2019年3月2日土曜日

禁止のない社会における「奴隷状態」

フーコーの『性の歴史』第2巻「快楽の活用(1984年)における最も重要な指摘の一つは、禁圧的な一神教カトリック文化ではない多神教的ギリシアにおいても、人びとが安易に想定してしまっていたような「自由」はなかったということである。

・古代社会における自由な男 homme libreは、どんな主要な禁止にも出会うことなしにsans rencontrer de prohibition majeure、その活動を展開しえた筈なのに、なぜ性的実践の強い問題化problématisation intense de la pratique sexuelleの根があったのか?

・(古代の男たちが自由であったという想定)、この絵は正しくない。そうでなかったということは簡単に示せる。ce n'est guère exact ; et on pourrait le montrer facilement.(フーコー『快楽の活用』「LES FORMES DE PROBLÉMATISATION」1984年)

ーー 要するに、エディプスの背後・家父長制の背後には、この現在でさえインテリ阿呆鳥が思い込んでいるらしい「自由」など全くない。これが1984年、死の直前にフーコーが示したことである。

フーコーは、ソクラテスやアルティスポス、クセノポン等を引用しつつ、近親相姦以外には実質的な禁止のないアテネ文化の上流階級男性における「不自由」を示しているが、要するに内的な「身体的欲求 besoin physique」の奴隷という不自由である。

不摂生な人々は己の身体的欲求の奴隷である。tous de phaulous lais epilhumiais douleuein(クセノポン Xenophon Oeconomicus, 『ソクラテスの思い出 Memorabilia』)

したがって(前回示したように)この不自由に対して闘うために、克己(エンクラティア enkrateia )や節制(ソフロシューネ sophrosyne)等の概念が、生の倫理として彼らに抱かれたということになる。



フーコー自身、おそらく当初はこの発見に驚いた筈である。それは、『性の歴史』第1巻「知への意志」(1976年)に引き続く形で当初の念頭にあった計画を大幅に変更し、8年の沈黙後、第2巻が別の形で上梓されたことが証明している、とわたくしは思う。

ーーと記したところで、ネット上を探ってみると、2018年にようやく上梓される運びになった未刊行の草稿『性の歴史』第四巻『肉の告白』のフレデリック・グロによる緒言には次のようなことが記されているらしい。

フレデリック・グロによる緒言(Avertissement)

1976年に『性の歴史』第一巻『知への意志』が出版された後、1977-1978 年にすでに、フーコーは当初の計画を放棄する(79-82年は初期キリスト教研究へ、 82-84年はギリシア・ローマ研究へ)。

コレージュ・ド・フランス講義『生者たちの統治について』 (1979-1980年)が 決定的な転機を構成。(慎改康之 作成)

この模索期には、フーコーの親しい友人、異形の古代ローマ史研究家(アナール派)ポール・ヴェーヌ Paul Veyneによる、古代ローマにおけるセクシュアリティをテーマにしてのコレージュ・ド・フランスの講義1977-78がある。

ヴェーヌの結論はこうだ。後期ローマ帝国ではほとんど何でも許され、近親相姦さえほとんど存在しなかった。それは愉快な仲間たちのあいだで屁をひる程度にものだと考えられていた。そして唯一、醜聞として拒絶されたことは、受動性(受け身になること)だ、と。


話を戻せば、ギリシア人において自由などなかったとは、実のところ、ニーチェが既に示唆していることである。フーコーが示す穏やかな表現「身体的欲求」は、ニーチェによる強烈な表現「欲動の飼い馴らされていない暴力 unbändigen Gewalt dieses Triebs 」「内部にある爆発物 inwendigen Explosivstoff 」に代替しうるだろうから。

たとえば偉大さにおける安らぎ、理想的な志操、高い単純さをギリシア人で驚嘆しつつ、「美しい魂」、「黄金中庸」、その他の完全性をギリシア人のうちから嗅ぎ出すということーーこうした「高い単純さ」から、結局のところドイツ的愚かしさから私を守ってくれたのは、私がおのれのうちにもっていた心理学者のおかげである。私は、ギリシア人の最も強い本能、力への意志を見てとり、私は彼らがこの欲動の飼い馴らされていない暴力に戦慄するのを見てとった、ーー私は、彼らのあらゆる制度が、彼らの内部にある爆発物に対してたがいに身の安全を護るための保護手段から生じたものであるのを見てとったのである。(ニーチェ「私が古人に負うところのもの」『偶像の黄昏』1889年)
In den Griechen »schöne Seelen«, »goldene Mitten« und andre Vollkommenheiten auszuwittern, etwa an ihnen die Ruhe in der Größe, die ideale Gesinnung, die hohe Einfalt bewundern - vor dieser »hohen Einfalt«, einer niaiserie allemande zu guter Letzt, war ich durch den Psychologen behütet, den ich in mir trug. Ich sah ihren stärksten Instinkt, den Willen zur Macht, ich sah sie zittern vor der unbändigen Gewalt dieses Triebs - ich sah alle ihre Institutionen wachsen aus Schutzmaßregeln, um sich voreinander gegen ihren inwendigen Explosivstoff sicher zu stellen.


ーー身体的な欲動の暴力に対する防衛、これがギリシア人におけるあらゆる制度の根だ、とニーチェは言っているのである(そして己のうちにある身体的なものに成すがままになることとは、ポール・ヴェーヌが指摘するローマ貴族社会で唯一拒絶された受動性のことだ)。

間違いなくニーチェの偉大なる後継者であるフロイトは、この「欲動の飼い馴らされていない暴力」を次のように表現している。

自我によって、荒々しいwilden 飼い馴らされていない ungebändigten「欲動蠢動(欲動興奮Triebregung)」を満足させたことから生じる幸福感は、家畜化された欲動 gezähmten Triebes を満たしたのとは比較にならぬほど強烈である。(フロイト『文化のなかの居心地の悪さ』1930年)
快および不快 Lust und Unlustの感覚は、拘束された gebundenen 興奮過程と、拘束されない ungebundenen 興奮過程と、二つの興奮過程からおなじように生み出されるのであろうか。それならば拘束されていない ungebundenen 一次過程 Primärvorgänge が、拘束されたgebundenen 二次過程 Sekundärvorganges よりも、はるかにはげしい快・不快の二方向の感覚を生むことは、疑いをいれる余地がないだろう。(フロイト『快原理の彼岸』最終章、1920年)

そしてラカンによって、次のように表現されることになる。

欲動蠢動は刺激・無秩序への呼びかけ、いやさらに暴動への呼びかけである la Regung est stimulation, l'appel au désordre, voire à l'émeute(ラカン、セミネール10、1962年)

この欲動蠢動に対する「防衛」を手助けすることが、「父の蒸発」後の時代、オイディプス消滅の時代、つまり現在の超寛容社会におけるラカン派精神分析の究極の仕事のひとつである。

フロイトは既にこれを、ラカンがフロイトの遺書と呼ぶ論文で、「魔女のメタサイコロジイ」と呼んでいる。

「欲動要求の永続的解決 dauernde Erledigung eines Triebanspruchs」とは、欲動の「飼い馴らし Bändigung」とでも名づけるべきものである。それは、欲動が完全に自我の調和のなかに受容され、自我の持つそれ以外の志向からのあらゆる影響を受けやすくなり、もはや満足に向けて自らの道を行くことはない、という意味である。

しかし、いかなる方法、いかなる手段によってそれはなされるかと問われると、返答に窮する。われわれは、「するとやはり魔女の厄介になるのですな So muß denn doch die Hexe dran」と呟かざるをえない。つまり魔女のメタサイコロジイである。(フロイト『終りある分析と終わりなき分析』第三章、1937年)

ーー《するとやはり魔女の厄介になるのですな》とはもちろんゲーテの『ファウスト』「魔女のくりや(魔女の厨房)」におけるメフィストフェレスの言葉である。

つまりフロイト・ラカン派文脈では、欲動要求、あるいは欲動蠢動とは(フーコーのいうことを文字通りとって素朴に言えば、つまりフーコーにおいてはもちろんそれだけではないことを脇にやって言えば)「克己」や「節制」だけではどうにもならない途轍もない相手なのである。

世には、自分の内部から悪魔を追い出そうとして、かえって自分が豚の群れのなかへ走りこんだという人間が少なくない。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』)

もっとも世界には、善人という種族がいるので、克己や節制でなんとかなる場合もあるのかもしれない。

まことに、わたしはしばしばあの虚弱者たちを笑った。かれらは、自分の手足が弱々しく萎えているので、自分を善人だと思っている。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』)

フロイトのいう欲動要求・欲動蠢動とは、簡単にいってしまえば「エス」である。

エスの欲求によって引き起こされる緊張 Bedürfnisspannungen の背後にあると想定された力 Kräfte は、欲動 Triebe と呼ばれる。欲動は、心的な生 Seelenleben の上に課される身体的要求 körperlichen Anforderungen を表す。(フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』草稿、死後出版1940年)

いま、エス es は語る、いま、エス es は聞こえる、いま、エス es は夜の眠らぬ魂のなかに忍んでくる、ああ、ああ、なんという吐息をもたらすことか、なんと夢を見ながら笑い声を立てることか。

ーーおまえには聞えぬか、あれがひそやかに、すさまじく、心をこめておまえに語りかいるのが? あの古い、深い、深い真夜中 Mitternacht が語りかけるのが?
おお、人間よ、心して聞け! (ニーチェ『ツァラトゥストラ第四部』「酔歌 Das Nachtwandler-Lied」)

人の発達史 Entwicklungsgeschichte der Person と人の心的装置 ihres psychischen Apparatesにおいて、…原初はすべてがエスであった Ursprünglich war ja alles Esのであり、自我Ichは、外界からの継続的な影響を通じてエスから発展してきたものである。このゆっくりとした発展のあいだに、エスの或る内容は前意識状態 vorbewussten Zustand に変わり、そうして自我の中に受け入れられた。他のものはエスの中で変わることなく、近づきがたいエスの核 dessen schwer zugänglicher Kern として置き残された 。(フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』草稿、死後出版1940年)