2019年6月5日水曜日

私は心もとなく闇の中に歩きはじめる




ダリは1938年7月19日、シュテファン・ツヴァイクの仲介により、念願だったフロイトとの会見を果たした。ロンドンのフロイトの住居においてである。フロイトはわずか数週間前、ナチスから逃れてその地で仮住いの身だった。ダリの訪問は、妻ガラとエドワード・ジェームズが同行。エドワード・ジェームズは、ダリが1937年に制作した「ナルシスの変貌」の所有者であり、この自信作「ナルシスの変貌」をフロイトに見せる目的もあった。ときにダリ34歳、フロイトは82歳(死の年の前年)である。





ダリの自伝『わが秘められた生涯』によれば、フロイトはこの作品に出会いつつこう言ったという。

私は古典絵画には無意識を探します--シュルレアリスム絵画に探すのは意識です。(サルバドール・ダリ『わが秘められた生涯』)

ダリはこれをシュルレアリスムに対する批判として受け取ったが、それでもフロイトを敬愛することはやめていない。

ところでフロイトは翌日1938年7月20日、シュテファン・ツヴァイクに手紙を書いている。

私は、昨日の訪問者(ダリ)を私に紹介してくれたことを本当に感謝します。それまで私はシュルレアリストたちをこう見なしてしまう傾向にありました。彼らは私を一見、「聖なるパトロン(守護聖人Schutzpatron gewählt haben)」として選んでいるように見え、それは完全無欠の(言ってしまえば 95パーセント酩酊の如き)阿呆 Narren だと。しかし、包み隠しのない熱狂的な眼のあの若いスペイン人、そして否定しがたい技術的達成をもった彼は、私の見解を再考させました。どのようにしてあの絵を作り出したのか、分析的に研究するのは、非常に面白いでしょう。

Wirklich, ich darf Ihnen für die Einführung danken, die die gestrigen Besucher zu mir gebracht hat. Denn bis dahin war ich geneigt, die Surrealisten, die mich scheinbar zum Schutzpatron gewählt haben, für absolute (sagen wir fünfundneunzig Prozent wie beim Alkohol) Narren zu halten. Der junge Spanier mit seinen treuherzig fanatischen Augen und seiner unleugbar technischen Meisterschaft hat mir eine andere Schätzung nahe gelegt. Es wäre in der Tat sehr interessant, die Entstehung eines solchen Bildes analytisch zu erforschen.
批判的観点からは、人はまだこう言いうるかもしれません。芸術の概念は、その領野をあまりに大きく拡げることを拒絶する、もし無意識素材の量的比率と前意識のエラボレーションが或る限界に遭遇しなければ。少なくとも心理学上の観点からは深刻な問題があります。

Kritisch könnte man doch noch immer sagen, der Begriff der Kunst verweigere sich einer Erweiterung, wenn das quantitative Verhältnis von unbewußtem Material und vorbewußter Verarbeitung nicht eine bestimmte Grenze einhält. Aber jedenfalls ernsthafte psychologische Probleme.(An Stefan Zweig, 39, Elsworthy Road, London, N.W.3, 20. Juli 1938)

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フロイトによるシュルレアリストたちへの批判とはなによりもまず、彼らが(すくなくとも一時的には)あまりにも強くフロイト理論のもとにーーいや誤読のもとにーー制作、あるいは詩作する試みをしてしまったようにみえたことだろう。

フロイトは1921年にアンドレ・ブルトンの訪問を受けているが、意気投合というわけにはいかなかった。そもそも「シュルレアリスム宣言」が強調する無意識の解放としての「純粋な心的オートマティスム Automatisme psychique pur」は、フロイト理論的には、自我活動によって構造化されたものに過ぎず、肝腎かなめの「夢の仕事 Traumarbeit」ではなく、自我による「夢の検閲 Traumzensur」の領野にしかないのは、すこしでも精神分析的知のある人には瞭然としている。

さらにフロイトにとって重要なのは、解釈不能の原無意識ーーフロイトは「夢の臍 Nabel des Traums」「菌糸体 mycelium」「我々の存在の核 Kern unseres Wese」と呼んでいるーーであり、これこそ後年の概念「リビドー固着」であり、後期ラカン理論の核心「サントーム」(享楽の固着)なのである。

・欲動の現実界 le réel pulsionnel がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。欲動は身体の空洞 orifices corporels に繋がっている。誰もが思い起こさねばならない、フロイトが身体の空洞 l'orifice du corps の機能によって欲動を特徴づけたことを。

・原抑圧 Urverdrängt (リビドー固着)との関係…原起源にかかわる問い…私は信じている、夢の臍 Nabel des Traums を文字通り取らなければならない。それは穴 trou である。(ラカン、1975, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)

穴trouとはトラウマのことである,《穴=トラウマ[troumatisme ]》(S21、1974)

享楽は身体の出来事である la jouissance est un événement de corps…享楽はトラウマの審級 l'ordre du traumatisme にある。…享楽は固着の対象 l'objet d'une fixationである。(ジャック=アラン・ミレール J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)
・分析経験において、われわれはトラウマ化された享楽を扱っている。dans l'expérience analytique. Nous avons affaire à une jouissance traumatisée

・分析経験において、享楽は、何よりもまず、固着を通してやって来る。Dans l'expérience analytique, la jouissance se présente avant tout par le biais de la fixation. (L'ÉCONOMIE DE LA JOUISSANCE、Jacques-Alain Miller 2011)


もっとも誤読は常にあるのでやむえない。それよりなにより、フロイトはもともと、芸術家たちが「理論」に依拠して制作するのを好んでいないし、理論に依拠した芸術制作などまがいものとみているのである。

われわれの仲間の一人が『グラディーヴァ』に出てくる夢とその解釈可能性に関心をもった(……)。その人が当の作家に直接会って、あなたの考えに非常によく似た学問上の理論があることをご存知だったのかと尋ねれみた、はじめから予想できたことだが、これにたいして作者は知らないと返答した、しかもそこには多少不快げな調子がこもっていた。そして、自分自身の空想が『グラディーヴァ』のヒントをあたえてくれたのだ、……これが気に入らない人はどうかかまわないでいただきたい、と言った。…

作者はこのような法則や意図を知っている必要などまったくないし、だから彼がそれを否定したとしてもそこに微塵の嘘もないのである。…

われわれの方法の要点は、他人の異常な心的事象を意識的に観察し、それがそなえている法則を推測し、それを口に出してはっきり表現できるようにするところにある。一方作家の進む道はおそらくそれとは違っている。彼は自分自身の心に存する無意識的なものに注意を集中して、その発展可能性にそっと耳を傾け、その可能性に意識的な批判を加えて抑制するかわりに、芸術的な表現をあたえてやる。このようにして作家は、われわれが他人を観察して学ぶこと、すなわちかかる無意識的なものの活動がいかなる法則にしたがっているかということを、自分自身から聞き知るのである。(フロイト『W・イェンゼンの小説『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢』1907年)




ラカンならこう言う。

フロイトとともに思い起こさねばならない。芸術の分野では、芸術家は常に分析家に先んじており l'artiste toujours le précède 、精神分析家は芸術家が切り拓いてくれる道において心理学者になることはないのだということを il n'a donc pas à faire le psychologue là où l'artiste lui fraie la voie 。 (ラカン 「マルグリット・デュラスへのオマージュ HOMMAGE FAIT A MARGUERITE DURAS 」、AE193、1965年)

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このあたりの消息をビクトル・エリセはとても魅惑させられる言葉で語っている。

――『エル・スール』の場合は、オフのナレーションが素晴らしいのですが、この構成はシナリオ段階から決まっていたわけですね。

エリセ) ええ、あのナレーションの声は、すでに大人になった女、つまりエストレーリアがその成熟した女としての視点から語っているのです。彼女が、少女時代の根源的な体験を、もはや触れえない何ものかとして語っているわけです。それは、内面の日記かもしれない。文学的な作品の一断片かもしれない、しかしそれが文学的なものとして語られることを私は望んだのです。

――その少女時代の根源的な体験の中で、父親が重要な役目を果たしています。ところが、この父親と娘という関係をめぐって「この発想はあからさまにフロイト的だ」という批評を「カイエ・デュ・シネマ」誌で読みました。好意的な文章なのですが、こういう言葉で単純な図式化が行われると、作品の豊かさが一度に失われて残念な気がしました。

エリセ) おっしゃる通り、私は仕事をしているときに、その種のことはまったく考えていない。もちろん、これまでの生涯で目にしたある種のイメージとか、体験したある種の感情とかを映画の中に生かそうとはするでしょう。でも、フロイト的な発想などというものが最初のアイディアとしてあるわけではもちろんありません。私は心もとなく闇の中に歩きはじめる。私が何かを理解するのは撮影が終わった瞬間なのです。映画とは、そうした理解の一形態なのであり、あらかじめわかっていることを映画にするのではありません。






エリセ)アルゼンチンのある精神分析者が、『ミツバチ』をもとに両親と子供との関係を分析した本があります。そういうことはありうるでしょう。しかし、それは、発想のもとに精神分析的な図式があったというのとは別の問題です。自分の子供時代の記憶とか、誰かから聞いた話などが断片的に入り混じっている作品から作者の統一的な意図を引き出すという知的な解釈に私はしばしば驚かされます。(「心もとなく闇の中を歩みはじめるように」1985年、ビクトル・エリセへの蓮實重彦インタヴュー、『光をめぐって』所収)

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フロイトやラカンなどにはまると、「心もとなく闇の中に歩きはじめる」ことが(すくなくとも容易には)できなくなる。それは芸術制作者であるなら、一番注意しなくちゃいけないことだ。やめるべきである、たとえばリビドー固着 Libidofixierung(トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma)、つまり 享楽の固着 Fixation de jouissance(サントーム)などという「概念」から始めるのは。

仮に理論的には、《美は現実界に対する最後の防衛である。la beauté est la défense dernière contre le réel》(ミレール、L'inconscient et le corps parlant、2014)、つまり「美はトラウマに対する最後の防衛」だとしても(ラカンにとって現実界とはトラウマ界のことである)。

さらに言えば、「人の活動はすべてトラウマに対する防衛」だとしても。《我々の言説はすべて、現実界に対する防衛である tous nos discours sont une défense contre le réel 》(ミレール、 Clinique ironique, 1993)


制作するつもりなど毛ほどもなく、人間の奇妙さ、とくに自らの奇妙さを探る資質のほうがはるかに強い傾向のあるわたくしのような人物にとってのみ、精神分析はかなり役に立つ。

たとえば詩についての女流ラカン派第一人者の解釈である。

詩の吐露 Le dire du poèmeは、…「言語の意味の効果 effets de sens du langage」と「ララングの意味外の享楽の効果 effets de jouissance hors sens de lalangue」を結び繋ぐ fait tenir ensemble。それはラカンがサントームと呼んだものと相同的である Il est homologue à ce que Lacan nomme sinthome。(コレット・ソレール Colette Soler、Les affects lacaniens、 2011)

ーーこれはラカンの《私は詩人ではない、だが私は詩である。je ne suis pas un poète, mais un poème.》( AE572、1976)を受けての注釈である。詩自体、本来的には「享楽の固着Fixation de jouissance」だというものである。この観点からは人はみな詩の吐露を気づかないままにしている。

だがポエジー制作者たちにとっては、たとえば次の観点のほうがいっそう好ましい。

ポエムというのは、歌が現われるときにだけ存在するのでしょう。言葉がはぐれてしまったり、言葉が活動したり、言葉が証明しようとするならば、歌は涸れてしまって、ポエムは死んでしまうことになるわね。(マグリット・デュラスーーAlain Vircondelet, Marguerite Duras et l'émergence du chant, La renaissance du livre. « Paroles d'Aube  »)

もっとももっと穏やかにこう言ってもいいかもしれない。

私にとって、詩とは言語の徴候的使用であり、散文とは図式的使用である。詩語は、ひびきあい、きらめき交わす予感と余韻とに満ちていなければならない。(中井久夫「私と現代ギリシャ文学」)

ブルトンやエリュアールらがすぐれた詩を生んだのは、彼らの理論からではなく、なによりもまず言語の徴候的使用に巧みだったからに相違ない。





Les poisson, les nageurs, les bateau
Transforment l'eau.
L'eau est douce et ne bouge
Que pour ce qui touche
Le poisson avance
comme un doigt dans un gant,

魚たちも 泳ぎ手たちも 船も
水のかたちを変える。
水はやさしくて 動かない
触れてくるもののためにしか。
魚は進む
手袋の中の指のように。

ーーポール・エリュアール「魚 POISSON」の前半[安藤元雄訳]