2018年3月2日金曜日

マリナ・ヴラディの引力

ゴダール (Jean-Luc Godard, 1930年生れ)は、1965年にアンナ・カリーナ(Anna Karina、1940年生れ)と別れたあと、1967年にアンヌ・ヴィアゼムスキー(Anne Wiazemsky、1947年)と再婚している(1979年離婚だが、実質上は、1972年のジガ・ヴェルトフ集団解消後のゴダールはアンヌ=マリー・ミエヴィル(Anne-Marie Miéville、1945年生れ)と公私ともにパートナー化していた、とのこと)。

ところでそのあいだの、1966年にマリナ・ヴラディ主演の「彼女について私が知っている二、三の事柄 2 Ou 3 Choses Que Je Sais D'Elle」を撮影している。




マリナ・ヴラディ(Marina Vlady、 1938年生れ)はひどく年増女にみえるが、アンナ・カリーナよりも2才年上にすぎない(ただし、このロシアからの移民の娘ヴラディの女優歴はカリーナに比べてかなり長い)。

(ロシアとはよく知られているようにマザコン大国であり、マリナ・ヴラディのようなタイプの女は憧憬されるはずである。ここでふとゴダールの母オディールの画像を検索してみたがネット上には見当たらない。なぜなのだろう? ーーヒョットシテ主婦無料売春ノセイダロウカ? ゴダールは母の愛人 Jean-Pierre Laubscher (母の18才年下、ゴダールの3才年上:Richard Brody, 2009による:his mother's lover, Jean-Pierre Laubscher, who, born in 1927, was eighteen years his mother's junior and three years Godard's senior)と仲がよかったらしいが--母方の祖父ジュリアン・モノーはパリ=オランダ銀行の設立者で、ポール・ヴァレリーの日記にも出現する人物なのに)

ゴダールはやはりマリナ・ヴラディにも惚れたんだろう、「映画をつくることは恋に陥ることだ」といったゴダールなのだから。




アンナとの離婚後、ゴダールには厄介なものが溜まっていたようにみえる。まだ36才のゴダールである。

上の画像をみよ、画面が小さくて鮮明でないかもしれないが、硬質のオチンチンからたしかにスペルマ様のようなものが迸っているではないか(いやあシツレイ! 誠実なゴダールファンのみなさん!)

なにはともあれここでは、ゴダールはヴァギナデンタータのブラックホールの引力に眩暈がしていたにチガイナイという「錯覚に閉じこもる」ことにする。




オトコという種族は、オチンチンがからからになっていなければ、「引力」に惹かれっぱなしで、なかなか「斥力」は働かないのである、《エロスとタナトスとは⋯⋯引力と斥力 Anziehung und Abstossung という対立対にまで至る》(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年

エロスは己れ自身を循環 cycle として・循環の要素 élément d'un cycle として生きる。それに対立する要素は、記憶の底にあるタナトスでしかありえない。両者は、愛と憎悪、構築と破壊、引力 attractionと斥力 répulsion として組み合わされている。(ドゥルーズ『差異と反復』1968年)

ところで、 「彼女について私が知っている二、三の事柄 2 Ou 3 Choses Que Je Sais D'Elle」は、アパートメントでの主婦売春の話であり、

日本では、1970年(昭和45年)10月3日、柴田駿のフランス映画社と大島渚の創造社が共同で主催した「ゴダール・マニフェスト」の一環として、劇場公開された。1971年(昭和46年)11月20日にスタートした「日活ロマンポルノ」の第1作、西村昭五郎監督の『団地妻 昼下りの情事』に深い影響を与えた。(wiki

だそうだ。

『団地妻 昼下りの情事』はほどよい映像が見当たらないので、ここでは「マリナ・ヴラディの引力」オマージュのために、当時の日活ロマンポルノからテキトウな画像(最後期の作品「女医肉奴隷」麻生かおり主演)を選び貼り付けておく。




なんというスバラシイ足、そしてなんという優雅な股の開き方であろう、しかもブラックホールは隠されている。

ジイドを苦悶で満たして止まなかったものは、女性のある形態の光景、彼女のヴェールが落ちて、唯一ブラックホール un trou noir のみを見させる光景の顕現である。あるいは彼が触ると指のあいだから砂のように滑り落ちるものである。(ラカン, Jeunesse de Gide ou la lettre et le désir , Écrits, 1966)

ブラックホールは隠されなければならないものである。たとえば、いまでは評判のわるい1930年代・40年代の米国の「ヘイズ・コード(映画製作倫理規定)」とははたんなるネガティヴな検閲規定だったわけではない。ヘイズコードのおかげで、すべてはエロス化したのである。あの規制によって、 最もありふれた日常的な出来事までをも性的なものにしてくれる。街を歩くことから食事をすることまで、登場人物のすることなすことすべてが、ヤリタイという欲望表現に変容させられる。

このコードの喪失が、現在のAVの不幸である。あそこには(多くの場合)真のエロスはない。もっともエロスの国日本である。他国のAVにくらべて格段の工夫はなされている。だがわれわれは伝統あるエロ国家として、日活ロマンポルノを復活しなければならない。そしてその機運があるのはすこぶる慶賀すべきである。


◆『日活 ロマンポルノリブートプロジェクト』劇場予告編




ーーーまだ復活初期段階なので、いささかガキっぽいのはやむえない。だが人はこの芽を摘み取ってはならない。こういったところからゴダールのカフェショップでの男女の遭遇並みの途轍もないエロスが生まれてくる可能性を祈願せねばならない。

みよ、黒洞々たる珈琲の夜に一片の角砂糖の贄を献ずるだけで、たちまち生殖の神ディオニュソス祝宴の合図である水烟がはぜるようにして立ち昇り放電するのを。



さて話を戻せば、先にかかげた旧日活ロマンポルノの断片は、とくに足フェチの男性諸君にとっては、まさにこうあるべき映像である。

そもそも起源としてのフェティッシュとは隠蔽記憶(スクリーンメモリー)にかかわる。

最初のフェティッシュの発生 Auftreten des Fetischの記憶の背後に、埋没し忘却された性発達の一時期が存在している。フェティッシュは、隠蔽記憶 Deckerinnerung のように、この時期の記憶を代表象し、したがってフェティッシュとは、この記憶の残滓と沈殿物 Rest und Niederschlag である。(フロイト『性欲論三篇』1905年、1920年注)

せっかく映画というスクリーンで描写しようとするエロスなのに、スクリーンを取り払ってしまっても元も子もなくなる。

荒木経惟は自らフロイトの教えを巷間のカンチガイくんたちに伝授しているではないか。





しかもこの写真はいかにもヘーゲル的である。

内面世界を隠蔽していると思われている、いわゆるカーテン Vorhange の背後には、無しかない(見られるべき何ものもない nichts zu sehen ist)、もし我々がカーテンの背後に廻り込まねば。我々が何ものかを見うるとするためには。あたかもカーテンの背後に見られうるべき何ものかがあると想定するためには。
この全き空無 ganz Leeren は至聖所 Heilige とさえ呼びうるものだが、しかしながら、そこにおいては何かがありうる doch etwas sei(と思念される)。我々は、その空無の穴埋めをせねばならない es müßte sich gefallen lassen、意識自体によって生み出される、空想(夢想 Träumereien)・仮象 Erscheinungen によって。何としても必死になって取り扱わねばならない何ものかがあると考えるのだ。というのは、何ものも空無よりはましであり、空想Träumereienでさえ空無 Leerheit よりはましだから。(ヘーゲル『精神現象学』Hegel, Phänomenologie des Geistes)

知的退行の21世紀であるが、この世紀においてエロスを取り戻すために、人はヘーゲルやフロイトを読まねばならぬ。

足は、不当にも欠けている女性のペニスの代理物である。Der Fuß ersetzt den schwer vermißten Penis des Weibes.

足フェティシズム Fußfetischismus の多くの事例において、本来は性器に向けられていた視姦欲動 Schautriebは、その対象に下から近づこうとするのだが、禁止と抑圧によって、道半ばで押しとどめられる。この理由で、足や靴にフェティッシュが付着する Fuß oder Schuh als Fetisch festhielt。女性器は、幼児の期待に応じて、男のようなものとして表象されるのである。Das weibliche Genitale wurde dabei, der infantilen Erwartung entsprechend, als ein männliches vorgestellt.. (フロイト『性欲論三篇』1905年、1910年注)



そもそもフェティシストとは、実際は、女陰嫌悪症なのである。

…表象の運命と情動 Affekts の運命をより明確に切り離し、「抑圧 Verdrängung」は情動のほうにとっておくつもりなら、表象の運命には、「否認 Verleugnung」が正しいドイツ語の表現になるだろう。…

われわれの言っている状態は、知覚 Wahrnehmung は残存しながら、その否認 Verleugnung を固持しようとする、きわめて精力的な行動が企てられているというものである。小児が女性を観察した後も、女性のファルス Phallus des Weibes という信念を変えることなく保持している、というのは正しくない。小児はその信念を守りつづけているのだが、断念(止揚 aufgegeben)もしているのである。

望まれざる知覚 unerwünschten Wahrnehmung の重みと反対願望 Gegenwunsches の強さとの葛藤のなかで、小児は、無意識的思考法則ーー「一次過程 Primärvorgänge」--の支配のもとでのみ可能な一つの妥協にいたりつく。とにかく女性は、心的なもののなかでは、依然としてペニス Penis を所有しているのだが、このペニスはもはや以前のそれではない。他のものがこれにとってかわっており、いわばその代理に任ぜられ、今はかつてのペニスに向かっていた関心の後継者となっているのである。

この関心はだがなおも異常に高められる。これは、去勢の恐怖 Abscheu vor der Kastration がこの代理物を作りだしたとき、一つの遺物 Denkmal を置いたからである。かつて行われた抑圧(放逐 Verdrängung)の消しがたい烙印 Stigma として、実際の女性器 weibliche Genitale に対する嫌悪(疎外 Entfremdung) もまた残る。これは、どのフェティシストにも、かならず見られるものである。(フロイト『フェティシズムFetischismus 』1927年)

そして究極のフェティシズムとは実は、足でも下着等でもない。そうではなく《出現ー消滅の演出 la mise en scène d'une apparition-disparition である》(ロラン・バルト『テクストの快楽』[参照])。

あるいはスタンダール的体験の残像なのである。

私の母、アンリエット・ガニョン夫人は魅力的な女性で、私は母に恋していた。 急いでつけくわえるが、私は七つのときに母を失ったのだ。(……)

ある夜、なにかの偶然で私は彼女の寝室の床の上にじかに、布団を敷いてその上に寝かされていたのだが、この雌鹿のように活発で軽快な女は自分のベッドのところへ早く行こうとして私の布団の上を跳び越えた。(スタンダール『アンリ・ブリュラールの生涯』)