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2017年12月26日火曜日

純愛を捧げるべき恋人

純愛に必要なものは距離である。 身近にいる限り倦怠を募らせるしかない女性を、 誠実に、永遠に、みのり豊かに愛し続けるには、その不在の影と戯れねばならない。残された一ふさの髪の毛で結ばれている母親との間には時間的な距離が拡がっているが、では、純愛を捧げるべき恋人との間には、いかなる距離を介在させることが可能か。すぐさま予想されるとおり、空間的な距離、つまりは地理的な拡がりがあればそれで充分だ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』P.245)

いやあ、ボクは純愛者、あるいは純愛の対象としてのピッタリの条件をそなえているようだ。

ようするに「異郷にて In der Fremde」住むボクは、「秘めた愛 Verschwiegene Lieder」にとって、つまりは日本人女性へ純愛を捧げたり、日本人女性から純愛を捧げられたりするためには、条件的にはピッタリである。しかもオチンチンの不自由をかかえる還暦間近の男であるから、さらにいっそう純愛の能動者かつ受動者としてこよなく相応しい・・・

――……ずっと若い頃に、かなり直接的に誘われながらヤラなかったことが、二、三人にういてあったんだね。後からずっと悔やんだものだから、ある時から、ともかくヤルということにした時期があったけれども…… いまはヤッテも・ヤラなくても、それぞれに懐かしさがあって、ふたつはそうたいしたちがいじゃないと、回想する年齢だね。(大江健三郎『人生の親戚』)

人はここで、「異郷にて In der Fremde」と「秘めた愛 Verschwiegene Lieder」を聴かねばならない。

◆Schumann, Eichendorff Liederkreis Op 39 - 1. In der Fremde (Régine Crespin)




◆Régine Crespin; "Verschwiegene Lieder"; Eichendorff-Lieder; Hugo Wolf

  

ーーなんと美しいのだろう、このレジーナ・クレスパンのシューマンとヴォルフは。

だがいまは音楽の話ではない。ふたたび蓮實重彦に戻ろう。

いずれにせよ、 何か貴重なものが自分から奪われている欠如の実感なしに、 人は思考することもなければ、 また文章体験に向かうこともしない。 だから、 マクシムにおける純愛の主題は、 それが現在という時空にうがたれた空洞として意識される限りにおいて、あらゆる作家に共通する書くことを正当化する直接の契機となりうるものだ。人びとは、 誰しも倦怠によって筆をとる。 もちろんその倦怠は、 何もすることがない人間を詩へ、 小説へ、 批評へと向かわせる暇つぶしとして文学を正当化するものではない。 現在を、 貴重な何ものかの喪失に端を発した崩壊の一過程として捉え、 その困難を耐えぬくための試練を、 成熟に到る通過儀礼として特権化することに、 倦怠が貢献するのだという意味である。 あるいは、 なし崩しの頽廃としてしか生きられることのない現在を、 あらかじめ奪われた何ものかの過渡的な不在として捉え、 その欠如を語ることで実現さるべき未来を先取りしようとする欲望を、 その倦怠が正当化するといってもよかろう。 肝腎なのは、 生なましく触知しえない現在に苛立つ者たちだけが、思考すべき切実な課題とやらを文学に導入し、 何とか欠如を埋めようと善意の努力を傾けようとする点だ。 思想とは、 この欠如を充填すべく演じられる身振りにほかならぬ。 そしてその身振りは、 いくつもの解決すべき問題を捏造する。 イデオロギーとは、そうして捏造された諸問題がおさまるべき体系化された風景にふさわしい抽象的な名称なのだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』P.244)

ーー《生なましく触知しえない現在に苛立つ》おバカなボクは、《詩へ、 小説へ、 批評へと向かわせる暇つぶし》をしているのである。お気をつけを!

とはいえかねてより、生なましく触知しうる現在の愛好家でもありたいと願うことしきりでもある。

・・・なにはともあれボクは、ジボナノンド・ダーシュの至高の詩句、『美わしのベンガル』(臼田雅之訳)の愛好家である。


君たちはどこへでも好きな所に行くがいい、私はこのベンガルの岸に
残るつもりだ そして見るだろう カンタルの葉が夜明けの風に落ちるのを
焦茶色のシャリクの羽が夕暮に冷えてゆくのを
白い羽毛の下、その鬱金(うこん)の肢が暗がりの草のなかを
踊りゆくのを-一度-二度-そこから急にその鳥のことを
森のヒジュルの樹が呼びかける 心のかたわらで
私は見るだろう優しい女の手を-白い腕輪をつけたその手が灰色の風に
法螺貝のようにむせび泣くのを、夕暮れにその女(ひと)は池のほとりに立ち
煎り米の家鴨(いりごめのあひる)を連れてでも行くよう どこか物語の国へと-
「生命(いのち)の言葉」の匂いが触れてでもいるよう その女(ひと)は この池の住み処(か)に
声もなく一度みずに足を洗う-それから遠くあてもなく
立ち去っていく 霧のなかに、-でも知っている 地上の雑踏のなかで
私はその女(ひと)を見失うことはあるまい-あの女(ひと)はいる、このベンガルの岸に


ここでさらに安吾を引用したってよい。

浮気っぽい私のことで、浮気は人並以上にやるだろうが、私が私の家へ回帰する道を見失うことは決してあり得ない。私は概ねブッチョウ面で女房に辛く対することはシキリであるし、茶ノミ友だち的な対座で満足し、女房と一しょに家にいて時々声をかけて用を命じる程度の交渉が主で、肉体的な交渉などは忘れがちになっているが、それは私の女房に対する特殊な親愛感や愛情が、すでに女というものを超えたところまで高まっているせいだろうと私は考えている。私はとッくに女房に遺言状すらも渡しているのだ。どの女のためよりも、ただ女房の身を思うのが私の偽らぬ心なのである。それはもう女という観念と質のちごうものだ。そして女房に献身のある限り、私の気質に変ることは有りえない。つまり私は決して私と女房とを平等には見ておらぬ証拠で、女房とは女房という職業婦人であるが、すでにカケガエのない唯一の職業婦人として他の女たちと質のちごう存在になっていることが確かなのである。(坂口安吾「安吾人生案内 その八 安吾愛妻物語」1951年)

とはいえボクの女房は「精神的な」浮気さえ許さないタイプではある・・・しかも当地は日本と異なり「父の名」がいまだ機能している国であり、昔風のヒステリーの発作もすぐさま起こる。

幸にして自然は緩和剤としての歇私的里(ヒステリー)を細君に与えた。発作は都合好く二人の関係が緊張した間際に起った。健三は時々便所へ通う廊下に俯伏になって倒れている細君を抱き起して床の上まで連れて来た。真夜中に雨戸を一枚明けた縁側の端に蹲踞っている彼女を、後から両手で支えて、寝室へ戻って来た経験もあった。 

そんな時に限って、彼女の意識は何時でも朦朧として夢よりも分別がなかった。瞳孔が大きく開いていた。外界はただ幻影のように映るらしかった。 枕辺に坐って彼女の顔を見詰めている健三の眼には何時でも不安が閃めいた。時としては不憫の念が凡てに打ち勝った。彼は能く気の毒な細君の乱れかかった髪に櫛を入れて遣った。汗ばんだ額を濡れ手拭で拭いて遣った。たまには気を確にするために、顔へ霧を吹き掛けたり、口移しに水を飲ませたりした。 発作の今よりも劇しかった昔の様も健三の記憶を刺戟した。 

或時の彼は毎夜細い紐で自分の帯と細君の帯とを繋いで寐た。紐の長さを四尺ほどにして、寐返りが充分出来るように工夫されたこの用意は、細君の抗議なしに幾晩も繰り返された。 或時の彼は細君の鳩尾へ茶碗の糸底を宛がって、力任せに押し付けた。それでも踏ん反り返ろうとする彼女の魔力をこの一点で喰い留めなければならない彼は冷たい油汗を流した。(夏目漱石『道草』)

もっともこの一週間、《毎夜細い紐で自分の帯と細君の帯とを繋いで寐た》のは、妻側からなされ、夜間おしっこにいくのも一緒であった・・・さらにはあらゆる携帯機器、パソコンでさえ彼女の管理下にあり、彼女の現前外で許されたのはステレオ機器、あるいはYouTubeだけであったため、音楽をたっぷりきけるという「幸運」にみまわれた。