2019年7月14日日曜日

きみたちは途轍もなく間違っている

以前に何度か示してきたが、「後期ラカンの鍵」で掲げた文とは、二つの現実界にかかわる。


科学の現実界から性的非関係(法なき現実界)へ
ラカンによって発明された現実界は、科学の現実界ではない。そうではなく、ラカンの現実界は、「両性のあいだの自然な法が欠けている manque la loi naturelle du rapport sexuel」ゆえの、偶発的 hasard な現実界、行き当たりばったりcontingent の現実界である。これ(性的非関係)は、「現実界のなかの知の穴 trou de savoir dans le réel」である。

ラカンは、科学の支えを得るために、マテーム(数学素材)を使用した。たとえば性別化の式において、ラカンは、数学的論理の織物のなかに「セクシャリティの袋小路 impasses de la sexualité」を把握しようとした。これは英雄的試み tentative héroïque だった、数学的論理の方法にて精神分析を「現実界の科学 une science du rée」へと作り上げるための。しかしそれは、享楽をファルス関数の記号のなかの檻に幽閉する enfermant la jouissance ことなしでは為されえない。

⋯⋯)性別化の式は、「身体とララングとのあいだの最初期の衝撃 choc initial du corps avec lalangue」の後に介入された「二次的構築物(二次的結果 conséquence secondaire)」にすぎない。この最初期の衝撃は、「法なき現実界 réel sans loi」 、「論理なきsans logique 現実界」を構成する。論理はのちに導入されるだけである。加工して・幻想にて・知を想定された主体にて・そして精神分析にて avec l'élaboration, le fantasme, le sujet supposé savoir et la psychanalyse。(ジャック=アラン・ミレール  J.-A. MILLER,「21世紀における現実界 LE RÉEL AU XXIèmeSIÈCLE」2012年)
女性の享楽は享楽自体である
最後のラカンの「女性の享楽」は、セミネール18 、19、20とエトゥルディまでの女性の享楽ではない。第2期 deuxième temps がある。そこでは女性の享楽は、享楽自体の形態として一般化される la jouissance féminine, il l'a généralisé jusqu'à en faire le régime de la jouissance comme telle。

その時までの精神分析において、享楽形態はつねに男性側から考えられていた。そしてラカンの最後の教えにおいて新たに切り開かれたのは、「享楽自体の形態の原理」として考えられた「女性の享楽」である c'est la jouissance féminine conçue comme principe du régime de la jouissance comme telle。(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 2/3/2011)
二つの現実界
現実界 Le Réel は外立する ex-siste。外部における外立 Ex-sistence。この外立は、象徴的形式化の限界 limite de la formalisationに偶然に出会うこととは大きく異なる。…
象徴的形式化の限界との遭遇あるいは《書かれぬことを止めぬもの ce qui ne cesse pas de ne pas s'écrire 》との偶然の出会いとは、ラカンの表現によれは、象徴界のなかの「現実界の機能 fonction du réel」である。そしてこれは象徴界外の現実界と区別されなければならない。(コレット・ソレール Colette Soler, L'inconscient Réinventé、2009)




現在にいたるまで日本言論界で言われている現実界は、ほとんど科学の現実界(象徴界のなかの現実界の機能)である。だが別の現実界=穴を、セミネール20「アンコール」最後の段階以降示し出している。この把握が欠けているのは、ジジェクでさえそうである。


享楽は穴である la jouissance est le trou
問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. Lacan, S23, 13 Avril 1976
享楽は現実界にある。la jouissance c'est du Réel.(ラカン, S23, 10 Février 1976)
穴ウマ=トラウマ troumatisme (ラカン, S21, 19 Février 1974



ジジェクはミレールが冒頭のようにラカンの「性別化の式のデフレ」を示し出してから、強いミレール批判をしている。

象徴界の外部の「純粋な」現実界 the “pure” Real、象徴界によっていまだ汚染されていない或る現実界に向けてのミレールの探求。彼はその現実界をラカンに属するものだと考えている。⋯⋯⋯

ミレールによれば、ラカンの「性別化の式」でさえ、法の外部にある「純粋な」現実界を混乱させる象徴的苦心作のカテゴリーに落ちる。

⋯⋯この論拠の流れは、厳密なラカン派の立場からは、何かが途轍もなく間違っているsome­thing is ter­ribly wrong。(Slavoj Žižek: Am I a Philosopher?, 2016)

ーー2004年の『ジジェク自身によるジジェク』では、「私のラカンはミレールのラカンだ[ I must say this quite openly that my Lacan is Miller's Lacan.]」と言っていたジジェクが、こう言うようになっているのである。

だが晩年のラカンの発言をいくらか追えば、上に示した臨床ラカン派(ジャック=アラン・ミレール、コレット・ソレール)のように捉えざるをえないのである。

この意味で、ジジェクの現実界は途轍もなく間違っているのであり、日本言論界の現実界の大半の現実界も同様である。







科学の現実界
性的非関係の現実界
シニフィアンのネットワーク réseau de signifiants、その近代数学的機械 mathématique moderne, des machines …それがオートマトン αύτόματον [ automaton ]であり…他方、テュケー τύχη [ tuché ]は現実界との出会い rencontre du réel と定義する。(ラカン、S11, 05 Février 1964)
現実界、それは話す身体の神秘、無意識の神秘である Le réel, dirai-je, c’est le mystère du corps parlant, c’est le mystère de l’inconscient(ラカン、S20、15 mai 1973)
症状は、現実界について書かれることを止めない le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel (ラカン、三人目の女 La Troisième、1974、1er Novembre 1974)
現実界は書かれることを止めない。 le Réel ne cesse pas de s'écrire (S 25, 10 Janvier 1978)
テュケーtuchéの機能、出会いとしての現実界の機能fonction du réel ということであるが、それは、出会いとは言っても、出会い損なうかもしれない出会いのことであり、本質的には、「出会い損ね」としての「現前」« présence » comme « rencontre manquée » である。(ラカン、S11、12 Février 1964)
私は…問題となっている現実界 le Réel は、一般的にトラウマ traumatismeと呼ばれるものの価値を持っていると考えている。(ラカン、S.23, 13 Avril 1976)
我々はみな現実界のなかの穴を穴埋めするcombler le trou dans le Réelために何かを発明する。現実界には 「性関係はないil n'y a pas de rapport sexuel」、 それが「穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」をつくる。(ラカン、S21、19 Février 1974)
現実界は、見せかけ(象徴秩序)のなかに穴を作る。ce qui est réel : ce qui est réel c'est ce qui fait trou dans ce semblant.(ラカン、S18, 20 Janvier 1971)
欲動の現実界 le réel pulsionnel がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。(ラカン、Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)
穴、それは非関係によって構成されている、性の構成的非関係によって。un trou, celui constitué par le non-rapport, le non-rapport constitutif du sexuel, (Lacan, S22, 17 Décembre 1974)
私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)
現実界は形式化の行き詰まりに刻印される以外の何ものでもない le réel ne saurait s'inscrire que d'une impasse de la formalisation(LACAN, S20、20 Mars 1973)
私は、現実界は法のないものに違いないと信じている je crois que le Réel est, il faut bien le dire, sans loi。…真の現実界は法の不在(法なき現実界)を意味する Le vrai Réel implique l'absence de loi。現実界は秩序を持たない Le Réel n'a pas d'ordre。(ラカン、S23, 13 Avril 1976)




「後期ラカンの鍵」から再掲すれば。後期ラカンの現実界はフロイトの原抑圧=固着の現実界である。


後期ラカンの鍵
私は昨年言ったことを繰り返そう、フロイトの『制止、症状、不安』は、後期ラカンの教えの鍵 la clef du dernier enseignement de Lacan である。(J.-A. MILLER, Le Partenaire Symptôme - 19/11/97)
フロイトにおいて、症状は本質的に Wiederholungszwang(反復強迫)と結びついている。『制止、症状、不安』の第10章にて、フロイトは指摘している。症状は固着を意味し、固着する要素は、無意識のエスの反復強迫 der Wiederholungs­zwang des unbewussten Esに存する、と。症状に結びついた症状の臍・欲動の恒常性・フロイトが Triebesanspruch(欲動要求)と呼ぶものは、要求の様相におけるラカンの欲動概念化を、ある仕方で既に先取りしている。(ミレール、Le Symptôme-Charlatan、1998)

われわれは、『制止、症状、不安』(1926年)の究極の章である第10章を読まなければならない。…そこには欲動が囚われる反復強迫 Wiederholungszwang の作用、その自動反復 automatisme de répétition (Automatismus) の記述がある。

そして『制止、症状、不安』11章「補足 Addendum B 」には、本源的な文 phrase essentielle がある。フロイトはこう書いている。《欲動要求は現実界的な何ものかである Triebanspruch etwas Reales ist(exigence pulsionnelle est quelque chose de réel)》。(J.-A. MILLER, L'Être et l 'Un,  - 2/2/2011)
この欲動蠢動 Triebregungは(身体の)「自動反復 Automatismus」を辿る、ーー私はこれを「反復強迫 Wiederholungszwanges」と呼ぶのを好むーー、⋯⋯そして(この欲動の)固着する瞬間 Das fixierende Moment は、無意識のエスの反復強迫 Wiederholungszwang des unbewußten Es となる。(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)
欲動の現実界と原抑圧(=固着)
欲動の現実界 le réel pulsionnel がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。欲動は身体の空洞 orifices corporels に繋がっている。誰もが思い起こさねばならない、フロイトが身体の空洞 l'orifice du corps の機能によって欲動を特徴づけたことを。……

原抑圧 Urverdrängt との関係…原起源にかかわる問い…私は信じている、(フロイトの)夢の臍 Nabel des Traums を文字通り取らなければならない。それは穴 trou である。(ラカン, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)
フロイトは『夢解釈』にて「原無意識」に相当するものを、「我々の存在の核 Kern unseres Wesen」 「菌糸体」mycelium」「夢の臍 Nabel des Traums」と呼んだ。それは決して表象されえない。しかし固着過程を通して背後に居残っている。フロイトはこれを「原抑圧」と呼んだ。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER 、2001年)
ラカンの現実界は、フロイトの無意識の臍であり、固着のために「置き残される」原抑圧である。「置き残される」が意味するのは、「身体的なもの」が「心的なもの」に移し変えられないことである。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe『ジェンダーの彼岸 BEYOND GENDER 』、2001年)
骨象a=固着(身体の上への刻印)
私が « 骨象 osbjet »と呼ぶもの、それは文字対象a[la lettre petit a]として特徴づけられる。そして骨象はこの対象a[ petit a]に還元しうる…最初にこの骨概念を提出したのは、フロイトの唯一の徴 trait unaire 、つまりeinziger Zugについて話した時からである。(ラカン、S23、11 Mai 1976)
精神分析における主要な現実界の到来 l'avènement du réel majeur は、固着としての症状 Le symptôme, comme fixion・シニフィアンと享楽の結合 coalescence de signifant et de jouissance としての症状である。…現実界の到来は、文字固着 lettre-fixion、文字非意味の享楽 lettre a-sémantique, jouie である。(コレット・ソレールColette Soler, Avènements du réel, 2017年)
後年のラカンは「文字理論」を展開させた。この文字 lettre(骨象 osbjet) とは、「固着 Fixierung」、あるいは「身体の上への刻印 inscription」を理解するラカンなりの方法である。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe『ジェンダーの彼岸 BEYOND GENDER 』2001年)
『心理学草稿』1895年以降、フロイトは欲動を「心的なもの」と「身体的なもの」とのあいだの境界にあるものとして捉えた。つまり「身体の欲動エネルギーの割り当てportion」ーー限定された代理表象に結びつくことによって放出へと準備されたエネルギーの部分--と、心的に飼い馴らされていないエネルギーの「代理表象されない過剰」とのあいだの閾にあるものとして。

最も決定的な考え方、フロイトの全展望においてあまりにも基礎的なものゆえに、逆に滅多に語られない考え方とは、身体的興奮とその心的代理との水準のあいだの「不可避かつ矯正不能の分裂 disjunction」 である。

つねに残余・回収不能の残り物がある。一連の欲動代理 Triebrepräsentanzen のなかに相応しい登録を受けとることに失敗した身体のエネルギーの割り当てがある。心的拘束の過程は、拘束されないエネルギーの身体的蓄積を枯渇させることにけっして成功しない。この点において、ラカンの現実界概念が、フロイトのメタ心理学理論の鎧へ接木される。想像化あるいは象徴化不可能というこのラカンの現実界は、フロイトの欲動概念における生(ナマ raw)の力あるいは衝迫 Drangの相似形である。(RICHARD BOOTHBY, Freud as Philosopher METAPSYCHOLOGY AFTER LACAN, 2001)