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2019年9月26日木曜日

2050年以降の「自然な」環境問題の解決

このところ日本言論社交界では環境問題の話で賑わっているようだが、環境問題とは究極的には人口問題に帰結するということはかねてから言われてきた。

地球環境問題、地球の持続性を言うならば、究極は人口問題になろう。人口増により人類の活動がその生活の場である地球というシステムに直接的な影響を与えるレベルに達した。その典型的な例は二酸化炭素などの温室ガスの増加による地球温暖化の問題である。世界的な人口増加に歯止めをかけることで、資源エネルギーの消費を抑え、技術革新によって地球全体の総量としての環境負荷の低減を達成せねばならない。(「地球環境問題」日本学術会議、2010年)

したがって人間という地球における最悪のウイルスを減らしたらよいのである。

地球から見れば、ヒトは病原菌であろう。しかし、この新参者はますます病原菌らしくなってゆくところが他と違う。お金でも物でも爆発的に増やす傾向がますます強まる。(中井久夫「ヒトの歴史と格差社会」2006年初出『日時計の影』所収)
地球にとってもっともよいのは、三分の二の人間が死ぬような仕組みをゆっくりとつくることではないだろうか。 Wouldn't the best thing for the earth be to organize slowly so that two thirds of the people will die? (ジジェク『ジジェク、革命を語る DEMANDING THE IMPOSSIBLE』2013)

とはいえジジェクの言うように、《三分の二の人間が死ぬような仕組みをゆっくりとつくる》のが果たして必要なんだろうか。

国連による人口予測では、22世紀になれば人口増は頭打ちになる。あと80年ほど待てば地球における最悪のウイルスはおそらく減ってゆくのである。





さらにこの2019年2月に上梓されて一部で大いに話題になっているジョン・イビットソン&ダレル・ブリッカーによる『Empty Planet(無人の惑星)』という書ではこんなことが言われている(参照)。

21世紀の大いなる決定的出来事ーー人間の歴史における大いなる決定的出来事のひとつーーがあと30年ほどで起こる。世界人口が減り始めるのである。いったん減少が始まれば、2度と増加に転じることはない。

《いったん減少が始まれば、2度と増加に転じることはない。Once that decline begins, it will never end.》とあるのが正しいか否かは別にしてーーどこかで止まるのではないかーー国連予測だったらあと80年、この書の予測だったらあと30年ほど待てば、世界は変わるのである。おそらく社会的・政治的・経済的展望が劇的に変貌するはずである。

国連予測では、今世紀の地球人口は70億人から110億人へ増える。そして22世紀に入って頭打ちになると予測されている。だが増え続けている世界中の人口統計研究の数多くは、国連の見積りはあまりにも高すぎると確信している。それらの統計研究が示していることは、より可能性が高いのは、地球人口は2040年から2060年のあいだに90億人程度でピークを迎えるということである。そしてその後、地球人口は減り始める。…今世紀の終わりには、われわれが現在いる人口数に戻り、その後は着実に少なくなってゆく。(Darrell Bricker and John Ibbitson『Empty Planet(無人の惑星)』2019年)




いまどき環境問題についてヒステリー的に騒ぎ立てるのは、馬鹿げている。21世紀中葉以降の課題は、老人ばかりが多くなる世界で、どうやって彼らの世話をするかの方策を探ることである。

日本は世界に冠たる少子高齢化社会であるので、日本が率先して22世紀の社会のモデルを提示したらよいのである。



中国は2015年の段階では上のような具合だが、一人っ子政策の効果があり、2040年には次のような具合になる。




日本は中国に経済で負けたのはもはや仕方がないが、22世紀の社会のモデルを世界に提示するのさえ中国に遅れを取るなどという事態にならないでほしいものである。