2016年3月5日土曜日

ひとつの性だけを愛し続けるという変態

オカマというのは
こいつは男だと知った瞬間
ヤりたくなくなる 
というオレは凡人なんだけど
一度だけ最後の瞬間まで分からず 
ヤッたことがある

実に美しい若者だった 
涎でシーツをベトベトにして 
ヒイヒイ悦んでくれる
フツウに考えれば 
一度ぽっきりというのは
実にモッタイない話なんだが

「とろけるような午後
……

似ている。でも奴はもっと美男だった
……
今彼はもっと美しい
遠い過去から彼を呼び戻す私の心。

遠い過去だ。すべて。おそろしい古さ
スケッチも、船も、そして午後も」(カヴァフィス「船上にて」)

ーーとあまりにも美しい詩句を引用すると、
オレの行分けされた文があまりにも見劣りして
書き直すか、せめて、行分けを戻したくなるぜ

…………

人間はもともと多形倒錯だ 
と言ったのはフロイトだけど 
ある時期から「通常は」異性を愛するようになる
ひどく美しい同性なら愛してもいいはずなのに。

多くの動物はほとんどすべて「バイセクシャル」らしい。

 《彼らは、同性と異性のあいだで容易に切り替え性行動する。 
ただふたつの種族だけが、 
異性のパートナーが利用できる環境に置かれてさえ、 
生涯のあいだ好んで 
同性間の性交を継続することが観察されている。 
一種類はもちろん人間であり 
もう一種類は、家畜の羊である。》

だそうだ。最近の科学記事だから 
信憑性のほどは判然としないけど。

でもバイセクシャルが自然なんだがな
人間の異性愛も同性愛も同じ穴の狢の変態さ 
異性性交・同性性交に生涯専念するなんてな

でもオレはいまだ女ばっかりなんだよな
「言語」に囚われた凡人さ

我々は動物がけっしてしないことをするように見える。我々は、我々がそうあるべきだと思っている標準、絶対的な標準、規範、水準に照らし合わせて、享楽を判断している。標準や基準は、動物界にはない。標準などは言語によってのみ可能となる。言い換えれば、言語は、我々が得ている享楽が標準には達していない、基準に達していない、そうあるべきものではない、と思わせるのだ。(Bruce Fink“Knowledge and Jouissance”2002ーー「動物と人間(本能と欲動)」)