2018年1月8日月曜日

庖丁をふりまわす女

小津安二郎の『麦秋』だが、台所でケーキを切るだけなのに、原節子はなんで庖丁ふりまわしてるんだろう、むかしそう思ったね。




電気消して二度寝しなくちゃいけない、この映像ってのは。ボクにとって(参照)。




ーーこの映像は冒頭のケーキとは違った場面の同じ構図。

小津の映画には繰り返し現れる構図で、『麦秋』だけでなく、たとえば『晩春』の次の映像だって同じだ。



冒頭の映像のあとには次の映像が続く。



あの、庖丁をふりまわす女ってのも、じつは前回記した「樟のざわめき」の一環でね、そう簡単に忘れられるもんじゃないな、こっちのほうは。「幼少の砌の髑髏」だね

私は橋のうえからその鑵が沈んでゆくのを見まもり、いつまでもそれを憶えておこうと思った。しかし、その空鑵はいつか私の頭から忘れさられた。ただ裏の女の子とこのようにして別れた苦痛は後までよく憶いだされた。そして、そのたびに私はあの樟のざわめきや、女中部屋の匂いや、池水の冷たい反映をふと憶いうかべるのであった。(辻邦生『夏の砦』)