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2019年8月6日火曜日

慰安婦か強姦か

噂のWIKI、信憑性の疑わしいWIKIだとはいえ、「慰安婦(Military Prostitutes)」の項は充実していると思う。とくに世界の慰安婦の歴史は勉強になる。ようするに戦地で慰安婦施設がなければ、必ず強姦が多発するのだろう。

ソ連(ロシア)では慰安所は設置されていないがレイプが黙認された。ヨシフ・スターリンは敵国の女性を戦利品とする「戦地妻」を容認し、「わが軍兵士のふるまいは絶対に正しい」と兵士を鼓舞した。ソ連軍は占領したドイツで集団強姦を広範囲に行い、レイプの被害者数はベルリンでは9万5000 - 13万、東プロイセン等では140万人、ドイツ全域で200万人にのぼった。WIKI

ボクもいまごろになって初めて読むんだけれど、この「慰安婦」の項とそれに「日本の慰安婦」の項は最低限読んでおいたほうがいいじゃないだろうか、もし人が「慰安婦」に触れたいのなら。

事実上はーーこういうことを記すとフェミニストのおねえさんたちに怒られるのだろうけどーー、慰安婦か強姦かの選択肢しかないんじゃないだろうか、戦地においては。

戦闘消耗…ベテラン下士官などが、馬鹿馬鹿しい、どうでもなれ、と銃を捨てて寝そべってしまう現象(……)。これを防ぐために、ナチス・ドイツは末期まで三週間ごとに休暇を与え、ベトナムの米軍はヘリコプターでサイゴンに兵士を送り返していたのである。 (中井久夫『復興の道なかばで――阪神淡路大震災一年の記録』)

最近になっても、たとえば米軍はこんな具合らしいから。

米英軍主導の侵攻から20日で10年を迎えるイラクや国際部隊の駐留が続くアフガニスタンに派遣された米女性兵士延べ28万人の3割以上が、上官らから性的な暴行を受けていたことが分かり、米国内で「見えない戦争」と問題視されている。連邦上院の軍事委員会で13日、「軍内性的トラウマ(MST)」と呼ばれる心的ストレスに関する公聴会が初めて開かれた。新たな被害を恐れ沈黙を余儀なくされてきた被害者は「風穴が開いた」と歓迎している。 (駐留部隊:米女性兵士の3割、軍内部でレイプ被害、毎日新聞2013.03.19

………

昭和十三年戊寅  荷風散人年六十

八月八日。立秋。午後土州橋に行き薬価を払ふ。水天宮裏の待合叶家を訪ふ。主婦語りていふ。今春軍部の人の勧めにより北京に料理屋兼旅館を開くつもりにて一個月あまり彼地に往き、帰り来りて売春婦三、四十名を募集せしが、妙齢の女来らず。かつまた北京にて陸軍将校の遊び所をつくるには、女の前借金を算入せず、家屋その他の費用のみにて少くとも二万円を要す。軍部にては一万円位は融通してやるから是非とも若き士官を相手にする女を募集せよといはれたれど、北支の気候余りに悪しき故辞退したり。北京にて旅館風の女郎屋を開くため、軍部の役人の周旋にて家屋を見に行きしところは、旧二十九軍将校の宿泊せし家なりし由。主婦はなほ売春婦を送る事につき、軍部と内地警察署との聯絡その他の事をかたりぬ。(以下三行抹消)世の中は不思議なり。軍人政府はやがて内地全国の舞踏地を閉鎖すべしと言ひながら戦地には盛に娼婦を送り出さんとす。軍人輩の為すことほど勝手次第なるはなし(以上行間補)。

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■「政府発表文書にみる「慰安所」と「慰安婦」」より (和田春樹、1999年、PDF

「昭和七年(1932年)上海事変勃発ト共ニ我ガ軍隊ノ当地駐屯増員ニ依リ此等兵士ノ慰安機関ノ一助トシテ海軍慰安所(事実上ノ貸席)ヲ設置シ現在ニ至リタル」(『在上海総領事館警察署沿革誌』在留邦人特種婦女」昭和13年)
「慰安法ヲ講スルコトハ駐満部隊ニ於テ最モ緊要ナリ折角守備ニ討伐ニ重大使命ヲ果シテ帰営セルモ之ニ対スル物質的慰安ナク待ツモノハ廃屋ノ如キ古兵営ノミニテハ軍心弛ミ易ク荒ミ易カラスヤ」(工兵第4大隊中隊長塩見久吉大尉「報告書」昭和9年(1934年))
「諸情報ニヨルニ、・・・強烈ナル反日意識ヲ激成セシメシ原因ハ各所ニ於ケル日本軍人ノ強姦事件カ全般ニ伝播シ実ニ予想外ノ深刻ナル反日感情ヲ醸成セルニ在リト謂フ」「部下統率ノ責ニアル者ハ国軍国家ノ為メ泣テ馬稷ヲ斬リ他人ヲシテ戒心セシメ再ヒ斯ル行為ノ発生ヲ絶滅スルヲ要ス」「軍人個人ノ行為ヲ厳重取締ルト共ニ、一面成ルヘク速ニ性的慰安ノ設備ヲ整ヘ、設備ノ無キタメ不本意乍ラ禁ヲ侵ス者無カラシムルヲ緊要トス」(北支那方面軍参謀長岡部直三郎「通牒」1938年(昭和13年)6月27日)
「出征者ニ対シテ性欲ヲ長ク抑制セシメルコトハ自然ニ支那婦人ニ対シテ暴行スルコトゝナロウト兵站ハ気ヲキカセ中支ニモ早速ニ慰安所ヲ開設シタ。其ノ主要ナル目的ハ性ノ満足ニヨリ将兵ノ気分ヲ和ゲ皇軍ノ威厳ヲ傷ケル強姦ヲ防グノニアツタ。慰安所ノ急設ハ確カニ其ノ目的ノ一部ハ達セラレタ。然シアノ多数ノ将兵ニ対シテ慰安所ノ女ノ数ハ問題ニナラヌ。・・・地方的ニハ強姦ノ数ハ相当ニアリ亦前線ニモ是ヲ多ク見ル」(早尾乕雄軍医大尉「戦場ニ於ケル特殊現象ト其対策」昭和14年(1939年))

《然シアノ多数ノ将兵ニ対シテ慰安所ノ女ノ数ハ問題ニナラヌ。・・・地方的ニハ強姦ノ数ハ相当ニアリ亦前線ニモ是ヲ多ク見ル》--数が足りなければ、 強姦の発生は継続するということだな。


慰安所と慰安婦の数


100人に1人ではぜんぜんダメさ、せめて30人に1人ぐらいいて、しかも女性にせっせと頑張ってもらわないと。

慰安婦は公娼制度の延長線上で誕生した。平時に娼婦や抱え主を監督し、指導していたのは警察だったが、戦地ではその役割を軍が担当したのである。(秦郁彦「歪められた私の論旨」『文芸春秋』1996)

WIKI:日本人戦争捕虜尋問レポート No.49



彼はセブの山中で初めて女を知っていた。部隊と行動を共にした従軍看護婦が、兵達を慰安した。1人の将校に独占されていた婦長が、進んでいい出したのだそうである。


 彼女達は職業的慰安婦ほどひどい条件ではないが、1日に1人ずつ兵を相手にすることを強制された。山中の士気の維持が口実であった。応じなければ食糧が与えられないのである。

 「どうだったい」と私は笑いながら訊いた。彼は少し顔を赧らめてもじもじしていたが、「すんだら、女は『失礼しました』といいました」と答えた。

 傍で聞いていた炊事員は声を立てて笑った。そしていった。「お前はそこで『御苦労さんでありました』っていって、敬礼したんだろ」

 富永は目を丸くした。「どうしてわかりましたか。その通りでありました」

(大岡昇平『俘虜記』)