2019年6月25日火曜日

二艘のけなげな船






エベーヌカルテット Quatuor Ebèneによる2010年のコンサート、ラヴェルの弦楽四重奏曲第一楽章が終わった後の、第一ヴァイオリンのピエール・コロンベ Pierre Colombet ヴィオラのマチュー・ヘルツォク Mathieu Herzog の表情である → Ravel, Cuarteto - Quatuor Ebene

⋯⋯⋯⋯でも第二楽章は気合いを入れ直して、ああなんという愛すべきピエール・コロンベ!と言わざるをえない。13:30あたりからのピアニッシモの箇所もやたらにいい。他方、マチューはいくらか眼高手低じゃないかな。彼はだからエベーヌから抜けて指揮者に向かったってやむえないさ。


ゴダール、Hélas pour moi (1993年)

ここでゴダールついでに(?)、ニーチェも引用しておこう。

わたしたちは友人だった。それから疎遠になった。しかし、それは当然のことなのだ。わたしたちはそのことを、はずかしがって隠したり、ごまかしたりしないだろう。わたしたち二人は、それぞれに別の航路と目的地をもった二艘の船なのだ。いつの日かわたしたちの航路がまじわり、昔そうしたように、二人して祝祭を催すこともあるだろう。―――あのころ、二艘のけなげな船は、同じ港で同じ陽をあびて、肩を並べて静かに横たわっていた。まるでもう目的地に着いたかのように、目的地がひとつであったかのように見えた。しかし、やがて効しがたい使命のよびかけにうながされて、わたしたちは再び異なる海へ、異なる海域へ、異なる太陽のもとへと、遠く離れることになったのだ。―――あるいはもう二度とまみえることがないかもしれぬ、もう一度まみえることがあっても、お互いがわからないかもしれない、異なる海と太陽が、わたしたちをすっかり変えてしまっていることだろう。(ニーチェ『悦ばしき知識』第279番「星の友情 Sternen-Freundschaft」)


ピエール・コロンベは、とてもよくきかれている Hagen Quartet の第一ヴァイオリン奏者よりはずっといいよ(すくなくとも Assez vif. Très rythmé では。ほかなんかドウデモイイヤ)。でもコロンベ以外は、つまりエベーヌの他のメンバーは、Hagenのメンバーよりもちょっと劣るかもな、とくにヴィオラとかチェロとかさ(いまテキトウに言っているからな。フロイトがいうように愛とは排他的なものさ)。






いやあ、ピアニッシモの美がぜんぜん違うねLukas HagenPierre Colombet 13:30では。