2019年6月6日木曜日

剰余楽園という人生

実にすばらしいのである。ダリの『わが秘められた生涯』(足立康 訳 滝口修造 監修)からだが、「出産外傷」の記述があるのを昨晩知った。

恐らく読者諸君はまだ自分が母親の子宮内の存在だった誕生以前のあの高度に重要な時期については、まったく記憶していないか、ごくあいまいな記憶しかないかのどちらかであろう。しかし、かくいう私は――そう、私はその時期をまるで昨日のことのようにはっきりと覚えているのだ。そういうわけなので、私はこのわが秘められた生涯に関する書物を、正真正銘真実の始めから、すなわち、私が子宮内の生活についてこれまで保ってきたはなはだ稀有にして清澄な記憶から始めたいと思う。(⋯⋯)そうすることによって、私は読者の同じような思い出を呼び覚ますことができ、かくしてその亡霊がおずおずとながらも各自の記憶のなかに住みつき始めるだろうと確信している。(⋯⋯)

自分自身についてほんとうの好奇心を抱き、より科学的にこの問題を学びたいと思う読者は、オットー・ランク博士のきわめてセンセーショナルな著書『出産外傷』を読むとよい。はっきりといっておかなくてはならないが、私自身の世にも珍しく明晰で細密な子宮内の記憶のかずかずは、ただ単にオットー・ランク博士の論文のあらゆる論点、とりわけそのもっとも一般的な局面に確証を与えるものにすぎない。博士の論文は先述の子宮内の時期を楽園と、そして、出産――出産外傷――を人間の生命においてはきわめて決定的な「失楽園」の神話と結びつけ、同一視しているからである。
ますます真実らしく思われてくるのは、人間のあらゆる想像的生活というものには、そもそもの発端の楽園的状態にもっとも類似した状況と形象によって、かの状態を象徴的に再構成する傾向があるということである。苦悶と昏迷と不快という記号の下で永久にこころに刻印される仮死状態、圧搾、突然の外光による眩暈、残忍にして苛酷な外界の現実といった出産に付随する諸現象とともにわれわれを楽園から追放し、申しぶんなく包みこまれ保護された環境から恐るべき現実の新世界のあらゆる耐えがたい危険へとわれわれを急激に追いやる、あの身の毛もよだつ「出産外傷」を克服しようとする願望こそ、想像的生活に特に内在する傾向なのである。

死の願望は生れ出る以前の場所へ帰ろうとする絶えざる帝王主義的強迫観念としてしばしば説明されているようだし、たいがいの自殺者はあの出産外傷を克服できなかった人々で、きらびやかな社交界の中心にいて、客間の燭台がことごとく華やかに輝いている最中でさえ、突如として死の家へ戻って行こうと決心する。同じように、戦場で弾丸に倒れ、「お母さん!」という叫びを唇に残して死んでいく兵士も、ふたたび逆方向に生れたい、もともと自分が出てきた場所へ戻りたいというあの欲求を残忍にも表現しているのである。こうしたすべてをもっとも端的に表わしている例といえば、死者をうずくまらせ、胎児と寸分たがわぬ姿勢に縛りつけてしまうさる種族の埋葬の習慣であろう。(サルバドール・ダリ『わが秘められた生涯』足立康 訳 滝口修造 監修)

ーーこの文は、滝口修造 監修せいであろう、ひどく格調が高いが、英訳でみるかぎりは、もっとへなへなしている。文章家のみなさん、ご安心を!


さて、こういった文は三島由紀夫の『仮面の告白』にある「産湯の記憶」と同様、フィクションとして読めばよいのではあるが、フロイトがくり返し触れているランクの「出産外傷 Trauma der Geburt」については、「去勢文献」を参照していただくことにして、ここではダリの親しい友人だったラカンにおける出産外傷について、いくらか触れよう。


まず先に簡潔に示してしまえば、ダリ=ランクの「楽園 Paradies」「失楽園 Vertreibung aus dem Paradies (verlorenes Paradies)」とはこう言うことなのである。






出産とともに喪われるのが享楽である。

享楽は去勢である la jouissance est la castration。人はみなそれを知っている Tout le monde le sait。それはまったく明白ことだ c'est tout à fait évident 。…

問いはーー私はあたかも曖昧さなしで「去勢」という語を使ったがーー、去勢には疑いもなく、色々な種類があることだ il y a incontestablement plusieurs sortes de castration。(ラカン、 Jacques Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)
(- φ) [le moins-phi] は去勢 castration を意味する。そして去勢とは、「享楽の控除 une soustraction de jouissance」(- J) を表すフロイト用語である。(ジャック=アラン・ミレール Ordinary Psychosis Revisited 、2008)

去勢はいろいろあるとラカンは言っているが、それは後ほど触れることにして、今は原去勢である。これが出産外傷である。この原去勢とは永遠に喪われた対象(原対象a)である。

◼️verlorene Objekt 喪われた対象
永遠に喪われている対象 objet éternellement manquant」の周りを循環する contourner こと自体、それが対象a の起源である。(ラカン、S11, 13 Mai 1964)
母という対象 Objekt der Mutterは、欲求Bedürfnissesのあるときは、「切望sehnsüchtig」と呼ばれる強い備給Besetzung(リビドー )を受ける。……(この)喪われている対象(喪われた対象)vermißten (verlorenen) Objektsへの強烈な切望備給 Sehnsuchtsbesetzung(リビドー )は絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle と同じ経済論的条件ökonomischen Bedingungenをもつ。(フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年)

ダリの『わが秘められた生涯』は1941年に書かれているが、ダリはじつに勉強家で、ラカンに先だってフロイトの核心を把握してしまっている。そもそもラカンは「享楽」ではなく「楽園」という語を使用すべきではなかったろうか? そして人にあるのは失楽園のみだ、と。剰余享楽なんてのは、剰余楽園でよろしい。

対象aは、「喪失 perte・享楽の控除 le moins-de-jouir」の効果と、その「喪失を埋め合わせる剰余享楽の破片 morcellement des plus de jouir qui le compensent」の効果の両方に刻印される。(コレット・ソレール Colette Soler, Les affects lacaniens, 2011)
le plus-de-jouirとは、「喪失 la perte」と「その埋め合わせとしての別の獲得の投射 le projet d'un autre gain qui compense」の両方の意味がある。前者の「享楽の喪失 La perte de jouissance」が後者を生む。…「plus-de-jouir」のなかには、《もはや享楽は全くない [« plus du tout » de jouissance]」》という意味があるのである。(Gisèle Chaboudez, Le plus-de-jouir, 2013)

 剰余楽園とは、もはや楽園は全くないという意味があるのである。

 ⋯⋯⋯⋯


ラカンはセミネール10で次の図を示している。





これは斜線を引かれていない A,S は享楽 だという意味である。

ようするこうである。





ーーこの解釈は、世界的には蚊居肢子しか明示的には言っていないのでオキヲツケを!

たとえばラカンは繰返して胎盤に触れている(臍の緒だってある)。

例えば胎盤 placentaは、個人が出産時に喪なった己れ自身の部分part de lui-même que l'individu perd à la naissance…最も深い意味での喪われた対象l'objet perdu plus profondである。(ラカン、S11, 20 Mai 1964)
・原抑圧 Urverdrängt との関係…原起源にかかわる問い…私は信じている、(フロイトの)夢の臍 Nabel des Traums を文字通り取らなければならない。それは穴 trou である。

・人は臍の緒 cordon ombilical によって、何らかの形で宙吊りになっている。瞭然としているは、宙吊りにされているのは母によってではなく、胎盤 placenta によってである。(ラカン、1975, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)






蚊居肢子は、昨晩からダリの作品はもはやシュルレアリスムにはまったく見えなくなったのである。

そしてラカンはダリから学んだに決まっているのである!





いくらなんでも精神分析家としてそれだけでは恥ずかしいから、いろいろややこしいことを付け加えているにすぎない。

それがさきほど示した次の文である。

享楽は去勢である la jouissance est la castration。人はみなそれを知っている Tout le monde le sait。それはまったく明白ことだ c'est tout à fait évident 。…

問いはーー私はあたかも曖昧さなしで「去勢」という語を使ったがーー、去勢には疑いもなく、色々な種類があることだ il y a incontestablement plusieurs sortes de castration。(ラカン、 Jacques Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)

ーー色々な種類の去勢(享楽の喪失)をつけ加えたのである。

その代表的なものを示せば、出産外傷による去勢以外に、(母による身体の上への刻印としての)享楽固着による去勢、言語による去勢(象徴的去勢)である。





享楽漂流の主体とは、ようは欲動の主体ということである。

私は欲動Triebを、享楽の漂流 la dérive de la jouissance と翻訳する。(ラカン、S20、08 Mai 1973)

ラカンは、バタイユからパクって、無頭の主体とも言っている。

欲動は「無頭の主体」のモードにおいて顕れる。la pulsion se manifeste sur le mode d’un sujet acéphale.(ラカン、S11、13 Mai 1964)

ーーラカンなんてのはパクリばっかりだからお気をつけを!

欲望の主体(=幻想の主体)は、晩年のラカンーー「人はみな妄想する」のラカンーーにとっては妄想の主体のことであるが、ここでは一応区別をした。

ラカンは別にこうも言っている。

何かが原初に起こったのである。それがトラウマの神秘の全て tout le mystère du trauma である。すなわち、かつて「A」の形態 la forme Aを取った何か。そしてその内部で、ひどく複合的な反復の振舞いが起こる…その記号「A」をひたすら復活させよう faire ressurgir ce signe A として。(ラカン、S9、20 Décembre 1961)

ここでのAとは後期ラカンから遡及的に把握すればJのことであり、ダリ的には楽園のことである。

ようするにラカンマテームとしては、次の左右は同じことである。





NPとは父の名であり、S(Ⱥ)とは欲動(享楽喪失による漂流)のクッションの綴じ目のことである。

S (Ⱥ)とは真に、欲動のクッションの綴じ目である。S DE GRAND A BARRE, qui est vraiment le point de capiton des pulsions(Miller, L'Être et l'Un, 06/04/2011)

そして少し前の文ーー《何かが原初に起こったのである。それがトラウマの神秘の全て tout le mystère du trauma である》--におけるトラウマとは原トラウマのことである。ラカンがフロイトの遺書と呼んだ論文には次のようにある。

オットー・ランクは『出産外傷 Das Trauma der Geburt』 (1924)にて、出生という行為は、一般に母への「原固着 Urfixierung」が克服されないまま、「原抑圧 Urverdrängung」を受けて存続する可能性をともなうものであるから、この出産外傷こそ神経症の真の源泉である、と仮定した。

後になってランクは、この「原トラウマ Urtrauma」を分析的な操作で解決すれば神経症は総て治療することができるであろう、したがって、この一部分だけを分析するば、他のすべての分析の仕事はしないですますことができるであろう、と期待したのである。

…だがおそらくそれは、石油ランプを倒したために家が火事になったという場合、消防が、火の出た部屋からそのランプを外に運び出すだけで満足する、といったことになってしまうのではなかあろうか。もちろん、そのようにしたために、消化活動が著しく短縮化される場合もことによったらあるかもしれないが。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年)


見てのとおり、フロイトは分析治療の対象としては、出産外傷を否定している。だがフロイトにおいても原トラウマ(原去勢)とは、出産外傷としての失楽園であることはまちがいない。

乳児はすでに母の乳房が毎回ひっこめられるのを去勢、つまり自分自身の身体の重要な一部の喪失Verlustと感じるにちがいないこと、規則的な糞便もやはり同様に考えざるをえないこと、そればかりか、出産行為 Geburtsakt がそれまで一体であった母からの分離 Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war として、あらゆる去勢の原像 Urbild jeder Kastration であるということが認められるようになった。(フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註)

⋯⋯⋯⋯


1921年2月、ダリが16歳のとき、ダリの母フェリパ  Felipa Domenech Ferrés は乳癌で死ぬ。翌年、彼の暴君的父サルバドール Salvador Dalí I Cusí は母の妹カタリーナ Catalina Domenech Ferrésと再婚する。ダリはそれが全く堪えられない。もっともダリは叔母カタリーナを終生敬愛していたようだが。






ーー蚊居肢散人は、どちらかというと叔母さんのほうが好みである。




ーーカタルーニアの家族は、血が濃いのである。フランス家族みたいにチャラチャラしていない。


マザコン大国ロシア生れのガラ・エリュアール・ダリ Gala Eluard Daliは、ダリの「母」であるのははっきりしている。