蚊居肢
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侯孝賢
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2019年2月2日土曜日
おまえは女に惚れたことないだろ
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こ の前ひとりでやけ酒飲んでいましたよ もういただいていいんでしょうか 「おまえは女に惚れたことないだろ」 と五年先輩に言われたことがある。 同じ大学の同じ学部出の男で二人で酒を飲んでいた。 彼は少女のような同僚の女にひどい恋におちいっていた。 内心こう呟いた、 ...
2018年12月30日日曜日
撞玉のエロス
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◆ゴダールの探偵 Détective (1985年) ◆百年恋歌(最好的時光、侯孝賢(2005年)
2018年12月3日月曜日
青い空
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2018年9月8日土曜日
きらりとひらめく一瞬よりはいくらか長く続く間
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この音楽のなかで、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫 larves obscures alors indistinctes のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった…...
2018年8月16日木曜日
驚愕した陶器の顔の母親の口
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驚愕した陶器の顔の母親の口が 赭い泥の太陽を沈めた (吉岡実「僧侶」) やあ、きみたちにはわからないでいいんだ、この映像の衝撃が。 寝ている母のオメコ に指をつっこんだことがないきみたちには、な。 母の魂に最初の皺をつけたような、そこに最初の一本の...
眠っている母の陰部に指をつっこむこと
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風景あるいは土地の夢で、われわれが「ここへは一度きたことがある」とはっきりと自分にいってきかせるような場合がある。さてこの「既視感〔デジャヴュ déjà vu〕」は、夢の中では特別の意味を持っている。その場所はいつでも母の性器 Genitale der Mutter である。事...
2018年6月22日金曜日
行ったり来たりする女
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⋯⋯⋯⋯ 母の行ったり来たり allées et venues de la mère⋯⋯行ったり来たりする母 cette mère qui va, qui vient……母が行ったり来たりするのはあれはいったい何なんだろう?Qu'est-ce que ça...
2018年6月16日土曜日
その女なしでは記憶に戻って来なかったこと
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フロイトの《愛のつながり Liebesbeziehungen》( 感情的結びつき Gefühlsbindungen )ってのは、《享楽のカーテン voilement de la jouissance》(ラカン、S19)をすることさ、それしかないね。 ボクに言わせれば、二流の...
2018年6月14日木曜日
人類は、このシーンを見て泣く人と泣かない人に分けられる
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たった1枚の絵画だけで20分も30分もその場に人を釘付けにできるのだとしたら、映画も少ないカットでそういう事ができるのを感覚的に目標にしている。(「This is 読売」北野武監督対談蓮實重彦 1998年2月号) 究極の映画とは、10枚の写真だけで構成される映画で...
2018年4月18日水曜日
渥美線・飯田線・嵐山線
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高校時代、路面電車(いわゆる市電)に乗って、二キロ先の渥美線始発駅まで行き、そこから十キロ強先の学校まで通った。寝坊すれば十二キロ先の学校まで自転車で行く。すると場合によっては渥美線を使う連中よりも先に着いた。 学校から南二キロ先には伊古部の海があった。自転車の日には...
童年往事・戀戀風塵・悲情城市
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◆辛樹芬( シン・シューフェン 、1967年生) 侯孝賢、 童年往事、1985 戀戀風塵、1987 (同上) (悲情城市、1989)
2018年4月13日金曜日
トンネルはよくない
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トンネルってのはよくないね。 ふりむくことは回想にひたることではない。つかれを吹きとばす笑いのやさしさと、たたかいの意志をおもいだし、 過去に歩みよるそれ以上の力で未来へ押しもどされるようなふりむき方をするのだ。 ( 高橋悠治『ロベルト・シューマン』1978...
2018年4月6日金曜日
倒錯者の映画鑑賞法
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いやあ、ボクは「正統的な」倒錯者だからな、映画を観るにも、切り取って収集することに決めたんだよ 人は、読書の快楽のーーあるいは、快楽の読書のーー類型学を想像することができる。 それは社会学的な類型学ではないだろう。なぜなら、快楽は生産物にも生産にも属していないか...
2017年12月3日日曜日
一瞬よりはいくらか長く続く間
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私の放浪する半身よ、このまえも言ったけれど、ボクは大江の「 一瞬よりはいくらか長く続く間」って表現がすごく好きでね ――私は、総領事の最初の結婚を破壊して、自分と再婚させたわけだけど、それまでの後悔を引っくり返すほどの喜びをあたえたとは思わない、と弓子さんはいって、もう一度...
2017年10月31日火曜日
遠くからやってくる「侯孝賢とビクトル・エリセ」
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数日前、偶然に出会った 侯孝賢の「黃金之弦」(2011)ーーなぜこんなに(わたくしにとって)美しいのか、このわずか六分弱の映像に魂を奪われてしまう。 美には傷 blessure 以外の起源はない。どんな人もおのれのうちに保持し保存している傷、独異な、人によって異なる、隠れた...
2017年10月28日土曜日
目を閉じる方法
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目を閉じると 風のにおいがする まるで果実のような ふくらみを持った風 ざらりとした果皮があり 果肉のぬめりがあり 種子のつぶだちがある 遠い日の湿った多肉質の実 果皮は匂いさざめき 果肉は溶けて快楽(けらく)となる 種子はやわらかな微粒子となり 私の魂にのめりこり 微かな痛みを...
2017年10月27日金曜日
夏の設楽女
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(侯孝賢、童年往事、1985年) ーーきっと夏休みだ。この景色だけでひどく魅せられてしまう。 わたくしの場合は、樟だったが、往時の祖父の屋敷には、見事な姿をしたこの喬木が揺らめき、梢をきらめかせていた。 ーーふと探ってみると、侯孝賢の「黃金之弦」 La Bel...
2016年8月3日水曜日
「途方もない好い女」による BWV 878
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やあ、やっぱりピアニストはアジアの乙女たちがいいんじゃないか 不思議に日本の女性ピアニストに魅かれたことがないのだが (なんだか生臭く感じて) あれは西洋化されすぎているせいなんだろうか・・・ ………… おそらく(世界的には)いまだまったく無名であるはずのピアニス...
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