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2019年9月29日日曜日

現役世代にリベラルを支持するメリットなんてなにもない

Wikiの「デマゴーグ」の項にはこうある。

古代ギリシア語ではδημαγωγός(デマゴゴス)と言う。日本においては主に、意図的に虚偽の情報を流し、嘘をついて人を扇動しようとするさまを指してデマゴーグと批判として用いられるが、「流布された誤った情報」の意味でのデマ、それを意図的に流すものとしてのデマゴーグは日本に限った用法であり、本来「嘘」の意味は無い。

語源は「民衆(δῆμος / dēmos)を導く(ἄγειν / agein)」であり、本来は民衆指導者を指すが、アテナイではペリクレスの死後、クレオンを初めとする煽動的指導者が続き、衆愚政治へと堕落した。このことから「デマゴーグ」は人々の感情や偏見に訴え、力を得る政治家や権力者の意味で使われるようになった。また、彼らの民衆煽動はデマゴギー(Demagogie)と呼ばれる。

ようは本来、「流布された誤った情報」という意味はなく、「民衆(δῆμος / dēmos)を導く(ἄγειν / agein)」という意味だとある。

 ここで古井由吉によるデマゴギーについての発言を抜き出してみる。

デマゴギーというのは僕らにとっての宿命というくらいに僕は思ってるんです。つまりデモクラシーという社会を選んだんだ。それには付き物なんですよ。有効な発言もデマゴギーぎりぎりのところでなされるわけでしょう。

そうすると、デマゴギーか有効な発言かを見分けるのは、こっちにかかってくるんだけれど、これはなかなか難しい。つまり、だれのためかっていうことだ。マスのためだとしたらデマゴギーは有効なんですね。デマゴギーはその先のことなんて考えないからね。

それにしても、政治家もオピニオンリーダーたちも、マスイメージにたいして語るんですね。民主主義の本来だったら、パブリックなものに語らなきゃいけない。ところが日本では、パブリックという観念が発達してないでしょう。(古井由吉『西部邁発言①「文学」対論』)

デマゴギーはデモクラシーの宿命だとあるように、「民衆(δῆμος / dēmos)を導く(ἄγειν / agein)」者が必要だと言っている。

だが、日本のデマゴーグは「マスイメージにたいして語る」のみで「パブリックなもの」に語っていないとある。

ここでの「パブリックなもの」とは、カントが『啓蒙とは何か』で示したカント的転回(私的なものとパブリックなものとの意味の逆転)における「パブリックなもの=世界公民的」の意味である。

この世界公民的については種々の解釈があるようだが、ここでは柄谷行人の解釈を挙げる。

通常、パブリックは、私的なものに対し、共同体あるいは国家のレベルについていわれるのに、カントは後者を逆に私的と見なしている。ここに重要な「カント的転回」がある。この転回は、たんに公共的なものの優位をいったことにではなく、パブリックの意味を変えてしまったことにあるのだ。パブリックであること=世界公民的であることは、共同体の中ではむしろ、たんに個人的であることとしか見えない。そして、そこでは個人的なものは私的であると見なされる。なぜなら、それは公共的合意に反するからだ。しかし、カントの考えでは、そのように個人的であることがパブリックなのである。(…)

世界市民的社会に向かって理性を使用するとは、個々人がいわば未来の他者に向かって、現在の公共的合意に反してもそうすることである。(柄谷行人『トランスクリティーク』P156)
ハーバーマスは、公共的合意あるいは間主観性によって、カント的な倫理学を超えられると考えてきた。しかし、彼らは他者を、今ここにいる者たち、しかも規則を共有している者たちに限定している。死者や未来の人たちが考慮に入っていないのだ。

たとえば、今日、カントを否定し功利主義の立場から考えてきた倫理学者たちが、環境問題に関して、或るアポリアに直面している。現在の人間は快適な文明生活を享受するために大量の廃棄物を出すが、それを将来の世代が引き受けることになる。現在生きている大人たちの「公共的合意」は成立するだろう、それがまだ西洋や先進国の間に限定されているとしても。しかし、未来の人間との対話や合意はありえない。(柄谷行人『トランスクリティーク』P191-192)

ーーここでの「公共的合意」とは「民衆の合意」であり、リーダー側からいえば大衆迎合(ポピュリズム)による合意である。これが古井由吉のいう「マスイメージにたいして語る」ことである。だがそうではなく、大衆の合意に反しても理性の公共的使用することが「パブリックなものに語る」ことであり、その重要性を柄谷行人は強調している。たとえば《未来の他者に向かって、現在の公共的合意に反してもそうすること》。

前者の大衆にむけてばかり語るポピュリスト、大衆のゴキゲンをとることばかりに汲々としている連中が、煽動的指導者であり、主にオピニオンリーダーとして振舞うリベラルインテリという種族であることが多い。これをやってしまったら衆愚政治へと堕落する。

それが蓮實重彦が次の文で言っていることである。

人がデマゴギーと呼ぶところのものは、決してありもしない嘘出鱈目ではなく、物語への忠実さからくる本当らしさへの執着にほかならぬ(……)。人は、事実を歪曲して伝えることで他人を煽動しはしない。ほとんど本当に近い嘘を配置することで、人は多くの読者を獲得する。というのも、人が信じるものは語られた事実ではなく、本当らしい語り方にほかならぬからである。デマゴギーとは、物語への恐れを共有しあう話者と聴き手の間に成立する臆病で防禦的なコミュニケーションなのだ。ブルジョワジーと呼ばれる階級がその秩序の維持のためにもっとも必要としているのは、この種のコミュニケーションが不断に成立していることである。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

ここでいささか引用のレベルを落として(シツレイ!)ホリエモンを抜き出そう、

堀江貴文(Takafumi Horie) @takapon_jp 2019年6月18日

誤解して政府を批判しても何も始まらない。想田和弘とか山本太郎みたいに大衆を扇動するのが商売の奴らに騙されず、それぞれが人生を楽しんで納税するべく努力する社会が理想と思う。

ーーいやあ、ホントにこの2人はダメだよ、あきれかえるぐらい。とってもとってもデマゴギストだよ、きみらにはまだわからないのかね。


たとえばタロウちゃんはこういったことを言ってきた。

消費税は全て社会保障の充実に使いますって書いてあるんですよ。
2014年の増収は5兆円だった。
しかし、社会保障の充実に使われたのは5千億円です。
つまりたったの一割。
はっきり言って詐欺ですよ。(山本太郎発言、2018年3月28日予算委員会)
安倍内閣は2014年に消費税を5%から8%に引き上げました。消費税増税で得た税収はどう使われてきたか。8兆円ほどあった税収のうち、社会保障の充実に使われたのはわずか16%です。安倍さんは「増税分の4/5は借金返しに充てた」と国会で答えています。結局、消費税を上げても、苦境に立たされている国民のもとには配分されません。(山本太郎から自民党を支持してきた皆様へ、2019年06月30日)

で、次の図表を「大衆」に示している。



ーー全部、社会保障費に使われてるじゃないかね、この表自体が。そう読めないかね、庶民のみなさん? たしかにタロウちゃんいわくの「充実」にはほんのわずかにしか使われていないがね。まだおわかりにならない方は、直近の財務省による「消費税の使途に関する資料」を御覧なされ。

このタロウちゃんの振舞いこそ真の大衆扇動家デマゴギーである。

その数字の具体性をたやすく想像しえないものでありながら、それが数字として引用されているというだけの理由によって、読むものを納得させる力を持っている。納得といっても、人は数字の正しさを納得するものではなく、その数字を含んでいる物語の本当らしさに納得するのである。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

行政側が社会保障費を削減しているというのは、ほうっておいたらとんでもない数字になってしまう社会保障激増のうちのいくらかを削減しているという意味であり、絶対値ではいまだおどろくほどの社会保障費給付の「サービス」を大衆にして、赤字が雪だるまになっている。





ちなみに想田ボク珍のたぐいの主張がいかにおバカかはすでに何度も記したので(もう名前を出すのも阿呆らしいから今回で打ち止めにするが)、ここでは「ワカモノ・マニフェスト策定委員会」のメンバーだった人のブログを参照されたし。→城 繁幸「リベラルってどういう国家像が理想なの?と思ったときに読む話」(2019年09月26日)。--「そもそも現役世代にリベラルを支持するメリットなんてなにもない」とあるのでよくよくご参照のこと。

そして真のワカモノの味方である「ワカモノ・マニフェスト策定委員会」については「ワカモノマニフェスト策定委員会の 城 繁幸さん、⾼橋 亮平さん、⼩⿊ ⼀正さんに聞く」PDFを参照されたし。

ま、ここに記したことが絶対的に正しいというつもりはないが、「現役世代に山本太郎や想田和弘を支持するメリットなんてなにもない」かどうかをよく考えてみることをおすすめする。

想田ボク珍は頭はよさそうなんだけどな、嫌韓批判やら表現の不自由展騒動やらについてはしっかりしたことを言っているから。いみじくもホリエモンが《頭がいい人が変な宗教にハマるとそうなっちゃう典型例がこの想田和弘ね》って言っているけど、あの山本太郎教という新興宗教への究極の信者になっちまったせいなんだろうな、あのテイタラクは。さらに消費税や社会保障にかんしては経済音痴・財政音痴という致命的欠陥がある(ここでオウム真理教のインテリ信者の相貌を想起なさることをおすすめする)。

みなさん、ある一定領域ですぐれた発言をする人でも、とんでもない弱さをもっている部分がある場合が多いのでくれぐれも注意されたし。

浅田)アルチュセールがおもしろいことをいっている。科学者は最悪の哲学を選びがちである、と(笑)。細かい実験をやってて、そこではすごくハードな事実に触れているのに、それを大きなヴィジョンとして語り出すと、突然すごく恥ずかしい観念論になっちゃうことがあるわけ。それこそアニミズムとかね。 (浅田彰 1998年ーー村上龍との対談『存在の耐えがたきサルサ』所収)