蚊居肢
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2019年9月10日火曜日
力への意志・レミニサンス・反復強迫の三幅対
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以下、前回の「 排除=外立=固着 」と重なるところの多い記述だが、ここではニーチェの「力への意志」を中心において記述する。 ……… ドゥルーズとクロソウスキーはほぼ同時期にこう言っている。 力への意志の直接的表現としての永遠回帰 éternel retour com...
2019年7月30日火曜日
日本社交界のラカン派ドゥルーズ派諸君に命ずる!
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最近になってもラカン研究者プロパのなかでさえ「ボク珍のラカンはアンコールまでのラカン」とか言っている人物がいるらしいが、そんな輩はラカン派ではまったくない。 なぜなら中期ラカンは「道に迷った」のだから。フロイトの道を踏み外したのである。たぶん不安セミネール直後におこった「破門...
2019年2月5日火曜日
岡崎乾二郎「賛」
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岡崎乾二郎の立場は、芸術制作においても芸術批評においても現在に至るまで、次のものだろう。 岡崎乾二郎)……だから、ぼくの立場はやはり形式主義ということになります。そんな得体の知れないものが対象としてあるように見えて、実際は掴むこともできないのはわかっている。よってそれを捉ま...
2019年1月11日金曜日
けげんそうなまなざし
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【何も知らないような顔】 相手の男が近寄ってくるのを待ち、しばらくお前のまわりをぶらつかせておくこと。誘惑してきたら、すこし驚いてみせなくてはいけない。相手を見て、何も知らないような顔をすべきかどうか判断することが肝心だ……(ジャン・ジュネ『泥棒日記』朝吹三吉訳) 【おどろい...
2017年9月17日日曜日
愛する対象の非全体
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愛する理由は、人が愛する対象のなかにはけっしてない。les raisons d'aimer ne résident jamais dans celui qu'on aime(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』) スワンのオデットへの愛、マルセルのアルベルチー...
2016年12月15日木曜日
私の好きな女が、みんな母に似てるぢやないか!
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母。――異体の知れぬその影がまた私を悩ましはじめる。 私はいつも言ひきる用意ができてゐるが、かりそめにも母を愛した覚えが、生れてこのかた一度だつてありはしない。ひとえに憎み通してきたのだ「あの女」を。母は「あの女」でしかなかつた。 三十歳の私が、風をひいたりして熱のある...
2016年12月1日木曜日
ファストフード的知的消費者向け作文
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以下、まずは1902年生の小林秀雄の1936年の文章である。 君にいわせれば、僕は批評的言語の混乱というものを努めて作り出そうと心掛けて来た男だ。そして愚かなエピゴオネンを製造し、文学の進歩を妨害している。そういう奴は退治してしまわねばならぬという。豪そうな事をいうなとは言...
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