verdrängten Gedanken (フロイト『夢解釈』第7章、1900)


ーー《フロイト用語の願望をわれわれは欲望と翻訳する[Wunsch, qui est le terme freudien que nous traduisons par désir.]》(J.-A. Miller, MÈREFEMME, 2016)


なお欲動と願望(欲望)の相違は次の通り[参照]。





精神分析は無意識をさらに区別し、前意識と本来の無意識に分離するようになった[ die Psychoanalyse dazu gekommen ist, das von ihr anerkannte Unbewußte noch zu gliedern, es in ein Vorbewußtes und in ein eigentlich Unbewußtes zu zerlegen. ](フロイト『自己を語る』第3章、1925年)

私は、知覚体系Wに由来する本質ーーそれはまず前意識的であるーーを自我と名づけ、精神の他の部分ーーそれは無意識的であるようにふるまうーーをエスと名づけるように提案する。

Ich schlage vor, ihr Rechnung zu tragen, indem wir das vom System W ausgehende Wesen, das zunächst vbw ist, das Ich heißen, das andere Psychische aber, in welches es sich fortsetzt und das sich wie ubw verhält, …das Es.(フロイト『自我とエス』第2章、1923年)

自我はエスから発達している。エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳に影響されず、本来の無意識としてエスのなかに置き残されたままである[das Ich aus dem Es entwickelt. Dann wird ein Teil der Inhalte des Es vom Ich aufgenommen und auf den vorbewußten Zustand gehoben, ein anderer Teil wird von dieser Übersetzung nicht betroffen und bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)


このエスに置き残されるものが固着(原抑圧=排除)である。

前意識体系にはさらに、表象内容が、たがいに影響しあうことができるように、相互の交流を行なうこと、それを時間的に秩序づけること、 一つまたはいくつかの検閲の実施、現実吟味と現実原理、これらのことがその役割である。 意識する記憶もまた、すべて「前意識」にかかわるものと思われるが、それは固着された無意識の出来事の記憶痕跡とはきびしく区別される。

Dem System Vbw fallen ferner zu die Herstellung einer Verkehrsfähigkeit unter den Vorstellungsinhalten, so daß sie einander beeinflussen können, die zeitliche Anordnung derselben, die Einführung der einen Zensur oder mehrerer Zensuren, die Realitätsprüfung und das Realitätsprinzip. Auch das bewußte Gedächtnis scheint ganz am Vbw zu hängen, es ist scharf von den Erinnerungsspuren zu scheiden, in denen sich die Erlebnisse des Ubw fixieren (フロイト『無意識について』第5章、1915)


きびしく区別されなければならない「原抑圧と後期抑圧」が(ほとんどの場合)まったく区別出来ていないのが、ポストフロイトの精神分析の世界なのである。


またまたひとつの事例として岡野憲一郎氏のブログから掲げるが、次の抑圧は後期抑圧に過ぎない。



図だけ大きく掲げよう。




なおフロイトの欲動はトラウマ(固着)であることを再度強調しておこう[参照]。

何はともあれ、岡野氏に対しては《ちなみに私(岡野)はフロイトに問いたい。「という事は、解離や抑圧は意識的な活動の産物でしょうか?」これにフロイトは答えられないであろう。なにしろ意思や意図、と言っているのだから、意識的な産物というしかない。しかしそれが無意識内に抑圧されるのに抑圧したことを意識している、とは矛盾してはいないだろうか?これが一番抑圧理論の一番悩ましい点なのだ。》などと恥ずかしげもなく記す前に、最低限、フロイトの『抑圧』論文、『無意識』論文ぐらいはじっくり読んでみたらどうだい、と言いたい。