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2017年8月28日月曜日

開け胡麻!

われわれも相当の年になると、回想はたがいに複雑に交錯するから、いま考えていることや、いま読んでいる本は、もう大して重要性をもたなくなる。われわれはどこにでも自己を置いてきたから、なんでも肥沃で、なんでも危険であり、石鹸の広告のなかにも、パスカルの『パンセ』のなかに発見するのとおなじほど貴重な発見をすることができるのだ。(プルースト「逃げさる女」)

ーー今から「歌謡曲」のことを記すので、プルーストに応援を頼まねばならぬ。

粗悪な音楽を嫌悪したまえ、しかし侮ることなかれ。いい音楽以上にうまく演奏したり歌つたりすれば、音楽は徐々に夢と人の涙で満たされる。(……)粗悪な音楽には芸術の歴史に居場所はないが、社会の情緒の歴史において、その地位は絶大なのだ。(プルース『ジャン・サントゥイユ』「粗悪音楽礼賛」)

とはいえわたくしは「歌謡曲」が石鹸の広告や粗悪音楽とはけっして言うつもりはない!

言いたいことは、(わたくしにとって)肥沃で、危険なものは、なによりもまず「音楽」であるということである。そしてそれがかりに粗悪音楽であってさえ、ひどく貴重なものだということである。文学やほかの芸術の地位は音楽にくらべれば鼻糞のようなものだ、ということである(いやいささか修辞が過ぎたかもしれない、もちろん例外はある、と言っておかねばならない)。

…………

さて前回、前野曜子の「別れの朝」と、ルネ・シマールの「ミドリ色の屋根」をほとんど同じ時期に聴いた、としたが、調べてみると、前者が1971年、後者が1974年であり、正確にはかなり時期的に異なる。1974年といえば、わたくしはすでに高校生であり、もっと幼い時期に聴いているとの記憶違いがあった。

いずれにせよ「別れの朝」を聴いたことにより、開け胡麻! のような現象が起こり、10代のころ、とくにその前半に好んだ「歌謡曲」の記憶の断片が殺到してくるような感じを抱く。だが、それがどの曲のどの箇所かは鮮明ではない。いろんなメロディが混淆して訪れるのである。

ところでネット上には次のような便利なものがある。

1960年代 邦楽ヒット曲 ランキング/年代流行
1970年代 邦楽ヒット曲 ランキング/年代流行

あのころ、どんな「歌謡曲」を好んだのか。それを思いだすにはとてもすぐれた一覧である。

まずすっかり忘れていた1968年(10歳のとき)の次の2グループが、当時のわたくしの愛の対象だったことを見出した(たぶんわたくしの失念は日本に住んでいないせいもあるだろう、日本に住んでいれば懐メロという形などでときには昔の曲を耳にする機会があって、わたくしのように唐突な喚起=歓喜に襲われることは少ないはずである)。

◆エメラルドの伝説 テンプターズ 1968年



ーーいやあショーケンがこんなへなへな野郎だったとは。いまの若者がへなへな野郎ばっかりでも軽蔑してはいけないことに思い至った・・・


◆ザ・タイガース 「花の首飾り」 1968年



(「君だけに愛を」とどっちを選ぼうか悩んだが、なにはともあれこの二曲がタイガースへの愛の起源である)。

それにしても、--ああ、あああ・・・ーー、じつに懐かしく、鋭い「痛み」がわたくしの心を突き刺す。10歳前後の人生の「悲哀感」が蘇る・・・いや逆かも知れない。あの頃はまだ女に徹底的に惚れてひどく悩むこともなかった・・・せいぜいいちはやく胸がふくらみはじめて大人になりかかってゆく健康そうな少女たちへの憧憬、《朝礼で整列している時に、隣りにいるまぶしいばかりの少女に少年が覚えるような羞恥と憧憬と、近しさと距離との同時感覚》(中井久夫)を覚えた程度である・・・思えば遠くに来たものである・・・

1968年以前の「歌謡曲」についてはーーまったく覚えがないわけではないがーー、印象がひどく浅い。わたくしの「歌謡曲」とは10歳のとき聴いた上の2グループにある(それ以前はロシア民謡を自ら好んでしばしば歌っていた)。

かつまたこの10歳以後の歌謡曲では、それほど強い印象をあたえる曲はない(「邦楽」でなければ、アンディ・ウィリアムズの「ゴッドファザー愛の歌」、プレスリー、とくに「この胸のときめきを」にほれ込んだのは、10歳前半だが、ビートルズには当時の音楽好きな友たちほどには熱狂しなかった)。

「邦楽」のなかで敢えて掲げれば次の二人の歌である。

◆ちあきなおみ/喝采 1972年



ーーちあきなおみが歌った年に、わたくしは生涯の最も大きな恋に陥った。あれ以上痛切な恋はその後ない。


◆積木の部屋 布施明、1974年



ーーこっちは「自殺の旅」に北海道に赴いた年である・・・

どうしてかって? そもそも女に徹底的に惚れてフラれて自殺を図ったことのないヤツなんてのは信用できないね、それとも自殺失敗談を語れっていうわけかい? アホラシ!!

俺は今までに自殺をはかつた経験が二度ある、一度は退屈の為に、一度は女の為に。俺はこの話を誰にも語つた事はない、自殺失敗談くらゐ馬鹿々々しい話はないからだ、夢物語が馬鹿々々しい様に。力んでゐるのは当人だけだ。大体話が他人に伝へるにはあんまりこみ入りすぎてゐるといふより寧ろ現に生きてゐるぢやないか、現に夢から覚めてるぢやないかといふその事が既に飛んでもない不器用なのだ。俺は聞手の退屈の方に理屈があると信じてゐる。(小林秀雄「Xへの手紙」)

ーー「退屈の為」なんてのは小林一流のレトリックだよ、両方とも女のせいに決まってる。

とはいえじつは布施明の歌自体、1974年ではなくもっと幼いころに聴いたという「錯覚」をもっていた。この錯覚はなぜなのだろう、とても奇妙である・・・

………というわけで(?)歌謡曲はけっして粗悪音楽ではない!
すくなくともわたくしの情緒の歴史において、その地位は絶大である!!

だがなぜこれらの曲を聴かないようになったのか?

ここでもプルーストに援助を乞うことにする。

このソナタは人生に似ていた。しかし、そうした偉大な傑作は、人生のようには幻滅をもたらすことはないが、それがもっている最上のものをはじめからわれわれにあたえはしない。ヴァントゥイユのソナタのなかで一番早く目につく美は、またあきられやすい美であり、そうした美がすでに人々に知られている美とあまりちがっていないのも、まず早く目にとまる美だからである。しかしそんな美がわれわれから遠ざかったとき、そのあとからわれわれが愛しはじめるのは、あまり新奇なのでわれわれの精神に混乱しかあたえなかったその構成が、そのときまで識別できないようにしてわれわれに手をふれさせないでいたあの楽節なのである。われわれが毎日気がつかずにそのまえを通りすぎていたので、自分から身をひいて待っていた楽節、それがいよいよ最後にわれわれのもとにやってくる、そんなふうにおそくやってくるかわりに、われわれがこの楽節から離れるのも最後のことになるだろう。われわれはそれを他のものより長く愛しつづけるだろう、なぜなら、それを愛するようになるまでには他のものよりも長い時間を費していたであろうから。それにまた、すこし奥深い作品に到達するために個人にとって必要な時間というものはーーこのソナタについて私が要した時間のようにーー公衆が真に新しい傑作を愛するようになるまでに流される数十年、数百年の縮図でしかなく、いわば象徴でしかないのである。(プルースト『花咲く乙女たちのかげに Ⅰ』)

すなわち歌謡曲というのは、おおむね《あきられやすい美》によってのみ成り立っており、人生に似ていないせいである。上にあげた曲はどれもこれも三度ほど聴くと、最初の鮮烈さはすっかり失せてしまう。たぶんいま掲げた曲をふたたび聴き直してみるのは、一年後かそれよりも先ではなかろうか(いやあ、ちあきなおみは、この一年のあいだにすでに三度ほど聴いているな・・・)

音楽で大切なのは、最初は《みにくい女》と感じられる箇所である。そうでないと長続きしない(だが、はたしてすべてがそうであろうか、例外はあるに決まっている・・・そもそも、ちあきなおみは当時はみにくい(古風な)オバチャンにしか思えなかったのだが、たぶん今のわたくしにとって、たとえば祇園のバーのカウンターの暗闇の向こうから彼女に似た顔があらわれてニタっとされたら「失神」してしまうのではなかろうか・・・)。

……この音楽のなかで、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった、はじめはそういう女たちに似ていることが私にはほとんど見わけられなかった、せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった、ところが、たとえば最初虫の好かなかった相手でも、いったん気持が通じたとなると、思いも設けなかった友人を発見したような気にわれわれがなる、そんな相手に似ているのであった。このような二つの状態のあいだに起きたのは、まぎれもない質の変化ということだった。それとはべつに、いくつかの楽節によっては、はじめからその存在ははっきりしていたが、そのときはどう理解していいかわからなかったのに、いまはどういう種類の楽節であるかが私に判明するのであった……(プルースト『囚われの女』)

ーー常にプルーストが正しいわけではないけれども、こういったことを記すには、絶大に役立ってくれるのは間違いない。

《そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった、はじめはそういう女たちに似ていることが私にはほとんど見わけられなかった、せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった》だって? まるで「ちあきなおみ」のことを記しているかのようではないか・・・《いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。》