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2018年5月5日土曜日

ヒト族というヘンタイ

《いつもそうなのだが、わたしたちは土台を問題にすることを忘れてしまう。疑問符をじゅうぶん深いところに打ち込まないからだ。》(ヴィトゲンシュタイン『反哲学的断章』)

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ヒトのように年中セックスをしている動物は、他に実験動物のマウスぐらいではないだろうか。(中井久夫「赤と青と緑とヒト」1997年初出『アリアドネからの糸』所収)

初心に還って考えてみなければならない。人間種とは、ジツに不思議な種族なのである。なぜ人間はしょっちゅうセックスするのであろうか。実験マウスのように檻のなかに閉じ込められているせいだろうか。結局、ヒト族を考える上での核心はここにしかない。

人間は言語によって檻に入れられ拷問を被る主体である。l'homme c'est le sujet pris et torturé par le langage(ラカン、S3、1956)

そもそも人間以外の正常な動物種は、リクリエーション・セックスをせず、リプロダクション・セックスだけをしている。ところがヒト族は、「純粋な」交尾から解離すればするほど、「あらセクシーだわ!」などと感受するヘンタイ種なのである。ヒトはこの厳然たる事実に正面から立ち向かわねばならない。

フロイトが言ったことに注意深く従えば、全ての人間のセクシャリティは倒錯的である。フロイトは決して倒錯以外のセクシャリティに思いを馳せることはしなかった。そしてこれがまさに、私が精神分析の肥沃性 fécondité de la psychanalyse と呼ぶものの所以ではないだろうか。

あなたがたは私がしばしばこう言うのを聞いた、精神分析は新しい倒錯を発明することさえ未だしていない、と(笑)。何と悲しいことか! 結局、倒錯が人間の本質である la perversion c'est l'essence de l'homme,。我々の実践は何と不毛なことか!(ラカン、S23、11 Mai 1976)

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シニフィアンは享楽の原因である。Le signifiant c'est la cause de la jouissance.ラカン、S20、1972

人間の原症状∑ーーフロイト曰くの「我々の存在の核 Kern unseres Wesen」である「固着 Fixierung」・「欲動の根 Triebwurzel」ーーは言語のせいなのである。

ラカンが症状概念の刷新として導入したもの、それは時にサントーム∑と新しい記号で書かれもするが、サントームとは、シニフィアンと享楽の両方を一つの徴にて書こうとする試みである。Sinthome, c'est l'effort pour écrire, d'un seul trait, à la fois le signifant et la jouissance. (ミレール、Ce qui fait insigne、The later Lacan、2007所収)
・「一」Unと「享楽」jouissanceとの関係が分析的経験の基盤であると私は考えている。そしてそれはまさにフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである。

・サントームの名は、享楽の存在である。c'est ce que Lacan a épinglé sous le nom de sinthome, et c'est l'être de jouissance.(ジャック=アラン・ミレール2011, Jacques-Alain Miller Première séance du Cours)

別の言い方をすれば、「一」というシニフィアンがあるから、剰余享楽という彷徨える過剰ーーフロイトの「残存現象 Resterscheinungen」ーーがあるのである。

常に「一」と「他」、「一」と「対象a」がある。il y a toujours l'« Un » et l'« autre », le « Un » et le (a)》(ラカン、S20、1973)
彷徨える過剰は存在の現実界である。L’excès errant est le réel de l’être.(バディウ Cours d’Alain Badiou) [ 1987-1988 ]